挿話5

 大会の閉会式をを終えて、選手達の応援の親御さん達の多くは即日飛行機で帰国の途に就いたが、選手達はホテルで一泊してからの帰国となった。

 中東諸国を中心とした大会で、中東以外の参加選手は招待選手だったために一流ホテルでゆとりのある日程が組まれていた。


「──以上、ミーティングを終了します。選手の皆さんは明日の帰国の時差に備えて早目に休んでください」

 ホテルの会議室でのミーティングという名の反省会を終えて、日本柔道連盟から派遣されたスタッフや各選手に同行した学校関係者が立ち去ると室内は選手たちだけになる。


 会議室に残っていた長家 イスカリーヤは隆に涼の優勝と自分の準優勝のメールを送ろうと携帯を操作していた。

「あれ? リーヤ、誰にメールしてるの?」

 イスカリーヤや涼にとって柔道部の先輩にあたる少女が、目ざとく突っ込みを入れていた。

「ふふ~ん、彼氏よ。カ・レ・シ」

 間違いなく隆の事なのだが、隆が聞いたら「この子は昔から妄想癖があって」と残念そうに語るだろう。


「えっ? リーヤ、あんた彼氏なんていたの?」

「結婚を前提に付き合ってるの」

 そんな事実はどこにもなく、涼が頭を抱えている。


「け、けっこん……重っ! 大体、そんなこと聞いてないし! ……うわっ勝手に陶酔して目をウルませてる! 何これ、何時ものリーヤと違い過ぎる!」

 いつもの人当たりの良いが、どこかさっぱりとした性格のイスカリーヤの変貌に少女は退く。


「先輩。リーヤは時々こうなる病気なので気にしないで下さい」

「そ、そうなの? ……ところでリーヤの彼氏って、涼も知り合いの人?」

「……さ、さあ? 多分、妄想の存在かと」

 関わりあいたくなかった涼は、突然話を振られ顔を引きつらせながら答える。


「……知ってるでしょう」

「し、知らないし……」

「そんな分かりやすい嘘で誤魔化せると思うな!」

 少女は涼に抱きつくと身体中をくすぐり始める。

「やめて……や、やめてよ……」

 そう口にしながら、くすぐったそうに普段とは違った可愛い声で抵抗する涼の姿に、同じ会議室に残っていた少年達は腰を十センチメートルほど後ろに引いた。


「それでリーヤの彼氏は誰なの?」

「リューちゃんは~リョーちゃんのお兄ちゃんなんだよ~」

 まだお花畑で魂が遊んでいる状態のイスカリーヤだったが、カクテルパーティー効果で無意識に反応し夢見心地な様子で答える。

 涼が舌打ちをするが後の祭りである。


「……涼。あんたのお兄さん? えっ? リーヤと涼は従姉妹だから、涼のお兄さんとリーヤは従兄妹……従兄妹同士で付き合ってるなんて……何かぐっと来るわね」

「馬鹿だ。ここにも馬鹿がいる」

 思わず涼が呟くと周囲も頷いた。


「何、何? 涼のお兄さんってどんな人? 格好良いの?」

「べ、別に、ただの軟弱な奴だから──」

「違うよ。リューちゃんは強くて格好良くて優しいよ」

「えっ、格好良いの? どんな人?」

 格好良いの一言に他の少女達も集まって、イスカリーヤを囲む。


「強いって、何か格闘技とかやってるの?」

「空手部で主将をやってて、とても強いの~」

「なんだ空手かよ、あんなの実践的じゃないな」

 うっとりしたように答えるイスカリーヤに、一人の少年が馬鹿にしたかのような口調で話しに割り込む。


 この少年、実はイスカリーヤに惚れている。小学生の頃には全国大会で顔を合わせたこともあったが、二年ぶりに今大会で再会し美しく成長した彼女に心を奪われてしまったのだった。

 そんな彼女に既に彼氏がいると知って、到底心穏やかでいられるはずが無かった。


「強いよ。それに柔道のルールで戦ってもここにいる誰よりも強いから」

 隆が聞いたなら「そもそも柔道のルールを知らんがな」と答えそうな事を、きっぱりとそう言い切った。


「そいつ幾つなんだよ?」

「リューちゃんは中三で、八月で十五歳よ……そうなったら結婚出来るまであと三年」

「ふざけるなよ! ここには俺を含めて、この年代で日本でトップの連中が集まってるんだぞ。同じ中学生が俺達より強い訳が無いだろう!」

 惚れた女が、自分が惚れる以前に既に他の男に心奪われていたとしても、いや奪われているからこそ柔道だけは負けるわけにはいかなかった。


「強かったよ。試しに空手部の人を投げてやろうとしたら、逆に簡単に投げられたんだから!」

「それはお前が油断しただけだろうが!」

「油断なんてしてないよ! 空手部の一人を好きに投げても良いって言われて、さすがに腹が立って、でも誰もその人が怪我をする心配をしてなくて、むしろ私が怪我をすることを心配しているみたいで、馬鹿にされてると思ったから、その人とは別の人が油断している所を投げてやろうと本気で行ったら、逆に手を取られて手首を捻られて、折られないように自分から跳ぶしかなくて……」

「……マジかよ?」

「私だって真剣に柔道に取り組んでるんだよ。こんな事冗談でも言わないわ!」

 イスカリーヤの言葉に、それまで騒いでいた柔道少年少女達は声を失った。


 しばしの沈黙の後、それまで騒ぎに加わっていなかった少年の一人が声を上げる。

「……そういえば、高城ってS県出身だよな?」

「そう」

「…………もしかして友引市?」

 涼は頷いて答えた。

「………………兄貴の中学って友北中?」

 涼は答えずに視線を逸らせた。


「……………………本当に友北空手部かよ」

「何だよ友北空手部ってのは?」

 最初にイスカリーヤに絡んだ少年が声を荒げて尋ねる。

「長家の言ってる事は、本当かもしれない……」

「だから何なんだよ。その友北空手部ってのはよ!」

「分かんないよ! そんなの俺にだって! ……噂だよ全部。全部、信じられないような噂ばかりだよ」

「……どんな噂だよ?」

「例えば彼等と道で出くわすとヤクザは土下座して五分間、そのまま動かないとか……」

「そんな馬鹿な……」

 ちなみに半分は事実で、無謀にも大島にちょっかいをかけたヤクザがボコボコにされた挙句に「今後俺の顔を見かけたら、例えどんな状況であろうと、その場で土下座して自分が立ち去るまで絶対に顔を上げるな。もし上げたら、その中身が空っぽなお前の頭で考えに考え抜いた最悪な状況の十倍以上な目に遭わせてやる」と脅しつけられて、それを未だにそれを守っているヤクザが十人以上いるので、月に一回は友引市のどこかでその光景が見られるのだった。


「他には、毎年冬には雪山の奥に一人ずつバラバラに捨てられてサバイバル訓練をさせられるとか、三年生は卒業までに熊を素手で倒さないと留年させられるとか……」

 前半は事実だが、後半は事実無根だった。


「熊はともかくサバイバルは空手に全く関係ないだろ。出鱈目ばかりじゃないか! 大体、何処でそんな与太話を聞いたんだよ」

「友北中空手部の話は、俺達が小学生にテレビでも流れたニュースが元になってるんだよ」

「どんなニュースだよ?」

「今から六年前に、S県の工業高校が手段暴力事件を起こして大量の逮捕者を出したって話を憶えてないか?」

「いや……俺は憶えてない。誰か知ってるか?」

「確か、その事件が原因で高校自体が廃校になったんだよな」

「そうだ……確か百人以上の逮捕者を出したとか」

「百人以上って一体何が?」


「実際の逮捕者の数は百五十人近くだったらしいよ。その人数で友北中空手部の卒業生七人に返り討ちにあったというのが事実らしい」

「……はっははは、それは幾らなんでも嘘だろ」

「そう思うだろ? でも俺の実家は群馬だけど、友引市とは十キロちょっとしか離れてないんだよ。だから結構あの町の噂が人伝に入ってきてさ、どう考えても嘘とか思えない話ばかりなんだ。武器を用意してきた工業高校の連中に対して七人は素手で、しかも連中から家族や友人知人への危害を匂わせる脅迫状があったらしくて、それで七人は逮捕されず工業高校の連中だけが逮捕されたって話だけど、実は友北中空手部の指導者がヤクザだけじゃなく警察にも睨みの利く人物で、そのお陰で逮捕されなかったとか、工業高校のOB達が関係する暴力団がその後いくつも壊滅したとか、地元の政財界の大物に口を利いて工業高校を廃校にさせたとか、そんな噂が幾つも流れてくるんだ」

 細かいところはとにかくとして、大筋で事実だった。


「く、くだらない。所詮は噂じゃないか! 俺は認めないからな!」

「そこまで言うなら試しに勝負でも挑んでみれば良いじゃないか、そうすればハッキリする。試してみてくれよ」

「……やってやるよ! 日本に戻ったら練習休んででも行って試してやるよ!」

 男には決して退けない一線が存在する。必ず後になって退いておけば良かったと後悔する。そんな一線が心の中に引かれているのだ。

 そして少年は果てしない後悔という名の海を越えて大人になる……大人になれるかどうかは、この件を無事に生き残れるか次第だが。


「そして長家! お前がそいつに惚れたというのが気の迷いだったという事を証明してやる! この俺の手で!」

 そう叫んでふりかえると、イスカリーアは他の少女たちとキャピキャピと恋バナに興じており、自分の事など見向きもしていなかった事を知るのである。


「それでね~、この間、涼の里帰りについて行ってね~久しぶりに会ったの。昔は年に一度は北海道に来てくれたんだけど、中学に入ってからは部活で忙しくて来てくれなかったの」

「もしかしてリーヤが東京の学校に来たのも、もしかして?」

「うん、夏休みとかに会いに行けると思ったの」

「ああ、もう健気で可愛い!」

「涼。どうしてお兄さんの事を黙ってたのよ?」

「いや、あれは──」

「自慢のお兄ちゃんを私に盗られるんじゃないかって心配したのよね」

「だからそれは無──」

「あ、あの~君達、僕に三分だけ時間を貰えませんか?」

 少年が頼んだが、三分で済まなそうなので断られましたとさ。

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