第84話

 俺達が解放されてから一週間が過ぎた。


 開放された翌日にはマスコミからの取材攻勢があり、うちの家の前にも複数のマスコミ関係者が集まったが警察に排除され、更に翌日には俺達空手部の部員に対して記者会見を開く事を求められたが、即座に政府からの圧力が掛かり中止となった。

 色々と言いたい事が無い訳ではないが、とりあえず……国家権力最高!


 まあ単に、月曜日に登校した時にマスコミが押し寄せ、北條先生との再会で感動のハグからの「おかえりなさい」が、ただの「おかえりなさい」になった事を恨んでいるだけだ。

 マスコミ関係なく最初からただの「おかえりなさい」だったのでは? 何てことは考えない。考えるものか! 本当なら北條先生は俺を優しく抱きしめて「無事で帰ってきてくれてありがとう。おかえりなさい」と言って頭を撫で撫でしてくれたんだい! ……無いな。妄想でも無理。


 まあ何だ……マスコミへ圧力が掛かったのは、俺達から聴取した内容をマスコミに流すのは色んな意味で問題がありすぎた訳であり、未だに報道規制は続いている。


 流石に、もう一つの地球に飛ばされていたというのは酷いと思う。ちなみに俺がワールドマップで確認した情報を流した訳じゃない。

 俺達は洞窟に篭っていたという設定を活かして、洞窟に差し込む光が映し出される位置から一日がほぼ二十四時間であると説明したのも要因の一つだが、決定的だったのは俺達が食用に採取して、余ったまま持ち帰った果実などのDNAを調べた結果。その中の幾つかが南米で食用とされている果実の原種とDNA配列の一部が一致したと三日前に判明した事だった。


 他にも衣服に付着した土などの成分からも、俺達が飛ばされたのは地球である事は否定出来ない。

 しかし地球上に俺達を含め生還者が証言するような場所は存在し得ない事から導き出されるのはパラレルワールド、平行世界という可能性。


 突拍子も無い話ではあるが、証言から得られた前提からして地球上ではあり得ないのだから、証言者全てを疑うか受け入れるしかない。まだ宇宙人によって別の星に連れて行かれたという考えの方が現実的かもしれない。実際、俺達の証言を聞いて、その可能性を疑うと言うか、証言をそちらに摩り替えようとする質問者もいたくらいだ。


 俺達や他の国の生還者達からもマスコミやネットに情報が漏洩した様子はない……ということになっている。

 ネットでは一時、異世界に飛ばされて巨大で透明な球体に襲われたという、事実に近い情報が流れたが、荒唐無稽過ぎて「馬鹿じゃないの?」の一言で切り捨てられ、一部の陰謀史観マニアの間でしか相手にされなかった。


 この結果が、部員達の間でも情報の秘匿を強く決意させる結果になったのだろう。マスコミに話すべきじゃないか? などと言い出す奴はいない……今回の真相を漏らすのは俺達自身にとっても問題がありすぎた。

 先の情報漏洩は、情報を秘匿したい各国政府の仕掛けた我々生還者への「妄言を吐く狂人扱いされたくなければ、余計な事を口にするな」という警告だと思っている。


 そんな鞭だけではなくとも情報提供の謝礼として幾つかの飴も受け取っているのだから文句を言う気はない。

 被災者への見舞金という名目で、情報提供協力金として、我が家の収入の三分の一年分ほどと多少のわがままを聞いて貰った……実際は口止め料だと全員分かっている。


 だが、実際に複数の人間が消失し再び戻ってくるというありえない出来事が、不特定多数の人間の前で起こっており、その一部始終を撮影した動画がネットやマスメディアを通じて広く拡散してしまっている。

 しかも世界中で多くの人間がほぼ同時刻に消えた時には、必ずその場所で異常気象や地震等の自然災害が発生しており、常識では計り知れない事がこの世界で起こっているという不安は広く蔓延しているので、同じようなリークを繰り返せは、やがて異なる反応が発生する事も十分にありえるということを理解しているのか疑問だ。


 もう一つルーセの事だが、彼女の事を手紙にして【所持アイテム】に入れておくなどの手段を用いて、夢世界の自分へ伝えようとしたが、俺は一切その手の類の物には手をつけない目もくれなかった。徹底的にルーセの情報を俺に伝える事を阻止してきやがったのだ。



 登校再開初日には、全校集会が開かれて俺達の生還を祝うと同時に大島の失踪を報告することになった。

 校長の挨拶で「生徒思いの良い教師だった」「惜しい人を亡くした」などと死んだ事を前提の様に『御悔みの言葉』口にする、大島が復活したら聞かせてやりたいと思うと同時に、幾ら言葉を飾るにしても「生徒思い」とか「惜しい人」は無いだろうと笑いの衝動を抑えるには腹筋を酷く酷使する必要があった。

 まあ体育館に集まった全校生徒から微妙な空気が漂ったので、笑って楽になるのも一つの手だったかもしれない。


 ちなみに空手部の活動は無期限停止になった。表向きは顧問のなり手が居ないという理由だが、元々大島という存在の元に無理な事をし続けていた部だけに、このまま自然消滅させたいというのが学校側の思惑のようだ。


 空手部が無くなっても俺達三年生にとっては余り問題はない。自分が良いと思うペースで自分を鍛えていく、そのためのノウハウは既に得ている。

 二年生達は、このままでは俺達ほどの伸びはなくなるだろう。やはり大島の指導には無茶な分だけ効果があった。オーバーワークの危険性、そして文字通り命の危険性ギリギリまで攻める奴のしごきを、真似しようとしても俺達三年生にとっても難しい。

 だが二年生は基本が出来ているだけに、自分達が二年生の頃にやられてたしごきを元に加減を加えてトレーニングメニューを作れば、大島の指導にそれほど大きく劣る事の無い成果を得ることが出来るだろう。


 そして問題となるのが一年生達だ。何しろ基礎体力をつけるための基礎がやっと整った段階だ。これから彼らにかける負荷をどの程度までかけるべきか加減が分からない。

 このまま空手をすっぱりと諦めて堅気な中学生としてやり直す良い機会であるとも考えないでもない。

 大島が蘇って復帰して空手部が消滅しているのを知った時どうなるかを考えると怖さ以上に楽しみにも思える。


 だがそれとは別に問題が一つある。俺達空手部は悪名が高い。目茶目茶高い。

 平成の世とは思えない。未だに強く昭和臭の漂うS県においてのみ生息するのではないかと噂される各不良グループから、目の敵と言うか怖いもの見たさ的な注目を浴び続けている。

 ただでさえ大島の失踪の上に空手部の活動停止だ。周辺どころか県内全域の選りすぐりの馬鹿共が、チャンスとばかりにちょっかいをかけてくるだろう。


 そんな状況で、今のまま一年生達を放り出すのは無責任だと思う程度に人としての心は残してある……暫くは、俺達には警護が付くらしいので問題は無いが大島復活が長期、または無理となった場合を考えれば、馬鹿が団体でやって来ても、手近な連中を一呼吸で無力化した上で「やーい、ウスノロの間抜けども捕まえられるものなら捕まえてみろ」と挑発した上で逃走し、先輩の元へと馬鹿共を誘導して連れて来れるくらいの実力を身に付けて貰いたい……馬鹿共は上級生達が美味しく戴くことになる。


 いっその事、全部秘密を話して部の連中全員をパーティーに加えると言う方法もあるのだが、レベルアップの当てが無い……訳ではないのだが、現在保留中の状況では駄目だ。ついでにまだ一年生達を仲間とまで気を許せるほど付き合いが長くないのも、システムメニューの事を打ち明けるのが躊躇われる理由だ。


 それから、自衛官が俺を殴る場面を紫村と香籐に撮らせた動画をネタにして、ある要求を突きつけるつもりだったのだがきっぱりと断られた。

 曰く「確かに自衛隊、防衛省全体に降りかかる大きな不祥事ではあるが、そもそも民間人、要救助者、未成年に暴行を加えるような者を庇うメリットが無い」と切り捨てられ、実際に先日懲戒処分を受けたようだ。


 だが島に放置されたはずの俺達が合宿の為に先輩から借りたり買って貰った装備は、何故か学校へと届けられていた。

 俺達が動画をネタに回収を依頼するつもりだったのが、その装備の回収依頼だったので結果オーライである。



 学校に復帰した俺の事を歓迎してくれたのは結局は、北條先生と前田の二人だけだった。


「高城。よく無事に帰ってきてくれたな」

 全校集会が終わって教室に戻ると前田が話しかけてきた。はっきり言ってクラスメイトの中で俺の帰還を心から喜んでくれているのはこいつくらいだろう……宿題的に。


「なあ、色々と噂になってるけど実際のところ、どうなんだ?」

「知りたいか?」

「……知りたい」

 前田だけでなく、俺達の会話に聞き耳を立てていた連中が息を呑む。


「今回の世界的に発生した大量失踪事件……いや消失事件は決して自然現象的な何かではなく、明らかに何者かの意思が介在していた」

「何者か?」

「そう、何者かだ……だが、ようやくその何者かの正体が分かってきた」

「それは一体?」

「分かるだろう。あれは人類の手によっては絶対に成しえない事象だ」

「いや、でもイリュージョンとかで……」

「分かってないな。イリュージョンというのは大掛かりな仕掛けで、極少数の観客をだますだけのただの見世物だ。テレビで見るようなイリュージョンなん、騙されているのはテレビカメラを通してみている視聴者だけで、現場にいる全てのスタッフには種も仕掛けも丸見えだ。世界各地で同時に、しかも関係の無い大勢の人間に幻想を仕掛けるような事は出来ない」


「つまり……」

「そう人類以上の高度な文明を持つ知性体の仕業だ。だとするなら?」

「う、宇宙人?」

 別に海底人でも地底人でも異次元人でも何でも良いんだけどな。


「それ以外に可能性はあるか?」

「……宇宙人なのか……」

「はっきり言っておく。このことは口外しないほうが良い。あくまでも秘匿事項だ。うかつに口にすれば……」

「口にすれば?」

「そうだな。お前は世界中から……」

「何なんだよ!」

「指差して笑われるから気をつけろ」

「えっ? ……な、何だよそれ!」

「悪いけど。本当に口止めされているんだ。何となく知りたいってだけで首を突っ込んでもろくな事にならないぞ」

 からかわれたと分かって起こる前田に、声のトーンを落としてそう言い聞かせる。

「マジか……」

「かなりマジだ」


 失踪者は昨日の段階で確認出来ただけでも六万人以上に増えている。これは失踪者と認定されていない帰還者からの情報を含めてはじき出された数字だ。

 俺達が失踪したのと時を同じくして失踪したが、今回の事件に巻き込まれたとは断定出来なかった者達の中から帰還者を名乗り、その内容が他の帰還者達のはなしと一致して認定された数が、当初の失踪者リストの中にいた帰還者よりずっと多かったのだ。

 つまり三百件以上、一万人以上とされていた事件の規模は、リスト内の帰還者とリスト外の帰還者の比率から千五百件以上、六万人以上へと上方修正された。


 しかし、まだ名乗り出ていないリスト外帰還者の数を考えると二千件以上、十万人以上になるのではというのが日本政府を含む各国政府の予想だそうだ。

 何故そんな情報を知っているか? 勿論、日本政府が親切に俺達へ情報を教えてくれた訳ではない。

 教えてくれたのは『レベルアップのお陰で頭回転も上がって、今まで出来なかった事も簡単に出来るようになったね』とほざく謎のハッカーだと言っておこう。

『身体能力のアップに魔術と魔法。ソーシャルハックも思い通りに捗るね』

 なんて事は絶対に俺は聞いてないから……絶対に聞いてないからな!


「無事に高城君もクラスに戻ってくる事が出来ました。皆さんもこれからは落ち着いて今まで通りの学校生活送るよう心がけてください。また来週の火曜日からは中間試験も始まります。授業内容などで分からない事があるなら、放課後に勉強会を開きます。教科を問わず分からない事や不安な事があるなら参加してください」

 一瞬だけだが、俺と目が合って微笑んでくれた……様な気がしたが、あれは絶対に俺に微笑を投げかけてくれたのだ。間違いない。



「おはようございます!」

「おはよう」

 五月十六日。金曜日の放課後、一旦帰宅した後で学校から直線で一キロメートル程離れた運動公園に集まった。

 この公園は市街地とは川を挟んだ反対側で、大きく迂回して橋を渡った先の郊外になるために、夕方の四時前だと言うのに人影はほとんど無く、テニスコートの方で中年の男女がラリーをする球の音とカラスの鳴き声が響いているだけだ。


 空手部は活動停止中のため、俺達は学校施設は使用出来ないために、ここに集まるしかなかった。

 だが逆に言うと放課後に校外に自主的に集まって練習する分には学校側がどう思おうと介入する権利はない。それが試験前の一週間の部活禁止期間だろうともな。

 それほど一年生達を鍛え上げるのは急務だった。

 既に、俺達へちょっかい出しに集まってきた馬鹿が、護衛に付いている警官達に捕まり、その数は既に二桁に達している。

 まだまだちょっと空手の出来て陸上部のエース級を凌ぐ走力を持つ中学一年生に過ぎない彼らを、後ろに立つ者は女だろうが容赦なく叩きのめせるような戦士に鍛え上げる必要がある……それは殺し屋だよ。


「ランニング祭りの疲れは取れたか?」

 空手部伝統の新入部員の体力向上週間の締めのランニング祭りは、俺達に付けられた護衛達が止めに入り、三年生達に取り押さえられるほどの盛況を博して昨日、木曜日の放課後に終わらせた。


 ちなみに現在は朝練はやっていない。練習後の汗を流す施設が無いので各自が自主練という形で鍛錬を行う。一応家の近い者同士で一年生と二年生を組ませて練習させているのでメニュー的には問題ないレベルには達していると思う……しかし大島がいた頃の練習には質的には劣るのは確かだろう。


「はい!」

 そう答える新居だがどこかやつれた落ち武者的な様子は隠せない。

「今日からはランニングメニューは減らす。足りない分は自分で補うようにな」

 つまり、今まで科せられていた基礎体力向上のメニュー量は維持しつつ、空手としての練習を増やすという事であり負荷は増す一方だ……つうか楽になるようなら地獄部なんて呼ばれていない。


「では身体を軽く暖めるのに五キロほど走るぞ」

 俺が口にした五キロと言う数字に、嬉しそうに「はい」と答える一年生達に思わず涙が誘われる……もう既にこちら側の人間で、普通の中学生には戻れないんだな~と。


 公園内の陸上競技用の四百メートルトラックを集団で十二周半走り終えるまでに掛かった時間は二十分間。

 はっきり言って遅い。ただのタイムトライアルなら部員の中で一番遅い斉藤でも十六分三十秒そこそこで走る事が出来るだろうが、今やっているのは体力づくりではなく、どの程度の運動量を、どの程度の時間維持出来るのかを一年生達の身体に叩き込むためでもある。

 その証拠に、一年生達は汗を流していても呼吸を大きく乱してはいない。どれだけ運動量を増やし、どれだけ持続時間を延ばせるかは本人の努力次第……まあ、余り弛んでる様なら物理的に引き締められる事になるだろう。


「先ずは基本の正拳突きからだ、順突きと逆突きを百ずつ交互に良いと言われるまで続けろ」

「正拳突きですか?」

「不満か?」

「い、いえ……そういうわけではありません」

 そう答えるが、全員が小学校どころか幼稚園に通う前から空手を習っているような連中どもだ。やっと体力作りの中心のメニューから空手の技術面のメニューに移った最初が正拳突きでは不満なのだろう。

「神田。お前は正拳突きというものをどれだけ理解している?」

 偉そうに言う俺自身、未だに追い求める真髄の背中すら目にしていないのだがな。


「三歳から空手をやってるんです。理解しているに決まっているじゃないですか?」

「ならば、順突き逆突きのどちらでも好きな方の動作を全て言葉にしてみろ」

「言葉……ですか?」

「そうだ。全ての動作を余すことなく言葉にして説明しろ」

「……えっと、足の踏み込みから……」

「足の踏み込み? 足のどの箇所でどう踏み込むんだ?」

「そんな……無意識にやっていることを──」

「無意識? 自惚れるな! お前に無意識なんて言葉は百年早い。無意識って奴は、意識の先にある境地だ。一つの技を意識して意識して意識し尽くして理を突き詰めた後にたどり着くもので、お前のは最初から何も考えてないって事だ。三歳から? 無駄な時間を過ごした事がそんなに自慢か?」

「む、無駄……?」

「もし俺が三歳からやってるなら、死ぬまでに正拳突きの真髄にたどり着ける!」

「……三歳児の理解力と意思じゃあ、どのみち同じ様に時間を無駄にすると思うよ」

「紫村! 混ぜっ返すな!!」

 事実だけにイラっとする。


「足の裏。先ずは踵を前と後ろ、そして左右の四箇所に、それから親指、人差し指と中指、小指。そしてそれぞれの付け根の六箇所の全十箇所を認識して意図的に使い分けろ。それから、どこに体重をかけて、どうやって地面からの反発と摩擦を得るか。そしてその力をどの間接を経由し、力を増幅させながら伝えるのか、その一つ一つを突き詰めろ。そうして始めて間接以外の箇所で骨を曲げねじる事で得られる反発力にも気づくことが出来る」

「骨を曲げ、ねじる?」

「当たり前だ骨は剛体(力よって変形しない物理学における仮定の存在)じゃない。力が加わったら形を変え、力が抜けたら元に戻ろうとする。自分の身体に起こるす全ての現象を使いこなせて初めて技は完成する。そのためには意識しろ。己の肉体を全身全霊を込めて知覚して理解しろ。自分の身体の動きの一つ一つに理を見出せ。さあらば相手の動き、そして何を考えているのかすらも読める」

 これが鬼剋流か大島流空手なのかは知らないが、俺達が身に付けた格闘術の基本だった。

 当然、これは基本に過ぎずl大島なら足の裏一つをとってももっと細かく分類して使い方を考えているだろう。

 しかし、それだけでは奴の強さには説明がつかない。壁越しに打ち合って俺が打ち負けた時のように、身体運用を突き詰めただけでは大島と同じステージに立てるとは思えない。


「しゅ、主将は読めるのですか?」

 何を言ってるんだこいつは?

「読めるはず無いだろうが! 空手始めて二年ちょっとでそんな簡単に境地に達してたまるか? 精々さわり程度だよ。そんな事も分からんかな? 普通分かるだろ」

「高城ぇ……自信一杯に断定したら誤解しても仕方ないだろう」

「自信なさそうに話しても説得力が無いだろうが!」

 櫛木田の突っ込みに、そう言い返した。


 大島の復活が何時になるか分からない今。指導において奴のどうしようもないほど威圧的でNOとはいえない説得力と強制力の一端でも示さなければ、一年生達を俺が卒業するまでに強くしてやることが出来ない……残念ながら俺には他に参考とする事の出来る指導者を知らない。

 それとも何か? 空手部の後輩に手を出しそうな馬鹿共を一人残らず叩き潰して回ればいいのか? やれというならやっちゃうよ俺は。それが一番簡単なんだから。


「ゆっくりで良い。間接、骨、筋肉、重心。それらがどう動いたのか、どう動かした時に拳から伝わる手応えがどう変わったのかを突き詰めていけ。何なら気付いた事を携帯でメモっても構わないぞ」

 そう一年生達に指示を出しながら、二年の中元と小林を同時に相手をする。ゆっくりとやる目慣らしとは違い二人には本気で攻めさせる。しかし俺からは攻撃を加えない条件だ。


 二人は数の利を活かし俺を前後から挟もうとする。しかし前後に拘るほど百八十度で俺を挟み込もうとする事になり、俺は二人を左右に置くように身体を動かせば良かった。

 だが二人は距離を置いて前後からの挟み撃ちに固執しなければならない理由がある。それは単純に三年生である俺と二年生の二人の間に横たわる力の差……ではない。


 空手部で過ごす一年は、天が与えた才能の差すらも卓袱台返しと言われるが、流石に二年生と三年生の間に、正面から間合いに入れば一瞬で決着が付くなんて程の差はない。

 俺にしてもレベルアップが無ければ一瞬とは言わず三秒ほどは欲しいくらいで、二人が同時に左右から襲い掛かるだけでも十分に良いのを一発貰う可能性は高いのだが、結果的に囮役になってしまったどちらか一方が確実に倒される事になる。


 今回は俺から反撃をしないと明言しているが、それを素直に信じる様な奴は二年生には一人もいない……彼らが不信に陥るような真似を大島……そして俺達上級生はやって来たのだ。


 常に緊張感を持たねばならないって事で、時々油断していると思ったら……やってしまう訳だ。純粋に下級生のためを思っての指導だよ。これが伝統だから仕方ないんだよ。自分達が上級生にやられたからなんて小さい事は考えてないよ。


 だがこの均衡状態が続けても今の練習には余り意味はない。

「中元、来い」

 俺が足を左右に開いて止め腰を落とし、そう口にしながら右手で手招きしてた瞬間、左側にいた小林が一瞬で俺の背後を取り、躊躇無く移動の勢いを付けたまま下段の回し蹴りを、俺の体重が乗った軸足の左膝の裏へと放つ──それを俺は軸足の左脚の膝から下を上げて足の裏で受けた。

 一瞬の静止から、左斜め後ろへと崩れる重心に身を任せながら、足首から先を捻って足の裏を小林の足の甲の上に乗せ、そのまま地面へと叩きつける。


 実は俺は相手の動きから次の動き、そしてまた次への連なりが読める。戦いに限るなら相手の考えも読めるからだ。それはレベルアップによる知力の向上とシステムメニューによる時間停止の賜物だ。

 コマ送りで動く時間の中、自分の身体の動きを事細かく知覚し計算する事が出来る事で、俺は理へと大きく近づくことが出来た。

 しかし、今回はそれを使ってはいない。


 小林の足を大きく上げない歩法による小さく「タッ、タッ、ダッ!」と響いた足音から、どのタイミングでどこを攻撃するのかを読み取った。

 一歩目と二歩目の短くリズムがあり、そしてストレスの無い音から、方向転換などの無い真っ直ぐ素直な加速を行った事が読める、そして三歩目の強く踏み込んで行き足を止めた音から位置が特定される。


 三歩目の足音を立てたのは右足……左足では飛び道具でも使わない限り、俺の身体の何処にも届かせる攻撃手段はない。

 方向は俺から見て左斜め後方四十度。そこから俺に届く攻撃は左の蹴りのみで、届く位置は左の肘から先と膝の下から先のどちらかだが、肘から先に蹴りを入れても意味が無いので膝の方と読めた。

 流れるように移動の勢いも乗せた鋭い蹴りは、それゆえに足音からタイミングも読める……というか大島の教え子とは思えないほど素直で真っすぐな攻撃だった。


 小林の蹴り足を踏みしめ、体勢を崩している俺に中元が鋭く踏み込んで来る。

 だがこちらも一瞬たりとも中元からは目を離していない。


 鋭い気合と共に繰り出される体重の乗った同足からの左の順突き。次に素早く右の逆突きへと切り替える流れが出来ているのが見て取れた。

 一方、足の甲を潰された痛みに、足を引き抜こうとするタイミングに合わせて、左足を上げてやると小林は後ろへと倒れ込む。


 期せずして一対一になってしまった事に中元の表情には焦りが、そして俺が大勢を崩している事を自分の有利と計算した期待が交錯する。

 これが一番問題だ。どちらか一つならば何かを選ぶ逡巡はない。それに即した行動を取れば良い。

 だが、中元は選択肢を与えられてしまった。そして正しい判断をしなければならないと勘違いしてしまう……戦いの中だという事を忘れて。


 一秒も必要はなかった。勝負は一瞬で決着した。


 そして倒れ伏す中元と小林に声を掛ける。

「起きろ! もう一度だ」



 三十分間ほどしごき、中元も小林も疲弊し立ち上がることが出来なくなったところで休みを入れる。他の連中も似たようなものだ。

「どうだ? 頭を使い一つ一つの動作を意識しながらやると疲れるだろう」

 運動量なら一番楽だったはずの一年生達が一番バテているようだ。


「はい。意識せずにやっていたことがどれほど大変な事だったのかは分かりました。そして一つの動作を意識して変えるだけで大きな影響がある事もわかりました……でも同時に、やるべき事が多すぎて、考えれば考えるほどより深い理解が必要になって、最終的に自分が目指すものが見えてきません」

「新居。今の段階でそこまで気付けたなら上等だ。そんなに簡単に理想形が見つかったら苦労しない。例えばある動作に対してある修正を加えた事で大きな効果が得られても、その修正は他の動作には逆にマイナスにしかならなかったりもする。今はじっくりと身体に対する理解を深めれば良い。そうすれば他人がどう身体を使っているのかも朧げながらにも分かってくるから、他人の技を盗み役立てられるようにもなるだろうさ」

 そんな手順を踏まずに、システムメニューのお陰で、大幅にショートカットした感のある俺は余り偉そうな事は言える立場ではない……ストレスたまるな。


 休憩を終えて再び三十分間。相手を変えての練習を終えて解散した。解散したのだが……

「お邪魔します」

 俺は香籐と共に紫村の家へと来てしまっている。


「高城君による初めてのお宅訪問。しかも泊まり……この二年間長かったよ」

 二年前から待望してたんだ……へぇ~……へぇ~…………

「主将!」

 遠のきかけた俺の意識を香籐が引き戻す。そうだ俺は可愛い後輩のためにもここで意識を失う訳にはいかない。


「早速だけど僕の部屋に案内するよ」

 こいつ頬を赤らめてやがる……もういや……もういや…………もういいや……もうどうでもいいや…………


「主将! お願いですから諦めないで下さい」

 そうだ。俺がここで諦めてしまえば次は香籐の身が危ない。

 俺は両手で自分の頬を張り気合を入れて玄関の上り框を越えた。


 紫村の家はでかくて立派だ。元々この辺一帯に広い土地を有していた大地主の家系で、父親の職業は大学の教授で東京に住んでおり、母親は紫村が小学生の頃に病死しているそうだ。

 しかも兄弟は無く、一人息子なのでこの広い家に一人暮らしという境遇だ。一応夕方まではお手伝いさんが家事をしてくれているそうだが……金持ちの家に産まれるのもどうかと思わずにはいられない境遇だが、そのお陰で三人が集まる場所としてここが使えるわけでもある。


 紫村の部屋は映画に出てくるハッカーの部屋の様に薄暗く、あちらこちらで廃熱ファンの音が静かに響くような部屋を想像していたのだが、おおむね普通に趣味の良い部屋だと感じた……一角に置かれた広い机の上に液晶モニターが二十八インチと二十四インチが二台の計三台置かれて、幾つも開かれたウィンドウの中で常時何かのログを吐き出し続けていなければ。


「それで、今回集まった理由なのだが、二人を夢世界へと連れて行けるかもしれない方法を試すためだ」

 ついに俺は見つけてしまったのだ。二人をあちらの世界に連れて行ってレベル上げをさせる方法を……俺に比べると次のレベルアップに必要な経験値がずっと少ない。二人のレベルアップを優先しレベル百十五になれば多くの属性レベルⅤの魔術が一気に使えるようになるはずだ。そうなれば死者の蘇生も、か、可能性はゼロでは……ない?


「ある程度想像はついていたけど、詳しく聞かせて欲しいな!」

「お願いします」

「そんな難しい話ではない。二人を眠らせてから収納し、俺が夢世界に行ったら取り出すだけだ」

「それは可能なのかい?」

「まずは、近所の野良猫で実験して成功した」

 夢世界で目を覚ました後に逃げ出し、速さ云々よりも狭い所を逃げられると周辺マップを頼りに先回りをするしか捕まえる手段が無くて大変だった。


「人体実験は済ませてないのかい?」

「……したさ。大島の子分達でな」

 向こうで【所持アイテム】内から取り出して、縛り上げ目隠しをした上で腹を蹴り、起こして意識が戻るかも確認した。

 ちゃんと意識は回復して、自分が置かれた状況に軽くパニックを起こして喚き散らしすのを確認してから再び眠らせてから収納した。


「それなら安心したよ。なら収納してくれても構わないよ」

「その前に済ませておくことがある」

「何か準備がいるのですか?」

「とりあえず、お前らは収納の前に飯食ったら風呂入って寝ておけ。そうしておかなければ【所持アイテム】の中では時間が経過しないから、一睡もしないで朝を迎えるようなものだぞ」

「じゃあ、みんなで一緒に風呂に入らないかい? 家は風呂だけは大きいよ」

「お断りだ!」

「お断りします!」

 香籐と一緒に割と本気で断った。大体、風呂以外も十分に大きいわ。


「男同士の裸の付き合いだよ」

「その言葉をお前が口にすると卑猥に聞こえるんだ」

 香籐が赤べこの様に首を縦に振る。


「気のせいじゃないかな?」

 気のせいな訳あるか! どうせなら俺が一年の三学期に忘れ物を取りに戻ったら誰も居ないはずの部室の中から聞こえたあれも気のせいにしてくれよ! トラウマを何とかしてくれ!


「いいか! 俺が風呂入っている間は決して脱衣所より先に入るなよ。入ったら然るべき手段をとらせて貰うぞ」

「主将。お風呂の時は僕もご一緒させて下さい!」

 流石に紫村の私室で二人きりというのは危機感を覚えたのだろう、必死に訴えかけてきた。

「いや、交代で脱衣所で見張りをしながら入ろう」

「分かりました!」


「……自分の家なのに僕だけ疎外感が酷いんだけど?」

 俺も香藤も視線すら向けなかった。



「上がったよ。次どうぞ」

 お手伝いさんが用意してくれたという食事をした後に、先に風呂に入った紫村が、バスローブに身を包みリビングに入ってくる。

「前を閉めろ。気持ち悪い」

 着ているバスローブの前を大きくへその下まで肌蹴ている姿は、クラスの腐った女子共が「きゃーきゃー!」騒ぎそうな妖しさをかもしていた。


「サービ──」

「そんなサービスはいらん!」

「ポロリも──」

「いらん! ポロリしたらポトリと落ちる事になるからな!」

「そ、そんな高度なプレイ──」

「プレイじゃねぇぇぇぇっ!!」



 香藤と交代で風呂に入り、夢世界に持ち込む物の準備を整え終えると【昏倒】を使って二人を強制的に眠らせたのは、まだ八時前のことだった。

 これから俺は十二時時過ぎまで起きて、四時間半ほどこのまま二人を眠らせた後に、そのまま収納してから眠りに落ちて夢世界へと行く予定だ。

 俺は紫村の勉強机に向かって、この一週間に紫村が作った魔法を確認する。

「うわぁ……マジ天才じゃないか?」

 紫村は俺が作り上げた【場】の中の魔粒子を全て判別して、必要な魔粒子だけを操作するという基本魔法を、【場】自体に手を加えることによって格段に進化させていた。


 先ず紫村は魔粒子の新たな性質を突き止めた。魔粒子には同じ魔粒子同士は同じ魔力によって同じ操作を受けている状態では反発し合う性質があるが、一方のみを高速で回転させると反発していたもう一方は逆回転を始めて、逆に引き寄せ合う性質を発見したのだった。


 これが限られた【場】の中で魔粒子操作を行う上で大きな障害になっていると判断した紫村は、従来の球形の【場】という常識を捨て去る……そもそも紫村や俺達にとってはそんなものは常識ではなかった。


 同じ種類の魔粒子に対して同じ操作を加えると離れようとする。離さなければ相互干渉が起こり効率が低下するならば、【場】を球形にするのは止めて、必要な魔粒子だけを取り込む形で細かい目の格子状の【場】を作り上げてしまった。

 これによって魔粒子同士の相互干渉を無視して多くの魔粒子を操作出来るだけではなく、不要な魔粒子を排除する事でそちらに魔力を取られる事も無くなり、効率を大きく上げることが出来た。

「天才だな」

 二度言わなければならないほど紫村への敬意が未だかつて無いほど高まったのだった。


 紫村の開発した新たな【場】を利用する事で、浮遊/飛行魔法も数度の改良を経て改四型へと大幅に進化し、複数の【場】を展開して同時発動させなくても、従来とほぼ変わらぬ魔力消費で数倍の推進力と操作性を得られるようになった。

 同時発動させる必要がなくなった分、飛行時に自分の周囲を包み空気抵抗を減らす【繭】という魔法を組み込む事で高速飛行時の安定性を高め、更に高速化が可能となるのみならず、【繭】の中の温度を管理する事で快適な飛行環境が整ったのだった。

 今後の最大の目的は音速飛行時の衝撃波対策だが、流石に衝撃は発生時の安定性を保つには【繭】では強度が大幅に不足していた。



 浮遊/飛行魔法関連の細かな改良を終えた段階で日付が変わり十七日の土曜日となったが、ついでに【伝心】によらない通話魔法を作るために必要な魔粒子を突き止めたところで二人を収納し眠りに就いた。

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