第61話

 街道から西へ百メートル以上奥の森の中を、北に延びる街道と並行して北上する。

 猿(ましら)の如く枝から枝へ、木から木へ跳躍を繰り返して移動を続ける。このペースで距離を稼げば、もしエロフが北への道を選んで追って来たとしても、王都に着くまでは追いつかれることは無いだろう。


 万一、途中で諦めずに王都まで追って来るような事があったとしても、王都と呼ばれるくらいだから広くて人口も多いだろうし、俺が目立たないように大人しくしていれば見つかる可能性は高いはずだ。


 そもそも、エロフだって暫くすれば頭に上った血も引くはずだし、何時までも執拗に追って来るほど人生が暇ばかりではないだろう。。

 それにあのエロフの性格を考えれば、遠からず別の奴にえぐれ胸をからかわれて刃傷沙汰になって御用になる可能性も高い。

 是非そうなって俺の事を忘れて牢屋にぶち込まれて欲しいものだ。


 それでも休まずに百キロメートル以上の距離を稼いだのは、森を移動中に誰かに見られているかのような気配を感じ続けたためだ。

 それを振り切るように移動し続けた結果である。はっきり言って百キロメートルを半日で移動した方法を二号にどう説明したら良いのか困る。



 領境を越えてクロンバス領のトリムという街に今日の宿を定めた。

 ちなみに今回は街に入る門の近くで二号を【所持アイテム】身体した後に、起こさずに肩に担いだ状況で街の中に入ったので、宿のチェックインも面倒な手続きをせずに普通に二人部屋を借りた。


「此処は誰? 私は何処?」

 今いる場所がトリムだと説明すると、二号はいい感じに混乱した。

 寝て起きたと思ったら既に昼前で、しかも遥か遠く離れた場所にいると知ったら、そうなっても無理も無いだろう。



「冷静になれ!」

 二号の頬を往復で張る。

「痛いじゃないか!」

「痛くしてるんだ。二日連続で寝くさって人に運んでもらって迷惑掛けて、何をボケてるんだ」

 一方的に責任を押し付ける……まさに非道。

「す、すまない」

 何だかんだ言っても育ちの良い坊ちゃんなので素直に謝ってしまう。


「それでだ、王都に関す事を教えてもらいたい」

「王都? ……今このタイミングで?」

 このタイミングもなにも、結局俺は二号から必要な情報を引き出す機会は今が初めてだし、もし、この後で問題が発生するようなら、再び二号を【所持アイテム】の中に収納して、俺は一気に王都まで出るつもりだから、これが王都に入る前の最初で最後かもしれない機会なんだ。

「良いから話せ」

「わかったよ……」


 王都レマゴープは、ラグス・ダタルナーグ王国の政治の中心……つまり経済の中心とは言えないそうだ。経済的発展では北と東にある港を備えた商都と呼ばれる街の方が上らしい。


 しかし、それらと整備された街道で繋がっている王都の繁栄は華々しく、人口、文化面などでは商都を圧倒している。

 などと概略を教えてもらった上で、次は質問タイムだ。


「図書館のように本を閲覧する事は出来るか」

「図書館? 何それ?」

 畜生! 所詮は現実の中世レベル社会だけあって、知識の広い範囲への公開などという発想自体存在しないようだ。


「それじゃあ、色々な本を閲覧できる場所は無いか?」

「僕が通っていた学院になら書庫があったけど、生徒や関係者以外は学院に入る事も出来ないよ」

「生徒、または関係者になる方法は?」

「生徒の資格は貴族または貴族の子弟だけ……たしか推薦があれば平民でも入学が可能だったと」

「推薦は誰から受けられる?」

「いわゆる大貴族、有力諸侯だよ。君のせいで勘当されてなければ父からなら推薦を貰えたかも知れないけどね!」

 既に手遅れだったよ。


「関係者になる方法は?」

「関係者といっても、書庫に立ち入りが認められるのは教員や事務員、もしくは卒業生くらいだよ。入学資格以上に条件は厳しいと思うよ」

 ……まあ良い。いざとなったら無断で侵入して本を読み漁れば良い。むしろそちらの方が手間が少なくて楽だろう。


「あとは魔法について教えてくれる人物に伝は無いか?」

「僕が面識がある範囲なら、全て学院の教員になってしまうけど、王都には魔法使いの私塾が幾つかあったはずだからそちらを当たってみるといい……ところで何故魔法を?」


「一応適正があるみたいだから、何とか使えるレベルにしたいんだ」

「そうか……君は才能に溢れているんだね……それに比べて僕は……」

「駄目な子だったのか?」

「失礼な。これでも僕は学院を片手の指で数えられる優秀な成績で卒業しているんだ! ……だけどそれが何の役にも立たないんだ」

 ……ものは言いようという奴である。一位の人間なら一位というだろう。二位の人間なら主席を争ったというだろう。三位の人間なら三本の指に入ると表現するはずだ。


「なぁ……五番目なら五番目の成績で卒業したと分かりやすく伝えろよ」

「放っておいてくれよ!」

 逆ギレかよ。確かに地元自慢で日本何大都市と言う言葉を口にする人間がいる。いわゆる三大都市という括りにはいろんな解釈があり東京を別格として外したり、横浜は東京の衛星都市として東京の都市圏として外したり、勝手に福岡が混じろうとしたりと様々だが、人口順に考えて東京・横浜・大阪・名古屋の順になる。


 そして二大都市と口にするのは勘違いした大阪の人間であり、三大都市というのは勘違いした名古屋の人間か、もっと勘違いした福岡の人間。

 本来、そんな括りなど無いのに四大都市と口にするのは、勘違いはして無いが地元自慢をしたい名古屋の人間であり、五大都市なら人口的にみれば札幌、そして歴史的には絶対に外せない京都あたりだろう。

 ちなみにこの辺になると何故か福岡の人間は札幌や京都よりもずっと上だと信じているので割り込んでは来ない。

 ともかく必ず揉めるデリケートな話題だ。


「すまない。事実とはいえデリカシーに欠けていた」

「嫌な奴だね。本当に嫌な奴だね君は!」

「一度でも俺の事を良い人だと思った事も無い奴が、今更連呼するなよ……それでだ。一生懸命努力して優秀と呼ばれるようなり、良い成績で学院も卒業しました。さあ故郷であるミガヤ領を良くする為に頑張るぞと意気込んだものの、学んだお勉強は実際には何も役には立ってくれなくて自信喪失状態になり、ついでに俺の事が妬ましいという事だな」

「僕の半生をそんなにあっさり短くまとめないでくれ」

 だったらもっと波乱万丈な人生を送って見せろ。


「要点をむき出しにしてから考えないと物事は解決しない……確認するが優秀な成績で卒業したからといって、既に勘当されて貴族の立場を失ったお前には、今更役人として出世して権力を持つという道は無いのか?」

「いや、そうとは言えない。平民出身でも役人にはなれるし学院の卒業資格があれば、無試験で役人に採用される事が出来る。ただし出世は貴族位を持つ者に比べれば早くは無いだろう……幸いなのが実家が権門とは呼べないので、実家が僕を勘当した事を問題視する事は無いって事だね」

 嫌な幸いである。


「だが優秀ならば、能力相応に出世も早まるのだろう?」

「確かに平民でも優秀なら、出世は早い。しかし上限がある。ある一定上の役職になるためには優秀さだけではなく、属した派閥の力関係や運が大きくものをいう」

「だが突出した優秀さを示せばその限りでは無いだろう?」

「高々五番目の成績でしか卒業出来なかった秀才どまりの僕が、突出しているとでも?」


「他に……そうだな軍人として出世するという方法は無いか?」

「可能だな。南方ではリートヌルブとの戦いが続いているので軍人が功績を立てるチャンスはある……」

「だが軍人として大成するほどの力があると自分でも思えないわけだな」


 確かに、貴族としての嗜みなのかそこそこ剣の腕は立ちそうだが、戦場で剣は無いだろう。槍術・弓術・馬術が必要となる。

「槍や弓、それに馬の扱いはどうなんだ?」

「弓はともかく槍はまったく……馬は、たしなみ程度に普通に乗って走らせる事は出来るけど戦場で活躍できるというレベルではないよ」

 後は商人として大成して財力を得て……という可能性もあるが、良くも悪くも真っ直ぐなお坊ちゃん過ぎるので向いてない。

 このままだと本当に第一部完で、第二部来世編に突入しないとどうにもなら無い気がする。


 ……使ってみるかパーティーシステム。レベルアップで知力・体力・時の運……時の運は関係ない。更には精神面も『まるで別人』のようにタフに仕上げたら、十分いけるんじゃない? と他人事なので軽く考えた。

 ある程度レベルが上がったら、パーティーから外せば良いだけだし……いや、パーティーから外した後でもレベルアップの恩恵が残るかは分からないか、でも一度レベル十くらいまでパワーレベリングで上げてやってから一度、パーティーから外してみれば確認は出来るな。


「よし、明日試してみたい事があるから今日はしっかりと休め」

「今から寝たら、また夜眠れなくなるから嫌だよ」



 宿を出て二号とは別行動を取る。この街でも不審に思われない範囲で、オークの死体とオーガの角を現金化した。

 しかし【所持アイテム】内の在庫は増えている。今日は森の中を移動したので大猟だったためで、レベルも一つ上がって五十四になった。

 【所持アイテム】の容量が無限ということは無いだろう……本当に無いよね? ……なので必ず限界が来るはずだ。そうなる前に大量の魔物の死体を売却する方法を探すか、処分する方法を探す必要がある。何せあの火龍の巨体まで入ってるんだ。それらを適当に捨てたら腐って疫病が発生しかねない。


 それはさておき懐が暖まったところで魔道具屋を探す。

 昨日購入した初心者向けの魔法や魔法陣関連の本は、既に読破し内容を全て頭の中に叩き込んだので、何なら売却してもう少し高度な内容に触れる本を買いたいし、他に良さそうな魔法道具もあれば仕入れたいからだ。


 屋台でタコスというかブリトーというか、現実世界にもあるデザート系じゃない肉や野菜の入ったクレープ的なものを買うついでに聞いた魔道具屋へと食べ歩きしながら向かう。

 日本人、特に田舎の人間は祭りの時以外は食べ歩きをしないから、変な感じなのだが周りが普通に食べながら歩いているので、自分もやってみたのだが中々悪くない気分だった。


「この角を曲がって……」

 角を曲がって見えた看板に、反射的に飛び退いて曲がった角を戻って身を隠す。

 俺は見てしまった。店の看板に『道具屋 グラストの店』とはっきりと店名が刻まれているのを……何それ怖い!

 落ち着け、落ち着くんだ。そうだチェーン店なんだよ。そうに違いないと自分に言い聞かせつつも、不安なので周辺マップで店内にミーアがいない事を確認しようとするが……

「表示不可能領域?」


 もう一度周辺マップを確認するが、やはり店の中は『表示対象外領域』の文字以外は真っ黒に塗りつぶされている。

「表示不可能領域ではなく、表示対象外領域だと?」

 『表示対象外領域』の文字に意識を集中してみる。すると更に情報が表示された。


 『強度二百オーバーの魔法障壁が張られています。レベルを六十以上に上げる事でマップ機能が強化されると、強度三百までの魔法障壁を無効化してマップ内での表示、検索の対象とすることが可能になります』

 驚きの新事実、マップ機能は絶対ではなかったのか。魔法でもシステムメニューの機能に影響を与える事が出来るということだ。これは厄介だな──


「やあ、また会ったね」

 考え事に気を取られて背後への接近を許しただと? しかも相手は──

「エロフ! 何故ここに?」

「エロフ? エルフだよ間違えないでくれ」

 笑顔でそう答える。しかしその笑顔には粘りつくような妖しい情念が潜んでいるように思える。


「どうしてここが分かった?」

「知り合いから君が、リューが王都を目指していると聞いてね」

 名前まで知ってるだと?馬鹿な、大体俺が王都を目指しているなんて知っているのは二号だけだが、どうやって接触した? ……いや違う。ミーアも知っているはずだ。

 俺の容姿は、この世界ではかなり珍しい様だから、黒髪に黒い瞳と言えば直ぐに俺のことだとミーアには分かるだろう。


「……ミーアと知り合いなのか?」

「……ああ」

 エロフはしまったという風に口元に手をやりながら答えた。

 あのアマ、顧客の情報を簡単に流しやがって許さんぞ。


「しかし、この距離をどうやって?」

「ユニコーンならこの程度の距離は一時間もあれば駆け抜けてくれるよ」

 ゆ、ユニコーンだと……清らから乙女しか背に乗せないという聖獣が?

「こんなドMを乗せるなんて、どんな変態ユニコーンだ!」

 理不尽さに震える俺の怒りの声に、エロフはビクッと身体を震わせると頬を紅く染める……こ、こいつ悦んでやがる。

 クールビューティーと勘違いしてしまうほど、整った美しい顔立ちとのギャップが激しすぎる。


「い、いいね、君の罵声は心と身体の置くまで響くぅ」

 語尾を色っぽく伸ばすな変態め……そう思っても口には出さない。それは悦ばせる事にしかならないから。


「だが、俺を殺すんじゃなかったのか?」

「もう良いんだ。君になら何を言われても、だから私の薄い胸を好きなように罵倒してくれ……さあ」

 さあじゃねぇ! こ、怖い。何だこの言い知れぬ、俺の全く知らない異質な恐怖は?


「リュー様。こんなところで道草などせずにどうぞこちらへ」

 背後からミーアだと。これでは北の狼、南の虎。そう生き別れになった兄弟がそれぞれの異なる人生を送り、互いにプロ野球の選手となり……ちゃうねん。前門の虎、後門の狼だ。

 そんな現実逃避をしている間に、俺は店へと連れ込まれてしまった。



 この二人がどうやってトリムで俺を待ち構えていたのか分からない。

 エロフの方は、ミーアから俺が王都へと向かっている事を知って変態ユニコーンで先回りしたとしても、俺がこの街に今夜の宿を求めるかどうかなんて分かるはずが無い。むしろ俺の移動速度を知らなければもっと手前の街で待ち構えるべきだろうし、もしも俺の移動速度を何らかの方法で知ったとするなら、この街を越えてもっと先へと向かっている事を考えなければならない。

 ここでピンポイントで待ち構えていたという事は、俺の移動する位置をリアルタイムで知っていたと考えるべきだろう。

 すると……


「もしかして、昨日俺に何か仕掛けたのか?」

 ミーアにそう尋ねた。

「そんなお客様である貴方に、そのような失礼な行いは決していたしません」

「その割には、このエロフに俺が王都へと行こうとしている事を話したな」


 ミーアはゆっくりと俺から目を逸らすとエロフに向き直り、彼女を見つめながら少し厚めで色気に満ちた形の良い唇の口角をキュっと上に吊り上げる。

「アエラ……内緒って言ったわよね、私」

「ご、ごめん姉さん」

 ……姉さん? 二人を見る限り共通点は無いというよりも、むしろ正反対の外見をしている。髪の色、瞳の色、顔立ち。どちらも美しいが方向性がまるで違っている。

 もしかしたらミーアの髪に隠れた耳はエルフのものなのかもしれないが、彼女はイメージ的にダークの方のエルフだろう。特に胸などは……それ以上胸に関して触れるのは止めておく、もう懲りたから。

 多分血縁の意味での「姉さん」ではなく。年上の知り合いとか、または「姐さん」的な意味なのだろう。そうに違いない。遺伝子がこうも不公平なはずが無いのだ。


「でも姉さんから聞いたのだろうと言われたら、言い逃れが出来なくて」

「アエラは昔から誤魔化すのが下手よね。女は上手な嘘が吐けなければ駄目なのよ」

 あんたは何人男を騙して手玉に取ってきたんだ? 勿論怖くて口に出しては聞けない。


「そっちの都合はともかく俺の質問に答えてくれ……ただし上手な嘘とやらは止めてくれ」

「分かりました。私がリュー様にお渡しした品や、リュー様の身体に何かを仕掛けたということはございません。リュー様がそのようにお疑いになった原因は、私達エルフが持つ特殊能力の結果です」


「特殊能力?」

「はい、私達は森の精霊達との交信を行う事が出来るので、彼等から森の中を移動するリュー様の場所を知ることが出来たのです」

 取ってつけた様でもありながらも、否定するには説得力のあり過ぎる話だ。


「分かった、そっちのエロフがこの街で待ち伏せできたのは理解できた。だが何であんたまでこの街にいる。しかも店ごと」

 そうだ店ごとだ。間違いなくこの店の中は昨日トリムにあった店の中と全く同じだった。

 特徴的な壁や床の木目の形と位置が一致するのはざっと見ただけでも十箇所以上はある。

「困ったわ。幾らリュー様でも、そんな大事な乙女の秘密は……」

 俺は笑わなかった。腹筋を極限まで酷使し噴出さなかった。そして表情一つ変えずに耐えた。多分瞳孔は少しくらいは開いたかもしれないが耐えきった。

 だから、胸の奥でそっと呟かせてくれ……乙女はねぇよっ!


「それなら結構だ」

「それでも、リュー様がどうしてもお聞きになりたいとおっしゃるならば、教えて差し上げますわ……その代わり責任を──」

「結構です!」

 そう言い捨てると、エロフに向き直り「説明して」と言った。

「この店のある空間は、幾つもの町にある店舗の扉とつなげる事で、一つの店舗で幾つもの町に店を開いています」

 エロフがあっさりと答えると、ミーアの口から悲し気な溜息が漏れる……でもそれって、おフランスな香りのする、某有名アニメ映画、魔法使いの動く自宅と一緒だろ。

 それにしても遠く離れた場所と出入り口を繋げるって、魔法ってどれだけ凄いんだよ? 魔術の意味ないジャン。


「だがそれなら、ユニコーンで移動しなくても良かったんじゃないか?」

「それは──」

「アエラ。少し黙ってて欲しいのだけど?」

 答えはエロフの後ろから伸びて来た、両手によって封じられた。

「妹に言わせるなんてひどい方ですね。でも自分に惚れている女性の好意に甘えると高くつきますわよ」

 エロフの口を塞ぎ首を絞めながら、流し目をくれつつ口にしたミーアの言葉にぞっとする……確かにこのやり方は、自分の首を絞めるのに等しい。責任を取る気なんて無いんだから、もう使わないでおこう。

 ちなみにドMのエロフの方は、口を塞がれ首を絞められるという悦びそうなシチュエーションなのに、物足りなそうな表情で、視線は俺をロックオンしている。


「……了解した」

 苦い唾を飲み込みながら答える俺に、ミーアは清楚な少女の様にさえ見える面(おもて)に、男を手玉に取る娼婦の様な妖艶な笑みを浮かべて「それはよろしゅうございます」と小さく頷いた……女怖い。

 もう止めて。これがトラウマになって男色に転んだらどうするんだ?

「責任をとってノーマルの戻して差し上げますわ」

「!」

 いや、今回俺は何も口に出してはいない。表情に出していたのか……いや、そんな具体的かつ詳細に感情を伝える表情って何だ? という事は……

「……心を読んだのか?」

「はい、リュー様の心の水面に生まれた波紋の如き、揺れた思いの波を」

「だから、いつもこちらの動揺を誘うような言動を繰り返すのか……この魔女め」


「昔、そんな風に呼ばれていた頃もありました……」

 ミーアの美貌に影が差す。遠い悲しい思い出を思い返しているかのように……つうか昔かよ! 流石エルフ、一体何歳なんだよ?

「酷いですわ。女性に歳を問いかけるなんて」

 人の心を読むのは酷くないのかよ。

「…………」

「それはスルーか!?」

「私、魔女ですから」

 それは関係ないだろ。


「リュー様は今日は何をお求めに、こちらへ?」

「別に連れ込まれただけで、この店に用があったわけではない」

「でもリューは、魔道具屋の場所を尋ねながら歩いていたようだが?」

 このエロフめ! 口が軽過ぎる。思いついたタイムリーな話を垂れ流すな。


「別にこの店を探していた訳ではない、むしろ別の店を探していた」

「酷いです。酷いですわリュー様。もう他のお店に浮気なさるなんて……」

「この店のカラクリを知らない俺が、この街でこの店を探すと思う方がどうにかしている。それに他の店にどんな商品が並んでいるのか確認するのは、魔道具に興味を持っているなら当然の事だ。何か問題でもあるか?」

 理尽くで封殺する。これ以上ミーアのペースに乗せられて心を読まれるのは面白くない……それに今回は小芝居が入りすぎていてぐっとも来ない。


「申し訳ありません……」

 そう素直に謝られると拍子抜けな……

「今回の失敗を糧に、リュー様をもっとぐっとさせられるように研鑽いたします」

 また考えてる事を読まれてんじゃねぇかよ!


「……と、ともかくだ。今のところは冷やかし程度にしか魔道具屋には用事が無い。あるとしたら魔法や魔法陣関連のより上級の内容に触れた本があれば嬉しいって事くらいだが、それもまだ魔力操作で躓いている段階だから、急ぎで必要としているわけでもない」

「リュー様。冷やかしなら当店でも可能ですわ。むしろ品揃えに関しては何処の店にも負けないと自負しております」

 俺は店を冷やかしたいのであって、店で弄られたいわけではない。


「代金の方は先日と同じ方法でお支払いいただければ、取って置きの商品をご用意させていただきます」

 それは美味しい。俺的にはほとんどデメリットは無く、一般的な宿屋に泊まり続ける生活を十年は続けられるだけの金が手に入ってくる。

 本当に美味しい。美味し過ぎる美味い話でむしろ気に入らない。

 美味しい話を当然と受け止められるほど、自分が運命に愛されてはいない事をよく知っている。何かとんでもない裏があるのではと思うと、寝ても立ってもそれが頭から離れる事は無いだろう……何度も言うが気が小さいのだ。


「やめておこう──」

「めったに入手できない最高品質の魔法陣用のインクが用意できたのですが……残念ですわ」

 こちらの欲しいものを先回りで用意して、それを要求の代価にする。

 何てズルイ……だが一つ納得の出来ないことがある。めったに入手出来ないならば、何故昨日の今日で用意出来たのかだ。

 偶然……それは余りに都合が良すぎる。可能性は無いわけでは無いだろうが、はいそうですかと受け入れるには無理がある。

 ブラフ・嘘……そんなものは入手しておらず、俺を引き止めるための張ったり、もしくは入手が困難であるという事自体が嘘だという可能性だが、この魔女がそんな安っぽい真似をするだろうか?

 そして最後の可能性は──


「その最高級のインクというのは他所から仕入れたものではなく、ミーア。あんたが自分で作ったのだろう?」

 そう、昨日購入した『初めての魔法陣』にもインクの作り方が書かれており、しかも別段高度な技術を必要とするものではなく、ただの作業であり、インク作りに使う多種多様な材料を揃える事が出来るなら俺だって自分で作れる程度のものだ。


 そしてこの魔道具屋なら最初から材料は揃っていた筈だ……そう、インクのグレードを最高級にまで引き上げるための材料以外は──

「参りましたわ。リュー様がご想像の通り、その材料とは先日リュー様が魔力を込めた星石を砕き、胡粉の如き細やかな粉にしたものです」

 そこまで俺の考えはたどり着いてはいなかったのだが、まあ良しとしよう。


「つまり俺が欲しいと思ったなら、今後入手が不可能という物ではないということだな」

「はい、リュー様が星石に魔力を注ぎ込んで下さるのなら、翌日までにはご用意できます」

「ならば、俺も今すぐに魔法陣を使えるようになるという訳でも無いし、それに何とか使えるようになったとしても、暫くは練習や研究目的でしか書く事は無いだろうから普通のインクで十分だから最高級のインクとやらは今は必要ない」

「そんな事はおっしゃらずに、今日もお願いしますリュー様」

 そう言いながら、昨日のよりもずっと大きな星石をテーブルの下から取り出してきた。


 昨日の星石は握りこぶし程度だったが、今回の星石は両の掌の上一杯に鎮座していて、重さは3倍、いや5倍はありそうだ。

「別に俺が魔力を込めなくても問題なくやってきたんだろう。今まで通りと思えば良いじゃないか?」

「単に魔力の量の問題ではなく、リュー様の魔法は本当に質が良いのです。普通の方なら魔力を込める段階でとても強い負荷をかけて押し込める為に魔力に歪みが出て劣化がありますが、リュー様のように大きな魔力の器を持つ方の場合は、ほとんど負荷をかけずに魔力を流し込むように星石に注入するため劣化が無いのです。その質の良い魔力を込められた星石こそが、様々な魔道具作成には貴重な素材となり得ます」

 何と無くだが「残念ですわ」で簡単に流してしまうのを予想していたのだが、思いがけず必死に食い下がってくる。


「当然です。リュー様の魔力が注がれた星石にはそれほどの価値があるのです。お望みならば私をリュー様のものに──」

「結構です」

 畜生。せめて童貞でさえなければ、俺は、俺は……こんな妖艶という言葉では言い足りないお色気モンスターを貰ったら必ず身持ちを崩す。セックスとセックスとセックスしか考えられないサル状態になるわ!


「それはとてもそそられる可能性ですね」

「心を読むな! 大体、十四歳の子供相手に何を言っているんだ?」

「……十四歳?」

 ミーアとエロフが、いやエロフ二人が口を揃えて呆然と呟く。


「ああ、俺は十四歳だ。そんな子供相手に、お前達はエルフだから何倍も生きているんだろう? 恥ずかしくないのか?」

 正論をぶちかましてやった。


「十四歳の少年……それは……それでありかもしれませんね」

 不穏当な事を呟くミーア。おまわりさ~ん! 変態はここです。

「私は子供に、縛られ、罵られて……ああ、濡れる……」

 駄目だ、もう俺の手にも警察の手にも自衛隊の手にも負えない。例え地球を救う力を持つヒーローだってこの変態には三舎を避ける(絶対に近寄らない)だろう。

 逃げなきゃ駄目だ、逃げなきゃ駄目だ、逃げなきゃ駄目だ、逃げなきゃ駄目だ!

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