第68話

「おい起きろ。ランニングに出るぞ」

 目を覚まして三秒でベッドから出ると、隣のベッドで良い夢を見ているかのような二号の腹に踵落としを食らわせて起こす。

「ぐぇっ!」

 大きながま蛙を踏み潰したかのようなうめき声も、先ほどまでの幸せそうな寝顔が苦痛に歪むのを見ながらだと耳に心地好い。

「も……もう少し、優しく起こしてくれても……罰は当たらないと思うよ」

 上体を起こして腹を押さえながら恨めしそうにこちらを睨んでくる。


「何、もう一発貰いたい?」

「さあ、今日も走って体力つけるぞ!」

 飛び出さんばかりの勢いでベッドを出る二号……最初からそうしておけば良いものを手間かけさせる。

 やはりもっと最初にガツンと食らわせて主導権がどちらにあるのかハッキリ身体に教えてやるのが良かったのだろうか? 空手部の下級生達のような素直さという名の鉄の上下関係が構築されていないのが今後の指導に悪い影響を与えるかもしれない……大島流が骨の髄まで叩き込まれてしまっている自分が悲しい。


「げぇほっ……」

 吐くまで走らせる。入部仕立ての一年生にも劣る程度の二号のような虚弱体質的な体力無しには必要な荒治療だ。

 もっともレベルアップによって体力に下駄を履かせた状態になっているので、普通に走らせたわけではなく、後ろからケツを蹴り飛ばしながら全力疾走で10分間走らせた。

「十分間の休憩をやるから回復しろ」

「……無理ぃぃ」

「泣き言はいらない。回復しろ」

 突き放すとシクシクと泣き始める。


 その後、十分間の全力疾走を二セット済ませる。

 【水塊】で水の塊を出現させると【操熱】で四十度まで水温を上昇させてから、二号の後ろ襟を掴んで無理矢理立たせると、その身体を反時計回りに回転させた温水の塊に飲み込ませる。

 高さを足元から口元ギリギリまで上下させ、時折回転を逆方向に変化させながら五分間の洗浄を終えると、仕上げに頭部まで温水の塊に飲み込ませて高速回転。その後【操水】で可能な限りの全身の水分を取り除く。

 服はまだ湿っぽいが、大量の汗で濡れていた状態よりはずっとましなはずなので【弱風】で乾燥させるまでもなく、宿屋までゆっくり歩く間に乾くだろう。


「しかし、何故今更体力をつける必要があるんだ?」

「レベルアップしたからもう必要がないとでも?」

「その通りだよ」

「……レベルアップの効果は掛け算だ」

「掛け算?」

「そうだ。お前自身が持つ能力に対して、レベルアップの効果を掛ける事で得られるのがお前の能力だ。それがどういうことだか分かるか?」

「……いや、わからない」

「お前自身が持つ能力が低ければ、レベルアップの効果は大して上がらないって事だよ」


 はっきり言って事実だ。現実世界の俺と異世界の俺の身体は別物であるのだが、現在その能力を比べると、現実世界の俺の能力が自覚出来るレベルで劣っている。

 レベルアップを含めた身体能力を限界まで使いこなす状況が多々あり、自分の素の状態の身体能力も上昇している異世界の俺に対して、現実世界ではそんな機会が無いために素の状況での身体能力の向上は少ない。

 空手部の部活動での運動量ですら、異世界で狩をする時に比べれば運動量が小さいのだ。

 その程度の違いなら大した問題は無いのだが、レベルアップ分の効果を素の身体能力に掛け合わせることで、現実と異世界での身体能力の差がより大きくなってしまっている。

 そのため今後、現実世界と異世界での身体運用に齟齬が来たす様なことが無いように手を打つ必要性を強く感じている。


「逆に考えてみろ。今のお前の身体能力はレベルアップのおかげで数倍になっているんだ。そこで訓練で自分の素の状態の身体能力を底上げした場合は、普通の数倍の効果が見込めるし、更にレベルアップした時の身体能力の上昇も大きくなる。だから先ほどのランニングのような身体能力の上昇を目的とした訓練とレベルアップを組み合わせて行う必要があるんだ……理解出来たか?」

「理解したくないけど理解出来てしまったよ。訓練効果が数倍なんてやりたくなくてもやるしかないじゃないか……」

 泣きながらそう答えた。


「じゃあ文句を言わずに身体を動かせ。そして戻ったらしっかり飯を食え。食うのも訓練の一環だ」

「うっ……食欲無いよ」

「食わないなら、走ったのも全部無駄になるからな」

 必ずしも運動直後に直ぐ食べないとならないわけではないが、運動直後にはアミノ酸とクエン酸は取っておくべきだと大島にも言われている。

 たんぱく質などは運動直後に口にするには辛いものは少し時間をおいて食べてもいい様だが、そんな時間を与えられた記憶は俺の中には全く無い。


「…………食べる。あれが無駄になるくらいなら食べる」

「最初にドレッシングにたっぷりの酢を使ったサラダを……その後で肉定食にゆで卵を追加で頼むよ」

「じゃあ俺も同じで」

 その注文に俺も乗っかる。昨日の朝と同じ注文だが店ごとにメニューの内容も違うだろうから良いだろう。


「わかりました。ただサラダは定食にも含まれていますが?」

 看板娘といった感じのエプロン姿の十代中頃の少女が注文の応対をしている。


「それとは別で追加でお願いします」

 二号が応える。定食についてるおまけ程度のサラダでは全く足りないし、追加のサラダを含めても足りないので食後には果物とナッツ類も食わせる必要がある。

「はい。それでは肉定食と、追加のサラダとゆで卵。サラダは定食の前にお出しします。以上でよろしかったでしょうか?」

「それで頼むよ」

「では、少々お待ちください」


 そう言って少女は立ち去り、俺はほっと溜息を漏らす。

「彼女がどうかしたのかい?」

 二号がいらない事に気づきやがった。

「別に……」

「そういえば、彼女に対して目を合わせなかったようだけど……別にって事は無いんじゃない?」

 俺の弱みを見つけたと思っているのだろう……その通りだよ。畜生ニヤニヤすんな。

「彼女と知り合いなのかな?」

 俺が無視を決めていると勝手に話し出す。


「……いや違うな。君は時々すれ違う女性に、さりげなく目を逸らすような素振りを見せていたよね」

 レベルアップのおかげで洞察力も上がっているようだ。良かったなお利口さんになれて……面倒くせぇ。


「その場合の女性達の共通点は……可愛かった?」

 安心と信頼のお馬鹿が、メモリの増設と演算速度の上昇で治る問題じゃなくて良かった……

「それで、十代半ばくらいの女の子に何か嫌な思い出でもあるのかな?」

 ……そう来たか、面白い真似をしやがるな。


「それを知ってどうする? 俺の弱みを握れるほどのネタだと確信でもしたのか? そんな事より俺を不愉快にさせた後の事を考えるべきだったんじゃないか?」

「えっ?」

 思いがけない事を言われたという素直な反応。要するに何にも考えずに俺をからかえれば良いと思っていたようだ。

「立場、実力ともに上位にある俺に対して、そんな真似をすればどうなるかすら想像できないほどの馬鹿だとすると、これからの扱いを考え直すべきなんじゃないかと考えるべきだな」

「リュー、リューさん。ちょっと待ってください?」

「随分余裕があるようだから、もう少し詰め込んでも構わないよな?」

「あっ、えっ?」

「構わないよな!」

「はい!」

 言質はとったので、後は容赦なく鍛え上げれば良い。


「今日はオークを狩るからな」

「えぇぇぇ~、もう少しだけ、僕はもう少しゴブリンさん達と仲良くしたいな」

「ゴブリンさんはお前の事が嫌いらしいから無理強いさせるな、空気を読め」

 レベルアップを重ねて軍に志願させる。とりあえずエリートの集まる学校を優秀な成績で卒業したのだから、士官として入隊出来るそうなので、リートヌルブとの戦場で身体能力を活かし、小規模部隊の勇猛果敢な前線指揮官として武勲を立てさせる一方で俺も軍事関係、特に戦史関連を調べて、この世界の戦場において革新的となりうる作戦・武器・兵種を二号に教えて将へと出世させる……というか、俺自身まだ軍関係の知識なんて全然詰め込んでないけど。


 問題は二号が簡単に武勲を立てて出世出来るのかと言う疑問もある。

 しかしレベルアップと言うお膳立てをして貰っておいて、出世が出来ないなら何をやっても無駄だ。そう断言出来るほど、レベル三十と言うアドバンテージは大きいのだ。


「お待たせしました。サラダになります」

 俺は無言で目を合わせないから、当然対応は二号となる……ん?

「ああ……ありがとう」


 酸味の利いたドレッシングでサラダを口に運びながら「先ほどは気づかなかったが、お前も対応がおかしくなかったか?」と尋ねてみた。

 この八方美人的に人当たりの良い二号にすると明らかに愛想が無いというよりも素っ気無かった。

「君は君のトラウマの事を心配しておけばいいだろう」

 不機嫌そうに言い返してきた。


「他人のことにくちばしを突っ込んできておいて、自分の事には触れるななんて通用すると思ってるのか?」

 そんな我儘、お母さん許しませんよ……と叱られた事はないのか?

「僕もあの年頃の女の子は苦手なんだよ……」

「ほう、詳しく聞こうじゃないか」

「目を輝かせるなよ」

「先ほどのお前の顔を見せてやりたいよ」

「ちっ……僕って女顔だろ。だから子供の頃から色々と顔の事で弄られていて同世代の女性は得意じゃないんだ……特に少し年下の子は妹を思い出してね」


「妹?」

「僕の寝室に忍び込んで勝手に僕の顔に化粧してみたり、無理やり女装させようとしたりと、散々な目に遭ったからね」

 妹か……自分の妹を思い出すと、何となく他人事のような気がしない。

「普通にモテそうな顔なのにな」

 いわゆる王子様的な育ちの良さが滲み出た、整った……紫村ほど整ってはいないが、むしろその整い切れていない隙が親しみを生み、甘い顔立ちでアイドルのようにティーンの女子達をキャーキャー言わせそうな二号にも、そんな悩みがあったのか。


「全然モテないよ! 僕の顔だと男らしくなく頼りなく見えるから、もっと年上のご婦人なんかの受けは良いけど、所詮可愛がるって反応だからね」

 えっ? ……これは文化の違いという奴か? いや、日本だってジャニーズ系のアイドル顔が持てはやされたのは戦後暫く経ってからで、それまでは凛々しい顔立ちの逞しい身体の男がモテていたと聞く……そう言っていた父さんすら生まれる前に話らしいけど。

「俺は目つきが同じ年頃の女性からは怖いと避けられ続けて苦手になったな」

「僕としては君の精悍な顔つきが羨ましいよ」

 つまり俺と二号は互いに不要なコンプレックスを抱き合い、心に壁を作ってきたのだ……だからどうだと言われれば、どうでもいい話だが、とりあえずこちらの世界では、非情の山とも呼ばれるK2(カラコルム2)にもさえ例えられる険しい俺の顔付きすらも、むしろ精悍と呼ばれる程度だとするなら……こんなに嬉しい事はないのだった。

 俺はこの糞ったれなファンタジー異世界を愛せる様な気がしてきた。


 ちなみに大島の凶相は、サンスクリット語で豊穣の女神の意味を持つアンナプルナに例えられる……別名はキラーマウンテン。

 登山者の四人に一人が死ぬと言われるK2に対して、三人に一人以上が死ぬと言われる。

 既に険しさ無視の死亡率の問題になっているが、大島の凶相は見るものによっては命に関わる問題なので的外れではない。



 食事を終えて宿を引き払うと、ジョギングペースで四十キロメートル北上したトックサムという宿場町まで進んだ。

 レベル十まで上げた二号にとってジョギングペースでは何の体力上昇にもならないが、流石にそれ以上のペースで走り続けさせたら変な注目を集めるのは間違いないので仕方なくそのまま走らせたが、明日以降は訓練の為に何か良い方法を考え無ければならないだろう。


「分かってると思うが、これから飯を食ってからレベル上げをやる」

 レベルアップの最大の弱点はカロリー消費の問題だ。

 以前と同様の運動量なら消費カロリーも変わらないが、以前以上の運動量をすれば運動量に応じたカロリーを消費してしまう。


 ごく当たり前の事のようにも思えるが、問題なのは身体能力の向上で簡単かつ自覚なしにとんでもない量の運動を行ってしまう事でハンガーノックを引き起こす事だ。

 普通の部活動とはかけ離れた運動量を要求される空手部部員である俺は、ハンガーノックさんとは結構な顔見知りの仲なのだが、そんな俺でも気を付けていてもなおハンガーノックに陥りそうになるのがレベルアップによる身体能力の向上だ。

 ともかく、レベルアップで向上した部分まで身体能力を使うならば、朝昼晩は絶対に食事を取り、更に他に間食を何度か取るのが必須だ。


「この匂いは!」

 通りを歩きながら飲食店を探していると二号が強い反応を示した。


「どうした?」

「これはミノタウロスの肉を焼く匂いだ……珍しい」

 ミノタウロス……そうだ聞いた事がある。オーク肉以上に美味いと呼ばれる高級な肉だという話だった……誰に聞いたのかはまた思い出せないが、まあ良い今はミノタウロスの肉を食う事が先決だ。

 目を瞑り視覚を封じ、嗅覚のみに意識を集中しながらゆっくりと鼻から息を吸い込む。

 燃えた脂から立ち上る炎がたんぱく質を焦がす匂い。これは牛に近いな……ミノタウロスだけに!


「リューこっちだ!」

 匂いをたどって二号は足を速める。

「ミノタウロスの肉は珍しいのか?」

「何を言ってるんだ? 珍しいに決まってるだろう。それに足が速いから塩漬けとか燻製くらいしか流通しないんだ」

 この場合、足が速いはミノタウロスの逃げ足が速いのではなく、腐りやすいという意味だ。


 匂いを追うと、やがて一軒の店の前に辿り着く……確かに、堪らなく俺の鼻腔をくすぐる匂いの源はここだ。

「突撃!」

 掛け声と共に二号と俺は店へと入る。


「危なかった……」

 二号が溜息を漏らす。後少しで売り切れという状況で滑り込みで注文が通ったのだ。


 何しろミノタウロスという魔物は、個体数自体は多くは無いが決して少なくもないのだが強い。

 特にオーガを好んで狩ると言えば理解して貰えるだろうか?


 普通の人間にとっては決して対抗できる相手ではなく、ミノタウロスを狩るためには、数十人のハンターでチームを作り、ミノタウロスの生息地の近くに罠を仕掛け、馬に乗ったハンターがミノタウロスを誘き出して罠にはめて動きを封じた後、矢を浴びせかけて弱らせ、最後は槍で心臓を突くという方法をとる必要があるといわれている。

 ミノタウロスの肉が高価といえどもそれだけの労力を結集しても採算が取れるほどでは無い。

 普通ミノタウロスが捕獲されるのは、ミノタウロスの墓と呼ばれる怪我や老いにより寿命が近づいたミノタウロスが集まる場所が森にはいくつか発見されていて、そこを縄張りにしているハンターが、死ぬためにやって来た弱ったミノタウロスを狩る程度なので、市場に出回るミノタウロスの肉は非常に少ないらしい。


「この町の付近の森のどこかでミノタウロスの墓場が見つかったという事なのか?」

「それ以外ないだろうね。とても痛みやすいから死体を直ぐにばらして、魔法の収納袋に入れて町まで戻って、血抜き処理──」

「その場で血抜きしないのか?」

「オーガよりもずっと大きいんだよ、その場で処理なんて無理でしょ」


 オーガよりもずっと……四メートル近くはあるよなオーガは、それよりもずっと大きいって、最低でも五メートルくらい有るのか、いやオークではなくわざわざオーガを襲って食うくらいだ。オークでは満足出来ないほどの食欲と考えれば六メートル以上の巨体だったとしてもおかしくないか。

 その巨体で馬に乗らないと人間の足では追いつかれてしまう速さで走る事が出来る……レべリングにはうってつけと思ってしまう自分が怖い。

 そうとは言ってもミノタウロスに勝つためには、武器を収納状態からの装備を使わなければ、レベルアップによる身体能力の向上だけでは絶対に勝てそうも無い。

 せめて【魔術】がもっと実戦向きなものであったり、魔法が使えるようになったなら状況が変わるが、現状では身体能力等の向上を活かして相手の攻撃を回避し接近してから、装備による相手の防御力無視の攻撃に頼りっぱなしだ。


 システムメニューに与えられたモノ以外の自分の力を、大島が持つ人外の力を身につけたい。そうでなければ今、大島と戦って勝ったとしても、素手の相手を圧倒的に強力な武器の力で嬲ったようなものであり、とても自分に誇る事は……それはそれで在りなのかもしれない。復讐とは相手にされた事をやり返す事だから。


 そんな事を考えている間に時は過ぎ、鉄製の皿の上でジュウジュウと音でも俺の食欲を刺激するミノタウロスのステーキがやって来た。

「う、美味い……」

 肉を口に入れた瞬間、グルタミン酸でもイノシン酸でもコハク酸でもない未知なる旨味成分である謎のアミノ酸が舌に与えた刺激は稲妻の如き速さと衝撃で脳に伝わり、生まれて以来、まだ使われた事のない新雪の如き真っ白な脳の領域をステーキ色に染めていく……自分でも何を言っているのか分からないが、そうとしか表現しようが無い。


「美味いな……確か二年ぶりだよ、この味は。二年間もミノタウロスを食べずに僕は何をしてきたんだろう?」

 美味すぎて二号も訳の分からない命題を思いついてしまったようだ。

 しかし、本当に美味いよ。現実世界の日本で今までに一番うまいと思った豚肉を十とするならオーク肉は二十と言っても過言じゃない。だが俺が今までに一番美味いと思った牛肉を十とするならミノタウロス肉は三十を超えている。


 数値的には驚くほどの違いは無いようにも思えるが、俺の基準となるのが、一番美味い牛肉>>(超えられない壁)>>一番美味い豚肉であるので、ミノタウロス肉を食べた衝撃は数字よりも遥かに大きくなる。


 味も凄いが食感も凄い。肉質は強い弾力を持ち歯を押し返そうとするが、しかし肉の抵抗はただ一度だけで、次の瞬間肉の繊維は柔らかく解れて口の中で脂と共に溶け崩れる。


 パーフェクトだ。

 問題があるとするならこのステーキの調理法だ。はっきり言おう未熟と!

 これほどの肉を火を入れ過ぎだ。牛と違うので食品安全上しっかりと火を入れる必要があるのかもしれないが、それにしても焼きすぎだ。豚の生姜焼きだってここまで火は入れない。


 そして味付けだが、塩と粗挽き胡椒を振りかけただけ。たしかにシンプルで肉の味わいを損なわないとも言えるし、最初にミノタウロスの肉を食べた俺にとっては、この調理法は正解なのだろう。

 だが肉の美味さに胡坐をかき、そこから一歩も先に進もうとしない店の方針はどうだろう? この肉に負けない、いやより旨さを引き出して、より客を唸らせられる最高の料理を完成させるのが、この肉を与えてくれたミノタウロスへの礼儀というものではないだろうか?

 俺ならば、俺ならば現実世界の最高の料理法を取り入れて、もっと、もっと凄い。ある意味物凄い料理を作るだろう……自分の料理の才能の無さを思い出して失望する。


 駄目か? 駄目なのか? ……いや違う。こちらの世界でも現実世界の料理が出来るようにすれば良い。

 このミノタウロスステーキを「オン ザ ライス」したいなら、米を探し出して稲作を普及させよう。

 ミノタウロスの肉を西京漬けにしてステーキにしたいなら、大豆を探し出して味噌を、そしてついでに醤油を作ろう。

 幸い現実世界と共通する作物も多く存在するのだから、米や大豆、トマトだって何だって探せばあるはずだと信じよう。

 無ければ無いで新しい事を考えれば良い。

 そして、必要な調味料、香辛料が揃ったら現実世界の調理レシピをこちらの言葉に書き直して、調理レシピ集として出版し……印刷技術が無いなら活版印刷技術だって導入してやるし、活版印刷技術を確立するために必要な技術が無ければ全部導入してやる!


 決めたぞ。俺はこの世界の最高の食材を最高の調理で味わうために、この世界で生きるんだ。

 そのためには二号に出世してもらうじゃないか? 奴がミガヤ領の領主になったなら、その権力を利用させてもらいミガヤを美食の聖地としてやる!



「し、死ぬぅ……」

 二号がミガヤ領主になる前に死にそうだ……いや、死んだんだけどね。

 オーク相手に頭を吹っ飛ばされて二号が死んだためにロードして巻き戻した。


「だからさ、相手を倒したと思っても周辺マップで、ちゃんとシンボルが消えているか確認しないと。折角マップ機能を使えるんだから活用しなければだめだろ。それとも何? もう余裕で勝てちゃうとか思いあがってるの?」

「いやそういう訳じゃ?」

「それに死んでマップ上でシンボルが消えても敵の死体が物理的に消滅したわけじゃないから、今後はお前も戦う事になるオーガの死体なんてちょっとした山だから、自分の目とマップの両方で常に確認しなきゃ駄目なんだ」

 二号は倒したと思ったオークに背後から切りかかられて、思わずマップ上で敵のいない位置へと飛びのくもオークの死体に蹴躓き倒れたところを、振り下ろされた斧によって頭部が破裂したかのように飛び散ったのだ。


「分かっている。分かっているが……」

 そりゃあ分かっているだろう。自分のミスで酷い目にあってるのは二号本人だけで、俺は痛くも痒くも無い。

「くれぐれも死ぬのに慣れるなよ……訓練効果ががた落ちになる」

「そんなの慣れてたまるか!」

「それにしても文字通り命懸けの訓練。羨ましいな……俺も自分をそこまで追い込めればもっと強くなれるんだろう……いや安全マージンを切り捨てて、俺もギリギリのところで自分を……」

「怖い事言うなよ! 生き返るあてもないのにギリギリまで追い込んだら駄目だよ! 君に死なれて困るのは僕なんだからね」

「何と言う打算的な人間関係」


 確かにレベル十では六体のオークの群れと戦わせるのは多少無理があるようだが、勝てない相手を向こうに命を張って戦うなら自分の殻を打ち破って強くなる必要がある。

 俺も最初の森林狼との戦いがそうだったし、オーガとの戦いもそうだった。だから二号はレベルアップとは別の面でも強くなるだろう。


 二号は通算三十回死んでレベル十六となった。

 荒んだ心がその表情にも出てきたが、同時に歴戦の戦士のような凄みも出てきた……もっとも歴戦の戦士なんて実際は見た事がないけどね。


「まるで自分の身体じゃないみたいな強い力が身体中に満ちているし、記憶力や頭の回転、それに視力なんかも凄く良くなっているのが分かるよ」

「知力の方も磨いておけ、王都に行ったら学園の図書館に所蔵された全てを読んで頭に叩き込めよ」

「いや、それは流石に無理じゃないか?」

「今のお前なら出来るはずだ。レベル三十にもなったら壁一面に描かれた絵画の筆の運び一つ一つまで記憶出来るようになる」

「そんな馬鹿な……」

「それがレベルアップって奴だ……ちなみにレベル三十になったらミノタウロスと一対一で戦って倒してもらうぞ。それが卒業試験で、その後はミノタウロスの肉で卒業パーティーだからな」

「いや、ミノタウロスは本当に無理だから! 出来る事と出来ない事があるから!」

「オークと戦う前にも同じ事を言ってただろう。百回も死ねば倒せるようになるさ」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 二号の叫びが深い森の中に響き渡った。

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