第62話

 脱兎の如く入り口に向かって駆け寄り扉を開けて外に出て扉を閉める。

 何か扉が開かないように……そうだ。【所持アイテム】の中から空中足場用の岩を出しては入り口の前に積み上げた。

 ストックしていた岩を全て入り口の前に積み上げて、ほっと一息つく。大切な空中足場用の岩を失ったが、この安心感には変えられなく、とりあえず一個だけでも回収しておこうとすら考え及ばない程だ。

 獲得したつかの間の平穏にとりあえず喜びつつも、その場を割と本気で逃げた。


 だが冷静になって考えれば本当につかの間だ。Mエロフの機動力は時速百キロメートルを超える。

 混乱から立ち直ったら店を最寄の町の店舗の扉に繋ぎ直して、そこからトリムに戻ってくるのは長く見積もっても一時間、ボストルよりも近い町にも店舗が存在した場合は、更に短縮されるだろう。


 広域マップを開いて確認すると二号の姿は映っていない。つまり俺が立ち入った事の無い表示不可能の領域にいるということだ。

「駄目だな」

 二号を回収してトリムから逃げるというのは時間的に難しい……難しいのかな?

 再び広域マップで『道具屋 グラストの店』を表示してみると、店内が『表示対象外領域』ではなく通常の表示不可能領域扱いになっている。つまり、既に別の町の店舗に繋がっているという事だ。

 俺は店の前まで戻ると、入り口を塞いだ岩を全て回収する。それから人目の無い裏路地に入ると、【迷彩】で姿を消してから路地に面した家の屋根の上へと跳躍して、そこから更に上空へと跳ぶ。

 上昇する運動エネルギーは十メートルほどで全て位置エネルギーに置き換えられる。そこで俺は足元に岩を出してそれを足場に更に跳躍する。


 普通なら蹴って、収納不可能な身体から一メートル以上離れる前に岩を収納するのだが、岩が身体から離れた瞬間に【迷彩】の効果が岩から失われるので、昼の街中で大騒ぎにならないためには、踏み切った足のつま先が岩の上に残っている段階で収納する。その為に踏み切り時の力を岩にすべて伝える事が出来ないので一回の跳躍で得られる高さは五メートルほどだ。

 それを繰り返す事で百メートルの高さまで上る。

 そこから見渡す事の出来る360度のパノラマにより、広域マップ内の全ての範囲が表示可能領域になる。

 肉眼で視認し得る範囲ならば周辺マップの範囲を超えて『行った事のある場所』としてマップに表示されるからだ。

 この事は早い段階から気づいていたのに、上空からマップの表示範囲を広げるという方法に気づかなかったのは我ながら間抜けだ。


 この方法を取る上での問題は、こちらの不思議一杯のファンタジーな異世界ならともかく現実世界の方で昼間からこの手段を使うと、カメラで偶然撮影されて「空に人間のように見える謎の輪郭が……」などという淡古印体の見出しが似合うホラーな都市伝説が生まれる可能性が高いという事だ。


 夜ならカメラに映ったとしてもそれに気づかれる心配はほとんど無いのだが、流石にレベルアップで向上した視力と【暗視】の魔術の効果が合わさっても、上空から見渡せるのは二百か精々三百メートル程度が限界だろう。

 だが、目的の二号の姿は既に捉える事が出来たので、時折足元に岩を出現させて落下の勢いを殺しつつ、二号がいる場所の近くの人影のない路地裏の未舗装の土がむき出しの地面に降り、【迷彩】を解除すると二号の元へと向かった。


「リューじゃないか?」

 二号が爽やかな笑顔で、口元からのぞく白い歯を輝かせながら軽く手を上げてきた。この貴公子然とした態度を嫌味なくこなすところが嫌味だと思う。


 問答無用で肩を掴むと路地裏に引っ張り込んだ。

「問題が発生した。どうやら追っ手が掛かったみたいだ」

 誰にとは言わないのが肝だ。

「追っ手? まさか父上は勘当だけではなく私の命までも……」

 簡単に騙されてくれてありがたいが、何を甘い事を抜かしているんだ?


「いや待て、お前の父親や兄を排除するって企みは、基本的にこの世からの排除だろうが、むしろそれがバレて殺されないと思うお前に驚きだ」

「何を言ってるんだ? そんな事はしない。父や兄には暫く不自由をかける事になるだろうが、僕の治世により領が落ち着いたならば、幽閉を解き扶持を与えて王都あたりでゆっくりと暮らしてもらう予定だった」

 アカンこの子、頭の中がお花畑パラダイスだ。


「それじゃあ、良くてお前が縛り首か、下手すりゃカプリウル家は取り潰しだろ」

「な、何を一体?」

「お前な、お前の親父は一応国王の家臣であり、建前上は王によって任じられた領主だぞ。それを息子とはいえ勝手に軟禁して、勝手に領主を名乗ったら王への反逆だろう。この国の法は反逆者へどんな甘っちょろい刑を処すんだ?」


 まあ封建領主という存在は、実際は国の中にある独立国の王であり、自らの領地は自らの物という意識だろうが、それを認め、その立場を保障するのは王の役目であり、それを犯す事は王の権威を踏み躙ることであり決して認められる事は無いだろう。

 そして、その罪の代償は二号の命であり、さらにはそのような不祥事を起こしたカプリウル家自体に帰すると判断するはずだ。

「カプリウル家が諸侯としての地位を与えられているのはお前の親父の功績か?」

「いや違う。当時宮廷貴族であり軍人であったトループ・カプリウルがレッドネプサスとの戦いにおいて功績を挙げて昇爵し、更にはミガヤ領領主に封じられた事により我が──」

「つまり、大昔のお前の先祖の功績により、子孫が領主に納まっていたわけだ。何の役にも立たず領民を苦しめ、領地を寂れさせているだけなのにのうのうと領主の座に座り続けていた訳だ……俺が王ならこの機会に幸いとばかりに、お前ら一族を処刑か国外追放にして領地を召し上げて直轄地にして皇太子以外の王族か、功績もあり信頼できる家臣をミガヤ領に封じる。そうしない理由が思いつかない」

「そ、そんな……」

「だからお前には、まずは跡継ぎの兄を事故か自殺に見せかけて殺し、自分が時期領主の立場になってから、現領主である父を暗殺する以外にお前が領主になる方法は無いと思っていたし、お前もそのつもりだと思っていたんだが、まさかそんな事も理解していなかったとは……もう諦めた方が良いんじゃないか? ミガヤの領民が苦しんだとしても、それはお前のせいって訳じゃないだろ。お前はお前で自分の器に似合った人生を生きていけば良いんだよ。無理に背伸びしたところでお前の大き過ぎる夢は沢山の人を巻き込んで大きな不幸を生み出すぞ」

「だけど、だけど領民の皆の生活を……」

 最初の、この街を出るように誘導するという趣旨とは、かなり方向性がずれてしまったが、悩んでおいて貰いたい。

 政治的権力を握りたがる様な奴は無責任か聖者様だと思っていたが、無知も含まれるというのは勉強になった。


 しかし余計な時間を食ってしまったので、言葉で誘導するのは諦め、二号を眠らせて収納し、この街を脱出しようと思ったところで周辺マップの南端に、映ってはいけないものが映ってしまった。エロフ……いや、今のところエロフしかいないエルフにエロフでは伝わる気がしない。確か『アエラ』という名のドMエロフである。


「えっ! ……何で?」

 このタイミングで現れるとは完全に想定外だった。まだ店を脱出してから十分ほどしか経っていない。

 俺の希望的予想では最短でも30分間の余裕があると思っていたのに、近隣の宿場町にも店舗、もしくは接続可能なポイントを用意していたのだろう。そうでなくては説明がつかない。

 これは厄介な事だ。比較的大きな町にのみ店舗を用意して空間を繋いでいるものと思っていたが、店舗すら出していないような町や村にも空間を繋ぐ場所を用意しているかもしれないのだ。しかもこの国のみならず他国にまでも……そうなれば俺に逃げ場は無い。あの魔女なら空間を繋げる町や村の全てに魔法的手段で俺を探し出せる方法を確立していても全く不思議は無い。

 つまり、俺には逃げ場が無い可能性が高い……終わったな俺の貞操。


「リュー? どうしたいきなり」

 いきなり自分以上に呆然とし立ち尽くし、更には上を見上げてピクリとも動かない俺に戸惑いがちに尋ねてくる……涙が零れる前に声をかけてくれてありがとう。

 しかし、どうしたものだろう? やはり二号を失神させて収納して逃走するか? だがそれで逃げ切れるのか? 森を逃げれば流石にユニコーンといえども地面を走っている限り追いつく事は不可能だろうが、森の精霊とやらに監視されているのと同じ状況では追跡を振り切る事は不可能であり、常に逃げ続けるのは面倒すぎる。

 そして逃げるのが駄目ならば戦うか降伏するかだが、変態相手に戦うのも降伏するのも御免だ……つまり、世の中のあちらこちらに転がっている『どうにもなら無い状況』に俺は追い込まれている事を自覚させられる。


 あくまで常識の範囲内の対応で済ませたいので、ドMエロフを眠らせてから収納して居なかった事にする。という素晴らしい方法は、何度も引き寄せられそうなるが使わない……予定だ。

 幾ら長寿のエルフとはいえ、俺が死ぬまで【所持アイテム】の中に放置なんて……むしろその放置っぷりに悦んじゃったりする可能性もあるかも知れない。

 そんなナマモノを自分の【所持アイテム】内に入れておくことが嫌だった。中にある他の物に変態が移ってしまいそうで怖い。


「大丈夫なのか?」

 返事をしない俺に二号が声を大きくして話しかけてくる。

 その声に、ふと考えが浮かんだ。実に酷い考えであり、自分の正気を疑ってしまうような悪魔的な発想だ……二号にドMエロフを押し付けちまえば良いんじゃない?


 その魅力的過ぎる発想に、俺の中で常識の範囲というものが勝手に書き換えられそうになる。変態だが長い時を生き続けている以上、二号の役に立つ知識や知恵を蓄えているだろう……本当にどうしようもない変態だけど。

 だからドMエロフ、いやアエラさんは二号にとって必要な存在になり得る。そしてアエラさんにとっても二号は必要な存在になるはずだ……性的な意味で。

 そんな二人の出会いを繋ぐのは決して悪い事ではない。むしろ恋のキューピットであり恥じるどころか感謝されるべきだろう……うん、無理だ自分すら騙せないような嘘は駄目だ。第一、二号が可哀想過ぎて全米が涙してしまう。



「……待たせたかな?」

 タイムアップだ……だがせめて心の中で言わせてくれ、誰も待っちゃいねぇよ!

 町の南門から走ってきたのだろう呼吸が荒く、顔が紅潮していた……性的興奮では無いと思いたい。


「いや、思ってたより早かったよ」

 平静を装い答えた。

「今回はノプオクからだから、こんなものだよ」

 やはり南から来たということはノプオクか、トリムの一個手前にあった、リトクドとの領境の傍の宿場町だ。そこからなら十分少々でたどり着くのも頷ける。だがそれは同時に『道具屋 グラストの店』はこの国──だけじゃない気もするが──において根を張り巡らせているという事でもある。

 やはり俺には逃げ場が無いということだ。もう嫌だこの異世界。


「リュー、この……人は一体誰なんだ?」

 二号は一瞬言いよどむ「この女性」と呼んで良いのか分からなかったのだろう。分かります。

 だが間違えるな二号よ。こいつの性別の不明さはマントを脱いで体形を露にした後にこそ真価を発揮するのだ。

「誰と言われても困る。一応顔は知っているが、互いに名前すら名乗りあった事の無い他人だ」

「いや、それは……そうだが……冷たく突き放される、これもまた……」

 一瞬、突き放す俺の態度に寂しそうな表情を浮かべるも、次の瞬間には、こういうプレイもありかという微妙な表情に変化する……駄目だ病状が進行している。


「? ……え~、私はカリルと申します。よろしければお名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「これはご丁寧に、アエラです宜しく」

 二号に挨拶へ挨拶を返す時は、最初に同じテーブルで飯を食っていた頃のようにまともだ。もしかしてこいつの変態は俺だけにロックオンなの?


「しかしエルフ族の女性が、森を出るなんて珍しい……というか女性を見たのは初めてですよ」

 えっ? 築いていたのか、大阪城? ……違う。気付いていたのか、二号? 余りの事に俺は混乱していた。


 どうして二号は目の前の胸なしエルフが女だと気付いていたのか? そう言えば、最初に会ったときにもエルフに関する知識が無いと言われたな。

 だけど遭遇の可能性が極端に低いはずのエルフの女、現在百パーセントの確率で厄介なエロフだったのだから興味が無い……いや待て、これ以上のエルフ害を被らないように、正しいエルフ予防の知識は必要なのかもしれない。

 今更聞きづらいので後でこっそり二号に聞いておこう。



「それでアエラさんとリューの関係は?」

「奴隷とご主人様」

「…………リュー?」

 そんな蔑んだ目で見られても俺は無実だ。首を横に振り否定してやると二号はエロフに向き直る……良かった分かってくれたか。


「どっちが奴隷で、どっちがご主人様?」

 全然理解していない!

「私が奴隷で、リューがご主人様だ」

「違う。断じて違うぞ。これは悪質な捏造だ!」

 何ていう名誉毀損。これは裁判で訴えて、最高裁に持ち込んででも勝たなきゃ駄目だ。


 裁判はともかくとして、二号の肩を掴んで、離れた場所まで引っ張って移動する。

「一体何が捏造なんだ?」

「俺にはエルフに関する知識が無い。だからあいつと食堂で相席した時に男だと勘違いしたんだ。さらにマントを外すと胸が全くなかったから本当に男だと確信したら。なのに女だと言われて、つい胸について言及してしまったら、激怒して襲い掛かってきたので揉めたんだ」

「それは君が悪い。黙って殴られるべきだ」

「殴って来たなら殴られても良いが、あいつはナイフやフォークで急所を刺しに来たんだよ」

「それは駄目だ。僕がミガヤ領の領主になるまで君に死なれたら困る。せめて道筋くらい付けてか殺されてくれ」

「こ、この野郎……まあ、それで攻撃をいなして武器になりそうなものを取り上げてから、頭を下げて謝罪したんだが……」

「それで?」

「下げた頭の後頭部に振り上げた踵を叩きつけようとしてきた」

「うわっ……」

「流石に俺もキレて、背後に回り込んで猿轡をかましてから両手を後ろで縛り上げたんだ」

「……ある意味すごいな君は」

「そうしたらいきなり様子がおかしくなり、目を潤ませて、もっときつく縛れとか言い出して……」

「何でぇぇぇっっ!」

 そうだろうもっと驚いてくれ。あの異常者を異常だとはっきり口に出して貰えないと、自分の中の常識が揺らいでしまう。


「俺だって教えて欲しいくらいだ。変態なんだ。変態すぎて手に負えないと思った俺は、その場を逃げて宿屋に戻ってお前を回収すると、ここまで逃げてきたんだ」

「それを追ってきたのか、こんな所まで? ……ん? いや、ちょっと待ってくれ。先ほどの追っ手というのはもしかして彼女の事なのではないか?」

「ちっ、良く気付いたな」

 風向きが変わってしまった。


「騙したな!」

「騙してなんかいない。俺は追っ手が掛かったとしか言って無い。後はお前が勝手に勘違いしたのを生暖かい目で見守ってやっただけだ」

「き、君って奴は、僕がどれほど思い悩んだと思っているんだ?」

「それは俺に騙されようが騙されまいがお前が考えなければならない、悩んで悩んで答えを出さなければならない事じゃないのか?」

「くっ、確かに」

「お前が悩むには良い機会だと思ってたんだけど、さっきまでの苦悩はもう忘れたのか?」

「すまない僕が間違っていた」

 そう言って、頭を下げる二号に「実は本当に騙していたし、別にお前を教え導こうなんて事はまったく考えていなかったんだよ」と伝えたら流石に拙いかなと考えていた。


「ああ、無視されて放置される……これはこれで……」

 簡単に二号は丸め込めたが、こいつは余りに難敵だ。どうやって戦えば良いのか想像もつかない……そして想像もしたくない。


「そこの変態! 結局お前は俺の後を追い掛け回して何をしたいんだ?」

「へ、変態……あぁ……ナニをしたいだなんて……」

 駄目だ脳が穢される。僕の真っ白な純真な心が汚されちゃうよ。

「……い、一体何が目的なんだ?」

「ナニが目的です! 具体的に言うなら、縛られて叩かれて罵られて、性的な悪戯をされて焦らされて、羞恥の限りを尽くされる……そ、そんな……」

 じ、自分で言って自分で高ぶっていやがる……性的に。

 今、俺が感じているこの感情。それが羞恥の限りって奴ですよ。


 しかし、どうしてここまで変態になってしまったんだ? 今朝会ったばかり時には、普通に凛々しい青年風だったのに……怒ったことは分かる。少々理不尽な気もするが理解は出来る。執拗に俺を殺そうとした事も寛大な気持ちで許そう。

 だが背後から猿轡をかまして後ろで両手を縛り上げて、暫くもがいて抜け出そうとしている内に、猿轡は外れかけたが手の方はむしろ締め上げられた。

 この過程でドMに目覚めたというのは理由として弱い。安っぽいAVでも……いや、無いことも無い超展開である。


「分かった。分かった。そんな風に扱われたいなら、裏通りを更に奥に行って貧民窟を裸で歩けば良いだろう」

「リュー、貴方が望むならそうします。貴方が私に首輪を着けて、そして首輪に繋いだ紐を引いて、全裸で恥ずかしい場所を晒した私を散歩に連れ出し……」

「頼むから、一々変な空気を作るな。そして妄想に俺を絡めるな」

「無理です。私をこんな気持ちにさせるのは貴方だけですから、もしも貴方が居なくなったのなら私は元の私に戻る事が出来るかもしれませんが嫌です!」

 糞、完全にロックオンじゃないか。何で頼みもしないのに専用ドMエロフが現れるんだ。


「何故そこまで俺に拘る」

 はっきり言って……まあ言って無いんだけど、意味不明すぎて気持ちが悪い。


「エルフとは理を何よりも重んじる種族だから、私達は強い感情の発露を深く戒めて生きる……」

「お前達、特にミーアを見ているとそうは思えないんだが」

「姉さんは例外中の例外です一緒にしないで欲しい。とにかく姉さんはそういうのも含めてエルフの生き方に反発し、成人として認められると同時に森を出てしまったくらいだから……」

 なるほど、ダークエルフではなかったんだ。それに「そういうのも」って何だ?


「それで貴方に対して怒りの感情を爆発させた時、抑え切れない激しい怒りと同時に、圧倒的な開放感を覚えてとても気持ちが良かったのだ」

 開放感か、それなのか? いや、それだけでは理由としては弱いだろう。

「だけどその開放感も、怒りをぶつけようにも貴方にはまるで歯が立たず、全てを封じ込められた事で鬱屈したものへと変わって──」

「うん、鬱屈は良いから俺への呼びかけをこっそり『貴方』にすり変えるのはやめて欲しい」


「──縛り上げられて悔しさと羞恥の絶頂の中で、頭の中で何かが弾けたんだ」

 弾けるなよ。そして結局、理屈を無視した飛躍かよ……ああ、そうだよ変態に理由を求めた俺が馬鹿だった。


「そして私の本能が叫んだ。この人が私のご主人様だって!」

 戦慄、そして震撼。言葉の意味は知っていたが、俺は生まれて初めてこの身にその意味を刻み込んだ。変態ならぬこの身には変態の考えなど理解出来なくて当然だったのだ……僕ちゃん、この人の考えに同調出来るような悪い事なんてしたこと無いからね!


「……だが俺にはそんな趣味は無い。迷惑なんだ。俺は誰かを好きになるなら普通の性癖の相手が良い」

「趣味は無い……? 私をこんな身体にしておいて……趣味は無い?」

「悪いな。という事で縁がなか──」

「趣味が無くても、この適正。何という恐ろしいほどの素質……流石私のご主人様だけの事はある!」

「──おいっ! 大体、誰がお前のご主人様だ。お前と間には何の契約も縁も存在しない」

「しかし運命はある」

「んなもんねぇ!」

 恐ろしいまに真っ直ぐで交じり合わない平行線。



「じゃあ、この辺で僕は……リュー、今までありがとう。君には感謝しているよ」

 そういって頭を下げると二号は背を向けると、その場を立ち去ろうとする。

「何ドサクサに紛れて部外者になろうとしている?」

 肩を掴んで引き止めた。

「僕は完全に部外者だ。君と彼女の関係には僕は一切関わっていないじゃないか!」

 俺の手を振り払い、そう叫ぶ二号の顔には「これ以上関わりあいたくない」と書いてある。気持ちは分かるが納得してやる気にはなれない。


「馬鹿野郎! 大体、お前が今朝、ちゃんと起きて俺と一緒に朝飯を食っていればこんな事にはならなかったんだ!」

 そうだよ、こいつが一緒のテーブルに着いていたら、宿屋の親父も俺達に相席は求めなかっただろう。

 だから二号にも責任の一端を背負ってもらいたい……いや、背負わせてやる。

「そんなの関係ないじゃないか!」

「お前がうっかりで勘当になったことも俺には関係ねぇよ!」

「関係無くて良いから、僕を解放してくれ」

 開き直りやがった。そこまで嫌か、そこまで嫌な状況に俺一人を置き去りにするつもりか? 殺意すら覚えるよ。


「それじゃあ、自力で故郷を救える立場に立つ方法でも思いついたんだな。おめでとう!」

「無いよ! 分かってて言ってるんだろう!」

 二号は半べそ状態である……そこまで葛藤するのかと俺が第三者なら思うだろう。そこまで葛藤するほど嫌なんだよ。

「分かってて言ってるんだよ」


「僅かな言葉のやり取りで相手が泣くまで追い込むなんて……ハァ……ハァ」

「黙っていろ!」

 俺と二号の魂の叫びが炸裂する。


「僕がこの場にいても、何の力にもなれそうも無いぞ」

「俺だってあの変態の前では、常識がそうであるように無力だ。だから誰かが居てくれるだけでも少しは気持ちが違うんだよ……くそ、せめて俺が童貞でなければ」

「死ぬ気か? あれは童貞じゃなければどうにかなる相手じゃない。女に慣れるのと変態に慣れるのは全く別の問題だ」

 畜生、このイケメンは童貞じゃないんだな。


「ご主人様。そろそろ昼餉には良い頃合だと思うのだが?」

 ドMエロフが背中に抱きつきながら話しかけてくる。

 自分をどうやって追い払おうかと頭を悩ませている俺達に対して、まるで「私はとっくに仲間なんですよ」というあざといアピール……メンタルが強すぎる。二号に少し分けてあげて欲しいくらいだ。


「……やめろ。硬い大胸筋とシックスパックの腹筋をゴリゴリと押し付けるな。嫌な気分になるじゃないか」

 こいつは女の癖にボクサー並みの体脂肪率しかねぇぞ。触れただけで頬が緩んでしまうような女性的な柔らかさが無い。

「うっ……容赦の無い言葉責め……」

「言葉責めじゃねぇ、純然たる事実の指摘だ。それが責めになるならお前自身に問題がある。大体胸がねぇ事を気にしてるならもう少し太れ。もしもお前の胸に成長の余地があったとしても、その体形では絶対に育たない。水も肥料もやらずに種が芽吹くか?」

「なんと! 太れば胸が大きくなると?」

 驚きの表情でマントの上から自分の胸を触る。しかし、その指は一ミリたりとも沈み込むような動きを見せなかった。


「そもそも女の胸についているのは筋肉じゃなく脂肪だ。無駄な脂肪が一切無いお前の身体には胸が大きくなるための基礎がない」

「そんな事を言われても、我々エルフにとって太るのは難しいんだが……」

「限度があるわ! 女のエルフが全員お前みたいに骨と皮と筋肉と筋肉だけだったら、エルフなんて種族はとっくに滅んでいる」

 あっ「筋肉」が一個足りなかったな。


「いや……その、私は食が細いので……どうしても他の女達と比べても痩せてしまうんだ」

「そうか、食が細いのか──ふざけるな! 朝っぱらからオーガの掌の様なステーキを注文しておいて食が細いはずねぇだろう! 舐めてんのか?」

 嘘を吐くにもほどがある。


「他のエルフなら、あの程度のステーキなら三枚以上は頼むだろうが、私ではどう頑張っても精々二枚が限界だ」

「食い過ぎだ! お前らエルフはオークを食い尽くすつもりなのか?」

「そんな事を言われても、我々が使う精霊術は体力勝負だから、しっかり食べないと栄養失調で倒れてしまうから仕方が無いんだ」

 精霊術? 朝、こいつが俺に向かって使おうとしていたのは精霊魔法ではなく精霊術と呼ぶのか。


「体力? 魔力ではないのか?」

「魔力は魔法を使うためのもので、精霊に協力を求めるのには魔力は必要ない。術の行使の代償として精霊に精気を与える。その為には体力が必要なので文字通り精の付く物を食べなければならない。本当にご主人様はエルフの事を知らないの……もしかして、これもプレイの一種……お前などに興味など無いという態度で私を……クゥ……」

 殴りたい。殴りたいが殴ったら、こいつは悦び更なる変態への道を切り開いてしまうだけだと思うと怖くて手が出せない。

 大島先生! 先生の『分からん奴は殴れ。殴っても分からない奴は、分かるまで殴れ』という尊い教えが通用しない怪物がいます。


 しかし、エルフという生き物が俺のファンタジー知識とは全く違う習性を持つという事が分かった。この世界は、現実世界の創作物であるファンタジーとは似ていながらも、こうまでも違うとは……あれ?

「ちょっと待て! だったら何でミーアはあんなに胸や尻が凄いんだ?」

「姉さんは私よりもずっと少食だから精霊術を使えば命に関わるんだ……だから……姉さんは誰よりも精霊に愛されていたのに……あんな胸に、あんな胸にぃぃ……裏切り者ぉぉっ!」


 先ほどの「そういうのも」っていうのはこの事で、そして精霊を使役出来ないが故に魔法に精通し『魔女』と呼ばれるまでになったという訳なのか。


「だったら、お前も精霊術とやらの使用を控えれば良いだろう? もしかしたらミーアに負けないくらい胸が育つかもしれないんじゃないか?」

「! ……そ、それだ! 凄い。流石は我がご主人様だ!」

 いや、俺はお前のご主人様じゃないし、むしろこんな事にも気づかなかったお前にビックリだよ。


「だったら、ミーアの元で魔法を教えてもらいながら胸を育てる努力をしろ。今のお前には巨乳好きの俺の奴隷になる資格は無い!」

 そうだ、どんなに胸が大きくなる素養があったとしても、幾ら頑張ったとしても、虚乳が巨乳になるには数年はかかるはずだ。

 そして数年の猶予があるなら、俺は他の大陸にだって渡る事が出来る……完璧だ。


「分かった。必ずご主人様に相応しい巨乳メス奴隷になってみせる。だから待っていて欲しい」

「分かった。待っているから頑張るんだ」

 はっはっはっはっ! 怖いぞ自分が怖いぞ。ああ怖い怖い……何かとんでもないフラグを立ててしまったようで怖い。

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