第57話

 此処はリグルト領。ボストルの町である。

 俺はきちんと領境の関所を越えて「一人」ここまでやって来た。「もう一人」がどうなっていたか、いやどうなっているかはまだ俺にも分からない……出してみるまだは。


「連れが後から来るので部屋を二つ頼みたいのだが」

 適当に入った宿の親父にそう声をかける。

「ああ、今ならちょうど一泊六十ネアで晩と朝の二食付。隣り合った二部屋が空いているから、そこにするかい?」

 ネハヘロの宿に比べるとかなり高いが、タケンビニとは同程度の値段だから、相場なのだろう。俺は同意して頷くと前払いで宿代を払った。

「じゃあ、今から部屋を案内させるよ……おーいターラ! お客さんを二階の五号室と六号室に案内してくれ!」


 狭い階段を上って、奥へと廊下を進む。

「こちらが五号室で、そちらが六号室になります。お客様はどちらの部屋をお使いになりますか?」

 俺と同じ年頃で、肩くらいまでの長さの赤毛の女の子が笑顔で案内してくれた……しかし、同じ年頃の女の子はあまり得意ではない。紫村ほどではないが、こちらも笑顔で応じるという砕けた態度は取れないのだった。


「とりあえず、両方確認して気に入った方を使わせてもらうよ」

「分かりました。ではお客様に両方の部屋の鍵をお渡ししますので、ご使用する部屋がお決まりなられたら、使わない方の部屋の鍵を後ほど受付に戻してください」

「分かった……後で出かける時に預けるよ」

「はい。ではごゆっくりお寛ぎください」

 立ち去る彼女の背中を見送った後、手近な5号室の鍵を開けて中に入ると【所持アイテム】の中にあるアイテムのリストを表示する。

「カリル・ミガヤ・カプリウル? ……ああ、そうそう」

 前田二号の正式名称を思い出す事が出来た。貸す貸さないじゃなく借りる借りないだったか……惜しかったな。


「ん?」

 リストの中に二号とは別に『カリルのバックパック』という表示があり、更に下の階層があるようなので開いてみると中には一つのアイテムしか存在しなかった。それは『魔法の収納袋』……いかん、つい「な なにをする きさまらー!」をしてしまいそうになった。


 とりあえず確認してみよう『魔法の収納袋』袋の外見の六倍の体積まで収納出来、かつ二百三十八キログラムまでの重量をゼロにする事が出来る。

 なるほど、二号は重い荷物を背負って十キロ弱の道を走りきったのではなく、ほぼ手ぶらで走って来たわけか……「殺してでも うばいとる」を選択しないように、どうでも良い事を考えて気を散らさずにはいられなかった。

 まあ魔法の収納袋というアイテムが存在する事が分かった事を今は喜ぼうじゃないか。


 二号をベッドの上へ……いや、二度も地面の上に倒れて、服が汚れている事を考えて床の上にアイテムを出すイメージを頭に浮かべながら【所持アイテム】の中から取り出した。


「……うん、呼吸があるし、脈もある……目覚めたら不幸な事に馬鹿になってるかもしれないけど」

 一応、【所持アイテム】内リストでも(生存)という表示があったが、やはり実際に確認しなければ安心が出来なかった。

 ともかく実験は成功したようだ。これによって【所持アイテム】内には命あるものを収納出来ないのではなく、意識があるものを収納出来ないということが証明出来た。


 つまり寝ていたり、気絶した相手は【所持アイテム】内へと収納が可能という事で、その気になれば相手を殺さず誘拐することも簡単に出来るようになった……別に使い途はないよな、今のところは。


 ともかくほっとした。もしも魂などという概念が実際に存在して、それが身体に宿っているかが収納の出来るか否かの判定基準だとすればアウトだったが、やはり魂とか幽霊なんてものは存在せず、意識の有無が判定基準だったようだ。

「後は、脳の機能が正常に働いているかだが……」

 しゃがみ込んで二号の顔を覗き込み寝ているのを確認してから、往復ビンタをプレゼントした。


「うぅっ……ここは?」

 意識を取り戻した……俺は信じていたよ。収納されている間は時間凍結されるだけで【所持アイテム】内の物品は全く劣化しなのだから、二号にも何の問題も無いはずだと……そう、白々しくも自分に言い聞かせた。

 それにしても辛そうだ。一瞬、何か問題があったのかとも考えたが、俺にとっては二号が気絶してから数時間が経過しているが、こいつにとっては、限界が来て気絶した直後に叩き起こされたようなものであり、辛くて当然だと気づいた。

「ここはボストルの宿の部屋だ」

「ボストル? 僕は気絶してたはずなのにいつの間に?」

「感謝しろ。お前が気絶している間に、ここまで連れてきてやったんだからな」

「すまなかった……」

 すごいな俺。悪びれる事も無く都合の悪い事をスルーして息を吸うが如く自然に恩を着せ、あまつさえ謝罪までさせてしまう。


 しかしそんな事をして喜んでいる場合ではない。今朝起きてから何故か頭にこびり付いている『龍を倒す』という目的の為に、この世界の常識を二号から引き出したり、二号の伝を使って魔法について調べる必要がある。

「気にするな。疲れているだろう休んでおけ」

 優しい気遣いを見せてやる……恩に着ろ。恩に着ろ。恩に着ろ。

「ああ悪い。もうかなり時間が過ぎてるはずなのに、走った時の疲労がまだ残っているみたいなので、横になって休ませてもらうよ」

 ……そりゃあ、残っているだろうよ。


「この部屋の鍵を渡しておくから、ちゃんと鍵をかけてから寝るんだ」

 そう告げてから部屋を出る。俺には魔法の収納袋を探しに行くという重要な仕事があるのだ。


「お出かけでしょうか?」

 先ほどの赤毛の女の子が声をかけてきた。

「ああ、6号室の鍵を返しておくから、連れが来たら渡してくれ……それから魔法の物品を扱う店は知らないか?」

「這い承りました鍵をお預かりします。それから魔法道具を扱う店でしたら────楡の木通りの西側の終わりの辺りに『道具屋 グラストの店』という看板の店がございます」

 鍵を受け取りながら店の場所を教えてくれた。


「ありがとう」

「あっ、すいませんがお客様とお連れの方の名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 そう尋ねてきたので「俺がリューで連れがカリル」と告げて宿を出た。


 ボストルの街はその中心を南北に街道が走り、北は王都につながる。

 リトクド領の領都ではないがタケンビニ以上に栄えている。

 しかし、そのまま街道でもある街の中心を走る大通りは幅が広く、大型の馬車が余裕を持ってすれ違える道幅があるために馬車の交通量の割にはスムーズに行き交っている。


「楡の木通りね……エルム街って奴だな」

 大通りから一歩裏に入った町並みも、タケンビニに比べる道路の整備状態も上であり、この街がタケンビニ以上の経済力を持っている事が見て取れる。


 それはミガヤ領の地理的な問題による経済力の低さだけではなく、統治者の無能さが影響していないとは言い切れない気がした。

 去年まで王都で学んでいた二号の目には、それは座視し得ない問題として映ったとしてもおかしくはない。


「これだけの違いを目の当たりにしたら、そりゃあ親兄弟でも切り捨ててでも何とかしたいと思うのか……」

 声に出して噛み締めながら、自分に置き換えて考えてみる……父さんが仕事に対して熱意を失いサボタージュなんてイメージはわいて来ない。

 本当に俺と血が繋がっているのか不安になるくらい真面目で勤勉と言ったイメージが頭に浮かぶだけに、領主なんて立場になったら倒れるまで働きそうだ。多分兄貴も似たようなものだろう。


「ここか……」

 見つけた店は道具屋というよりは洞窟。通りから少し奥まった位置にある小さな入り口。何故か半分開いた扉の向こうに覗く暗く閉ざされ闇が、入るものを拒んでいるかのような雰囲気を醸し出す……いや暴力的に辺りに振り撒いている。

 この場所に留まりたくないとすら思わせる空気。例えるなら大島の居城たる技術科準備室……に比べたら全然平気だわ。


「邪魔するよ」

 暗闇に向けて一言発すると、開いている扉をくぐった。

 次の瞬間、背後で扉が閉まる。

「!」

 思わず構えを取ろうと右足を軽く右後ろに引いた瞬間。周囲が光に包まれた。

 暗闇に順応しようと瞳孔が開いたところをいきなり光で目眩ましとは用意周到だ。これはハメられたのか? するとあの宿屋の少女もグルだったのか?

 そう考えている内に、俺の眼は早くも明暗順応により明るさに適合する──


「いらっしゃいませ」

 店の奥を振り返るとカウンター代わりのテーブル越しに一人の女性の姿があった……び、美人だな。

 見た事の無い神秘的な深く濃い青色の長い髪。それに縁取られた美貌は一目見ただけで俺の心臓を鷲掴みにし、深い海の底から海面を見上げたような色の瞳は、目が合うだけで呼吸を忘れてしまったかのような息苦しさすら覚える。


 その雰囲気から年齢は決して若いとはいえないだろう20代半ば……いや、その歳でこれほど強くの「女」の気を放つ事が出来るのだろうか? 幾ら穴があったら入れたい年頃とはいえ、裸でもない女がテーブル越しに座っているだけで、下半身の一部の血圧の値が危険域の線上でダンスをし始めるなど経験した事がない。


 しかし熟女と言えるような気配はない肌は滑らかなで張りがあり、俺の目にさらされたおとがいからの流れるような首筋のラインを作り上げた肌には艶やかで張りがあり皺一つ無く、10代と言われても疑問に思わないだろう……少女から熟女までのそれぞれの持つ美をより集めたかのような年齢不詳の女。魔性。傾国。そんな言葉が頭の中を過ぎった。


「お姉さんが、グラストさんかい?」

 頭の中で素数を数えながら話しかける……沈まれ、沈まれマイサン。


「お客様。私がそんな男の様な名前をしていると思いますか?」

「……そうは思えないから困ってるんだ」

「私は店の初代オーナーのグラストから数えて四代目となりますミーアと申します」

 口元を押さえてクスクスと笑う姿が、少女のようでありながらヤバイほど色っぽい……本当にヤバイ。円周率を……ボールウェインの4次……そんなの冷静に計算する事が出来る位ならテンパッてねぇよ!


「俺はリュー」

 短くそう答えるのが精一杯だった。

「リュー様ですか……本日はどのような品をお求めでしょうか?」

「魔法の収納袋を探している」

「そうですか。魔法の収納袋なら幾つか在庫がございますのでご説明させて頂きますがよろしいでしょうか?」

「是非とも頼む」

「それではしばし時間を頂きます」


 ミーアは俺に一礼するとバックヤードへと消えた。

 その瞬間、空気が物理的にすら軽くなったような気がして、ゆっくりとため息を吐いた……女に関しては草食系男子以下の光合成水耕栽培系坊やにすぎない俺には厳しすぎる。

 これほど視床下部にある性欲中枢をツンツンされながらも、彼女に対する畏怖すら感じているのだから、俺如きが対抗出来る相手ではない。

 それに会話を繋げるのに必死で、入店時のわざとらしい演出について、文句を言う事すら出来なかったかった。


 店内に置かれた商品に見ながら時間をつぶしていると、程なくミーアが手押しのワゴンに幾つかの箱を載せて店内に戻ってきた。

「お待たせしましたリュー様……どうぞこちらへ」

 ミーアは奥のテーブルの上に五つの箱を並べると、俺にテーブルの席につくように促してきたので、断る理由も無いので……いや、立っていると先に座った彼女の服の広い襟ぐりから胸の谷間が覗けてしまい、下半身が強く自己主張しようとするので喜んで席に着いた。


「こちらが当店で扱う一番小さな魔法の収納袋となります」

 小さな箱から取り出した大きめの巾着袋を、自分の両手の上に広げて差し出してきた。

「このサイズで、外寸に対して八倍の収納が可能となっています」

「重さの軽減はどの程度ですか?」

「魔法の収納袋の重さを打ち消す能力は、袋の中に収める事の出来る水の重さに等しいと言われていますので、この商品ですと八キログラム程度の重さまでは何も入っていない状態の重さを維持できます」


「次は一番週能力の大きなものを見せてもらえますか?」

「はい、こちらになります」

 そう言って彼女が箱から取り出しテーブルの上に広げたのは一辺が一メートル位の大きさの袋だった。

「こちらは外寸に対して六倍の収納能力を持ちます」

 これは実に面白い大きさ。


 袋状なので表と裏の表面積は合わせて二平方メートルだから、半径四十センチメートルの球体とほぼ等しい表面積になる。

 しかし袋の伸縮性などは分からないが同じ表面積の球に比べて体積は減るので、ざっくりと四分の三の体積を入れる事が出来るとする。

 すると半径三十五センチメートルの級の体積に等しくなるんだ。ここで半径三十五センチメートルの球体の体積を求めるのに数学者ならきっちりと計算するだろう。しかし物理学者の僕は級の体積を半径の倍の一辺を持つ正方形の体積の半分とする。すなわちコンマ七メートルの三乗でコンマ一七立方メートルだ。これに魔法の効果である六倍の数字をかけてみれば、驚く事に一立方メートルの体積と、一トンの重さをゼロにする能力があるということになる……つい頭の中で尊敬するローレンス・クラウス教授に説明を任せてしまった。


 ともかくだ。これならオーク程度の大きさの死体を数体程度なら取り出しても問題は無い。更にこの魔法の収納袋の性能を高く吹聴しておけば、オーガの死体をこの収納袋から取り出す振りをしても疑われる事はないだろう。


「値段を教えてもらえますか?」

「この商品は十五万ネアになります」

 ……うん全然足りない。先日クロスボウや何やらを買い込んだために手持ちの金は五万ネアを割り込んでいる。

 だが【所持アイテム】の中には換金可能なオーガの角が大量に入っているので、ここで換金出来なかったとしても……いや駄目か、大量のオーガの角を売りさばいたら余りにも目立つ。

 しかし、他に売れそうな物といえば水龍や火龍の角だが目立つという事に関してはオーガの比じゃないはずだ……アカン!


「残念ながら持ち合わせが足りないので──」

「足りないのならば、リュー様の魔力を売ってはいただけませんか?」

「はい?」

 突然の事に素で答えてしまった。

「はい。リュー様は強い魔力をお持ちのようですから、それをお分けいただければ代金の代わりとさせていただく事も出来ます」

「魔力を分けるとは一体?」

 意味が分からない。確かに【魔力】という項目があるが、それは【筋力】などの値と同じでレベルアップで上昇するが、分け与えて減っても戻るようなものでは無い気がする……まだMPを分けるとかなら分かるのだが、システムメニューにそんな項目は無い。

「これはとても魔力に対する親和性の高い星石と呼ばれる魔石の一種です。専用の魔法陣を通じて魔力を送り込む事でこの中に魔力を蓄積する事が可能なのです」

 つまり、ここで言う魔力は【魔力】=自分の使える魔の力の強度を数値化したものではなく、RPGのマジックポイントに等しい存在ということか。


「なるほど……しかし、どうして俺の魔力が強いと?」

 俺と同じシステムメニューを……いや、他人のステータスを覗けるならそれ以上の何かを持っている可能性もある。

「それは、今のこの店内の明るさが教えてくれています」

「明るさ?」

「はい、店内の照明となる天井に取り付けられている魔道具は、お客様の身体から僅かに流れ出る魔力に応じて光る強さを変えます。普通、魔法使いと呼ばれる方でも店内を薄暗く照らすのが精一杯ですが、リュー様がお入りになってからはまるで外の昼間の明るさの如く魔道具が輝き光を放っています」


 ミーアが口にした「魔法使い」という単語に狂喜するべきなのだろうが、俺は彼女の浮かべた無邪気な少女の様な笑顔に、背筋にゾクリと冷たい何かが走り表情を強張らせる。


「そうか……だが、俺は魔法使いでも何でも無い。魔力を送り込めなどと言われてもどうすれば良いか分からない」

 この店を早く立ち去りたいと、俺の本能が語りかけてくる。空手部入部の時にさえ仕事をしなかった俺の本能がと考えれば、余程の事だ。


 例えどんなに、魔法の収納袋が買いたくても、魔法使いに関する詳しい話を聞きたかったとしても、ここである必要は無い。早くこの店を出るべきなんだ──

「では私が、教えて差し上げます……リュー様」

 俺の意識の外からするりと伸びてきた彼女のたおやかな白い手が、テーブルの上の俺の手を握った……馬鹿な、そんな馬鹿な。

 俺がこうも容易く女相手に手を取られるだと!?


 こんな経験は、去年の学校祭のフォークダンスの時以来……違う、そういう話ではない! 何をテンパっているんだ俺は。

 咄嗟に振り払おうとしたが、手の甲から手首に移動した彼女の手はしっかり俺の手首を捕まえて離れない。


「大丈夫です何も心配はありませんよ」

 そう言って俺の目を覗き込んでくるミーアの瞳に深淵に臨んだが如き闇を垣間見る……駄目だ。これはヤバイ。どうヤバイか説明出来ないが、俺は彼女に対して大島にすら感じた事の無い脅威を覚えている。

 落ち着け、こんな時にこそ落ちつけ。風の無い湖の鏡面の如き水面。時の止まった幽玄なる林の如く平静の心で全てを見て理解し、対処せよ。

 掴まれた手首を内から外へと捻りながら、手の甲で相手の手首の内側を押して更に捻りを加えて手を切る……勿論切断じゃなく柔道とかの外すという意味。

 同時に椅子ごと後方へととんぼを切って逃れた。


「おさわりは止めてもらおう……当方童貞なもので」

 やはり全然平静じゃないようで、情け無い啖呵を切ってしまった。

「あら、素敵ですわ」

 ……こ、これは、今まで俺が感じていた恐怖感は性的に捕食される恐怖だったのか? 冗談ではない。俺の守りたくて守っていた訳ではない、大事どころか燃えないゴミの日に出したくても惜しくない童貞だが、こんな正体不明な女に……こんな美人に……こんなけしからん胸を持った美女に……ゴキュリ……違う。違うんだ。

 俺の……俺の童貞は、北條先生に貰ってもらえたら良いな……って、そんな素敵な妄想をしている場合じゃないわ!


「そんなに警戒なさらなくても、獲って食べたりはしませんよ」

「獲って食われなければ良いってものじゃないよ」

「そうですね……でも、まるで処女のように怯えるリュー様は可愛いですわ」

 ちなみに童貞はvirginの訳語であり、カトリックの修道女に由来する。つまり童貞も処女も同じ意味だ。童貞が処女のように怯えて何が悪い……そう怯えているんだよ俺。


「……そうですね。おさわりも我慢いたしますから試してみませんか? 魔法に関しても多少なら手ほどきもして差し上げられると思いますが」

 魔法の手ほどき……して欲しいです。でもおさわりを我慢しなきゃならないような人は信用出来ない。

 どうする? どうすればいいの俺?


「……分かった。よろしく頼む」

 頼んじゃったよ俺……だって、魔方陣じゃない魔法陣を見てみたかったんだよ。それがどんな風に働くかを知る事が出来たら現実世界始まったな状態になるんだ。俺以外に魔法が使える人間がいなくても、現実世界に魔力が存在するならこれまでの科学とは異なる技術体系が誕生する事になれば、人類はどれほどの恩恵を被る事になろう……なんて立派な事は考えていない。

 ただただ、自分が魔法が使いたいです……安西先生。



「まずは自分の中の魔力を意識してください」

「それは把握出来ていると思う」

 魔術を使った時に、自分の魔力の残量は何と無くだが把握出来ている。連続使用しても微妙にしか減る感覚は無いのだが、それでも感じられるくらいだ。ちなみにそれは腹の減り具合を感じるに等しい感覚だ。


「わかりました。ではその魔力を小さく丸めて一つの塊にしてみてください」

 俺の中の魔力のイメージは心臓が自分の握り拳と同じ位だというならば、その五割増しくらいの直径を持つ球形で、その中でグリングリンと何かが高速で回転していて、場所は胃袋と同じ位置にある。


「すでに一つの塊になっている」

 ついでの詳しい状況も説明する。

「それでは、その魔力の塊を今ある場所から動かすイメージを作ってください」

「分かった」

 魔力の塊を胃の位置から心臓に重ねる。すると動脈を通して魔力が身体中に運ばれて行く感じがした。

 その事を説明する。


「まだ収束が甘いようです。もっと強く魔力を……そう一点に絞り込むようにしてみてください」

 言われるがままに意識を魔力の塊に集中して、どんどん圧縮していく。しかしすればするほど魔力の塊の抵抗が強くなる。

 それと同時に店内の明かりが暗くなっていき、最後には完全に闇に閉ざされる。


「……これ以上は無理だ」

 直径二センチメートル程度のイメージまで圧縮する事が出来たが、これ以上は俺の意思の力では抑え込むことが出来ない。はっきりいって今の状況でも長時間維持するのは不可能だろう。

「その状況で魔力が心臓から身体中に流れ出していますか」

「……そ、それは無い」

 受け答えに意識を割くだけで圧縮して塊というよりも玉となった魔力が、反動で弾け飛びそうだ。

「苦しいようでしたら少しずつ……そうですね。魔力が流れ出さない程度にまで力を緩めてください」


 指示に従い、徐々に圧縮しようとする力を弱めていくが一向に魔力が漏れ出す気配は無い。そして魔力が漏れ出して店内に明かりが戻ったのは完全に力を抜いた最初の状態に戻った時であった。

「……つまり、常に魔力の漏れを防ぐように意識する事が大事なのです」

 ……その澄ました顔をベッコリ凹ませてやりたくなる。

「これで、魔力を操作する上での力加減がご理解いただけたと思いますが如何でしょう?」

「ああ、ありがとうな!」

 顔が引き攣り、声が震えるのは隠しようが無かった。


「では準備が出来ました」

 魔法の収納袋を片付けたテーブルの上に一枚の布が敷かれる。その中央には何と無く格好良い紋様の様なものが細かく刻まれた円陣が描かれていた。

 俺はその円陣に意識を集中し細部にわたり全てを記憶する。

「この魔法陣の上に星石を置くので、リュー様は手に移動させた魔力の塊にごく軽く力を加えつつ、一箇所だけに穴を作り搾り出すイメージで星石に魔力を注がれるようお願いします……くれぐれもゆっくりと少しずつ」


 言われたように、掌に重なってはみ出ている魔力の塊を見えない手でゆっくり絞り込んでいくと牛の乳搾りのように細い魔力の線が星石に向かって流れていく。


 魔力を受けた星石はその表面に薄く伸びた魔力を纏うが、次の瞬間、下に敷かれた布に描かれた魔法陣の紋様が輝き始める。

 いや実際に輝いて見えているのではなく、自分の魔力が細やかな紋様に沿って力が活性化しているのを感じているのをイメージとして受け取ったのだ。


 ……分かる。分かるぞ。魔力の流れと各紋様でどんな処理が行われているか、自分の魔力の変化で理解する事が出来る。多分リアルタイムだけでは理解出来なかっただろうが、システムメニューによる時間停止により、各紋様がどんな処理が行われたのかを順番に確認し理解する事で全体の流れが理解出来た事が大きい。


 この魔法陣により基本的な魔法陣の構造というかロジックが理解出来たので、後は特殊な処理や様々な紋様を憶える事で魔法陣の作成が出来るようになるだろう。しかし問題は残っている。何を使ってこの魔法陣を描いているのかが分からないのだ。

 間違いなく普通のインクじゃ駄目だろう。魔力との親和性の高い素材を胡粉にしてインクに混ぜ込み特殊な処理を加えて加工しているのだと思うが、秘術の類はそう簡単に部外者が知り得る事は叶わないだろう。


「リュー様。リュー様! そろそろ星石の容量が、駄目壊れてしまいます!」

 ミーアの声に慌てて魔力放出を止める。しかし彼女が焦るなんて場面を想像すらしていなかったので感無量だ。

「……リュー様。お身体の具合は何か問題ございませんか?」

「いえ、全くありません」

 同程度の星石を後二つ三つ立て続けに容量一杯にまで魔力を満たしても問題ないような気がする……まあ感覚的になので、実際に大丈夫か分からないが、一度自分の限界を知っておく必要も在るかもしれない。


「そうですか……リュー様は私の想像以上に大きな魔力を持っておられるようですね」

 そう言われても基準が分からないから自分の魔力がどの程度か判断できない。

「えっと、魔力の件はこれで良かったのかな?」

「はい。むしろこの石の限界まで魔力を注ぎ込まれるとは思っていなかったので、困りましたわ」

「何がです?」

「約束の魔法の収納袋では、リュー様に差し上げる対価に値しません。他に何かお求めの品はありませんか?」

 欲しい物か、物というよりは知識だなつまり書物。


「魔法や魔法陣に関する書物が欲しい。知っての通り魔力はあっても使い方を知らないから、出来る事なら使えるようになりたい」

「宜しければ私が──」

「今日、明日にも王都へと向かう予定だ……仕事でね」

 仕事でも何でも無いが、そう言っておく。

「残念ですわ……」

 中身が1000年の齢を重ねた魔女だとしても全く驚くに当たらない正体不明な美女が可愛らしくしゅんと項垂れただけで、騙されるなと理性が幾ら忠告を発しても罪悪感が沸いてきてしまうのを抑えきれない。


「そ、それでだ。本を…………ほ、本を……」

 途中でミーアが正面から真っ直ぐ見つめてきたので言葉に詰まってしまった。この程度の眼力を撥ね退けることの出来ない……これが童貞の悲哀というものなのか?


「私と一緒に魔法の勉強をしませんか?」

 勿論NOだ。NO以外ありえない。

「……い、イエ……違う! それは出来ない。男子の一言金鉄の如し。約定は決して違えん」

 俺、立派な事を言ってるけど、最初に何を口走ろうとした? 自分が信じられないって恐ろしいな。

「……そうですか、それはとても残念です。代わりの物を用意しますので暫くお待ちください」

 ガラガラとワゴンを押す音さえ物寂しげに彼女の背中がバックヤードに消えると、再びほっと胸を撫で下ろす。


「こちらを、どうぞご確認ください」

 戻って来た彼女が差し出してきたのは『基礎魔法入門』と『初めての魔法陣』の2冊。題名からして疑いようも無く初心者向けだ。

 この2冊に俺が必要とするレベルの知識が記されているかどうかは分からないが、少なくとも俺が知らない知識を前提に書かれている可能性は無いだろう。

 受け取って中流し読みで確認する。ミーアは俺がどんな内容が記されているか確認している程度だと思っているだろうが、俺はこの流し読みの段階で全ての内容を頭の中に叩き込み、更にシステムメニュー上では【文章ファイル】として何時でも閲覧可能な状態にまとめられている。

 なので「これでは簡単すぎる。もっと高度な内容の本は無いか?」と要求する事も可能かもしれないが、それでは先ほど口にした「魔力はあっても使い方を知らない」という発言と矛盾するので諦めた。


「これを頂きたい」

 一旦、二冊をミーアに返してから告げる。

「ありがとうございます」


「そして、それとは別に魔法陣様のインクは買えるだろうか?」

 『初めての魔法陣』にはインクの製法も記されていたが、作り方は秘術などではなく、高度な技術なども必要なかったが必要とされる材料が多すぎて一から揃えるのは面倒だった。

「インクはこちらにペンと一緒に用意しておりますので、どうぞお持ちになってくださいませ」

 細かい気遣いにやるなと内心唸りながら「感謝する」と頭を下げて、商品を受け取ると店を後にした……もう出来れば関わりあう事が無いようにとフラグっぽい事を願いながら。


 魔道具屋を出ると、今度は宿屋に戻るために変装する必要があるので、ついでに服の予備を増やしておくために衣料品店を探す。

 大通りにまで戻ると、衣料品店は見渡す範囲にもすぐに数店見つかったが、着道楽の趣味は全く無い俺は、何も考えず一番近い店に入った。


 店内は幅広い種類のそろった古着が大体数を占め、新品は帽子やマント。スカーフやショールなどの小物類で、衣服の類は採寸してから作るオーダーメイドがメインで、店に飾れている新品はオーダーメイドを注文する客向けの見本だけだ。

 ネハヘロではオーダーメイドのみの店と古着専門店に分かれていたが、この店は両方取り扱っているので助かる。

 何が助かるのかというと、おしゃれに気を使う人間なら色んな店を幾つも見て周り、自分の気に入る一品を探し出す事を楽しめるのかもしれないが、スポーツウェアと空手着と学校の制服を除けば、ジーンズとTシャツとデニムのシャツにジャケットをそれぞれ着回すような俺にとっては、一つの店で全部揃うに越した事が無いのだから仕方ない。


 とりあえず、顔を隠すための長つばの帽子と口元を隠すためのマフラー。それから予備のマントを新品で購入し、古着の中から前田二号が着ていた服に出来るだけ近い物を探し、ついでに自分の好みの服を数点購入した。しかしローテーションに追加されるのではなく、あくまでも予備だ。何故なら選ぶ服が増えると面倒だから……分かっている自分の駄目っぷりは。このままでは拙いという事もちゃんと分かってるんだ。


 店内の試着室を借りて、変装用の衣服を身に着けて店を出て宿へと戻る。

「いらっしゃ……」

 宿の親父も長つばの帽子を深く被り、マフラーを口元まで巻いた不審人物に言葉を失う。

「連れのリューという男が部屋を取っていると思うのだが?」

「失礼だがお客さんの名前は?」

「……カリルという」

「承りました。ターラ。お客さんだ六号室まで案内してくれ」


 こうして、俺は疑われる事無く宿に泊まることが出来た。

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