第83話
「大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」
誰かが俺の肩を叩きながら、耳元で叫んでいる。せっかく良い気持ちで寝ていたところを最悪といって良い起こし方をされ、反射的に殴り飛ばさなかった自分の忍耐力を誉めてあげたい。
「……ここは?」
目を開けて、ぼんやりとした視界の中、目の前の声の主に焦点を合わせる……尋ねるまでもなくマップを確認すれば、ここが合宿のために上陸した島だと分かったのだが起き抜け状態で頭が回っていなかった。時間もあちらの世界にいた時間と同じだけ経っているいるようで、この島からあちらに飛ばされてからほぼ丸二日分の時間が過ぎていた。
「自衛隊?」
ヘルメットに野戦服……サバゲーマニアで無ければ自衛官以外の可能性は皆無だ。
「要救助者の意識が回復しました!」
隊員は俺の問いかけを無視して、上司へと報告を行う。
ここで腹を立てても仕方が無い、俺はむくりと上半身を起こして周囲の見回して状況確認する。
「君。安静にしていた──」
俺を身体を地面に横たわらせようと、両肩へと腕を伸ばしてくる隊員の右腕を右手で掴んで外へと捻り、同時に引く事で重心を前へと崩すだけではなく、肘を伸ばした状態にすると、肘と肩を同時に極めながらやんわりと地面に転がす。
「紫村! 香籐!」
少し離れた場所に並んで倒れている二人を見つけると立ち上がって駆け寄り、地面に膝を突いて呼吸と脈を確認する。ついでにマップ機能で二人のシンボルを確認し、ただの気を失っているだけだと確認が取れた。
ほっとしたのも束の間、周りには他の部員達の姿は無かったことに気付く。
「君! 安静にしないと」
先ほどの隊員が駆け寄ってくる。
「他の部員達を知りませんか? 我々以外に中学生十五人。内三年生三名。二年生六名。一年生六名です。彼らは無事なんでしょうか?」
言葉としては穏便に、しかし有無を言わさない気迫を込める……気迫とは、結局は相手に伝わるかどうかの問題で、毒と一緒で相手に受容体がなければ効き目がなくて空回りとなる。
だが、この隊員は先ほど俺に転がされている。一瞬で腕を取られ為す術もなく地面に転がり這いつくばったのだ。
俺に対する警戒心があればあるほど俺の言葉、態度、表情から気迫というありもしないものを読み取らざるを得なくなる。
つまり気迫とは動物が長い戦いの歴史の中で、種として身に付けた高度なコミュニケーション手段の一つだと思う。
そしてそのコミュニケーション能力を有するからこそ不要な戦いを避ける事が出来て、更に能力を高めれば自分より強い相手から戦わずして勝つという戦いの極意を得る事も出来る。
「残りの君の学友達は、ここから離れた海岸付近で大人2名と共に君達よりも先に発見されている。だから今は落ち着いて身体を休めなさい。気付いていないかもしれないが今の君はとても衰弱している」
結局は空回り、気迫どころか心配されてたよ。確かに身体の状態は良くない。僅かに残していた体脂肪が根こそぎ奪われていて、やがて身体は筋肉を栄養に変えて命を維持しようとするだろう。だがしかし──「この目で皆の無事を確認しなければ寝てなんていられない。案内を頼みます」
深く頭を下げた。
「何故そこまで、君は?」
「主将として、こんな島で台風が来ると分かっていながら合宿しようなどと考える馬鹿から、部員達を守ると約束しているからです」
とりあえず大島をディスっておくのは忘れない。将来、人類を守るために大島を殲滅する役割を果たすだろう自衛隊に大島=悪というイメージを僅かながらでも刻み込んでおくためだ。
「紫村っ! 香籐っ! 何時まで寝ている。行くぞ!」
腹の底から声を出して怒鳴りつけると、二人は目を覚ますと、周囲を見回して驚き表情を浮かべる。
「あれ……人が?」
「戻っては来られると思ってはいたけど。本当にここは現実みたいだね」
二人の驚きの表情は安堵へと変わり、そして喜びへと色を変える。
「他の部員達も海岸付近で見つかったらしい。確認に行くぞ」
本来なら俺一人で行けばいいのだが、そうは行かない理由がある。ここで三人がバラバラになってそれぞれ、失踪していた二日間に何があったのか事情聴取を受けた際に、本当の事を話す訳にもいかないので、それぞれが嘘を吐いてしまうと齟齬が生じる。
だから事情聴取を受けるまでに出来るだけ三人一緒にいて、俺がさりげなく口にする作り話を二人に刷り込んでおく必要がある。
いざとなったら【伝心】でやり取りが出来るが、俺と違って時間停止を使えない二人は受け答えするにもぎこちなさが生まれ不審に思われるかもしれない。
「三尉?」
判断に困った隊員が傍にいた上官に確認を取る。
「構わない。自分の足で海岸まで向かえるなら誘導してやれ。どうせ本土からのヘリも海岸に着陸する」
「分かりました。では自分についてきてください」
隊員の後に続きながら、俺は紫村と香籐と【伝心】にて会話を行っていた。
『システムメニューについては完全に秘密で頼む』
『分かりました』
『当然だね。何よりキチガイ扱いはされたくないから』
だよな~誰かに話したいと思っても、そこが最大のネックだ。
『それに、あちらでお化け水晶球と戦ったというのも話さない方が良いな』
『そうですね。僕達は何も憶えていない。この島で変な霧に巻き込まれて、先ほど意識を取り戻したというのが一番だと思います』
『可能なら、それが一番だね。でもその嘘が使えない場合、高城君。君はどうする気なんだい?』
確かに、自衛隊が少し前にこの島に来て意識を失っている俺達を発見したというのなら、その嘘は通じるだろうが。
先に発見されてた部員達が既に事情を聞かれいる場合は、アドリブを交えながら話をすり合わせるしかないだろう。
『状況次第としか言えないな。大体見つかったのが、全く知らない奴らだと言う可能性もあるわけだ。その場合は救出手段を考える必要がある。そのためにはこの島の自衛隊員全員無力化してでも、俺達は自由に動ける状況を確保する必要がある』
『仲間を助けに行くなら僕も付いて行きます』
『勿論僕もね』
これって美しい友情って訳だけじゃないんだぜ。空手部の部員同士の固い結束とは『情けは人の為ならず』である。
リスクを背負っても助け合わなければ、将来より大きなリスクを一人で背負い込むことになるのだから……
だけど今回、大島も一緒に帰ってこないなら将来のリスクは無視出来るのではないだろうか? いや大島一人だけ無事に帰ってくると言う最悪の可能性も考えると、どんな無理をしてでも他の部員達を助けなければならない。
「ところでどうして自衛隊が出張っているんですか?」
【伝心】による話し合いがひと段落付いたところで、紫村が隊員に話しかける。
「あの嵐の中、ここまで救助に来られる装備と能力を持つ組織は日本には我々しか存在しないからね」
こちらを振り返り笑顔で応じてくれた。
「確かに一理ありますが、でも台風が去ってから日付は変わってるはずなのに、何時までも自衛隊が捜索の主導権をとってるのはおかしくはないですか?」
「それは……まあ、どうせ君達以外の世界中の人間が知っている事だからいいか。すぐに自分以外からも聞く事になるだろうけど、自分から聞いたとは誰にも言わないで下さい」
俺達の目を覗き込むように確認を取ってから話し始めた。
「二日前、世界中で人が消えると事件が同時多発的に発生したんだ。突然現れた光る霧の様なものに巻かれた人たちが霧と共に消える。そんな事件が確認されているだけで三百例以上。失踪者数は一万人以上とも言われる大事件だ。そして昨日の昼過ぎに、この島で二十八人の人間が消えたと通報が警察に入り、その事件との関連が疑われたため、海保ではなく我々自衛隊にお鉢が回ってきたんだよ」
船長の古瀬さんが台風が去った後にこの島に戻って来て、俺達が島にいない事を知って通報したのだろうが、それにしても……
「三百例、一万人?」
どういうことだ?
「あくまでも確認されいている事例と人数だよ。実際はその倍の規模だとも言われているんだ。そんな中、君達は還って来た。人々が消えた時に現れたと言う光る白い霧と共に突然」
「他に帰ってきた人はいるんですか?」
それが気になったので聞いてみた。
「それが、幾つかの失踪場所の近くに、ほぼ同時に失踪者が還って来たという連絡が、君が目を覚ます少し前に入ったんだ」
今の話から二つ分かった事がある。
一つは海岸近くに現れたのは間違いなく空手部の仲間達だと言う事。
もう一つはタイミング的には、俺達が、いや俺のシステムメニューが次元解析(笑)を完了させた事によって還って来られたと言う事……そうだとするならば、失踪者全員は同じお化け水晶球の世界に飛ばされたという可能性が高く──
『主将!』
『高城君』
『分かっている。今回の件は全て俺のせいだって事だ……すげぇな俺。世界的大事件の元凶かよ』
本気で凹むな。
『いいかい高城君。システムメニューを君が手に入れたのは君のせいじゃないだろ。君が望んだ訳じゃなく突然振って沸いたように君の身に宿ったものだ。その責任が君にあるとは僕には思えない』
『すまない。慰めてくれてるのは分かるが、今はとても素直にありがとうなんていえる気分じゃない』
それよりも先に確認しなければならない事がある。確認したくはないが確認しなければならない事が……
「ところで失踪した人が戻ってきたって話ですけど、全員帰ってきたんですか?」
動揺を隠しながら先導する自衛隊員に話しかけた。
「いや、ほとんどは場所で、失踪者の多くは還ってこなかったみたいだ。霧は発生したけれど誰も還って来ないというケースが多かったらしい。二十八人中二十人もの失踪者が還って来たというのは珍しいみたいだ。君達は運が良い……今はそう思った方が良い」
確かに不幸中の幸いだ。全員でこの世界に還って来られたのだから。そうでなければ幾らレベルアップによる【心理的耐性】の強化があっても、自分の脚で立って歩くと事は出来なかったはずだ。
感謝するよ大島。良く全員連れて帰ってくれた。ありがとうと素直に思う……ここで軽口の一つも思い浮かばないなんてな。
海岸にたどり着いて見た光景は俺を更に落ち込ませて余りあるものだった。
部員達の多くが傷つき倒れている。
一年生達は比較的軽傷ですんでいるのが多く、単に疲労で倒れているようなものだった。だが二年生達は違った。
中元は右腕に焼け爛れたような酷い火傷を負い。田辺と森口は共に脚を骨折している。岡本は頭から血を流して動かず、冨山は右腕を骨折し治療を受けている最中だ。辛うじて小林だけが目立った大きな怪我を負ってないが小さな怪我は幾つも負っているようだ。
そして三年生……その姿に思わず息を呑む。
伴尾は骨折した手足の治療を受けている。田村は胸の右側が大きく陥没し口から血を流している。そして櫛木田は……右腕が肘の上からなくなっていた。
これが……これが、俺のせいで……俺のせいで、畜生! 畜生! 畜生!
『落ち着くんだ! 今は冷静になって彼らを助けないとならない』
『そうです主将。皆の手当てをしないと』
動揺していた俺に二人が声をかけてくれた。そうだな自分を責めてる場合じゃない。今は治療だ──
『そうだな……』
だが治療をするにしても、周囲に大勢の自衛隊員がいる前で魔術で治すなんて真似は出来ない。何か誤魔化す方法を考えなければ……駄目だ。頭が回らなねぇ!
『高城君。スポーツドリンクの入ったペットボトルを持っていたよね?』
『ああ、まだ一箱手付かずで残っている』
『その中から二本ほど中身を捨てて、代わりに水を詰めて欲しい。君なら周囲に気付かれずに出来るはずだね』
時間停止状態で、水っぽい名前のスポーツドリンクの二L入りペットボトルを二本取り出すと、中身を足元の砂の上に流して、【水球】で出したの水を詰める……このまま時間停止を解くと、どこから出したのかが問題になりそうなのでバッグの中に入れてシステムメニューを閉じる。
『良いかい? 高城君。香籐君。ペットボトルの中に入っているのは水じゃなく、魔法の治療薬だよ』
『……意味が分かりません』
『……そうか、どうせあちらの世界に行った事は他の生還者の口から出るから、霧にまかれて気付いたら救助されていたという嘘はやめておくってことだな。そして異世界で手に入れた飲むだけでどんな怪我も治る霊験あらたかな魔法の水で皆を治療するという訳だ』
『その通りだよ。僕らはお化け水晶球に襲われて怪我を負いつつも逃げ続けていたら、何時しかお化け水晶球が追ってこない不思議な場所にたどり着き、そこにあった泉の水を飲んだら、怪我が治ってしまった……なんて話はどうかな?』
『その泉の水を汲んできたと言う事にするんですね』
『そうだよ。それに他にもっとらしいエピソードがあった方が良いね』
『分かった。俺は腕を半ば切断されるような大怪我を負ったが、泉の水のお陰で傷跡一つなく綺麗に、しかも以前と変わらなく動かせるように回復したことにしよう』
『泉や泉の周辺の様子も決めておいた方が良いですね』
『……逃げ込んだのが洞窟で、洞窟の奥に水が湧き出る泉があったことにしよう。細かい様子や、それ以外に僕達がどうすごしたかも考えておくよ。それを後で伝えるから、事情聴取の時にはそれに沿って話をして欲しい』
『分かった。すまないが頼む』
「櫛木田。大丈夫か?」
「……お前達も生きていたか……まあご覧の通りだ。大丈夫とはいえないな」
大量出血のせいで土色になった顔に強がりの笑みを浮かべ不敵に話すが、その声は今にも途切れそうな程に弱々しい。
「腕はどうした?」
「……透明なガラス球みたいな化け物が……突然沢山腕を生やしたかと思ったら……一撃で持っていかれた……なさけねぇな俺は、肝心なところで」
「斬られた腕は持ってきたか?」
「たしか小林が……回収してくれたはずだが……時間が経ちすぎ──」
それなら何とかなるかもしれない。
「小林!」
櫛木田の言葉を遮って小林を呼ぶ。
弾かれたように飛んで来た小林に「櫛木田の腕を寄越せ」と命じると背中のバッグからペットボトルを取り出した。
「こ、これです」
小林が差し出す櫛木田の腕を受け取るとペットボトルの水をかける。まるで何かの儀式かのように慎重にゆっくりと全体にかける。
「……な、何をしている?」
「俺の腕も骨まで斬られて半ば切断されたが、この水のお陰で傷跡一つ残さず治った。紫村や香籐の傷もだ……だからお前の腕も治る。信じろ!」
「ほ、本当に治るのか?」
「治る! だから信じるんだ」
そう言いながら、システムメニューを開いて【大傷癒】を切り落とされた腕にかける。壊疽仕掛けている細胞さえも治ると信じて何度もかける続けた。
すると30回を超えた辺りから次第に掴む指先に伝わる皮膚の感触が変わってくる。弾力のようなものが蘇ってきた。そして切り口を確認するとどす黒く変色してた切り口の肉が、綺麗な赤みがかった色へと変わっていた……いける!
「腕の方は何とかなりそうだ」
「……本当なのか?」
「大丈夫だ」
そう言って、まるで切り落とされたばかりのようになった切り口を見せてやる。
「……なんとなく大丈夫な気がしてきた。駄目でだったら恨むからな!」
軽口を叩く余裕も出てきたみたいだ。
「腕を出せ。元通りに繋ぐぞ」
「ちょっと待ちなさい! 君は何を言っているんだ? 治療の邪魔はやめるんだ!」
力を振り絞って上体を起こして右腕の傷口を俺に向けようとする櫛木田の肩を抑えながら、奴の治療に当たっていた──衛生科か救急救命士かは分からない──隊員が割って入ってきた。
「俺達は訳の分からない所に飛ばされて、訳の分からない目に遭って来たんだ。ここで話したところでお前には何も理解出来ない。邪魔だからどけろ!」
「そんな訳にはいかな──」
彼は仕事熱心な真面目な隊員なのだろう。だがそんな事はどうでも良かった。俺は一瞬で彼へと手を伸ばすと顎の先端を、親指、人差し指、中指の3本でしっかり掴むと、瞬間的に小さく鋭く左右に揺らし、気持ち良い夢の世界へと送り込んでやった。
「何をする!」
俺の暴挙に周囲の隊員達が気色ばんで集まってくるが、紫村と香籐が割って入り、一呼吸の間に五名の隊員を無力化した……別に自衛隊員が弱いわけではない。人類を卒業して退職して生まれ変わったに等しい二人が悪いんだ。
「我々の主将がやると言っているんです。誰にも邪魔はさせません」
ちょっと香籐君、格好良すぎますよ。
「……そういう訳です。黙って見ててください」
美味しいところを持っていかれたと言いそうな目で香籐を見る紫村。
例え戦闘が主たる任務ではない隊員とは言え、訓練は……多分しているだろう隊員五名が中学生二人に瞬く間に倒される様は、彼らから冷静な判断力と戦意を奪い取るには十分だった。
二人に守られながら、櫛木田の脇に膝を突いて屈みこんで傷口を塞ぐ傷口の処置を全て剥ぎ取る。そして傷口にも水をかけ、同時に【軽傷癒】を傷口が塞がらない程度に活性化するように一度だけかける。
「これを飲め」
「……分かった」
ペットボトルを無事な左の手で受け取って飲む櫛木田の傷口を確認する。適当に繋げて変な形にくっ付かれても困るからだ。幸い傷口は漫画のようにすっぱり綺麗に切られているわけではない。柔らかな脂肪層や弾力のある皮膚は綺麗に切り裂かれずに、切断時に変形して切り口に特徴的な形を残していたので、切り取られた腕側の傷口とが一致する向きが分かった。
「飲んだら、これを噛め」
ポケットから出したかのように【所持アイテム】から取り出したハンドタオルを差し出した。
「……痛いのか?」
「個人差もあるだろうから分からんが、多分痛いと思う。そして気持ち悪いかもしれない。だけどそうなったらお前の腕が繋がり出してる証拠だから喜べ」
少なくとも骨折が短時間で治っていく時の感覚は、俺にとってはかなり気持ちの悪いものだった。
「わ、分かった」
情けない表情を浮かべてハンドタオルをしっかり奥歯の方まで押し込んで噛み締めるのを確認してから、切り取られた腕を傷口に当ててからシステムメニューを開く。
ここからが肝心だ。多分レベル176の自然治癒力が粉砕した骨を勝手に正常位置に戻して治るというトンでも能力だったので、同じシステムメニュー由来の魔術による治療ならば大丈夫だと分かっていても、最低限くっ付けた骨に神経や血管が挟まっていると状況だけは避けたいので、両方の骨の断面にそれらが付着してないかを確認してから慎重に両方の傷口を合わせた。
【大傷癒】を3度連続でかけると傷口が完全に塞がり傷跡自体が見えなくなった。これは切り取られた腕の方の細胞も回復していたと言う証拠だろう……ほっとため息を漏らす。
更にゆっくりと慎重に骨に負荷をかけていくが問題なく骨は繋がっているようだ。
システムメニューを解除する。
流石に一瞬で繋がったというのは問題があると思ったので、解除後も「まだ指先を動かしたりするなよ」と釘を刺して3分ほど待ってから手を離した。
「つ、繋がってる? 俺腕が繋がってる!」
「指も動かしてみろ」
「動く、指が動くぞ高城!」
「良かったな」
櫛木田は涙を流しながら喜ぶ。釣られて俺の頬にも涙が流れた……本当に良かった。
『高城君、高城君。感動の場面を悪いけど手分けして治療をするから、僕達の【所持アイテム】の中に水入りのペットボトルを入れて欲しいんのだけど頼めるかな?』
クールな奴だな。香籐なんて感動して泣きながら「良かった」を連呼しているのに……と思いつつも、言われたとおりにペットボトルに水を詰めると、二人の【所持アイテム】へとペットボトルを送った。
「香籐君。手分けをして皆の治療をしよう」
「はい」
紫村に促されて香籐も治療を始めるが、そこに水が差された。
「今のは一体何なんだ? 切断された腕が繋がるなんて事はありえない!」
年配の隊員がそう叫ぶ……しかし俺も紫村も香籐も相手にはしなかった。オッサンの疑問に答えるよりも仲間の治療の方が、比較するのが可哀想なほど圧倒的に優先される。
「待ちなさい! そんな素人の訳の分からない治療行為は認められない……それだ。そのペットボトルをこちらに寄越しなさい!」
明らかに台詞の前半と後半の主張に関連がない。そして俺の手の中にあるペットボトルを見る目から卑しい欲望が見て取れた。
ここで俺の選択は当然……無視だ。相手にしている暇はない。
「田村。お前も飲むんだ」
まだ半分近く残っている櫛木田の飲み残しのペットボトルを口元に運ぶ。
「止めろ! 止めろと言ってるのが分からんのか!」
後ろからオッサンが喚くが無視して、田村に水を飲ませながら【大傷癒】をかけ続ける。
すると陥没した胸が膨らんでいく。別に呼吸した事で肺が膨らみ胸が元の形に戻っている訳じゃなく、逆に胸が元の形になる事で肺が膨らみ、口から空気が流れ込むために、飲んでいる水が気管に入り咳き込む事になるほどだ。
魔術って凄いな。治癒能力による回復よりも即効性が高いので治癒していると言うよりも早回しによる時間の逆流現象とも言うべき奇跡だ。
「そ、それを寄越せ餓鬼が!」
痺れを切らせたオッサンが背後から俺の頭部を横殴りし、バランスを崩した俺の手からペットボトルを奪い取った。
「やった! これがあれば──」
『撮ったか?』
『勿論!』
『僕も撮りました』
阿吽の呼吸と言うのではなく、予め二人には【伝心】でオッサンを黙らせて、この場のイニシアチブを握るネタを撮影するように指示していた……無視とは最大の挑発である。
次の瞬間、背後を振り返った俺は、オッサンの腹筋を野戦服の上から右手で握りこむと、1秒間に186回の上下左右手前奥のランダムな振動をくわえた。
内臓をシェイクされて崩れ落ちるオッサンの手からペットボトルを奪い取ると、次は伴尾の治療に取り掛かる。
「飲め!」
伴尾の口元にペットボトルの口を近づける。
伴尾は左上腕部が開放骨折で折れた骨が皮膚を突き破った痕が残っているが、治療で正常な位置に戻されたみたいだ。そして左足は膝から下が潰れている。
喉を鳴らしながら水を飲む伴尾へ【大傷癒】をかけて怪我を治療していると、背後から嘔吐物のすっぱい臭いと一緒に、糞の臭いが漂ってくる……脱糞までしたか。便秘治療には良い方法かもしれないな。
比較的重傷の部員達を優先に、紫村と香籐が治療に当たっているので、俺は残った重傷者の岡本の治療を終えた後は、残ったもう1本のペットボトルを一年生に渡して回し飲みさせながら【大傷癒】を一人に1回ずつかけて回った。
それを邪魔する隊員はいなかった。信じられない事だろうが、実際に目の前で重傷者が回復していく様子に驚いたのと、更に信じられない事は俺達が圧倒的な力を、しかも躊躇うことなく行使した事だろう。自衛官だって人間だ。治療の邪魔をして中学生に脱糞させられたらたまったものではないだろう。
「ところで大島と早乙女さんはどうした? 保護者二人は何してるんだ?」
最後に治療した小林に尋ねる。
「先生と早乙女さんは……」
俺の質問に、小林は目を伏せて言葉を詰まらせる。
「ん? ……どうしたんだ」
嫌な予感を胸に感じながら更に尋ねる。
「二人は……もう」
そう言って小林が向けた視線の先にあるのは仮設テント。そのテントの奥には……
「何だそりゃあ……冗談だろ?」
「ここに戻ってからすぐに二人は……ずっと俺達を守ってくれたのに……」
「何言ってるんだ? あいつが死ぬはずないだろう。殺して死ぬような奴なら俺がとっくにこの手で殺してるぞ。死ぬなんてそんな人間らしい部分があいつにあるなんて聞いた事がない……そうだろ?」
俺の言葉に小林は小さく首を2度横に振った。
それでも信じられずに、仮設テントに駆け寄ると大島と早乙女さんが入ったボディバッグを開ける。
血の気のない顔。脈を取るために手を当てた首筋は妙に温く、何の鼓動も指先に伝えない。
残ったペットボトルの水を振り掛けると【大傷癒】をかけ続けるが、まるで変化がない。壊疽しかけていた腕の細胞も賦活させた【大傷癒】が全く通じない。
横で早乙女さんの治療に当たっている紫村と香籐の顔に浮かぶのは焦りと絶望。それが全てを雄弁に語っていた。
『高城君。まだ諦めては駄目だ。二人を収納して欲しい。レベルアップして習得する魔術の中に、死者を蘇生させるものがあるかもしれない。だからまだ痛んでいない今の内に収納するんだ』
紫村の【伝心】と同時に、霧……ではなく湯気がテントの中に発生する。香籐が外から見えない位置で【水球】を使い。それを【操熱】で水蒸気に変えているのだ。
『これから【閃光】と【光明】でそれらしく演出するから、適当なタイミングで収納してくれ』
「危険だ! 逃げろ!」
隊員から声が上がる。
話に聞いたか、監視カメラか何かに写った映像を見たのか知らないが、紫村達が演出した怪しい霧もどきを失踪時に発生した霧と誤認したようだ。
紫村と一緒に香籐を引っ張ってテント内から逃げると、システムメニューを開いて時間停止状態で大島と早乙女さん。そして仮設テントとその中にある全てを収納していく、そして全てを収納してからシステムメニューを解除すると全てが一瞬で消え去ったように見えるのだ。
突如発生した光る霧と共に仮設テントが中の遺体や荷物ごと消えた事に自衛隊員のみならず空手部の部員達にも動揺が走る。いやむしろ、実際にあちらで地獄を見てきた部員達の動揺の方が大きい。
「まだ、この件は終わってないのか?」
中元が呆然とした様子で、誰に聞かせる様子もなく呟く。
「……とおとうみに連絡。要救助者を収容しヘリ到着を待たず島から撤収する。直ちにとおとうみにボートを連絡、また島内の探索任務についている隊にも連絡を急げ」
現場の指揮官らしき隊員が指示を飛ばす。
『上手くいったね』
『……怖いほどな』
『紫村先輩の指示通りにやりました』
『ところで、テントと一緒に収納した水食料に医薬医療品。毛布に担架に諸々の物資はどうする? 流石に盗ったままというのは気が引けるぞ』
ヤクザから奪うのとは訳が違う。国民の血税で購ったものだからな。
『……それはさておき』
スルーした!?
『これからの事なんだけど』
『事情聴取対策ですか?』
『それもあるのだろうけど、もっと長い意味での「これから」の事だよ』
『大島と早乙女さんの事か?』
『それだけじゃなく、今回の異世界への移動を含めた全ての問題についての話だよ。高城君は今回の件について、システムメニューの影響で自分のせいだと考えてるんだろうけど。全世界で確認されているだけで三百件の失踪事件の全てが高城君のせいとは思えないんだ。二手に分かれることになった僕達のケースは稀だったけれど、全ての失踪事件の一つ一つにシステムメニューの保持者が関わっていたとは考えられないかな?』
『俺の他にもシステムメニューを持つ人間がいると?』
『僕はそう考えているよ。僕達が失踪した時の状況を考えて欲しいんだ。まずは僕達全体を包むように霧が現れた時、君は咄嗟に僕と香籐君を巻き込んで逃れたけど、霧は再び現れて僕達をあの世界に移動させた。つまりあの霧は君だけを狙っていて僕達は君に巻き込まれたと考えられる。それなら世界中で起きた他の失踪事件も君のせいなのかな? とてもそうとは思えない。君の他にもあの霧に狙われる理由を持つ人が失踪事件の数だけいて、近くにいた多くの人が巻き込まれたと考える方が自然だよ』
……そうなのか? 本当にそうなのか? この都合の良い説に縋り付きたいと欲求に抗い、俺は紫村の説の穴を探す。
確かに、あの霧は俺を巻き込むのに失敗した後で、すぐに再び出現した。間違いなく狙いは俺だったのだろう。俺に狙いをつけて俺をあのパラレルワールドに移動させるために現れたはずの霧が、世界中にも現れて大勢の人間を失踪させた。
確かに紫村の説には説得力がある。これという大きな矛盾もない。だとするなら俺以外に三百人、いや未確認の失踪事件を含めるならば千人を超えるかもしれないシステムメニュー持ちが存在するというのか?
これは拙いだろ。通常の人間の何倍もの身体能力や知能を持ち、魔力を持って魔術、そして魔法を使えるような連中が大勢いるってことだぞ。その気になればやりたい放題。警察にも止められないような化け物が野放しになる。
何てこった。まだ今回の失踪事件の全てが俺の責任であった方がマシじゃないか?
『高城君は、僕の説が本当だった場合の問題点に気付いてくれたみたいだね』
『ああ、人間の枠を超えてしまったような連中が世界中に下手をすれば千人近くも現れたってことだろ。いやパーティシステムを使えば、さらにその人数は増える。下手をすれば超人的な能力を持ったヒーローと悪が入り乱れて、一般人を巻き込んで戦うようなアメコミのような世界になる』
『それだけじゃないんだ。もしも君一人だけがシステムメニューの力を身に付けたとするなら、それは何かの奇跡と割り切ることが出来るけど、それだけの数の人間が身に付けたとするなら、偶然や奇跡じゃなく必然である可能性が高いと思うんだ。そして必然なら何らかの理由があるはずだよ……僕は何か大きな、世界的な規模の災いの予兆のような気がしてならないんだ』
そんなのスケールが大きすぎて、俺の小さな器から溢れてこぼれるてるわ……
「では皆さん桟橋に向かうので。自分の後に続いて下さい」
隊員の指示に続けて俺が命令を下す。
「全員整列。櫛木田は自衛隊員の誘導に従え。残りは一年から順に櫛木田の後に続いて進め。最後尾は俺だ」
俺の指示に、部員達は無言で素早く縦列を作る。そこには了解の意を示すという無駄な手順は存在しない。部内において上位者の明確な命令には否応なく無条件に従うと言う習性が、すでに一年生達にすら刷り込まれている。
『高城君。他のシステムメニュー保持者の動向は僕が調べておくから、君には夢世界の方でのレベルアップを頼みたい。それに出来れば僕達も夢世界に行ってレベルアップ出来るような方法を探してくれると嬉しいんだけど』
『……他のシステムメニュー保持者と協力関係は築けると思うか?』
『それは調べてみないとどうにもならないよ』
『敵対されたら……それに能力を使ってテロリスト紛いの破壊活動なんてされたら拙いな』
『世界中にシステムメニュー保持者がいるのだから、中には元々テロリストが存在しないとも限らないからね……とりあえず、日本国内には君以外に一名確認出来るよ』
紫村の言葉に慌ててワールドマップを表示する。
……って、凄げぇなおい。北関東の田舎の小市民の小倅の移動範囲が表示されていたワールドマップが何てことでしょう。日本国内はおろか海外まで広く表示可能範囲が広がっているではないですか。
日本国内は、九州を越えて更に沖縄まで、他にも主要都市、全政令指定都市とはいわないが大都市を頭から七つ上げろと尋ねたら出てきそうな十都市は網羅してあった。
海外も北米南米、アフリカ、欧州、中東、オーストラリアと足跡をつけてある。しかしその範囲はとても狭く大きな世界地図の上に這わせた幾本かの細い糸と、数十粒の米粒程度の範囲しか抑えておらず、面積的には1%にも遠く届かない範囲に過ぎなかったので『システムメニュー所持者』で検索をかけてヒットしたのは国内では東京に一名と、海外はニューヨークに一名の、計二名に過ぎなかった。
『面積的にはともかく人口密集地を押さえているから、もっと多くても良いとは思うんだけど少なかったね』
『……確かに国内は人口が密集している大都市が多い割には、ヒットしたヒットした数が少ない』
『多分、多くが今回あの世界に飛ばされて死んだのだと思うよ。いや本当は三百とか千とか少ない人数ではなく、万単位のシステムメニュー所持者がいて、君と同様に夢の世界に飛ばされて死んだのではないかな?』
『そんな……事が?』
『僕には想像する部分が多くて断定は出来ないから聞くよ。実際に夢の世界を知っている君に聞くよ。システムメニューの存在に気付かずに生き残れると思うかな?』
『……いや無理だ』
即答した。俺自身システムメニューの存在に気付いていなかったら、最初の森で遭遇した森林狼に食い殺されていたはずだ。
『次にシステムメニューの存在に気付いたとして、もし自分が普通の中学……大人だったとして生き残れた自信はあるのかい?』
『難しいな……空手部で大島に扱かれていなかったとすると、最初の町にたどり着ける可能性はかなり低い。だがこれは出現した場所の条件にもよるから分からないぞ。最初から町、または人の住む場所の傍に居たなら、システムメニューの存在自体気付かなくても、すぐに死ぬという事にはならない』
『それでも三百人から千人の生存者が生き残るためには、どれくらいの分母が必要だと君は思う?』
『千ニンだとするなら……最低でも一万人だな。確かにお前の言う通りだよ』
『そして、今回の件で更に大きく人数が減ったはずだよ。多くても数十人程度までに』
もしシステムメニュー保持者が全て俺と同じ異世界に送り込まれて、システムメニューの存在に気付き町などにたどり着けたとして、そこからレベルアップをすることが出来る人間が何割いたか? 例えばレベル一で身体能力の底上げもなくゴブリンの数匹程度の集団に襲われて勝てる人間がどれだけいたかである。
成人男子なら装備品の剣や槍を取り出す事さえ出来れば倒せない事はないだろうが、それはゴブリン相手の殺し合いの中で冷静に対処出来ればの話だ。
ゴブリンを倒してレベルアップという最初の大きな壁を乗り越えて、強くなる道を一歩踏み出せたのは一割もいたとは思えない。
そして更にお化け水晶球の世界。空手部の連中を守っていたとしても大島や早乙女さんが命を落とすような状況で多少レベルが上がった程度の普通の人間が生き残れるか?
それには、レベル十や二十で得られる身体能力や知能や精神力など以上に運が重要な要素となったはずだ。
『現状、僕達が注意を払う必要があるのは、その数十人の中で実力で戦って生き残った者達だね』
『世界的規模の災いって奴は、結局今の段階では何が起きるのかも分からないから対処出来ないからな』
『その通りだよ。精々何かの予兆を見逃さないように常に情報を集めてチェックし、何が起きても生き残れるように戦う力を蓄えるだけだから』
『……でもレベルアップ以外の戦力アップに必要な大島先生はいないんですよね』
『そこで大島先生を蘇らせるために、高城君にレベルアップしてもらう必要があるんだけど、どうだい?』
『難しいな。俺があちらの地球に飛ばされる前のレベルは五十五だったが今は百七十六だ。次のレベルアップに必要な経験値は桁が違いすぎる。何せ俺が今まで倒したことのある一番強かった龍を百頭以上倒す必要がある』
龍がぜつめつきぐしゅとしてレッドデーターブックに載せられてしまう。
『でも今の主将のレベルなら龍を倒すのも難しい事ではないのではないですか?』
『香籐……倒すのは不可能ではないけど決して楽勝じゃないぞ。連中の持つ特殊能力で攻撃されたら、今の俺の身体でも一発で死ぬぞ。だが一番の問題は龍はファンタジーな世界でもありふれた存在じゃないんだ。夢の世界の俺がいる国にいる全ての龍を合わせても百に届くかは分からない程度には珍しい存在なんだ』
『そうですか申し訳ありません……』
その気落ちの仕方は、俺に否定されたから? それとも俺が意外に強くねぇんだなというがっかりなのか?
『そうだとするなら、こちらの世界でレベルアップする方法を考えるべきかな……』
紫村……多分、ヒグマを狩ったとしてもオーガ一体分の経験値も入らないと思うぞ……いや、実際にヒグマを狩った事はないから、ヒグマよりオーガの方が強いだろうから経験値もオーガの方が強いという予測だが間違ってはいないと思う。それに──
『もしヒグマあたりを倒して、夢世界のそこそこ強い魔物であるオーガと同じ程度の経験値を得られたとしても、二万匹以上を倒す必要があるけど、どこに行けばそんなに大量のヒグマに合えると思う?』
『夢世界の魔物はそれほど強いのかい?』
『先ほど言ったオーガは、巨大な棍棒を振り回して体重百キロは優に超えるオークをホームランするぞ。冗談じゃなしにライナー性の凄いのをかっ飛ばす……とりあえず、オーガとオークの死体を送っておくから二人とも確認しておけ』
それを食らって死に掛けた事を思い出しちゃうよ。
『うわっ! 主将これは待ってください!』
『泣き言を抜かすな! オークの肉は無茶苦茶美味いんだからおとなしく受け取っておけよ』
強引に押し付けた。
『高城君……君……本当にこれを食べたのかい?』
『食べるさ。向こうじゃ普通に食べられる食材だぞ。肉といったらオーク肉が出てくるくらいだ……しかも悔しいけど本当に美味いんだよ! 試しに食ってみろよ』
『いや、こんな死体のまま渡されても無理だよ。こんな中途半端に人間ぽいのは捌きたくないよ』
『僕にも無理ですぅ……』
『分かったよ。俺だってこんな大物一人で捌いたことないよ。ほら加工したソーセージやベーコン風に加工したのもやるから、試しに食っておけ』
そう言って、追加でソーセージやベーコンも二人の【所持アイテム】へと送ってやる。
『どうしても僕達に食べさせるつもりなんだね。君は……』
『あ、あ、ありがとうございます……』
『でもこの化け物を二万も倒さないと次のレベルアップがないなら、アフリカ象を一万頭位狩らないと駄目だね』
『アフリカ象で例えないで! 絶滅しちゃうから』
『大丈夫だよ。アフリカ象は60万頭位は生息しているみたいだから』
『どこにも大丈夫な要素がねえよ! ……とりあえず、夢世界かあっちの地球に行ける方法は俺の方でも探しておくからアフリカ象には手を出すんじゃないぞ。分かったな?』
『アフリカ象が駄目ならホホジロザメでも……』
『自然動物を特定種を狙い撃ちで大量虐殺するのは止めろ。俺でもさすがに心が痛む』
程なく桟橋の前にたどり着いた。桟橋には大型のゴムボート。確かゾディアックと呼ばれる──ゾディアック社製のゴムボード全般を指す──大型軍用ゴムボードが接弦していた。
「最初に十人が乗り込んでください」
「一年生全員。それから小林、田辺、森口。そして櫛木田。お前らが乗り込め」
隊員の指示を補足するように俺が部員達へ指示を出す。
「高城。大島先生と早乙女さんはどうなったと思う?」
桟橋の前で、ゾディアックが戻ってくるのは待っていると田村が落ち込んだ声で話しかけてきた。流石に大島達の死と遺体の消失には思うところがあるのだろう。
「分からない。またあそこへと飛ばされたのか、それとも別の場所に飛ばされたのかもな」
「大体、お前達がいなかったのはどういうことだ?」
「俺達は最後尾にいたからな。異変に気付いて咄嗟に先を歩いていた香籐を引っ張って霧から逃げた……だが、お前達が目の前で消えた事が受け入れらなくて、呆気に取られていたら、再び俺達を包むように霧が現れて飛ばされた」
これは事実だ。まさかあんな超常現象が二連発で来るとは思っていなかった。
「そうか、そのせいだったのか」
「悪かったな。俺達だけ逃げたみたいで」
「いや、どうせ全員で逃れるのは無理だったんだろ。香籐だけでも助けようとしたんだ。俺だってそうするさ」
こんな状況でも感情論を持ち出さない空手部の仲間は信頼出来るが、こんな中学生は嫌だな。
「向こうでは俺達は化け物、俺は個人的にお化け水晶球と呼んでる奴らに追い掛け回された。櫛木田も似たような化け物にやられたと言っていたが?」
「お化け水晶球か……確かにそんな感じだな。やはり飛ばされた場所は同じってことか……それならどうやって生き延びた?」
「運が良かったとしか言いようがない。俺達も奴らに追われて逃げたが、あの数だ包囲されては無理に突破するの繰り返しで俺も深手を負わされた。だが行き場をなくしてある洞窟に逃げ込んだら奴らが追ってこなくなった。そして洞窟の中を探索したら一番奥に湧き水があったんだ。飲み水もスポーツドリンクが四本だったから深手を負って助かる見込みが少ない俺が毒見をした……すると何故か怪我が治った。お前達みたいにな」
『紫村、香籐。この嘘をベースに口裏を合わせてくれ』
嘘を吐きながら同時に【伝心】で二人と嘘をすり合わせるのも忘れない。
「そういうことか、羨ましくもあるがお陰で助かったよ」
「俺も潰れた左足は諦めていたから……お前らがあの水を持ってきてくれたお陰だ。ありがとう」
伴尾と共に頭を下げられた。他の失踪した人間と違って、お前らは完全に俺に巻き込まれただけだら誤る必要はない。そう打ち明けるわけにもいかないので苦々しい思いと共に受け入れた。
「それで君達は、向こうに飛ばされてから如何やって生き延びたのか教えてくれないか?」
紫村が良いたタイミングで聞きたかった方向に話の流れを変えてくれた。
「俺達は向こうに飛ばされて、すぐにお前達三人がいないことに気付いて周囲を探したんだ。だけど見つかるどころか連中に出くわしてしまった。何せ殴っても蹴っても電撃を食らわせてくる相手だ。流石に大島にも打つ手は無しで逃げることになった」
確かに何の準備も無しに、触れる事自体が拙い相手とは大島だって戦えないか……理解は出来るが納得は出来ない。あの大島が為す術もなく逃げるなんてな。何せシステムメニューの基準でも人類外にされている男だ。
「それから?」
「最初は奴らは俺達を追うように動いていたんだが、その内に南西方向へと連中が群れで移動していくようになったから、逆の北東に向かって逃げることにした」
……多分、その方向に俺達がいたと考えるべきだろう。
俺達があの霧に飲み込まれて飛ばされたのはこいつらの何秒後だ? 十秒という事はないが一分も経ってはいなかったはずだ。三十秒とするなら自転によって生まれた俺達との出現位置のずれは十キロメートル以内だ。
畜生! あそこがパラレルワールドの地球だと分かっていたなら合流も難しくはなかったのに。
「それからは連中が積極的にこちらに向かってくる事は少なくなったが、それでも際限なく奴らは俺達が進む方向からやって来る。見通しの利かない森の中では避けられないから、結局遭遇する回数は半分程度にしか減らなかった。だけど奴らが割れ易いことに気付いた大島が『一点に小さい力を加えて砕けば貰う電撃は弱い』と言い出して倒していたら、突然奴らは自分達で身体を変形させて電撃を放つようなっただけじゃなく、腕を伸ばして斬りつけるようになって……そこからは本当に地獄だった」
それは大島が倒したせいじゃなく、俺が倒したせいかも……
「唯一の救いは、翌日以降は奴らと遭遇することが大きく減った事だな」
それは奴らが合体変形タイプに進化したことで、純粋に数が減ったから遭遇しなくなっただけだよ。
「だが、その分出会うとやばかった。従来タイプも時間が経つほどに強くなるわ。巨大な人型まで出現するわ」
すまん、それは本当に俺のせいだ。つまりあちらの地球に連れて行かれた失踪者が死んだ責任は俺に有るな…………
『いいかい? また落ち込んでるみたいだけど、あの場合は誰かが奴らを倒してレベルを大きく上げなければ誰も帰れなかったはずだよ』
『そうかもしれないが、お化け水晶球と戦わずに逃げれていれば、何時かは還れる様になったはずだろ?』
『あそこで更に何日も? いや、最初からレベルが高かった君がいなかったらその何倍も元の地球に還れるのは遅くなったはずだよ。しかも学習能力と適応の力に優れているから戦わなかったとしても、逃げる僕達を捕捉する方向に進化したはずだよ。そうなったら結局は戦うしかない。むしろ君があれほど短期間でレベルを上げたお陰で生存者がいたと考えるべきだよ』
『そうか……』
完全に納得出来た訳じゃない。だが今はその言葉に縋りたかった。
ゾディアックから艦……多用途支援艦『とうとうみ』へと乗り移った後。
艦はこのまま八丈島へと向かい、空港から空路で本土へと向かうことになると聞かされた。
「今日は家に帰れそうもないな」
艦の食堂に案内された俺達は、適当なテーブルについて出されたお茶を飲んでいると、伴尾がそう呟いた。
現在の時刻は十五時五十二分で八丈島に着くのにはまだ一時間ほどはかかりそうな雰囲気だ。
来た時の船が速すぎたせいで、この艦の船足は後ろから蹴飛ばしたくなるほど遅く感じるが乗り心地という面では比較にならないので我慢出来た。
「八丈島に上陸出来るのは、なんやかんやで五時くらい。それから無人島では出来なかった身体検査を受けさせられるかもしれないな」
「そして飛行機で軍関係の施設に移されて、今度は精密検査と尋問だな」
伴尾の呟きに反応した櫛木田に、俺は重たい現実を突きつけた。
「何! 尋問されるのか?」
「されるだろう、これだけの世界規模の大事件の生還者だぞ。失踪していた間に何があったのかを、一人一人じっくりと何度も、何日もかけてな」
「何日もは無理だろう。犯罪者でもないのにそんな長期間拘留なんてマスコミが黙ってないぞ」
焦ったように田村が割って入ってくる。
「どうかな? 救助された中学生は肉体的にも精神的にも不安定になっており、現在病院で入院中です。とか言ってな」
「そんな事、親が黙ってないだろ」
「そうだ無理だ」
「しかし、残念ながら面会謝絶です!」
無情にもそう告げる。
「おい、マジかよ?」
簡単にだまされるなよ……
「嘘に決まってるだろう。そんな下手な嘘吐いたら俺達の口を封じないかぎり、後で大問題になるぞ」
流石に政権崩壊はないだろうが大臣の首が一つや二つ飛んでも不思議じゃない大事件だな。そこまでやる意味がない……もしアメリカが俺達の身柄を要求とか……そうなったら怪しいが、向こうにだって生還者の一人や二人はいるだろう……多分。
「つまり僕達の口を封じるつもりなら、嘘を吐いてやりたい放題に出来るって事だよ」
紫村は櫛木田達の不安を煽るように横槍を入れてきた。
これも酷い与太話だ。そもそも俺達がどんな情報を持っているのかも知らない状態で、そんなリスクの大きな真似を考える馬鹿はいない。
「無理だな。肉体的はともかく、俺達が精神的に不安定になって入院なんて聞いたら、うちの学校の連中が腹抱えて笑い転げる」
余り不安を煽らないように紫村の発言を混ぜっ返すだけの適当な台詞だったが、周りからは笑いがこぼれ、確かにその通りだと自分でも納得してしまった。
「大島先生は死んでしまったんですよ! どうして先輩達はそんな風に冗談を言ってられるんです?」
中元が席を蹴って立ち上がって叫んだ。
この中で最も大島に対してトラウマを持つはずの中元だが、大島の死について思うところが少なからずあるようだ。
「主将は見てないから分からないでしょうが、最後はでかい円盤見たい奴に襲われて、皆次々と大怪我を負って。それを大島先生と早乙女さんが必死に戦ってくれたから……どうして、その場にいた先輩達が平気でいられるんですか? 二人は死んでしまったんですよ……僕達のために!」
「……まあ、何だ。正直なところ、大島が死んだって実感が無いと言うか、いや生きてるんじゃない? ていう気がしてならないんだよ」
櫛木田は自分の気持ちの整理がつかないといった感じに、時折首を捻りながら話す。
「そんな訳ないじゃないですか! 先輩も大島先生が死んだと診断されたのを──」
「いや見てない。そこまで余裕が無かった」
確かに三羽鴉は、かなり重傷で俺が治療しなければ失血などで死んでいた可能性も高かったからな。
「それに、大島と早乙女さんの身体が消えたというのも何かあるとしか思えないだろ」
伴尾も櫛木田と同意見のようだ。
「せめてこの目で死体を見て確認しないと、二人が死んだというのをイメージ出来ないというか、安心出来ない」
田村……本音が漏れている。
「こいつらは自分が死に掛けても泣き言を口にせず、仕方が無いと笑うような頭のおかしな奴らだ。こいつらを動揺させたいなら大島を蘇らせて『先輩達は先生が死んだのに悲しむどころか動揺一つ見せずに笑ってたんです』とチクるくらいの事をしてみせろ」
そう擁護してやったが……
「それは洒落にならない!」
……三羽鴉は激しい動揺をみせた。
お前らは本当に大島にトラウマだな。櫛木田なんかは大島抜きにすれば、本当に面倒見の良い男気に溢れた頼れる奴なのだが、大島が絡むと途端にヘタレる。全ての長所が帳消しになるほどみっともなくヘタレる……大島って蘇らせてはいけないのではないだろうかと本気で考えた。
結局、俺達が解放されて家に帰れたのは三日後の五月九日。その日は金曜日で翌日から土日を挟むために結局は九連休という長い長いゴールデンウィークを楽しませて貰った。
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