第111話

 時間が止まったかの様な静寂の中、騎馬隊の指揮官に向かってゆっくりと歩を進める。

 三十絡みの男で、鼻の下に上品に整えられた髭がある。此方の世界としては長身の部類で、まあ美丈夫と言って良い風体でさぞ女にもてるのだろう。

 もう俺はイケメン相手に僻まない。北條先生と結ばれる可能性の光が見えているからだ。例え小さく遠い光でも俺には確かに見えているんだ。


 周囲の兵士達は、グレーターグリフォンを一撃で倒した俺に恐怖を感じているのだろう。俺が一歩進む度に引き下がり路を作る。


 その道を俺は歩く。不良達が怖れて道を譲るのと同じだろうか、学校の女子や下級生が怯えて道を作るのと同じだろうか、まあ前者の方が少しだけましなだけで、どっちも嫌なんだが。



「助力を感謝する──えっ!?」

 そう話しかけて来た指揮官を無視して横を通り過ぎる。

 感謝するという言葉は感謝していないと同意だ。

 感謝を示すとは「ありがとう」とか、そういう言葉で表明するものであって、助けられ感謝するのが当然な状況で「感謝する」と口にする? 舐めてるのか? おめえに感謝するかどうかの判断をする権利なんてない。最低でも「感謝しています」だろ。

 絶対に認めない。俺以外がそんな態度をとる事を……てへ。


 スルーされて出来た一瞬の空白の隙を突いて、指揮官……デドメニメキル将軍の背後に隠れる様に立っていた十歳くらいの男の子の前に立ち、慇懃無礼と取られない程度の態度で頭を下げる。

「初めましてレテミトゥラ殿下」

 取りあえずエンカウント情報から名前を知ったが、何番目の王子かまでは分からない。情報の職業欄に王子とだけある。

 要するに、こいつが内乱の幾つの勢力に分かれているか知らないが神輿の一つなのは間違いないだろう。


「……貴様。何者だ!」

 背後から将軍様が厳しい声で詰問する。

「何者か? 俺が居なかったらお前ら全員死んでたっていう存在だ。そんな事も分からないのか?」

 俺は振り返りもせずに答える。

「しかし、何故──」

「俺が敵か味方か、そんなつまらない事を考える余裕があるのは誰のお陰なんだ?」

 勿論、敵ではない……今のところは。そして、何時までも味方という訳でもない。


 しかし俺が敵ならば放置して全滅するに任せていたと理解する程度の人として最低限の知性は持ち合わせていて欲しい。

 そして現段階で俺を敵にするとい事は、改めて全滅の危機を迎えるという、ハムスターが持ち合わせている程度の生存本能を示して欲しい。

 即ち、この将軍様が今するべきは、俺の機嫌を損ねない様に必死になる事だ。

 その程度の事が出来ないなら、空手部員に所属すれば三日で大島に殺されてるに違いない。


「何なら状況を変えて仕切り直すか?」

「状況を変える?」

「難しい事ではない、俺がグリフォン達の代わりをするから、お前達が生き残れるか試してみるかという事だ」

 ヤル気スイッチの入った俺の笑顔を正面から見た王子君が「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げる。

 何故笑顔と言うと、向けられたままの俺の背中に、今ならやれると勘違いした馬鹿が襲い掛かって来たら面白いなと思っているからだ。

 早く襲い掛かって来ないかな? ああ楽しみだ。襲い掛かってきたらどうしてやろう?

 楽しみに歪む俺の顔に王子君の緊張の糸はプツリと切れ、涙と鼻水と涎を垂れ流し崩れ落ちると、更に股間から湯気を立て始めた……そこまで怖かったの? マジ傷付くわ。


「お前は切れたナイフか!」

 鼻からエクトプラズムが飛び出しそうな勢いで後頭部を思いっきり張られた。

「痛いよ!」

 後頭部を両手で押さえながら振り返ると、やはり父さんが立っていた。

「痛いか? だがな隆。父さんの方がずっと痛いんだぞ……お前に吹っ飛ばされた父さんの方がずっとずっと痛かったんだぞ、今でも痛いぞ!」

 愛情ある教育的指導ではなく単なる私怨だった。


「大体な、こんな小さな子まで泣かせてどうする」

「泣かせるつもりはなかった。だから反省したら負けかなと思っている……そう、俺の顔は決して怖くない」

「隆……諦めろ。お前の顔は怖い。小さな子供にとっては凶器なんだ」

「う、嘘だ。俺はちょっとワイルドな格好いいお兄さんで子供達の人気者だ」

 父さんは憐みの目を向けて来る。余計に傷付くわ!


「いい加減現実を見ろ。昔のアルバムを見ていた実の母親を二度見させたんだろ」

「……あんな顔をした母さんを見たのは初めてだった」

 またもや、周囲の人間は『そんなの知らんがな』という視線を向けて来るのだった。



 そんな嫌な空気を吹き飛ばすような風が吹いた。

 別に比喩表現や格好付けた言い回しじゃなくリアルに。


「何だっ!」

「あ、あれはっ!」

「そんな……」

 上空から叩き付けるような風に空を見上げた兵士達が驚きの表情を浮かべたまま彫像の様に動きを止める。

 彼は戦う事の無意味さを感じ、死すら受け入れたのだろう。


 そう、現れたのは──『キング・グリフォンが一頭現れました』……言わせろよ!

 へぇ~そうなんだ。キングとかそんな身分があるほど社会性を持ってたのね。ごめんね見くびってて。


「あいつはヤバイ。何らかの特殊能力を持っている可能性がある』

 その場合は身体能力以外も使った全力で当たらなければ、俺でも負ける可能性はある。

 だって、単に半端なくデカいだけじゃなく翼が二対とか、もうかなり別の生き物だよ。

『だから父さんはさが──』

『そうか、それならばこいつは父さんが倒す!』

 俺の警告を遮り、そう言い放った。

 ボケたのか? いや、やっぱりこの人は兄貴の父親なんだ。勝算なくとも前に出るアカン奴だ。


『冷静になろうな? ここは俺が──』

『隆。お前の父親を見くびるなよ。そこで見ていろ。そしてこの父の実力を知るが良い!』

 脳裏に過ったのは「無茶しやがって……」と空に敬礼しながら呟く数秒後の自分の姿。

 しかし、そんなイメージを覆したのは、父さんの身体から起立する柱の如く立ち上る強力な【気】だった。

 まさか、父さんがここまで【気】を使いこなすとは思っていなかった。


 それはさておき俺の拳が父さんの脇腹を抉る。

「ゲェハッ! ……隆、何故?」

「何故じゃないだろ! 俺の秘密を聞いておいて、自分は隠し事か?」

「それは、ほら、これは高城家に伝わる一子相伝って奴で、父さん伝承者じゃないし、一応内緒だから」

「それは、どこの北斗神拳だ!」

「本当なんだ、父さんはそんなのを受け継ぐのは嫌で弟の萬(すすむ)に押し付けて家出して、それ以来、実家とは絶縁状態だけど」

 ……道理で、我が家では父さん方の親戚の話題が一切出てこないはずだよ。何か触れたら拙いのかと幼い頃から気を使っていた自分が馬鹿みたいだ。



 父さんの放った強い【気】を感じ取ったのかキング・グリフォンがこちらに、正確には父さん目掛けて突っ込んでくる。

 体長二十メートル。広げた翼は四十メートルにも達しようとする化け物が舞い降りる姿に、厳しい訓練を受けているだろう兵士達の半分がその場に立ち尽くし、残り半分は意識を放り投げる。

 そして、止めとばかりに上空から叩き付ける様に放たれた咆哮に残りの半分も等しく夢の世界へと旅立って行った……流石に将軍様は耐えたか。


 父さんは身じろぎ一つせず、獰猛な笑みを満面に浮かべ咆哮を受け流す。

 キング・グリフォンは小さきものを小さき敵と認識したのだろう、父さんの手前で翼を広げて減速し、その反動で上半身を軸に下へと振り下ろされる形になった下半身から繰り出す蹴りを放った。


 これが水平に放たれた蹴りならば、父さんには為す術も無く弾き飛ばされただろうが、上から叩きつけるような蹴りである。

 右足一歩、左足の前へと踏み込み半身になりながら上へと突き上げた掌が、引き裂かんとばかりに襲い掛かる右足四本の爪の一番外側、人間でいえば小指に当たる指の爪を掴み取る。

 瞬間、父さんの身体が数センチメートル縮む。

 違う、足が地面にめり込む、ただそれだけだった。


 全く動かず、キング・グリフォンの巨体から繰り出される蹴り。しかも全体重に落下速度、更には回転運動まで取り入れて繰り出された運動エネルギーの全てを右腕一つで掴み取ったのだ。

 確かに俺の身体能力なら可能だろう。しかし父さんのレベルは俺の半分程度に過ぎない……これは【気】による身体能力の向上なのだろう。


 キング・グリフォンは想像もしていなかった現状に混乱し、上空へと逃れようと翼を大きく羽ばたかせる。

 しかし、父さんは巨大な爪を軋むほどの力を込めて握りしめると、付け根を中心にして爪を操縦桿の様に前に押し倒した。


 そうなれば、上昇しようとする自分の力で自らの指をへし折る事になる。

 いやらしいのは、折らないように微妙に角度を調節している事だ。

 折ってしまったら、最大の痛みが一気に襲い掛かるが、折らずに状況をコントロール出来れば、折れるという心理的圧迫と、少しずつ締め上げる事で頂点にゆっくりと向かって増大し続ける痛みという恐怖を与える事が出来る。

 それが出来るならば、指一本を取れば相手の行動を支配する事も可能……そう大島が言っていた。


 しかし、初見のファンタジー生物相手にそんな事が出来るのだろうか? 無理だね。例え父さんが怪しげな格闘技の宗家の生まれであったとしても無理だろう。

 だが──


『見える。私にも見える』

 何を言ってるんだろう、このおっさんは?

『初めて見たこの化け物の骨が見える。筋肉が見える。関節の可動域まで見える』

 多分、幽霊とか見えてはいけないものも見えちゃってるのだろう。父さんが未だかつてないほど遠く感じられる。


『そうか……こうか』

 父さんが爪を握り込んだ拳を手前に傾けると、キング・グリフォンは甲高い鳴き声を上げながら身体を傾ける。

 その瞬間、痛みにもがきながら羽ばたいていた右の翼が地面に叩きつけられて、骨の折れたにしては随分と軽い音を立てた。

『そして、こうだ』

 右手は爪を掴んだまま、左腕の肘をキング・グリフォンの小指と人差し指の間に当たる場所に入れて、右脚の裏の部分を掴んで固定すると、今度は反対側へと拳を傾けていく。


 恐るべきは、父さんが自分の身体を遥かに超える巨体が生み出す力の抵抗をものともせず、ゆっくりと一定の速度で捻り続けている事だ。

 幾らレベルアップや【気】を使いこなす事で身体能力が向上しているとしても、巨体を誇るキング・グリフォンを相手に赤子の手を捻るが如くとはいかないだろう。

 つまり、全力に近い領域で、正確にその力を制御しミリ単位の精密さで使いこなす……大島と同じ化け物だ。


 既に恐慌状態に陥っているキング・グリフォンは一定の速度で増す痛みに怯える様に、身体を左へと捻りながら地面を転げ回るが、左腕でしっかりと自分の身体をキング・グリフォンの身体に固定した父さんからは逃げられない。


 それから地面を転がり回り続けた両者だが、十秒ほど経つとキング・グリフォンは長い断末魔の鳴き声を上げると、地面に頭を落とし、その下には血だまりが広がって行く。


 首元には、父さんが握っていた右足の爪が突き刺さっている。

 地面を転がる内に間に爪を置いた状態で長さのある首を地面に叩きつけてしまうのを俺は見た。


 偶然……いや違う。爪一本を極めるだけでそうなる様に操ったのだ。

 もし相手が人間だったなら、大島も同じ様な事はやってのけるだろう。だが相手は初見のファンタジー生物だ……そうか父さんが言った「見える」とはそういう事なのか!

 しかし、どうやって?


「ふっ、己の関節の可動域の広さを呪うが良い」

 などと格好付けているが、どうやって初見で関節の可動域を読み取ったんだよ!

「どうだ隆。父さん格好良かっただろう? ……それでだ。この高城流柔拳術をお前が継承しないか?」

「嫌だ」

 間髪を入れずに答える。

「何故だ!?」

「当たり前だ。自分自身が家出をするほど嫌な事を子供に押し付けんな」

 これほどまでに俺の中で父さんの株が下がった事があっただろうか?


「だがな隆。この前二十年、いやそれ以上だな、とにかく久しぶりに萬から手紙が来たんだ」

「断っておくが、俺はその話を聞く気はない」

 そう吐き捨てるが、この人、メンタルはウザいほど強い。

「手紙には『もう無理、どうしても後継ぎが生まれなかった。妻にも年齢的にこれ以上無理させたくない。兄貴には息子が二人いる事は調べてある。どちらかに高城流柔拳術を継いでもらう。兄貴に否応言う資格は無い』ってね」

 息子に拒絶されながらも、最後まで言いたい事を言い切った。

 ならば俺も切り札を出す。


『という事らしいよ母さん』

 今まで母さんとホットラインで繋いでいた【伝心】をオープンにした。

『あらあら、どういう事かしら英さん?』

 たまげるという言葉があるが、魂が消えると書いて魂消ると読むに相応しい表情というのは、幾つもの修羅場を潜り抜けて来た俺でも、それほど見た経験は無い。それを自分の親の顔に見る事になるとは……

『私、そんな事、一言も、聞いて、無いんですけど?』

『い、いや、史緒さん……』

 みっともない。女房の尻に敷かれた男などみっともない。それが自分の父親だと思えばなおさらだ。

 そこで、北條先生の尻に敷かれる自分を想像してみる…………ニヤリ。十分有りだ。


『母さん。父さんと星でも見に行けば?』

『星? ……そうね。隆がそう言ってくれるなら、それが良いわね』

 勿論、俺の弟が出来れば、その子に継がせれば良いという事だ。兄貴も俺も、そんな伝説の暗殺拳の様な一子相伝の格闘技を伝承するには今更だ。

 そんなのは生まれついた時から、生活の全てが修行として育てられて初めて、才能や適性等を考慮せずとも確実にモノになるのだ。


 兄貴にはフィジカルで戦うという事自体に才能が無く、俺も打撃系に馴染んだ今となっては、掴む、投げる、極めるを本格的にやる気は無い……というか、空手部に入って無かったとしても興味が無い。


 なので、別の生贄を用意すれば良い。

 まあ俺も鬼ではない。弟が生まれて、彼が本気で嫌がったのならば力尽くでも高城流柔拳術とやらに引導を渡してやる。

 うん、高城流柔拳術にとって、俺という存在は鬼というよりも悪魔だな。



「……何者なんだ。お前達は?」

 俺と父さんを除き、唯一この場で意識を保っている将軍様が生まれたばかりの小鹿の様に足をプルプルと震わせながら立ち上がり、圧倒的な戦力差を理解しながらも、決して屈することなく己の矜持を守らんと毅然とした態度を貫こうと全身全霊を尽くして俺へと対峙する……まあ、守れも貫く事も出来てはいないが、それでも投げ出させない何かを抱え込んでいる奴は嫌いじゃない。


「見ての通り、お前ら全員の死命を制することが出来る存在?」

 しかし俺は、好きと嫌いじゃないの間には、太くて深い溝を作るタイプだった。

「だからどうしてお前はそんなに尖ってるんだ!?」

 父さんにまたもや後頭部を思いっきり張られる……二度もぶったね。


「良いか隆。社会に出れば分かる事だが、交渉相手を怒らせるメリットなどデメリットの前には無いに等しい」

「えっ! 一発ガンとかまして主導権を握るんじゃないの?」

「お前は犬か? 野生動物か?」

「あんたの息子だよ」

「…………」

「何か言えよ!」

 目を逸らすな!



「……答えよ!」

 俺と父さんのコントにもう飽きたと言わんばかりに将軍様が突っ込んできた。

 俺の答えは無視ですか? 自分の都合の良い答え以外は受け付けない心算かよ。

「お前ら全員の死命を制することが出来る存在」

 今度は疑問形ではなく断定してやる。

 そして背後から襲い掛かる父さんの平手を避けながら、その空振りした右腕の上を沿うように裏拳を走らせ──ゾクっと背筋を走る感覚に素早く引き戻す。

 ……殴っていたら、腕を取られて関節技に持ち込まれていただろう。


「まさか、あのタイミングで裏拳を防がれるとは思ってもいなかった」

「隆も良い判断をしたと思う……でも思いっきり殴りに来たよね。親子! 俺と隆は親子! 分かってるの?」

「さあね? それにしてもやるな高城流何ちゃらは」

「柔拳術!」

「なんて字を書くのか分からないから、どうでも良い」

「柔道の柔に、握り拳の拳と書いて柔拳術。今でいう総合格闘技みたいな何でもやる……イロモノ格闘技?」

 言ったよこの人、自分の家に代々伝わる武術をイロモノと言ったよ。流石、継ぐの嫌って家出する人間だよ。


「兎に角だ、高城流柔拳術に死角はない。どうだ身につけたいとは思わないか?」

「思わない」

 即答した。

「何で?」

「自分でイロモノ扱いしておいて、自分で継ぐのが嫌で家でしておいて、それなのに子供に継げとか、人としておかしいと思わないのか?」

 大体、総合格闘技に近いなら大島に仕込まれてる空手だって、打つ、飲む、買う……違う、打つ、投げる、極めるがあるので似たようなモノだ。違いは各要素の配分の問題だ。だから被ってるんだよ。


「だが隆が継がないと、歴史のある高城流柔拳術は途絶えてしまうんだぞ」

「途絶えて困る事があるのか?」

「ほら、地元の【鬼】の駆除とか」

「鬼剋流とかにやって貰えよ。大体、そんな役目があるのにどうして一子相伝なんだよ。鬼剋流みたく多くの人間に伝えて使える人数増やせよ」

 俺の言葉に父さんは傷付いた様に視線を下げて、震える声で答える。


「柔道や空手という看板に比べて、柔拳術なんて、何それ? 扱いで人が集まらないから仕方ないだろう。好きで一子相伝している訳じゃないんだ!」

「ちょっと待て、一子相伝だから内緒だの言ってなかったか?」

「マイナー過ぎて門下生が集まらないなんて恥ずかしいから、一子相伝と思ってないとやってられないんだよ」

 分かった。父さんが高城流柔拳術を継がなかった理由が分かった。そして理解も納得も出来た。


「だったら潰してしまえよ。要らねえだろ高城流柔拳術」

 もう、そう言うしかないだろう。存在意義が分からない。

「潰しても良いのか?」

「良いだろう。誰も困らねえよ」

 いや嘘だ。無理やり継がされた叔父としては、息子にも継がさずに高城流柔拳術を潰してしまう父さんを決して許さないだろう。

 叔父に恨みを買う父さんは困った事になるだろうが、それは俺には無関係な話なのだ。



 背後からの叩きつけるような殺意の奔流。

 繰り返しまともに相手にされ無かった事に、彼我の戦力差すら頭の中から吹き飛ぶほどブチ切れ、剣を抜いて襲い掛かって来たのだ。


 振り向かなくても分かる。一撃で俺を殺す気だろう。

 いくら怒りに我を忘れても、自分よりも強い相手が二人いるのだ、最低でも最初に不意打ちの一撃で一人は殺してしまわなければ、その後の計算が出来ない。


 肩越しに構えた長剣をただ真っ直ぐに全力で振り下ろすのを風切り音が教えてくれる。

 多分、今の俺の身体なら、そのまま一撃を受けても痛いで済むだろうが痛いのは好きではない。

 素早く低く地面の上を滑るように跳躍し、背後で空振りして地面に叩き付ける音よりも早く振動を感じ、今度は高さを出して後ろへと跳んで、両刃の長剣の刃の上に着地する。

 初期装備であるブーツは、剣などの武器と同じく俺の全力でも破壊出来ないので靴底が切れる心配も無い。

 これで履き心地やグリップ。そして重さなどの点でも優れていれば完璧なのだが、その辺は二級品レベルなのだが、俺が本気を出した機動性には此方の世界の普通の靴は一発で穴が開くので、初期装備のブーツは手放せない。

 一方、現実世界でもスニーカーでは長くはもたないので、最近は靴底が厚く硬めのトレッキングシューズを大事に使っている。


「く、くそ!」

 思いっきり振り下ろし地面に食い込んだ上に、その上に俺が飛び乗り更に深く食い込んでしまった上に、そのまま俺の体重が乗っかっているので、将軍様の長剣は全く動かない……だから思わず言ってみた「我が心すでに空なり、空なるが故に無 」と。

「黒天使ごっこかよ!」

 今度は父さんの突っ込みを、甘んじて後頭部で受けた。だって突っ込んで貰わないと恥ずかしさ倍増だろ。


「貴様らこの期に及んでまだ、愚弄するか!」

 怒りに顔を真っ赤に染めた将軍様は、遂に諦めて長剣の柄から手を放して肩で息をしている。

 勝てる見込みも無い相手に、死ぬ気で攻撃を仕掛けたのに、全く相手にされていないのだから愚弄されたと思っても仕方ないが、そもそも愚弄するほど彼自身に対して興味は持ち合わせてはいない。正確に言うのなら興味を失っている。


 俺達と彼等とでは戦力差が大き過ぎて、俺達が彼等に協力するとなると俺達におんぶにだっこ状態となってしまうが、代償としてこちらが得るものはほとんどない。

 メインは此方の世界に関する知識の集める事だが、リートヌルブ帝国で得なけれればならない知識に思い立たるものがある訳でもない。

 後は内政に励んで領土的野心は次の世代までしまっとけと釘を刺すぐらいなのだ。

 しかし、そうまでして彼等に力を貸してやりたいとは全く思えない状況だった。



「まあまあ、君も落ち着きなさい」

 父さんが割って入り大人の態度を示す、こちらを振り返りニヤリと笑うのが鬱陶しい。

「私達親子は、北の……なんだっけ?」

「ラグス・ダタルナーグ王国。ちゃんと憶えておけよ」

「そう、ラグス・ダタルナーグ王国に滞在中の旅人だ」

 リートヌルブ帝国に来ている以上、旅人ならもうラグス・ダタルナーグ王国とは関係ない気がする。

「旅人? ……そんな旅人がいるか!」

 気持ちは分かる。

 二千五百の精兵をたった一頭で壊滅に追いやる力をもつ魔獣をだ。たった一人で一方的に蹂躙する戦略兵器に等しい戦力を持つオッサンがフラフラと諸国を漫遊しているなんて軍人としては悪夢以外の何物でもないだろう。


「一定の場所に留まらず、旅を続ける私達が旅人でないなら何者だというのかな?」

 とても強い旅人で良いんじゃね? と現実逃避。

「そもそも、その発言内容が正しいのか何の確証も無い」

 しかし想像以上の馬鹿な答えが返って来る。だったら訊くなよとしか言い様が無い。

 この難敵に父さんは如何に?


「ならば私達に尋ねる意味は無いのではないかな?」

 普通だ……

「だが知らねばならぬ。例え貴様らに縄を打ってでも聞き出す」

 しかし、こいつは普通じゃない。どうやって縄を打つつもりなんだろう? 突然神秘的な力に目覚めたのか?

 その可能性は否定しないぞ。システムメニューとか精霊の加護とかがあるのだから、それ以上のトンでもパワーに目覚めても不思議はない。



 三秒後、将軍様は地に這い蹲っていた。

 俺も見た事が無い攻撃法。打撃による関節の破壊。そうは言っても骨折ではなく脱臼。つまり打撃によって関節を外したのだ。

 しかも四肢全てをそれぞれ一撃でだ。はっきり言って自分の目を疑ってしまう。

 昔、何かの漫画で見た事がある気がするが、そんな技が現実に存在するとは……

「これが高城流柔拳術なのか?」

 打撃一つで関節を外す。その恐ろしさと優位性に悔しいが興味が出てきてしまった。高城流柔拳術に……本当に悔しいけど。


「ん? これは父さんが好きだった漫画の技で一生懸命練習して身につけたから柔拳術は関係ないからな」

「漫画かよ! 台無しだな!」

 そう言えば、俺も父さんの本棚にあった漫画で見たんだよ。畜生!


「今なら柔拳術と一緒にこの関節打ちもセットで教えてもいいから……なぁ、どうだ……なぁ?」

 必死過ぎてマジうぜえ。

「父さんが漫画をヒントに身につけたなら、俺に出来ないという道理はないよ」

「な、なんだって!? ……い、いや違う。あれは柔拳術という基礎があって初めて身につける事の出来る技だから」

「分かり易くうろたえておいて誰が信じるか! 大体だ。交渉相手を怒らせるメリットなどデメリットの前には無いに等しいんじゃなかったのか?」


「一口に交渉相手と言ってもだ。大雑把に三つに分けられる。今回の交渉で十分に勝算のある相手、今回は無理でも次回へ繋がる相手、話にもならない二度と関わりたくない相手だ」

「それで本音は?」

「軍人だって同じ公僕の癖に偉そうなのがイラっとした」

 父さんの様な役所勤めの地方公務員は、組織の外にいる人間に対して偉そうに出来る機会なんてなさそうだしね……ね、じゃねえっ!

「何処のいい歳した社会人様が、イラっときたから相手の両手両足脱臼させるんだよ?」

「……面目ない」

 力なく頭を下げる父さんに、全くだと思った。



「それでこいつらどうするの?」

 唯一意識を保っていた将軍様も、父さんのおかげで気絶しているので、このまま立ち去ると獣や魔獣に襲われて大量の死人が出るのは必至だし、更にグリフォンに襲われて多数の負傷者が出ている。それに負けないくらいの死者も出ているが、負傷者は放っておけば死者へとクラスチェンジを果たすだろう。

「どうすると言われても、そもそも彼等とは何の関係も無いからねぇ~」

 まるで路傍の石が如き軽い扱いをする。

 でもそう通りなんだよ。グリフォンに襲われているのを助けてやったが、まともな感謝の言葉すら聞いていない。

 利用するにも、王子様を担いでいる立場と思われる将軍様が対話が不可能なタイプなので、これ以上関わる理由も無い。

 だが俺の第六感が、この場を立ち去るにはまだ早いと囁いている……いや第六感は関係なく、目的を全く果たしてないだけなのだが。


「ならば、誰がアムリタを攫い、拘束して戦争の道具にしたのかを、拷も……尋問した後は放置で問題ないな」

 俺と違って目的を見失っていなかった様だ。

「だけど尋問した相手は、無人島送りにする必要が出てくるけど」

 システムメニュー所持者の事を探す、とても強い旅人の存在だ。目を付けられないはずが無い。

「あいつを使えば良いだろう?」

 将軍様の事で間違いないだろう。確かに奴なら罪悪感も抱かずに済む。

 ただ、事実上のトップを失う王子様の勢力は壊滅するのは間違いない。その事実上のトップがあれだと思えば遅かれ早かれ先は無いのだから気にする必要も無い。

 しかし、それをチャンスとして利を得る者が必ず出る。そしてそれがアムリタを拘束した連中だったとしたら……実に面白くない話だ。


「大丈夫だ。柔拳術をもってすれば痛みの強弱など自在に操れる。拷も……尋問すれば、聞きもしないことまで泣きながら話くれるようになる」

 こちらにチラッと含みのある視線を投げてくるのが本当にウザい。

「いや、もう拷問で良いから、それは」

 高城流柔拳術のアピールは完全に無視する。どんなに「凄いだろう」とアピールしても、いやアピールすればするほど、そんなに素晴らしいものを家を捨ててまで拒絶した理由の重さが際立つ。

 だから絶対に俺は継承しないし、その理由も知りたくない……知ったら後戻り出来なくなり、継承するか家を出るかの二択になりそうだから。



「貴様ら!」

 地面に這い蹲ったまま顔だけを上げて叫ぶ将軍様を俺と父さんは眉一つ動かす事無く見下ろす。

「君に聞きたい事がある」

「返事はいらない。聞かれたことに答えろ。それ以外は求めていない」

「なっがぁっ!」

 必要のない事を口にしようとした将軍様の脇腹を俺の右足の爪先が抉る。

「隆、止めるんだ」

 なるほど飴と鞭。俺が鞭で父さんが飴を与えて相手の依頼心を父さんに集めて口を開かせる作戦だな。

「与えるダメージは最小で、痛みは出来るだけ大きくだ」

 ……そうか飴はないんだ。


「この場合は、こうだ」

 脱臼している肩を蹴り飛ばした。

「それはダメージが大きいだろ!」

「片関節を痛めたところで死ぬ訳でも口がきけなくなるわけじゃない。尋問する上で必要な生命維持と思考能力と発声に関わる部分以外はダメージとして計算する必要はないんだ」

 なるほど勉強になる。だけど尋問はもう止めてくれ、取り繕ったところで拷問は尋問にはならない。欺瞞だ。


「つまりまだ君にはまだ話す準備が出来ていない訳だ」

「貴様らに話す事など、くあっ!」

 屈みこんで右足を掴むとドアノブを捻る様な動作で、あっけなく右足首の関節を外した。

「安心しなさい。しばらくは質問するのは止めてあげよう」

 大島なら先ずは指を全てまとめて潰していただろう……父さんは優しいな。

「何も答える必要はない。しばらくは痛みを存分に楽しみたまえ」

 次いで、左足首も外す。


 将軍様は既に関節を外す度に小さく呻き声を上げるのみになっていた。

「さあ、今度は新しいアプローチで責めてみようか

 父さんは結局、あれから一度も質問を投げかけていない。別に楽しそうにやっている訳ではなく、淡々と作業をこなしていくだけだ。


「とうさん、何か言いたそうにしてるよ?」

 将軍様が縋る様な視線をこちらに向けていたのだ。

「もう少しやって、完全に心が折れてからの方が二度手間にならなくて楽なんだけど?」

 父さんの言葉に、将軍様は首を何度も横に振る。目に浮かぶ涙は新たな痛みへの恐怖か、それとも首を振った事で全身に走った痛みの為か、どちらにしても──

「もう心は折れてる様だよ」


「そうか……整ったか」

「整うって何が?」

「それではチャンスを与えよう。私が知りたいと思う事を想像して話してみてくれ」

 無視した! しかも、凄い事を言い出したよ。

 将軍様は涙を振りまきながら首を横に振っている。旅人としか名乗ってない以上、俺達の立ち位置が全く分からない状況で、欲する情報を推測するにはファンタスティックなパワーが必要になる。

「なんてS」

「失礼な。父さんは人間ならだれもが持っているサディスティックな部分をごく一般的程度に持ち合わせているに過ぎない」

「もう面倒だから普通に尋問しろよ。整ったんだろ? もうこいつは知ってる事は喜んで全部話すから」

 俺の言葉に彼は初めて首を縦に千切れんばかりに振るのだった。



「つまり皇帝が崩御し、帝国は皇弟派と皇太子派に、更に第二皇子と第三皇子派、第四皇子に分裂中でお前は第四皇子派だという訳だな」

「はい、そうです」

 確かに心を折っておけば素直になって全ての交渉はスムーズに進むな。憶えておこう。



 込み入った話は父さんに任せて、俺はキング・グリフォンの咆哮に気絶した騎馬隊を収納していく。

 今度、彼等の扱いをどうするかは決まっていないが、このまま放置しておけば、現在森の中で絶賛虐殺中の魔物達が「何だこんなところにも獲物が居たのか」と気付いてしまうだろう。


 中には死体や重傷・重体の者もいるが、気にせずどんどん収納作業を進めていく。

『なるほど、皇弟派が怪しいな』

 一応【伝心】で尋問の内容を確認していると、そういう結論に至った様だ。

 騎馬隊は第四皇子派で、騎馬隊が森に追い込んで壊滅状態になっているのが皇太子派の軍勢で、昨日俺が文字通り全滅させた部隊に関しては確証はないらしいが、兵站の面で異常な行動をとっていたのは皇弟派という事だった。

 よし、皇弟派は跡形も無く消し去ろう。そして帝国はしばらく内乱で荒廃して国力を落とせばいい。


『……息子がまた酷い事を考えている』

『そうだよ。父さんの息子だから仕方ないだろ』

『…………』

 何か言えよ。




 ちなみに、マサル君の魔法講座の結果、見事姉の地位を射止めたのはアムリタだった。それはもう圧倒的に。



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母が両目にレンズを移植してサイボーグに生まれ変わる事が決まった……一般的には白内障手術と呼ぶ


今回は検査などの付き添いでかなり時間が取られてしまった

そして九月に右目と左目の手術を二度に分けて行うので、また時間が取られることになります

だから、八月中は頑張って天気の子を観に行きます! ……続きを書けよ


作者としては一番受けたくない手術であるが日本で一番多く行われる手術でもある

何故一番受けたくないかというと、小学校の頃の担任が受けた事があり

意識を保ったまま、目が見える状況で目を手術されるのが如何に恐ろしいかを語ってくれたからだ……トラウマである


母にはその事を一切伝えず、日本で一番多く行われる手術であり、回数が多いという事は医者も

沢山の手術回数を行っており経験豊富なので、最も安全な手術でもあることを伝え手術する事を決めさせる……鬼の所業




>「我が心すでに空なり、空なるが故に無 」

疑い様も無く、ブラックエンジェルの主人公、雪藤の台詞

雪藤が敵が構える日本刀の峰に跳び乗ると、何故か相手は身動きが取れなくなる

その時に口にする台詞である

そして、そのまま峰の上を移動し、決め台詞の「地獄へ落ちろ」につながる


一生に一度くらい言ってみたい台詞の一つである

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