第102話

「おう高城!」

 ランニングを終えて朝飯を食いに宿に戻ると大島に捕まった。

 大島が俺のパーティーに入っている限りマップ情報が共有されるので、俺が避けても向こうからやって来るので諦める。

 ここしばらく定宿であり、大島も泊まっている宿の食堂に踏み入ったのだから当然だが、せめて朝飯位はこいつの顔を見ずに食べたかったというのは贅沢な願いだろうか?


 まず「おう」じゃなくて「おはようだ馬鹿野郎」という言葉を飲み込んで「おはようございます」と返す。

 当然ながら返事は戻って来ないが、最初から期待はしていない……だからといってイラっとしない訳でも無い。

 まあいい。相手は所詮大島なのだ。気にした負けだと自分に言い聞かせる。これは大島へのおはようではない、食堂にいる皆さんに対する挨拶だ……別に誰からも返事が無くても気にしないよ。紳士たれという自分のスタイルを貫いただけだ。


「まあ座れ」

 そう言いながら自分の着いた席の対面を顎で示す。

 それを無視してカウンターで料理を受け取り──この世界では宿の朝食のメニューなんて良くても三種類、下手をすると選択肢は無いので、一食分ずつトレーに用意されてる分を受け取るだけ──そのまま別のテーブルに座った。


「おいっ!」

 更に無視をすると、大島は席を立つとこちらに床を踏み鳴らしながら近づいてきて、いきなり振り上げた拳をテーブルに叩きつけようとしたので、自分の食事をトレイごと持ち上げると、今度はシステムメニューを開いて五メートルほど離れた位置の大島の食事が乗ったトレイを収納する。

 そして大島のトレーを大島の拳が叩き付けられようとしているテーブルの上に出す……おっと、トレイの下、大島と反対側にフォークを差し入れるのを忘れていた。

 そしてシステムメニュー解除。

 拳が叩き付けられた瞬間、丈夫な天板はその衝撃に沈み込み、そしてエネルギーを平面上に波打つように変形しながら周囲へと広げていく。同時にテーブルの上に乗っていた全ての物は跳ね上がり、特に大島へと傾斜をつけておいたトレーの上の皿や器は大島目掛けて栄光への虹の架け橋を描きながら跳ぶのを見送りながら、テーブルの振動を止めるために百分の一秒の間にテーブルを収納し、再び同じ位置に取り出す。


『ざまあみろ』

 自分の朝飯の乗ったトレイをテーブルの上に戻しながら、そう胸の内で呟いた直後、俺は顔にほくそ笑みを浮かべたまま、驚きに顎だけがストンと落ちた。

 大島は自分に向かって飛び散った全てを一瞬で収納して見せた。パンや焼き魚などの固形物はまだしも、飛び散ったスープやエール──朝っぱらか酒を飲んでいたんだよ──の細かく飛び散った数百の飛沫さえも。

 オリジナルシステムメニュー持ちの俺とは違って時間停止が使えないのにも拘わらずである。


 収納した次の瞬間には飛び散ったはずの食事が全て元のままにテーブルの上におかれていた。

 喧噪の中でもテーブルを殴った音は大きく響き渡り周囲の注目を浴びているが、肝心な場面は誰も見ていないだろう。

「どうした鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして?」

 腹の立つドヤ顔でこちらを見下してくる。


 だがどうやったんだ? あれを一瞬で収納するには、一定範囲の空間にある物をまとめて収納したとしか思えない。だがそれは出来ない。

 テーブルの上に置かれた水を入れたコップは、水だけ、コップだけ、テーブルだけ、そして水とコップ、コップとテーブル。更に水とコップとテーブルと選択的に一度に収納可能であり、コップによって隔てられている水とテーブルだけを一度に収納するというのは出来ない。

 また、大きな一枚岩の半分だけを収納する事は出来ない。つまり海の水を収納しようとすると、世界の海の全ての水を収納する事になる……試した事は無いが無理だろうけど。


 つまり、空気を収納するというのはこの星の大気中の空気を全て収納する事であり、こちらも怖いから試してないがやはり無理だろう。

 空気を収納する場合には、気密性の高い箱の中の空気を収納する以外に方法はないはずだ。

 それに何らかの方法で一定範囲の空気ごと収納したのならば、収納され一時的に真空状態になったその空間に周囲の空気が流れ込むのだが、そんな気配はなかった。


『つまりは、飛び散った飛沫までも一つ一つ正確に認識しあの僅かな時間で素早く収納していったと言うのか?』

 周囲の注目が集まってしまったので【伝心】で話しかける。

『この不肖の弟子が、だからお前は駄目なんだ。今の自分に何が出来るかを貪欲に突き詰めようとしねえ。それがお前らゆとり世代の限界だ』

『不肖の弟子は弟子が自分を謙って使う言葉だ。お前が俺に対して使う場合は馬鹿な師に似ない優秀な弟子だと謙る意味で良いんだな?』

『ああ言えばこう言う! 人の話を黙って聞けコラァっ!』

『人の話を聞かないのはお前の十八番だ!』

 そう罵り合いながら、俺は冷静に考える。今の自分に何が出来るのか? つまり大島はアイツなりにシステムメニューに何が出来るかを徹底的に調べ、より効果的に使う方法を突き詰めているという事なのだろう。


 ならば簡単、困った時は【よくある質問】先生だ。

 もしもし、先生? オレオレ。そうそう……困った事があってお金を……じゃなくて、教えて欲しい事が……えっ? 年上の女性を口説く方法? ……それは後程詳しく、本当にお願いします……それで【所持アイテム】の収納機能の事なんですけど、一度に異なる沢山のモノを一気に収納する方法で……えっ? やっぱりあるの……おおなるほど、そういう事ですか……って何で対話式になってるんだ? しかも先生めっちゃフレンドリー。

 本当に誰が作ったんだよ、システムメニュー!


『まあ想像はつく。個別に認識た対象について条件付けで絞り込んで一気に収納する。例えば目の前にある全てのモノを認識し、その中で空中を飛んでいるモノとかな。そして収納した後は、エールやソースの飛沫は同じ物同士をまとめて食器に戻してから取り出した……俺にも出来ない訳じゃない。必要ないだけで』

 先生に聞いたという事をおくびにも出さずに嘯く……こういう腹芸が出来る中学生ってどうなんだろう。自分以外の中学生がやってたら、そいつの将来心配するわ~。


 まあ本来は、目の前に飛び散る飛沫などを一瞬で全て認識するのが難しいのだが、レベルアップのおかげでその気になれば完全記憶を動画で行う事が出来るので難しくはない……んな訳あるか! 完全記憶は視覚情報を絵として見えたままに記憶するだけで、視界に存在する全てを一つ一つ区別して認識している訳じゃない。百分の数秒で手前の物に隠れて見えない小さな飛沫さえも全て認識するという事は俺にはまだ不可能だ。

『ふん、ヒントをやり過ぎたか』

『ヒントをやろうと思った訳じゃなく、単に調子に乗って口を滑らせた事を、こうも恩着せがましく言う奴ってどうよ?』

 肝が冷える思いを飲み込んで強気にそう煽ってみせる。


『きっ──』

『図星を突かれて喚き散らせば、自分が惨めになる事くらい理解出来るよな?』

 次の瞬間、一瞬前まで俺の頭のあった空間を大島の拳が空気の壁を突き破り、ボッっと音を立てて通り過ぎて行った。

『開き直りやがったな!』

『俺のこの拳は、五月蠅い奴を黙らせるためにある』

 実に大島らしい反応だ。ここまでくると清々しくさえ感じる……だからと言って、大島を許せる気分になれる訳でもない。

 俺と大島の間の空気が張りつめていく──


「おはようシュン!」

 この殺伐とした空気を無視して挨拶をかました二十歳くらいの女性。そのまま大島の無駄に太い二の腕に自分の腕を絡ませて寄り添った……仕草一つ一つが大人の女の色っぽさを醸し出していて、中学「性」男子には目の毒の様な存在だ。

 身長はこの世界の女性としては破格に高い。百七十センチメートルをわずかに越えているだろう大女だが、大島と比べると似合いの身長差。見るからに肉食系女子であり出ると処はこれでもかと出て、引っ込むところは生き物としての強度が不安に感じるほど引っ込んでいる。そこらの日本人女性では太刀打ちするのが難しいポテンシャルを秘めている。


 だが、それだけではなく引き締まり発達した手足、首から肩への筋肉。そして一目見てわかる安定した体幹。ちょっときつめな赤銅色に焼けた美貌。

 戦士としての力量も感じさせる……多分、傭兵ってところだろうか?

 はっきり言ってかなり俺好みでもある女性が大島にデレている状況を見せられて心穏やかではいられない。

 学校では教師、生徒を問わず特に女からは蛇蠍の如く嫌われている癖に解せぬ。


「あれ? もしかしてシュンの子」

「誰がだ!」

 大島と俺が珍しくハモった。

「だってほら、似てるじゃない」

「何処がだ!」

 再びハモる。もう訴えても良いレベルだろ。一審で即日勝訴で、相手が上告しても高裁から「笑」の一文字で棄却されるだろう。


「そう言うところが似てるのよ……もしかして近親憎悪って奴? シュンは所帯を持つのには向いて無さそうだし、そんな父親を持ったら子供がグレるのも分かるわ」

 勝手に物語を紡ぎ出す女を無視し、席に座ると無言でテーブル上の自分の食事に取り掛かる。関わりさえしなければ自分とは無関係な出来事として感情も処理出来る。

 気づくと大島も向かいの席について、無言で飯を口に押し込むようにして食べ始めていた。

「不器用な親子の食卓ね」

「五月蠅いわっ!」

 土瓶の中にマツタケと一緒に入れて蒸してしまいたいくらいハモるのであった。


「私はフェアレソール……ねえ、お母さんって呼んでみない?」

 肉食だ。想像以上に肉食だ。大島がこちらの世界で復活を遂げてまだ二日目。実質的には二十四時間にも満たない。


 童貞少年にとって、これほど短期間でワイルド系美人をモノにしてヤルことヤッテいる大島にも驚愕するが、それ以上にもうそこまで頭の中で明るい家庭像が進行してしまっている彼女に恐ろしいモノを感じずにはいられなかった……まあ、北條先生に結婚してと言われたら間髪入れずに三つ指突いて土下座して「不束者ですが末永く宜しくお願い申し上げます」と答えるけどな。


 しかし、恐怖心など俺にとっては馴染みの隣人のようなもの……平和で平穏な生活を送りたい。

 だからクールにこう言ってやるのだ。

「俺が知る限りでも、シュンちゃんは現在進行形で二人と付き合っているぞ」

 以前大島が自分で言った事だ。

 俺の言葉に笑顔を凍り付かせる女性に対して、大島が噛みついてくる。


「誰がシュンちゃんだと?」

 突っ込むところはそこなんだ。

「俊作、略してシュンちゃんだろ。親のつけてくれた名前に文句を言うな」

「勝手に略するな!」

「何だ? 女には鼻の下のばしてシュンとか呼ばせておいて、可愛い教え子には呼ばせないつもりか? OBを含め空手部全員に言っちまうぞ。シュンちゃんと女に呼ばれて鼻の下を伸ばした大島は、想像以上に気持ち悪かったってな」

「ふん、そんな嘘を言ったところで──」

「皆俺のいう事を信じるぞ。間違いなくな」

「…………」

 決して俺が人望に満ち溢れている訳では無い。ただ己の人望の無さに関しては人後に落ちない事くらい自覚しているのだろう。反論の糸口すら見出す事の出来ない大島に対してほくそ笑む。


「……ちょ、ちょっとどういう事なのシュン?」

 お待ちかねの修羅場がやって来て、俺ニヤニヤが止まらない。

「…………」

 何ともいえない深みのある表情を見える大島……これって顔芸で乗り切ろうとする売れない芸人と大して違いが無いだろう。

「ちゃんと答えて」

「………………」

 ちらりと俺に視線を送ってくる。助けろのサインだが……『万が一にも俺に助ける気があったとして、この状況を何とか出来るスキルがあると思うか?』と【伝心】で返事すると蔑むようであり憐れむようでもあり、そして切なげでもある目で俺を見やがった。


 まともな恋愛経験すら無い寂しい男子中学生に何を求めてやがる。そう胸の中で吐き捨てると耳も心も閉ざして朝飯を平らげて行く。

 大島が最終手段で女性を抱き締めて濃厚な口付けを交わし「俺を信じろ」などと意味不明な事を囁き出したのには、心を折られ「死ね、チンポ腐り落ちて死ね」と呟きながらもしっかり録画しておくのは忘れなかった。大島が現実世界復帰後にはネットに流してやる予定だ。



 朝食を食べ終えて紅茶に似た匂いの……いやもう紅茶で良いな紅茶で。それを飲んでまったりしていると、一旦女性を連れて部屋に戻った大島が、すっきりした表情で戻って来た。

「幾らなんでも早漏(はやい)だろう?」

「ふん、床入り前に前戯など必要も無いほど高め、失神するほど責めれば後戯すら必要ない」

「ば、馬鹿な、そんなのどんなハウツー本にも書いてないぞ……」

 中学生の性への探求心は何者に止める事は不可能だ。しかしこのエロ孔明をもってしてもその発想は無かったわ。


「これだから童貞は、役にも立てる当てもないマニュアルが大好きだな」

 童貞を母親の腹の中に置いて生まれて来た訳でもないくせに童貞を下に見る態度への憤りが、普段なら決して言わないだろう言葉を腹の底から押し出した。


「それにしても短い、早漏に過ぎる」

「……所詮、穴に突っ込んだら出すとしか考えられない童貞の浅はかさよ。女をいかせるのに俺なら三分もあれば十分だ」

 そう答える大島の目からは、ほんの僅かだが動揺の光りを感じた。

「お前、すっきりした顔してたじゃん」

「馬鹿か? 自分もいかないでどうするんだ?」

「一見正論だ。だが卵が先なのか?、鶏が先なのか?」

「そもそも卵は鶏じゃねえ、鶏という種が誕生したのは卵から鶏が生まれた時点に決まってるだろう。何を馬鹿な事を言ってやがる?」

 予想もしなかった方向に話をそらしやがった。


「早漏を補うために、それほどの技術を磨いたとは……」

 そろそろ、他の客達も俺と大島のやり取りに耳を傾けているようで、そんなコメントちらほらと聞こえてくる。

「高城ぃ、テメェ人聞きの悪い事を抜かしやがって!」

 そう凄んでくるが──

「三分は早いよな」

「牛の交尾よりは長いな」

「そんなに早く女をいかせる必要はないよな」

「作業じゃあるまいし、女はもっとじっくり可愛がるもんだろ」

 世論は一気に俺に傾き始めていた。


 しかしそれを大島は力尽くでねじ伏せる。もちろん周囲の奴らを叩き伏せるとかは流石に無しだ。

 銅貨を両手の親指と人差し指でつまむと、そのまま左右の手を逆に捻ってねじ切ると床にポイ捨てする。周囲を凄い笑顔で見回しながら銅貨を半分にちぎって捨て続ける大島に周囲は目を逸らすと、無言で自分達の前の食事に没頭し始める。

 日本人よりも平均身長が十センチメートルは低いこの世界の住人が百八十五センチメートル以上ある上に、筋肉特盛状態である大島に凄まれたらこうなるよな……日本でも同じ結果だけど。



「ほう、チャンコロがお前らの身柄を狙って動いてると……身の程知らずめ!」

 朝っぱらからお代わりしたエールをあおり、追加注文した肉を喰らう……ワイルド過ぎる。

 アラフォーで最近は野菜メインのさっぱり系の朝食をとるはずなのに、システムメニューの影響で若さも取り戻したのだろう。システムメニューも余計な事をする。

 ちなみに呼吸をするくらいに自然に口にしたチャンコロは蔑称ではなく古い中国の国名「清」の人間を意味する言葉が訛ったものという説もある。

 まあ大島の場合は疑いようもなく蔑称だが、そもそも連中も呼吸するが如く日本人への蔑称を使うのでお互い様だろう。

 むしろ「相手がそうだからと言って同じレベルで罵り合うのは……」云々と綺麗事を口にする奴等こそ相手を同等とは扱わず、人間としての格が違うとばかりに、平然と相手を見下す様は深刻な差別主義者だと断言出来る。


 気に入らない相手とは距離をおき、それでも遭遇してしまった場合は、単純に「バーカ! バーカ!」と罵り合って圧抜きしているくらいの方が人として健全な関係だろう。

 しかし、どう言葉を言い繕ったところで大島が「チャンコロ」を蔑称として使っているのは間違いないが、メロン熊の様に顔面に浮き出た血管の網目で怒りの大きさを誇示している状態で「チャンコロ」は大島にすればかなり穏便な言葉なのだと思った。


 大島はいつの間にかレベル九十五に達していやがる。溜まっていたログを確認した時、思わず二度見してしまい、どういうレベリングしたんだと愕然としたほどだ。

 しかし、そこまでレベルアップし【精神】関連のパラメータ変化の設定変更を一切行っていないにも拘わらず、この有様だ。

 もしかすると……やはり闇属性の【反魂】で復活させた影響だろうか? 闇属性だぞ。他の治療魔術系は全て光属性なのに、どう考えても不吉だろ。


「一度向こうに帰ってゴミ掃除でもするか」

 既に連中を人間扱いすらしていない。流石大島、システムメニューによってレベルアップの度に正義の勇者様へと性格が改変されようともブレない人で無しっぷりだ。

『それじゃあ、襲撃してきた連中をそっちに渡すから尋問でも何でも好きにしろ』

 俺は【所持アイテム】内にいる連中でシステムメニュー持ち以外の襲撃に関わったら連中を大島へと譲渡申請すると、速攻で受領された。

 その時の大島の顔に浮かんだ深みのある表情に、俺は迷うことなく彼らのご冥福をお祈りさせて貰った。



 俺はレベル四にして、自分の性格の変化に違和感を覚え、レベル十二で確信に至った……ちなみにレベル五から十二までは一気に上がっているので、もう少し段階を踏んでレベルアップしているなら、もっと早くに自分が気持ち悪いほど善人へと性格を捻じ曲げられている事に気づいたに違いない。

 決して善良とは言えない──空手部に入り、恐怖、怒り、そして憎しみ。負の感情を性根に刻み込まれ、人格が大いに歪みまくった──俺がである。

 もしレベル九十五まで自分の異変に気付かずに過ごしていれば、いつも笑顔で挨拶を欠かさず、毎朝近所を掃除して回るような変な人になっていただろう。


 それに対して、多少丸くなった……気がしないでもないとはいえど、未だ大島らしさを全く失おうとはしない奴本来の性格の異常性に改めてゾッとする。

 同時に、大島もレベルアップを重ねれば何れは真人間を通り越してウザいくらいの正義の味方になるだろうと、高を括っていた自分の考えの甘さが一番怖い。

 最低限社会人として恥ずかしくない口の利き方をするようになるなどと夢想した過去の自分に「死ねばいいのに」と言ってやりたい。

 想像以上の揺るがぬ大島の大島らしさに、一年生達の指導を任せて良いのだろうかと不安が……いや不安しかない。


 どうするんだよ? こいつ……はっきり言って、レベル九十五に達した大島は今の俺にとっても十分に脅威だ。殴り合い以外に持ち込めば十分に勝機を望めるが、殴り合いになったら認めたくないが勝ち目は薄い……というよりそんな条件で戦うのは全力でお断りして奥の手を出すけどな。


 どちらにしても不意打ちをくらえば一撃で殺される可能性は十分にある。

 普通に考えればマップ機能により常に距離と位置関係、更にはこちらに対する敵意すら表示されている状態なので互いに不意打ちは不可能に近いはずで、更にこちらはレベル差によって各種パラメータは倍の差があり、しかも時間停止まで使えるので不可能と断言してもいいはずだ。

 しかし手品師が普通なら絶対に出来ないと考える事を、人間の認識の穴を縫うようにすり抜けてトリックを成し遂げるように、大島が俺が考える絶対という名の城壁を突き崩さない等と言えるはずもない。


「よし今日中に大台に乗せておくか。高城、手伝え」

 正気か? 今日一日でレベルを百の大台に乗せる気なのか? レベル六十までとレベル六十以上ではレベルアップに必要な経験との量が全く違うんだぞ。ましてやレベル九十五から百となれば必要とされる経験値は龍を十倒した程度では全然足りない。そうクラーケンでも狩らない限り……クラーケン?


「クラーケンを狩っていやがったな?」

 現実世界で他人の目がある状況ならともかく、今更大島に敬語を使う気はさらさら無い。。

「ああ、お前らが狩ったハイクラーケンほどではないだろうが、なかなか手ごたえのある獲物だったぞ」

「何体狩った?」

 クラーケンは間違いなく海の生態系の頂点に立つのに、そんなのをポンポン倒したら、この世界の海がどうなるか? なんて事は余り気にしていない。

 食物連鎖の底辺にあるプランクトンなどが大幅に増減するのに比べると影響はかなり限定的であり回復も早い。

 所詮生態系はベースとなる食物連鎖の底辺の量によって養われる許容範囲に収まる様に全体量が推移するのであり、逆に食物連鎖の最上位層の量が数パーセントレベルで減少しても影響は短期的には各層における量の増減が多少起こるだろうが数年で回復する程度だろう。

 また、この世界において漁業は沿岸部に限定された小規模──漁業技術や造船技術の不足以前に、海龍だのクラーケンなどが出現する海で遠洋漁業なんて考える者はいない。この世界で航海と呼べる距離を往く船は、それらを寄せ付けない手段を持つ大型の戦船だけらしい──なものであり、人の手による乱獲が無いために海に魚影は濃く、漁獲高は規模や未発達な漁業技術に対して高いので漁師達への影響も少ないだろう。

 いや、影響は出ている。昨日漁師が「最近、以前と違って成長しきった大型のが沢山獲れるようになった」と言っていたのは、間違いなく大島がクラーケンを狩り続けていたせいだ……決して、俺がハイクラーケンを狩ったせいではない。そうに決まっている。


「昨日までの五体。そろそろレベルの伸びが小さくなってきたからレベルを五上げるのには二体は倒さないとならねぇな」

「そうか……」

 それはそうだろう。オリジナルのシステムメニューを持つ俺に対して、大島や紫村達の場合はレベル六十以降はレベルアップに必要な経験値の上昇が大きくなるので、レベル九十五なら同じレベル帯の俺がレベルアップに必要とする経験値の倍近くになっている筈だ。

 ちなみに、ハイクラーケンの経験値はレベル百七十七へのレベルアップに必要な経験値を大幅に超えていたため、クラーケンを二体倒せばレベル百七十九に届く可能性が高い。

 そして【所持アイテム】内に眠るオリジナルシステムメニュー保持者を……そんな非道な事は決して思っていても口にしません……駄目じゃん!

 だが死体の方はどうだろう? 生き返らせて、奴が状況を認識してロードするよりも早く、具体的には蘇生後百分の一秒以内に再び殺す。

 いやそんな裏技めいたやり方は通じないな。しっかりFQAを質問から全て自分で作り上げてしまうような暇人が、そんな抜け穴を残しておくとは思えない……そうしっかりとフラグを立てておく、やっぱりこういうのって大事だ。


「飯も食ったし行くぞ」

 突然そう言って大島が立ち上がる。

「何処へ?」

 大島達は『道具屋 グラストの店』を知らないはずだ。ミーア以外にこの手の情報を持っている奴が居ない訳じゃないだろうが、ネットも無いこの世界で簡単に情報を入手出来るとは思わない。

「お前がハイクラーケンを狩った場所だ」

「はい?」

「分からんか? クラーケンの上位種であるハイクラーケンが独占する条件の良い猟場だ。そこの主であるハイクラーケンがいなくなれば、クラーケンが後釜を狙って集まるに決まっているだろう。ヤクザもんのシマ争いと一緒だ」

 ああ嫌だ嫌だ。何でヤクザを例えに出して説明して中学生に通じると思うんだろう? 何が一番嫌だって、そんな例えで納得出来る自分の荒んだ中学生生活が嫌だ。


「おい高城。例の空飛ぶ方法を教えろ」

「……教えてください」

「…………」

 俺の切り返しに黙り込む。以前なら同じ黙り込むでも無言で殴りかかって来ただろうから、人間として成長……もとい、人間に近づいてきたと言えるのだろう。


「何か言えよ」

 こんな全身の九十九パーセントが筋肉と骨で出来てそうなオッサンとお見合いを続ける気はないので先を促す。

「代わりにクラーケンを倒す方法をお前に教えてやる」

「いや、すでにハイクラーケンを倒したから別に必要ない」

 もったいぶった挙句に何を言い出すんだ?

「お前等のやり方とは違う方法だぞ」

「どう違うんだ?」

「殴り殺す!」

 あっ? 何を言ってるんだ。ハイクラーケンに比べれば普通の九ラーメンなど確かにキッズサイズだが、それでも全長百メートルを超える化け物だぞ……ま、まさか高等打撃法?


 高等打撃法。これは俺達空手部部員がそういうモノがあると信じてる仮定の技術。

 大島は立てて置いた空のペットボトルのスクリューキャップの受け口部分を手刀の一振りで斬り飛ばす。

 もちろん実際に手刀で斬る訳じゃなく硬い親指の爪を受け口部分の下の樹脂の分厚く硬い部分に当てる事で、あの軽くて丈夫なPET樹脂を、何かに固定する事も無く、ただ自重だけで支えている状態のペットボトルのネック部分を割ると呼ぶのが正解だ。

 しかしレベルアップ前の俺が真似をして試したが、ペットボトルが真横に吹っ飛ぶだけで、大島の様に受け口部分だけを斬り飛ばし、ボトル本体はほぼ真上に跳ね上がる様な怪奇現象は起こらなかった。


 その結果に対して他の部員達には「スイング速度が倍あれば出来そう」と言ったが、それは冗談のつもりはない。最低限それくらいの速度が無いと無理だと確信したのだ。


 だが大島が俺の倍の速度で手刀を真横に振り得る事が出来たかと言えば、そんな事はありえない。

 大人と小さな子供だったり、世界トップクラスの短距離ランナーと足の遅い肥満児だったら記録に倍以上の差が生まれる事はあるだろうが、ある程度身体が出来上がり、そしてその動作について一定以上の経験がある者同士ならば倍の差が付くような事はあり得ない。


 例えば、俺は野球のボールを時速百キロメートル位なら投げる事は出来る自信はある。ちゃんと投げ方を練習すれば、それほど時間を掛けずとも時速十キロメートル以上の上乗せする事も出来るだろう。

 一方で大島が時速二百キロメートル以上でボールを投げられるかと言えば、数ある野球漫画(フィクション)の中でもその速度で投げられるのは某緑山の二階堂君しか俺は知らない。

 それはさすがに無理だ。奴が丸一日真面目に練習しても精々時速百五十キロ程度だろう……いや、それも十分おかしいのだが。


 つまりは、大島の打撃には俺達の知らない何か別の技術がある。

 実際、部活の練習中に奴の放った腰の入っていない戯れのような軽い一振りを受けただけで部員が失神するという事がたまにある。

 特に急所や顎などの部位に当たっている様子も無いのに関わらずだ。

 その一撃に関して空手部では高等打撃法という名称が付けられ、先輩から後輩へと代々受け継がれている。


 その正体は気だと主張する奴は各学年に一人居たり居なかったり程度だが、冗談は顔の怖さだけにしておけと笑い飛ばされるのだった──部員は一部の例外を除くと全員殺し屋のような目になっている。

 しかし魔術、魔法というものが実際に存在する事を知り、更にその魔術を気合で無効化された経験から全く笑えなくなってしまった。


 発勁だと言う奴も各学年に何人かは現れる。発勁とはフィクションなどで神秘的な扱いを受ける事が多い技だが、結局は関節と筋肉を効果的に使い力を生み出し伝達する技術であり、毎日千回以上もの正拳突きを、全力で突く事のではなく常に身体の中の力の流れを意識してやり続ければ、自分なりのそれっぽいモノを見出す事は出来る。


 むしろ自分の身体の中の筋肉と関節によって生み出される力の流れを、どうやて相手に効果的に送り込むかだが、これはいきなり胡散臭くなる。

 浸透勁という言葉をたまに耳にするが、これは何となく中国武術っぽい感じがするが日本で生み出された言葉で、中国武術にはそんな言葉は無い……大島の打撃法を秘密を探るべくネットで浸透勁を調べていたらウィキペディアに書いてあって驚いた。


 俺なりに考察した結論は、物理学上、力は運動エネルギーも熱も電気も流れ易きに流れ、逃げ易きに逃げるため、人体に衝撃を加えると硬い筋肉や骨よりも皮膚や脂肪などの柔らかい部位へ、更に内側よりは動く余地が大きな表面へと向かう。

 つまり、打撃力を効果的に対象の芯へと伝えるのは難しい。


 人体は大半を水によって作られているが、水面を打った時、その速度が速いほど水面で大きな衝撃が発生して大きな水飛沫が発生する。

 上がる水飛沫の量は打撃のエネルギーの総量ではなく、速度に影響を受ける。

 同じ形状、同じ体積で質量が一と百の物体を質量一の方を速度十で、質量百の方を速度一で水面に落とす。その時の運動エネルギーの総量は共に同じだが、上がる水飛沫の高さは必ず前者の方が大きくなる。


 この水飛沫こそが相手の身体の内側へと伝わらずに失われる打撃力だと俺は結論付けた。そこにこそ高等打撃法の秘密があるはずだと。

 しかし、その場合は相手により多くの打撃力を効率的に伝えるためには拳の速度を上げない事が重要だという事になってしまう……うん、自分でも明らかにおかしな事を言っている。

 ここがネックとなり、高等打撃法の研究は進んでいない……だが、その秘密のベールがついに剥がされる時が来た!


「分かった。その方法と引き換えなら応じる」

 浮遊/飛行魔法Ver1.0前のβ版というよりもα版レベルのやつを、術式の説明無しに結論だけをシステムメニューによる情報共有で教えてやろう。どうせ大島も素直に全てを伝える気はないだろうから、それ以降は交渉になるだろうが最新版は教える気はない。


「それで良い」

 口元をにやりと歪ませて大島は応じた。

「ところで早乙女さんはどうした?」

 早乙女さんの姿どころか、表示半径三キロメートルの周辺マップに三十キロメートルの広域マップにも姿が無い。

「……山で食材採取している」

 詳しく話を聞くと、この世界の食材の旨さに止せばいいのに琴線を震わせてしまい、市場に出回る食材を手当たり次第味見するだけではなく、市場にも出回らないようなまだ見ぬ食材を求めて近辺の山を駆けずり回っているそうだ。


「山の生活が好きだからな……」

 大島をしてついていけないという表情をさせる。流石大島の先輩を長年続けてきた人だ。

「それならクラーケン狩りは一人で?」

「いや、クラーケン狩りには合流する。コリコリとした吸盤が堪らねえんだとよ……」

「流石は早乙女さんトンビガラスを除けば、イカはエンペラ。タコは吸盤と軟骨に決まってる」

 クラーケンのスケールだと吸盤も直径一メートル以上はあるのを想像するがそうではない。ある程度小さな物体をとらえるためには小さな、とはいえ直径五から十センチメートル程度の吸盤も備えている。これに隠し包丁を入れて醤油をかけて丸ごと焼くと堪らないのだ。


「こいつもだと?」

 俺の発言にうんざりだというように顔を顰める……良い気分だ。やはり一方的に大島によって顔を顰めさせられる立場より大島の顔を顰めさせる立場の方がずっと素晴らしい。



 旧式の浮遊/飛行魔法で飛ぶ大島を置き去りにして、ハイクラーケンが根城にしていた河口を抱え込む入り江へとたどり着く。

 海岸線から急激に落ち込む海底が作り出す濃い群青に染まる穏やかな水面。この数日でこの入り江を埋め尽くすほどの量のクラーケンが命を失ったとは思えないほどの美しい光景……そう思うと潮の匂いが生臭く感じて来た。


 頭を振って気持ちの悪い考えを振り払うと、スポーツドリンク用のボトルを取り出し、中に詰めた経口高カロリー摂取液ことKKKKドリンクを喉を鳴らしながら飲む。

 レベルアップによって生じる数少ない問題の中で、命にも関わるカロリー消費量の増大という致命的な問題に効果を発揮してくれる魔法のドリンクだ。


 体長八十センチメートル、体重は通常のミツバチの六万四千倍で形はスズメバチに似ているという、花粉から蜜を作る以外位にミツバチの要素を持たないミツバチが作る蜜を原材料とするドリンクであり、主成分は牛の乳を搾ったわけでも無い牛乳に似た何かで、それにエピンスが花粉から作った蜜と、数種類の果汁と数十種類の香辛料や香草を加えて作られている。

 エピンスの蜜以外は原材料の詳細については知らないし知りたくも無い。もし知って飲めなくなったら困るの自分だからだ。


現実世界の食べ物に比べると味、栄養価に優れるこの世界の食べ物だが、その中でもこの組み合わせが栄養吸収に良いと知られるレシピであり、二十四時間は戦えないが、これを飲みながらならば八時間くらいならば激しいと言えるレベルで身体を動かし続ける事が出来ると思う。


 元々はエルフ達が体力勝負の精霊術の行使で披露した身体を回復させるために滋養強壮薬としてエピンスの蜜に数種類の薬草を使って作られていた物を、ミーアが自分自身の為に改良を加え効果を高めつつも飲みやすくしたものだが、残念な事に彼女自身と彼女の妹は改良してもなおも残る苦さに飲む事が出来なかった。

 現在はエルフと独占契約を結んでおり、一部自分と妹用にエルフ達から割り当てられた分を醤油と引き換えに俺に横流ししている状態だが、生産量は一定ではないが、一月におよそ三十リットル程度入る契約を結んでいる。

 ただし自分でエピンスの蜜を入手して『道具屋 グラストの店』へ卸せば、その密使って製造された分の半分を俺が受け取る事が出来る契約になっている。



 こうして考えると、俺の異世界での交流相手ってエロフ姉妹を起点としたものしかないような。

 そうだ、他にも二号がいるじゃないか……今頃何してるのかな? うん、とっくに交流が途絶えてるよ。

 ……いやいや違うぞ。男同士の友情っていうのはそんなもんじゃない。例え何年も会わず、何の連絡も無くても、顔を合わせて「よう、久しぶりだな!」と声を掛け合っただけで、会わなかった時間なんて飛び越えてしまう。

 そして。例えその後二度と会う事が無くても友達であり続ける。それが男同士の友情ってものだ。

 問題は二号と俺が友達かという事だ。友達の後に(笑)が付くなら、間違いなく友達だ。むしろ親友(笑)なんて「親」の一文字が実に笑いを誘ってくれる。


 今頃二号は、魔物狩りで腕を磨きつつ名を上げているか、それとも昔のコネを使って仕官して軍に潜り込んでいるかだろう。

 早く名を上げるなり出世するなりして、俺に恩返しが出来るようになって貰いたい。

 最初に二号に求めていた情報や便宜はミーアとのビジネスライクな関係でほぼ得られているので二号からお返しを受けていない。

 これはいけない。二号も俺にお返しがしたくてしたくて堪らず、毎日ストレスを溜め続けている事だろう。このままでは彼の胃が持たないに違いない。

 心配だ。ああ心配で堪らない。何としても早く彼の肩の重荷をおろして上げなければならない。親友(笑)として!

 ……まあ、実際のところはどうでも良い。奴から返してもらいたいと思うようなモノは今のところは無い。かと言って心配してやるほど弱くもない。

 十年後にでも再会して、ありえないとは思うが奴が結婚して子供でもこさえていたら、親父のある事ある事吹き込んで「あるある!」と喜ばせてやれば良い。



「よう!」

 そんな小さな企てを考えていると、背後から聞き慣れたというほどではないが、かなり聞き覚えのある特徴的な濁声を投げかけられる。

「おはようございます」

 頭を下げて挨拶をする。大島はともかく早乙女さんへの礼儀を捨て去る気はない。実際この人には随分と世話になっている。無論、合宿のたびに大島の片棒を担いで我々を地獄へと突き落としてくれる、良く言って悪魔の様な人だが、大島に比べたら遥かに常識を持ち合わせているので、大島がやり過ぎるような場面ではストップをかけてくれる大島専用のブレーキのような人だ……そもそも大島に効くブレーキなんて彼以外には知らない。


 お陰で、我々はぎりぎり死線を掻い潜りこうして生きていられるので、色々と言いたい事もあるが命の恩人でもある。

「大島の奴はまだか……ところで、それは何だ?」

 俺の手の中のボトルを指さして尋ねて来た。

「まあ、栄養ドリンクみたいなものですよ。飲みますか?」

「悪いな」

 取り出した別のボトルを受け取ると、絞り出すようにして口の中へと流し込む。

「ふぅ……牛乳にハチミツってところだが、抜群に美味いな。流石異世界」

「そうですね。でも旨いだけじゃなく、今のところ知りうる限り栄養補給という面で一番優れたモノですよ」

「本当か?」

「本当です。栄養価が高く吸収性にも優れているので、これさえあれば簡単にガス切れを起こす事は無いですね」

 レベル差とさらにシステムメニューがオリジナルかどうかの差で、身体能力の上昇に関わる係数が俺に比べて小さいので、早乙女さんがこのドリンクを使えば二十四時間戦えるかもしれない。


「何処で手に入れた? まだ手に入るのか?」

「入手経路は内緒で……早乙女さんには教えてもいいんですが、教えると大島にも伝わりますよね?」

「言いたい事は理解出来る……後輩が自分の教え子に人望が無さ過ぎるのは、先輩たる俺のせいなのだろうか?」

 上を見上げてそう呟く。否定して貰いたいのだろうかチラチラとこちらに向けてくる視線がウザったかった。


 だけど否定はしないが肯定もしない。「あんたさえしっかり指導していれば大島も少しは違ったんだよ」と本心を口にしない俺は優しい人間だった。

「定期的に入手は可能ですが、一つ問題があります」

「な、何だ?」

 チラ見を無視して話を進める俺に傷ついたのだろう焦った様子で聞いてくる。


「原材料の中で一番重要なミツバチというか、蜜を貯めるとんでもなくデカいハチともいうべき奴の巣から取れる蜜が不足気味らしくて──」

「よし狩ろう! クラーケンなんて狩ってる場合じゃない! なんて言うハチなんだ?」

 必死だ。それだけ身体の燃費の悪さには頭を悩ませていたのだろう。

「エピンスという名の全長八十センチメートルクラスの蜂で、形状は話に聞いた限りはミツバチよりもスズメバチに近いようです」


 はっきり言おう、俺は虫の類が得意では無い。あの複眼が嫌だ。脚の関節が嫌だ。全体的形状が嫌だ。キャーキャー言うほどでは無いが、大きい蜘蛛を目の前にすると無言になる程度に嫌いだ。

 それが全長八十センチメートルの超特大サイズの虫となると想像するだけで胸が締め付けられる。だから早乙女さんが取って来てくれるとありがた──

「じゃあ行くぞ!」


「えっ?」

「えっ? じゃないだろハチミツを取りに行くんだよ」

「でも大島が──」

「だから大島が来る前にずらかるんだよ。ここまで来てクラーケン狩りを断ったら……奴はしつこいぞ」

 それは知ってる。しかし──

「今なら俺に急用が出来て、ついでに教え子を借りたと言えば何とかなる」

「きょ、今日は大島先生にクラーケンの狩り方を教わるという約束をしてまして」

 べ、別にでっかい蜂が怖くて抗ってるわけじゃないんだからね。俺の目的は高等打撃法の取得なんだからね。

「はぁ? クラーケンの殺り方なら俺が教えてやるから行くぞ!」

「よろしくお願いします!」

 俺は腰を直角に曲げ、深々と頭を下げた。早乙女さんが教えてくれるというのなら大島にはもう用は無い。



 自分自身のマップ機能の情報共有の設定をOFFにする。

 パーティーメンバー間のマップ情報の共有はハブとして俺を介し情報共有を行うので、これで大島のマップに情報が渡る事は無くなった。



 早乙女さんに浮遊/飛行魔法のβ版の術式を渡すと、南から接近する大島の広域マップの範囲に入らないように北上する。

 普段からワールドマップを使用してる可能性は低いので、広域マップ表示範囲外での俺達の動きを把握していない大島には俺達の足取りは分からなくなったはずだ。


 その後、王都のある西へと向かって三十分ほど移動し、ミーアから貰った情報の中にあった、エピンスの巣の発見例が十数回と比較的多くあった山近い里へにたどり着いた。


「こっちだ」

 周囲の地形を上空から見渡して少し考えた後、何か確信を得たという表情で指示を出す早乙女さんに無言で肯く。

 大島からは感じられない圧倒的な説得力。そう出来る男は瀬中で語るのだ。


「そのエピンスというハチに俺の常識が通用するなら、地形・風の流れ・日当たり、そして植生を考慮するとあの辺一帯に巣がある可能性が高い……流石に八十センチのハチとなると絶対とか言えないがな」

「それでも根拠のある指針があるだけでも心強いです」

 そもそも根拠も説明も無い大島の先輩というのが不思議なほどだ、この人の後輩をやって居て何も学ばなかった大島が酷すぎるのだ。


「働き蜂てやつは本当に働き者だ。周辺に巣があるならしばらく待てば必ず姿を現すはずだ」

「オッス!」

 ああ、うちの学校に居るのが大島じゃなく早乙女さんだったらどんなに良かったことか……まあ、無理だよなこの人は山から離れて生きていけるタイプじゃない。ある意味大島以上に問題のある人なのだ。


「あれだな……」

「あれですね……」

「しかし……」

「……デカい」

 二人して呆然とするほど大きい。確かに八十センチメートル程度なのは言われた通りだが、ハチがそれほどのサイズになると八十センチとは思えないほど大きく感じられる。


「どう見てもスズメバチだよな。ミツバチの面影が全くない」

「ええ、何処から見てもホーネット、いやのF/A-18E。スーパーホーネットと呼びたいくらいです」



「追うぞ!」

 無言で頷き、遥か上空から、後ろ脚に花粉団子を付けたエピンスの追尾を開始する。

「それにしてもあの図体でよく飛ぶものだな」

 スズメバチの中でも最大のオオスズメバチと比較しても体長で二十倍、つまり体積で八千倍だ。

 物理学者は生物の身体が大きくなると、体表面は二乗倍で重量は三乗倍になる、面にかかる圧力は重量÷面積なので8000/400で二十倍。

 つまり体重を支える皮膚や外骨格にかかる力は二十倍で、自分の重量を支えきれずに破れるので、生き物は今ある形から巨大化するのは不可能と結論付けた。

 ……あれ? それなら皮膚や外骨格の厚さも二十倍になるから耐えられるんじゃない? と思ったが、それはどうでも良いだろう。

 問題なのは飛べるかどうかだ。

 飛べるかどうかを判断するのに必要なのは、重量と翼(羽)の面積だろう。

 先程の計算と同じく、翼の面積あたりにかかる重量は二十倍になるので十分な揚力を得られない事になる。

 しかし、それは翼が固定されている航空機や、ある程度の滑空を前提とした鳥の類に当てはまる事で、ハチのように常に翼を動かす場合は体重と翼が時間当たりに押しのける空気の体積が問題となる。

 この場合、重量と体積は同じ次元なので、要するに同じ形のスズメバチと時間当たりの羽ばたき回数が同程度なら飛行に問題はないが、大きく下回れば飛ぶ事は出来ないという事になる。


「遅いな」

「遅いですね」

 スズメバチは早乙女さん曰く一秒当たり百五十回程度との事だが、エピンスの羽ばたきは八十回程度だろう。いまならシステムメニューを開いて時間停止を使わなくても【時計機能】で時間を計りながら目で数える事が出来てしまう。


「何故飛べるんだ?」

「……ファンタジーですから」

「ファンタジーか……なら仕方ないな」

 早乙女さんもわずか一日で色々と諦める事に慣れてしまった様だ。


「だが動きはトロ臭いな」

「多分、普通のスズメバチと比べて遅い訳じゃないんですが、あれだけ大きさが違うのに速度が同じくらいだと遅く見えますね」

 大きさが二十倍だとしても速度は二十倍にならないので的が大きい分倒すのは楽になるだろう。


 十分程、重たげに飛ぶエピンスを追い続けていると、眼下に数匹のエピンスが行き来するポイントを発見した。

「此処だな」

「行くんですか?」

 蜜蜂なら数千~数万匹の群れを作り、スズメバチだとしても最大で千匹前後の数となる。

 俺の想定では身体の大きさから精々数十匹と推測したが、何せファンタジーだから。

「蜂は小さいから厄介なんだ。あんなに的が大きい上に俊敏にも動けないなら一撃だろ」

 確かにあの巨体を宙に浮かせてはいるが普通の蜂のような切れのある飛び方は出来ないようだが……俺はあれを殴れるのか? いや、そもそも触れるのか?


 結論。剣で斬り殺してした。

 あれだけデカいと作り物臭さが出てきて、まるで大きな昆虫のフィギアの様であり、あまり嫌悪感を感じないで済んだ。


 しかも早乙女さんが言うように鈍重で的がデカい。しかもデカいだけに一個体が占有する空間が広すぎて同時に沢山群がるような攻撃方法がとれないので、三匹が同時に群がるとそれだけで羽と羽がぶつかり合ってしまうほどで、精々二匹しか同時に襲い掛かっては来れない。

 その為に然程脅威とは感じられなかった。

 今回の件で、俺はハチの恐ろしさは身体中にまとわり付いて刺す事の出来る、数と小ささだと理解出来た。


 その二つの脅威を持たないエピンスなど敵ではなかった。

 注意すべき攻撃と言えばスズメバチと同じく、こちらの目を狙って撃ち出す毒液攻撃だったが、飛行時に使う風防魔法は気流の制御が目的の為に、雨などの細かい液体は巻き込んで僅かだが粒子状にして内部に取り込んでしまうので毒液に対してはむしろ被害を増大させかねなく、液体を操作する魔術【操水】も四方から吹きかけられる液体を全て操作するというのは無理だった。

 しかし、今朝大島が使った収納の新しい使い方を利用し、更に島での合宿に備えて海中用ゴーグルを用意し【所持アイテム】内に入れてあったので、毒液攻撃をものともせず戦いという名の作業を進める事が出来た。



 結局、駆除したエピンスの数は十八匹。

 女王蜂を含む六十一匹を出口を塞いで巣ごと【昏倒】を掛けて眠らせたので、この巣の個体数は三桁に届かなかった。

 駆除した数が少なかったのは、勿論今後もお邪魔して継続的にハチミツを頂く為だ。


「これだけデカいハチが一つの巣に三桁も四桁もいるのなら、こんな種は滅んでるだろう。この図体では飛べる距離もそれほど長くはない。だとすれば集められる花粉の量にも限りはある。まあこれでも多い方だと思うぞ」

 確かにクマは自分に必要な獲物を獲得する事が出来るだけのテリトリーを持つが、逆に蜂にとってテリトリーの範囲が最初から決まっているのなら、その範囲で生存出来る個体数に群れは収まるという事か。流石山の男そういう事はやけに詳しい。


 中を確認するために壊した巣の上部の穴へと早乙女さんと二人して上半身を突っ込んで中の様子を確認していると遠く背後で地響きがする。しかもどうやらこちらへと接近してきているみたいだ。

 マップ機能を使えば確認は簡単だが、そうすれば大島に我々の居場所が分かってしまい、ハチミツ目的で巣を襲った事もバレてしまうだろう。


「何だありゃ?」

 背後を振り返った早乙女さんが戸惑いを隠せない様子で声を上げる。

 遅れて振り返って見ると、小山の如き黒い塊が左右に揺れながらかなりの速度でこちらに向かってくる。

「レゴヴァードナウ、ハチミツグマとも呼ばれる巨大な熊ですよ……体長は六メートルを超えるそうです」

 ちなみエピンスのハチミツを手に入れるには、この熊を巣に誘導して巣を破壊させ、熊が十分にハチミツを堪能して立ち去った後の残りを回収するという、いささか乱暴で継続的収穫が不可能な方法でしかないらしい。


「そんなデカいのは熊じゃねえな。流石にレベルアップする前の俺じゃあどうにもならんぞ」

 あれほどデカくない熊なら素手で倒す奴だって十分人間じゃねえよ。

「それを言うならこいつらだって蜂じゃないですよ」

「まあ、そうだな……うん、あいつは俺が倒す。望みのモノを見せてやるから目を掻っ穿って(かっぽじって)おけ」

「待ってました大統領! よっ大島の先輩!」

「……それは褒めてるのか?」

「いえ全く」

「だろうな」

 そう吐き捨てるようにして、熊目掛けて走り出していくのを見送る……訳にもいかず追いかける。


 四肢の爪を大地に食い込ませるようにして地響きを鳴らしながら、自分に真っ直ぐ突っ込んでくる巨熊に顔色一つ変える事無く立つ。

「良いか! 大物相手に身体の芯にダメージを通すには速く打ち込むな!」

 そう叫ぶと百メートルではなく二百メートルを十秒切るペースで身体ごとぶつかる様に熊の懐に飛び込むと、噛みつこうと襲い掛かる熊の顎を左の裏拳で弾き飛ばす……あれって首の骨折れてないか? もしかしていつもの力技?

 そのままの勢いで更に一歩踏み込んで、熊の右の首の根元というか肩というべきか微妙な位置に、打ち込むというより勢いよく正拳突きの構えのまま拳を押し当てる。


 そして衝突のエネルギーを拳の一点で受け止め、その衝撃を吸収するように肘と肩をたわめるていく。

 それはオイルダンパーが衝撃を吸収するのではなく、スプリングダンパーが受け止めたエネルギーを溜め込む様であり、同時に練習時に動きを確認するために行う正拳突きの大きな予備動作の様でもあった。


 拳を深く食い込ませながら早乙女さんの身体が熊の身体に接触する寸前、引き絞られた弓から矢が放たれるように拳が──

「ふんっ!」

 気合と共に繰り出された正拳突きは、次の瞬間には深く肘の辺りまで熊の身体に食い込んでいた。

 一瞬だけその衝撃を自らの身体で支え力を熊の身体の奥底へと送り込んだ直後、反動で早乙女さんの身体が後ろに吹っ飛び、空中でとんぼを切ると左手を地面に突いて着地する。


 一方熊は、そのまま一歩二歩と進んで三歩目で口や目、鼻と身体の穴という穴から血を吹き出し鼻先から地面に突っ込む。

 ビクンビクンと生き物としてしてはいけない痙攣を繰り返すこと十秒足らずで完全に動きを止めた。


 熊の巨体に比べれば、子供のように小さな早乙女さんは血の一滴、汗の一滴すら流していない。

 直接の死因は首の骨折のような気がしないでもないが気のせいだという事にしておく。だが首が折れて無くても確かにあの一撃は熊の身体を内部から破壊していた。


「どうだ?」

「恐ろしい技ですね」

 俺が考えたのと同じ方向性だが、遥か先を行っている。

 今の俺では同じ威力で殴ったところで、この巨体を今の様に破壊する事は出来ない。


「クラーケンを倒すのに使ったのはこいつの更に先にある技。いや業だ」

「……なるほどそう来たかって感じですが、理屈は分かっても簡単に真似出来るようなものじゃないですね」

 こいつの先があるというはとりあえず保留とするが、それ以前に幾つもおかしい。

 あの一撃のエネルギーが熊の身体の中に余すことなく伝わったとしても、あの巨体に対してああまでダメージを与えられるとは思わない。


 命を奪うには十分であったが、あそこまで肉体を破壊出来る訳が無い。早乙女さんの身体は大島を凌ぐ百九十センチメートル長身で骨太の骨格に筋肉てんこ盛りで体重は百三十キログラムを超えるだろう。

 その体重が数メートル後方に飛ばされる程度のエネルギー量。見た目だけで正確な計算は出来ないが全エネルギーが反作用に転じたとは思えないのでざっくり半分と考えても、そのエネルギーの大きさは大体エレファントライフルとアンチマテリアルライフルの間くらいだ。

 確かに大したものではあるが、これで体長六メートルを超える巨熊を倒すだけなら可能だろうが、あんな風に穴という穴から血を噴出させるなんて殺し方は出来ない。

 やるとするならば反動で早乙女さんの身体が二十メートルくらい吹き飛ばされるほどのエネルギー量が必要だろう。


 そうでなければ全身の臓器を破壊しつくすなど……臓器? そうか臓器だ。破壊するのは臓器だけで良い。

 だがどうやって臓器だけを? ……分からん。全く分からん!

 何かある。俺にまだ示していない何かがあるはずだ……しかもその先すらも。



「感謝しても良いぞ。今日大島に付き合ってたら必ずぶっつけ本番でクラーケン相手にやらされてたからな」

 こみあげてくるモノに抑えきれずブルっと身体が震えた。確かに大島ならやらせようとするだろう。そういう男だ。

「あざーっす!!」

 全力で頭を下げた……やはりこの人がいなかったら、俺は、俺達は夏冬の合宿中に死んでいてもおかしくはなかったのだ。


「ヒグマ程度が相手ならここまでやらない。拳を打ち込む瞬間に身体中の関節の動きを止めて己の肉体を一つの塊として叩き付ければ済む……先ずはそれを身に着けてから、何度も何度も生き物の身体を殴っていれば、何れは相手を中から破壊する方法が何となく見えてくるもんだ。これは口で言っても分からん。頭じゃなく心で感じろ」

 事も無げに口にするが、この人はレベルアップの恩恵も無しにヒグマ相手にそんな事をやって来た訳だ。

 尊敬……否、こいつ馬鹿じゃないの? という思いが強く胸の内に湧き上がるのは仕方がない事だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る