第66話

 トリムを出てから五時間後、今日の目的地であるロルトノックとの中間地点であるエノブという宿場に辿り着いた。

 二号が朝の疲労のせいでペースが上がらなかったのだから仕方ない。【中傷癒】を使えば治るだろうが筋組織の向上がそがいされそうだったので、二号には引き続き苦しんでもらう予定だ。


 予定では有るが、どうやらこの宿場の周辺には魔物の反応がかなりある……街道の傍にと考えれば問題はあるが、飯を食ったら少し休憩させて二号をレべリングさせるのに良いだろう。


「今日はここで宿を取ることにする」

「本当に良いのかい?」

 俺の提案に助かったといわんばかりに二号が目を輝かす。

「ああ、まずは飯を……食おう」

 思わず「食ってから休憩だ」と言いそうになってしまった。そんなことを言ったら「休憩の後に何をさせる気だ?」と突っ込まれるだろう。

食事の時『くらい』何も考えずに、安らかに気持ち良く食べなければ良い身体は作られない……大島でさえ俺達が飯を食ってる間は無茶な事はしないし言わないのだから。


「……いまいちだったな」

 店を出て真っ先にそう口にした。商売を始めて直ぐならば忠告も役には立つだろうが、ある程度の期間をあの味をキープしているなら忠告するだけ無駄というものだ。


「ああ、僕の口には合わなかった」

 この異世界に来て初めての不味いと思える食事だった……携帯非常食をそのままガリガリと齧った馬鹿がいるって? 誰だいそんな馬鹿は?


 現実世界にもカレーを不味く作って客に出して金を取る店も存在するのだから仕方が無い……この『俺』が適当に切って炒めた肉と野菜と市販のカレールーをお湯が沸騰した鍋にぶち込んで10分煮ただけでも、最低限不味くはない食べ物が完成するのにも関わらず、それ以下の物を作るプロがいる事に驚いたものだ。

 代金を払うとそのまま宿を出る。念のため飯を食べてから判断してチェックインしようと二号に言われたのに助けられた。



「ちょっと待ってろ」

 通りの屋台から肉が焼ける良い匂いが漂ってきたので、二号を待たせて屋台に突撃する。

 屋台の料理は、シンプルな串焼きだった。肉はお馴染みのオーク肉のバラ肉をひと口大にカットしたのに串を打った物と、モツ系……レバーと多分ハツ。そして腸、しかもシロコロと呼ばれる大腸の部分。


 難しい部位を出してきやがる。大腸は完璧な処理をしなければ強い臭みが残る。

 しっかりと汚れ……いや、今更取り繕っても仕方が無い。肛門からひり出される直前の状態のウンコだ。それを執拗なまでに流水で洗い流してきれいにした後で、たっぷりの塩で揉み込んで臭いを蓄えたぬめりを完全に落とし、更に小麦粉を塗して揉みこんで残った臭いや汚れを小麦粉へと移してから、最後の仕上げに牛乳に漬け込む。

または、もう一度塩を振って浸透圧で中の水分を出すと同時に臭いを取る。


 それぐらい徹底的な下処理が必要な素材であり、ホルモンが現実世界の日本でさえ一般に広く、安全に食べられるようなったのは、ここ二、三十年年くらいであり、それ以前においては、ずさんな下処理で提供する不届きな店舗が少なからず有り、ホルモンは子供にとっては天敵とも呼べる危険な食べ物であったそうだ。


 ちなみに俺は物心つく前だが、既に潰れた近所の商店で購入したホルモンは恐ろしいほどの、うんこの臭いを放っていたと母さんが遠い目で語っていたのを思い出す。


「おう、今日始めてのお客さんだ。サービスするからモツ串買っていきな。今日のは特別に美味いぞ」

 それを敢えて強く勧めてくるのか? これは職人として己の腕に対する矜持の現れなのか、それとも単なる無謀なのか?

 分からない、全く分からない。しかし何の確証も持てないのに何故俺は、モツ串を注文しようとしているのだ? しかも代金を支払い、受け取ってしまっただと?!

 自分が恐ろしい。こうも簡単に二号に毒見させれば良いやと思える己の非情さが恐ろしい。


「口直しに、串焼きを買ってきたぞ」

 そう言って大きな葉っぱに包まれた串焼きの中からモツ串を取り出して、ごく自然に二号に差し出す。

「ありがとう……モツですか」

 二号の顔が強張る。やはり異世界の調理技術ではモツは地雷なのか?

「不味いのか?」

「美味しい店のモツはとても美味しいのですが、そうでない店のモツは……最悪ウンコ臭い」

 なるほど……きちんとモツを下処理する技術は存在する。しかし、けっして広く一般に公開された技術ではなく、各店の職人達の秘伝であるということか。


「だが僕も食の冒険者と呼ばれた男だ。試してみない訳にはいかない!」

 誰が呼んだんだか知らないけれど、それは決して褒めてない。

「何が食の冒険者だ。坊ちゃん育ちが親元を離れて、うるさい事を言う相手がいなくなったのを幸いに買い食いにはまっただけだろう」

「好きに言うがいいさ。自分が自由に出来る範囲のお金で、自分が食べたいと思う物を買って食べる……この果てしなき開放感。幼き頃から頃からの躾を破った事で得られた背徳の美味。僕の僕だけの人生は買い食いから始まったんだ」

 それって、お前の人生は最初の一歩から大きく躓いてるんじゃないか? ……頭が痛くなってきた。


「いいから、さっさと食えよ」

「……うん、臭いは全くしない。これはしっかりとした処理がされている。食の冒険者の二つ名に懸けて、間違いなく美味い筈だ!」

 串に鼻を寄せて臭いをかいだ後、そう断言すると串ごとくわえてレバーを噛んで串を引き抜き抜いて、味わいながら咀嚼する。

「うん、美味い! これは塩を振っただけではなく、きちんと香草などを漬け込んだ塩タレに漬け込んだのか、中々やってくれる」

 レバーの感想を述べると、次にハツへと取り掛かり、そしてシロコロを口にした。

「漬け込まれたタレの味と、中から湧き出る脂が交じり合って……うん? これは…………うぇぇっぇぇぇぇっぇぇぇっ!」

 阿呆の末路だ。少しだけ齧って味見するとかやり様は幾らでもあったのに、食の冒険者云々と自分を追い込んだ挙句の果ての自爆だった。


「うぇっぇぇぇっぅえっ! ……酷い、表面上は完全に処理しているけど中に入っている臭いが全く抜けてない。まるでオークの糞を口に入れたかのような臭いが……うぅぅぅぅ」

 涙目で涎を流し続ける様子が余りにも憐れだったので、取り出したコップに水筒から水を注いで差し出すと、奪い取るようにしたコップの水を煽ると口をゆすぐ。

「駄目だぁ、全く臭いが取れない。こんなの初めてだよぅ~」

 泣きながらどうやらちょっとやそっとの臭さではなかったようだ。それにしても嗅覚もレベルアップで上昇している俺ですら、臭いを感知できなかった。もし焼いていて僅かでもウンコ臭かったら流石に買いはしない……どうしてそれほど臭いのか不思議だ。


「おう兄ちゃん達、俺のモツ串を臭い臭いと随分な事を言ってくれるじゃないか?」

 屋台の兄ちゃんが巻き舌気味に絡んでくる。まあ、屋台から十メートルも離れていないのだから当然だな。

「実際にこいつが食って臭いと言ってるんだから仕方が無いんじゃないか?」

「全くだ。こんな食べ物となどと言えないような汚物を客に出しておいて!」

 とりあえず二号には口直しに、蜜柑に似た形で味がグレープフルーツとレモンの間くらいの味のフルーツを渡してやった。


「ふざけるな、今日のモツは全て、魔法使いに頼んで消臭してもらってるんだ。臭いはずないだろう!」

 魔法って結構身近な存在だと初めて知ったよ。

「そんなに言うんだったら、お前の店で買ったこのモツ串を食ってみろ」

 豚精串ならぬオーク精串以外にも、二号に食べさせて問題が無いことを確認してから食べるつもりで、モツ串を自分の分も買っていた。

「そこまで言ったんだ。俺が食って何でも無かった時は、覚悟できてるんだろうな兄ちゃん?」

「無論だ。万が一そんな事になったなら、こいつが全部責任を取る」

 そう言って二号を指差した。

「…………へっ?」

 二号と屋台の兄ちゃんが間抜けな顔でこちらを見る。


「俺はまだ何にも食ってないし、モツ串をウンコ臭いだの、こんな糞を捏ねて作ったような糞を作った糞料理人の頭の中に詰まってるのは糞だなんて一言も言ってない。無関係だと断言する」

 事実なので何もやましくは感じない。


「何だとテメェ!」

「そこまでは言ってない!」

 自分の胸倉を掴みあげる屋台の兄ちゃんに、二号は必死に首を横に振って否定する。

「いいからさっさと食って白黒つけろ」

「ちっ、覚えておけよ!」

 二号に舌打ちと共に殺意すら込めた鋭い視線を送ると、兄ちゃんはレバー、ハツ、シロコロをまとめて歯で串から引き抜くと、まとめて豪快に咀嚼する。


「………………くせぇぇぇっぇぇぇぇっ!」

 口の中の物を吐き捨てて、そう叫ぶと屋台に駆け戻り売り物のエールを小樽からコップへ注ぐと口に含んでは吐き出し、何度も口をすすいでいる。

「彼……殴っても良いよね?」

「無論だ。俺はあの屋台の看板を『オークのウンコ』って書き換えてやりたいな」

「それって良いね。僕も手伝うよ」


 人心地ついたのだろう。兄ちゃんが戻ってきて頭を下げる。

「すまなかった。まさかこんなことになるなんて」

「何であんなことになったんだい?」

 殴ってやろうと思ってたはずなのに、基本お人好しの坊ちゃんは頭を下げる兄ちゃんに対して問いかける。

 これが俺ならまず殴ってから問いかけるだろうし、大島なら殴り倒してからベッドで療養中の相手に問いかけるだろう。


「肉を全部切り分けて臭い消しの下処理をしようとした所に、流しの魔法使いがやって来て肉の臭みを完全に取り除く画期的な魔法があるから試してみないかと言われたんだ。十ネアで良いと言うから試しに頼んだら、確かに臭いは完全に消えたんで……」

 なるほど焼いた串から臭いがしなかったのはそういうことか。だが……


「実際に食べて確認しないで客に出したと……死刑!」

「ちょっと待て! あんたは無関係なんだろう? 何勝手なことを言ってるんだよ」

「ほう、無関係と? 金を払ってお前の自慢のウンコ串を買わされた挙句に、大事な友人にそれを食わせてしまい面子を潰された俺が無関係だと?」

「い、いや……それは……」

 モツ串が臭いと言った言わないには無関係だが、客という立場での被害者は俺だということを思い出したようだ。

「僕は大事にされた記憶が全く無いし……友人?」

「お前は黙っとれ!」

 首を横に傾げる二号を黙らせる。


「お前への処分はおいておくとして、その魔法使いというのは何者だ?」

 臭いを消すという発想の面白さに興味が沸いた。

「見たこともない男だったから、この町の人間じゃないはずだ」

「名前も聞いてないのか?」

「聞いてない。肉から臭いが消えたのを確認して金を払ったらすぐに立ち去ったから」

 出来るなら接触して話を聞いてみたいのだが二号をパワーレベリングする方が先だ。そうなると現在の時刻を考えれば、その魔法使いはロルトノックかトリムへと移動してしまうだろうから接触は無理か……まあ、魔法使いは王都に行けば、それほど珍しい存在でもないようだから今はまだ慌てる必要は無い。最悪エロフに頼るという手段も無くはない……やっぱり嫌だ。



「ここは誰? 私は何処?」

「もうそれは良いから」

 串焼き屋台の兄ちゃんからモツ串代の返金を受けて、更に謝罪としてオーク精串を大量に貰らい、ついでに評判の良い宿を聞き出し、その宿を取り、部屋で一休みした後で二号を眠らせ収納した。


 そして俺と二号は森の奥深くにいる。

「どうして僕はこんなところにいるの?」

「これもシステムメニューの力だ」

「す、凄い! どうやったの教えてく欲しい!」

 目を輝かせる二号に「お前にはまだ早い」と言って真相を明かさなかった。

「そうか、レベルが上がれば出来るようになるんだね?」

「まあ……そういうことだ」

 二号にタネを知られたら、逆に俺が収納されかねない。


 俺と二号のシステムメニューは俺のがマスターで、二号のがスレイブの関係にあるので、マスター権限のシステムメニューを持つ俺をスレイブ権限しか持たない二号のシステムメニューが収納するのは無理だと思われる……一応、【良くある質問】で調べてもピンポイントな質問の件が無かったが、関連する回答に『マスターシステムのユーザーに対して、スレイブシステムが影響を与えられるのは、マスターシステムのユーザーからの許可が得た場合のみ』というのがあったので、多分大丈夫だが心配なので教えない。


「周辺マップで状況を確認しろ」

「周囲に……これは動物なのかな? 反応が幾つかあるね。 北東方向に何かの群れがある」

「それに意識を集中してみろ」

 北東の群れはゴブリンの群れだ。システムメニューはマスターとスレイブのユーザーの情報を統合して情報量を増やすようなので、お坊ちゃん育ちの二号がもしゴブリンと遭遇した経験が無かったとしても、俺はゴブリンと戦闘もしているので、その情報は二号のシステムメニューにも反映されているはずだ。


「ゴブリンか……本当に凄いねシステムメニューは」

「俺もしくはお前が遭遇した事のある相手だけだから、マップ内の全ての反応が何なのか分かるわけじゃないからな」

 ちなみに二号をパーティーに加えた事により、俺の広域マップ表示範囲はかなり広がっている。


 ミガヤ領内の町や村と、それを結ぶ道とその周辺。そして残りの王都への道と王都周辺がワールドマップに表示されている。

 これならば、可能ならばパーティーメンバーを増やして行くのも良いかも知れない。


「まずは北東のゴブリンと戦ってもらうが、一人で大丈夫か?」

「ゴブリンがマップ上の四匹だけなら多分勝つことは出来ると思う。無傷とはいかないだろうけどね」

「じゃあ試しに戦ってみてくれ。お前がどの程度戦えるのかも知りたい」

「分かったけど、危なくなったら助けてくれるんだろうね? ……何で目を逸らすんだよ!」

「危ないと思ったら、書類にして報告してくれ、精査した後に助けると決まったら、その旨を連絡するから」

「助けてよ!」

「はいはい」

「助けろよ! 本当に助けろよ! 助けなかったら化けて出るからな!」


『セーブ処理が終了しました』

 二号よこれが俺の愛だ……死んだらリロード。自分の死さえも経験に出来るなんて羨ましいな。自分には出来ないのが残念でならない。いや本当。



 忍び足で気づかれぬように、木の陰からゴブリン達の姿が見える場所へと近づくことに成功した。

 四匹のゴブリンの内、三匹は赤錆の浮いたナイフや短剣で武装しているが、一匹は小さい弓を持っている。

「飛び道具はちょっと反則だと思うんだけど?」

 確かに二号がどれくらい戦えるか分からない状況で、他のゴブリン相手に足を止めたところを攻撃されたら矢があたる可能性が高いだろう。


「常に動きながら戦えば、矢は当たらないから安心しろ」

 自分でもびっくりするほどクールだ。

「当たる時は当たっちゃうよ。もし毒矢だったらどうする気なんだよ?」

「一応解毒は出来るが、解毒が効かなかったら死ぬかもな」

「……僕はまだ死にたくないよ」

「安心しろ俺が手を貸すと決めたんだ。死んだ程度で楽になれると思うな。何度死んでも目的は果たしてもらう」

「もしかして死者の復活まで可能なのかい?」

「いや、死んだ人間は生き返らないだろう……常識的に」

「やっぱり死んだらお仕舞じゃないか?」

「死んだ人間は生き返らない。だったら死ななかった事にすれば良いだけだ」

「……何を言っているのか、訳が分からないよ」

「一度死ねば分かる。だから死んでみてくれないか?」

「おかしいよこの人! 誰か助けてっ!」

 二号が俺の理不尽な発言に耐えかねて悲鳴を上げた瞬間。その声に気づいたゴブリン達のシンボルが赤へと変化した。


「ゴブリンどもが来るぞ。頑張れよ。もし逃げたら足を射て逃げられないようにするから、多分死ぬから止めて……いや、良い実験になるから是非ともやってくれ」

「死んでたまるか!」

「……あっ、それから今の時間を確認しておけよ。絶対だからな!」

「えっ? わ、分かった。確認したけど何なの?」

 二号が答えると同時に【迷彩】を使って姿を消す。


「あ、あれ? ちょ、ちょっと何処に行ったの?」

 完全にテンパって、周辺マップで俺の居場所を確認すれば良い事に気づけないでうろたえる二号を尻目に、俺は音を立てないように慎重に木の上に上って、特等席での見物を決め込むことにした。


「糞っ、覚えてろよ!」

 お坊ちゃんらしくない下品な口を叩くと、捨て鉢になって魔法の収納袋の中で鞘を払い剣を抜く。

 前回、俺に刀身を切り飛ばされた細剣以外にも普通の剣を持っていたのか、つまりそれしか持っていなかったから細剣で俺に決闘を申し込んだのではなく、自分が有利になるための選択として細剣を手にした訳だったのだ。

 実に良い。勝つために手段を選ばないと言うのはとても好意が持てる。良い振りしいのお坊ちゃんよりはずっと良い。これで容赦する必要も無くなったと思えば最高だ。


「うっ!」

 自分に向かって走ってくるゴブリン達の姿に、一瞬怯えて逃げるような素振りを見せたが、次の瞬間足元に突き刺さったボルト──当然、俺がクロスボウで射た──に、喉元まで上がった悲鳴を何とか飲み込み踏み止まった。


「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 ヤケクソと言った感じで雄叫びを上げると、上段に剣を構えるとゴブリンの集団に対して左へと抜けるように斜めに走り出す。

 正解だ。飛び道具を持った相手に正面から真っ直ぐ向かったら、殺してくれと言っているようなものだ。

 二号は距離が近くなると数歩毎にジグザグに走りながら更に距離をつめて行くと、リーチの差を活かし先頭のゴブリンの前を左へと走り抜けながら、その頭上へと剣を打ち込むと、脳漿を撒き散らして崩れ落ちるゴブリンに一瞥も与えずに後方にいる弓を持ったゴブリンへと速度を上げて迫る。

「おい馬鹿! 止めろ!」

 思わず制止の声を上げてしまうが間に合わず、ゴブリンの放った矢は真っ直ぐ突っ込んで行った二号を捉え、矢は二号の首を貫き襟足の辺りから鋭い鏃を除かせていた。


『ロード処理が終了しました』


「うわっ!」

 セーブ時点に戻った瞬間、俺の前を歩いていた二号はいきなり、小さく掠れる様な悲鳴を上げると後ろへと尻餅を突いた。

 ……漏らしてないのか残念だ。一生涯の弱みを握れたかもしれないのに。

「見事に間抜けな死にっぷりだ。良い体験が出来ただろう?」

「い、い、今のは一体? 僕は死んだんじゃ? 傷が無い……夢……なのか?」

「だから死んだんだよ」

 現実を突きつけてやる。


「死んだって? じゃあ、今僕がこうしているのは一体何なんだよ?」

「言っただろう、死んだ事を無かった事にすれば良いって」

「分からないよ! 何なんだ? その死ななかった事にってのは!」

 追い詰めすぎたせいで、ちょっと言葉遣いが乱暴になってきたな。


「巻き戻したんだよ。時間をな」

「な、何を馬鹿なことを……まだ生き返らせたとか言われた方が納得出来るよ」

 素直が取り柄だったお坊ちゃんが反抗期? でも確かに死んだ人間を生き返らせると、時間を巻き戻すなら前者の方が遥かに奇跡としてのランクは下だと自分でも思う。

「じゃあ時計を確認してみろ」

「時計? ……あっ、おかしい時間は……あれ? でもそんな……」

「これは【セーブ&ロード】という機能で、流れる時間のある一点に印を付けて、その時点へと戻ることが出来る。俺のシステムメニューだけにある機能だ」

 ドヤ顔で言ってやった。


「それは既に、神の領域じゃないのか? 君は一体何者なんだ?」

「ただの人間だ。俺が凄いんじゃなくシステムメニューが凄いだけで、それに振り回されるだけのちっぽけな存在だよ……お前が凄いんじゃなくお前のシステムメニューが凄いようにな」

 まだ使いこなしているとすら言えない様だし。


「それにしても、君のその力は個人が持つには大きすぎる力じゃないのか?」

「確かに大きな力だな。予め決めておいた時点から何度でもやり直すことが出来るんだから、誰かが死んだとしてもやり直すことが出来る

……だが、全てがやり直せるわけではない。巻き戻すと決めた時点より過去には巻き戻すことは出来ない」

「幾つか決めておく事は出来ないのかい?」

「一つだけだ」

「……少しほっとしたよ」

 安堵の溜息を漏らす二号だが、自分が死んでも俺に助けて貰えるが、俺が死んだら誰にも助けてもらえないって事までは理解出来ていないようだ。

 敢えて話そうとは思わないが、それくらい察して気を使って貰いたいと思うのは贅沢だろうか?


「それでだ。今回のお前の戦いをまとめよう。ゴブリンの集団へジグザグに走りながら距離を詰めたのは正解だ。そして先制に戦闘の一匹を倒した後、残りの二匹を無視して弓を持ったゴブリンへと狙いを付けたのも実に良い判断だった」

「ありがと──」

「だが、今回お前が死んだ理由をちゃんと理解しているか?」

「それは……ゴブリンに矢を射る時間を与えた事だと思う」

 やはり肝心な事を理解していなかったか。

「全く違う。問題なのはゴブリンが矢を放つ前に倒そうと、勝手に焦った事だ」

「だけど矢を射られる前に──」

「そういうことか……」


 俺が勘違いしていた。二号がジグザグに走りながら距離を詰めたのはゴブリンが矢を射ても当たらないようにするのではなく、狙いを付ける余裕を与えない事で矢を射ることが出来ないようにするためだったのだ……つまり矢を射掛けられることへの強い恐怖心があるってことだ。


「好き好んで矢を射掛けられたいと思う奴なんていない。だがお前は射掛けられる恐怖に焦りジグザグに回避運動をするのを止めて真っすぐに突っ込んだ」

「だけどあの時はそうするべきだと──」

「それが間違ってるんだよ。あの場合はつがえた矢を放たせるべきだった。ゴブリンの腕力で引ける小さな弓から放たれた矢は遅いから、十メートル程度の距離を取ったまま背後に回り込もうとすれば逆にゴブリンの方が焦る。そこで態とバランスを崩して走るのを遅くするなどして隙を見せてやるなどしてゴブリンが矢を射る様に仕向ける。一度射てしまえば、その間に距離を詰めて斬れば良い。それが出来ないなら石でも何でも良いから投げつけて相手の隙を作る。とにかく相手に有利な状況を崩して、自分に都合の良い状況を作る。その為には考えろ。どんな手段を使えば生き残れるか、生きる為の貪欲であれ」

「わ、分かったよ……」

 口では分かったと言っているだろうが、絶対に分かって無い。

 だが問題はない。何度も死ねば、その内に頭でも心でも身体でもなく魂で分かる様になるだろう……本当に羨ましいと思うよ。


 取りあえず、今日の内に二桁くらいは死んで貰おうと思う。

 何度も死ぬストレスにも、【精神】関連のパラメーターの再設定無しでレベルアップを繰り返せば耐えられるだろう。

 完全なる大島モード。しかもオリジナルである大島には出来ない方法を使っての調教……もとい訓練だ。

 これを知れば大島がどれほど悔しがる事かと思うと訓練にも熱が入るものだろう。


「人間慣れるものだよな~」

 二度目に死んだ時は涙目で「もう嫌だ」と泣き言を抜かした二号だったが、五度目を過ぎると目つきが変わった。

 先頭のゴブリンを始末した後に、弓を持ったゴブリンへと向かうのは最初と同じだったが、回り込むような動きを見せながら二号はわざと速度を落としてゴブリンが狙い易いように隙を見せると、ゴブリンが射掛ける直前に速度を上げて矢を避ける。しかも二号の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。


「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 雄叫びを上げながら迫る二号に、ゴブリンは慌てて矢を番えなおそうとする……意外に速い。伊達に二号を五度も射殺してはいないようだ。

 俺ならば右サイドへステップして回りこみ斬りつける。

 射手から見て右側の視野は広いが、左側の視野は狭いので死角に入り込むのだ。

 また射手は咄嗟に右に狙いを移す場合は弓手に近い左膝を抜くので、上体の構えを崩さずに素早く右を向けるが、逆に左を向く場合は弓手から遠い右膝を抜く事になるので動きは遅くなる。


 だが二号は違った。何時の間にか握りこんでいた左手の中の土をゴブリンの顔目掛けて投げつけ、ひるんだ隙に剣の間合いまで迫ると、弓ごとゴブリンの首の左付け根へと斬りつけた。

 二号が好まない泥臭い戦い方だが、一皮むけたのだろう。


 残りの二体のゴブリンを斬り伏せ戻ってくる二号の顔には、先ほどまでとは違った凄みのようなものが浮かんでいる。

「レベル三に上がった感想はどうだ?」

「ハッキリとは分からないけど身体が軽くなった。勝利の高揚感のせいかとも思ったけど、それだけじゃないと思う」

「後三レベルも上がったら、ハッキリと自覚できるはずだ……どうする続けるか?」

「勿論。ここで止めるにはもったいない」


 一度の勝利が、ここまで人間を変えるものなのかと驚くほど二号の性格が漢らしくなっている……いや、嘘は止めよう。単純にレベルアップによる【精神】関連のパラメーターの変動の結果だ。

 傍から見るとレベルアップの影響がこんなにも人間を変えてしまうものなのだと驚き、自分が変わった事を大島がどう捉えたのか気になる。

 奴ならばもしかしてシステムメニューへの手がかりをつかんでいるかもしれないから……


「とりあえずゴブリンを狩ってレベル五までは上げた方がいいな」

 俺がオークと戦ったのがレベル五の時だった。【セーブ&ロード】を使えないこと、そしてシステムメニューを開いても時間停止が無いことを考えると俺より遥かに条件は悪いが、それでも何度か死ねば戦い方を学ぶだろう……実に羨ましい。


「そうだ。次からオークだと言われたら逃げ出すよ」

「逃げるなよ。俺はレベル一の時に子牛ほどもある三頭の狼に襲われたけど逃げ場なんて無かったからな」

「……君が厳しくするのは僕への悪意じゃなく、それが君にとって当たり前の事なんだと分かったよ」

「……倒したと思った最初の1頭がさ、死んでなくて後ろから左手首に噛み付かれてな、奴が死ぬまでの間に腕をズタズタに引き裂かれた。そして別の狼に首に食いつかれる前に何とかロードを実行して何とか死なずに済んだんだ……」

「分かった、分かったから。もう良いんだよ! ほら僕もこれかはもっと真剣に励むから」

 当然だが、二号に自分で口にした言葉をすぐに後悔する……いやさせてやった。



「レベル十……流石にオークと戦うのは暫くは止めておきたい」

「じゃあ次はオーガか。流石に無理なんじゃないかと思うけど、お前がそういうのなら──」

 俺はレベル七でオーガを倒したが、セーブとロードは俺が後ろからやってやるから心配無いにしても、システムメニューのON/OFFを瞬間的に繰り返すコマ送り戦法や、相手に接近して無手の状態で装備実行して、突き刺すという動作無しに相手にダメージを与えた後、収納することで相手の身体から武器を抜くという動作も無くす戦い方は、二号が必要なレベルに達したらパーティーから外す予定なので教えていないのでオーガには勝てない……死ぬ気なのだろうか?

「違うから! 僕はそんな事、言ってもいないし考えてもいないよ!」


 目的としていたレベル十に達したので、ここでパーティーから二号を外し、その状態でも現在の身体能力や知力に魔力、そして習得した魔術は維持出来ているのか? そしてパーティーに再加入しても、今のレベル十を維持しているのかをチェックしてやろうと思ったのだが、「また最初からレベル上げするのは嫌だ!」と泣いて嫌がられた。


 ゲームのセーブデータを飛ばしてまた最初からレベル上げをする悲しみを知っている俺は、仕方なく【よくある質問】でチェックしたところ、システムメニューの機能は使用出来ず、収納しているアイテム等は俺預かり状態になるが、一度パーティーに参加してレベルアップした身体能力等はそのままでも使えて、更に再加入した場合も以前のレベルがそのまま適用されるとの事であった。

 身体能力が上がった状態から元の状態に戻り、その状況で戦った時にどのような影響があるのかを知りたかったのだが残念である。


「自分の能力が上がったという感覚はあるか?」

「その場で飛び上がったら軽く自分の身長を超える高さまで飛べたんだから、滅茶苦茶あるよ」

 他にも四則計算では暗算の達人級の速さを見せ、更に魔術も【水球】【飛礫】【坑】【火口】【微風】【閃光】と多少俺とは覚える順番が違うが、順調に使える数を増やしている。


「じゃあ、俺の役目はここまでで後は自力で何とかするって事で良いか?」

「頼む。まだもう暫く頼むよ。レベル20……いや30くらいまでは助けて欲しい」

 レベル30か、そこまで行けばかなりのものだ。身体能力に限れば精霊の加護持ちに勝てないかもしれないが、知力という面では間違いなく天才と呼ばれるほどの切れを持つことが出来るはずだ。

 何せ演算速度や思考能力が半端じゃなく高いので天才の閃きにさえ計算で追いつくことも可能……かもしれない。


 だが問題もある。考えられる範囲が広がりすぎて、思考を意識外に追い出してしまう事が少なからずあると言うことだ。

 普通に別の事をしながら、意識せずに全く別の事を考えている事がある、しかも一つではなく幾つもだ。

 そして意識外の思考活動で何らかの結論が出た瞬間、いきなり拳を握り占めて「Yes!」とか叫んだりして怖い。

 自分で怖いんだから、他人から見たらホラーだろう。唯一の救いは知り合いの前ではやってない事だ……まだ。



「でもレベル三十ってどれくらい強いんだろう?」

「そうだな……弱い龍と正面から戦ったら瞬殺されるくらいかな?」

 二号の疑問に珍しく真面目に答えてやる。

「なんだろう? 今のこの、龍となんて戦って堪るかという恐れる気持ちと、同時にやっぱり龍には勝てないのかという残念な気持ちは」

「あれは別格だ。ブレスっていうとんでもない飛び道具を持ってるから、こちらの間合いに誘き寄せて奇襲するしか勝ち目は無い」

「話には聞いたことがあるけどブレス攻撃というのは、実際どんな感じなのか教えてくれないか?」

「まともに食らったら死ぬ。水龍と戦った時は、ヤバイと感じて避けた瞬間に手足が宙に舞ったからな、痛みすら感じる暇も無かったな……」

「僕、龍とは一生戦わないよ!」

 自分のトラウマについて語る俺に、青褪めた顔でそう宣言した。


「戦いとは相手があってのことだ。お前が望む望まないに関わらず、戦う時というやつは勝手にやってくる」

「嫌だ。戦わない!」

「まあ最低限、備えだけは怠らないことだな」

「だから戦わないんだって!」

 いつか二号が龍と戦いますようにと、俺は神でも悪魔でもない何かに祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る