第107話
「母さん。向こうの世界で幼女を保護した」
朝一番にそう言って、夢世界で携帯で撮影したアムリタの姿を母さんに見せる。
「……マルちゃんよね?」
言われて慌てて形態の画面を確認する……アムリタを撮影した後、マルの寝姿も可愛いので撮っておいたのを忘れてた。
「こっちだ」
今度はちゃんと画面を確認してから、ディスプレイを母さんに向けて差し出す。
「……どういう子なの?」
可愛らしい幼女の寝姿に母さんの目に強い光が宿る。
「名前はアムリタ。俺と同じオリジナルシステムメニューの保持者で六歳のインド人の女の子。【所持アイテム】目当てに向こうの世界の軍隊に捕らえられ首輪を付けられて物資の輸送をさせられていたのを助け出して保護したんだよ」
アムリタを家で引き取って貰いたい俺は、まずは母さんにプレゼンするために予め考えておいた内容を簡潔に伝える。
「そんな事をやらかしてくれたのは何処の何て国なの? ちょっと挨拶してくる必要があるわね」
挨拶というにはあまりにも顔が怖い。もしかしなくても肉体言語によるご挨拶? それとも『異世界無限連鎖殺人事件 死体で紡ぐご挨拶』とか……自分の親でそんな事を想像しなければならない自分が可哀想だが、まだまだぶっこんでいかなければならない話があった。
「このアムリタは現実世界のインドではストリートチルドレンなんだよ」
この言葉にショックを受けて母さんの動きが完全に止まったところで、更に追い打ちをぶっこむ。
「五歳で両親を亡くして、一年間路上で生きて来たそうなんだ」
俺の言葉に母さんは苦悩の表情を浮かべてフリーズしている。
引き取りたいのだろうが一人女の子の人生に責任を持つという事の重さ。そして何より、どうやってインドにいる幼女を合法的に引き取る事が出来るのかという難題。
幼女を家で引き取るという事を勝手に決めたが考えるべき事だが残念ながら、ごく普通の中学生に過ぎない俺としては親に押し付ける事しか出来ない。
まあ、返事がNOなら彼女の身の安全と生活は、俺が保証しなければならない事になるが、それは高城家として提供出来るものに比べれば酷く限定的なものなってしまうのだ。
だから何としても母さんを味方に付けなければならない。母さんさえ味方に付けば後はどうとでもなる。
「……まず、そう、まずはその子の現状を確認しないと」
「昨日の内にレベル七十まで上げておいたから、向こうの世界で渡しておいた食料や毛布なんかはこちらでも取り出せるし、必要な魔術や魔法も教えておいたから、人里離れた場所に安全な居場所を作る事は出来るはずだよ。涼の古着とか、他に必要な雑貨やベッドなどの家具は──」
「服は涼のお古で……とりあえずベッドも涼のを持っていきましょう──」
「でも実際に会いに行って色々面倒を見て、やっと六歳の女の子が心を開いたところで、じゃあ後は独りで頑張ってねと言って帰ってくるの? 俺ならショック受けるよ」
俺の言葉を遮った母さんを、更に遮り返すと母さんは今度はかなり面白い顔でフリーズ状態に陥った……しかも今度のは長そうだ。
母さんが復活するまでの時間を有効に使うために、戸棚からコップを取り出し、冷蔵庫の中から麦茶を取り出してコップに注ぐ。
そして居間のソファーに座ると新聞を片手にリモコンでテレビを付ける。
「……中国で政変?」
新聞の見出しに目をやると不穏な文字が飛び込んで来た……思わず喉がごくりと鳴り、ひりつく様な喉の渇きを覚えて麦茶を口にする。
『緊急ニュースです。昨夜、日本時間で午後九時頃に共産党首脳部による会合の会場が何者かに襲われ。国家主席を含む多数が死傷した事件に関して──』
テレビから流れ出すニュースに盛大に麦茶を吹く。窓から差し込む朝日に虹がかかる。
『その後、陸軍司令部により、事態の解決を図るために中国全土に戒厳令が発せられ、事実上の人民解放軍によるクーデターとも報じられていましたが、その後、日本時間午前三時頃に陸軍司令部の本部が襲撃を受け、多数の軍高官に犠牲が出ており、これは共産党首脳部からの報復と──』
や、やりやがった……何時かやるとは思っていたが本当にやりやがった。しかも俺の想像を超える規模と早さででやりやがった。
ローテーブルの上に飛び散った麦茶を拭き取りながら【伝心】で大島に呼びかける。
『高城かぁ、俺の活躍は見たか?』
そのどうだと言わんばかりの態度にイラッと来たので怒鳴り返した。
『何しとんじゃお前は!』
『何って? 単に中共の首脳部が集まってるところに殴り込みをかけてぶっ潰し、それを軍に仕業に見せかけて、結果クーデターを起こさざるを得ない状況に追い込み。暴発したところで、ご苦労にも態々一か所に集まってくれた軍トップの連中に、この世から退場して貰っただけじゃねぇか』
だけじゃねえ! 少しは悪びれろ。そして家に来て噴き出した麦茶の掃除をしろ!
『世界秩序って分かる? 世界秩序。どうする気だ? あの眠れる獅子の名を欲しいままにした挙句に、今更百年遅れで帝国主義ごっこに興じる。一週回ってむしろ新しいじゃないかと思う、あの中国を混乱させて! 奴等なら血迷って第三次世界大戦の引き金だって……カッとしてやった反省はしていないのノリじゃ済ましかねねえぞ!』
『その例えはよく分からんな』
『分からなくておめでとう。こんなの知ってても何の意味もねえよ! そして気遣いは無用だ!』
北條の爺なら分かるが、分かればいいと言うものじゃない。
結局大島が口にした理由は『やられたらやり返す倍──』言わせねぇよ! と咄嗟に【伝心】を切断した。
『いきなり切るな馬鹿野郎!』
『いきなりぶっちゃけるな馬鹿野郎!』
即座に再接続してきた大島に怒鳴り返す。
この件で大島をこれ以上責めても意味が無い。本人は全く悪いと思っていない……いや違う。先天的にこれを悪いと感じられる機能が奴の脳には備わっていないのだ。
犬だって、現場を抑えて叱れば理解出来るというに犬以下で、しかもそいつが教師とか泣けてくる。
『まあ良いさ。ところで大島。あんたインドにコネとか使える知り合いは居ないか?』
世界の危機を「まあ良い」で切り捨てる俺だが、はっきり言って、もうここに至っては俺に出来る事は何もない。
ほら、昔の有名なイギリスのロックバンドの歌詞にもあっただろう。同じセンテンスを四回繰り返し「放っておけ、あるがままに受け入れろ。そのままにしておけ、なるようになるから」と表現していた。
『大島だぁ? 大島先生だろぅ!』
今更そこに突っ込むの?
『残念だがもう先生じゃないんだ。今更、学校にはお前の席も籍も無いからな』
『何だと?!』
『お前は死んだ事になってるんだから当然だろう』
『……まあ、しゃあねぇな。だがタメ口はゆるせねぇな!』
ウルセエな……だったらどちらが主導権を握っているのかはっきりさせてやる。
『だったら、お前が社会復帰する手伝いは出来ねえな』
『何?!』
『あのさ、今更いきなりお前が「帰ってきました!」で迎え入れてくれる様な社会は地球上に存在しねえよ』
『…………』
幾ら考えてもそんなモノあるはずが無い。
『仕方なく、嫌々でも迎え入れるしかない状況を用意しないと日本政府だってお前みたいな危険人物はお断りだよ』
『それならまだしばらく──』
『時間がお前の味方だとも? 早くしないとお前の女が二人とも何処かで他のおと──』
『許す!』
言語情報と同時に煮えたぎるマグマの様な熱い感情が叩き付けられる。
夢世界で復活し、その日の内に女を作った癖に図々しいな。
『無理に許さなくても良いから、俺は全く気にしないし』
『……調子に乗るなよ。中国からアメリカとロシアに核ミサイルを発射してやっても良いんだぞ』
出来る訳が無い。はったりに決まっている……しかし自分が頭を下げれば済む事を世界を盾にしてまで拒否するような男だ。
何をやるか本当に分からない。しかしこちらが引き下がる筋合いはない……だがしかし、核ミサイルを使わなくてもワシントンとクレムリンの最重要人物を亡き者にし、その血で『高城隆 参上!』と壁に殴り書きして、俺の住所と電話番号を残して立ち去る真似をしかねない男だ。
どうして俺はこんな奴を野に放ってしまったのだ? 一体どこで間違ったのだろう?
黙り込んだ俺に自分の脅しが利いたと思ったのだろう機嫌良く話しかけてくる。
『それで、どういう状況なのか説明してみろ』
俺は悪魔に屈して幼女……アムリタの事を説明した。
『つまり、その娘を引き取るなりしたいって訳か。相変わらずの甘っちょろさよ』
『うっせぇよ! 助けちまった物はしょうがないだろ! とにかくそんな訳で家で引き取れるかどうかは分からないが、インドでストリートチルドレンをやってるより日本で保護された方がマシだろ』
『面倒な奴だな……大体、まともにやろうとするのが間違ってんだよ』
流石まともじゃない公務員。選択肢の最初から合法的(まともな)手段から外れるというのか?
『先ずは日本に連れてきてしまえば良いんだよ。その上で一月ぐらいお前の家でこっそり匿って、その間に日本語や日本の習慣を教え込め。レベルを上げてるなら六歳児でも一月もあればネイティブな日本語を話せるようになるだろ。そしたらお前が警察に連れて行って迷子の女子を拾ったと言え。後はその餓鬼が日本語しか話せない上に記憶喪失で押し通させば良い。するってえといくら探しても親は見つかる筈は無く身元はわかんねえ。そして記憶が無くて日本語しか話せないとなれば入管だろうが何処にも強制送還しようが無い。そうとなれば保護施設に入れられる訳だ』
『施設じゃ駄目だ』
大事な事なので即座に拒否する。
『慌てるな……その餓鬼にはお前に懐いている演技するように言い聞かせろ。それが肝だ。お前と離そうとしたら泣き喚く位に大げさな方が良い。警察も態々人手を割いて一日中餓鬼の面倒を見るのは難しいから、お前の親が申し出れば一時的に預かる事も出来るだろう。その後は施設に入れられるが、永遠に入れっぱなしという事は無い。何れ身元引受人を立てる必要がある、その時に一時的にでも面倒を見ていたという縁と、本人が懐いているという事実は大きいだろうさ』
大島マジ有能。犯罪から始まって最終的に法の範囲に事を納める。つまり最終的に適法と言える体裁さえ整えてあれば過程は問わないというかどうでも良いという事だ。流石は法の外の住人(アウトロー)としか言いようがない……自分の事は棚に上げて感心する。
『感謝する。大島先生』
役に立ってくれたのだ。たとえ相手が何者だろうと礼を述べる事こそが俺の矜持。
それに対する大島の返事は『……気持ち悪いわっ!』だった。
こみ上げてくる抑え切れない殺気に、いつの間にか俺の膝の上に登って寛いでいたユキが驚きピョンと垂直に一メートル近くも飛び上がってしまった。
『それからな。俺が社会復帰した後なら、お前の力になってやれるぞ……俺が社会復帰した後ならな』
大事な事なので二度言いました的に社会復帰を強調しやがる。珍しく良いアドバイスを暮れると思えば、狙いは自分の社会復帰という事だ。
……いやそれだけじゃない。もう一つ強調されている言葉がある。それは『俺が』だ。
こいつは先輩である通称、早乙女さんを見捨ててやがる。まあ、俺も彼に対しては思うところがあるので積極的に助ける義理は無い。
『社会復帰はいつ頃が良い?』
『暫くは無理だな。むしろ今は死んだ事になってる方が動きやすい。半月……長くても一月位で決着を付け、それからほとぼりを冷ますのに、そうだな出来れば三月位は欲しいところだな。その娘が施設に入る期間を短くしたいなら、そうだな匿う期間を二か月くらいにしておけば良い塩梅じゃないか?』
これって大島の思い通りに事が進んでないか……幼女の話を聞きながら、この着地地点までのシナリオを描いたとは相変わらず悪知恵だけは働く。
『分かった。また連絡を入れる』
『ああ、そうそう忘れていた。向こうの金貨とかこっちの世界で現金化する伝手もあるぞ、家族が増えたら何かと入用だろう……じゃあな。頑張ってくれよ俺の為にもな』
返事はせずに【伝心】を終了させた。
負けた訳では無い。負けたんじゃ無い。大島を完全にフリーにしておくよりも社会の枠組みの中に置いた方が、奴によって世界中に垂れ流される害悪が減ると信じたからだ……いや本当。
フリーズしながらもいつの間にか面白顔から苦悶の表情に変化している母さんに「準備して出掛けるよ」と声をかける。
インドとの時差は五時間で、向こうはまだ深夜一時前だが、音速で飛び続けても七時間以上だが、未だに音速の壁の問題を解決出来ていないので最低でも片道八時間は覚悟する必要がある。往復の時間だけで十六時間だから、とんぼ返りしても帰宅時刻は夜の十時位になる訳で、しかもあくまでも予定だ、タイトに組んだスケジュールなんて当てにはならないので急ぐ必要がある。
「でもね……」
良い澱む母さんに大島の策を話すと「五分で準備するから」と言い残して居間を飛び出し、音を立てながら階段を駆け上がって行った。
五分間で出来たのは顔を洗って歯を磨く事くらいだった。着替えは【所持アイテム】内に夜間お忍び用の黒を基調としたジャージがあるので、それに着替えていると母さんが階段を駆け下りて「行くわよ!」と叫ぶ。
「まだ準備できてないよ」
「もう何をグズグズしてるの!」
「あのさ、マルも出して連れて行くの?」
「う~ん……インドは狂犬病があるから駄目よ。様子のおかしい犬を見つけて『どうしたの? どうしたの? 大丈夫?』と無警戒で近寄って噛まれる様子が頭に浮かぶわ。でも家に置き去りにしたら独りで寂しがるからそのままにしておいて」
確かにその通りだ。まあ狂犬病でも魔術で治療可能だが……よく考えるとスゲエ事だぞ。
「それじゃあ、父さんや兄貴の食事の用意とかは?」
「大丈夫。どうせ向こうの世界で買った屋台料理とか沢山ストックしてるわよ」
向こうの食材を母さんが調理した物の方が旨いが、こちらの食材で作った母さんの料理よりも向こうの屋台料理の方が旨いのだから仕方ない。
しかしまだ問題はある。
「他にも父さんの了承は貰わないと駄目でしょ」
俺の言葉に「くっ……」と小さく呻くと再び階段を物凄い勢いで駆け上がって行くのをしり目に着替えを終える。
服を【装備】を使って一発で着込めば楽で良いのだが、Tシャツを一枚だけ着るなら何の問題も無いのだが、重ね着すると違和感が出て着心地が悪いので、服を着替える時間があるなら【装備】は使わない。
「何なの!? ちょっと待って史緒さん!」
二階から父さんの声が響いてくる。やっぱりなと溜息を吐きながら両親の寝室へと向かう。
「いきなりどういう事?」
父さんは全く要領を得ないといった感じだ。どうせいきなり寝起きのところに「ちょっとインドまで女の子を引き取りに行く」とでも言われたのだろう……理解出来る方がどうかしている。
「これを見て」
テンションが上がり過ぎている母さんの話は通用しないと判断して、携帯電話の画面を父さんに向ける。今度はちゃんと確認してあるので間違いない。
「彼女は俺と同じこちらの世界の人間でインド人。名前はアムリタで年齢は六歳。【所持アイテム】に目を付けた軍に囚われて荷物運びの道具扱いされていたのを助けて保護したんだ。向こうの世界でなら彼女に普通の生活を……ちょっと普通じゃないかもしれないけど苦労させず……苦労はさせるかもしれないけど生活に困る事はさせないつもりだよ。でもこちらの世界で彼女は一年前に両親を失ったストリートチルドレンなんだ」
大事な話だけど二度も言うと何だかな……
「それで隆はどうしたいんだ?」
「他人を、そこまで面倒を見る義理は無い……だけど、もう手を差し伸べてしまったんだ。こちらの世界での彼女の事情も知らずに助けてしまったんだ。同じ異邦人として異世界で独りで生きてはいけない彼女を守ると覚悟を決めてしまったんだ。今更、あちらの世界では助けるけど、こちらの世界に関しては君がどうなろうが知ったこっちゃないなんて言えないんだ」
この気持ちが俺らの年頃特有の「何か良く分からんくなったけどもう後には引けねえ!」と根拠も無く自分を追いつめる厨二病的なものだとしてもだ。
今は居ない小さな女の子を思い出しながら、同じ後悔を二度も繰り返す間抜けな真似をするものかと決意する。
「隆。お前のその目に父さんは見覚えがある。若い頃、南米で出会った……ノーと答えたら容赦なく銃をぶっ放した追剥ぎと同じ目だよ。本気なんだな」
「変な例えすんな!」
「……男の顔をするようになったじゃないか」
「息子を追剥ぎ扱いして今更上手くまとめた心算かよ!」
「だがな隆。人一人の人生を背負う事の重さは──」
俺の非難を何事も無くスルーしやがったが、そこに突っ込んでいては話が進まない。さっさとインドに向かいたいのだ。
「分かっているよ。出来る限りの事は俺がする。ちゃんと面倒を見て日本語や日本の風習文化必要な事は──」
「私がやるわ」
母さんの目が俺よりマジだった。時間が無いんじゃ早く認めろと訴えているようだ……つうか訴えてるね。
「……はい」
言いたい事も言えずに言葉を飲み込む父の姿は物悲しい。それが実の父親の姿なら一入(ひとしお)である。
「それから金の事なら、今は食費がかなり浮いてるはずだから」
「う、うん。そうだね。だけど他にも色々。特に教育には」
俺が母さんの援護射撃を行うと、気圧されながらも父さんは抵抗を試みる。
「それは貴方が毎晩の晩酌。それに競馬を止めれば十分捻出出来るわね」
「そうだね」
母さんの止めの言葉に、俺が躊躇なく賛同すると……
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! どうせそんな事だろうと思ったよ!」
両手で頭を抱え床に倒れ込んでしまった。
大袈裟なほど悲痛な態度を示すが、その割には何故こんなにも諦めが早いんだろう? もう少し抵抗しても……これが尻に敷かれるという事だろうか? いや違う。俺に知る父さんはもう少し往生際悪く抵抗して傷口を広げる。そんな漢だ。
「父さん。いやあえてこう言わせてもらう。親父。可愛い娘が出来たら嬉しいなとか思ってるだろ?」
「な、何を?」
「娘には緊張感よりも癒しを感じたいと思ってるだろう? ……分かる!」
父さんの返答を待たずに俺の本音が口を突いて出る。
「俺にも分かるぞ隆!」
いきなり戸口に兄貴登場。そしてそのまま両親の寝室に入ってくると、俺の右手首を掴み上げ携帯電話の画面を覗き込んで満足そうに頷き「この高城 大は、お兄ちゃんと可愛く呼んでくれる妹を手に入れるためなら悪魔にも魂を売るぞ!」と叫んだ。
決して悪い人間ではない。むしろ善良な部類に入るだろう兄貴が、ここまで心に闇を抱えてしまったのは全て実の妹のせいだと思う。
それから母さん「何かあるとフルネームで自分の名前を口にするところは本当に兄弟よね」って言わないで。
「辛かったんだね。悲しかったんだね。胸の内の妹への愛が行き場が無かったんだね」
自分の胸にも色々と突き刺さるものがあったので慰める。何しろ涼は俺達、兄の『妹思い』という名の優しいパスを全てスルーした挙句に、パスが悪いと胸倉掴んで殴りつけレッドカードを貰うような生き物だ。妹というか「忌もうと」って感じだ。
「そうだよ! リーヤはリーヤで可愛いが、隆を狩人の様な目で見るのが怖いんだよ」
そいつは身につまされて泣けてくる。
「それで悪魔に何を売るんだ?」
「ふっ……室温超伝導物質~!」
未来から来た名状し難き青いロボットの様な声に高い声を張り上げ掲げた右手の上で、保冷材の上に載せた白い物体の上で錠剤の様なものが浮いている……魔法を使っていないならマイスナー効果だろう。
「……何で室温超伝導で保冷剤が必要なんだよ」
だが俺は冷静かつ容赦なく返り討ちにする。確かに摂氏ゼロ度程度の保冷材による冷却で転移温度(超伝導が発生する温度)を維持出来るならノーベル賞級の発明だ。驚きつつも俺のツッコミ気質は揺るがない。
「!」
まさかそこにツッコミ入れる? という驚愕の表情を浮かべられても、明らかに話を盛ったのは兄貴だ。
「良いから超伝導への転移温度は幾らなんだ?」
「……摂氏五度」
「そんなのは室温で人間が暮らせるか。出来損ないだ作り直せ」
「ひ、ひどい! この数日間に作り出した高温超伝導物質の中で唯一転移温度が摂氏プラスに達した自信作なのに」
数日の成果としては世界中の研究者が発狂しそうな結果ではあるが、原子どころか電子、更に陽子と中性子、それどころか今だ人類が確認すら出来ていない重力子さえも、魔粒子を操作するための魔力を満たした領域──【場】の中では神の目と神の手を自在に操り、分子・原子・電子・中性子の位置とベクトルを正確に把握し自在に操作可能なのだから……マジチートだね。
故にその程度の事は出来て当然ともいえる。
短時間でしかも並列処理で複数の実験が進行するため、潤沢な資金と恵まれた環境にある研究チームが行える実験の量と質に対して、質的にも勝り、量的には百年分に匹敵する回数を一夜にして成し遂げる事すら可能だ。
だからこそ俺は無慈悲にも答える。
「人間の欲望に際限は無い。研究者達も最初は寒剤が液体ヘリウムから安価な液体窒素になれば超伝導技術の応用範囲は著しく広がるものだと信じていた。だが転移温度が氷点下七十度にまでも上がった現在、超伝導の恩恵は広く普及していると言えるのか」
「うっ!」
「百度だな」
「幾らなんでも百度はなくない?」
「転移温度が百度なら熱源に晒される状況で使用しない限り、自然環境の大部分において断熱する必要すらなくなる。砂漠でさえも直射日光を遮れば良いだけだ。そこまで到達して初めて汎用と呼ぶに足るんじゃないか?」
「ハードルが高い。高すぎる! 生産性を考慮して素材は安価で大量に得られる物。可能な限り貴金属、レアメタル・レアアースを除外した上で量産に適した製造法まで確立し、更に運用時の利便性を考えて、相は固体という条件で開発したのに……」
チラッチラッとこっちを見ながら説明的なセリフを吐く。
確かに凄いと認めよう。今の段階でも世界を変える大発明だ。だがその表情からは『どうだ凄いだろ己の短慮を恥じて膝まづいて讃えろ』というメッセージが押し付けられてくる……否。【伝心】で伝えてきてる! やけに押しつけがましいほどぐいぐいと伝わってくると思ったよ。
「貴金属とレアメタル・レアアースを排除したのは単に小遣いでは賄えなかったからだろう。それに実験だって【場】を使えば大した労力もかかってない」
「何を言う! 実験用のオリジナル魔法を組み上げて、単純に素材と比率だけじゃなく分子構造までランダム組み合わせる作業を全自動で進め、更に出来上がったサンプルも自動でテストして結果を記録に残す。後は毎晩夜を徹して寝ていた俺の苦労が分からないのか!」
「寝てるんじゃねえか!」
徹夜とは夜を徹して何かをする事だから言葉の解釈としては寝るのもありかもしれない。だがそれを認めたなら全人類は毎日徹夜だ。言葉の上だけでもそれは嫌だった。
「まあ、落ち着け弟者」
「兄貴こそ飛ばし過ぎだ」
兄貴の振りは完全に無視する。誰が弟者だ!
「それでだ。この超伝導物質を製造法込みで売る。それも海外の企業に製造・販売権を全てセットにして高値で売りつける……やはり中国企業が良いな。金は有り余ってる癖に基礎研究には大して金を出さない阿呆だ。搾り取ってやるさ」
「おい、それは──」
誰かのせいで既に世界情勢は大きく変化し中国にそんな余裕は無いだろうと説明する前に遮られる。
「そして一年後、お前が言う転移温度摂氏百度級……は無理でも、きちんと断熱すれば砂漠でも冷却無しに使える超伝導物質の完成発表を行う!」
悪魔だ。いや悪魔と呼ぶにも悪魔に失礼な存在が此処にいる。しかもそれが実の兄だというのだから笑える。
一年後という時期に悪意しか感じられない。契約した企業が量産体制を整えて製造に入ったところでそんな事を発表したら……怖い。
「ま、大。もしかしてそれをまた高値で、しかも売上の何パーセントとか言って、またがっぽり稼──」
青褪めた顔で尋ねる父さんの言葉を遮って兄貴が答える。
「いや、それは無料で公開するよ。こいつの研究を高く買ってくれた企業の事は、お陰で研究資金に余裕が出来て開発が進んだと世界中のマスコミを通して謝意を伝えておこう。世界中が感謝してくれて喜ばしい事だろうな」
そう言い放ち高笑いする兄貴。
酷い。何て言えばいいのか言葉が見つからないほど酷い。無料で公開と言えば聞こえは良いが、兄貴は世界により良い方向に変わって貰いたいのではない。世界をより良い方向に自分の手で変えたいのだ。
「それで特許の取得とかどうする気?」
「普通の冷凍庫程度の冷却で運用できる転移温度が氷点下十度前後の固体の超伝導物質のサンプルが幾つかあるから、それと製造法をまとめた論文を海外の科学雑誌に送り付けるのが一番良いのだろうけど、論文って推薦が無いとそのままゴミ箱だからね。名も無い日本の高校生には推薦を書いてくれる人もいないから無理だね……普通なら」
幾つも作ってる事に驚いて後半はスルーしてしまった。
「だがもう一つ方法がある。うちの学校はSSH。スーパー・サイエンス・ハイスクールの指定校なんだ」
そんなドヤっって顔されても……スーパーでサイエンスってネーミングが厨二臭くてマジ笑う。科学を超えちゃったらオカルトか? 馬鹿か? 何でも『チョー』付けちゃう馬鹿なの? と言いたい位だ。
「そこ、何馬鹿な事を言い出しやがったって顔しない。SSHを端的に説明するなら、ゆとり教育で世間から滅多打ちで非難されてる文科省が、特に日本にとって重要な理系のエリート育成もやってますよというポーズを取るために、理数系に特化したカリキュラムをぶち込んだ教育課程を実施している学校なんだよ。しかも学校側もうん百万からうん千万円もの補助金が出るからウッハウハだ」
「そいつは確かにウッハウハだな」
「ウッハウハついでに、時々大学の教授達が学校に来るから、その時にサンプルと論文を渡してみる」
「パクられるんじゃないの?」
「一応授業の研究発表という形で出すから、高校側の教師とクラスの連中を証人に出来る。それにもしパクられても、製造法は量産性を一切無視し、工業的ではなく工芸的生産方法しか渡さないから、後からこちらが量産性を重視した製造法を出せば、どちらが開発者なのかすぐに分かる」
「じゃあ、最悪上手くいかない場合を想定してパクられた後の具体的な展望はあるのか?」
「隆。パクられた場合が一番の近道だぞ。むしろそうなる事を切に祈る」
「えっ?」
「どこぞの教授がパクって発表しました。それを学校を通じて抗議したらマスコミが喜んで取り上げる。マスコミには量産性を重視した製造法を流す……別にここで勝ち負けを争う気は無い。世間の注目がこの話題に向いて、どちらの主張が正しいかで盛り上がってる所で、別の転移温度が更に五度位高いが実用にはちと辛いレベルの超伝導物質を公表する。そうなれば誰も俺の発表を無視出来なくなる。だからむしろパクって貰わないと進展は遅くなるんだよ」
「うっわ~~」
そこまで言うなら、兄貴はその教授ならパクるという確信があるのだろう。そして最初からその教授を踏み台にする気満々……何という殺伐とした師弟関係。そもそもどちらも相手を師とも弟子とも思ってないだろうが。
「その後、ギリギリ実用レベルのこいつを希望する企業に可能な限り高値で売りつける」
「愉快そうなところ申し訳ないが、契約書には気を付けた方が良い。俺なら『より転移温度の高い超電導物質を発見しても公表しない。もしくはその技術を無条件に当社に譲る』なんていう条項を分かり辛く、縦読み斜め読みで忍ばせてやる。立て続けに三つの高温超伝導物質を発見してるんだから、相手もそれくらい警戒するだろう」
「その発想は引くが、まあ一応気を付ける……とにかくだ。暫くすれば【俺の】妹が安心して生活出来る環境が整う」
幸せな妄想の中に浸ろうとする兄貴に現実という冷や水を浴びせる。
「まあ兄貴は来年の春には家からいなくなるけどな」
「……………………えっ?」
「何その今気付きましたって態度は? 志望校は東京の大学だろう。家から通えるとでも思ってるの?」
「ちょっと待て! 何かがおかしい。もしかして俺の緻密で完璧なロジックに季語が抜けてる?」
可哀想に錯乱したようだ。頭の回転が速くなってるだけに何か一つ歯車が違うととんでもない方向に突き進むのかもしれない……俺も気を付けなければ。
「兄貴……来年の春から、念願の独り暮らしおめでとう」
「いや新幹線でならギリギリ……」
俺は止めを刺しに行くが、土俵際でしつこく粘る。
「毎日? 無理だろ」
家からバスで駅までに三十分。新幹線での移動が一時間以上。そして駅から大学までの移動。これに乗り継ぎの為の移動と待ち時間を考えると二時間を大きく超える越える。そして乗り継ぎ時間が伸びるだろう帰り道を含めると通学時間は五時間を軽く超えるだろ。
まだ一・二年目は受講する講義も多いから良いだろう。だが三・四年になれば受講する講義が少なくなって一日に一コマ九十分しか講義が無くなるだろう。そうなったら「何で講義の時間の三倍もの時間をかけて通学してるんだろう」と悲しくなるだろう。俺なら必ずそう思う。
「大の話はどうでも良いから早く行きましょう。中学生位までは食費や公共料金が減る分と涼が向こうの中学校に残る事になったから、英さんのお小遣いカットで十分だし、アムリタちゃんが高校に上がる頃には、大だけじゃなく隆も社会人になって独立してるしお金の事はどうにかなるわ」
「それに大島先生を通せば、夢世界の金貨等をこちらの世界で現金化も可能みたいだから、兄貴は家の事は心配せずに科学技術の進歩の為に頑張って貰いたいね」
「史緒さん……僕は? 僕のお小遣いは?」
「さあ行くわよ」
父さんの小さな小さな抗議は完全にシカトされた。
「待ってくれ母さん」
「何?」
兄この言葉に母さんは少し苛立った声で応える。
「こんな事もあろうかと……こんな事もあろうかと! 超長距離用の高速移動魔法を開発したよ」
「早えよ! 昨日浮遊/飛行魔法の最新バージョンが配布されたばかりだろ。衝撃波対策はどうなったんだ? 風防魔法を前方へ鋭角に大きく突き出すのは強度的に無理だったんだろ?」
要するに遠く前方で衝撃波を発生させる事でこちらへの影響を小さくするという方法だが無理だったんだよ。
「今回の改良点は衝撃波の問題を乗り越えるのではなく、アプローチを変えて衝撃波という問題を回避する事にしたんだよ。そのために運用法の大幅な見直しとそれにより発生する問題の対応を行ったんだ」
「勿体ぶった話し方が好きなのは知ってるけど、さっさと要点を話さないと母さんがブチ切れるよ」
「いやね、お母さんはブチ切れたりなんてしないわよ。私をブチ切れさせられるなら大したものよ」
何故長州力なのかは分からないが、明らかにブチ切れる寸前のご様子に兄貴共々怯えてしまう。
「つ、つまり、高度十万メートルまで上昇するとそこはもう宇宙で、空気の密度は地上付近の百万分の一で衝撃波を考慮する必要が無いので、極超音速で長距離移動すれば大幅な時間短縮が出来る。あ、それから術式はこれね」
母さんの顔色を窺った後、早口で説明を行い、【伝心】で術式を送り付ける兄貴の顔には脂汗が浮かんでいる。俺の手にも脂汗だよ。
「それじゃ新しい術式というのはほとんど宇宙線に対する防御手段だな」
「それと風防内の気圧調整の術式も加えてある」
流石に放射線に対してはこの身体をもってしても耐えられるか、実際に試してみる気にはなれない。
「それはもう完璧。これこれ魔法式核融合炉ぉ~!」
そう言って【所持アイテム】内から手の中に出現させたのはホームセンターで四千円くらいで売ってるステンレス二重構造の保冷温ボトルだった。
「何故それに?」
「ある程度外部からの衝撃に耐えられるもので手頃な大きさという条件でこれに決めた」
「しかし何で魔法式?」
「俺が完璧な理論を構築し、図面上で設計図を完成させたとしても、今の科学技術では実用レベルの核融合炉をここまでダウンサイジングするのは不可能だからだ。それでも折角良い感じの超伝導磁体を作れるようになったんだから、ついでに核融合してみたくなるのが人間の性だろ。それでだなこのサイズでステンレスの炉壁だから熱や放射線を遮断するために魔法が必要だし。それに内部の水から水素を作り出して、更に重水素と三重水素ではなくただの水素原子同士を接近させ核融合反応を促すには今はまだ魔法が必要だが、それにしても凄くないか水素で核融合して、この小さな容器の中で内部だけで発生した熱をセブンナインの効率で電気へ、しかも常温核融合などという低出力でお茶を濁す方法ではなく一億二千万度のプラズ──」
得意気に説明を止めようとはしない兄貴を残して、俺は母さんを促して家を出る。
これは母さんをブチ切れさせそうな馬鹿な兄貴への俺からの思いやりだ。
それに素人考えだが魔法式とか言うのなら、単に【場】を使って直接水素原子を操作して核融合反応を起こす場合、プラズマ状態を作る必要もないからもっと簡単だったよねと思ったが言わなかったのは思いやりでなく、兄貴が何時気づく試したいだけだった。
「隆は賢く残念な子に育ってしまったわ」
突然魔法式核融合炉を出した理由は、核融合反応で発生する熱と放射線を遮断する魔法を使えば宇宙放射線も遮断出来るという事なのだろうが、結局は自分の作った核融合炉自慢へと走ってしまったのは本当に残念な人だと思う。
しかし、母さんに「親として自らの教育は省みないんだね」とは口が裂けても言わない……怖いから。
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