第91話
目を覚ます……今日は一度家に帰ってから学校に行く準備をしないとならないからいつもより少し忙しい。
ベッドから降りると、一人ずつ【所持アイテム】……櫛木田の【アイテムボックス】にしても生きた人間も収納しているのに『アイテム』は無いな。その内、いい名前を考えておこう。
あいうえおの五十音順に並んだリストの上から順番に香籐、櫛木田、紫村、田村、伴尾と選択して床に転がしていく……一番最後の伴尾を選択する時、一瞬、本当に一瞬だが空に向けて射出したらと思った自分が怖い……何が怖いって、楽しそうだなって思ってしまった自分がだよ。
「オラ起きろ! ……」
華麗にするされたので、伴尾から田村へと順に腹を踏んで歩いて行くと、抜け目なく紫村はすぐに起きたので、田村の腹の上で踏み切って紫村を飛び越えると櫛木田の腹の上に着地した。
「ぐぇっ!」
漫画じゃないので寝ている人間の上でこんな真似をしたら下手したら死ぬが、何と言っても既に人類よりアクション物の漫画の登場人物に近い存在に成り果てた櫛木田は、潰されたヒキガエルのような音を立てるだけで済んだ。
「降りろ……良いから降りろ……さっさと降りろ」
足元から聞こえる怨嗟の声に、次の香籐へと思ったら既に目を覚ましていたので床へと降りる。
「テメェ……普通に起こせないのか?」
完璧に寝入っていて腹筋に僅かな力も入っていない状況で俺の全体重+落下の衝撃が伝わり──勿論、余すことなく全て伝えるために、着地の瞬間に全身の間接を運動ベクトルの方向に素早く真っ直ぐに伸ばし、間接部分でのエネルギーの吸収を排除するだけではなく伸ばす時のエネルギーも加える──レベル六十オーバーの肉体にも十分にダメージが通ったようで何よりだ。
「最初は普通に声をかけた」
「お前には最初と最終手段の間に何か無いのか? ……おいおい、何を不思議そうな顔をしてるんだ?」
「いやだって、まだ最終手段は出してないから──」
「さっきので十分最終手段だ! アレで起きない奴はただの屍だから」
「俺の最終手段は屍すら起こす!」
……嘘だけど。
結局三泊もすることになっただけに、そこそこ量のある荷物をまとめていると携帯にメールの着信が残っているのに気付く。
「何だイーシャか……」
「イスカリーヤさんがどうした?」
櫛木田~相手の小さな呟きは、自分に話しかけられたものじゃないと判断して聞き流す配慮をしろ……ただし俺は除く。
「俺にも見せろ!」
食いついてきた櫛木田と田村に「分るだろ。お前達には何の関係も無いことくらい。クラスの女子とでさえ、宇宙の端と端位の隔たりがあるのに、年下で学校も違い、そして一度しか会った事の無い女子とお近づきになれるかどうか、そんな事を俺に言わせる気か?」と告げる。
俺自身の胸をも抉る悲しき正論に、二人は膝を突いて崩れ落ちる。
「で、でもちゃんとお話したんだ」
分るぞ櫛木田。お前もクラスの女子とは必要事項の連絡くらいしかした事が無いんだよな。私的会話なんてのをしたのは……遠く、遠く……遠すぎて心が凍り付きそう。
それに比べたら、普通に会話をした歳の近い女子としてイーシャに親近感を抱いちゃったんだよな? ……だが絶対にイーシャには近寄らせねえよ!
「手だって握ったんだ」
わ、分るぞ田村。フォークダンスで俺と踊る順番が来た女子が怯えたように「ひっ!」と短く悲鳴を上げたのは、お前も同じなんだよな? ……後で、イーシャを投げた時に掴んだ手の感覚を忘れるまで殴ってやるからな。
「だがそれらを全てひっくるめて言おう。お前らには縁が無いからな!」
「な、何故そんな事が言える!」
「そうだ。お前が判断する事ではない!」
「何故だ? 俺が判断する事じゃない? ……違うな、俺がお前等はイーシャには相応しく無いと判断して排除するからだ。イーシャとお近づきになりたいなどと戯けた事を抜かすなら、俺の屍を越えてみせろ!」
そう啖呵を切ると同時に、背後から襲ってきた一撃を振り返ることなく上体を前に倒して避けながら、後ろ蹴りとも呼べない左足をすくい上げる動作で股間を一撃する。
「……な、何故……分った」
股間を押さえながら脂汗を流しながら聞く伴尾に一言。
「マップは常に視界の端に出しておけ」と言い捨てる。
「どうする? 戦うか尻尾を巻くか?」
「今更、俺達が死ぬ事を怖れると思っているのか?」
「……なるほど、それがお前達の遺言なら、死をも怖れぬ勇敢な馬鹿と墓標に刻んでやるよ」
日本の墓は土葬の欧米と違って個人、個人の墓じゃないから意味不明だし、何より犯罪だからやら無いけど、何か良い方法を考えてやらなければならない。
「ちょっと待て! 何故そうなる?」
「これから死合うんだろ。死んだら墓に入るのは当然だろう。まさか遺骨は海に撒いてくれとかロマンティックな事を考えてるのか?」
いや櫛木田なら十分にありえるな。
「俺達が死んで墓に入る事が前提なのがおかしいだろう」
「何を言ってる? 俺と本気で戦う=お前等死亡。これは動かしがたい宇宙の法則だろう」
「そんな法則は無いし、俺達の生き死には宇宙規模にまでスケールを広げて語る事か?」
「確かにお前達の生き死ににそれほどの価値は無い。だがこの俺が初めて自分で手に掛けた者達としてなら歴史の片隅に名前が残るかもしれない」
「……こ、殺す気満々!?」
「しかも俺達は始まりに過ぎない?」
「ここは伴尾だけで勘弁してもらうしか」
櫛木田の言葉に田村は肯くと、未だ自分の脚で立つことが出来ない伴尾を見捨てて逃げ出すのだった。
「高城……高城君……高城さん」
「何だい伴尾君?」
俺が優しく笑いかけてやると震えながら「ロードはしてくれるんだよな?」と聞いてきたので「セーブはしてやる」と答えた。
「亡き者にする気だろ!」
「墓標に刻んでやると言っただろ……まさか冗談だとでも思っていたのか?」
「お前、あの子の事が本気で……?」
「早合点するな。考えても見ろ。万が一、お前とイーシャが結ばれたら……」
「む、結ばれたら?」
想像をして鼻の下を伸ばすな。
「……俺とお前は親戚だ」
「良く分かった。どんなに可愛くてもあの子には手を出さない。神に誓っても良い……神なんて信じてないけど」
伸びた鼻の下が一瞬で元に戻る。
間違いなく本気だ……どういう判断基準なのか自分でも分からない。
「そう奴等にも伝えておけよ」
「ああ、分かった……だが田村は良いとして、櫛木田がどう判断するかは分からないぞ」
「分からなければ、分かるまで殴る。それが俺達の流儀だろ」
「……それは大島の流儀だよ」
おっと俺とした事が、どんどん大島化が進行している。そろそろ本気で何とかしなければ……次のレベルアップに備えて【精神】の各パラメータのレベルアップ時の固定を解除しておくべきか?
「主将。結局どういうメールだったんですか?」
「大会で従妹と妹が階級は違うが銀メダルと金メダルを獲ったという報告に、おめでとうと返信した事への返信というか、これって永遠に途切れないのか?」
「それはおめでとうございます」
「ありがとう」
「それからメールは相手が途切れさせたくないと思っているなら、自分から切らないと途切れませんよ」
「そうだよな……」
「お前! 俺達には頑なに教えなかったくせに。どうして香籐には!」
そこへゴキブリのような回復力で立ち上がった伴尾が噛み付いてくる。次からは簡単には回復しないようにきっちりと潰しておくべきだな……想像しただけでキュッとした。駄目だ俺には無理かもしれない。
「……なあ紫村、何か不思議な事があったか?」
「さあ? 僕にも分からないよ」
「だよな、こいつ等三人に駄目で香籐ならOKな事はあっても、その逆ってかなり稀なケースだしな……伴尾、何が気に入らないんだ?」
そうだな、敢えて言うなら三馬鹿にマルの散歩を任せる事は出来ても香籐には任せられないってことくらいだ。
「ぐ、グレてやるっ!」
徹底的に後輩との間に扱いの差をつけられて、傷ついた少女のように目元に涙を浮かべて走り出す伴尾……嫌なものを見てしまったよ。
『今日は朝もゆっくり?』
『ごめんねマル。今日は俺達を見張っている人達がいるんだ』
今日は振り切られても大丈夫なように、散歩道のコースの先の先まで予め人員を配置しているようだ。プロなんだから当然といえば当然な対処だが、無駄に労力と予算を費やさせてしまい申し訳ない。
『狙ってる? マルとタカシの事狙ってるの?』
軽く毛を逆立てて警戒するように周囲を見渡す……マップ機能を使う事は何故か憶えてくれない。それだけ犬としての感覚に誇りを持っているのかもしれないが、単に考え過ぎのような気がする。
『いや違うよ。むしろ他の人が俺を狙わないように守ってるんだけど……』
『じゃあ、良い人? マルと遊んでくれる?』
一転、期待に尻尾を振り振りと……誰とでも遊びたがる子だから番犬の適正はゼロだよ。
『無理じゃないかな? 彼等は一日中、俺の回りに変な奴が近づいて来ないように見張ってるから』
『一日中? 凄いね。誉めてあげないと』
良い歳した大人が犬に誉められる光景を想像すると腹筋が痙攣する。
『?』
腹を押さえて呼吸を乱す俺にマルは不思議そうに首を傾げた。
「ところで高城──」
『お前は【伝心】を息するように使いこなせるようになれと言っているだろう。黙って田村、伴尾としりとりをしていろ』
普通に声をかけてきた櫛木田に説教をかます。三人は未だに誰か一人に対して話しかけるというのが出来ずに【伝心】を使える全員に話しかけてしまうので練習をさせている。
俺達の他に【伝心】を使えるレベル六十以上に達したシステムメニューのユーザーはいないとは思うが、万が一の為に送受信において相手を限定して使いえるようになって貰わなければ困るので、現在は三人の中だけで使えるように【伝心】でしりとりをさせている。
『高城め偉そうに』
『大島亡き後は高城の独裁体制かよ』
『覚えてやがれ』
暫くは大人しくしりとりで練習しているものと思えば、どうやら俺の悪口をしていたようだ。しかも悪口に夢中になって制御が甘くなって駄々漏れだよ。
『……お前等、来週は龍を倒すまで帰れまテンの刑に処する』
『ちょっと待て意味が分からない』
『先ずは、お前らの【伝心】での会話は途中から駄々漏れになっていた事。そして会話の内容の事。その罰として来週は龍を倒せるまで何度でも死んでロードを繰り返す刑に処すといっているんだ』
死刑宣告よりも酷い話である。
『デッドコースターより酷くない?』
『あっちは一度死ねば済むからな』
軽口を叩ける程度には死に慣れてきたようだ。むしろ俺自身の死に慣れしてない事が不安になってくる。
自分の死が避けがたいと思った時に、俺はうろたえる事無く最後の瞬間までやるべき事をやり遂げる意思を失わずにいられるだろうか?
葉隠に『武士道と云うは死ぬ事と見付けたり』とある。これは単に死を美化した言葉ではなく、武士として恥じる事無く生きたいという理想であり、そのためには『武士とは常に死と向かい合う覚悟して生きる者だ』という意味だと俺は勝手に理解している。
だが俺自身が死に対して思うのは「死ぬのは嫌だけど、犬死はもっと嫌だなぁ~」というぼんやりした思いである……だって武士じゃないから。
厨二病患者特有の自分の死に特別な意味を持たせたい的な思いに基づく、殺されるとするなら最後に相打ちには持ち込みたいという欲だ。
これは大島の教育という名の肉体と精神の改造によって、中学生にして既に、死というものは決して遠くにあって自分には無縁な存在では無いと悟ってしまっているせいだ。
ランニングの終了後、紫村邸で朝飯をご馳走になってから、俺はマルと共に久しぶりの我が家へと戻ってきた。
「おはよう隆」
色々とあって寝不足気味のマルがお気に入りの毛布の上で身体を丸くして眠りに就いたところへ兄貴が眠たそうに目を擦りながら居間に入ってきた。
「おはよう……朝の目覚めの爽やかさが欠片も無いな」
「ああ、誰も居なくて静かだから勉強が捗るから、つい寝るタイミングを外したんだ……」
答えながらも、大きく開けた口に吸い込まれそうなくらいの欠伸を漏らす。
県内一の進学校である大安高校においてすら成績はトップクラスらしく、誰もが知ってる東京のアノ国立大学の志望する理系の学部・学科は模試判定もAであるそうだが、いつも寝る暇を惜しんで勉強しているイメージしかない。
兄貴こそシステムメニューでレベルアップしてやれば、世界を変えるような発明でもしてくれそうな気がするが、致命的に運動神経に難のある兄貴がレベルアップに到るイメージが沸かない。
勿論、俺がパワーレベリングしてやれば、兄貴は何もしなくてもレベルアップ可能だが、最初くらい自分でレベルアップしろよという考えがある。
強い意志を持ち正義感に裏付けされた行動力もあるが、どうにもこうにもフィジカルが貧弱なのだ。
「そんなに必死に勉強しなくても受験は大丈夫なんだろ?」
「ああ、そうだけど。何ていうか勉強していると落ち着くというか、趣味だな」
「駄目だ……疲れているのか幻聴が聞こえた」
ちょっと眩暈もした。今日は学校を休んだ方が良さそうだ。
「幻聴は良いけど、お前も明日は中間なんだろう。今回の件で遅れた分は取り返したのか? 今年は受験生なんだから進学の事もちゃんと考えないと──」
流された挙句に、オカン全日本代表クラスのような小言が来た!
「だ、大丈夫やで、期待したってや?」
「何故、そんな怪しげな関西弁を?」
「別に、何となく……」
空手部の朝練が無いと俺も時間に余裕を持って教室に入る事が出来る。出来るのだが早目に教室に入ると俺がいることで教室の空気が重いです。
「明日のテストの山を教えてくれ山を!」
「安心しろ。国語と英語以外はたった一月半分の授業の内容しか出てこない。いうなれば全部が山だ」
所詮校内テストだから数学も理科も社会も範囲内の教科書の内容しか出てこない。問題は漢字や単語を除けば、それまでの積み上げで勝負するしかない国語と英語だろう。
「役に立たねぇ!」
そう吐き捨てた前田の顔を正面から鷲掴みにすると、そのまま軽く机の天板に叩きつける……結構良い音が鳴り、教室がざわめく。
「痛ぇな! 謝罪と賠償として山を教えろ。教えろ! 教えろ!」
机の天板の端を掴むとガタガタと上下に揺すりながら連呼する……ウゼェ。俺だけでなく周囲からもその声が漏れる。
「あのな、教科書を見ながら授業の時の様子を思い出して頭に思い浮かべろ。そうすれば時折、黒板に書きながらこちらを振り返り『憶えろよ、憶えろよ、憶えないとテストに出しちゃうんだからね』と鬱陶しい視線を投げてくる箇所があッたはずだ。それが山だ」
「教科書を見ながらそんな事を思い出せるか! 大体教科書関係なく思い出せないよ」
再び鷲掴みにすると、先ほどよりも少し強めに叩き付けた……そうだよね。授業をきちんと聞いてたら今頃困ってるはずも無いよな。
『タカシどこ?』
3時間目の国語の授業中、心細げに俺を呼ぶマルの想いが伝わってくる。
『起きたの?』
『うん起きた。タカシはどこにいるの?』
『学校だよ』
『学校……じゃあお母さんは?』
『母さんが帰ってくるのはまだだよ。俺が帰ってきた後になるよ』
『タカシ早く帰って来て』
『それは難しいな』
『じゃあマルが学校に行く!』
『駄目!』
『う~マルはタカシが居なくて寂しい。タカシはマルが居なくて寂しくないの?』
『でも母さんが居たら寂しくないんだよね?』
『うん、お母さんが居たらマルは寂しくない。嬉しい!』
『結局マルは俺がいないからとか母さんが居ないからじゃなく、独りで居るのが寂しいんだよね?』
『……あれ?』
『じゃあ、そういう事で、大人しく留守番しているんだよ』
『えっ? えっ? タカシ、タカシ~!』
マルからの【伝心】の着信をOFFにする。
動物は人間と違って心が綺麗とか抜かす頭の中がお花畑な阿呆が居るが、単に取り繕う事無く率直に態度に表すだけで、むしろ自分勝手で打算もある。それはマルも同じだ。
今まで以上に自己主張が出来るようになったマルには空気を読むことを憶えさせておく必要があるようだ。
「高城」
給食時間が終わり、マッタリと午睡でも決め込もうか……いやいや、そのまま夢世界に飛ばされても面倒だから、どうしようと目を閉じて悩んでいたところにクラスの女子が声を掛けてきた。
これが普通のモテナイ君なら、勝手に期待感に胸を躍らせ盛り上がる事が出来るだろうが、筋金入りのモテナイ君である俺は、どうせ何か良からぬ話だろうと最初から諦めがついている……甘い希望とは残酷な幻影だ。何度も心が擦り切れるまで裏切られればこうなる。
「どうした?」
「詳しい事は分らないけど、あんた達の空手部のせいで北條先生が職員室で叱られていたわよ」
椅子を蹴って立ち上がると職員室に向かう……慣用表現とはいえ、自分が座っている椅子を蹴って立ち上がった人間が人類史上存在するのだろうか?
職員室のドアの前に来ると、二年の学年主任で英語の村山がキャンキャンと吠えているのが聞こえる。
耳を澄ますと明らかに北條先生を弾劾している急先鋒は、三年の学年主任で生活指導を兼任する赤原 力(つとむ)だ。
こいつの渾名はアカハラ・パワハラ。またハラスメント先生。本名をもじった渾名かと思うだろうが、そうではなく純粋に奴自身の振る舞いにあやかってつけられた名前だった。
名に負けぬ生徒へのアカハラと、立場の弱い若手の教師へのパワハラを得意とする糞教師だ。
授業が始まる五分以上前に教室にやってきて勝手に授業を始めて、遅れた生徒へ「五分前行動は当たり前だ」と意味不明な説教をし、体罰を加えて悦に浸り、そのくせ自分は、授業時間が終わって準備時間に入っても授業を続行し、さらに次が若手の教師の授業なら、次の授業が始まる時間になっても続けるという頭のイカレた事を平気でするので、生徒や若手の教師からは蛇蝎の如く嫌われている……といえば蛇や蠍から訴えられても仕方なく、また裁判で勝てる自信が無いほどだ。
他には「そんなので社会に出て通用すると思うな」を口癖のように繰り返すのが口癖なのに、ある時は自分で曜日を間違ったのだか授業時間になっても教室に現れず、嫌われ者のこいつを呼びに行くような物好きも居ないので、そのまま自主的な自習にしたのだが、休み時間に教室に乗り込んできて「何で呼びに来なかった」と怒鳴り散らすような真性のキチガイだ。
社会に出て仕事で会う約束をすっぽかし、どうして呼びに来なかったと相手を責めるのが、こいつにとっての『社会』なのだろう。
何でそんな馬鹿げた事が言えるのか? それは簡単な事だ。教師とは基本的に社会に出たことが無い世間知らずの人間だからだ。 大学を卒業してそのまま学校に戻って来た奴に社会経験なんてあるはずが無く、社会人としての常識を求める方がどうかしている。
それなのに馬鹿な教師はその事に気づこうともしない。
ベニザケと同種でありながら、川で生まれて海へと出ずに川で育ったヒメマスが海を語るようなものであり、奴等が口にする『社会』とは妄想の中の存在に過ぎない。
そんな赤原が取り巻きと一緒になって、北條先生へ「校外で個人的に空手部の部員達に勉強を教えるのは職務違反だ」「他の生徒への差別だ」とねちっこく詰っているのだ。俺の腸が煮えくり返るのは当然の事だった。
「失礼します!」
敢えて大きく声を張ってから職員室に入る。
「高城」
北條先生を取り囲んでいた教師達が気不味さを押し殺せずに俺の名を漏らす。
このまま、糞教師どもを逆に吊るし上げて黙らせることも出来る。
何せ俺達は一週間もの間、政府によって身柄を事実上拘束されていたのだ。
その分、文科省を通じて学校には俺達の学習の遅れを補うために補習を行うように指示すると言われていた。
しかしその補習は、先週全く行われなかった。俺達はむしろ面倒な事が無くて良かったと一年生達を扱くのに力を注いでいたのが、今回の件につながったのだから北條先生には申し訳ない事をしてしまったと思う。
だが学校側は文科省-教育委員会のルートで届いた通達を無視したという事であり、学校の責任者であり通達を握り潰せる立場にあったのは校長と、校長以上に学校を牛耳っている赤原以外に存在しない。
そこまで大島、しいては部員である俺達まで学校から嫌われていたのかと正直笑える。
元々この学校と大島を含めた教師には、北條先生以外は全く期待をしていないので何と思わなかったが、馬鹿教師共が北條先生に迷惑をかけるというのなら、この件をほじくり返して大きな問題としてマスコミにもリークさせてやるのも一つの手ではあるが、そこまでやってしまえば北條先生が教師の間で孤立して、この学校に居られなくなってしまうだろう。
そこで俺は標的を最高責任者である校長と赤原に絞ることにする。
「学校で教師が教師をイジメか、所詮は人間はイジメと言う素敵な遊びからは逃れられない下種な生き物って事だ……ああ下種諸君は自らを卑下する必要はない。君達の行動は実人間らしい。何一つ『人』として恥じ入る必要は全く無い。どうぞ思う存分、自分達の日頃の鬱憤を美しき生贄にぶつけて、己の人間らしさを再確認するが良い」
馬鹿でも疑いようの無い挑発。これで怒り恨み、そして殺意。不の感情が全て俺に向くなら結構な事だ。
今更内申点など気にしてはいない。元々学力を重視する進学校ほど、学校ごとにバラつきのある内申点は然程重要視していないので、本番の試験で文句の付けようの無い高点数を叩き出してやれば良い。
むしろ、不当に俺の内申点が低ければ高校側も来年以降はこの学校の内申点の付け方自体に疑問を抱くようになるだけだ。
今年の受験は、空手部三年生全員で大安高校を受験して全員満点で合格し、より強くこの学校の内申点の付け方のいい加減差を強調してやるのも良いだろう。
そうなれば狭い教育と言う世界において良い話題になるだろう。この学校は市立だが市内の中学校への移動もあるのだから新たな職場ではさぞ居心地は悪くなる事だろう。
だが他の教師達とは違い、校長には正式な処分が下されるだろう。退職後のお楽しみで墓まで持って行きたいだろう瑞宝双光章の授与も永遠にお預けにしてやるために、職員室内をそのままスルーして奥の校長室へと繋がるドアへと向かう。
廊下から直接入れるドアを使わなかったのは、当然嫌がらせだ。
ノックもせずにノブを捻ると勢い良く押し開く。
「やあ校長。こんにちは」
友好的ににこやかに表情を作って挨拶する。その声はレベルアップによって一万の大台に乗った肺活量を生かした、大音声でありながらもオペラ歌手のように朗々として広く響く。具体的に言うとこのフロアの廊下に居る生徒達には聞こえてしまうだろう……それが狙いだけど。
「な、なんだね君は! 失礼じゃないか」
「失礼も糞もありませんよ。ちゃんと仕事をしない公僕へ一市民として説教をくれてやるために来ただけですから」
「せ、生徒の分際で何を」
「生徒の分際? 仮にも公僕である教師がそれは不味いんじゃないですかね?」
実際、教育というサービスで生徒に奉仕するの立場の人間でありながら、奉仕される側の上に立つというおかしな関係が便宜上認められているのは教育現場以外にはそれほど多くは無い。
無論それは教師への尊敬の念に基づく恩師・生徒という関係があってこそであり、尊敬に価しない人間が一方的に他者に尊敬を強要するのは醜く恥じるべき行為だ。
つまり俺の価値観において校長は醜い。もうどうしようもないほど糞野郎である。何故なら根拠の無い尊敬を求めてくるのは大島と同じだからである。
お前の何処に尊敬される余地があるのかと恨みしかねぇ! 俺の青春を返せ! この人でなし! ……ちょっと冷静さを失いかけた。
「いきなり入り込んできて、そのような暴言を吐くなどと立場を分かっているのだろうな!」
他人を下に見た上での高圧的な態度。同じ公僕の父さんが「明らかにおかしい態度をとる人間にも公務員は、いきなり『いいえ』は言わず『はい』からの『いいえ』と言わなければならない事が時々辛い」と言っていたのとは真逆だ。
校長の中では自分はさぞかし偉くて立派な人間なのであろう……図々しい奴だ。
「正論が暴言に聞こえるようになったら人間お仕舞いだ。よくもまあ校長なんて立場に立てたものだ。その厚顔無恥にあきれ返るしかない」
「き、貴様。覚悟は出来てるんだろうな」
これだけ自尊心を肥大させた人間が、自分の四分の一程度しか生きてない俺にここまで煽られて冷静で居られるはずが無い。大島張りの見事なメロン熊へ顔真似だった。
「覚悟をするのは自分だろう。市の教育委員会から学校へ、俺達空手部部員が休んだ授業の補習を行うようにと通達があったはずだ。何故それが行われていない?」
「それは……知らん。そんな通達など知らない!」
知られてないつもりだったのだろう、核心を突かれて狼狽する。
「知らないのか。ならば教育委員会か文科省が仕事をしなかったことになる。申し訳ないすいませんでした」
俺はその場で深々と頭を下げて謝罪する。
「すいませんで済むか、この事は──」
「ならば今から教育委員会か文科省のどちらが仕事をしなかったのか確認して貰いましょう。どちらの責任かは知りませんが、必ず校長にも直接謝罪して貰いま──」
勿論そんな権限は俺には無いのだが、校長は慌てて遮る。
「ま、ま、待て! 謝罪って何の事だ?」
「俺の謝罪ではすまないのだから、ちゃんと仕事をしなかった責任を教育委員会か文科省の偉い人に取って貰い、謝罪して貰うに決まっているでしょう。ああ、偉い人に頭を下げさせるのは恐縮ですか? 気にする必要はないですよ。悪いのは向こうなんだから、教育委員会のお偉いさんや、文科省の役人に頭を下げさせるなんて滅多に無い機会じゃないですか。あくまでも悪いのは向こうなんですよ。堂々と謝罪を受ければ良いんです。何なら言って上げれば良い『すいませんで済むか!』ってね」
俺の顔に浮かぶのは笑みだ。更に言えば嘲笑だ。
校長の顔色は興奮の赤から一気に血の気が退いて白ばんでしまった。分かりやすくて素敵だ。
「そんな事をしたら、私は……私は──」
「困りますよね? 校長。あんたが握り潰したんだからな!」
「違う!」
「よし、それなら確認しようじゃないか」
俺は携帯を取り出すと、取調べ中に俺達の担当官とか言ってた内閣府の若い官僚の連絡先の番号をゆっくりとプッシュしていく……早くしないと繋がっちまうぞ、おい。
「待て、待ってくれ!」
制止する校長の声に、俺は湧き上がる笑みを抑えようとして表情筋がヒクヒクと痙攣するの、携帯を持つ手で校長の視線を遮る。
もう既に網に掛かった魚だ。後はゆっくりと網を手繰り寄せるだけ。
「何故止める?」
「それは──」
「それは?」
「私は悪くない! 赤原君が!」
そうか、やはり赤原が関わっているのだな。良く口にした偉いぞ校長。
「ほう、赤原先生が?」
「彼が、彼が私に空手部の補習を行う必要が無いと」
「では、赤原先生が俺達空手部への私怨で、補習を取りやめるように校長に進言したと! その上、我々から手部のために休みの日に時間を割いて場所まで提供して個人的に補習を行ってくれた北條先生を吊るし上げにしているという訳ですね! それじゃあまるでマッチポンプ。許される事ではないですね!」
グラウンドにまで響くような大声で話してやる……ちょっとあからさまだっただろうか?
「ふざけるな! 何を出鱈目を!」
高みの見物をしていたつもりなのだろうが、状況が変わった事に焦りアカハラ野郎が校長室に突撃してきた。
「えっ! 校長が出鱈目を言って赤原先生に罪を擦り付けているんですか? 校長それは酷いですね」
ここに到っては、この芸風で押し切る覚悟を決めた。
「あ、赤原君。君が言い出した事じゃないか!」
「こ、校長!」
「やっぱり赤原先生がやらせた事なんですか?」
「ち、違う私は何もやってない!」
「赤原君! 君は責任を全て私に押し付ける気なのか?」
素敵だ。チョー素敵な展開だ。輝いてるぞお前等、今のお前等は道化としてサイコーに輝いている。例えるなら消える一歩手前のロウソクの火の様だ。
「わ、私は関係ない。全ては校長がしでかした事でしょう。知りませんよ」
「おおっと、ここに来てハラスメント先生がその薄汚い本性をむき出しにして、校長に全ての罪をなすりつけ始めた! 非情だ。余りにも非情な裏切りだ。まるで戦国の梟雄、松永久秀の如し」
ここに来て口が回る回る。俺という人間はこういう場面でこそ輝く人間だと確信する。将来、この特技を活かした職業に就けないものだろうか? 例えば悪口専門のアナウンサー……どんな職業だよそれ?
「高城ぃ! 貴様は先ほどから勝手な事を言って!」
切れたアカハラ親父が掴みかかって来るが、牛の突撃を華麗にさばく闘牛士のように、十分に引き付けてからギリギリで身をかわすと、目標を見失いたたらを踏みながら壁に突撃し頭を打ってひっくり返った。
「一体何がしたかったのでありましょう? ありのままに話すなら『私に掴みかかってきたと思ったら、いつの間にか壁に頭を叩きつけて倒れていた』何を言っているのか分からないと思うが、私にも彼が何をしたかったのか分からない! ただ一つ分かる事は無様という事だけです」
赤原は、黒縁眼鏡のセルフレームは左右のレンズを繋ぐブリッジの部分が折れて真っ二つになって床に転がり、額からは血を流しながら立ち上がる。
「貴様、教師に暴力を振るったんだ、覚悟は出来てるんだろうな」
「何て事でしょう。この名前の通り薄汚いアカハラ野郎は、生徒に『暴力』を振るおうと掴みかかって来て、避けられて勝手に壁に突撃し、怪我をした挙句に、それを生徒の罪にしようというのです……校長。この件に関してどのようなお考えをお持ちで?」
「赤原君。私は君が生徒に暴力を振るおうとしたのをこの目で見ているし、そして勝手に自分で壁にぶつかり怪我をしたのも見ている。更には罪を捏造し生徒を落としいれようとした事もね」
赤原は馬鹿だ。校長室の中で実際に様子を全て目撃している唯一の証人である校長を、たった今裏切ったばかりだというのに、罪を捏造しようなどとは笑うしかない。
全くおかしな奴だよ赤原は、それに校長も。
これで互いに庇い合うべき共犯者である二人は完全に互いを敵として決裂する事になった。後はこの二人が再び手を取り合うことの無いよう、溝を深めるように誘導するだけだ。
互いに罵り合い、互いの罪を、そこまでしてたのかと思うほど色々と暴露していく二人の発言は、職員室に筒抜けであるだけではなくしっかりと録音してある。
修学旅行に関する御者との癒着。現金のキックバックから、接待での買春行為など死ねば良いのにとしか言いようが無い泥沼の暴露合戦。
しっかり記録に残されているというのに……二人が余りにも道化過ぎて哀れみさえも感じてくるが、むしろこんな教師がいる学校に通わなければならない自分達生徒の方が遥かに哀れだ。
ちなみに途中からは携帯で動画撮影していたのだが、二人は罵り合うことに夢中で全く気付かない。廊下で生徒達がざわめき始めているのにも気付かないのだから間抜けだ。
もう二人を失職に追い込むには十分な証拠が集まったのでエンディングの〆の台詞を口にする。
「キャリア……それはいつも儚い。一人の経験と実績は一つの不祥事によって一瞬の後に破られる運命を自ら持っている。それも人々は出世に励む。限りない職場での権力と昇給をいつも追い続ける。それが人間なのである。次の不祥事を作るのは貴方なのかもしれない」
こいつ何を言ってるんだ? と言わんばかりの視線が、掴み合い状態になっていた二人のみならず戸口の向こうの職員室からも集まる中、教頭が「……何故びっくり日本新記録?」という呟きに深く肯きながら、携帯を胸ポケットにしまうと校長室を出ようとする。
「待て、待ってくれ!」
背後から校長が半ば叫びながら制止する。言い直す辺り、己の分を弁えてきたようだが、もう遅いんだよ……一週間ほどな。
「何でしょうか?」
「こ、今度の事は……その……」
「ああ、その事ならば、私は気にしていませんよ。そうだ他の部員達にも主将としてきちんと学校側の対応を批難しないように説得しましょう」
何て俺は広い心の持ち主なんだろう。最早神か仏のレベルだな。人類にこのレベルに達した者など皆無だろう。
「あ、ありがとう高城君。感謝する。それにもう二度とこんな事は起きないようにすると約束する。ありがとう。本当にありがとう」
「良かったですね校長先生…………後は、教育委員会や文科省からも許してもらえると良いですね」
「え゛っ!?」
感涙にむせび泣きそうになっていた校長の顔が一瞬にして凍りつく。良いぞ、実に良いぞ。俺はその顔が見たかったんだ。
「ですから、後は教育委員会や文科省から許してもらえれば無罪放免ですよ。大丈夫でって、当事者の我々が許すんですから、彼等も広い心で許してくれますよ」
勿論、そんな訳はないけどな!
「そんな事をされたら──」
「信頼は本当の事を『全て』話すことで勝ち取れるんです。幸いお二人のやり取りは全て撮影させて貰いました。これを観れば良く全て正直に話してくれたとワシントンの父親のような心で誉めて貰えますよ」
取り出した携帯を振りながら笑顔で答えてやった。
「そんな、そんなぁ~……」
感涙を悲しみの涙に変えて力なく膝を突く校長。完全に心が折れたな。
だがもう一方はまだ心が折れていなかった。
「ふざけるな! 寄越せ、その携帯を寄越すんだ!」
赤原は校長を突き飛ばすと、俺に向かってくる……校長を突き飛ばす直前にシステムメニューの時間停止状態で、携帯を動画撮影状態にして二人をフレームに入れてからのシステムメニュー解除。
校長は受身も取れずに床に顔面を叩きつけて眼鏡は吹っ飛び、折れた前歯数本も飛び散る……傷害事件発生ですよ。
赤原は倒れた校長の背中を踏み越えて俺に迫る。その目は完全に正気を失っている。
「それだ。それを寄越せ!」
ここで一度撮影を止める。
「寄越せと言われてお前に渡す道理があるか? これだから一度も社会に出た事の無い筋金入りの学校引き篭もりは常識を知らなくて困る。だけど安心しろ、もうじきお前を学校から解放してやる……永遠にな」
「何だとぅ!」
「分からないか? お前は懲戒解雇になるんだよ。もう一生学校とは無縁になる。これからはお前自身が社会で通用するかどうか確認してみるんだな」
ここで撮影開始。
「き、貴様ぁぁぁぁっ!」
ブチ切れて殴りかかってくる赤原の拳を敢えて顔で受ける……当然、何かの拍子にバランスを崩したかのように外れたカメラの視点が一瞬だけ俺の顔に向いて、そこに赤原の拳がぶち当たるように操作する絶妙な自撮りテクニックを披露しながらである。
「うあぁぁぁぁぁぁっ!」
赤原は殴った右腕を押さえながら悲鳴を上げて床を転げまわる。
殴られる瞬間、カメラ操作とは別に俺は自分の頬骨の部分を逆に赤原の拳に叩きつけて、拳を砕くだけではなく腕自体を破壊したのだ。前腕の橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっこつ)は二本とも折れて肘関節は脱臼しただろう。
ここまでやれば殴られたというよりも顔で拳を殴ったというのが正解だ。
拳が当る一瞬前に鋭く首を振り、僅か一センチメートルの狭間で時速百キロメートル以上に加速して、頬骨を赤原の拳に叩きつけたのだ。
どんな格闘技にもいえることだがパンチはそんなに速くは無い。多分パンチの中で一番トップスピードの速いボクシングのフリッカージャブですら時速泊キロメートルを越える事は無い程度だ。
越えるとするならば、野球の投球フォームから繰り出される猫手パンチか大島の正拳突きくらいだろう。
前者はそんなので殴ったら赤原の二の舞確実な自爆技であり、前者はそもそも人間とは認めがたい。
アカハラ野郎は空手三段の腕前が自慢で、何を勘違いしたのか赴任早々に大島に突っかかって空手の試合と称して挑んだ挙句に、無様を通り越して無惨としか言いようの無い目に遭わされたのは、兄貴が中学一年生の今頃の季節だそうだ。
それ以来生徒の間では通信空手の黒帯と馬鹿にされる赤原の右拳は、もう一生誰かを殴るためには使えないだろう……骨折は治っても精神面の問題で。
「さすが通信空手三段の腕前! 殴られたお前より、殴った俺の拳の方が痛いんだを実践するとは驚きです。それにしても近頃の暴力教師は骨が弱い。カルシウムが不足しているからすぐに切れて暴力を振るうのでしょう。全く困ったものです! 以上現場から高城がお送りしました」
撮影を終えて携帯をしまうと、そのまま校長室を出て職員室を通る。その際に周りの教師達を睥睨してゆくと、どいつも慌てて視線をそらしていく。
要するに悪の大なるは校長と赤原であり、小なるはこいつらだ。そして大島は超巨大な悪。首魁と書いてラスボスと読むのだ。
そんな中で北條先生と視線が会う。それはこちらを気遣う様であり、やりすぎだと咎める様にも思える表情だったが、最後は小さく微笑んでくれた。
多分、俺はドヤ顔を抑え切れてはいなかったはずだ。それが出来るなら俺じゃなく俺に似た何かだ。しかも挙句の果てに気取ってウインクをしようとして両目を瞑ってしまい笑われてしまった。
笑う事が貴女のせめての救いになるのならば、俺は何時だって道化師になろう……そうでなくては自分の決まらなさ、残念さに死にたい。
廊下に出て野次馬達の恐れ戦く視線を無視して、その足で紫村の教室に行き、一連の事を話すと「はいはいSDカードに情報移して渡して」と言われて、最初から撮影の記録はSDカードへ行っていたので抜いて渡した。
スマホではSDカードを抜くのにバッテリーを外すなど面倒な手順が必要と知って驚いた事を思い出しつつ、早くそんな苦労をしてみたいと思う。
「多分、もう校長先生と赤原先生に会う事は無いと思うよ。ネットとマスコミにも流すから……ああ大丈夫。ちゃんと高城君の顔にはモザイクを入れるからね」
「わ~い、容赦なくて心強い!」
「誉めないでよ」
やはり紫村だけは敵に回してはいけない……大島? アレは初めて言葉を交わした瞬間に敵だと確信したから仕方がないと思うんだ。
「良いんですか? 昼休みに僕等の事で問題が起きたと聞いていますが……」
放課後、何時ものように校門付近で集まり、運動公園ではなく北條先生の実家の道場へと向かおうとしたところ二年の岡本から突込みが入った。
「モンダイ? ナニモオキテナイヨ!」
「しゅ、主将。一体何をやらかしたんですか!?」
「お、岡本君。それは随分な言い草じゃないか?」
幾ら本当の事とはいえ、確認も無しに決め付けされると俺も流石に傷つくんだよ。
「実際やらかしてるからね」
『紫村。それは言わない約束でしょ』
『そんな約束はしてないよ』
「主将!」
えーい! 通常の会話と【伝心】が同時に来るとウザイわ!
「紫村、状況を一分でまとめて説明してあげて」
俺は投げだした。
「北條先生が僕達に個人的に指導している事が、職員室で問題になっていると知った高城君は、状況を確認するために職員室に行くと、そこではまさに北條先生が吊るし上げにされていた。憤りを覚えた彼は、学校には僕達の補習を行うように通達が来ているにも関わらず、それがなされていない事を盾にして、校長を糾弾し、更には赤原先生をも煽り、僅かな時間で彼等を仲違いさせて互いに責任を擦り付け合う様に仕向けると、その様子を撮影し証拠とし、更に追い込まれて逆上した赤原先生にわざと殴られ傷害事件としただけではなく、殴られる瞬間に自分から叩きつけるように頭を動かす事で、彼の拳と腕を破壊して病院送りにしましたとさ。めでたしめでたし」
「短い三十秒じゃないか!」
「えっ! そこ大事なの? それなら補足するけど、北條先生が僕達に個人的に指導したのは、学校側が補習を行わないのを『まあいいや』で済ませてしまった僕達の落ち度でもあるよね?」
「うっ!」
痛い所を突くじゃないか。
部員達の視線が俺に突き刺さる。何せ「まあいいや」という態度を真っ先に示したのが主将である俺だからだ。だがあえて言わせて貰おう。
「だが、そのお陰で北條先生に教えて貰う事が出来たんだぞ」
「!」
俺の卑怯な言い逃れに、部員達は反論出来ない。理屈はどうあれ北條先生が付きっ切りで教えてくれた二日間はかけがえのない宝石のような時間だったのは間違いない。
「でもそれが北條先生に迷惑をかけた事には変わりないよね?」
やっぱりホモには通用しないか。
「……分かった。分かった。俺が悪いんだろう?」
皆は無言で頷く……糞、覚えてやがれ!
「じゃあ、謝ってくるよ……そして『高城君が謝るようなことじゃないのよ』とか言われて慰めて貰うんだ!」
「おいっ! ちょっと待てェ!」
その後、少し……いや、かなり揉めた。
北條家道場……北條先生不在のために爺が調子こいて絡んできたので、北條先生に即連絡、北條先生からお祖母さんへと連絡。
そして呼び出し、悲しそうな瞳で俺達を見ていたが、全く同情の念は沸いて来なかった。
お陰で勉強ははかどった。特に北條先生が居ない事を良い事に、一年生達に試験対策のテクニックを叩き込んだので各教科五点は上がるだろう。
中学生になって最初の試験で点数を取るのは、真っ正直に学力自体を上げる以上に大切な事だと俺は思う。
一年生の時の中間試験。これが本人にとっての自分がとれる点数の基準となってしまう。そしてその基準に応じて点数が上がった良かった。下がったから悪かったと判断してしまう。
ならば多少の下駄を履かせてでもその基準を上げてしまうのが、その後の試験におけると点数への高いモチベーションとなり得る。
人間である以上、一度定めた基準に対して現状維持以上を求めてしまうだろう……求めないなら、それは端から駄目という事だ。
実力以上の高みで現状維持をしようとするならば、人間は今の実力以上の力を得るために努力を積むしかない。
更に人間は一度道筋のついてしまうとそれを繰り返して行う事に苦痛を感じ辛くなる。
これが習慣化だ。空手部の部員が毎日ランニングをしないと落ち着かないくらいに習慣とは行動を支配する。
一度習慣として身に付いたことは余程の考え改めるだけの外的要因が加わらない限り続ける事を是としてしまうのだ。
特に俺の様に流されやすいタイプはその傾向が顕著だ。
家の玄関を開けるや否や『タカシ!』とマルが飛び掛ってきて俺の顔をペロペロ……そんな可愛らしいものではなく、長い舌でベロンベロンと泥酔者を示す擬態語のような勢いで嘗め回した。
『マル、誰も居なくて寂しくて、タカシに会えて嬉しくて、良く分からなくなったの』
顔どころか、制服の襟の部分まで垂れたよだれで濡れてしまった俺の前でお座りしながら、そう弁解するが尻尾は嬉しそうに大きく振れていた。
「……はぁ」
深くため息を吐くと、洗面所に行って顔を洗い、制服を洗濯ネットに入れて体育の時間に使ったジャージなどの洗物と一緒に洗濯槽に入れて洗濯機を動かす、その間ずっと無言で押し通す。
『タカシ怒った? ごめんなさい。マル反省してるよ』
俺の態度に本気で反省モードに入ったマル。尻尾もダラリと垂れ下がり床の上に這っている。
『怒ってないよ』
『本当?』
『本当だよ。洗濯機も動かしたから、着替えたら散歩に行くよ』
大型犬を飼っていて顔をよだれだらけにされた程度で怒っていては身が持たないよ。
いや、本当。俺を切れさせたら大したものだよ。
『わ~い、散歩散歩!』
……ふぅ、一発で癒されちゃったよ。
「ワンッ! ワンワンッ!」
『足音がするの、お母さんとお父さんがもうすぐ帰って来るよ!』
一説によると、犬は音でも匂いでもなく、人間の歩行時の着地の瞬間に発生する活動電位を数百メートル先から感知し、そのパターンから飼い主などの親しい人物を特定するというが、マルよお前はいい加減マップ機能や魔術を使いこなしてくれ。本当に頼む。
マルに袖口を引っ張られ来た玄関前で待ち構えて三分、右手の角の向こうから人の気配を感じた途端、マルはリードを引っ張って駆け出す。
『お母さんお帰り! お父さんもお帰り!』という心の声と同時にマルは甘えるような高い泣き声を上げる。
「ただいま~。マルガリータちゃんお出迎えしてくれてありがとね~」
マルは嬉しさのあまりに飛びつかんばかりの様子だったので『マル駄目だよ。母さんは疲れてるんだから飛びついたら倒れちゃうよ』と注意すると、どうしたものかと困って母さんの周りを回り、最後にはお腹を上にして地面に寝転んで、尻尾を振り振りしながら「お腹撫でて!」のポーズをきめる。
そんなマルに、母さんは「あらあら」と困った様な、それでいて嬉しそうに微笑むと、両手の荷物を下してマルの前にしゃがみ込むと、優しくお腹を撫でて上げるのだった。
「お帰り、疲れたでしょう?」
そう言って、母さんの荷物を持ち上げる。
「隆。ただいま。お土産も買って来たからな」
笑顔で俺の肩を叩く父さん。
「父さんも、お帰りなさい」
「大は勉強か?」
「そうだろうね。今朝なんて勉強が趣味とまで言われたし」
「そうか……前から思っていたが我が息子ながら変な奴だな」
「うん、大丈夫かこいつ? と思ったよ」
「酷い事を言うな~」
笑いながらそんな事を言われても、それに息子を変な奴扱いした人には言われたくない。
「キャウン、ク~ンク~ン」
家の中に入るとソファーに座る母さんと父さんの間に陣取って甘えた声を上げ続けるマル。
『お母さん! お父さん! お母さん! お母さん! お母さん!』
ちょっと父さんが可哀想になってしまった。
久しぶりの母さんに必死になって甘えているマル。しかし久しぶりと言っても空手部の合宿の件で一週間家を空けた俺が帰って来た時には、これほど甘えては来なかったよな。
やっぱり母さんには勝てないのか? 俺(との散歩)が一番好きって言ったじゃないか……
「やっぱり寂しかったのね? ごめんね」
母さんが優しく梳る指の感触にマルはうっとりとした表情でなすがままにされている……こ、これが世に言う寝取られ感? 妻でも恋人でもない相手が、他の人に靡いただけで、ユニコーンの囁きによってNTRの三文字が頭の中に響き渡ってしまうというアレなのか?
「週末からずっと面倒を見てきたのに、やっぱり母さんには勝てないか?」
家庭内マル人気ランキング不動の四位。辛うじて涼より上なだけの兄貴がニヤニヤしながら居間に入ってくるなり、俺の胸を抉ってきやがった。
「自分の面倒しか見てなかった人は黙ってて」
「ちょ待て、それは言う──」
「大。どういうことなの? 隆とマルガリータちゃんの事をお願いしておいたわよね?」
部屋の空気が一瞬にして変わり、マルも毛を逆立てて飛び上がると俺の後ろに隠れる……こいつは! 可愛いじゃないか。
『お母さん怒らせる。マサルの馬鹿』
結果的に至福の時間を台無しにされたマルは兄貴に向けて毒を吐く。別に動物は純粋無垢な存在だとか馬鹿げた幻想を抱いては居ないが、むしろ人間ではなく犬ゆえの率直さにドキッとさせられる。
「食事の用意が面倒なら店屋物でも取るようにって、お金も置いていったわよね?」
「ほう、それは初耳だ」
「……どういうこと? それじゃあ、隆はどうやってご飯を食べてたの? 自分のお小遣いで?」
「友達の家で寝泊りしていた」
「えっ…………」
そのままパタリとソファーの上で横に倒れて悲しそうに呟く。
「お母さん、もうPTAの集会に顔出せないわ……」
常識的に考えると世間体は悪いわな。『嫌だ、高城さんちの奥さん。生活力の一切無い事で有名な息子を放り出して海外に旅行に行ったんですって』とか言われそうだ……誰が生きてる価値の無い生ゴミ製造マシーンの馬鹿息子だ!?
「そうだ! 隆、その友達って誰なの? 明日にでもお詫びに伺わないと」
いきなり身体を起こすも「そいつの両親は仕事で海外に居るから行っても無駄だよ」と告げると、また倒れた。
「どうなってるの家の子達は、一人暮らしの子の家に押しかけて自分の食事の世話までさせるなんて~、私の教育が悪かったのかしら~」
その後、母さんの小言は一時間ほど続いた。
『マル、お母さんとお話したい!』
後は寝るだけという段階になって突然マルがそんな事を言い出した。
『はいはい、じゃあ寝るよ』
きっぱりと無視してベッドで頭から布団を被る。
『タカシ聞いて、ちゃんとマルの話聞いて!』
駄目だ、布団を頭から被っても意味が無い! 布団を跳ね除けて起き上がると『無理』と告げて、再び布団を被る。
『マルもお母さんとお話したいよ。タカシとマサルばかりお母さんとずっと話してズルイよ』
仕方なく布団を剥いでベッドの縁に腰掛ける。
『いや、あのね……アレはお話というよりはお叱りだよ』
辛かったよ1時間にも渡り正座させられて説教されるのは。
『マルもお母さんにお叱りされたい!』
駄々っ子かよ、いや満一歳未満だから何一つ恥じる事も無い駄々っ子だよ……困った。こうなってしまうと宥めすかす方法が分からない。
『マルね、ずっと皆でお話しするのが羨ましかったの。お母さん、お父さん、マサルにタカシ、スズがマルを撫でてくれても何を話しているか良く分からないの』
上目遣いで心情に訴えかけてくるマル。
そんな事を言われても家族と会話をさせるとなると、互いに【伝心】を使えるようになる以外の方法を俺は知らない。
つまりマルが【伝心】を使いこなせるようになるだけではなく、家族も全員、パーティーに参加させる必要がある訳だが、紫村と香籐はのっぴきならない事情というべき状況でパーティーに入れたが、確かに櫛木田、田村、伴尾の三人、そして今後は二年生達も参加させる事を考えているが、彼等は今後更なる異変が起こり得る可能性に備えて彼等自身と周囲の人達を守る為に戦力化したという側面がある。
人としての信頼のみならず、共に戦うものとして彼等以上に信頼出来る者達は俺にとっては存在しない。
そして戦うという事に関して家の家族は、生兵法は怪我の元という言葉が浮かぶのみだ。
父さんは戦えるかもしれないが、性格的に母さんや兄貴は駄目だろうし、涼は性格的にも人類より大島サイドの人間だから過ぎたる力を与えるなんて信頼は出来ない。
仮に大島をレベル六十程度までレベリングしたら、翌日には国会を乗っ取ってクーデターを起こすなんてストレートなことは絶対にしないだろうが、もっと恐ろしい何かをやらかすに違いない。
そして、それを止める事は三倍近いレベルである俺にも出来るかどうか分からない……いや、多分出来ないだろうな。
『せめて……涼抜きならどうだ?』
最悪、他の家族ならば話せば分かるという確信がある。涼は確信が無いというか、話しても分からない確信がある。
『駄目! スズには色々と話して聞かせる事があるの。お姉ちゃんとして!』
むしろマルが話して涼の性格が何とかなるなら、万難を排してもマルと話が出来るようにしたいとは思うが、先ずお約束の「俺とパーティーを組み一緒に戦ってくれますか?」という台詞に、涼が「YES」と答えるはずが無い。
もし答えたとしたら間違いなくそれは偽者だ……偽物でも良い気がしてきた。
『ごめん、やっぱり無理』
『え~っ』
『先ずマルと話せるようになるには、マルが未だに覚えようともしない魔術の中の【伝心】を、マルと相手が使えるようになる必要があるんだよ』
『魔術……面倒』
まだマルが文字を覚えてないから使いたい物が使えず、足元に大穴を開けて落ちてからすっかりやる気を失っている。
『いい加減、必要な文字だけでもちゃんと勉強して覚えなさい』
『勉強はイヤ~!』
幽霊だけじゃなく犬には学校もテストも何にも無いからね。
『嫌とか言わない。兄貴を見てみろ。勉強が趣味とか言うんだぞ』
『……マサルおかしい。先生に注射してもらうべき』
家の家族は兄貴に対して容赦が無いと思う。
『それに涼が【伝心】を使えるようになるには、マルみたいに心から俺の仲間になりたいと思う必要があるけど、涼がそんな事を思うと思うか?』
『…………無理。マルが魔術を使えるようになるよりずっと無理』
マルは俺に背中を向けて寝転がる。たまにやる拗ねた時のポーズだ。
『マルはちゃんと努力しなさい。折角頭も良くなったんだから、言葉や文字を身に付けるのは難しくないはずだよ』
『うぅぅぅ……』
『大体、言葉を聞き取れるようになったらマルから話しかける事は出来なくても、他の人たちが何を話しているのかは分かるようになるんだよ』
『皆が何をお話してるか知りたいの……』
『だったら、言葉と文字を使えるようになるしかないよ』
『……明日から頑張る』
『じゃあお休み』
『……今日はあっちに行かないの?』
『今日はマルは余り寝てないみたいだから、あっちに連れて行ってもずっと寝てるだけだと思うよ』
『イヤ。マルも行く!』
『だけど、俺ももう眠たいから、マルは全く寝ないであっちに行くことになるよ』
『行くよ。タカシはマルがいなくても良いの?』
体勢を変えてこちらに顔を向けると、小さく「ワン」と吠える……もう俺に選択肢は無いじゃないか!
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