第65話

 目覚めると部屋に他人の気配を感じて寝返りざまに視線を飛ばす。

「何だ二号か……」

 前回二部屋を借りて、辻褄合わせが面倒だったので今回はツインルームを借りたのだ。

 だが、例え二部屋借りていたとしても、二人部屋に借り直しただろう……エロフの襲撃時に盾にして逃げるためだ。

 これから暫くは隣に二号がいないと安心して眠れない日々が続くと思う。

 相手がノンケの二号で本当に良かった。もしこれが紫村だったら究極の選択を放棄して切腹して果てることになっただろう。

 しかし、胸無しの方が俺に拘る理由は納得出来ないまでも何となくは分かった。しかし胸有りの方は俺というよりも俺の魔力にご執心だから余計に性質が悪い。

 金が絡み取り込む気満々だから、下手に靡いてしまえば最後、ケツの毛まで毟り取られる事になるだろう。


 ベッドから出て着替え始めると二号が目を覚ます。

「ああ、おはよう……随分と……早起きだね」

 早起きというが、既に夜明けからは暫く時間が経っているようだから、夜明けと共に起きて日が沈むまで働くというイメージのあるファンタジー世界においては、決して早くは無いと思うのだが、二号はボンボン育ちなので朝の早起きの習慣は無いのだろう。


「起きたついでだお前も着替えろ。走りに行くぞ」

「走りに? ……意味が分からないんだけど」

「分からなくて良いから走れ。何も考えずに、どうせ考えられないくらいに追い込むから気にもならなくなる」

「……君は何を言ってるんだ?」

「お前を根本から鍛え直すと言ってるんだ。武器を取れば一流の戦士の如き、机に向かいペンを持てば博士が如き。そんな人間に作り変えるんだよ。お前をな」

 ここからは大島モードだ鬼軍曹なんて可愛いものでは無い。


「いや、ちょっと待って『作り変える』って言ったよね?」

「分かったらさっさと着替えろ!」

「全然分かってないよ!」

「あぁ?」

「分かった! 今一瞬で分かったよ。人生って奴を!」

 大島の「あぁ?」に比べればまだ六割程度の模倣率だが、それでも二号には通じたようで、背骨に一本真っ直ぐな棒を突き通したように直立して答えると、素早く着替えを始める。


 早朝の気持ちの良い空気の中、小鳥達の囀りを聞きながら走っているというのに、前を走る二号の愚痴がうるさい。


「ハァ……ハァ……これが一体何の役に立つんだい?」

 軽く五キロメートルほどの距離を、空手部の一年生が脱落しない程度のペース走るだけで、二号は息を切らせ後ろを走る俺に尻を五回も蹴り飛ばされている。


「まずは体力だ。体力がなければ何も出来ない。そして忍耐力だ。苦しさに耐えて走り続けることでどんな苦境にも立ち向かえる精神力を身につけさせる。これからのお前に必要なのは、一日中走り続けても笑顔でいられる体力と、どんな苦しい状況におかれても、今の苦しさに比べたらましだと笑い飛ばせる精神力のみだ」

「ハァ……それって……単に可哀想な人だよ」

「当たり前だ。これからお前は世界中の誰から見ても『可哀想』と思われるような厳しい目に遭うんだよ。大人しくお前は自分の目的のために自分の幸せを差し出せば良いんだよ!」

「だ、誰に……誰に差し出すんだ? ハァ……君か?」

「お前の幸せをどうやって俺に渡すつもりだ? そんなものは神か悪魔にでも差し出すんだな」

「ハァハァ……僕には……君が悪魔に思えてならない」

「心外な。前にも言っただろう? 悪魔のようなのは俺の……認めたくは無いが師であって、俺自身は善良な一般人だ……と言う事にしておいた方が気が楽になるぞ」

 そう答えながら尻を蹴り飛ばす。


「ぐぁっ! ……分かったから蹴るな……何で僕が……ハァ」

「俺は何時止めても良いんだぞ。男のケツなんて靴越しでだって触れたくねぇんだからな。嫌なら止めても良いんだぞ」

「くっ…………」

 二号は文句を垂れ流すのを止めると無言で走り、そして倒れて吐いた……そうなるよな。でも倒れて吐くまで走ったという根性は認めよう。


 倒れて動かなくなった二号を吐瀉物ごと水塊で一気に洗い流してから、【操水】で水切りして担ぎ上げる。

 この一連の作業でも意識を取り戻さないのは問題だ。

 余りにも体力が無さ過ぎて空手部では大島をして「頼むから退部してくれ」と懇願しかねない……嘘にしても無理がある。むしろこういう鍛え甲斐のあるのを徹底的に可愛がるのが大島の好み。つまり昔の俺に似てるって事だよ!


 二号を担いだまま宿に戻ってくると、そのまま1階の食堂へと直行し空いているテーブルの椅子に二号を座らせると、強めにビンタを往復で食らわせる。


「うっ、うう……ん!」

「起きたら早く何を食べるのか決めろ」

 エプロン姿のウェイトレスのお姉さんがスタンドバイミーで「早く注文しやがれ」と無言でプレッシャーを与えてきてるのだ。

「……駄目だ……食べられない」

「駄目だ黙って食べろ……あ、お姉さん。肉定食を二つ、それから追加注文でドレッシングに酢をたっぷり使ったサラダを先に出して、それから定食と一緒にゆで卵を二つください……いいか? 運動して食べないなら運動する意味が無い。食わなければお前の先ほどまでの努力もすべて無駄だぞ」

 筋肉は運動によって傷付き、回復する際により太い筋肉へと成長する。その際、回復に必要な栄養を取らなければ筋組織は成長するどころか痩せ衰える……なんて話はどうでも良い。本当の目的は嫌がら…………忍耐力をつけるための試練だよ。



 街道によって分断された左右の景色は右手にある東側が深い森が果てしなく続いているのに対して、西側には人の手が入っている。

 まあ、入っているといっても畑などにして使われているのは一割以上、二割以下といった所で、ほとんどが湖沼や森、丘陵によって占められる。実に長閑な田舎の風景である。

「馬は借りないのかい?」

 門を通って街の外に出た後、今更ながら二号が疑問を呈してくる。

「贅沢は敵だ! 黙って歩け、大体朝だって結局途中でぶっ倒れて、俺に担がれて帰ってきたじゃないか」

 馬で移動している場合じゃないので、ばっさりとその疑問を切り捨てる。


「もう既に膝が笑ってるんだけど」

「だったらもっと大爆笑をとるくらい笑わせないと駄目だな」

「そんな膝は嫌だよ!」

「なぁ……膝って何て笑うんだ?」

「うわぁっ唐突に何か言い始めましたよ!」

 失礼な! 基本的に人間は辛いと思うから辛いくなる。他の事を考えていれば本当の限界が来るまでは少し楽になるものだという俺の配慮なのに。


「膝がガクガクと笑うって表現は聞くけど……ガクガクと笑う人間になんて出会ったことがないよな?」

「こちらの遠まわしな苦言を無視して、喋り続けるの?」


 勝手なことを言いやがって馬鹿野郎が、こっちも本題を切り出してやるよ。


「……それでだ」

「何がそれでなのか分からない」

「それでだ! そろそろお前のパワーアップについて話をしたい」

 何とか切り出せたが、これからが問題だ。自分が他人から聞かされたら「バッカじゃねぇの?」と言い放ってしまいそうな事を、自分の口から述べなければならないのだ……ああ、言いたくない。


「パワーアップって、朝から走ったりしてるんじゃ──」

「そんなもんは、やってて当たり前のことでパワーアップじゃねぇよ!」

「い、意味が分からない……」

「これから俺が質問を投げかけるから、一切の疑問を持たずに承諾して『はい』と答えろ」

「ちょっと待って、何の事なんだ?」

「お前がパワーアップするための儀式で制約だ」

「制約って何を?」

 え~いっ! 気持ちは分かるがイラっとするぞ。俺が敢えて真剣にこんな馬鹿みたいことを言ってるんだから黙って察しろ!


「気にするな、嫌だというならすぐに解除するし、どのみちお前が十分な強さと賢さを身につけたと判断したら、お前が泣いて嫌がっても解除する。ハッキリ言ってデメリットがあるとしたら俺側にあるだけだから、むしろしないで済むなら俺はしない方を選択したい。やるか? やらないか? 腹をくくれ」

「しかし──」

「決めないなら、話はここで終わりだ。ただし『ミガヤ領の皆を助けたい』という夢物語はあきらめろ。ここで尻込みする様なら、お前は今後どんな選択の場面でも尻込みする負け犬だ」

 うん、ここで二号に「イエス」と言わせる事が出来れば、俺は詐欺師で食っていけるかもしれない……いや、俺が二号なら間違いなくお断りするだろうから、自分を騙せない様な嘘しか吐けない訳であり、詐欺師には向いていないということだ。


「わ、わかった。どんな条件だろうが飲もう!」

 覚悟を決めたか……救いがたい愚か者だ。だが、他人のためにそこまでの覚悟を示すことの出来る愚か者だ。


「ならば俺とパーティーを組み、共に戦うか?」

「はい」

 二号が答えると同時に『二号がパーティーに参加の意思を表明しました。受理しますか? YES/NO』というアナウンス用ウィンドウが目の前に開く……二号って、おい! システムメニュー! グッジョブだ。

 勿論YESを選択する。

 そして聞き覚えのある様なメロディーの後に『二号がパーティーに参加しました』とアナウンスされた。


「……これって……何?」

 目の前に開いた『パーティーへの参加が完了しました』というウィンドウに触ろうと手を伸ばしては、触れずに突き抜けてはを繰り返し、下手糞なパラパラでも踊っているかのようになっている。

 本当に気持ちは分かるが、紫村が見たなら「初めて目の前に鏡が置かれたサルの方が、もっと賢そうな反応を示す」と冷静に感想を述べてくれるだろう。


「とりあえず、『システムメニュー』と声に出してみろ」

 目の前のウィンドウが消えて右往左往している二号に指示を出す。

「えっ! ああ、し、システムメニュー……うわぁっ!」

 視界を一杯に塞ぐシステムメニューウィンドウの出現に、二号は驚き後ろにひっくり返り尻餅を突き、それでもまだ目の間を塞ぐウィンドウから逃げようと仰け反り、更には仰向けの状況で首を左右に振り始めた。

 想像を遥かに超えたうろたえようにこちらまで焦る。


「落ち着け! ……頼むから」

 ここは街道だ。つまり俺達以外にも徒歩や馬、馬車などの通行者はいる。まだ時間が早いためにまだそれほど多くないのが救いだが、遠巻きに驚きと憐れみ、そして好奇の目が二号に注がれており、仲間と思われてるかと思うだけで恥ずかしさに赤面しそうだ。


 これが俺がシステムメニューを開いた場合は周囲の時間は止まるが、自分以外のパーティー参加者のシステムメニューでは時間停止が起きない事が、これほど問題になることに今更ながらに気づいた……だから何でそんなことを俺は知ってるんだよ?

 二号が最初のパーティーメンバーだというのに?



「ほら、落ち着け」

 わき腹を軽く蹴りつける。

「うわっ! ……何だ?」

「いいから落ち着け! 玉蹴り潰すぞ……いいか「システムメニューOFF」と言え、もしくは頭の中で強く念じろ」

「念じる? …………うわっ消えた! ……今のは、今のは何だったんだ?」

「良いから、まずは移動する。人目を集め過ぎだ」

 俺の言葉に我に返った二号は周囲を見渡して、自分に向けられた視線に青褪める。

「僕って……まさか? いまのを──」

「全部見られていた。何あれ気持ち悪いって感じで……泣くなよ。喚くなよ。とにかく人目の無い場所に移動する」



 街道から逸れて森の中に踏み入ったところで説明を再開するのだが、その前に疑問があった。

「ところで何であんなに暴れたんだ?」

 正直何かの病気を疑ったくらいだ。

「……あ~……何ていうか、僕は……暗いところが苦手なんだ」

 暗所恐怖症、しかもパニックを起こすレベルって色々と問題がある……だがそれもレベルアップにより抑制することが出来る。


「まあ良い。戸惑いながらでも黙って聞け。先ほどのお前の目の前に現れた物こそがパワーアップする手段でシステムメニューと呼んでいる」

「システムメニュー?」

「そうだ。基本的に自分の能力を数値化して確認することが出来るものだ。試しに『システムメニュー』と念じてみろ。ただし視界を塞がれても驚かないで冷静さを保てよ」

「色々と突っ込みたいけど、分かった耐えてみるよ……」

 二号がゆっくりと深呼吸をした後、ウィンドウが開いた。


「まずは【オプションメニュー】から【表示設定】を選び【バックグラウンド透過率】を選択しろ」

 場所を指で示しながら指示を出しつつ、システムメニューの能力は凄さには呆れる。俺が今覗いている二号のメニュー画面は、異世界の文字を使って表示しているはずだが、それをリアルタイムで俺の知覚に介入して日本語に変換している。そして俺が話そうとした日本語もリアルタイムで変換して異世界語をしゃべらせている訳だがまったくラグタイムが存在しないのだ。


「次に【メインウィンドウ】を選択して、ここのスライドバー……を左へと動かして透過率を……そうだな適当に落としてみろ」

 スライドバーの一言を異世界人に納得させるのに、どれほど長い言葉を費やすのか分からないが、何故か生まれたちょっとした間にも、しゃべっているつもりは無いのに口と舌が動いているという感覚を味わった。

「どうだ? 視界が透けて見えるようになったか? 恐怖感は消えたか?」

「ああ、これ位なら全く問題は無いよ……だけどこれは──」

 二号は色々と疑問があるようだが俺はそれを遮った。


「今は黙って、状況を受け入れて説明を聞け。それから【マップ機能】──」

 その後は【オプションメニュー】の下の階層にある、【マップ機能】【時計機能】【ログデータ】の説明をしていく。


「恐ろしくすら感じるよ。何時いかなる状況でも正確な時間を知り、決められた時間に目を覚ますとか、それどころかある程度自分の行動まで予めスケジュールを立てて指定しておくとも出来るなんて……それにマップって、何なんだいこれは? 便利すぎて出鱈目だよ。それに僕は世界がこんなに広いなんて知らなかった。今僕達がいる大地の他にも、もっと大きな大地が海の向こうにあったなんて……頭がどうにかなってしまいそうだ!」


「落ち着け。頼むから、他人の目無いとはいえ「頭がおかしくなる」とか大声で叫ぶな。傍から見たらとっくに頭のおかしな人だからな」

「そ、そうだね……そうなんだけどさ。余りにも凄すぎて──」

「もっと凄いことがあるから、ともかく深呼吸しておけ」

「も、もっと凄いって? だって今だって既に、一度見聞きした情報は何時どこでも確認出来る【ログデータ】とか笑っちゃうほど凄いんだよ。これ以上何させる気?」


「次は【所持アイテム】と【装備】だ──」

 その二つの説明に二号は初めは興奮し顔が紅潮していたが、すぐに青褪めてしまった。


「…………マジ?」

「本当だ」

 俺は二号の肩を抱いて、街道側に背を向けるようにして並んで立つと【所持アイテム】の中から次々と収納した物を取り出しては再びしまう。

「念じただけで勝手に手の中に現れるんだ。しかも中では時間が停止で、とりあえずオーガやオークがそれぞれ数十体に、巨大な火龍の死体まで入ってるけど、どれだけ入るかは君にも全く見当がつかない……へぇ~へぇ~~へぇ~~~」

 某の泉的には、たった『三へぇ』に過ぎなかったが、二号の心はどこか遠いところへ飛び立ってしまった。

 むしろ火龍を俺が倒したということに驚いて貰いたかったが、それどころではなかったのようだ。


「それからこれが肝心な事だが──」

 再び往復ビンタを食らわせて正気に戻すと【パラメーター】の説明を続ける。

「なるほど、こうやって自分の体調や身体能力や色んなことを数値で知る事が出来るというのは素晴らしいね。自分に何が足りないのかがハッキリと分かる」

 今回はそれほど驚かなかったようで普通に状況を受け入れている……だが次の説明でお前の心は木っ端微塵に吹き飛ぶ!

「そして、それらのパラメーターを向上させるのがレベルアップで、それを為す事によってお前の能力は飛躍的にパワーアップする」

「レベルアップって何?」

「魔物などを倒すことで経験値というものを稼いで、ある一定の数値に達するとレベルが上がることだ」

「何故魔物とかを倒すとレベルアップするんだい?」

「知らない。何故かとしか答えようがない。そんな事を言うのならシステムメニューという存在自体に疑問を持て」

「自分の頭を疑ってもシステムメニュー様を疑うなんてとんでもない事はしないよ!」

 短い間に随分とシステムメニューに依存する心を育てたようだ。


 翻って俺自身はどうだろう? システムメニューを失ったら……正直なところ困るな。大島をぶん殴れなくなるし、こちらの世界にいる状態で失ったら、現実世界に帰れなくなるかもしれないしな。

 身体能力はレベル一の頃に戻るだろう、そもそも異世界で魔物相手に戦うというので無ければ、現実世界では一流のアスリートにも引けはとらないだけの身体能力を持っているので、強くなりたければ鍛えれば良いだけだ。


 頭の方は、今までに詰め込んだ知識は思い出しづらくなるだろうが、それでも既に頭に押し込められているので無駄ではないし、一度身に着けた英語などの言語が使えなくなるとも思えない。

 つまり大島をぶん殴った後に、現実世界でシステムメニューを失うのであれば、それほど問題は無いということだ……待てよ、システムメニューを失った直後に【所持アイテム】の中の物を一斉にぶちまけたら大問題だ。近い内に、鈴中の死体と鈴中の部屋から持ち出した物は全て処分しておこう。そうしないと拙過ぎる。

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