第72話

 ……眠たい。

 やはりいつもの起きる時間より早く目を覚ますと、かなり目覚めが良くない。

 まだ日も明けぬ四時という時刻。町の明かり一つ無く、空にも月齢の若い今時は月は日没まもなく沈み、日の出の後に昇るので夜空には三日月よりも細く頼りない月影すらない。満天の星空は確かに圧巻ではあるが、星達には地上の闇を照らす力は無い。


 つまり、俺が動くには絶好の状況ということだ。

 寝袋に入ったまま、周辺マップで状況を確認する。

 俺達が寝ている浜から五十メートルほど南東の場所にあるコンクリート製の漁師小屋の中には大島と早乙女さんのシンボルがあるが、二人とも寝ているようだ。


 そして俺達を挟んで反対側三十メートルほどの距離に居るのが大島の手下の一人で、大島の言いつけを律儀に守って、ちゃんと起きて俺達の監視を続けている。

 苛つくのはビデオカメラでこちらの様子を撮影している事だ。

 ついでに『監視カメラ』で検索を掛けると、漁師小屋に監視カメラが三つ取り付けられていて、一つは俺達の方向を、残りはそれぞれ死角が無いように周囲を撮影している……カメラの撮影範囲が広すぎる。一つで百八十度の範囲を抑えるってプロ仕様じゃないの?

 まずいな。かなり優れた暗視機能も持っていそうだ。だとするならば【迷彩】を使えば可視光線のみならず赤外線すらも隠すことは出来るが、俺が抜け出た後の寝袋の萎んだ様子で俺が居なかった事がばれてしまうだろう……仕方が無い。


 セーブを実行してから【迷彩】で姿を消すと【所持アイテム】の中から、今回の合宿のために大量に買い込んでおいた十秒飯こと、半固形の憎い奴を足元から出しては【操熱】で人肌に温めてはを繰り返し、寝袋を膨らませながら這い出した……流石に監視カメラの解像度程度なら寝袋の中身がパック入りの緩いゼリーだとは判別が付かないだろう。


 ゆっくりと十メートルほど猟師小屋の方へと近づく。ここまでは俺達が寝る前に踏み荒らした足跡が大量に残っているので、足跡は気にする必要は無いだろうが、この先はほとんど足跡が無いので足跡を残す訳にはいかない。

「四十メートルか……」

 流石に助走も無しに跳ぶのは難しい。空中での足場になる一トン程度の質量を持つ物体があれば良いのだが、残念ながらまだ手に入れていない。


 日常生活において、中学生がそんなものを手に入れるのは難しい。石材を扱うような問屋で良さそうな石材を購入するとしよう。購入資金も何とか足りたとしても、持ち帰るのが問題だ。「配達はどちらに?」と聞かれて「大丈夫です持ち帰ります」なんて言える訳が無い。


 配達してもらったとしても家族になんと説明すれば良い? しかも届いても収納して持ち運ぶ必要があるのに……不可能だ。

 そうかと言って、日常生活の行動範囲にあるものを拾うとしても、小石を拾うのとは訳が違う。当然所有者が居るわけだから盗むのには抵抗がある。

 いっその事、やくざの事務所でも襲って金庫を中身ごと頂いて、空中移動の足場にしてやろうかとも思ったほどだが調べてみると金庫はそれほど重たくない。


 一般向けには一トンクラスの重量の金庫なんてほとんど無く、そこそこ見つかる大きい金庫で八百キログラムクラスだった。

 それに中に何かを詰めれば十分じゃないかとも考えたが、そのクラスの金庫はかなり大きく。

 そんなサイズの金庫を必要とする程の大物が、我が町の田舎ヤクザの中に居るだろうか? ……居ないな。


 マルとの散歩道である川の土手の道を、いつもより十数キロメートルも上流へと向かえば、川原や川の中に都合の良さそうな岩もあるだろうが、ともかく休日というものが存在しない生活なので気軽に取りに行くことが出来ない。


 マルをパーティーに入れてレベルアップさせ、もう少し暑くなったらマルの散歩の時間を遅い時間帯にして、一緒に上流まで足を伸ばすようにする……どうやってパーティーに入れるんだよ? 話しかけてもマルには内容が理解出来ないし、大体現実世界で何を倒してレベルアップするのかも分からないよ。


 他にも大きく硬い岩盤が剥き出しになって、人目が無くて、いきなり大穴があいてても問題にならないような場所があれば【大坑】で出来た穴の分の岩が【所持アイテム】内に移動するので、それを足場にするのだが、そんな都合のいい場所があったらむしろ驚く。


 ともかく、猟師小屋の監視カメラをどうにかするには別の方法を考える必要がある。

「……そうか、波打ち際か」

 波打ち際を歩けば波が自然に足跡を消してくれるから気にする必要は無い。そして波打ち際沿いに接近すれば屋根までの高さに、更に三メートルほどの上下差が加わるが距離は三十メートルほどに縮まるので今の俺なら何とか跳躍可能だろう。



 漁師小屋のコンクリートの屋根部分、配置された監視カメラの内側へと音も無く着地する。

 着地時には膝や関節で衝撃を抑えるなんて事ではなく、【所持アイテム】内の鉄アレイを出しいれてして運動エネルギーを微調整し着地時のエネルギーをほぼゼロにした。


 そうとはいえ長居をすれば大島や早乙女さんが、気配に感づき目を覚ます可能性があるので、監視カメラを素早く【無明】でレンズをふさいでから屋根を降りた……着地の瞬間、大島のシンボルが一瞬黄色くなり覚醒しかけたみたいだが、俺がすぐに離れたことで再びリラックス状態をあらわす青へと戻った。危ない危ない。


 次いで、波打ち際を走って大島の手下を目指す。

 波打ち際から起こる俺の足音に振り返るが、姿見えずに怪訝な顔をしたところを【昏倒】を食らわして気を失ったところをカメラごと収納。


 そこからはともかく波打ち際を疾走する。そして分かったのが、この島は北西から南東へと一キロメートル弱と長いが、幅は一番太い中央部分で二百メートルと少ししかなく、島の海岸沿いを移動した後で広域マップ上には、長さ百メートル最大幅が二十メートルの範囲が非アクティブ表示になっているだけだった。


 もう一周しながら大島の手下達を三名気絶させて収納した。

 そして非アクティブエリアへと入って行くと、中央部分の山の岩肌に洞窟があり、そこに四名の手下が居たので、まとめて【昏倒】を掛けて全て機材ごと収納する。


「これは使えるな」

 洞窟の中の壁に【大坑】を使い直径一メートル高さ二メートルの円柱状の岩を大量に【所持アイテム】内に蓄えた。


 洞窟の中に置かれた食料などの荷物を頂くために、内部を詳しく捜索して分かったことだが、洞窟は入り口が大きく口を開けているが以外に深くて奥が開けている。かなり頑丈な造りになっているので、大島はいざとなったら俺達を脅迫して冬合宿を認めさせた上で、此処に避難させるつもりだったのだろう。


 ともかくこれで、思いがけず念願の空中足場用の岩を手に入れたが、それだけで終わりにはさせない。避難用の洞窟がある限りは、手下がいなくなっても大島は俺達への妨害を続ける可能性があるので、この洞窟自体を破壊する必要がある。

 ついでに足場岩を採取した痕跡も消す必要もあった。


 俺は円柱状の足場を使い宙高く跳んで上空二百メートル以上まで一気に上ると、自分の位置を広域マップ上の水平位置を洞窟入り口付近と同じ位置にあることを確認する。

「もうじき夜明けか……」

 地上では気づかなかったが、この高さからなら水平線が白み始めているのが見えた。俺は一度に十五個の円柱状の岩を取り出すと、そのまま落下させる。

 そして、その着弾を確認する事無く足場用の岩を上へと蹴って加速してダイブし、落下する岩よりも早く浜辺のキャンプサイト……と言うのもはばかられる単なる砂浜へと戻ると、一度寝袋を中の人肌に温めた十秒飯ごと収納してから、再び寝袋だけを取り出す。

 次の瞬間、洞窟へと次々に着弾した岩たちが、連続するドーンという音と共に島自体を地震のように震わせる。


「起きろ! 何か爆発したみたいだ!!」

 第一声は俺が発して、集団にミスリードを仕掛けて主導権を握る。


 俺の声に部員達は慌てて跳ね起きると寝袋から出てくる。

「何だ?」

「何が?」

 軽くパニック状態で慌てる。

 目の前でチンピラが刃物を取り出しても、慌てるどころかむしろニヤニヤしちゃうような、肝が据わったと言うべきか、頭がおかしいと言うべきか言葉に困る空手部の部員達でも、さすがに爆発という言葉には焦るのだった。


「何が起きた!」

 大島が猟師小屋から飛び出して叫ぶ。

「何か爆発したみたいです!」

 俺がミスリードした内容を櫛木田が口にしてくれた。これで誰がミスリードしたのかという印象が曖昧なものへとなっていくのだ。

「爆発だと?」

「はい、方向はこっちで、音がしたのはここより高い位置だったと思います」

 走りよってきた大島と早乙女さんに田村が方向を指差しながら説明をする。

「まさか……あそこは」

「おい、大島行くぞ!」

「お前らは、そこから動くな! 良いな!」

 早乙女さんが走り出し、大島も俺達に指示を出すと追いかけて行く。


「主将。一体何が起きたのでしょう?」

 香籐が不安気に尋ねて来る……香籐君、普通はそんな事を聞かれても分かるはずがないから困ると思うよ。ちなみに知っている俺としても聞かれると困る。


「分からない。大島が確認してくるのを待つしかない」

 無難にそう答えるしかなかった。

「一体どうなっているんだ。この合宿は?」

 ごめんね伴尾。ただでも酷い合宿を、俺が更に引っ掻き回しているせいだよ。

 でも、ここまでやったら合宿も中止かな? せっかく用意した準備が無駄になるから、出来るなら万全の体制を立てた上で挑戦したかったのだけど無理だろうな。


 先輩方が用意してくれたエアマットも全て無駄かと思うと申し訳ない。せめて来年にでも……何てことは下級生が可哀想なので思ってはいけない。


 大島と早乙女さんが手下達の名前を大声で呼びかけている声が聞こえてくる。その声が必死であればあるほど、俺にとっては滑稽に思えて笑いを堪えるのに努力が必要になる。


 問題があるのは大島たちであり、俺は警告もした。後の責任は自分達で取って貰いたい。

「やっぱり主将の言うとおりに、僕達を監視している人たちが居たんですね?」

 もう居ないんだけどね、天国や地獄よりも遠くて近い【所持アイテム】という場所に行ってしまったんだよ。


「そうみたいだな……」

 そう答えながら、俺は二人が呼びかける名前をカウントしている。

 俺が捕らえたのが八名で、大島と早乙女さんが呼びかける名前が8人分ならば、この島に居る大島の手下を全て捕獲したということになる。

 もしも八人よりも多かったら、俺が見落としたということになるが、島全体が広域マップ上表示可能域になっているので、それはありえない。

 そして、もしも呼びかける名前の数が八より少ない場合は、大島達の薄情さに涙するべきだろう。

 それとも「八人目って誰?」というミステリーかホラーな展開になってしまうと怖いのそれだけはやめて貰いたい。


「……呼びかけていた名前の人数は八人だな」

「その八人に何が起きたんだと思う?」

 俺の呟きに櫛木田が被せる様に尋ねて来る。こいつも不安なようだ。


「先ほどの爆発音したような音からして、用意していた爆発物を誤って……という可能性しか思い浮かばないな」

「それってまさか?」

「死んだと考えるべきだろうね。未だに呼びかけ続けてるって事は、誰も呼びかけに応えてないって事だろうから……」

 紫村の言葉に部員達は水を打ったように静まり返る。八人の生き死には普通とは呼べないと言え中学生には重い話だ。


「ほら、これからどうなるか分からん、いつ飯が食えるかも分からないから、取りあえずこれを腹に入れておけ」

 俺は自分の荷物の中から取り出す振りをしながら【所持アイテム】から取り出した十秒飯──勿論温めてない奴を部員達に投げ渡していく。

 そして、最後の二つを内、一つを紫村に投げながら「猟師小屋に行って無線を探して古瀬さんへ連絡を入れた方が良くないか?」と話しかけた。

「……そうだね、先生達も連絡していた暇は無かっただろうから、こちらでやっておいた方が良さそうだね」

「櫛木田、下級生達を見ていてくれ」

「分かった。頼んだぞ」


「高城君。大島先生の問いかけに対して君が答えなかったのはミスだと思うんだけど」

 猟師小屋へ向かう途中、紫村がそう切り出してきた……気づかれたか。


「どうしてそう思う?」

「君が何かが爆発したと叫んだ時、君は寝袋から出ていたからね」

 やっぱりか、別に手間を惜しんだ訳じゃなくて、タイミング的に寝袋を装備すれば、俺は寝袋を着た状態に一瞬でなることが出来たが、地面に寝転がるのは無理だった。すると寝袋を着たまま立っているという不自然な状況になるので、それならば脱いで立っている方がまだ自然だろうと判断した結果だが、紫村の前ではどちらにしても無駄だったと言う事だな。


「さすがだな。今回の騒動は俺が引き起こしたのを認めるよ。だけど誰も死なせてはいない。一ヶ月くらい過ぎて彼らが会社から退職と処理された辺りで発見される事になる」

「ふっふっ……なんらかの事件に巻き込まれたのだから温情をとはならないよね。この島に来た理由が理由だから……」

 楽しげに肩を震わせながら笑う。紫村にしても同情の余地は全く無いようだ。


「でもどうやったのか、流石に興味がありすぎて困るよ」

「悪いな」

「自分から言い出したんだから、話しくれるのを待つよ」

「本当に悪いな」


 そんな事を話しながら猟師小屋の中へ入る。

 猟師小屋の中には、大島達の荷物と食料。そして二台のノートパソコンと発電機があったが──

「無いようだね……」

「無いな」

 慌てて洞窟の中にあった荷物を確認するがやはり無線機は無かった。

 一瞬、無線機かと思うような古いSFにでも出てきそうな機械があったが、ソニー製の短波ラジオだった。

 更に広域マップで全島を『無線機』で探すが見つからない……つまり、最初からこの島には無線機は無かった?


「ほ、ほら衛星電話とかがあるから……」

 紫村にも焦りが見えた。大島を焦らせる紫村も凄いが、紫村を焦らせる大島も凄いという事だな。

 ちなみに『無線電話』でも探したが見つからない……あれ? 衛星電話ってもしかして昨日のは──

「なあ紫村。衛星電話ってでかいアンテナの付いた厳ついトランシーバーみたいな形をしてて、スマホみたいな形のなんて無いよな?」

「……確か去年の秋くらいにiPhoneにちょっと大きなケースというかコンパクトなクレードルみたいなのを装着すると衛星電話として使えるという製品が発売されてたと思うよ」

 もしかして……あれって……違う。

 奴は本当に外部との連絡手段を用意していなかった……ということにしよう。

 あのスマホはiPhoneじゃなかった。そうに違いない。


 大島としては最終的に洞窟の中に篭れば大丈夫という考えだったのだろうが、それを俺が破壊してしまった……本当に、本当に不幸な行き違いであるという事にして納得した。


『……とても大きな勢力を持つ台風六号は、勢力と速度を増しながら日本列島の南側を東北東へ向けて進んでいます。漁業関係者は海域から退避するように警報が発令されています……繰り返します──』

 紫村が操作する短波ラジオからやばい情報が流れてくる。


「紫村?」

「ちょっと待って! 今はラジオの情報が先だよ」

「分かった。情報収集は任せる。俺は今から台風に備える準備を始める」

「頼むよ!」

 猟師小屋を出ると空が少し白んできていた。大変な一日が始まりそうだ。



「一年生。悪いが今から流木を集めてきて欲しい。長くて厚さが一センチ以上あり腐ってない板材を出来るだけ多く集めて欲しい」

「分かりました」

「それから三年生には設営ポイントを探してもらうから、これを見てくれ」

 そう言いながら、砂の上に大雑把なこの島の地図を書く。

 まずは方角を示す矢印を書き、矢印の先端に北を示すNを描いた。

 それから北西へと頭を向けた、尻尾をとったサンマを描く……これが島だ。

 そしてサンマの背骨に沿って切り立った岩山ぽいものを描き、最後に山を挟んだ北側の海岸線の東寄りにに×のしるしをつけた。

 これが現在地である。


「島は、このように北西から北東に向かって一キロくらいの長細い形をしている。そして中央のサンマの背骨の辺りが山になっているので、これを風除けにしてテントを設営する事になる。問題は台風の進路と風だ。台風の予想進路はこの島の西側を真っすぐ北上する。その為に台風が接近すると最初は東南からの強風が島を襲う。時間と共に次第に風は勢いを増しながら南からへの風に変わる。この時が一番強い風が島を襲うが問題なのは、その後だ。風向きは南から西向きへと変化するすると、山が壁の役割を果たさなくなり、強風が直接おそいかかるようになる」

「そうみたいだな……」

 その状況を想像して櫛木田は青褪める。


「それじゃあ最初から島のこちら側にテントを立てて、最初の弱い風をしのいだ方が良いんじゃないか?」

 伴尾が意見するが、その手が使えるなら苦労はしない。

「残念ながらその手は使えない。反対側は海岸線から山へは比較的なだらかな傾斜だが、こちら側は山と海岸線との間が狭い上に、砂浜から崖のように切り立っているから台風で高潮が起きたら波に飲み込まれる可能性が高い。死にたいならお前だけがこちらに残れば良い」

「さてと設営ポイント探しを頑張るか!」

 伴尾は大声で気合を入れた。



「まず周囲に多くの木が生えていて地盤がしっかりしている、比較的傾斜のなだらかな場所で、近くに崩れやすい急な斜面などが無いことが望ましい。広さは6張りのテントが密集して配置できる広さだから。余裕を見て半径三メートル半程度を確保出来る場所が良い。それとその中央に一本、丈夫な木が生えているとなお良しだ」

「木か……落雷の心配はどうなんだ?」

「雷は高い場所に落ちる。これだけ狭い島だから、山頂上付近の木に落ちる可能性が高い。それでも心配ならキャンプ地の周辺の木を途中で切って低くすれば良い。中央に木がある場合は三メートルもあれば十分だから、途中で切って短くしろ。どうせワイヤーソーは全員持ってきてるんだろう?」


「当然だ。しかし最初の頃は買ったは良いけど使いこなせ無かったよな」

「一年の夏合宿の時だろ? 細い枝くらいしか切れなくて、想像以上の使えなさに泣けたな」

「それで紫村が調べてくれたおかげで、冬合宿で初めて役に立ったよな。太い枝を切り落として、掘った雪穴の天井の梁代わりにして、それで一日耐えたんだよな」

 俺達は一年の時の夏合宿に備えて、ワイヤーソーを皆で購入したのだが、ワイヤーを切断する木の裏側に通して両端のリングに指を掛けて引っ張るようにしてテンションを掛けて、左右の手を交互に前後させるようにして切断するという勘違いしてたお陰で、全く役に立てることが出来なかった。ピンと真っ直ぐに伸ばした状態で対象に押し付けるように左右に引かなければ、木に食い込む部分が長くなり抵抗が強くなってノコギリを引くという動作を妨げ、引くために力を込め過ぎるとワイヤーが切れてしまう。

 つまりテレビなどでたまに目にするワイヤーソーの使い方は基本的に間違っているのだ……だから自分達が間違っていたのも仕方が無いと慰めた。


「下生えはどうする?」

「スコップもあるんだ、掘り返して強引に設営ポイントを造営する。自然相手に綺麗に何も無いなんてそんな都合の良い場所なんてあるはずが無いだろ」

「了解だ。とにかく傾斜や木々の生え方。周囲に危険なポイントが無い。以上の条件で探せばいいんだな?」

「それで頼む」

 俺の指示に従い、一年生と三年生達がそれぞれの作業のために散っていく。


「僕達は何をすれば良いのでしょう?」

 香籐達二年生が尋ねてきた。

「お前達の仕事は、一年生が集めてきた流木とザイルで壁を作るのが仕事だ。設営ポイントが見つかって材料が集まるまではロープワークをいくつか覚えてもらう」

「はい!」


 まずはザイルを取り出して、傍に打ち上げられている適当な流木を使って簾状にするために巻き結びを実演してみせる。

 それからザイルとザイルを繋いで延長するための二重つぎ結び、木と結ぶために通す輪を作るバタフライノットの結び方など風を防ぐための壁を作るのに必要なロープワークテクニックを教えていく。


 流石に香籐は物覚えも良い……この何事も卒無くこなし、性格もとても良い香籐が良い子過ぎて心配だ。

 俺達三年生が卒業した後に、優秀ではあるが心に毒性を持たない彼が、部員達を率いて大島と渡り合えるのか。確かに俺を含めて歴代の主将達が大島と渡り合えた訳ではない。

 だが歴代の主将は、それぞれが己の心の奥底に秘めた強い毒を用いて、大島という理不尽に対して弱者なりの抵抗を続けてきた。それが空手部の伝統である。

 はっきり言って香籐は、傍に居ると心が晴れるような気のする気持ちの良い奴だ。

 だが今後の彼と空手部のためにも今回の合宿が、彼の心に何か強い毒のある武器を宿すきっかけになればいいのだがと思う。


「ロープワークを覚えたものは反復練習。まだ分からない者は香籐に教われ。俺よりも教え方が上手いはずだ。それからロープワークは忘れないように時々練習しておいて、時間があったら一年生にも教えておけよ。憶えておいても得にはならないかもしれないが損にはならないかもしれないが、憶えていた事が得になる場合には、その知識が生死を分ける状況だと思うぞ」

 この空手部においてはな。



「お前ら何をしている! 高城、一年生と三年生は何処に行った!」

「八人もの人間に重大な問題が起きた非常事態なのに外部との連絡手段が無いようですから、我々は自分達が生き残るために必要な作業を開始してます」

「何だとぉ!」

「それとも携帯用の衛星電話でも持っていて、古瀬さんとは連絡が済んでいるのでしょうか?」

「んなもんねぇ!」

「じゃあ黙っててください。今ラジオで紫村が確認していますが台風の到達が早まるので、先生と遊んでる暇は無いんです」

「それは本当か?」

「紫村が詳しい情報を確認中です。だから邪魔しないようにお願いしますよ」

「そんなの知らん!」

 無視して漁師小屋へと向かおうとする大島に「先生達も早く台風に備えた方がいいんじゃないですか?」と言ってやる。


 これは俺達のことは俺達でやるから、お前達はお前達で勝手に生き残れというメッセージである。

 テントは田村や下級生が用意したテントとは別に清水先輩が6張を用意してくれているので予備はある。あるが貸してやる気は全く無い。

 洞窟を避難場所にするつもりだったのだろうが、既にその洞窟は崩壊し中に用意していた物資も俺の【所持アイテム】の中に入っている。

 この二人が台風如きでどうにかなる事など有り得ないので。精々大変な目に遭って欲しいというささやかな嫌がらせだ。


「それより高城。ちょっと面貸せ」

 一々顔を近づけて凄むなよ。何か願掛けでもしてるのか? 迷惑だからやめろよ。

「何ですか? 遊んでる暇は無いんですよ」

「いいからきやがれ!」

 大島に肩を掴まれて、連れて行かれる。


「お前何をした?」

「何をした? もう少し質問の要点を絞ってから出直してもらえますか?」

「あいつらに何をしたかと言ってるんだ?」

「何とかあいつらとか、いい加減馬鹿を相手にしているみたいで辛いんで、簡潔に質問してもらえませんか?」

「俺の後輩達に何をしたんだと聞いてるんだ!」

「何もしてませんよ、昨晩一人ボコったくらいで他の七人については全く知りませんね」

「おかしいじゃないか、何故八人だと知ってる!」

「何もおかしな事は無いですね。先ほどまで大声で名前を呼んでたじゃないですか、八つの名前なら同じ名前の人間がいなければ八人だって見当は付きますよ……大体、何なんですか? 先ほどの爆発で、その八人が怪我をしたんですか?」


「それなら何故爆発だと決め付けた?」

「あんな地響きや、ドーンドンドッドッドッドッなんて音は爆弾じゃなければ仕掛け花火か、火山の噴火ぐらいしかイメージ出来ませんよ」

「爆弾じゃねぇ。硝煙の臭いも何かが焼け焦げた臭いも何もしない」

「だったらガス爆発かもしれませんね。プロパンガスのカセットじゃなくボンベを幾つか小屋か何かに持ち込んで、それからガスが漏れて爆発した可能性は?」

「ガス爆発程度じゃ、洞窟はあそこまで大きく崩れたりはしねぇ」

 確かに、燃焼速度が火薬に比べればはるかに遅いガスと、入り口が大きく開けたあの洞窟では圧縮率が低くて強力な破壊力は生まれないが──


「洞窟? ならば中でガスボンベ自体が爆発したのでは?」

 それでも所詮はボンベの外殻が耐えられないギリギリの圧力だから、それが開放された程度ではあの洞窟が崩れるとは思えないが、俺は洞窟の事を知らないという体裁を取っているので、そう発言しておいた。


「それでも無理だ。大体洞窟は中から爆発したのではなく上から押し潰されたかのように崩落していた」

「じゃあ、大規模な崩落があの音と振動だという事じゃないんですか?」

「厚さ五メートルの岩盤が多寡だか数メートル程度崩落した程度で、あそこまで細かく砕けるわけがねぇ! 大体だ八人が八人とも見つからないなんて訳があるはずがねぇ! 見張りの引継ぎだって洞窟で交代じゃなく現地で交代だ。洞窟に空になる事はあっても、洞窟に全員が集まることは無い。だったらh値人全員どうやって消えたんだ? なぁ高城」

 俺の胸倉をつかんで揺すって来る。


「何か犯人扱いされているようですが、どうやって僕にそんな事が出来るんですか? 単に洞窟を崩落させる確かに出来ないことは無いかもしれないですが、時間も金も準備すらないのにそんな事は出来ません。それに先生のへっぽこな手下達なら一人でいるところを不意打ちすれば、他の奴らに知られずに無力化するのは難しくないですが、そんな都合のいい事を八回も続けろと言われても無理ですね」

「誰もお前一人でとは言っていない。協力者が居るんじゃないのか?」

「協力者? 例えば紫村ですか? 幾ら紫村が協力してくれても無理ですよ」

 紫村なら大島の手下と一対一なら互角に戦えないことも無いだろうが、それにしても常識的に考えたら無理過ぎる。


「いや、部員のことじゃない。それ以外の組織的な協力者が居るんじゃないのか?」

「何の冗談を……いい歳して厨二病ですか? ちょっとそんな人にものを教わっているなんてのは恥ずかしくて嫌ですね」

「誤魔化すな!」

「僕は、行き先も知らされずに船に乗せられてこの島まで来たんですよ。仮に僕がGPSで得た位置情報を衛星電話で、その協力者に知らせていたとしましょう。彼らはその情報を元に、この島までやって来て、見張っていたへっぽこ達に気づかれずに上陸し、彼らを素早く無力化して、洞窟に連れ込み、何らかの手段で洞窟を崩落させて、素早く島から逃走したとしましょう……そんな事が可能な組織って何ですか? その辺のヤクザに出来ることじゃないですよね。僕がCIAの非合法員でCIAの組織力を行使出来るとでも言うのなら可能かもしれませんが、CIAが中学生を非合法員にするとか意味不明ですし、例えそうだとしても今回の事がCIAの任務になるんですか? 先生の立てた合宿計画を潰す事にそれほどの意味があると本気で考えているんですか? それともそんな事をしててくれそうな暇人集団に心当たりがあるんですか?」


「糞っ! あいつらは生きているんだろうな?」

「はっきり言いましょう。もし僕が今回の首謀者なら彼ら全員を確実に始末します。こんな合宿に協力したクソッタレ共を生かしておく意味が分からない。だから僕が首謀者じゃないことを神にでも悪魔にでも祈っておいてください」

 まあ生かしておくんだけどね。社会的には死んだようなものだけど。


 元々、発覚すれば社会的制裁を受けて当然なことをやっていた訳だから同情する余地は無い。自分達だけが制裁を受けるのが我慢出来なかったら遠慮なく大島も道連れにするが良い。それが世のため人のためだ。

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