第106話

 さほどかからずコードアにたどり着く。

 見覚えのある村の中には、一週間ほどだが俺がルーセと共に過ごしたはずの家の姿は無い。

 完全な更地になっていた。


「やりやがったな……」

 急に公共事業計画が立ち上がって区画整理に引っ掛かったという訳ではない。そもそもそんな計画ある訳が無い。

 この村には、人の住んでいない家なんて幾つもある。

 猟師達が大勢住むだけに、命を落とす者達も少なくないので、突然空き家になってしまう家も少なくは無い。

 何年も放置され、お化けでも棲んでそうな趣きの廃屋でさえ一か月前と変わらずに微妙に傾きながらでも建っているが、多くは新たに村の住人になった猟師が住み着くようになる。


 そんな中でルーセの家だけが取り壊されたのだ。こんな事をするのは、執拗に俺の頭の中に干渉してルーセの記憶を思い出せないようにしていた糞っ垂れな精霊以外にあり得ない。

 どうせ村人の頭に干渉してルーセの家を壊したのだろう。ルーセの痕跡を残らず消すために……ならばルーセは何処へ? 嫌な予感しかしない。



 村を出ると浮遊/飛行魔法で森の上空を北へと進み、火龍の巣の入口の前に降り立つ。

 この場所でルーセと別れたのが最後だった。


「ここから、用を足しにと言って向こうへ……」

 彼女の足取りを思い出しながら森の中へ踏み入ると、十メートルも進まない内に茂みに落ちている布を見つけた。

「これは!」

 雨風に晒されて汚れてはいるが小さな子供服。しかも見覚えがあった。

「まさか……」

 俺は膝を突いて服を拾い上げる。

 間違いなくルーセが着ていた上着だった。それだけではないズボンや靴も全て一揃えが落ちていた。


 認めたくはないが、目の前の光景が意味する事は想像がつく。この森の中で身に付けている全てを脱ぎ捨てて何処に行ったと言うんだ? しかも家のあるコードアにさえも戻らずにだ。

 感じていた嫌な予感。精霊が執拗なまでにルーセが存在していた痕跡を消そうとしているならば、真っ先に消そうとするのはルーセ自身のはず。

 いや、ルーセ自身が存在していないからこそ痕跡を消していると考えるのが自然だという事。


 以前からこの事は考えまいとしても何度も頭を過っていたが認めずに今まで来た。俺の考えが間違っている。夢世界で記憶を取り戻せばルーセを探し出せるはずだと自分に言い聞かせて。



「ここまでしやがるのかよ……」

 ルーセの両親の墓前へとやって来て目にしたのは、二人の名前が刻まれた墓標代りの石の見る影もない姿だった。

 一抱えはあったはずの大きな石が粉々に砕かれている。

 それは墓の周辺の地面にある複数の足跡からオーガの仕業と分かる。そしてそれが精霊が操ってやらせたのだという事も。

 決定的だ。今まで何度も精霊が敵となる可能性を考えていたが、それは間違いだ。俺が、高城隆が貴様を敵とするのだ。

「この報いは必ずくれてやる」

 怒りに震える声で誓いを立てた。


 足場岩を新たな墓標として設置して名前を刻み終えると、手を合わせて「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱える……以前にこうした時には隣にルーセがいた事を思い出す。

 ふと二人の墓のあった場所の隣にある石が目に入った。ルーセは両親の墓穴を掘った時に出て来た石だと言っていた。

 思い出すその時のルーセの表情が引っ掛かり、跪いて石を手にする……頭の中でもう一人の俺が止めろと警告を発している。

 だが宝物を扱うようにそっと石を横に置くと、そのまま道具も使わず手で地面を掘り始める。

 一応空手使いとして、脛や拳だけでなく貫手を使える様に指先も鍛えてある。


 これらはスポーツ空手においては意味の無い鍛錬であり、巻き藁打ちをしても拳の骨が硬くなる事は医学的にありえない。

 しかし実戦を想定する場合において巻き藁打ちは決して無意味な行為ではなく、あれはどの程度殴っても拳が壊れないか知るための確認だと思っている。


 拳は想像以上に堅固であり、かつ想像以上に脆い。何処まで拳を壊さずに殴る事が出来るか、その限界を理解しておく事はは非常に重要だ。


 一方、貫手の方は少し意味合いが違う。貫手で砂を突いても指先は、拳同様に硬くはならない。

 指を痛める事無くより強く突けるコツを掴む練習だ。

 どう鍛えようが人間の指先は拳に比べても遥かに脆い。比べるのが可哀想なレベルだ。

 真っ直ぐに突けば良くて突き指で、怪我を避けて手加減して突くなら急所以外に使う意味が無い。


 他の空手がどうかは知らないが、大島からはバスケットボールに掌から指先までを添わせるように弧を描く形を作れと指導された。

 そしてその弧の形に沿って突き出し、指の先端から第一関節までが目標に垂直に突き刺さるようにする。

 そうすれば、当たった時の衝撃は弧の外側へと向かうので突き指はしないと。


 しかし、それでも大島が、貫手はコツを掴んだら、後は忘れない様にたまに確認する程度にしろと注意するほどリスキーな技だ。日常的にそんな鍛錬をしていると歳を取ってから指の関節が曲がらなくなるそうだ。


 そしてそんな鍛錬も無意味になるほどレベルアップの恩恵は大きく、砂場で穴を掘るよりもむしろ楽に掘り進んでいく。

 すると指先に硬い何かが触れる。

 一度収納して確認するとそれは人骨で……ルーセの骨だった。



 その後、自分が何をしたかははっきりと憶えていない。

 堪えようのない感情に押し流され、癇癪を起した五歳児の様に泣き喚き暴れる様を、まるで他人事のように見ている記憶があるだけで全く現実の事の様な気がしない。

 やがて爆発した感情の熱量を全て使い果たしてしまい、虚脱感に襲われてその場に蹲る様に倒れたのだった。


 感情が収まり頭が回る様になってくると、次は後悔の念が湧き上がる。

 何故気付いて上げられなかったのか……迫りくる終わりの時。火龍を倒せない焦りと死への恐怖。

 ルーセはそれをすべて胸の奥に抱え込んで、終わりと向かい合い続けていたのだ。

 年長者としてどうして気付けなかったのか? ルーセの「リューありがとう!」という言葉にどれほどの想いが込められていたのかに、どうして気付いて上げられなかったのか? 自分の不甲斐なさが情けない。



 気が付けば日がとっぷりと暮れていた。

 慌ててルーセの骨を埋め戻そうとした時、この骨に【反魂】を使えばルーセを蘇らせる事が出来る可能性について閃いた。

 無理がある事は重々承知だが、僅かな可能性に懸けてみたくなった。


 先ずは骨を全て掘り返して集める。

 その為にマルの力を借りようと思ったが、口の中でボリボリとさせながら『イマイチ美味しくない』と言うのを想像してしまい試す気にはなれなかった。

 周辺マップ機能でルーセの遺体を骨だけではなく歯の一本、そして少し残った毛髪まで残さず検索して位置を確認する。

 それらの分布は深さ六十から九十センチメートル、縦七十センチメートル横幅五十センチメートルの範囲に分布し、身体を軽く丸めて横たわる形になっていた。

 しっかりの狙いを定めてひとつ残らず範囲に納める様にして【大抗】を発動して、範囲内の土ごとルーセの遺体を【所持アイテム】内に取り込む。

 そして土の塊の中から、ルーセの遺体を抜き出して取り出す。


「やっぱりこのままでは駄目だよな……」

 こんな手足も頭も雑多に混ざった状態で復活したらと考えると恐ろしい。

 一番わかりやすい頭骨と骨盤を配置して、それを基準にして他の骨の位置を一つ一つ決めていく。

 大腿骨の様に分かりやすい大きな骨も、一度収納しリストから左右をきちんと確認して配置していく。

 似たような骨が多い背骨や頸骨も順番を確認して正確に配置する。



 ……結果は失敗だ。

 失敗の理由は親切にもアナウンスしてくれた。

 一つは、重要臓器の欠損。

 つまり骨だけで生きられる人間は居ないという事だ。

 【反魂】は失われた臓器まで復活させる訳では無い。そして【傷癒】シリーズを含む魔術による治療も、破損した組織の回復や一部再生は可能でも、骨しか残っていない状況から全ての臓器を完全再生などは治療の範疇を越えている。

 もう一つは、魂の有無の問題。

 【良くある質問】先生曰く、死んだ人間の身体には魂が数時間から最長で数日残り続けるそうだ。ルーセの場合は死後すぐに仮初の身体に魂が移っていたので完全に無理って事だ。


 だが俺は諦めない。

 身体の方はレベルアップすれば骨からでも再生する魔術を使えるようになるかもしれない。

 ルーセの魂が精霊が用意した仮初の身体に移ったというのなら、その魂はまだ精霊の元にある可能性がある。

 そうならば精霊をボッコボコにしてやった上で、向こうから「これで勘弁してください」ルーセの魂を差し出すようにしてやれば良い。

 その為にはレベルアップをする……実にシンプルな計画だ。現実とか運命とかいう奴等が「もう勘弁してください。お願いしますお願いします」と土下座するまで諦めずにやってやる。




「ちっともシンプルじゃねぇ……どうしよう」

 宿屋に戻って頭を抱える。

 ベッドの上に転がした幼女六歳の処遇に頭が痛いのだ。


 一人分でも十分頭が痛いのに二人分の幼女問題を抱え込む事になるとは……ルーセは十一歳と名乗っていたが、実質八歳の身体のまま成長していないし、そもそも成育が遅いから幼女枠で十分だ。


 とりあえず新しい方の幼女はシステムメニュー持ちの最大の問題である【セーブ&ロード】は使えないはずだ。

 使えるならあんな奴隷扱いのような立場に甘んじてはいないだろう。


 使い方を知らないか、使い方を知っていても既に捕まって首輪をされた後に気づいたかのどちらかのはずだ。

 そうだとするなら、俺が与える待遇が帝国軍よりましなら彼女はロードを実行しないはず…………相手が幼女だけに何をするか本当に予測がつかないけどな。


 今、差し迫った問題は、いきなり俺の顔を見たら子供は怯えるだろう問題。

 どうするか? 額にkの一文字が眩しい『キロ・マスカラス』の覆面を……どう考えても怪し過ぎて余計怯えるわっ!


「あっ」

 そんな事を考えてる内に目覚め始めてしまった。

 ベッドの上でもぞもぞと動き、意識の覚醒を嫌がる様に枕に顔をぐりぐりと押し付けるが、突然何かに気付いたかのように固まった。

 ゆっくりと手を伸ばし枕に触ったり叩いたりして感触を確かめ、再び固まる。

 そしてゆっくりと十秒ほどかけて枕に顔を押し付けたまま首を捻って顔をこちらに向け、枕の縁から目だけを覗かせた。

「!」

 案の定、驚きと恐怖を浮かべて顔が凍り付く……予想通りの結果に、予想通りに俺のガラスのハートに音を立てて亀裂が走る。


「俺は隆。君は?」

 動揺を抑え、インドの公用語であるヒンディー語で出来るだけ優しい声で話しかけるも、返事は無く、アナウンスが『……返事は無い。ただの幼女のようだ』と告げる……うるさい黙ってろ! 何を楽しんでるんだこの野郎!


 ヒンディー語を身に付けるのは比較的楽だった。

 英語以外の外国語を身に付けるのに俺にとって身近な教材は吹き替えや字幕入りの映画だが、最近はインド映画がドイツやイタリアなどの映画よりもレンタルショップではタイトルが多いくらいだ。


 一向に返事は無いがこちらをじっと見つめる幼女。

 目を逸らしたらお終いだと言わんばかりの必死さでくりっとした大きな目を更に大きく見開き、恐怖を押し殺して俺を見つめ続ける……心の傷に貼る絆創膏って何処で売ってるの? もしくは亀裂を埋めるためのパテが欲しい!


 一方、俺も目を逸らす事が出来ない。幼女の目には死ぬなら叶わぬともせめて一太刀的な悲壮感すら込められており、目を逸らせば攻撃されそうな緊張感があり怖い。


 その為、睨み合いがしばし続いた。

 ここはマルを出して、動物の癒し効果で場の空気を……いやいや、ユキの時の二の舞だ。マルは俺を悪者にしてでも幼女の心をガッチリ鷲掴み作戦を決行するだろう。

 何でマルに美味しいところを持っていかれなければならない? ここは俺自身の力で何とかしなければならない。



 突然『ぐぅ~』という緊張感の欠片も無い音が、幼女のお腹から鳴り響く。

「……………………」

「……お腹減ってるの?」

「…………」

 しばしの葛藤の後、握りしめた拳を震わせ涙目で声を出さずに頷いた。


 チャンス到来だ。警戒心の強い野生の小動物に対して有効なのは餌付けだ。まして言葉の通じる人間相手により効果的なのは間違いない。


「食べる?」

 ボストルとエスロッレコートインの朝市の屋台で買ってストックしてあったスタンダードなオーク肉と得体は知れないが滅茶苦茶旨い貝の串焼きを取り出して差し出す。

 幼女は目を飛び出さんばかりに大きく見開いて串焼きを凝視するが受け取ろうとはしない……そう、野生動物は決して人間の手から餌は食べないのだ。


 しかし、串を持ち差し出した手をゆっくりと左右に振ると、標的をロックオンしたかの様に彼女の視線は完全に追尾している……食いついている。

 【所持アイテム】内では時間が経過しないので、焼き立ての串焼きの匂いの粒子がゆっくりと空気中に拡散して、呼吸と共に幼女の鼻腔に到達し、奥の受容体にドッキングすると稲妻の如き衝撃として、頭骨を貫通して直結した神経を介して情報を脳にお見舞いするのだから無理も無い。

 しかしここまでしても幼女は言葉でも行動でも意思を表示してはくれない。


「いらないか、じゃあ」

 あっさりそう言い放つと海鮮串の根元を咥え、引き抜くようにして一気食いする。

 目だけではなく口まで全開にして見せる驚きと絶望の形。

 しかし、俺はそれに気づくそぶりも見せず、続け様にオーク串も一口にする。


 俺の手に残った何も刺さっていない二本の串を見て、そのままベッドの上で両手と両膝を突いて項垂れる幼女。

 肩が震えている……悔しかろう。こんな殺し屋の様な顔をした得体の知れない男の差し出す食い物に心を奪われ、食欲と警戒心とプライドを秤にかけて決断を下せぬ内に食われてしまったのだから。

 プライドを捨てかけた事が悔しいだろう。自分の決断が遅かった事が悔しいだろう。串焼きを食べられなかった事が悔しいだろう。

 大島が倒れ伏した俺に「悔しかろうて?」と笑顔で問いかけてくる時の気持ちが分か……いや全く分からない。


 仕方ないので、その顔の下に串焼きを六本ほど載せた紙皿を差し込んでやると、顔を伏せたまま食べ始める。もう二度と機会を逃すまいといった必死さが実によろしい。


 串焼きと言っても、串の長さだけでも日本の焼き鳥の倍以上あり四本も食べれば、俺でもある程度腹が満足する量はあるのだが、その小さな体の何処に入るのか分からないが、既に五本目までも食い尽くしてしまいそうな勢いなので【所持アイテム】内からタッパー(百均の偽物)に入ったカレーと、レンジでチンするレトルトごはんを取り出し、二つを実用段階に入った新魔法『電子レンジ』で温める。


 『電子レンジ』とは、兄貴が開発中の核融合発電魔法(どうしても止めようとはしない)の研究段階で生み出された技術を使っていて、反応プラズマを封じ込める為に開発したフィールド魔法を流用し、フィールド魔法で形成した空間内にマイクロ波を発生させることでマイクロ波加熱を起こすという無駄に高度な技術を使った魔法である。


 正二十面体を形成するフィールド内の温める対象が置かれた中心部に向かって十二箇所ある頂点からマイクロウェーブを照射する事で短時間でむらなく温める優れもので、更に温度センサーで予め設定された温度以上に上昇しない親切設計。その性能と便利さに母さんを感激させ、「今日ほど大を産んで良かったと思った事は無いわ」と言わせたほどである……酷い話だ。

 ちなみに次回のバージョンアップでオーブン機能も追加する予定である。


 加熱開始十秒後、終了を知らせるこだわりの音である「チン!」と鳴りフィールドが消えると取り出し、レトルトごはんを深手の紙皿にあけてカレーの入ったタッパー。そして一応スプーンを共にベッド脇のチェストの上に置く。


 カレーの香りに誘われたかのように最後の串を口に咥えたまま頭を上げて周囲を見渡して、チェスト上にある物を発見して再び固まる。

 インド人といえばカレーのイメージだが、元々かカレーという言葉はインドにない。

 だが外国人が使っているのでインド人もカレーとかカリーとかカリは認識しているようだ。

 外国人にとってはインド料理全般はカレーの類であって、インド人にとっては欧風カレーだろうが日本風カレーだろうタイ風カレーだろうがクスクスだろうがスープカレーだろうが焼きカレーだろうが、海外でローカライズされたインド料理のバリエーションという認識だろう。


 そして、このカレーは、母さんの料理の腕がどうこうなどちっぽけな要素──母さんが自分で認めた──になるほど、こちらの世界の滅茶苦茶旨い食材を使いまくって作られた究極の一品だ。むしろインド人の癖に、このカレーの芳醇な香りに惹き付けられないならそれはもうインド人じゃなくパキスタン人だ……勿論適当な嘘だ。パキスタンとインドは宗教でイスラム教徒のヒンドゥー教ごとに分離独立しただけで宗教が関わらない部分では文化風習には違いは無いのだから。


 予想通り、幼女の視線はカレーに釘付けだ。

 視線を泳がせてはカレーを凝視するという動作を何度も繰り返し、唾を幾度も飲み込んで、三度俺に泣きそうな目を向けて一言。

「……………………食べていい?」

 つ、遂に来た! クララが立った! いや、幼女が喋った!

「どうぞ」

 一拍おいて興奮を抑え込みながらそう答えるや否や猛然とカレーに挑みかかるが、しっかり温めてしまったので熱かったのだろう右手を抑えてもだえる。

 しかし、すぐに添えられているスプーンを掴んで凄い勢いで食べ始めた……やっぱりインド人もスプーンを使う事はあるんだね。

 お代わりまでして、一体小さな身体に入った後、何処へとその質量を移したのだろうと思うほど食べ、満足したというより限界に達したという感じで仰向けに寝転がる……何処に入ったのかは一目瞭然だった。お腹がぽっこりで、その様子に俺の心はほっこりだ。



 二十分ほど満腹感と共にまどろんでいた幼女が、いきなりむくりと起き上がると「私はアムリタ。このお礼に何をすれば良いの?」と言い出した。

 先程俺がした自己紹介をスルーした事をちゃんと気にしていたのだろう……良い子じゃないか。実の妹に比べたら。


 しかし「何を」と言われてもノープランだ。単に脳内会議で「この幼女を助けてやらないと、俺ヤバくね?」と自己主張の激しい自尊心クンが言い出し、結果会議が踊ってしまった結果であり、利害関係の調整等を突き詰めた結果の行動ではない。

 所詮男という生き物は『梵天丸もかくありたい』……梵天丸は関係ねぇ!

 『こうでありたい』という自分の中の理想像を守ったり裏切ったりしながら自分を作り上げていくだけだ。そして今回は理想像を守っただけで別に特別な事ではない。


「お子様は、笑顔で素直にありがとうと言っておけば世の中の大概は乗り越えて渡っていけるんだよ」

 他に必要なのは『ごめんなさい』と『お願いします』だな。むしろ『でも』とか『だって』とか余計な言葉は憶えるなと言いたい。


「でも……」

 デターッ! 全人類にとって自分が言う分には気にしないが他人が使うのは大っ嫌いな言葉の一つが言ってる傍から出てしまったよ。

「……ありがとうじゃどうにもならなかった」

 うっ、確かに捕まって首輪されて鎖に繋がれたら言葉なんて無力だね。



「そうだね、世の中には言葉は通じても話が通じないろくでなしがいるね」

「あやまっても頼んでも止めてくれない……いつも」

 ……いつも?

「まさか現実の世界でも?」

 幼女──アムリタは答えの代わりに小さく首を縦に二度振る……世界は本当に糞っ垂れだ。


 言葉少なく語るアムリタの話を聞く限り、彼女は一年ほど前に両親を失ったストリートチルドレンの様だった。

 別にインドでは珍しいはなしでもないようだ。インドのストリートチルドレンは公称五十万人、実際はその倍とも言われている。

 そして大人や他のストリートチルドレンから暴力を日常的に受けていたようだ。

 どうする俺? インドまでちょいと出掛けて、幼女を一人誘拐してくるか? 大して難しいミッションではないし、ストリートチルドレンの女の子が一人消えたところで問題になる事は無いだろう。しかしその後の事を考えると全くお勧め出来ない。

 例え父さん達の同意があったとしても、日本は身元不明の外国人幼女を家に住まわせて何事も無くめでたしめでたしになるようないい加減な社会じゃないし、国籍不明の不法滞在者ではアムリタの将来がどうなるのかまで考えて行動する必要がある……とりあえずだが、今日中にやっておくべき事が一つ思いついた。



「よし、狩りに行こう!」

 この言葉を口にする前に三十分ほど、少しずつ互いの話をしたりしてある程度打ち解けた……と勝手に思う。

 今後の事を考えても今日中に上げられるだけアムリタのレベルを上げる必要があるが、いきなりは「狩りに行くぞ」では絶対に怯えられるので、この三十分間も慣れぬ幼女相手に結構頑張ってみたんだ……イーシャが幼女の頃は俺自身も幼児だったので何の問題も無かった。


 レベルさえ上がれば、身体能力が向上して例え大人の暴力からでも身を守れるようになる。

 レベル六十を越えれば【伝心】を覚えて、何時でも俺と意思の疎通が出来る。

 レベル七十になれば【所持アイテム】が現実世界と夢世界共用になり、こちらでアムリタに渡した食べ物などが現実世界の彼女も食べられるようになる。


 そうなれば、こちらの世界で俺が彼女の生活の面倒を見れば当面の心配は無くなる訳だが……本当に当面に過ぎない。

 まだ六歳なのでこれからきちんと教育を受けさせれば普通に生きる事も出来るようになるだろうが、定住先も無いストリートチルドレンでは教育を受ける事も出来ない。

 インドでストリートチルドレン支援をしている欧米系NGO法人を探して、支援・保護プログラムに参加させるかしかないかもしれない。とりあえず紫村に丸投げだな……我ながら酷い。


 アムリタは突然の発言に「何言ってるんだこの馬鹿?」という表情を浮かべる……それは単なる被害妄想だと思うが、気のせいと思えないペシミストな俺。

「まあ良いから、夜のハンティングに出かけようじゃないか」

 問題なのは時間だった。なんやかんやで既に日は大きく傾き、これからアムリタを連れて狩場へと直行しても既に日は落ちているだろう。

「これから?」

 ほらアムリタが怯えた。

「大丈夫。アムリタの安全は俺が保証するよ。こう見えても強いから安心して……」

 そう言って信じて貰えるほどの信頼関係はまだ築けていなかった……三十分じゃ無理だったよ!


「……分かった」

 落ち込む俺に対してアムリタの方が空気を読んだのだろう。凄い不安そうな顔をしながらもベッドを降りて近づいて来た。

 自分の至らなさと、こんなに小さい幼女の気遣いに泣きたくなるような気持ちを抑え、腰を屈めて抱き上げようとした瞬間、強烈な臭いが鼻の奥をめった刺しにする。


「くっさ!!」

 弾かれた様に飛び退いた俺にアムリタは衝撃を受けたみたいだが、自分の服の脇の辺りを引っ張って鼻先にもってきて思いっきり深呼吸して、まるで鼻にヘビー級の世界ランカーのストレートを喰らったかの如く大きく、そして素早く仰け反ると、そのまま後ろに崩れ落ちるように倒れた。

「臭いぃ……」

 改めて知った自分の臭いに涙目でこちらに訴えてくる。

 確かに汚い。肩にもかからない短めの黒髪の中に小さな白い粒が幾つも蠢いているのを見つけ、慄き背筋に震えが走る。


 髪の中に蠢く白いのはシラミだろう。もしかするとノミもいるのかもしれない?

 その可能性に気付いて、即座にシステムメニューを開いて時間停止すると【マップ機能】と【所持アイテム】をリンクさせ、室内の『ノミ』『シラミ』『ダニ』など思いつく限りの寄生虫を全て周辺マップ内に表示させ、そしてまとめて全て収納を実行した。

 虫に意識があると認識しないのか? それとも虫には意識というものがないのか? 虫には意識があると主張する学者がいるが、そもそも意識の有無という線が何処にあるかもはっきりしていない……とりあえず寄生虫の収納は出来た。


「身体を洗うから服を脱ぐんだ!」

 咄嗟に警察に通報されてもおかしくない発言してしまうが、アムリタはためらうことなく裾の長い貫頭衣を腰紐で縛っただけの服を十秒足らずで脱ぎ捨てる。


 一方俺は【水塊】と【操熱】で直径一メートルほどの温めのお湯の塊を宙に浮かべる。

「…………!?」

 アムリタは驚き固まるが構っている場合じゃない。



「そのまま動くなよ。それから息を止めて」

 そう告げてアムリタの頭上に浮かべた水塊に回転をかけてゆっくりと下へと降ろしていく。

 怯えた目で「魔法使い?」と聞いてきたので「すぐに自分でも使えるようになるから」と告げた。

「どうして?」

「自分にも不思議な力がある事くらい知っているだろう。その力にはもっと先があるって事だよ」

 パワーレベリングで高レベルにしてからネタ晴らしして驚かせたいのでぼんやりとしか説明しない。

「魔法使いになりたい!」

「なりたければ、先ず身体をきれいにするんだ」

「うん」


 それからお湯を二度取り換えてしっかりアムリタの身体についていた埃や垢を洗い流す。同時に衣服も洗濯をして即座に乾燥も行う。

 身体も服もきれいになったアムリタは見違える様……にはならない。確かに女はお洒落な服を着て化粧をしてヘアメイクすれば別人の様になるが、所詮は自分を美しく見せる術の一つも知らない幼女だ。漫画じゃあるまいし汚れが落ちた程度で別人のようにはならない。

 だが、こざっぱりしたことで印象は良くなったのは確かだ。


 初期装備のロープ──これも剣などと同じく壊れない物品だった──をアムリタの身体にたすき掛けにして、余った分を俺の左の肩と肘の二ヵ所に縛りつけてからアムリタを左手で抱き上げ「首に両手を回してしっかり捕まるんだ」と指示を出すと、彼女は魔法使いになりたい一心だろうか迷い見せる事無く従う。

「それじゃあ行くぞ」

「うん!」

 浮遊/飛行魔法を発動させ宙に浮く。

「?」

 浮かび上がった感覚に違和感を覚えたのだろう。俺の首から手を放して肩の辺りを掴むと俺から身体を遠ざける様にして肩越しに下を覗き込んだ。

「うわあぁぁっ! 飛んでる?」

 興奮して叫び声を上げると、俺の頭をぺチぺチと叩き出す。笑顔できゃっきゃとしているアムリタの無邪気さに率直に感動した。

 涼もルーセもなぁ……捻くれてて可愛気に乏しかったからな。


「最悪落ちても大丈夫なようにロープで結んであるけど、しっかりとしがみついておけよ」

 そう告げてから【迷彩】で姿を消す。

「何!?」と声を上げるので「自分の手が見えるか?」と尋ねる。

「見えない! 何これ?」

「姿を消す魔法だよ」

「魔法凄い!」

「これもすぐに使えるようになるから……」

 今日中にね。

「頑張る!」

 頑張ろうが頑張るまいが、今日中に君の意志に関係なく強制的に使えるようになって貰うのだ。

 多分君は、その呆気なさにがっかりするだろうが……君の身の安全の為というよりも、俺の心の平安の為だから諦めてくれると嬉しい。



 暗闇の中をこの世界の人間が、いや生物が体験した事の無いだろう超高速で飛ぶ。

 最初は見下ろす村の灯りに喜んでいたが、高度を上げて水平飛行に移り町を離れてしまうと、ところどころ遠くにボンヤリと人々の生活の灯りが見える以外は、厚い雲に閉ざされた空には月や星の明かりさえも無い。見るべき物も無く一気にテンションは下がってしまったようだ。

 俺の頭にしがみついたまま呼吸がゆっくりとなって来た……寝落ちの兆候だ! 慌てて声をかけて起こす。

 ここで寝られて現実世界に行かれたらどうなるかも楽しみではあるが、今日だけは目的を果たすまで寝て貰っては困る。


 朝に出発したエスロッレコートインをスルーして北上し続けて目指すは以前お世話になった入り江。

 狙いは勿論クラーケン。超パワーレベリング! 今日中にレベル七十以上まで一気に上げるのに龍を何匹も狩っている時間など無い……けれど確認しておくべき事があった。



 入り江近くで寄り道してマップ機能を使ってオーガを探す。

 今までのルーセや二号や紫村達は、俺のパーティーメンバーで、俺と一定距離内にいる場合は、魔物を俺が倒そうが奴等が倒そうが互いに経験値が入る。

 多少の目減りがあるが、一定距離内のパーティーメンバー全員に無条件で八割程度の経験値が入るという大盤振る舞い。

 この事に関しては推論がある。システムメニュー保持者が魔物などを殺す事によって何らかの価値が発生し、システムメニューはそれと引き換えに所持者にレベルアップという恩恵を与える。しかし実際はレベルアップに比べてシステムメニューが得る価値の方が圧倒的に高い。つまり所持者側が搾取される関係。

 だからこそ、このような大盤振る舞いが可能であり【所持アイテム】の様なとんでもない能力がコストゼロで使用出来るように設定されているのではないかという考えだ。


 それはさておき、アムリタは俺のパーティーメンバーではないので、本番前にどうやればパワーレベリング出来るか確認しておきたい……システムメニューではオリジナルシステムメニュー保持者同士の協力プレイは推奨されていないようで【良くある質問】先生にも、その手に関する情報は無い。


 先ずアムリタを左腕に抱き上げた状態で、一匹で森の中を散策中のオーガに上空から襲い掛かり、降下の勢いを利用して斜め上から振り下ろした蹴りの一撃で脛骨をへし折って倒した。

 視力が強化されている俺とは違って、アムリタには闇の中では何も見えていなかったのだろう。

 高速機動に少し驚いたものの一体何が行われたのかは分かっていないってところなのだろう。

「レベルが上がったとか、そんな声が聞こえなかった?」

 その問いに彼女は首を振る……という事はオーガの経験値なら例え一パーセントでもレベル一から二へと上昇するはずなので、近くにいても無条件で経験値が配分される事は無いというルールと理解しておこう。

 残るパワーレベリングの可能性は共同撃破による経験値の分配か、止めを刺した者による全取り、もしくは一定割合の獲得だろう。


 再び浮遊/飛行魔法で飛び上がり、二分後にはオーガの真上三十メートルの位置に到着していた。

「はい。これを収納して。そして俺が指示したら取り出して下に落とす。すると下にいるオーガの頭に当たる……分ったかな?」

 握り拳大の石を右手の掌の上に載せて差し出す。握り拳大といっても俺の握り拳大だから幼女の手には余る大きさなので収納が推奨。


「オーガ? 当たったら怒らない?」

 頭に角を生やした四メートルに迫る巨人の姿が見えてない事に感謝する。見えていたら大きな悲鳴が鳴り響く事になっただろう。

「怒っても次の瞬間には倒すから関係ないよ。これから行うのは戦いではなく実験だから」

 良く分からないオーガに怯えて震えながら小さく頷いて石を収納した。


「今だ。落として」

 俺の指示に慌てた様子で石を取り出してそのまま下へと落とす。

 五百グラム以上はあるだろう石だがこの程度の高さから落ちただけでは人間の頭ならともかくオーガにとっては大したダメージでは無かったようで「痛い!」というよりも「何だ?」と言った様子で上を見あげた時には既に俺の右手はそいつの角を握りしめていた。

 そのまま肩越しに背後へと抜けながら身体ごと捻りオーガの首をへし折った。

 直後発生した悲鳴が左の鼓膜に突き刺さり弾かれたように首を右へと傾げる。

「ああ、そりゃあマズイ……」

 アムリタの目から全てを覆い隠すはずの暗闇へと雲の切れ間から月の灯りが差し込んでいた。

 そして首をへし折られたオーガの顔が丁度真上から彼女を見下ろすような位置にあり、顎の落ちた口元からは長い舌が垂れ下がり、そこから涎が雫となって失神した彼女の額へと滴り落ちていた……そうなるな。


 水球で額の涎を洗い流した後、アルコール入りのウェットティッシュで念入りに吹い手上げたのだが、アムリタは俺の首に縋りついたまま泣いている。

 鎖骨に辺りに滴り落ちる涙は我慢するとしても、涙とは明らかに違った粘性のある生暖かい液体が、ゆっくりと首筋を伝い落ちるおぞましき感触は本当に勘弁して貰いたい。


 泣き続けるアムリタを宥めすかしながら何食わぬ顔で次のオーガを探し出して、その頭上へと移動し終えていた……自分で言うのもなんだが酷い。

 最後の実験を行う前に確認しておくことがあった。

「今度もレベルは上がらなかったか?」

「……うぅ……何にも」

 ぐずりながらも涙を堪えて彼女は答えた。しかし経験値を確認して貰うと僅かながら経験値が増えているらしい。

 本当に雀の涙ほどの量だが、かといって移動中に羽虫を払ったりして倒した程度では増えない数値であり、オーガを共同撃破したとして経験値の分配が行われたと考えるべきだろう。


「よし最終実験開始だ」

「……最終?」

 怯えた目でまだ何かあるの? と訴えてくるアムリタに「大丈夫。何の危険も無いし、実験はこれで最後だから」と言い聞かせる。

 そう嘘は言っていない。『実験』は最後なんだ。

 ただその後に本番が待っているだけで騙す気なんてさらさらない……訳が無い。

 違うんだ。ベテランが初心者を連れて山登りをするときに「もう少し」を連呼するようなもので、別に嫌がらせでやっている訳じゃない。


 人間は「もう少し」だけなら頑張れる生き物だ。しかし疲れ切って弱音が出たところに「まだ半分も来てないな」等と事実を言っても心を折るだけだ。

 登頂をさせてやりたいからこそ「もう少し」という言葉が出るんだ。

 別に初心者のせいで登頂せずに引き返すのはやってらんねぇから、とりあえず「もう少し」を餌に限界を突破させれば良いよな? なんて考えている訳では無い……訳では無い。二重否定!


 それだけは断言出来る。何故なら空手部でランニングで「死ぬ」とか抜かしている新入部員に「もう少しだから」なんて糞ったるい言葉を口にした事など無い。

 心の命ずるままに「生きている内は黙って走れ」としか言わないのだから。

 俺が新入部員の頃、大島に「喜べ、走り続けている内は生かしておいてやる」と言われたのに比べたら遥かに優しいよな?



 近くの一番高い木に近寄って、どさくさで【所持アイテム】内に残っていた登山用のザイルを幹を一周させて結びつける。

 そしてアムリタをザイルが引っ掛かった太い枝の上に腰かけさせると、ザイルと彼女の腰紐をカラビナで繋げて落下防止策を講じると。

「ちょっと、ここで静かにしていてね」

「あぅ……」

 心細そうに、俺の服の肩の辺りを握って放さない……自分の中で何かが五十万周期の時を超えて蘇ってしまいそう。

 前田や二号なんかと違って女の子に、ここまで懐かれて頼られると心が弾むね。空だって飛べそうな気分になる……飛べるけど。

 実際は「こんなところに連れて来たんだから最後まで責任を持て馬鹿野郎!」なのかもしれないが、事実を知って落ち込むのは出来るだけ後の方が良いし、更にいうなら一生涯気づかないで済む方がずっと良い。


「これから起こる事をしっかり見て、そして覚悟を決めて欲しい。生き残るためには闘わなければならないという現実を」

 実際のところ俺が覚悟を決めれば、アムリタは現実と闘わなくても生きていけるだろう。

 現実世界に戻って両親を説得し学校を休んでインドまで飛んで連れ帰れば良い。

 だがそれは彼女にとってベストな結果をもたらすとは思えない。そもそも彼女にとって何がベストなのかが分からない。

 この辺りは人生経験の不足という面が大きい……という事で父さんと母さんに丸投げかな?

 やはり俺はやるべきことはレベリングだ。明日になったらアムリタが現実世界で死んでいたなんて嫌だぞ。


「う……見てる」

 小さく頷く。多分、これから起こる事など何も分かっていないだろうに……つまり俺、信頼されてる。


 果物を一つ渡して「これが食べ終わる前に終わる」と言い残して地面へと降りていく。

 音も無く着地したはずだが、オーガは何かを感じたんだろう鋭くこちらを振り返り、威嚇の唸り声を上げる。

 【光明】を四つ発動し周囲の木の幹に光を灯す。

 オーガは突然の明かりに明暗順応が追い付かず武器の棍棒を持たない左手を目の前に翳すが、俺はその隙を突かない。俺の中の闘争本能が「今だやっちゃえ!」と命じるが突かない。

 これから行うのはレベルアップを果たした人間がどれほど強いのかをアムリタに分からせるための戦いなので隙を突いて楽勝では駄目だ。


 ブルース・リーの様に、顎をしゃくらせて掌を上に向けて差し出し、人差し指から小指の四本をくいくいと二度起こして挑発する。

 オーガはブルース・リーの物真似は分からなくとも、舐められていると理解したのだろう。その巨体に似合った長大な棍棒を振り上げると風と喉を唸らせて打ち付けてきた。

 ほぼ真上から降るように落ちてくる棍棒を「我生涯に一片の悔いなし!」と突き上げた拳で打ち砕く。

 ……この体格差が良い。今の一撃が真横から薙ぎ払いであったなら、どんなに俺が強くても受ける事など不可能。ホームランボールの様に吹っ飛ばされる。

 しかし、上から下への攻撃なら常に大地が俺の味方をする。そしてそれはこちらが攻撃に出ても同じだ。

 爆発でもしたかのように吹き飛んだ棍棒からの反動で仰け反ったオーガの足元に素早く潜り込むと、斜め上へと蹴り出す左の『ローキック』で脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を二本まとめて四つにへし折った。


 大島が教えるローキックは二種類ある。上から斜め下へと蹴り下ろす普通のローキックと、下から斜め上へと蹴り上げるローキック。

 そして多くの場合は後者を使う。


 何故なら圧倒的に後者の方が蹴り出しが速く効果があるからだ。

 ローキックは牽制とダメージの蓄積を狙った技だが、そもそも同じ相手と一対一で何十分間も戦うという状況を俺達は全く想定していない。

 だからローキックに地道なダメージの蓄積というものを全く求めておらず、あくまでも牽制の手段に過ぎない。

 そう考えると、相手の脚を蹴るために、一度足を上げてから下へと蹴るという動作は無駄以外何物でもない。


 下から斜め上に蹴り上げると相手が膝を上げれば力を逃す事が出来ると言うが、その場合は大島は逃がさずそのまま相手の脚を絡めるようにすくい上げてバランスを崩してやり、時には転倒させる。

 そして相手が膝を上げて防御しなければ難なくへし折りかかる。

 更にいうと本気を出せば相手が膝を上げて防御しても、そのままへし折るのが大島クオリティーだった。


 右脚を折られて倒れ込みながらも左腕を振り上げて叩き付けようとするが、万全の体勢から振り下ろした棍棒すらも破壊されたのに無駄な事をと思いながら、再び「我生涯に一片の悔いなし!」と突き上げた拳で掌底部を粉砕し、有頭骨から舟状骨までのビリヤードのラックの様に組まれた八つの骨を、ブレイクショットの様に掌と言う名の肉袋の中にぶちまけてやる。

「ぐわぁぁっぁぁぁぁっぁっ!」

 起死回生の一撃を心と共に打ち砕かれたオーガは戦意を失い痛みに転げまわるが容赦せず、残りの右腕と左足を破壊する。そして改めて四肢が完全に動かせない様に肩の付け根と股関節を破壊して、仕上げに【昏倒】で眠らせる。


 目の前で起きた惨劇に口をパクパクしている樹上のアムリタの元に戻り、残酷な告知を行う。

「止めはアムリタ、君が刺すんだ」

「え゛っ?」

 彼女もまたあ行濁点の使い手だったようだ。


「俺達は魔物を殺す事で強くなれる。だから他の命を奪っても強くなり生き残る。その覚悟を示すんだ」

 自分が六歳の頃は、平和な日本でのほほんと暮らし、危機感と言えるほど強い感情は実の妹に抱く位だった癖に、自分よりもずっと過酷な生活を送って来た六歳の幼女に何を言ってるんだろう? ……そんな疑問もあるが、彼女が過酷な環境に生きているからこそ必要な覚悟だと思う。


「あぅあぅ……怖い……」

 自分の限界を超える恐怖に怯えているのだろう。目から涙がポロポロと零れ落ちていく……やっぱり無理だね。六歳児に何を要求しているんだ俺。幼女をこんなに泣かせてしまって。

 何か流れと言うか勢いで行けるような気がしたんだけど気のせいだったね。

 ……気のせいだったねじゃねえ! だったらどうするんだよ。これは絶対にやんなきゃいけないんだよ!


 そうだ目隠しして「そう、そうそのまま……ああちょっとずれちゃったから構えを右に戻して、今!」とかやるなんてどう……結局やるこたぁ同じだよ。殺しだよ。割と人間っぽい大動物の殺害だよ。

 日本一殺伐とした中学生集団である我校の空手部。その主将たる俺ですらゴブリン討伐には思うところが無かった訳では無い。外見の余りの醜悪さに猿以下と自己暗示する事で乗り切った位だ。


 なのに幼女だよ幼女。お前六歳の頃にそんなことしたか? かつてお前にそんな事をさせる大人が居ましたか? どうなんですか隆君!

 脳内会議で繰り広げられる激しい隆君パッシングの嵐……はいはい、反省しました。これからは性根を改めて真人間として……違う! やはりレベリングは必要なんだ。


 このままでは現実世界で明日を迎えても、俺には幼女を身柄を確保する事は、親の説得とか抜きにしても不可能なんだ。

 アムリタには自分が住んでいる──果たして住んでいると言って良いのか分からないが──町の名前を宿でも聞いたが分からないとの事だった。

 五歳でストリートチルドレンとなり、生きるだけで精一杯だった幼女が知らなくても無理はないのだが、分からないと捜し出すのは無理だ。


 オリジナルシステムメニュー保持者同士ではパーティーも組めないので、マップ情報が共有出来ない。

 国籍がインドだと分かっているだけでインドの何処に住んでいるのかは分からないのだから、一日中インド上空を飛び回っても見つけ出すのは難しいだろう。

 ならばアムリタの身柄を確保する最短ルートは、明日現実世界での自分のいる場所をワールドマップで確認して貰い。夢世界での明日にその情報を得て、更に翌日の現実世界で彼女を確保する事になる。

 つまり幼女は後一日半はストリートチルドレンとして自力で生き延びる必要がある。

 しかもそれさえも、父さん達の説得に成功し、父さん達が合法的に幼女を引き取る何らかの方法を即見つけ出したらという無茶な条件での最短時間だ。


 多少なら今まで一年間過ごしてきたのだから多分大丈夫だろうという考えもあるが、だが所詮それは「多分」に過ぎない。

 心配すらさせて貰う事も出来ずルーセは居なくなってしまった……あんなのは二度と御免だ。


 その点、レベル七十までのレベリングに成功すれば日本とインドでも【伝心】で意志の疎通が可能になる。そして【所持アイテム】も現実世界と夢世界で共通化されるので、こちらの世界で食料や必要なものを渡しておけば、現実世界でもそれを取り出す事が出来る。

 更に【坑】シリーズを使いこなせば地下に簡易住居を作る事も出来るので、生きるという事について心配は無くなる。



「頼む。俺の為だと思って我慢してくれ」

 もう小細工は抜きだ。おれは正面からこの問題に立ち向かう。


「あぅぅ……隆の?」

 ちょっと鼻水が垂れていたので、ティッシュで拭いて上げてから答える。

「そう俺の為だ」

 出会って数時間の幼女にここまで入れ込むのは全て俺の都合だ。

 こんな小さな子供一人を守れないような奴は男じゃない。そんな時代遅れの感情が根底にあるのは確かだが、その感情を強くしたのはやはりルーセとの出会いと別れが原因だ。


「俺の為に頑張ってくれないか?」

 本心からの言葉だが、これって「そうしてくれるとお母さん嬉しいな」作戦と同じだ。

 子供に何かさせる時によく使われがちな「貴方の為なんだからやりなさい!」作戦に対して子供を追い込まないので、子供からすると反発心が芽生えないので受け入れやすい提案である。

 母さんが良くやる手なのだが、俺が「これって上手く乗せられてないか?」と気づいたのは十歳の誕生日まで半年の時点だった……小学生の頃はとても純真な子供だったんだよ!


「……やる。頑張る!」

 そう言わせてしまったという罪悪感。肩を震わせ拳をぎゅっと握りしめ、小さな身体中からありったけの勇気を振り絞らさせてしまった事に胸の痛みを感じる程度の良心は俺にだってある。

 だがそれ以上にほっとしている。


「ありがとう」

 そう言って手を伸ばして彼女の頭を撫でようとして思い出した……インド人にナデポは通用しないという事を。

 つうか、インド人の頭を撫でるのはタブーだよ。実際は欧米文化の影響を受けてそんなにうるさい事は言わないようだが、五歳でストリートチルドレンとなった幼女がどう思うかは俺には分からない。

 とりあえずハグはOKみたいなので、軽く抱きしめて背中をそっと叩いた。

「頑張るから……」

 語尾は俺の耳をもってしても聞こえなかったが嫌がっている様子は無かったので続行。


 やる気さえ出して貰えたなら、途中で怖気づく要素が少ない方法を使えば良い。

 アムリタを再び抱き上げて樹上から降ろすと【所持アイテム】から槍を取り出して差し出し「これを収納してくれ」と告げる。

 『何で?』という顔をしながらも頷き手を伸ばして槍に触れた瞬間に消えたので、収納は問題なく使いこなせるようだ。


 そして大音声で鼾を立てて寝るオーガの前へと連れて行くと、漁師が銛を構える様に右肩の上に拳を構えるて見せて「この格好をして」と言って、同じ構えを取らせる。

「拳は完全に握り込まないで、これくらい開いて」と親指と人差し指で円を描いて見せたり、構える向きを細かく調整した上で「先程の槍を頭に思い浮かべながら装備」と念じてみて。


 ……エライ事になってしまった。

 自分の手の中に現れた槍が正確にオーガの頭を貫くのを見たアムリタは悲鳴を上げ、腰を抜かしてその場にへたり込み失禁した。

 俺って奴は、ルーセに続いて……教えてくれ、俺はあと何人の幼女にお漏らしさせれば良い?


 アムリタは騙されたという悔しさと羞恥心に耳まで赤くし、俯きながら俺の腹の辺りを可愛らしくポカポカ音を立てて殴り続けるが、突然ポカポカがドゴドゴに変わり、三発に一発位の頻度で拳が鳩尾を捉えると流石にダメージが来る。

 レベルが一気に上がったのだろう。

 多分、十には届いていないだろうが七か八か九のどれかくらいだろう……これでレベリングが出来る!

 何せシステムメニュー所持者を勇者様に仕立て上げようと企んでいるんじゃないかとしか思えないデフォルト設定なので、特に恐怖心へ克己は重要なのだろう。

 これが無ければ、最後の止めだけとはいえ幼女をクラーケンに立ち向かわせようなんて発想自体が生まれない。

 ニヤリと笑みを浮かべた途端、鳩尾にいい感じにクリティカルヒットを貰い地面に跪かされてしまった。



 その後、レベルを確認した後に現在の身体能力を認識させるために、いつも通りのジャンプをして貰った。

「自分が強くなったのは分かる?」

 俺の言葉に強く頷いた。アムリタのレベルは予想の範囲で八だったが、試しに跳んでみて軽々と俺の頭の上を飛び越えることが出来れば嫌でも状況認識が出来るというものだろう。

「この調子で次もいける?」

 彼女は頷くものの、流石にこのままはクラーケンとは駄目かなと思い直す。時間は無いがせめてオーガをもう何頭か狩ってからの方が良い……また失禁されても困る。

 レベル十台中盤までもっていけばハイクラーケンに止めを刺す程度の胆力は身に付くだろう。


 だけど難しいな。単に精神的な衝撃やストレスに対して強くなりましたというのは良くない。色んな経験を積む事で様々な事態に『慣れる』事で身につく強さが人間には必要だと思う。

 恐怖を感じないとか絶対におかしい。そんな奴は意味も無く危険を冒す事になるだけだ。

 恐れてもなお立ち向かう勇気……こう言うと格好良いけど、その根幹にあるのは恐怖と向かい合える慣れだと思うんだよ。


 追加のオーガ狩りはサクサクと進んだ。

 やはりレベル八までデフォルトでレベル上げをすると人が変わる。元々魔術・魔法に興味津々だけにレベルアップへのモチベーションは高かったのもあってかなり積極的でむしろ怖いくらいだ。

 延長戦で四体のオーガを倒してレベルは十四。同じオリジナルシステムメニュー保持者としてはレベルアップが遅い気がするが、それは自力で倒し続けた俺に対して、止めだけを刺しているアムリタとの違いで、止めだけを刺す場合は総経験値量に対して六割程度しか取得出来ないようだった。


「次はもっと大物を狩る事になるけどやれるか?」

 俺の質問に力強く無言で頷く。その顔はとても幼女とは思えない凛々しい男前の雰囲気を醸し出していた……おっと、これ以上は駄目だな。レベルアップ時の【精神】のパラメーター関連の変動設定をしなければ、幼女ではない何か別の生き物になってしまう。

 可愛い幼女が怯えて涙目になって、それでも頑張って立ち向かうのが視聴者の感動を誘うのであって、血風が吹き荒れる様な惨状の中で眉一つ動かさず両の眼に決意の光を湛えるのは違う。手遅れかもしれない。レベル十くらいで止めておくべきだったかもしれない。だが今後次第で何とかなるのが人の心だ……



 入り江を一望する断崖の上に着地すると【迷彩】を解いてアムリタを地面に降ろしながら、光属性魔法レベルⅤの【大光球】を頭上に浮かべる。

 この【光球】シリーズは一番最初の【光球】ですら光属性レベルⅣと覚えるのが遅いが、物体を光らせる事しか出来ない【光明】に比べると球状の光を作り出し自由に位置を動かす事が出来る優れもので、俺の中では【光明】の上位互換として認識している……あまり使わないけどな。


「まず、これを収納して」

 明かりを見上げて「おぉぉぉぉ」と感嘆の唸り声を上げるアムリタに告げると【所持アイテム】内から火龍との戦いに使った二十メートル級の丸太よりも長い三十メートル級の丸太を取り出して地面に転がした……見事な大物だ。

 アムリタ迷いなく丸太に手を伸ばして収納すると、俺が注意する間もなく槍を構える格好をすると【装備】を実行してしまった。

 その果断さに、少しは考えろよと思う。

 彼女は現れた丸太の重さに一瞬たりとも耐える事は出来ず、手放すと前のめりになって激しく顔から地面に倒れ込んだ。

「痛い……」

 鼻血と涙を流す彼女に、屈みこんで顔の前に手を翳して【中傷癒】をかけてやる。

「……痛くない?」

 驚く彼女の顔と手に付いた鼻血を【水球】を使って洗い落とす。

「血も出てない!」

 鼻の下を擦って血が付いていない手を見てまた驚く……初めてこの世界に来てシステムメニューを知った時の自分のはしゃぎっぷりを思い出すと、そんな姿を生暖かい目で見る権利など俺にない。


「ごめんな。まず最初に注意しておけば良かった」

 幼女相手なら飴でも用意しておけばご機嫌取りが出来たのだろうが生憎持ち合わせていない……飴か、例のKKKKドリンクも飴に出来たら……検討する価値はあるな。

「もう痛くないから大丈夫」

 とても前向きだ。彼女には魔法使いになって色々やらかす自分の姿しか見えてないのかもしれない。


 再びアムリタに丸太を収納して貰ってから手本を見せる事に知る。

「このサイズになると取扱いに注意が必要だけど、逆にこのサイズだからこそ出来る使い方もあるんだよ」

 そう言うと、二十メートル先にある断崖の縁から五メートル手前を狙って丸太を右肩に担ぐイメージで装備する。

 次の瞬間、出現した丸太は目標地点を貫き崖の斜面まで抜けた。

「丸太は重いから装備したらすぐに収納するのが大事なんだよ。そして更に!」

 構えをそのままにパノラマ写真を撮る様に、水平方向の角度を維持しながらゆっくりと身体を右へと捻りつつ百分の一秒ごとに収納と装備を繰り返していく。

 これが昼間ならば貫通して出来た穴から天気次第では鮮やかな青い海が見えただろうが、残念ながら黒い穴が横へと広がっていくだけだ。

 そして穴は五メートルの長さまで成長する直前で、音を立てて海へと崩れ落ちて行った。

「ここまでやれるようになれとは言わないけど、こいつを的に打ち込めるように──」

「…………おぶおぶ」

 レベル十四の勇者様仕様の精神をもってしても、目の前で起きた事実を受け止めかねるのだろう。

 アムリタはどこぞのシュールなカワウソの様な声を上げながら身体ごと右へ左へと振り返りながら怪しい挙動を見せる……まだ恐れを感じる人間らしさが十分残っている事にほっとした。



 これから戦う事になるクラーケンの弱点が目と目の間で、そこに丸太を打ち込むんだと教えてからアムリタを左腕に抱き上げて海上へと出る。

 雲の切れ間から零れ落ちる月の光が、波間に反射する僅かな輝きが暗闇の中で辛うじて見えるが、まだアムリタの目には何も見えていないだろう。


「それじゃあ始めるよ」

 先ず【大光球】で海面付近に四つの光の珠を発生させる。タコは知らないがイカには正の走光性──光に向かって集まるのが正の走光性、逆に光から逃げるのが負の走光性──があるので、タコ七、イカ三くらいの見た目なので、クラーケンの中に息づくイカ成分を信じての行為……ではなく、単に自分の視界を確保するのが目的だ。

 【大光球】の上位魔術も存在するが、光源から百メートルくらい離れた位置で太陽光に匹敵する明るさって使い道が無さ過ぎる。


 クラーケンをおびき寄せる方法は臭い。そこでオークの死体を十体投下。

 海面に叩き付けられてから三十秒ほどで浮かび上がった死体をロックオンすると、先ほど集めておいた崖っぷちを砕いた時に出来た手頃な大きさの破片を連続で射出する。

 拳の二倍ほど岩の破片が音速でオーガの胴体に吸い込まれると、次の瞬間に血煙を上げて弾け四散した。

 驚いて俺の首にガッチリとしがみつき耳元で「おぶおぶ」と再びカワウソのモノ真似を始めたアムリタに生暖かい視線を送り続けたのは仕方のない事だろう。


「そろそろ来る」

 中々混乱から回復しないアムリタの背中に右手を回して優しく叩いて正気づかせる。

 そして「何が?」と言いながら俺の指さす方向を見た次の瞬間。オーガの血肉の臭いに引き寄せられて奴が現れる。

「ドーン!」

 擬音でも何でもなく、そのままの音を立てて海面を突き破り、その衝撃で大気を振動させ、水煙の中から現れたのはクラーケン…………いや、ハイクラーケンでした。


 前回倒したハイクラーケンに比べるとかなり小型でギリギリハイクラーケンの領域に踏み入れたといった感じだが、マップ上のシンボルには紛れも無く『ハイクラーケン』と表示されている。

 ハイクラーケンが相手ならと、圧縮した魔力の塊を作り出して……? あれれれれ、内に左の脇腹の辺りに生暖かい液体が垂れていくよ。


 ええい! 相手がハイクラーケンなら幼女の失禁など気にしている暇はない。

 時間をかければ厄介な雷を落とし始めるので、先手必勝しなければ電気伝導性の高い電解質溶液(尿とも言う)塗れの今の俺と彼女は良い的となるだろう。

 改めて圧縮した魔力の塊をハイクラーケンの周囲に送り込んでおく。


「本当に目が良いいな」

 既にハイクラーケンは俺達の存在を認識しているのだろう。体表の色を激しく変化させる警戒信号を発するだけでなく、その巨大な目がこちらを睨みつけている。

「きれい」

 アムリタは無邪気に目を輝かせている。ちびった癖にアレを綺麗だと思う余裕を取り戻しているのか? いやむしろ混乱していると考えて間違いない。アレが綺麗だと俺にはとても思えない。


「来るぞ」

 音速で飛んできた触腕が、音速の三倍で射出された足場岩に迎撃され、僅か十メートル手前で爆散する。

 直後、アムリタの腰をぐっと引き寄せると足元に足場岩を出して蹴ると、飛び散った無数の触腕の破片を目隠しになる様に間に挟んで後方に飛び退く。

 そしてシステムメニューを開いて時間停止状態を作り、周辺マップ内でハイクラーケンの各脚の付け根部分をロックオンすると一斉に足場岩を射出する。

 素早く動く足先の部分ならともかく、ほぼ動く事の無い脚の付け根に対してロックオンは有効で、それぞれに自分で狙いを付けた訳でもないのに【射出】と念じるだけで、撃ち出された足場岩は次々と目標を捉えて吹き飛ばす。

「おうっ!」

 次の瞬間、俺とアムリタを掠める様にして巨大な触腕が通り過ぎる。

 命中より先に巨大な質量が撃ち出されては止まる訳も無い。しかしあれだけの質量を撃ち出す力の反動を受ければハイクラーケンの本体はひっくり返るなどの影響を受けそうなものだが、全くファンタジー生物は度し難い!


 罵りながら、更にクラーケンの胴体の正中線──と言って良いのか分からないが──に沿って足場岩を五発打ち込む。

 着弾の衝撃で、それほど強度の無い足場岩は砕け散りながらハイクラーケンの体内に飛び散りダメージを広範囲に広げ、体内の重要器官を破壊していく。


「しかし、これで死なねえのかよ」

 四肢断裂……四本じゃ済まないけど、その上に重要器官の多くが破壊され、脳ですら爆発的な圧力で破壊されていてもおかしくないのに、ハイクラーケンの両眼は鋭く俺達を見据えて離さない。

 だが俺は戦いの中にロマンチズムを持ち込まない。厨二病だから持ち込みたいけど持ち込まない。戦いの中で格好良い厨二っぽいセリフを吐きまくりたいけど自重します……だって主将なんだもの。

 死を前にしてもなお戦わんとするその意気に感じ入って反撃の機会を与えてやろうとか感傷じみた考えは格好いいけど、大島という厳しい現実を前に、そんな感傷は裸足で逃げ出してしまったよ。

 だから勝機は決して逃さない。一度握った主導権は最後の一滴まで絞りつくすまで手放さない……だから奴の両目を吹っ飛ばして視力を奪い取った。

 これで雷を落とすしか奴には手は無いはずだ。

 光速は秒速三十万キロメートル弱だが雷速は音速の四百倍程度と遅い……ちっとも遅くねぇ!

 ビームを見て避けるロボットアニメの主人公じゃないのだから、雷光を見てから避けるのは不可能なので、ハイクラーケンの周囲に配置した圧縮した魔力の塊を破裂させる事で、雷が落ちる前に妨害するしかない。

 しかし止めを刺すアムリタは、またもやカワウソの物真似で忙しそうだ。


 失敗の二文字が脳裏を過る。

 ハイクラーケンを俺が倒せばレベル百七十九になりレベル百八十へリーチとなる。

 レベル百八十で属性レベルⅧが開放される。実際に属性レベルⅧの魔術を覚えるのはレベル百八十一以降だが、その他にもマップ機能の強化がある予定なので楽しみだ……現実逃避している場合ではない。


 今日中にアムリタをレベル七十以上にするのは既定事項だ。

 どうする時間は無い。時間停止で考える時間が幾らあっても、ハイクラーケン自身の命はそんなに長く残っていない。最後の力を振り絞り一発雷を落としたら力尽きて直ぐにも死ぬ可能性が高い。

 その間に、彼女にハイクラーケンの止めを刺して貰う方法を考えなければならない。その為には彼女に正気づいて冷静になってもらう必要があるのだが、そんな時間は残されていない……あれ、俺って馬鹿? アムリタにもシステムメニューを開いて時間停止を行えるだろ。


 軽く軽くの額をデコピンで弾く。

「おぶおぶおぶおぶ……あうっ!」

 両手で額を抑えて、涙目で「何をするだーっ!」と訴えかけてくるが無視する。

「これからアイツに接近する」

 俺の言葉にビクリと身体を震わせる……心が折れている?

「奴は腕という腕を失い。このまま放っておいても死ぬくらいに弱っている」

「で、でも……」

「だが、まだ反撃の牙を失っている訳では無い」

「うう……」

「だけど、奴は攻撃する事は出来ない。俺がそれを許さないからだ。そしてアムリタの攻撃が届く場所へ無事に連れて行く。絶対にだ……だから止めはアムリタが刺すんだ」

「……」

「怖いよな。システムメニューを開けば自分以外の全ての時間は止まるからじっくりと考えて答えを出して欲しい。戦うのなら首を縦に振って、嫌なら横に振ってくれ」

 そう告げた次の瞬間にはアムリタは力強く首を縦に振って頷いた。一体どのくらいの時間をかけて考え抜いたのかは分からないが、決して短い時間ではないだろう。その証拠に再び男前な目つきに変わっていた……だからそこまで行ってしまうの? もっと後戻り出来そうな場所で踏み止まれないの?



 アムリタを肩車すると、術式崩壊限界ギリギリまで魔力を注ぎ込んだ浮遊/飛行魔法を多重起動し、足場岩を蹴ると同時に最大加速で突撃する。

 次の瞬間魔力がざわめく。ハイクラーケンが残された魔力を身体中から集めて雷を落とそうとしているのだ。

 ハイクラーケンの周囲に浮かべた魔力球を破裂させ、奴の魔力の流れを掻き乱し術式を崩壊させる。

 そして浮遊/飛行魔法最大出力で制動をかけ、更に同時に足元に出した足場岩をハイクラーケンの急所である目と目の間に蹴り飛ばす事で運動エネルギーを打ち消した。

 ハイクラーケンの直上十メートルの位置で静止すると「あの岩を目掛けて丸太を打ち込め!」と叫んだ。


 アムリタは俺の頭から両手を離すと太腿でぎゅっと俺の首を絞めつけ身体を固定すると……ヤバイ!

 いきなり何かが飛んでくる。速いが小さい物ではない少なくとも俺の身体よりもずっと大きい質量の物体。

 反射的に殴りつける。ありったけの【気】を使っての一撃だった。


 目の前で爆散したのはハイクラーケンが無理矢理に再生させたのだろう二十メートル程度の触腕。

 本来の長さがあったら先端の速度は音速を超えるので拳を繰り出すタイミングを合わせる事は出来ても【気】を通すなんて真似は出来なかった筈だ……まあその場合は、時間停止状態から【所持アイテム】内の全てを取り出して盾にするので問題は無いけどな。

 しかしハイクラーケンの死すとも敵を道連れにしようとする執念は見習う必要がある。


「凄いレベルアップした」

 急所というか各腕ごとにある脳を司る中枢脳とでもいうべき存在を丸太で貫き止めを刺したアムリタは見事にレベルアップを果たしたようだが、問題はそのレベルだ。

「何レベルになったの?」

「七十八!」

「良し! これで勝てる」

 うん、小なりとはいえ流石ハイクラーケンだ。しかも止め分の八割程度で、普通サイズの龍十数匹分にも相当する経験値だよ。

「何に勝つの?」

「碌でもない現実って奴にだよ」

「?」

 何が何だか分からないといった風に首を捻る幼女。

「それじゃあ、ハイクラーケンを収納して宿に戻る……前に魔術と魔法の練習をしておこう」

「やったーっ! ……魔術と魔法って違うの」

 やっぱりそこから説明しないと駄目だよな。



 簡単に魔術はシステムメニューが提供するものでレベルが上がると覚えられる……微妙に便利だけど、色々と微妙なモノで、魔法は自分で覚えたり作ったりするモノだとザックリと説明をした。

 そして全てを説明するには夜も遅いので明日すぐにでも必要となる呪文だけを説明した。

 現実世界での明日に真っ先に使う【伝心】

 迎えに行くまでに身を隠して貰う場所を作るための【坑】シリーズ。【大坑】で作った入り口の横穴の先に【巨坑】で空間を作り、【光明】で明かりを確保し、入り口を隠せば隠れ家として十分だろう。

 そして隠れ家を作る場所まで移動するには浮遊/飛行魔法と【迷彩】のセット。

 それからついでに【傷癒】【病癒】【解毒】の薬箱セットをどうにか教え切った。幼女も途中で何度か意識を失いかけたが頑張って覚えた。



 結局寝てしまった幼女を抱いて宿屋に戻ると、アムリタをベッドに寝かしつけてから【所持アイテム】内からマルを取り出す。

 背中をポンポンと軽く叩いて起こすと、マルは周囲を警戒するように耳を立てて、首を左右に振る……その理由はわかる。

『何で夜なの?』

 不信の目を向けるマルの当然の疑問に俺は答える言葉を持っていなかった。

『…………あれ?』

 じっと俺を睨んでいたが、ふと何かに気付いたようだ……何かって一つしかないけど。

『ここ!』

 ベッドの上に両前脚を載せて叫ぶ。

『何この子? どうしたの? マルの妹?』

 嬉しそうに尻尾で床を掃除しているところを申し訳ないが妹は無い。この幼女は俺の妹だからな!


『ちょっと訳あって助けた』

『訳って何?』

『悪い奴らに捕まっているところを助けた』

『……じゃあ家の子だ。挨拶しておこう!』

 ベッドに飛び乗るとアムリタの顔に自分の顔を近づけるマルの上下の顎をまとめてガッチリと握り込む。

『疲れて寝ている子供をマルは無理矢理起こすのかな?』

『ま、マルはそんなことしない!』

 嫌そうに掴む俺の手の甲を前脚でポンポンと叩いて抗議しながら嘘を吐くので、握る手に更に力を込める。

『マル嘘吐いた。ごめんなさい!』

 自分の欲望へも含めて素直な事に定評があるマルだ。一応反省しているようなので『よしよし、ごめんなさいが言えて偉いぞ』と褒めながら撫でてやる……ちなみに俺は素直にごめんなさいが言えない性質だ。


 マルは嬉しそうに身もだえしながらベッドの上で仰向けになり、お腹を撫でてのポーズをとる。

 最近のマルは褒められると以前よりもオーバーリアクション気味に喜ぶ。

 以前は撫で方、声の高さと大きさ、顔の表情から褒められ具合を計り、そして漠然とどんな事で褒められたのかを察する事しか出来なかったが、【伝心】による意思疎通で、ピンポイントで褒められた理由が分かると嬉しいそうだ。

 とにかく叱られた凹んだ直後に褒められて有頂天となり、その落差に何が何だか分からなくなってしまったマルは俺を追求する気も無くし、撫でられて褒められてご機嫌のまま眠りに落ちた……チョロい。


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どうにも体調が良くなりません

皆さんも季節の変わり目、健康にはご注意ください


>どこぞのシュールなカワウソ

「ぼのぼの」の主人公、ぼのぼのの事。

主人公が間違ってカワウソと思い込んでいるだけで実際はラッコ。

作者もしばらくカワウソだと勘違いしていた。普通アライグマやシマリスなどの森の動物の友達がラッコ? って思う

しかし、よく見たら持ってるのがホタテっぽい


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