第88話

 目覚めると夢世界。目覚めているのに夢世界……間違ってはいないのに何かおかしい。

 紫村と香籐を【所持アイテム】内から取り出してベッドの上に転がす。

「うん……おはよう高城君」

「……おはようございます」

 昨日より早くに寝た二人は十分な睡眠が取れたようで、今日の寝起きは悪くない。


「おはよう。早速だが今日の予定は、この地図に記された残りの龍を全て狩る」

 そう言って二人に突きつけた地図はミーアから受け取った龍の生息地を記した1枚目の地図で、残りが丁度十体となっている。

「十……かなりのハイペースになりそうだね」

「気合入れていきます!」

「それから二枚目の地図に突入します。今日の予定はレベルアップするまで!」

 隠し持っていたもう1枚の地図を突き出す。


「……」

 流石に二人とも嫌そうな表情を浮かべる。

「ほら、二人とも今日中に十五体くらい倒せばレベルアップするから、もしかしたら蘇生魔術を憶えるかもしれないぞ。そうしたら大島復活だぞ!」

「余り急ぐ必要も無いよね……」

「そうですよね」

 二人とも大島復活には余り前向きではないようだ。

 もちろん俺も嫌だが、急ぐには理由がある。


「じゃあ、どうするんだよ? そんなに大島が復活するのは嫌か? 俺も勿論嫌だぞ!」

「朝から随分と飛ばすね」

「だって仕方ないだろう。何時までも大島の死体が自分の【所持アイテム】内に入ってるのって、気になりだすと凄い嫌なんだから!」

「そ、それは嫌ですね」

「そうだろう。何かの拍子に復活した大島が中で暴れだして、突如俺の腹を引き裂いて出てきたらと思うと眠れないぞ!」

「もしかして、僕達が寝ている間にテレビでホラー映画を観たのかな?」

「その通りだよ! お前がケーブルテレビを引いてるから観ちゃったよグロイB級ホラーを、しかも三本も!」

 そんな俺に二人は「知らんがな」とハモった。


「お前達の睡眠時間を少しでも長くしようと頑張ったのに……こうなったら!」

 パーティー内の所持品移動で、大島の遺体を紫村に、早乙女さんの遺体を香籐へと送りつける。

『パーティーメンバー(紫村)から所持品の移動を拒否されました』

『パーティーメンバー(香籐)から所持品の移動を拒否されました』

「受け取れよコン畜生っ!」

「嫌だよ。そんな変な話聞かされて受け取る気になるはず無いよ」

「主将。すいません僕も嫌です」

「お前達が収納されてる間、【所持アイテム】のリストを並び替えて大島の早乙女さんに挟まれるように配列しておくからな」

 その後、かなり深刻に揉めた。


「まあいい。お前達が泣こうが叫ぼうが、今日中にレベルアップしてもらう。つうかレベルアップするまで現実世界には帰さないからな!」

「き、汚いよ高城君。君がそんな手を使うとは」

「じゃあ、大島を受け取れよ」

「それは話が別だよ」

「そんなに嫌か?」

「死んでも嫌だよ」

 ちょっと大島が可哀想になってきたよ……嘘だけどな!


「まあいいか、俺がレベル上げを頑張ればいいんだし……というわけで、朝飯まで少し俺に付き合え」

「ベッドの中で──」

「言わせねぇよっ!」

「一体、何をするんですか?」

 俺と紫村のコントを鮮やかにスルーする香籐。

 落しどころの無いコントの流れを断ち切ってくれたのありがたいやら寂しいやら。



「上空三千メートルくらいから岩を落として欲しい」

「はい?」

「落ちてきた岩を俺が収納する。平行世界で使った一番最後の俺の攻撃を憶えているだろ?」

「はい。あの収納時の収納対象が持つ運動エネルギーを溜め込んでおいて、【所持アイテム】内からアイテムを取り出す時に、溜め込んだ運動エネルギーをアイテムに与えるというアレですね」

「説明的台詞をありがとう。つまりその運動エネルギーを溜め込んでおきたいんだ」

「でも、岩には限りがありますよ」

「とりあえず俺がストックしている分はそちらに移す。それらを先ずは三秒間隔で投下して貰い、様子を見て投下間隔を出来るだけ狭くしたい。そして全部落とし終えたら、俺の【所持アイテム】からそちらの【所持アイテム】へと移動させる。それを一時間ほどやって貰いたい」

「一時間もですか?」

 さすがに香藤も呆れ顔だ。

 俺もやり過ぎだと思わない事も無いが、この先何があるのか全く読めないので、備えあれば嬉しいなの精神は大事にしたいと思う。


「面倒を掛けてすまないが目標は千回だ」

「随分な多いようだけど、もしかして平行世界へ行く可能性を考えているのかな?」

 分かっちまうよな。どう考えたって一回分の運動エネルギーがあれば龍を殺しておつりが来る。

 それが千回分ともなれば使う対象はごく限られてくる。


「別に望んで行く気が無くても、また飛ばされる可能性はある」

「そうだね……」

「その時はお前達が居ない……一人だけならまだ良いが、一年生達を引き連れてという可能性だってある」

「それは……」

 下級生達の事に触れられて香藤君の顔が強張る。最悪俺一人なら放っておいても勝手に帰って来るくらいに思っていたのだろう。


「それに、今のままでも俺がレベルを一つ上げるのは無理ではない。だが属性レベルⅦに蘇生魔術が含まれていなかったら属性レベルⅧの魔術を覚えていく必要がある。レベル百八十で属性レベルⅧを開放して、その後レベルアップを重ねながら覚えていく……はっきり言って現実や夢世界では無理だ。だがあの平行世界ならそれが可能だ。何せ勝手に集まってくるのだから、十分な戦力さえあれば蘇生魔術を身に付けるまで戦い続ければ良いだけだ」

 もっとも奴らの学習能力の高さと進化の早さに俺が対応出来たらの話だが難しいだろうな。

 常に俺の想像を超えるようなスケールで……そう、正しいかどうかは別としてぶっ飛んだスケールで進化していく。

 更に巨大な群体を作り、静止軌道へ地球を挟むように二体投入すれば、理屈の上では地上の全てに対して攻撃が可能となる。その際の攻撃手段は……止めておこう。いつもの様に奴が俺が考えた最悪を越えて来るとするなら考えたら負けだよ。


「だけど勝てると思う?」

「勝利条件が奴らを一体残らず駆逐出来るかなら勝つのは無理だな。だが、今なら向こうに飛ばされても戻ってこられる当てがあるから、そこまで決定的な局面には至らないと思う。それに俺が自分の意思で平行世界に行くのではなく飛ばされたらの話だからな。その時に備えて力を蓄えておきたい」

 


「そうだね向こうに飛ばされる事を考えるなら、生き残る手段を用意しておくべきだね……分かったよ。僕の方も新しい魔法の開発を真剣にしてみるよ」

「まだ真剣じゃなかったのかよ」

「割と真剣だったよ」

 そう言って紫村は不敵に微笑む……何、この圧倒的な任せて安心感は?

「そう、今日は水龍も狩るんだよね? 楽しみだよ」

 あれ? もう攻略法を見つけたの? 一応ヒントとも呼べないような事を口にはしたけどさ、早くない? 実戦の中でピンチに陥りながら閃くみたいな……そんなのは無いんだね。


『上は寒くないか?』

『大丈夫です。主将が作った風防魔法で外気は遮断されていますから』

 紫村が開発した【繭】を固い外殻を有する【風防魔法】へと進化させたのだ……俺のネーミングセンスに関しては拳で語り合う事になったが、性能は間違いない。

 前方の先端は鋭く空気の壁を引き裂く形状にして、中央部分は緩やかな曲線を描き、滑らかな表面が空気を抵抗なく後方へと流す。そして後方では空力学的にデザインされたウィングが外殻表面を流れる空気を無駄なく綺麗に剥ぎ取り、後方乱気流を可能な限り本体から離れた場所に発生させる……ただし、超音速飛行には対応しておりません。

 最大の問題は軽さだ。飛行中の重量は自分の体重と衣服と所持品のみで一番体重があるだろう紫村でも全部で八十キログラムを切る。

 その軽さ故に音速突破時の衝撃波が姿勢制御を乱すのだった。


『空気の薄さは大丈夫か?』

『はい。激しい運動をする訳ではないので、これくらいなら大丈夫です』

『そうか、悪い頼むぞ』

『はい。それでは落としますよ。いいですか?』

『了解だ』


 上空三千メートルから落とされた軽めに見積もって三トンを超えるの円柱状の岩は三十秒弱で地上に到達する。その終速は時速六百五十キロメートルと半音速を超えてくる。

 通常、物体は重さに関係なく同じ速さで落下すると考える。しかしそれは空気抵抗を無視出来る状況に限る。

 空気が存在しないか、無視出来るほど薄い状態。そして速度が遅い時だ。

 しかし、今回の状況はそのどれにも当てはまらない。

 大雑把に表面積(二乗)に比例する空気抵抗に対して質量は体積(三乗)に比例する。つまり物体は大きく重たいほど空気の壁を容易く突き破るために速度が上がり易い。

 更に落下する物体の比重の大きさや形状等も関係してくる。

 人間の落下速度が空気抵抗を受けて最大でも時速二百キロメートル程度なのに対して、足場岩が時速六百五十キロメートルになるのはその違いだった。


「わおっ!」

 その速さに思わず驚きが口を突いて出る。大丈夫だと分かっていても普通の人間だった頃の感覚が、自分目掛けて高速で落ちてくる大質量の物体の落下点に立つという状況に「こりゃあ死ぬ」と強く訴えかけてくるからだ……だが収納だ!


『よし連続投下を開始してくれ。間隔は二秒で頼む』

『分かりました。では投下開始します』

『頼む』

 連続して落ちてくる岩を収納していく。香籐がきっちりと二秒間隔のタイミングで落としてくれるのでかなり楽が出来る。


『じゃあ、そちらへ送るぞ』

『了解です』

 合計百個の足場岩を収納した俺は、今度はシステムメニュー経由で香籐の【所持アイテム】へと足場岩を移動する。

『受け取りました。すぐに投下しても大丈夫でしょうか?』

『大丈夫だ頼む』


 二回目の岩の移動の後は投下間隔を一秒まで短縮たために一時間と少しで十九セット。千九百回という目標の倍近い回数を稼ぐことが出来た。

 富士山を更地に出来そうなくらいのエネルギー量のような気もするが、実際は標高を百メートルも下げる事は出来ないだろう。

 これでは平行世界のあの化け物を倒しきるに足りない。だがあれを倒しきりレベルアップすることが出来たなら。

 もう……大島を蘇生出来なくても諦めていいよな? そして諦めたなら大島の死体を処分してもいいよな?



 俺と香籐が宿に戻ると食堂に二号がいてこちらを睨みつけている……ちなみに紫村の姿はまだ無い。

「リュー。君達が三人部屋で僕だけが一人部屋というのはおかしいとは思わないか?」

 別の席に着こうかとも思ったが、無視しても仕方が無いので二号のいるテーブル席に着くといきなり切り出してきた。

「何か問題があるのか?」

「普通はそれぞれ一人部屋か、それとも大部屋を借りて四人で泊まるよね?」

「そうでもないんじゃないかな?」

 思いっきりとぼける。


「そんな訳は無いだろう! 僕が感じている疎外感をどうしてくれる……」

 二号の馬鹿が大声を出したお陰で近くのテーブル席から『ホモの愁嘆場?』という看過しえぬ言葉が聞こえてきた。

「だ、誰が、違うわっ!」

 ああ、無視しておけば良いものをむきになって食って掛かったら……

 香籐は素早くフェードアウト。俺も続いてフェードアウト。

 うん決めた。さっさとこの街を出て、今日は宿どころか町も変えよう。それが良い!


 俺達は自分の荷物を【所持アイテム】に入れてあるので、そのまま宿を引き払い通りに出る。そして適当に歩きながら朝飯が食べられそうな店を探すが、結局は市が立っている門前の広場で屋台を見て歩きながら買い食いしていく。

 現在パーティから抜けている二号は俺達の動きを捉えることは出来ないので安心出来る。


 買い物というのは人間の狩猟欲を代替する行為でもあるが、その中で屋台をめぐりながらの食べ歩きというのは食欲と好奇心も満たす事が出来るとても素敵な行為だ。

「中々の収穫があったね」

「異文化って奴ですね。日本の屋台では見られないものばかりで、しかも美味しい」

 香籐だけではなく意外に紫村もテンションが高い。やはり人間は美味い物には勝てないのだ。


 俺から買い食い用の小遣いとして金貨──五百ネアを渡してある。食料品、飲食代の物価として考えると一ネアは百円以上に価する。

 もう俺の夢世界での金銭感覚は壊れている。

 所持金が増えすぎて、数字など気にせず一杯あるとしか認識していない。金を渡された二人は興味が惹かれる物があれば、買って試食いする……当然俺も美味しそうなものを見つけたら買い食いする。

 そして美味しい料理を見つけると、俺が大量買いしては魔法の収納袋にしまうと見せかけて【所持アイテム】内に収納する。

 これを繰り返すと、試し食いだけでも十分に腹は膨れる。

 今の俺達なら、腹ごなしに昼寝するだけでも二時間で全て消化吸収を終えてしまう。


「このまま狩りに行くぞ。今日はそのまま領境を越えて王領に入り、ムイダラップに宿を取る」

 俺達は、街を出ると龍の狩場、そして今日は龍自身が狩られる狩場へと移動した。



 狩場につくなり、俺は【所持アイテム】内からマルを出して優しく起こす。

 目が覚めると、尻尾をブンブンと振って俺にグイグイと頭を押し付けてくる。

「よ~し、よ~し。マルは良い子だな~」

「……高城君?」

「何だ? 俺は今マルをかいぐりかいぐりするのに忙しいんだ」

「あの──どうしてマルちゃんが」

 そもそもマルをこちらに連れて来たことすら知らされていなかったのだから当然だろう。


「何かここ数日、後ろで見てる時間が長くて退屈だから、マルが居てくれたらありがたいかなと思って」

「それは大事ですね!」

「えっ?」

 俺に言葉に即座に香籐が賛同した事に紫村は未だかつて見たことの無い『裏切られた』という表情を浮かべてた。

 例えるならば倉田先輩が実は女だったと知った感じ……まあ、それほど紫村が驚き何ともいえない深い表情を浮かべたという事だ。

「じゃあ、マルちゃんはまだ散歩行ってないんですよね? 僕が連れて行っても良いですか?」

「お前じゃ、連れて行って帰ってこないかもしれないから駄目だな」

「そんなことしませんから~! お願いします」

「……君達?」

 マルを囲んでキャッキャと楽しんでいる俺達の背中に紫村の氷のように冷たい声が投げつけられる。


「この子がどんなに躾されていても犬なんだよ。何かの拍子にはぐれてしまったら現実世界と違って合流は……マップ機能を使えば大丈夫かもしれないけど、危険な生き物も多いから危ないんだよ」

 正座させられた俺と香籐の前で紫村が説教を続ける。俺の横にはマルもきちんとお座りをしているが話は聞いていないで欠伸を漏らしている。


「香籐君も、これから水龍と戦うのに緊張感が足りないよ。幾ら死んでもロードでやり直せるとしても、緊張感を伴わない経験なんて意味がないとは思わないかい?」

 完全にスイッチの入ってしまった説教モードだ。これはどこかで話を切らないと延々と説教を続けるパターンだ。


「水龍といえば、奴のブレスに対抗する方法は思いついたか?」

 一瞬の息継ぎのタイミングを突いて話をねじ込む。

「! ……一つ方法は見つけてあるよ」

 呼吸を読まれた事に浮かんだ悔しげな表情が隠し切れずにこぼれるが、一呼吸してリセットすると柔らかな笑顔を浮かべて答えた。


「前後から二人で交互に人差し指で押して釣鐘を動かす気か?」

「余り上手い例えじゃないけど、そんな感じだよ」

 ちくりと嫌味を入れてきやがった。

 別に俺だって上手い例えだなんて思ってないが、この方法を考え付いた時に真っ先に浮かんだのはそのイメージだった。


 寺の巨大な釣鐘だが、あれは小学生が人差し指で押すような小さな力でも大きく揺らすことが出来る。

 要するに振り子と同じなので、指先で加えられた小さな力が、運動エネルギーとして鐘を僅かに動かす。そして動くことで運動エネルギーは位置エネルギーに変換される。

 すると位置エネルギーは運動エネルギーに変わり元の位置へと向かうその時に、再び指先で小さな運動エネルギーを鐘に加える。

 これを繰り返す事によって、小さな力が鐘に蓄積されていき、次第に鐘の振れ幅が大きくなっていくのだ。


 これを水龍を間において紫村と香籐で交互に魔力をぶつければ、常に水龍の魔力操作の為の【場】自体が揺さぶられる。

 当然水龍はそれを修正しようと魔力操作を行い、揺さぶられてずれた分を引き戻そうとする。

 そこに反対方向から魔力をぶつける事でより大きく揺さぶる。これを続ける事で魔法もしくはブレス等の角の力が発揮出来なくする作戦だ。


「それじゃあ俺が【場】を作るから、それを二人の魔力で干渉して崩すことが出来れば実践してみるという事で良いな」

 そう告げると、その場で正座して割と本気で魔力を込めた【場】を作りだす。

「これは、レベル差以上に魔力の差が大きいね」

「俺の魔力はレベル一の頃から強かったみたいだからな。ともかくこれが水龍がブレス攻撃を使う際に操作している魔力とほぼ同等だと思ってくれて良い」

 実際は水龍よりも強い魔力を行使しているのだが内緒にしておく、そして二人の魔力は二人合わせても三分の一以下といったところだ。


「まずは試しに僕の魔力をぶつけてどれくらいの影響があるか確認してみるよ」

「おう、ぶっ飛ばすつもりで来い」

 と言いつつも俺には、そのぶっ飛ばすと言う感覚が分らない。俺がやってきたのは圧縮した魔力塊を相手の魔力の傍で開放するだけだから。


「行くよ!」

 掛け声と同時に展開してある【場】に魔力の波のようなものが一定間隔で当るのを感じる。これが紫村の魔力だ。

 紫村が右手を前へと突き出すように動かすと【場】にドンと何かがぶつかった感覚が自分の魔力を通じて身体に伝わる。弱い干渉は頭の中にモゾモゾとした痒いというかくすぐったい感じだが、強い干渉は重低音が響くように身体に染み入る感じだった。


 だが身体に感じた衝撃のようなものの割には【場】はほとんど動いていない。正確に測った訳ではなし測れるものでもないが一センチメートルも動いてはいないだろう。

「思っていた以上に影響は小さいみたいだ……これでは、最初の一撃を止めるのは難しいかな?」

「そう悲観したものではないさ。ようは水龍がブレスを使おうとする前に封じてしまえば良いだけだから」

「そうだね……ありがとう。戦いというのはそういうものだったのを忘れていたよ。僕としたことが大島先生がいないことで少し平和ボケをしていたようだね」

 つまり大島がいる日常は日々是戦場って訳である。昨日水龍相手に戦って何度も死を味わった男がそう言ってしまうほどに……オラ、段々復活させるのが嫌になってきたぞ!


「じゃあ次、香籐く……」

 香籐はマルと戯れていた。

「……香籐君?」

 何かのスイッチが入ったかの様にトーンが変わった紫村の声に、香籐は素早く反応するが、マルは更に素早く後ろに回りこんで俺を盾にする。


「はい、何でしょうか?」

「何でしょうかではありません。僕の話を聞いてなかったんですね?」

「いえ、あのぅ……」

「聞いてなかったんですね?」

「……申し訳ありませんでした」

 平伏す……たまに大島の前でヤクザがやってるのを見たことがあるよ。

 一方マルは正座する俺の背中に額をすりすり押し付けていた。


 三十分も掛からずに二人の練習の成果は実を結び、交互に魔力を叩きつける事で、僅か五秒ほどで俺の【場】を崩せるようになった……あくまでも水龍を想定して作った【場】であり、俺がまだ二回変身を残している事を二人は知らない。


「まあ、そんなところだろう」

 しかし練習で成功した事が実戦で使えるかと言うと怪しい。実際俺には対抗手段は幾つか思いついている。

 後は水龍がその対抗手段を持ってないと良いなぁ~と願う事くらいだろう。



 紫村と香籐が高度五十メートル程をキープしながら湖面の上を渡っていく。

「ワンッ!」

 その光景にマルが興奮して吠える。

「ワン! ワン! ワォン!」

 興奮収まらず。俺はマルを抱き上げるとそのまま上空へと飛び上がった。

「ワゥッ! …………クゥ~ン」

 高さに怯え、俺の腕の中で小さく丸まって心細気に鼻を鳴らすマルがラブリィー。

 だが次第に高さに慣れてきたのか、首を伸ばして下を覗き込んで尻尾を振りパシパシと俺の太ももの辺りを叩き始める。


「ウオオオオォォォォォォン!」

 地面に着陸してもマルの興奮は冷めやらず遠吠えまで始めやがったよ。本当に能天気で調子に乗る奴だ──ピコーン!

『マルガリータが仲間になりたがっています』

『…………えっ?』

 意味が分からず、混乱した俺はゆっくり着陸する。


『システムメニューが壊れた?』

 そう呟くと新たなアナウンスウィンドウが開く。

『マルガリータと使い魔の契約を行いますか? YES/NO』

 ……………………えっ? えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!


『あ~、もしもし? 俺、俺。俺だよ。そうそう……ところでマルが俺の使い魔になりたがってるとシステムメニューにアナウンスされた件について』

 俺はシムえもんに助けを求めた。


『……はい?』

『助けて紫村。本当に意味が分からないんだ! うちの子に何が起きたのか分からないんだ!』

『一体何を、今はそんな状況──』

 そうだよね戦闘中に話しかけられても紫村も困惑気味。でもそうせずにはいられないくらいに俺も混乱してるんだよ。


『今すぐ戻ります!』

 か、香籐君? 君は一体何を言っているんだ?

『香籐君? ちょっと待てぇっ! 水龍がぁぁぁっ! 香籐ぉぉぉぉっ! うわぁぁぁぁぁっ!』

 天頂からざっくりと流れ落ちたあの星は紫村の宿星……?


 一方、紫村を見殺しにして一人駆けつけた香籐。

『マルちゃんが僕の使い魔ってどういうことですか?』

「先ずは口で喋れや。次にお前の使い魔じゃない。ついでに言うとすっこんでろ下郎! マルは家の子だ」

「ああ、妬ましい。主将が妬ましいです!」

 涙目でこちらを睨む香籐が鬱陶しい。そう思った次の瞬間には香籐が時速百五十キロメートルで爆走するトラックに追突されたかの様な勢いで飛び、空に何かで紅い美しいアーチを描く。

 そして、一瞬前まで香籐が居た場所の少し奥に、幽鬼の如くというか落ち武者の様な姿の紫村が立っていた。

 何時もの伊達男は何処へやら、己の血と水に塗れた無残な姿だ。


「ロードしておくか?」

「いや良いよ。彼には痛みを知って貰うから……僕はね、少し後輩に対して甘かった事を後悔してるんだ」

 こ、こえぇぇよ。

「……なんなら今の内にセーブしておくか?」

 俺はあっさりと香藤を見捨てた。

 しかし帰って来たのは想像を超える言葉だった。

「いや、いいよ……それより後でセーブを頼むかもしれないよ……」

 後でセーブって何? 何なの? 何か起こった事実を確定させる気だよね? 何を確定させるの? ……聞きたいけど怖くて聞きたくない!



「クゥン」

 鼻を鳴らしながら、俺の上着の裾を噛むマル。

 結局NOを選択した俺に拗ねてしまったようだ……つまり、システムメニューからマルにお断りのアナウンスが何らかの方法で届いたと言う事だよな。それってマルは既にシステムメニューに介入して、俺へと使い魔の契約を申請したと言う事か? いやいや、それは無いな。

「使い魔になってどんな問題が起きるのかも分ってないに、その場の勢いでYESとかは無理だから、お前のためでもあるんだぞ」

 手を伸ばして頭を撫でると嫌がるような頭を動かす素振りを見せるが、尻尾はブンブンと振れている。


 ……困った時の【よくある質問】先生は、使い魔は、主人との意思の疎通。レベルアップ・マップ・所持アイテム。各システム対応とあったが、レベルアップにより知能が向上して何かやらかす可能性が高く、特に万一喋るようになった場合は大事になるのは間違いない。

 他にも力加減を間違ってじゃれついて怪我を負わせたりと悩ましい問題が続出するだろう。

 そうなった場合に俺にマルをかばう事が出来るのかとなると、所詮は一中学生に過ぎない俺には荷が勝つ。

 せめて使い魔の契約を解除・再契約が可能ならまだ何とかなるかもしれないのだが、使い魔の契約が成立すると原則、解除が出来なくなる。解除は俺かマルの当事者がどちらか、または双方が死ぬ事のみだった。


 何だかんだでマルを愛でていると、戻って来た紫村は、ボロボロになった香籐を俺に向けて放り投げる。

 勿論俺はヒョイと避ける。

「ひ、酷い……」

 香藤が避難するが、血塗れのお前を受け止めるのは嫌だ。

 それに両腕に間接が二つずつ増えていて気持ち悪い。生理的に無理。


「悪いけどソレ、死なない程度に治しておいてくれるかな?」

 そう話すと、その場に崩れ落ちて魔術を用いて自分の怪我を治し始める……紫村さんが完全にやさぐれておられる。触らぬ神に祟り無しだが、俺は近寄って香藤より先に紫村へ【大傷癒】十連発で治療を施した。

 これ以上紫村の機嫌を損ねるのが怖かったのだ。


「しゅ、主将ぅ……」

「完全に自業自得だから同情の余地すらない。それにしても紫村をここまで怒らせるなんてある意味快挙だ。是非とも日記につけて年に一度くらいは読み返して今日のことを思い出すと良いぞ……トラウマと共に」

「ち、治療をお願いしまふ……」

 治療はしたが、骨を定位置に戻す作業には細心の注意などは払われず、香籐をして何度も悲鳴を上げさせる事になった。

 だって紫村……紫村さんが、香籐の悲鳴に嬉しそうに口角を吊り上げるんだもん仕方ないじゃないか。



「ヒャッホー!」

 水龍の首を切り落とした紫村さんが両手を天に突き上げてはしゃいでおられる。まるでその辺に居る普通の中学生の様に本気ではしゃいでおられる……色々ストレスが溜まりに溜まっていたんだね。

「僕と高城君の力を合わせればこんなものだね」

 そう香籐は紫村采配においてベンチ要員に格下げされて湖岸でマルと……戯れる事は固く禁じられ、死んだ魚の様な目をして正座でこちらを見ている。

 その目に輝きを取り戻すために、今の俺に何が出来るだろう……何もしたくはない。折角上向いた紫村の機嫌を損ねるような真似は出来たとしてもやりたくはない。


「それにしても、ご機嫌だな」

「……う、うん。ちょっと色々と溜め込んだせいで、達成感と開放感に酔ってしまったようだね」

 つまり紫村的に香籐への制裁は全然開放に価しなかった訳だ。怖いね、怖いから紫村の取り扱いには細心の注意を払うことにするよ。絶対に。


「まあ、それは良いとして、やはり格上の相手の魔力を封じるためには複数で協力する必要があるな」

「それに思った以上にタイミングはシビアだから信頼出来る相手じゃないと無理だね」

 まだ根に持ってる。これは暫く放って置くしかないだろう。


 しかし、あちらを立てればこちらが立たず香籐がかなり落ち込んでいる。

 その後、午前中一杯は香籐をハブって二人で順調に龍狩りを続けて昼飯を食った後に、マルを紫村に預けてから朝にやった運動エネルギーの確保の続きを理由に香籐を誘い出した。


「紫村先輩が口を利いてくれません」

「俺が紫村なら、俺が口を利かないのではなく、お前が二度と口をきけなくしてやるから」

「酷い!」

「酷いのはお前だ。お前を信じて命を預けた相手を見捨てておいて良く言えるな?」

「主将がマルちゃんの話を振るからじゃないですか!」

「……俺は振っただけだ、乗るお前が悪い」

 視線を外しながらそう答えると「どうか助けてください」と土下座して頼み込んできたので先輩として多少は真面目な対応をする事にした。


「先ずはきちんと謝って来い。説教されながら謝ったのと、時間をかけて何が悪かったのか本気で考えた上での謝罪とでは心証が違う」

「心証ですか?」

 おやご不満のようだ。どうせ心からとか誠意とかの格好良い言葉が頭の中にあるのだろう。


「心証は大事だぞ。人間は相手の心を読めるわけではないんだ。相手を許すか許さないかの判断は言葉などから受ける心証一つだぞ」

「でもそんなのでは……」

「お前は勘違いしている。紫村がお前に怒り心頭で生涯決して許さないと思ってるとでも考えてるんだろう?」

「このままではそうなっても僕の自業自得かと」

「馬鹿だな。紫村はお前を許してやりたいから説教したんだろう。奴は一生口を利くつもりもないような奴を相手に説教するほど暇でもお人よしでも、悪趣味でもないぞ。だからこそ、紫村がお前の事を許せると思えるような状況に持っていくのが言葉の力だろ」

 好意の反対は無関心だから、紫村なら話しかけても「君は誰?」と初対面で馴れ馴れしく接してくる相手に送るような一瞥をくれるだろう。


「……分りました」

「はっきり言っておくが誤る内容はじっくり考えるんだぞ。どうでも良いような浅い言葉では絶対に謝るなよ。それだとむしろ『そんな事を改めて謝罪する事かな? 君は僕の話をちゃんと聞いていたのかい? 単に何も考えずに言われた事に対して、条件反射ですいませんと頭を下げていたんじゃないかな?』と怒り倍増で嫌味たっぷりに説教されるならまだましだ。鼻で笑って二度と相手にしなくなる可能性もあるからな」

「は、はい! 助言ありがたく頂戴します」


「それから、お前には愛犬が必要なことが良く分ったから、親を説得して犬を飼え」

「し、しかしですね」

「母親が犬が駄目なんだろ?」

「はい」

「アレルギーでもあるのか?」

「いえ、そういう訳ではなく生き物全般が苦手なようで」

「そうか、アレルギーとかで体質的に無理とかじゃないんだな」

「はい」

「だったら自分で何とか説得しろ」

「えっ?」

「えっ?」

 えっ? じゃないだろ。俺は何一つ理不尽な事は言ってないぞ。


「こういう時は何か助言とかを頂ける流れではないでしょうか?」

「そんな都合の良い流れなど知らん! 自分の事だぞ、自分の家族くらい自分で何とかしろ。大体俺はお前の親の事を全く知らん。それで助言しろと言われて何を助言出来る?」

 それ以前に、妹すら手に余している俺に、他人の家族の説得などという難題はどうにも出来ない事くらい察して貰いたい。


「でも……」

「先ずは目をつぶって家に犬が居る生活を想像してみろ」

 そう言われて目をつぶった香籐の顔は二十秒ほどで蕩けてきた。どんな妄想を繰り広げているのか分らないが、とりあえず幸せそうで気持ち悪かった……何故だろう。今日という日は、何故か一年間、目をかけ続けてきたはずの可愛い後輩が気持ち悪くてならない。



 名目上とはいえ三十分間ほど、三千メートル上空からの落下させた岩の運動エネルギーを頂く作業を終わらせて戻ると紫村はマルと楽しげに遊んでいた。


 ドッグセラピー。犬との触れ合いを通して情緒的な安定を得る効果は、香籐によって荒んだ紫村の心すらも癒してみせたようだ。

 それにしても紫村は犬の扱いも手馴れているな。マルは大型犬だけに優しく軽く撫でられるよりワシワシと強く撫でられるのが好きなのだが、既にその辺の事を熟知しているかのような手付きで撫でている……卒が無さ過ぎる。むしろ奴が一番苦手なのは人並み程度の料理じゃないかと思えてきて死にたくなるわ。


「運動エネルギーのプールは順調かな?」

 すっかり落ち着いたようで、いつもの爽やかな笑顔に、優し気微笑みが加わっている……マル最強!

「ああ、かなり溜まったから、弾体となる物を用意出来たら、例の大物も潰せる……のはまだ無理だな」

 一応、朝の分と含めて三千回分の運動エネルギーを蓄えてある。

 既に奴のレールガンによって射出される弾体の運動エネルギーの約四倍のエネルギーをプールしてあるが、奴を構成するお化け水晶球の大多数を破壊するためには、硬い水晶球を何百、何千と貫通可能な丈夫さを持ち、貫通力を得るために細く、それでいて質量を確保出来るほど長い棒状の弾体が必要になる。


 それが用意出来ないのなら、効率はかなり下がるが弾幕を張って表面から薄皮を剥ぐ様に削っていくしかない。

 その場合に必要な運動エネルギーは現在プールしている分の十倍以上は必要になるだろう。

 一応最低限必要な性能を持つ弾体を想定して調べておいたのだが、炭素鋼の中で最も一般的な素材で作られた断面が直径三十ミリメートルの円形、長さが一メートルの棒状で、そして重さが六キログラム強といったところでお値段が三千円以上。

 必要となる数は五桁に達するであろうから、どう考えても予算が足りない。夢世界側の貴金属を現実世界で売却して資金を調達するにしても、中学生と言う立場がそれを不可能にする……成人していたとしても、売却する貴金属の出所を探られたらアウトだけどな。


「現実世界では弾体として使うものが確保出来ないてところかい?」

「ああ。予算が無ければ、それを人知れず購入するのも無理だな」

「こちらで用意すると言うのは無理なのかな?」

「こっちの世界でか?」

 それは考えないでもなかったのだが──


「必要な数が万単位だから、大量生産が不可能なこちらでは無理だと思う」

 比べるのも可哀想なほど工業力に開きがあるからな。

「魔法的な何かで、破壊力を向上させる方法はないかな?」

 その発想はなかった。


 高速で打ち出された弾体を目標手前で爆破して散弾にする事で、広い面積への着弾させ一度に破壊する水晶球の数を増やす事を考えなくもなかったが、それを実現するために大量の火薬や火薬の材料になる物を購入するのは現実世界では不可能だし、夢世界側でも無理だと諦めていたが、魔法を使えば出来なくもないし、それどころか着弾後に何らかの効果を発揮させる事で、広範囲に破壊力を伝達する方法もある……かもしれない。


「後でミーアに尋ねてみよう。可能性があるなら何とか実用化してみたいから協力を頼む」

「来週までに何とかしておくよ」

 つまり、来週の土日にまた紫村の家に集まってこちらの世界に来ると言う事だ。余り紫村の家に入り浸ると俺がホモに転んだと噂されかねない。

 だとするならば、その噂を立てる急先鋒となる三馬鹿を仲間に引き入れるべきなのだろう……ちょっと不安だな。あいつらって本質的にうっかりとお調子者と馬鹿を併発しているからな~と自分は棚に上げておく。


 その事を紫村に話すと意外なほど乗り気だった。

「僕は賛成だね。彼らも迂闊に秘密を漏らすほど馬鹿じゃないよ。秘密を守れるなら仲間は多い方が何かと助かる……三人だけだとやっぱり制限があるよ」

「そうか賛成してくれるなら、この話を進めてみる。明日の放課後に一度、集まりたいのだが紫村の家で良いか?」

「情報の漏洩を避けたいなら僕の家が一番良いね」

 自信ありげに答える紫村が、どのような漏洩防止の手段を講じているのか分らない。マップ機能を使って盗聴器などの排除だけではないのだろう。


 実際のところ、俺の家にも盗聴器は仕掛けられていた。マスコミ・俺達の身柄を狙う隣国の工作員ではなく俺達を護衛する立場にある彼らの仕業だろう。

 それ以外にどんな手段が施されているかは分らないが、知らない方が幸せになれる類の話しだと思うので深くは突っ込まない。



 午後からは俺に変わり、香籐が紫村とコンビを組んで龍狩りを再開する事になった。

 基本的に俺よりもコミュニケーション能力が高い香籐なのだから、上手く紫村に謝る事が出来たのだろうが、その現場を俺は見ていない。他人が謝る姿を第三者として見るなんて野暮すぎる。


 二人は上空からオークの死体を湖に投げ込み、血の匂いに反応して姿を現すはずの水龍を待つが何時までたっても現れない。

『主将。これって水龍が居ないのか、それとも既に満腹で食欲がないのどちらでしょう?』

『多分、後者だろ。水龍は下手をすれば千年以上生きるって存在だから、地図が書かれてから数年の間に死ぬ可能性は低い。それに俺達以外に狩れる奴が居るわけでもないみたいだしな……とりあえず、これを湖に投げ込め』

 そう言って【所持アイテム】からワインの酒樽を香籐のへと受け渡し処理を実行する。


『これって酒ですか?』

『高城君が一番最初に水龍を倒した時の話を憶えているかい?』

『ああ、酒で誘き寄せたんでしたよね』

『そういうことだ。満腹でも酒は別腹だろうさ』


 香籐が上部の蓋を割った酒樽を投げ落として、三分間も経たずに水面を大きなうねりを生み出しながら巨大な黒い影が落下地点に向かっていくのが見える。

 水龍としてはあまり大きい個体ではないが水龍なのは間違いなく、紫村と香藤の二人で最初に狩る相手としては手頃ともいえる。


 落下地点にたどり着いた水龍が何かを探すように付近を周遊する。

 そりゃあそうだろう。樽の上部を割って放り込んだのだから中のワインは全部水と交じり合ってただのフレーバーになってしまっていてるのだから、奴が求める酒は存在しない。


 しかし水龍が酒探しに没頭している間に紫村と香籐は高度を下げて配置に就くと、水龍の動きに合わせて常に自分達の間に置くように移動しながらクロスボウを構える。


『三・二・一・放て!』

 紫村のカウントダウンに合わせて同時に放たれた二本のボルトが湖面を貫く。

 一拍おいて湖面が盛り上がると水面が破れ、耳を劈く咆哮と共に水龍が姿を現す。そこへ再び二本のボルトが襲い掛かり、香籐が放ったボルトは水龍の鼻面に突き立ち、紫村の放ったボルトは、その後ろの首の付け根の真ん中に深々と突き刺さる。


 凄いのはクロスボウの狙いの正確さではない、二人は水龍が姿を現した瞬間から、三射目に備えて弦を引くが、この瞬間も水龍に対して魔力干渉を行い続けている。

 これならば水龍が魔力操作を行おうと魔力を集める初期段階で阻害されて、魔法的な現象は何一つ起こす事が出来ないだろう。


 三射目は香籐のボルトが水龍の右眼を貫き……偶然だよな? 激しく動く直径十センチメートル程度の眼球に当てるなんて、偶然に決まってるよ。

 紫村のボルトは二射目のボルトの僅か数センチメートルほどの位置に突き刺さった……偶然だ……そんな馬鹿なことがあるはずがない。そんなチートはお父さん許しませんよ!


 まあ、それは良いとしてだ。僅かな間に深刻なダメージを受けた水龍は、その危機感から必殺のブレスに頼ろうとするが、魔力干渉によって魔力を操作するどころか集めた先から霧散している様である。この距離からじゃ水龍の魔力は把握出来ないよ。


 ブレスを使う事が出来ない事に気付き戸惑う様子を見せた水龍に、更なるボルトが襲い掛かり混乱に陥り、首を伸ばし正面に浮かぶ香籐へと横に鞭のように鋭く振った。

 控え目に言ったとしても売れすぎたトマトを床に落としたように弾けてもおかしくは無い一撃を、香籐は足元に出した岩を足場に蹴りで迎え撃つ。


 物体と物体の衝突は必ず、そこで生まれたエネルギーが反動として双方に等しく送り返され、共に同程度の素材で出来ているならば、多くの場合はより小さい方の物体が破壊される。

 質量が大きい方がよりエネルギーを分散して受け止める事が出来るからだ。

 だがぶつかるのが均質な物体同士でなく、特に生き物身体同士ならば話は変わってくる。

 自らの身体の固い部分で、相手の身体の柔らかな部分を打てば、衝撃力は柔らかい方へと向かう。


 香藤は足場とした岩に接する右足から、その蹴りのベクトルを示すが如く、力強くそして美しく一直線に伸びた先にある左足は頭蓋骨を砕き水龍の左側頭部に突き刺さっていた。

 硬さで言うなら踵と頭蓋骨ではさほど強度に違いは無い。むしろ水龍の頭蓋骨の方が分厚いだけに強度は上だろう。

 つまり、加藤の現在のレベル百十五の骨格の強度はファンタジー生物の水龍すらも上回っていた。

 しかしそれだけでは説明がつかない。水龍の首のスイングに勝る速度で蹴りを放ったからこそ初めてなし得る業である。


「見事です」

 紫村の掛けた声に、香籐は左足を引く抜くと崩れ落ちとする水龍を収納すると向き直り一礼する。

「今の蹴りを決して忘れるな。今後五年はお前にとって最高の手本となる蹴りだろう」

 俺からもそう声を掛ける。それは三年かもしれないが、もしかすると十年になるかもしれない。だが何れの時にか追い越していくべき手本である。


 もし香籐が短期間でそれを追い越してしまったのなら、俺は武を捨てて普通の男の子になるよ。他人と拳を競うような事の無い平和な生き方をするんだ……冗談じゃなくそうなりそう気がして怖い。



 その後は、紫村と香籐が順調に龍狩りを続けていき、本日八体目の獲物となる風龍を見事に討ち取った。

 俺に思わず「風龍より、ずっとはやい!!」と言わしめた高速空中機動で追い込むと、香籐が死角から飛び込んで首の付け根の一番柔らかな部分を切りつけて半ば切断すると、直後に紫村の槍が頭部に突き刺してから頭部を中心に回転しながら首をねじ切る。

 強い。僅かな時間ながら数をこなして戦い慣れした二人は息の合ったチームとして完成しつつある……これなら試してみたかった事が出来るかな?


 予定していたよりも得られた経験値が多く後一体、小型の龍であっても倒せば十分にレベルアップが可能な状況だから思いついただけで、試すといってもそんなに大した事ではない。

 パーティーメンバーと一緒に戦えば経験値を共有する事が出来る。だが離れて戦った場合に他のメンバーが倒した魔物の経験値を共有する事が出来るか? また出来るなら、どのくらいの距離まで共有出来るのかを確認するだけの事だ。


 既に俺の夢世界での戦闘結果が、現実世界の紫村や香籐に反映されなかったのは確認済みだ。それが出来るなら他の部員たちもパーティーに入れて、俺が夢世界で龍を狩りまくれば、世界征服も可能なくらいの戦力強化になるのだが……出来ても面倒だからやらないけど、妄想としては面白い類だったよ。


『マルガリータが仲間になりたがっています』

 ……既に今日五回目のアナウンスだよ。

 そう。既に四回お断りをしている訳だが、その度にマルの悲しそうな姿を見る事となり罪悪感に苛まれ胸を抉られるような気持ちになる。

「マル。分ってくれ。まだお前を使い魔にする訳にはいかないんだ。実際どんな問題が出るか、逸れ次第によっては今まで通りにお前と暮らす事も出来なくなるかもしれないんだ」

 マルを抱きしめながらそう話しかける。マルは言葉は分らなくても俺の態度からお断りを察したのか悲しそうに鼻を鳴らす。

「分ってくれ。マルおれはお前が大好きだ。出来る事ならYESと言ってやりたい──」


『使い魔の契約が終了しました。マルガリータ(通称マル)犬:シベリアンハスキー。Lv1が使い魔となります』


「えっ? ……ちょ、ちょっとそれは違うだろ!」

 そう叫ぶも、くい気味で『契約は解除できません』とアナウンスを寄越してきやがった。

「ワウォン!」

 マルは一声吠えると、俺を押し倒し顔を嬉しそうに嘗め回してくる。

 何時までたっても俺の顔を涎だらけにするのをやめないマルの頭を抱きかかえて押さえつけると、マルは胸に顔をグリグリと押し付けながら『マル。嬉しい! タカシ大好き!』と【伝心】に近い感覚で言葉が頭の中に響いて来る。これが主従間の意志の疎通なのか? ……はさておき、マルから大好きと言われたらもう堪りません!

 【伝心】で話しかけるように頭の中で『俺もマルが大好きだ!』と強く思う。

『マルも、マルも大好き!』

 ちゃんと返事が返って来るよ。こんな嬉しい事は無い。


『……タカシと気持ちが分る。なんで?』

 ようやくマルが事態に気付いたようだ。

『マルが俺と使い魔の契約……これじゃ難しいか……う~んそうだな。マルと俺がもっと仲良くなるって約束をしたからだよ』

『マルとタカシ仲良し、仲良し!』

 一応通じたようだ。


『マルはこれから俺と一緒にどんどん強くなる。だけどこれだけは気をつけて欲しい。マルがとても強くなったらちょっと力を込めただけで誰かを傷つけてしまうかもしれないし、大切な物を壊してしまうかもしれない。だから何時も気をつけて優しくしていて欲しいんだ』

『……? うぅぅぅってしなければ良いの?』

 うぅぅぅっ? ああ、怒って唸る事か。


『そういう事だよマルは、うぅぅぅっってしない優しい、良い子だから大丈夫だと思うけどね』

『マル、良い子! 他所の子にうぅぅぅってされてもうぅぅぅってならないよ』

 全く家のマルは本当に良い子に育ちましたよ。可愛くて可愛くて可愛さのあまりに、心の堤防が決壊して色んな感情が暴走してあふれ出しそうだ。


「……何を見詰め合ってるのかな?」

 良いタイミングで掛けられた紫村の声に少し冷静さを取り戻す事が出来た。

「マルと使い魔の契約を結んでしまった」

「ど、どういうことですか主将! 僕のマルちゃんが!」

 再び香籐が暴走しそうになったのを、紫村が後ろから蹴り倒した。蹴られた尻を押さえてピクピクと痙攣している香籐を見つめる紫村の眼は、まるでGを見るような嫌悪感に満ちている……本当に香籐には自分の犬を飼って可愛がり満たされる事で落ち着いて貰いたい。


「それで、一体どうしてそんな事になったのかな?」

 寿司のシャリとネタのように一体化している俺とマルの姿に呆れた表情を隠さず尋ねてきた。

「それは──」

 俺は起きた事を包み隠さずそのまま話した。


「それは君の迂闊さを責めるべきか、システムメニューの狡猾さを責めるべきか……」

「やはり、システムメニューから何らかの意図を感じるか?」

「勿論だよ。その子の願いにシステムメニューが応じて、君に対して使い魔の契約を持ち出すのがそもそもおかしいよ」

「そうだよな。だがどんな意図があるのか全く分らないからな、それが俺にとってメリットなのかデメリットなのかも判断がつかない」

 システムメニューは今は俺にとって間違いなくありがたい存在だが、それが今後もそうなのか分らない。そこに不気味さを感じずにはいられない。


「問題は、その意図が分ったところで、僕らには何も手を打つ手段すらないと言う事だね」

「……すまんな。巻き込んでしまって」

「水臭い事は言わないで欲しいよ。それにあの時、君が僕と香籐君をパーティーに加えていなかったら、僕らは生き残れたかどうか……君の判断に間違いは無かったと思う。そして今後どんな結果が待っていたとしても、僕と香籐君が君を恨む事だけは決して無いと信じて欲しい」

 胸に染み入るような言葉だ。自分の心情まで勝手に代弁された香籐が凄い表情で悶えていなければ感動して泣いていたかもしれない。


『何を話しているの? マルの事?』

『そうか、マルはまだ俺達が喋っている事は理解出来ないのか』

『? 分るようになるの?』

『今だって、ご飯と散歩、それに家族の名前は分ってるだろう?』

『うん分る! ご飯に散歩! マサルは好き! おとーさんは大好き! おかーさんは大大大好き! それからタカシはチョー大大大好き!」


 チョー大大大好きとな、ちゃんとランク付けが、しかも俺が一位だ……ついに偉大なる母の背を越えたか。

 それはそれとして父さんと母さんはともかく兄貴もマサル呼ばわりで安心した。俺だけ呼び捨てという訳ではなく家の中での呼び方を憶えているだけみたいだ。

『それからね、スズも好き……でも時々苦手』

『やっぱり苦手か……』

『スズは身体が大きいけど、まだ子供だから力の加減が出来ないの。でもマルお姉さんだからうぅぅぅってしないよ。だけど時々痛くてヤーなの』

 くっ……く、くくくっ……涼の奴、マルから子供扱い、妹扱いされてたのかよ。腹筋が俺の意思とは関係なく痙攣しやがる。


『マルは賢いなぁ~』

 腹を抱えながら、誉め頭を撫でてやった。


「君と君の犬が【伝心】の様な方法で意思の疎通をしているのは分ったけど、何を話しているのかな?」

「くっ……い、いや、あのな。俺の妹の事をマルは子供扱いしてて……自分がお姉さんだからって……」

 笑いを必死に噛み殺しながら伝えると、紫村は顔を背けて肩を震わせている。今年十三歳になる人間が、まだ一歳になってない犬に妹呼ばわりされているのだ笑わない方がおかしい。


「いや、失礼した」

 何とか笑いを噛み殺して表情を取り繕った紫村の様子がおかしくて、俺も笑いながら引導を渡す。

「それでな……妹は子供だからまだ力の加減が出来ないから……時々痛くされて嫌なんだけど……お姉さんだから我慢してるって」

 流石の紫村もついに吹き出し、声を上げて笑い始めた。


 骨盤を割られていた香籐を治療する……骨盤がこんなに簡単に折れるとも治るとも知らなかった。

「二手に分かれて龍を狩っても経験値が共有されるのかを確認するのも良いかと思っていたが、マルの経験値稼ぎの為に確実に経験値を稼げるようにまとまって移動し龍を狩ることにしたい」

「レベルアップには懸念があったのだと思っていたけど、どうなの?」

「中途半端にレベルアップさせるよりどうせなら一気にレベルアップさせて、ある程度知能を向上させれば話せば分ってくれるようになると思う」

「いまでも十分に分って貰えそうなくらい頭が良さそうだけどね……お姉さんだから……ふっふふふ」

 いきなり思い出し笑いを始める紫村に、先ほどのやり取りを知らない香籐は怪訝そうな表情を浮かべるが放っておく、どうせ病気を拗らせるだけだろうから。



 火龍を待ち伏せするために、巣穴の中で待機していると最初に倒した火龍を思い出さずには居られない。

 表面が高温で融けて黒いガラス状になった壁や床、天井が吹き抜けから落ちてくる日差しの頼りない明かりを反射させ、幻想的というよりは不気味なものを感じるのは以前と同じだ。

 俺は何かを忘れている。あの時、あの場所であった何かを俺は──


『暗くて嫌な感じがする』

『とても大きなトカゲの親分みたいな奴の巣穴だから気分は良くないな』

 マルの問いかけに答える。

『とってもってどれくらい?』

『家よりも大きいよ』

『……タカシ。嘘良くない』

『嘘じゃないよ』

『そんなに大きなのは居ない』

『そこは騙されたと思って信じろよ』

『マル。騙されないよ』


「主将。マルちゃんと何を話しているんですか?」

「香籐はうるさいなと話し合っていた」

「嘘です」

「嘘ではない」

 嘘だけど。

「騙されませんよ。マルちゃんはそんな事言いません!」

 何故だろう。マルとの会話と似た展開なのにまるでほのぼのとしない。


 この待っている時間にマルにシステムメニュー関連の使い方を説明するのもありかと思ったが、どうせならレベルアップ後に頭が良くなってから説明した方が効率が良いと気付いたので暫くはマルと遊ぶ。

 香籐が羨ましそうにこちらを見ているが無視する。別に香籐に対するイジメではない。香籐が紫村を怒らせないようにするための配慮だ。


「来た」

 広域マップに『火龍』のシンボルが出現し、こちらに真っ直ぐ向かっているのを確認してから知らせる。

 移動速度は秒速で五十メートルほど、つまり時速では百八十キロで第一次世界大戦時の複葉戦闘機程度だ。もっとも火龍が最大速度で飛んでるかは分らない。


「こいつは俺が貰う」

 使い魔に関する情報は【よくある質問】を確認しても詳しくは出て来ない。多分、マル自身が調べないと詳細は出て来ないような気がする。

 そのため、俺自身の使い魔であるマルへ、パーティーのメンバーが倒した対象の経験値が振り分けられるのかは不明なため、残りのノルマの二体は俺が狩る事になっている。


『マルも戦う?』

『今日は見てるだけで良いから』

 別に明日以降もマルを戦わせる気は無いんだけどな。別に戦い向きの性格でもないし、実際今も「戦う?」と尋ねつつも腰が引けている感じだった。

『いいの?』

『マルは元気で可愛いが一番だよ』

 これが俺の本心だ。犬が飼い主を守って命を落とす美談を聞くが、俺がマルを守る事はあってもその逆は想像出来ない、


『マル元気? マル可愛い?』

『マルは元気で可愛いよ』

『元気! 元気! 可愛い! 可愛い!』

 マルはスキップするように飛び跳ねながら、そこらじゅうを飛び回る。


「主将とマルちゃんがキャッキャウフフ状態ですよぅ」

「嫉妬は見苦しいですよ」

 本当に見苦しいよ。どうしてマルが絡むと香籐は駄目な奴になってしまうのだろうか? 何でもそつ無くこなす優等生タイプで、一つぐらい欠点があった方が良いとも思っていたが、その一つの穴が大き過ぎて深過ぎた。


「二人の世界に入り込めません」

「無理に入れようとしてはいけません」

 違うよね? お前、今何か別の邪な事を考えていたよね……怖いから絶対に突っ込まないけどさ。

「僕も犬を飼います。絶対に母さんを説得して犬を飼います。そうしたらその子と使い魔の契約をして、あんなふうに会話して楽しく──」

「はいはい……」

 妄想の世界に逃避した香籐に紫村もうんざりしているようなので、そこへ水を差してやる。


「性格の悪い駄目犬を飼って苦労するが良い」

「ちょっ! いやな事を言わないで下さい!」

「犬だって生き物だ。人間と同様に良い奴がいれば、悪い奴もいる。マルのように性格が温和で頭の良い犬はそう簡単にいるものではないな」

 マル以外の犬を飼ったことも無いくせに偉そうに言ってみる。


「で、でも使い魔にして、レベルアップすれば少なくとも賢くは──」

「香籐君。そもそもその犬との間に深い信頼関係が築けなければ使い魔の契約は結べないんじゃないかな?」

「! ……えっ? ……えっ!?」

 ごくごく基本的な問題に気付いていなかったようだ。

 まあ香籐自身が勉強しながらきっちりと躾けていけば、そう酷いことにはならないだろう……マルはちゃんとブリーダーから直接譲って貰ったので躾はちゃんとされていた。


「じゃあ、マルは後からかと……紫村に連れて来てもらって上までおいで、紫村頼むぞ」

「何で言い直したんで──」

「任せて。じゃあ抱き上げるから大人しくしていてね」

「あっ! 僕だってまだマルちゃんを抱け上げた事は無いのに!」

 腰に負担が掛からないように、上手にマルを抱き上げる紫村に香籐が噛み付くが、紫村が機嫌を損ねる前にフォローしておく。

「そのチャンスは一生来ないから安心しろ」

「…………ひどい」

 フォローになったかどうかは知らないが、そう言い捨てると俺は天井部分に開いた竪穴へと一気に跳躍する、そして壁を蹴りながら上昇し竪穴を飛び出す。


 丁度、翼を風に向けて立てて減速中の火龍の四十メートル手前で正面に飛び出した形になった。

 無論、それはマップで確認しながらタイミングを計った結果であり想定通りだ。

 もっと至近距離で飛び出して一気に首を落とすという方法もあるのだが、ここは二人に魔力の圧縮と開放により相手の魔法を封じるやり方を見せるのを選択した。

 それにしてもでかいな……俺が今まで目にした龍の中でも間違いなく最大の大きさだ。

 だがやる事に大して違いは無い。


『先ずは圧縮した魔力を相手の傍に送り込む』

 想定される龍が角から謎の熱線攻撃を放つの必要な魔力の百分の一程度の魔力を一ミリメートル以下の小さな球へと圧縮したものを三つ飛ばす。


 魔力の圧縮は、外へと向かって漏れる魔力の一切を封じ込める性質があり、更に極小サイズにする事で余程注意を払っていないと、いや払っていても発見は困難なはずだ。

 圧縮した魔力の後を追うようにして火龍へと距離を詰めていく。


 火龍はやはり戸惑うかのように何の動きも見せない。他の火龍や風龍もそうだが強者である彼らにとっては、地を這う小さき者が自分に向かって空を飛んで来るという事態を冷静に受け止める事が出来ないのだろう。

 自分に例えてみるなら、生まれたばかりの目も開かない子犬か子猫が、まだ満足に動かせない足を使ってのたうつように自分に向かってくるようなものだろうか? ……うん、その辺のホラーよりゾッとするシチュエーションで、冷静でいられる自信は無い。


 そのお陰で、火龍が迎撃の態勢をとる前に懐に飛び込んでしまった。

 このまま首を刎ねたら目的は果たせないので、斬らずに右足で火龍の下顎を蹴り上げてから素早く角から火龍自身の身体を盾と出来る背後へと離脱する。

 火龍自身は混乱を来たしていても、火龍の意思とは別の自己防衛本能的な動きを見せる角に対して注意を怠る事は出来ない。

 そして角は内部で魔力を操作して効果を発生させるので、他のいかなる魔法の行使と比べても発動のタイミングが読めないという厄介な性質を持つ。


 そのために、角の攻撃を封じるならば紫村と香籐がやったように、魔力操作を行う前から妨害を続けるというのが正解なのだが、俺の方法では連続的に妨害し続けるというのは難しいので、常に火龍自身の身体を盾にしながら攻撃を加えて、火龍を危機的状況に追い込んでおかなければならない。


 角の死角から尻尾を斬り落す。飛び散る血は被らないように、全て【操水】で球状にまとめると収納した。

 龍は血液すら高額で取引される素材だが、火龍の血液は三十四度程度の温度で発火するという性質の為に取り扱いが難しく、事実上取引されることは無く、他の肉や皮の処理も大変な手間が掛かるそうだ。


 だが、きわめて高温で燃える火龍の血は何かに使えそうなので残らず収納して保存している。

『どうやって切り落としたんですか?』

 柔らかいどころか比較的硬い鱗に守られて、攻撃手段としても使われる尻尾を切り落とした事に香籐は驚く。


『悪いが俺の剣は特別製だ。切れ味はそこそこだが、決して刃毀れせず龍の鱗が相手でも切れ味が落ちない』

 首や腹などの比較的柔らかい鱗を切っただけで、刃先が丸まり切れ味が落ちてしまうお前の剣とは違うのだよ。

『まあ、磨いだ直後のお前の剣の方が遥かに斬れるけどな。何といっても切れ味が落ちないって事は刃先が変形しないという事であり、つまり研ぐ事が出来ないという事だから』

『切れ味がそこそこといういのは微妙ですね』

『ほっといてくれ!』


 次いで左の後ろ足へと膝の後ろを斬りつけて、そのまま両断する。

 斬り飛ばされた右足から吹き出る血の飛沫が、轟きの如き火龍の咆哮により細かい粒子に砕かれ霧のように舞い散る。

『見逃すな!』

 そう二人に指示を出すと、俺は角の死角から飛び出す。そして同時に魔力を圧縮から開放した衝撃波によって、魔力を練り上げいつでも撃てる状態になっていたはずの角の熱線攻撃は不発に終わり、火龍の魔力が空しく拡散する。


『これは……』

 紫村の驚きが【伝心】によって伝わる。

 崩壊した熱線の術式からあふれ出た魔力が突風のように吹き荒れる。もしも魔力に物理的影響力があるなら、近くにいる俺の身体は木の葉のように吹き飛ばされていただろう。

 何せ龍の命を削る程の魔力を必要とする攻撃だ。今なら龍以上の魔力を持つ俺でもそこまでの魔力を使った事は無い。術式崩壊によってあふれ出したのはその十分の一程度だが、それでもこの規模になる。


 だが俺は荒れ狂う魔力の奔流をものともせずに正面から混乱状態の火龍に接近すると、その額の真ん中に剣を突き立てる。

「硬いな」

 流石に突き刺さりはしたものの、食い込んだのは五センチメートル程度で頭蓋骨を貫通するには至らなかった。

 柄から右手を離すと、飾り気の一切無い無骨な剣の、平らな柄尻へと振り上げた右の拳を叩き込むと剣先の辺りから「カッ」と何かが壊れる特有の音が鳴り、剣先は三十センチメートルほど一気に深く食い込み火龍は怒号を発する。

 意識が飛びそうなほどの音に堪えながら、更にもう一発殴りつけると、剣は鍔際まで突き刺さり火龍は断末魔の叫びを上げて絶命した。



『マル。レベルアップしたから確認するよ』

 ちなみに紫村達もレベルアップしたのだが放置する。確か大島を復活させるための魔術がどうのとかつまらない事を言っていたような気もするが、そんな汚れ仕事は後回しで構わない。


『レベルアップって何?』

『マルが強くなったって事だよ』

『強く? マル何にもしてないよ』

『それはそれとして。システムメニュー表示!』

 声に出しても出さなくとも、表示されるのだがマルとの意思疎通手段の中で表明しても受け付けられる事が分った。

『何? これ何?』

 目の前に浮かぶ文字情報にマルの興味津々と言った感情すらも伝わってくるようだ……つうか本当に伝わっているな。これが使い魔との契約の効果という事か?

 本来、絶対的な孤独のはずのシステムメニュー表示時の時間停止世界にさえも、共にある事の出来る使い魔は、パーティーメンバー以上に俺にとっては近い存在といえるようだ。


『これはシステムメニューと俺が呼んでいるもので、目の前に浮かんでいるのは……』

 あれ? マルには日本語の文字が見えているのだろうか? 犬語に変換されて……犬語ってなんだよ! じゃあ何か別の言葉に……そんなの無いよ。マルは犬なんだから体系的な言語なんて無く、言語哲学者ノーム・チョムスキーが提言した生成文法理論における概念である普遍文法という奴しか持ち合わせていないはずだ。


 普遍文法とは大雑把に言うと赤子や動物のように言語を習得していない生物でも、自分の周りで起きた現象などの情報を五感から得たままの形で脳の記憶野に保存するだけは無く、言語的な情報へと変換して記憶するものであり、第一段階は事象に対してそれを象徴する特徴的成分を抽出し、それらにラベルを貼ることで処理する情報量を圧縮する効果を持つ。


 例えはマルは俺という人間に対して、多くの情報を持っているが、俺に関わる事を思ったりする場合に、俺の全ての情報を記憶野から引き出すのではなく、俺の特徴的成分、この場合は「タカシ」という名前を思い出す事で情報量を大幅に減らしている。

 動物は処理する情報を減らすために他にも「何がどうした」という主語と述語的な文法を言語によらずとも生来持ち合わせていう考えだ。


 つまりマルにはシステムメニューによって翻訳されるべき言語を持っていないとするなら、マルに提示されてる文字は何か?

 普通に考えれば契約の主である俺が使う日本語だろう。ならば確認する方法はある。

 【所持アイテム】内からノートと筆記用具を取り出す。最近は、学校の教科書一式と全部まとめて収納してあるよ楽だから仕方が無い。

 マルが判断しやすいようにカタカナで【パラメーター】とまぶたを閉じて、頭の中でイメージされた文字をなぞるようにして書き込むと、システムメニューの【パラメーター】の項目とノートを並べて、『同じものが書かれているか?』と尋ねた。

『うん、同じ!』

『そうか』

 どうやら、日本語で間違いないようだ。名状しがたき謎の言語じゃなくて良かったよ。


 確認してみるとマルのレベルは十七になっているが、【知能】関連のパラメーターは【記憶力】を除けば、未だ人間の成人レベルに達してはいないみたいだ……だよね犬だもんね。

 だがこれでは、言葉などを憶えさせるのは不可能ではないが、効率が悪すぎる。やはり経験値お代わりだ! ……身体能力は凄い事になっているが、それはこの際どうでもいい。問題はその身体能力を抑えて今まで通りに生活出来るだけの知力を得られるかが問題だ。



「引き続きレベル上げを続行する」

「僕達はレベルアップしたけど?」

「残念ですが、蘇生関連の効果を持つ魔術はありませんでした」

 自分でも薄情だとも思わないでもないが、時間が経つと部員達を守って命を落したという事実に感じ入った記憶も薄れて、中学生になってからの二年間のあんなのやこんなのやと、苦しい想い出ばかりが先立つようになる。

 人間が憎しみだけで人を殺せるならば、俺は大島を三桁以上の回数殺している事になるはずなので、仕方のない事だろう。


「まあ、それは想定内の出来事だが、想定外にマルの知力の向上が思わしくなかった。もっとレベルアップさせて話を理解出来るようにしないと、現実世界に帰った後に何が起きるのか、想像するのが怖い」

「確かに怖いね……月曜日、君が学校から家に戻ると更地になっていたとか」

「本当に怖いから! 無いとは言えないんだからな」


「とりあえず二人は、魔力の圧縮の練習でもしておいてくれ」

「距離が離れた状態でも経験値を共有できるかを確認する訳ですね……ですが嫌です! 僕もマルちゃんと一緒に行き──」

 背後から紫村が優しく抱きしめるように香籐を締め落した。

 見事だ。気配を感じさせる事なく背後に回りこみ、呼吸のタイミングを計る事で抵抗する暇も与えず落した……空手とは何の関係も無いというのに、どうして俺達はこんな技ばかり身に付いてしまっているのだろう。


「それでは、僕らも練習しておくから高城君も頑張って」

 気持ち良さそうに意識を失っている香籐がどう練習するのかは知らないが「……お、おう。分った」と答えると、マルを抱き上げて地図に記された最後の龍を目指して空へと舞い上がる。


『凄い。何か臭いが濃いよ!』

 俺に抱きかかえられて空を飛びながらも恐れる様子はなく、鼻をフンフンと鳴らしながら嬉しそうに伝えてくる。

 確かに犬の臭いを嗅ぐ能力は嗅覚細胞の数からして人間を大きく上回るが、それ以上に人間との嗅覚の違いは、入ってきた嗅覚情報を事細かく判断する能力が高いということだ。


 漫画などで見かける犬に臭いを放つ液体を吹き付けて撃退するシーンはあるが、あれは犬という種族の本能として危険と判断する対象=不快な臭いと結びつけてあるために、犬は不快と感じる臭いに戦意を失うのであって、強い臭いの刺激によって撃退されるのではない。


 今のマルは、今まで感じることの出来なかった弱い臭いを嗅ぎ取ることが出来る事が出来て、臭いの数が増えたことを「臭いが濃い」と表現しているのだろう。

『それはレベルアップして、マルの臭いを嗅ぎとる力が強くなったんだよ』

『なにそれ、すご~い!』

『ちなみに臭いを嗅ぎ取る力のことを嗅覚って言うんだよ』

『きゅーかく? きゅーかく! 面白いね!』

 知識が増えることを喜ぶ。知識欲も身に付いてきたというか、これは生来の好奇心旺盛さによるものだろう。

『全ての物事には、それを表す言葉があるんだよ』

『言葉。言葉……マルもっと憶える! タカシ教えて』

 もっとレベルアップしてからの方が効率的だけど、記憶力は既に素の俺以上まで強まっているので移動の間、雲や風などの自然現象についてマルに教えた。



 小型の風龍を発見する。やはり大型ばかりとはいかない様だ。

 面倒なので手抜きをして長距離からこぶし大の石に、足場岩三千メートルからの落下分の運動エネルギーを与えて打ち出すと、標的の風龍の首の中ほどに当る。そして当った周囲が弾け飛び、千切れた上部が縦に回転しながら落ちていくが身体は落下しない。

 魔力操作を封じてはいないために、風龍のとしての『空を飛ぶ』という基本属性が維持されているためだろう……何故、頭の方は落ちたのかは分らないし、そもそも俺の推論自体が正しいのかすら分らん。

 とりあえず手抜きした甲斐があったとしておく。



『マル、レベルアップしたよ!』

 今回のレベルアップでマルは二十六になった。

 【知能】関連のパラメーターも上昇して人間の成人クラスまで知能は上昇した。しかし知識は教えないと身に付かない。


『マル強くなった?』

 ……うん強くなりすぎて、とっくに犬に似た何かになってるよ。

『マル試しに、その場で思いっきり跳んでみて』

 やはり身体能力を自覚するためにはジャンプが一番だと思う。


『うん何で?』

 首を少し傾げる姿は「このビクターの犬め!」と罵ってやりたくなるほど可愛らしい。

『跳べばわかるよ』

『分った』

 少し身を低く構えて、四肢に力を蓄えると気合を込めて踏み切った──何と表現したら良いのだろう? 一番近いのはあれだバッタがピョンと跳ねたみたいな勢いで飛び上がった。

『やぁぁぁぁあぁぁぁぁ!』

 恐怖と混乱が入り混じった叫びにも似た感情が伝わってくる。

 跳んだのは良いが、跳びすぎて完全に態勢を崩しておよそ三十メートル程の頂点で、まるで漫画のようにワタワタと手足尻尾を動かして、やがて落下に移ったマルは身体を強張らせたまま着地態勢も何も無く落ちてくるので受け止めてやる。


『マル! マル! 大丈夫か?』

 頭をワシワシと強く撫でながら話しかける。

『! いやあぁぁぁぁぁっ!』

 マルが突然身体をビクッと震わせると暴れだす。パニック状態で再起動かよ!


 マルを必死に抑えこんで宥めすかすまでに、服は爪で引き裂かれてボロボロ。左の二の腕も思いっきりガブリとやられた。

『タカシ。マルに何したの?』

 マルさんは少し不機嫌そうだ。だがそれもまたラブリーなのでご褒美だ。


『今のは本当にマルの力で跳んだだけだよ。それだけマルの力が強くなったんだ』

『マルの力……だったらタカシを思いっきり噛んじゃったよ。タカシ大丈夫?』

『大丈夫だよ。俺はマルよりももっとレベルアップしてるから、ちょっと血が出たくらいだし、もう治ってるよ』

 多分、サメに噛まれたくらいの強さだったけどな。


『タカシ……ごめんなさい。マル……』

 左の袖が肩から千切れてむき出しになった二の腕をマルが上目遣いで一生懸命舐めてくれる。

『良いんだよ。びっくりしたんだよな。ごめんな驚かせて、でも俺なら大丈夫だけど、俺以外の父さんや母さんとかに、もし驚いてでも噛み付いたら大怪我では済まないことになるんだよ。だから今の内にマルが自分の力に驚かないようになって貰いたかったんだ』

 我ながら上手い事まとめたが、勿論そんな深く考えた上での事ではない。


『マルびっくりしない! お父さんやお母さん、マサルとスズ。もう誰も傷つけない!』

 やはり知能の向上もあって伝わってくる意思もしっかりとしたものになっている。

『そうか。良かった』

 しっかりと頭を抱きかかえて頬ずりするとマルも頭を摺り寄せながら「くぅ~ん」と甘えるように鼻を鳴らす。


 ちなみにその後、マルに現在の自分の力を確認して貰うために、直径七センチメートルくらいの太目の木の枝を試しに力一杯噛んで貰うと、殆ど抵抗無く粉砕され、上顎と下顎の衝突で大きく鈍い音が鳴った。

 自分の力に驚いたマルは暫し呆然とした後、突然『タカシ腕大丈夫? 取れてない?』と慌てて俺の腕を心配した後『マル。絶対に思いっきり力は使わない!』と宣言した。



 紫村達と合流後に魔道具でミーアに『道具屋 グラストの店』の入り口を繋げる場所を指定すると十秒と経たずに崖の岩肌に扉が出現した。実にシュールな光景である。

「いらっしゃいませ……まあ、とても精悍で美しい犬ですね」

 そうだろうそうだろう。もっとマルを誉めてくれてもいいんだよ。


「それにとてもお利口さんみたいですわ」

 マルは店の中の様子に興味があるようで、あちらこちらに注意を向けてはいるが、俺の横にお座りをして決して動こうとはしないのを見てミーアは誉める。


「マルちゃんと言うんですよ」

 香籐がまるで自分の犬かのように名前を告げる。

「マル……ちゃんですか? 確か古い言葉で、速いという意味ですね。お似合いの名前ですね」

 ここははるか未来のメキシコかよ! いや単に偶然だ。そうに違いない。

 一方でマルの反応は。


『タカシ! タカシ! 凄いよ。このお姉さん耳が尖ってるよ。ねぇねぇ、マルみたい?』

『いや、マルの耳より尖ってるよ』

『えぇぇぇ~。マルの耳より尖ってるの?』

 こんな感じだった。


 とりあえず先に用件を済ませる事にした。

「頼みがある」

「如何様な御用にございましょう?」

 待ってましたとばかりに笑顔で応対するが、俺の言葉を聴いて笑顔が凍りつく事になる。

「用立てて貰った最初の地図の龍を全て狩り終えたので、さすがに蓄えと呼ぶには多すぎるので何とか売りさばいては貰えないだろうか?」

「……もうですか?」

 唖然とするミーア。美人の美人たる所以には表情という要素がかなり大きく影響する。

 顔のパーツの配置からそのパーツの形状まで微妙なバランスで美しさが決まる。

 そして表情筋を使いこなす事はその微妙な美醜の天秤の平衡を操る事でもある。

 表情を作る事を忘れたミーアの顔は、年齢不詳の妖艶たる美女から、一体どこに隠れいていたのやら可愛らしさが顔を出し、どこか彼女の妹にも似ているように見えた。


「い、良い……」

 ああ、そういえば香籐……頭が痛い。

 もっとも北條先生に対する俺達の態度を見て紫村も頭が痛いのだろう。そして紫村の性癖に俺達も頭が痛い。世の中痛い事だらけだ。


「今後出来るだけ早く、百体ほど狩りたい」

「えっ? それは……無理です。流石にそれほど多くの龍では買い手が、それ以前に価値が暴落……」

 だよな、素材として代替するものが無いほど優秀であるのも事実だが、希少である事がより価値を高めている訳で、短期間で極端な供給過多は龍の素材を取り扱う業者にとっては悪夢だろう。


「分った。仕方が無いが角以外は破棄するしかないな」

「チョット マッテ クダサイ!」

 何故片言に?

「どうした?」

「ソレハ ヤメテ ホントウ オネガイ シマス」

「そう言われても困る」

 ぶっちゃけてしまえば欲しいのは経験値であって、さしあたり金が必要な訳ではない。

「ナントカ ナラナイ デショウカ?」

「それなら龍以上に強く、多くの素材を買い取る事が出来る。もしくは素材を回収しなくても良い奴を、その生息地と共に教えてくれるなら、龍を狩らなくても良い」

「……龍よりも強い存在は多くはありません。上位存在である老龍、古龍。他には上位巨人族。そして精霊──」

 口調が元に戻った。つまりミーアが動揺から抜け出せる想定内の話の流れに戻ってきたという事だな。つまり期待して良いんだよな?


 それにしても精霊か、確かに龍を超える厄介な相手だ……どうしてそう思った? 俺は何時精霊についての情報を知ったんだ? ……全く思い出せない。もしかして俺の記憶の齟齬には精霊が関係してい……また、どうでも良くなってしまう……


「……大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。他には無いのか?」

 取り繕うように先を促す。

「後はまさに伝説上の存在となります」

「伝説か、有りもしないものには興味は無い」

 正直がっかりだよ。

「いいえ、確かに存在します」

「伝説なのに?」

「はい。皆が畏れ近づくことなく故に誰も見たことが無い。伝説として語り継がれる存在です」


 ……その後揉めた。早速明日にでも倒しに行こうと決意すると俺と、自分達も参加するから来週まで待てという紫村と香籐との間で。

 何しろ獲物は、ファンタジーRPGをやったことがあるなら、ラスボスではないが中ボスクラスなどとして知っていてもおかしくない伝説というよりも神話世界の住人達だ。

 自分でも心の底で沸き立つものが抑えきれない。

 勇敢どころか、むしろ臆病なまでに慎重でリスクを計算する自分と、厨二病の適齢期真っ只中で十二分に患ってしまっている自分。

 理性対病気……順当に病気が勝つよな普通。理性に負ける程度なら病気じゃないし。

 だが結局は、例の岩落しの協力を盾にされて、俺は譲歩するしかなかった。


 交渉において自分の弱みを握られているというのは如何ともしがたく受け入れるしかなかった……だってさ。「いざという時に、自分自身を危機に陥れかねない事を盾に、要求を押し通そうとするのはどうなんだ?」と突っ込んだのだが「高城君。君が来週まで待てば済むだけの話を、どう取り繕っても余り意味は無いよ」と返された。実に嫌なところを突いてくる正論だった。


『マル。皆が僕の事をいじめるんだ』

『タカシイジメた?! 誰? マルがうぅぅぅぅってするよ!』

「いいかい香籐君。彼は僕達の悪口を吹き込んでいる。今まさに罪の捏造が為されようとしているんだよ」

「マルちゃん騙されてはいけないよ!」

 そんな事を話しながら、王領にあるムイダラップの街へと向かった。


 ……そういえば二号は? まあ良いか、奴ももう十分一人前だ。大体、俺達が龍を狩りまくっているせいで市場への流入が極端に増えて、騒ぎになっている中での『龍殺し』の称号は奴にとっても厄介事を招くだけだろう。

 明日、二号に約束した通りスロア領の領主の部下を解放して、速攻でこの国を出れば良いだけだ。

 頑張って功名を果たしてミガヤ領主になるんだよ……そう、良い感じに別れの言葉を胸の中で呟くと、俺は全てが済んだとばかりに二号の事を頭の中から拭い去り、忘れる事にした。

 ムイダラップの南正門前で二号の姿を見つけるまでは。

「に、二号……」

 再会が早すぎるわ!


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