挿話7

 娘達がタクシーで帰って来た。

 高城君と一緒にだ。

 弥生は所謂、お姫様抱っこでしかも左手一本。そして皐月は荷物の様に右肩に担ぎ上げられている。

 皐月の扱いが、弥生に比べるとかなり悪いが、仕方無いとは分かっているが、娘の下着が丸見えな状態は流石に酷い……そうじゃない!

 何故、追儺の儀……夜回りに出た弥生までも酩酊状態で意識を失っているのだ? そして、何故高城君が弥生を連れて帰って来たのか?

 問い詰めたかったが、彼の背中から腰に掛けて皐月が吐いたのだろう嘔吐物が掛かっており、申し訳なさの方が強く何も言えなかった。

 高城君が拾ってくれていなければ、色々と問題が起きただろう事も含めて本当に申し訳ないと思う。



 そのまま返すわけにもいかず風呂に入って貰い。汚れた衣服は実家が一般店のクリーニング屋を営んでいる門下生に特急で依頼する事にした。

「すいませんが皐月さんの部屋に用事があるので、案内してもらえませんか?」

「何故?」

 妙齢と呼ぶには既に厳しいが娘の部屋に男を入れる? 何を言っているんだ彼は。

「皐月さんが、僕を含めた空手部をモデルにいかがわしい新作を作っていると口にしていたので、回収して破棄したいと思います」

「本当に申し訳ありません。ご随意にどうぞ」

 そうとしか答える事が出来なかった。皐月ぃ……


 高城君は二時間後に仕上がった服に着替えると、タクシー代も受け取らずに帰って行った。

 何て気の使いようだろう……中学生なのに。



「それで弥生。どうしてこんな事になったんだい?」

 高城君が帰った二十分ほど後に、未だ夢心地といった表情の弥生が少し覚束無い足取りで居間に入って来たので尋ねる。

「……とても気持ちが良かったから?」

 うっとりとした様子で語る娘に私の心臓の鼓動は跳ね上がる。

「そうか……奴が手を出したという事か……嫁入り前の娘に…………殺す。ぶった斬ってやる!」

 だんっと床を蹴って立ち上がった直後、額に一撃を受けて倒れる。


「黙っとれ馬鹿者!」

 父が投げた湯呑を食らった様だ……何故だか分からないが父が攻撃の意思を持って投げた物は跳んでくる事すら認識出来ずに喰らってしまう。理不尽だ。

「しかし!」

「東雲。黙りなさい」

「母上……はい」

 母上の目が怖かった。父ですら逆らえないあの目にどうして私が抗う事が出来ようか。


「弥生や、それでは良く分からん。もうちと説明をしてくれないかな?」

「高城君に技を教えてくれると言って」

「それをネタに、お前の貞操を要求したのだな! おのれ高城隆卑劣な真似を!」

 次の瞬間、気づくと床の上に私は倒れていた……解せぬ。


「技とはどういうものなんじゃ?」

「【気】に関わる技よ……」

「な、何?」

 父が驚きの声を上げる。【気】自体が流派の神髄であり、それに関わる技の全てが奥義、秘伝と呼ばれる呼ばれる。それを教えるとか正気か?

 いや、そもそも彼がそんなものを知っているとは思えない。知っていても鬼剋流の技だろう……


「彼は自分で作った自己流の技といっていたわ……」

 ……天才かよ。

「待ってくれ。一体どうすれば技を教えるという話になったんじゃ?」

 そうだ。本当にたまにだが、たまには良い事を言う。


「技の一つや二つ、私の安全に比べられないって……」

「まあ……素敵ね」

「そうね、私はそんな事、今まで一度も言われたことないわ」

「私もですお義母さん」

 そう言う妻の視線が私に突き刺さる。

 控えめに言って虫ケラでも見るような目だ。ちなみに父に向けられたのは、否怖くて見られない。


 それにしてもだ。私の弥生が頬を赤らめて一人の女性として彼の事を……無理も無い。一つ一つの技。その重さを知る武門の娘がだ。しかも【気】に関わる技をだ。自分に比べれば大したものでは無いと言われて惚れぬ訳が無い。

 私が女でも惚れるわ! チクショウ!


 悔しいが父として、二人の仲を認めなければならないのか? どう考えても高城君は娘に本気だ。その覚悟も示している。そして弥生も彼を……いや、それが気持ち良かったとどう繋がるんだ? 繋がんないだろ!

 やはり奴を斬る! 斬らねばならない。立つんだ私。今こそ立つんだ。今立たずに何とする! 身体がいう事を利かないなんて言ってる場合か! ……ちょっとだけ時間が欲しい。もう少しすればきっと、多分。



「それでどんな技だったんじゃ?」

「不思議な技でした……」

「不思議?」

「離れた場所にいる【鬼】の傍で高城君の【気】が突然弾け【鬼】が消えていくんです……」

「それは【気】を飛ばしたという事か? 距離は? どれほど飛んだんじゃ!」

 父が驚くのも分かる。

 【気】を扱う鬼狩りの流派。破鬼十六門。そして滅鬼六十四家において北條流を含む多くの流派が己の【気】を身体の外に出して武器に乗せる事が出来るが、鬼剋流の様に無手の流派の人間には【気】を身体の外に出す事すら困難だ。

 そして北條流の奥義には刃の外側に【気】を伸ばして【鬼】を斬る技もあるが、それを鬼剋流の基本しか知らない彼が出来るというのか?


「距離は十メートル以上だったと思うわ……」

「何じゃとぅっ!」

 十メートル? 北條流の奥義を父が使っても精々七尺程度だぞ。

「それに飛ばしたという訳じゃないの。彼の【気】が飛んでいくのは全く分からなかったのに、突然弾けて【鬼】を倒したから」

「飛ばしたのではなく……いきなり標的で弾ける……」

 弥生がこんな事で嘘を吐くとは思えない。つまりこれは私が臨終の間際で見ている夢?



「如何なる方法でそんな事が?」

「それは言えません。教えてくれはしましたが、それを誰かに伝えて良い訳がありません」

「そうじゃな……」

 そこで私は死力を尽くして言葉を発する。

「だが弥生……今までの話と、気持ち良いがどうつながるのだ? ……」

 痛みに耐えながら何とか口にした。これを聞かずには死ねない。

「そ、それは……」

 弥生がもじもじし始める。いつもは冷静な弥生が……やはり死してなお【鬼】となりて奴を討たねばならぬか。


「彼が私の中の【気】を外から……操作して、使い方を教えて──」

「ちょっと待つのじゃ! 外から【気】を操作? そんな事をすれば」

 ……弥生は重大なダメージを負う事になる。場合によっては【気】を使う事すら出来なくなる。そんな事をあの餓鬼はしてくれたというのか!

「それがとても…………気持ち良かったの」

 ……はい? 何を一体何を言っているんだい?


「気持ち良いのか?」

「そうな。そしてそれがまだ続いているの……」

 薬だな。奴め、奴め! 私の、私の大事な。自分の命よりも大事な娘になんて事をしてくれたんだ!


「まだ続いているじゃと! そんな馬鹿な、自分の身体の外で、何時間も【気】が残り続けるなど聞いた事も無い!」

 老いたな父よ。そんなの薬に決まっているじゃないか。

「私の左手の中にまるで彼が居るかのように……」

 うっとりとした様子で右手で左手を包み込むようにして愛おし気にさすっているのを、父が掴んで自分の顔の前に引きよせた。


「こ、これは……僅かだが間違いない。小僧の【気】だ。信じられん」

 ……えっ!?

「何故じゃ! なぜこんな真似が出来る? これが高城の秘術だというのか?」

 高城の秘術? 高城……高城!

「高城だと!!」

 そう叫んで立ち上がった……あ、痛ったた。


「そうじゃ。高城だ破鬼十六門が三席。高城流柔拳術。その後継者と目されるのがあの小僧なのじゃ!」

「なんだってーっ!」

「先日、央條流の会合の席で、その話が出た。高城の当主が一族の者にその座を譲るとな……その候補が高城隆だと」


「高城流柔拳術……あの傀儡子ハナブーの高城だと!」

 苦い感情と共にその名前を口にする。

「東雲よ。自分を破った相手には最大限の敬意を払え。みっともない!」

「くっ!」

 確かに私は奴に負けた。しかも一方的にだ。

 こちらの渾身の一振り、それを道場の板床を滑るように掻い潜り懐に入られた。

 床を蹴って下がりながら刀を振り被ろうと手首を返し、僅かに親指が緩んだ瞬間、気づくと親指を取られていた。

 後は文字通り為す術が無かった。

 親指を脱臼、骨折程度なら覚悟は出来ている。次の瞬間には左手一本で奴の腕の一本でも斬りおとし勝負をつけただろう。

 しかし、奴は親指を捻りながら押す事で手首の、そして肘関節までも極めていた。

 私の背筋を冷たいものが走る。それは肘関節が破壊される予感。

 肘が壊されては右腕が死んだも同然、しかし抗えば肩までも瞬時に破壊されると理解した。

 そうなっては勝負にもならない。咄嗟に飛んで親指に掛かる力を抜きながら左腕一本で──それも全て奴の手の内だった。

 その後は奴の思うままに床の上を転がされた。何をどうしようが逃れる事は出来ずに、奴の手で操られるマリオネットの様に床の上で踊るしかなかった。


「相手が悪かった。ルールが悪かった……」

 確かに、命を懸けた果し合いなら、結果はどうあれ、ああまでも一方的な状況にはならなかっただろう。

「……だがお前は負けたんじゃ」

「父上なら勝てたとでも言うのですか!」

「分からんな。だが殺し合い以外であいつと遣り合いたいとは思わん……そして、その条件で試合を申し込んだのはお前じゃ。負けにたらればを持ち込んで自分を慰めるな。命があった事を感謝し、ただただ精進あるのみ……違うか?」

「しかし、あの勝負。勝ったあいつのやり方にも問題があるでしょうが!」

「あれは潔く負けを認めないお前が悪い」

「何故だ!」

「奴もさっさとお前の指をへし折り、力尽くで負けを突きつけてやれば良かったとも思う。奴は甘い男じゃよ」

「だったら!」

「確かに奴も甘いが、お前はもっと甘い! あの状況から逃れる術があったとでも思っているのか? 奴はただお前に慈悲を掛けただけじゃ……強者として弱者にな」

 それはそれだけは受け入れる事が出来ない。それを認めたら私は……私は。

「その慈悲に甘えて、負けを認めず見苦しく足掻いた。その結果、床を転がされて続けては酔い吐くとは……」

 止めて! それは言わないで!

「お前が彼の事をハナブーと呼んで蔑む事で自分を慰めているのは知っている。そして儂はそんなお前をひそかにげろしゃぶと呼んで蔑んでおったのは内緒だ」

「内緒じゃねえ! あんた。時々面と向かってそう言ってたじゃないか!」

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