第73話

 櫛木田が探し当てたポイントへと三年生全員で移動する。

 元々俺が広域マップ上で確認した中では、最有力候補地であり俺が上げた設営ポイントの条件は、この場所の事をそのまま読み上げたと言っても過言ではない。

 不安だったのマップ上では詳しく分からない下生えの低木や藪の深さだったが、思ったより状態が良く、他には問題が見つからなかったので此処に決定した。


 『スズメハチ』『毒蛇』等で検索を掛けるがこの島には居ない。しかしハチと蛇なら結構反応があるが、その程度で動揺することは無い……蛇なんて抜け殻だけでも思わず飛びのいてた頃の自分が懐かしい。

 そんな小さなことに怯えていられたあの頃こそが幸せだったんだと。


 一年生が運び込んできた流木を長さによって分けて積み上げていき、二年生と三年生がテントを設営する場所の下生えの木や草をスコップのエッジで刈り取っていく中で、俺はどの木と木の間に壁を作るかを考えて、決まった木と木の間にザイルを張っていく縄張り作業をする。

 風に対してただ平面を作って抵抗するのではなく、上から見ると中心部分の無い渦状に配して風を受け流すよう考えて縄張りを施していく。


 縄張りを終えると時刻は九時近くになっている。他の部員達の作業はまだ続いていたが、五時前に軽く腹に入れただけなので、しっかりと腹に飯を入れておかなければ、今後の作業に影響が出そうだ。

「よし、作業を中断して朝飯にするぞ」

 最悪の場合を考えて、台風が来る前後を含めた全日程分以上の水と食料は【所持アイテム】内に用意してある。


 ダンボールから直径四十センチメートルの大鍋を取り出してポリタンクから水を注いで、カセットガスバーナーに乗せて火をつけ──

「主将、後は我々にお任せください」

 中元が俺の手首を掴んで止める。

「あちらで座ってお待ちください」

 既に折りたたみ椅子を用意してある。

「いや、これくらいは俺が──」

「黙って座ってろ!」

 田村。お前まで俺の料理を邪魔しようというのか? たまには食材の下処理ではなく、味付けとかさ華のある役割を俺に……


「高城君。台風の進路と今後のスケジュールについて話があるんだけど、時間を貰えないかな?」

「俺も、この後の作業について聞きたいことがあるんだ」

 紫村、櫛木田。こいつら嘘を吐いている。そうまでしてまで俺に料理をさせないつもりか? 分かってるよ俺だって、どうせなら美味い飯を食いたいよ。大人しくしてれば良いんでしょう?


 食事は、俺が手を出さなかったお陰だと思うと悔しいが美味かった。

 メニューは男らしく単品完全食の野菜たっぷりの雑煮……餅という食品はパック詰めされてるのは長期保存が可能であり、水を使わず火だけで食べられる状態にすることの出来る食材なので、登山用などの食料としてもっと注目を集めても良い様な気がする。


 日持ちのする牛蒡、ニンジン、キャベツ、大根、ジャガイモを適当というよりも大雑把に切ってぶち込んで、かつお風味調味料と味噌味に仕上げただけの、実に男らしく完成度の低い料理ではあるが逆にそれゆえの醍醐味を感じさせてくれる。しかしそんな料理にすら参加出来ない自分が切ない……どうしてレベルアップで料理の腕前が上がらないんだろう?


「高城。お前は料理をしなかったんだから洗い物と後片付けくらいやっておけ」

 ついには下処理どころか後始末要員に降格だよ。料理の腕を上げる必要があるというのに、その機会すら与えられないなんて……



 食後は、一年生達は砂浜で土嚢袋に砂を詰め、出来た土嚢をキャンプ地に運び込むというトレーニングを兼ねた力作業に取り掛かり、二年生達は引き続きテントの設営地点の整地。

 そして三年生達は俺がザイルを結びつけた木にのぼり、三メートルほどの高さで幹ごと切り落とす作業に取り掛かっている。

 先に述べた落雷対策と、そして枝葉の茂る木の上部を切り落とすことで風への抵抗を減らし木が倒れるのを防ぐのが目的だ……自然破壊? 知った事か。


 流石に枝程度の太さを切るのと違って、直径20cm以上はある木の幹を切るのは大変だ。しかも樹上での作業なのでワイヤーソーを普通に扱うのは無理である。

 そこで、直径2cmくらいの枝をワイヤーソーの全長より十センチメートルほど短く切り。その両端にワイヤーソーの端に付いたリングを、枝をしならせながら引っ掛けるようにして弓状のノコギリを作り上げる。

 勿論普通のノコギリに比べると強度も低く、勢い良く切れる訳ではないので、木に押し付ける力は極力弱く、そして左右に引く速度は極力速く時間を掛けて切断するしかない……出来ることなら部員全員を眠らせて収納し、その間に収納と装備を使って、とっとと全ての木を切ってしまいたい。


「主将。土嚢は何処におけば良いでしょうか?」

 新居の声に下を見下ろすと整地作業は全て完了しており、そこへ百個の土嚢が積み上げられていた。

「おう、ちょっと待て」

 そう言って簡易ノコギリから手を離して地面に落とすと、三分の二ほど入った切れ目の上を両手で抱え込み、切れ目の下は両脚で締め上げる。

「おりゃあぁぁぁぁっ!」

 叫び声を上げながら上体を後ろに反らせていくと、木の幹は悲鳴を上げ始め、更に力を込めて上体を反らすとバキッという決定的な音を立てると同時に抵抗を止めて倒れた。

「凄い……」

「な、何て力技を……」

 上体を仰け反らせ、幹に回した両脚だけで身体を支える俺の耳に下級生の驚きの声が届く。


「あれは……」

「……まるで大島先生」

 その声を聞いた途端、身体から力が抜けて木から落ちた……俺のアイデンティティーが真っ二つだよ。



「一年生は土嚢はテントを設営する場所を囲むように積み上げて、斜面の下側を空けて水を流せるように並べてくれ。二年生は流木とザイルで壁を作る。俺が実際に手本を示すからそれを見てしっかり覚えるように。それから三年生は雨を集めて水を貯めれるようなものを作るように」


「ちょっと待て、何で俺達への指示がざっくりとしたものなんだ?」

 田村が言い募る。

「後輩でも何でもないお前達に一々細かい指示はしないから勝手に考えろよ」

 はっきり言って難易度は高い。

 単に雨粒を集めれば良いのであれば簡単だが、強力な台風がやってくる状況では本やネットで紹介されるような常識的なアイデアはまるで通用しない。水を集める能力だけではなく暴風に耐えられる構造を持たなければ話にもならない。

 一番簡単なのは岩の斜面を利用してそこを流れ落ちる水を集めることだ。長い時を風雨に晒された岩壁には雨水が流れる道が出来ているので、そこを流れる水を受け止めて容器へと導くようにすれば良いはずだ。その流れてきた水を容器に集める装置にも丈夫に作る工夫を施す必要があるが、真正面から風を受け止めて水を集める部分の耐久性を考える必要が無いのは大きなメリットといえる。

 当然だが、いざとなったら紫村が居るだろうなんて事は言わない。奴ならば三馬鹿には無理だと判断したら手遅れになる前に、俺よりも良いアイデアを出してくれることだろう……そういえば。

「ちょっと紫村。こっちにきてくれ」

 まだ文句を言う田村を無視して紫村を呼び寄せると、自分の荷物の中から取り出したかのようにノートパソコンを取り出すして渡す。


「これは?」

「サバイバル関連のサイトをいくつもそのままダウンロードしたデータも入ってるから必要な情報を引き出して使ってくれ。予備バッテリーがこれだ。駆動時間が長いのを用意したから、予備バッテリーも合わせれば、かなり時間使えると思うから役に立ててくれ……それから昨日見回りをした時に見つけた大島の手下のスマホのデータも移しておいたから、個人情報とメールのやり取りから今回の件について大島を追及出来ないか調べておいて欲しい」

「僕で良いのかい?」

「少なくても俺がデータを持ってるよりは良いさ」

「信頼してくれてありがとう」

 性癖を除けば、俺はお前の事を自分以上に信頼しているよ……と言ってやれる事が出来れば紫村は喜ぶだろうか? もし喜ぶとするなら絶対に言ってやらない!


 作業は順調に進み、土嚢を積み終えた一年生達は二年生の作業を手伝いに入り、櫛木田達も水を集める装置を完成させる……腹立つ事に、俺の考えたのとほぼ同じ物を紫村に教えて貰わずに考え付きやがった。三人寄れば文殊の知恵とはいえ、俺ってこいつらと同程度なのか? レベルアップで知能も上がってるはずなのに? 考えると死にたくなる。


 取りあえず、作業を終えた三年生にはテント設営の指示を出した。

「一つ目の条件が、中央の木を囲むように建てるという事。第2に降ってきた雨がスムーズに斜面を下って流れるようにテント床部分四角形の対角線の1本が斜面の勾配に沿っって居る必要があるという事。最後に他のテントへの移動が最短距離で済むように、出入り口が可能な限り中央の木に向けてる事。以上を留意して設営して貰いたい。以上だ……俺は昼飯の準備を始めるので後は任せ──」

 勿論、空手部全員からわりと真剣に説教された。二年生達にも……本気で凹む。



 俺がテント設営作業をしている傍で一年生達が昼食を作っていく。メニューは朝と同じく雑煮なために、作業には迷いが無く手際よく進んでいく……たった一度の経験が、これほどまでに人を成長させるというのなら、俺にもチャンスをくれても良いじゃないか?」

「お前は何度失敗したんだよ?」

 また声に出していたようで、田村から突込みが入る。


「……さあ、二回くらい?」

「ふざけてるとぶっ殺すぞこの野郎!」

「……じゃあ三回?」

「お前が一年の夏合宿から駄目にした食事の回数は二桁に達するんだよ! 何度も何度も同じ様な失敗しては不味い飯を作りやがって!」

「そんなにも? だったら今度こそは成功するかも──」

「そんな奇跡が起きてたまるか!」

「高城よう、そういうのは家で挑戦してもらえないか?」

「家族には迷惑は掛けられない!」

「他人にも迷惑を掛けるな!」

 痺れるような突っ込みをありがとう伴尾。


 昼飯は朝飯と違って味付けがカレーだ。カレーは無敵だね。何に入れてもカレー味になって美味いんだから。

「……もう世の中カレーだけでいいんじゃない?」

「カレーを不味く作れる男が何を言う!」

 な、何を言うんだ櫛木田?


「俺の作ったカレーは不味くは無いよ!」

 そうだ俺の料理にだって成功例が存在する。それがカレーだ。俺はカレーを作るのだけは得意なはずだ。

「お前が勝手に味付けしたカレーが普通に食えたのは、最初からジャワカレーが必要な分しか用意してなかったからだ。お前が三箱分のルーブロックをぶち込んだ後、『もう無いの? これじゃ足りないよ』とふざけた事を抜かしてただろう。あのカレーが美味かったのはお前の手柄じゃない。いいかお前がカレーについて語る権利は何も無い。二度とカレーについて語るな! カレーも迷惑だ」

 俺にカレーを語る資格が無い? そんな馬鹿な……


「じゃ、じゃあカレーについて語るライセンスは何処に行けば貰える?」

「お前への発行は国際条約で禁じられている!」

「こ、国際条約? それじゃあ俺がライセンスを取ろうとしたり、ライセンス無しでカレーについて語ると日本が国際的な批難を受けるのか?」

「当然だ!」

 国際問題というスケールの大きさではなく、そうまで言われなければならないと言う事実に俺は恐怖した……ああ、カレー雑煮うめぇ!



 全ての作業が完了した時には十三時三十分を回っていた。

 テントの中心に立つ木にの先端──落雷防止のために高さ三メートルほどで幹が切り落とされている──から周囲の木の根元に向けて余ったザイルを渡した事で、異様なオブジェにも見えなくないが、風により折れた枝などの飛散物がテントに当たるのを、ザイルがある程度防いでくれるはずだ。

「完成か。しかし、ここまで堅固に設営されたキャンプ地が人類の歴史にあっただろうか?」

 またも櫛木田が大げさなことを言い出す。


「つうか、ここまで準備をしなければならない状況でテントを張ってキャンプしようとする馬鹿が居なかっただけだろ」

 同意だ。つまり俺達が人類初の大馬鹿野郎と言う事でもある。泣けるね。


「だけど、そんな事を言ってられなくなりそうだよ」

「どうした紫村?」

「この台風六号は予定よりも勢力が大きく。この海域への到達も早まりそうなんだ」

 小型の……多分短波ラジオをイヤホンで聴きながら応える。


「どのくらいの勢力に成長した?」

「観測史上最大の勢力。最大級じゃなく最大。最大風速九十メートル……しかもまだ成長しているみたいだね」


 ……はっはっはっ無理だ! 流石にそんなのは想定していない。風速五十メートルが風速九十メートルになるというのは風の強さが八割増しなるという単純なことではない。

 五十の二乗が九十の二乗になると言う事だ。つまり風速五十メートルの風に対して三倍以上の力を持つ。

 物理学者なら誤差の範囲と言うかもしれないが、明らかに俺の考える安全マージンを楽勝で飛び越えていた。


 本来の風速五十メートル程度ならば最終的にテントに【風圧】をかけて、テントに当たる風の圧を下げて破損を防いでも不審に思われることは無いと思っていたが、風速九十メートルなら、もしもテントが耐えてしまったら明らかにおかしいし、それ以前に【風圧】による圧力減少程度でテントを守りきれるとは思えない。


 今回の件に関して色々と過去の台風などについても調べたが、最大風速九十メートルって……確かに富士山の頂上で九十メートルを超える強風が観測された記録はあるが、あれは山の斜面に風がぶつかり上へと駆け上がることで風の強さが増した事による強風であり、未だ洋上にある台風六号の最大風速とは混じりッ気無しの本当の台風が起こす風の力だ。


 そんな強力な風は竜巻以外で聞いた事が無い。台風もハリケーンも観測史上最大風速は80m台だ。

 それがすでに風速九十メートルで更に勢力拡大中だって? 何だってこんな時に無人島で合宿なんて馬鹿なことを……死ねば良いのに。


「更に到達予定時刻も早まっているんだ」

 別に紫村が悪いわけじゃないけど、こうも悪い情報ばかりだとイラっとするな。

「どれくらいになる?」

「このままの速度なら十六時前には暴風圏に入ってしまうけど、速度は増しているから……」

「十五時やそこらには暴風圏に入ってしまう可能性が高い……」

「それまで残り一時間半ってところだよ」


「しゅ、主将、どうすれば?」

 声を掛けてきた香籐の顔が、人間の力では抗うことの出来ない自然への恐怖に強張っている。他の部員の顔も、紫村でさえも同じだ。

「せっかく準備してもらったのに真に申し訳ないが、これより撤収作業に入る。荷物を出したらテントを畳んでくれ。終わったらザイルを出来る範囲で回収だ。土嚢はそのまま放置で構わない。紫村と櫛木田は、この事を大島に報告して今後の対策を話し合って欲しい。田村と伴尾は撤収作業の指示をしてくれ」


「高城はどうする?」

 こうなったらシステムメニューの事がバレてもやるしかない。流石に部員達の命には代えられないからな。

 こんな時に役に立つのが【巨坑】だ。岩壁に水平に作った直径三メートル、奥行き六メートルの円柱形の空間を複数つなげれば嵐が去るまでの数日間は十分に耐えられるはずだ。

「多分、古瀬さん辺りが台風の状況を知って俺達を回収するために船を出してくれるはずだ。だけど万一のためにちょっとした準備をしておくのさ……後は任せるぞ」

「おいおい、ちょっとしたって何だよ? ちょっとやそっとで何とかなる場合じゃないだろう……まさか、お前……自決用とか?」

「……なあ、やっぱり田村って馬鹿なのか?」

 流石に呆れて櫛木田に振ってみた。


「こいつは昔から馬鹿だが、ここまで馬鹿じゃなかったと思ってたんだが……」

「いや、入学して初めて見た時に『馬鹿だなぁ~こいつ』と思った時から変わらない馬鹿だぞ」

 伴尾よ。俺はそこまで言ってないぞ……だが、田村以外の三年生の意図は理解出来る。

 俺がハッタリでも何か解決策を持っているという態度を取り続ける事でパニックを抑えようとしていると思っているのだろう。

 そして、それを察することの出来ない田村へ、茶化すように馬鹿にしているが本心ではぶん殴ってでも黙らせたい心境だろう。


「じゃあ高城は何をするってんだよ!」

 田村がむきになってなって聞いてくるが、そう簡単に教えるたっていうの。

「もし他に打つ手が無くなったら教えてやるから、驚いて座り小便漏らすために今の内に水分貯めておけ」

「ハッタリだったら血の小便を漏らすまで殴ってやるよ!」

 何とか舌鉾をかわそうとする俺だが、田村がしつこく食い下がる。これでは下級生達にも動揺が広がってしまうだろうに……

「田村。ちょっと顔貸せ」

「何だ?」

「良いから、ちょっと来い」

 田村の肩を伴尾と櫛木田が掴むとそのまま、引きずっていく。

 暫くして、遠くで田村の悲鳴が聞こえたが気のせいだろう。



「高城君。こちらのことは僕達に任せてくれれば良いよ……だから後の事はお願いするよ」

 どこまで分かっているのかは知らないが、この状況を何とか出来る力がある事を半信半疑くらいには思っているようだ……普通は、この台風を前にそんな事は思わないだろう。本当に油断出来ない奴だ。


 皆と別れた俺は、一人キャンプ地を離れると周辺マップで誰も後ろを追って来てない事を確認しながら斜面を登り、尾根の反対側へと移動すると、崖崩れなどで入り口が塞がれる心配の少ない風化による侵食の少なそうな岩壁にたどり着くと、地面から一メートルほどの高さで、水平方向に【大坑】を発動して、直径一メートル奥行二メートルの横穴を作り出す。

 その横穴に這うような形で入り込むと、更に【大坑】を発動して穴の奥行を四メートルにする。ここまでが入り口だ。

 穴の奥まで進むと今度は【巨坑】を使って直径三メートル奥行六メートルの円柱形の横穴で住居スペースを作成する。

「十八人で使うには狭いな……」

 大島と早乙女さんは、この期に及んでも計算に入れる気にはならない。大丈夫だと思うし万一の事があったなら運が悪かったと諦めよう。


 更に二度【巨坑】を使って空間を広げて作業は終了した。

 この空間ならば島ごとぶっ壊すよな台風でもない限り、問題なくやり過ごすことが出来るはずだ。

 入り口の穴を抜けて外に出ると【所持アイテム】の中から【大坑】で繰り抜いた岩の円柱を元の位置に戻す……簡単なことではない。

 円柱の重さは約四トンに達する。それを穴の縁に端を載せるように出現させて、穴の中に押し込める必要があるのだ。現在レベル五十四に達している俺の筋力は、レベル一当時に比べると筋力全体の平均値は約二十八倍の強化を受けているが、単純に二十八で割っても百四十キログラム相当の物体を持ち上げて穴に押し込むということになる。

 幾らレベルアップの補正無しで背筋力が三百キログラムに迫る俺とはいえ……意外に何とかなってしまった。どうやら元々普通の人間じゃなかったのかもしれない。


「ちょっとズレてるな」

 そうなると職人気質を発揮し、多少のズレでも納得出来ずに数回収納を繰り返して、ちょっと見ただけでは分からないくらいに元通りの位置に戻す事に成功した……時間は掛かったが、この穴を使わずに済むのなら、この存在に気づかれないようにしておく必要があるので仕方なかった。


 いざとなったら、この穴を円柱を取り除き皆を中に入れた後、入り口の穴を最低限の空気穴の分を残して土嚢で塞げば良い。

 水も、開き直って水球で出せば問題は無い。

 ……トイレどうしよう? 外に出て用をたすのは不味いだろう。風速九十メートルの中外に出るのは確実に命に関わる。

 つまりこの中ですることになるわけだが十八人で最低二日間。駄目だ耐えられない。


 もっと中の穴を拡張して、居住スペースから離れた場所にトイレ用のスペースを確保して……駄目だ結局空気の逃げ道は入り口だけだから臭いが居住スペースに広がってしまう。

 そうだ。居住スペースと繋がる通路を【大坑】の横穴にして、普段は土嚢で塞いでおく……いや、そんな事をしたら中は地獄だな。篭った臭いが目に滲みるレベルになるだろう。


 竪穴に砂を流し込んでおき、用を足す度に上から砂を被せる。猫のトイレ式を採用するべきか……それでもやはり臭いはきつい筈だ。どうする? どうすれば良いんだ?


 結局トイレの問題が解決しないままキャンプ地に戻ると、紫村と櫛木田の二人も戻ってきていた。

「向こうはどうだった?」

「流石に手の打ちようが無いみたいだね」

「だが『俺達だけなら何とでもなるが』とか余裕の発言もしてたな」

 本当に人類か? 今の俺ですらシェルター無しの状態では、強風で飛ばされて沖に流される可能性は十分にある。

 そうなれば幾ら力があっても燃費の悪いこの身体だから【所持アイテム】内の食料が尽きる前に陸地にたどり着けなければ命は助からない。

 まあ、ワールドマップで自分の位置も大陸や大きな島の海岸線が分かる。そして空中用の足場となるモノも手に入ったので何とかなると確信してはいるが、それでも絶対にそんな目には遭いたくない。

 正直、二人がどうやって『何とか』するのか見てみたくもある。



 下級生達が撤収準備を終えた頃には南東からの強い風が木の枝を強く揺さぶるようになってきた。


「高城君……」

 紫村が俺に決断を促すように囁く。

 時刻は十四時三十分前、タイムリミットが近づいてきている。


 暗くなった南の空遠くに雷光が走る……そうだな、そろそろ腹をくくろう。

「移動する。荷物を持って俺について来い!」

 決まった! 恐ろしいまでに決まった。部員達の命運を握る主将たる俺がついに決断を下し立ち上がるのだ。燃える。燃える展開だ! 俺は俺は今、猛れ──


「お前ら船が来たぞ! 今すぐ浜に向かって移動しろ! 時間が無いから急げ。不要なモノは置いて行け!」

 そう叫びながら大島が走って来た。

 俺の一世一代の見せ場が……ま、まあいいよ。これでシステムメニューのことを部員達にバラさなくて済んだのだから……これがベストだよな……良かった良かった……全然、悔しくなんて無いから……さ。


「荷物が邪魔なら捨てろ。だが食料と水だけは捨てるな! 島を出たら台風を避けて南に移動して、そこでやり過ごすからしばらくは船の上にいる事になる」

 浜へと向かって走りながら大島が指示を出す。吹き付ける風には既に雨が混じっていて、叩きつけられる雨粒が痛いくらいだ。

「台風を回り込んで関西方面の港には行かないんですか?」

「あの馬鹿っ速いのが取り得の船じゃ、そこまで燃料が持つはずがねぇ。諦めて海の上で待機だ」

 島行きの時に、エンジンを改造して1500馬力にパワーアップしたとか自慢してたからな……やっぱり燃費悪いのだろう。


「香籐。ポリタンクを寄越せ!」

「す、すみません」

 一年生の負担を減らそうと荷物を担ぎ過ぎたせいで、遅れて最後尾の俺の位置にまで来た香籐から水の入ったポリタンクを奪う。

「残念だな。高城君の秘密の一端が見られたかもしれなかったのに……」

 同じくポリタンク右手に持ってすぐ横を走る紫村に何か言い返してやろうと思った次の瞬間。

 前方に強い白い光が生まれると同時に前を行く部員達を次々と飲み込んでいく。


「止まれ!」

 叫びながら前を走る香籐の肩を掴んで引き寄せる。


 光が消えた後には大島や部員達の姿は無かった。

「な、何が?」

「これは……一体?」

 他人が先に驚くと逆に落ち着くと言うが奴がいるが、驚きが大きすぎればやはり驚くしかない。

 ……どういうことだ? ここは現実世界だろ。ファンタジーな異世界なんかじゃない。今目の前で起きた事には明確な答えがあるはずだ。


 突然現れた白い光とともに十六人の人間が消えた。

 光が視界を塞いだのは長かったようにも感じたが実際は三秒程度だろう。僅か三秒で十六人の人間が目の前から消える。

 イリュージョンショーの類ならもっと派手に大きなものを一瞬で消してみせるかもしれないが、それを成し遂げるためには、騙される人間以外は全員スタッフまたは協力者という体制が必要になる。

 そうそうたまにテレビ番組でイリュージョンをやってみせるのがあるが、あれは何のことは無い撮影スタッフも含めて全員が仕掛け人という状況でありイリュージョンと呼ぶ事も憚られる出しものに過ぎない──「主将!」


 驚きの余り現実逃避に入っていた俺を香籐の悲鳴にも似た声が呼び覚ます。

 気づけば目の前が真っ白で何も見えない……そうだ、これはただの光なんかじゃない。何処からか照らされている光ではなく、それ自体が光る霧のようなものに覆われているかのような……そうか俺達も、皆のように…………ああ意識までも光に飲み込まれていくように消えて……いく。

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