第51話 (本編)

「リューありがとう!」

 腹の辺りに抱き着いてくるルーセの腰に両腕を回すとそのまま抱き上げた。

「お父さんとお母さんと……仇を討てた。りゅーのおかげ」

 そのまま、両手で首に抱きついてくる。

「おめでとう。これでやっと──

「あっ!」

「どうした?」

 何か困った様に慌て始めるルーセに尋ねると「……ちょっと用足しに行ってくる」と応えて、手を放して森の中へと向かって走る。

「せめてお花摘みに行くとか言い方があるだろう……」

 勝利の感動台無しだよ!

 だがそんな俺の心の声など知ることも無くルーセは、慌てて長剣を鞘ごと置くと岩山から降りて森の茂みに消えて行った。



「まったくルーセは………………ん、ルーセ? ルーセって……何だ?」

 自分が口にしたルーセという言葉に全く思い当たる節がない。そういえば此処で誰かを待っていたような気がするが、そんな馬鹿な事があるはずがない。この火龍のテリトリーに俺以外の誰が居るというのだ?


「疲れているのか……」

 流石にあんな化け物相手だ。極度の緊張を強いられた。しかも何度もロードし直したのだから疲れないはずが無い……そうだセーブしなければ。


「セーブ実行!」

 一瞬、アナウンスが表示されたが、何故か読み飛ばして実行してしまった。

「あっ! ……まあ良いか」

 何があったかは知らないがもう一度火龍と戦うという選択は無いので、何か問題があったとしてもセーブするのは当然だ……何かに導かれるように俺はそう納得した。


 長剣を収納してから、火龍の体もそのまま収納する。

「そういえば角が高いんだったな……」

 俺は落ちている長剣を収納すると、角を蹴り飛ばした時の状況を思い出しながら飛んでいった方向を思い出し、そちらへ向かって歩きながら、周辺マップ内表示に「火龍の角」で検索をかけてみると四十メートルほど離れた先に反応があった。


「どこまで飛んでるんだよ」

 下手に折れてたら価値も下がりまくりだろうな……といってもすぐに現金化する予定もないし、そもそも金に困ってもいないのだが、つくづく小市民なのだ。

 貰った小遣いはほとんど使う機会が無いので、どんどん貯金してしまうような人間である。

 今の俺にとって自分の金とは、たまに部活帰りにみんなとアイスを買い食いしたりするくらいで、後は預金通帳を開いて眺める数字に過ぎない。

 そのせいで数字が増えていくのが次第にうれしくなってしまったのだ。

 ああ我ながら小さい! セコイ! みっともない! 俺はこんな中学生になりたいなんて思った事は無いのに。


 深々と木の幹に突き刺さり、まるで幹から生えた様になっている火龍の角を引き抜いて収納した。

 コードアの村に戻ると、俺は此処しばらく滞在していた空き家へと向かう。都合良く最近空き家になったばかりで生活するには困る事のない家だった。


「さてと飯は……俺に作れるはずはないから、何処かで……あれ?」

 何故かこの村の飯屋の事が思い出せない。自炊なんて出来ないんだから外食しなければ飯にありつく方法なんてあるはずが無いのにだ……おかしい。そんなことがあるはずがない。

 俺はこの十日程の間に何度も何処かで外食しているはずなのに、の店を思い出せないどころか食事をした記憶が無い。

 幾らなんでも若年性アルツハイマーと呼ぶにも若年過ぎるだろ……ちくしょう、どうして思い出せない?

 自分の身に起こった不可解な事実に、強いストレスを覚えた次の瞬間……いきなりどうでも良い事のように感じられるようになった。

 まだ携帯用の保存食があるから、シチューを作って食べ今日はさっさと寝よう。そう決めると誰も待つ者の居ない空き家へと足を向けた……どうやって俺は保存食をシチューにする事を知ったんだ?


 その夜は、レベルアップで覚えた魔術を確認してから寝た。



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 嬉しそうに俺の顔を舐めるマルを左腕で抱きしめ、空いた右手で頭から首筋、そして背中までを何度も往復させて撫でて落ち着かせる。


「ルーセ……」

 いきなり彼女の事が頭の中に思い浮かぶ。

 どうしてだ? 何故俺はルーセの事を忘れたんだ。

 いやそれだけではない。俺はルーセを忘れただけではなく、ルーセの存在が無い事で起こる矛盾に直面する度に、まるで何者かが吹き込んだ嘘の様な思いつきに従っていた。

 つまり、何者かが俺の記憶や意識に介入してルーセの存在を消そうとした。

 一体何者が? いやそれよりもルーセはどうなったんだ?


 まずルーセが居なくなった原因は何だ? 彼女自身が自分の意思で姿を消したか、それとも何者かに連れ去られただ……マルが再び俺の顔を舐め始めたのでシステムメニューを開いて、時間停止状態で考え続行する。


 ルーセが自分の意思で姿を消したとすると、俺の記憶を操作したのもルーセということになるが、どう考えてもルーセに、そんな事が出来るとは思えない。

 それならばルーセは何者かに連れ去られ、その何者かが俺の記憶を操作したと言うことになる。

 つまり俺の記憶を操作したのは、その何者か? そんな真似が出来そうな存在といえば神か悪魔か宇宙人か地底人…………うん、可能性としてはシステムメニューか大地の精霊のどちらかで、そして間違いなく大地の精霊だ。


 俺の記憶や精神を弄ると言えば、前科があるのがシステムメニューだが、ルーセの失踪等に関わる事が出来るとは思えない。

 もしかしたらシステムメニュー自体ではなく、システムメニューを俺に適応させ与えた存在とも考えられるが、それでは今、何故俺がルーセを思い出したのか説明がつかない。

 現実世界でも俺はこうしてシステムメニューの影響下にあるのだから……つまり、遺された可能性は大地の精霊だということになる。


 俺がルーセの記憶を取り戻したのは、目覚めて現実世界に戻ったことで大地の精霊の影響力から脱したためと考えられるし、さらに俺がルーセの事を忘れる直前に、彼女がとった唐突な行動も大地の精霊に操られたと考えれば全て説明がつく……もっとも大地の精霊に俺の記憶や意識を操作する能力があればの話だが、それを否定する材料も無い。


 問題なのは、大地の精霊がこの件の原因だとするならば、俺が異世界に行った時に再びルーセの記憶を奪われる可能性が高い。そうなれば事実の追求どころかルーセを探し出して助けることも出来なくなるという事だ。


 全く面倒な。この貸しは俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶことで返してもらうぞ。無論、実の妹にも呼ばれたこと無いけどな……よし来た。悲しいながらもやる気が出てきた!



「おはよう」

 折角の気持ち良く空の晴れ渡った日曜日だというのに、朝っぱらから部活の練習という名の地獄に赴く、そんな哀れな青春を送っている者達の集う場所へと踏み入った。

「おはようございます」

 下級生達から挨拶が返ってきたので軽くうなずく。紫村が「やあ」と手を上げたので、俺も「よう」と手を軽く上げる。

 櫛木田達の姿が見えない……そう思っていると、後ろから三馬鹿が入ってきた。


「おはようさん」

 そう挨拶する櫛木田の声には覇気が無い。続く田村、伴尾の表情にも全く元気が無かった。


「おはよう……それで、あまり聞きたくも無いがどうした?」

「宗谷さんがいないから」

「空知さんがいないから」

「お姉さん達がいないから」

 やっぱり聞くんじゃなかった。


「そうか……大変だな。まあ頑張れ」

 薄ら寒いほど心のこもっていない台詞を吐いて流した。

「軽く流すなよ! 余裕か? 余裕なのか?」

「ちっ!」

 思わず舌打ちがこぼれる。


「何だよ今の舌打ちは!」

「うるさい。彼女達はお客さんとして昨日一日だけ俺達の練習に参加しただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。俺達と彼女の間には進展するような関係は何処を探しても無いからな」

 そうきっぱりと断言しておく、下手に希望を持ち続ける方が傷口を大きくする。


「そんなこと分かっているさ。俺だって彼女達と親密な仲になりたいなんて大それたことは考えていない」

 まさか分かってたなんて……成長したな櫛木田よ。

「ただ俺達の、空手部という環境に彼女達がいる。それだけが救いだったんだ……」

 分かる。分かりたくないけど俺にも分かってしまうぞ田村。


 俺達を取り巻く環境には精神的な潤いが無い。そんな乾涸びた心を潤す一滴の雫。それが彼女達の存在だったと感じたお前の心は正常だ……正常だけど悲しすぎて涙が出てきそうだよ。


「そう。居てくれるだけでいいんだ。それだけで漂う芳しい汗の匂い。走るたびに揺れる胸。汗にぬれた項に張り付く後れ毛。そしてランニング後の激しい息遣い──げふっ」

 櫛木田が無言で伴尾の右頬を殴りつける。殴り飛ばされた伴尾を受け止めた田村がその鳩尾に膝を三発入れる。


 下級生達は伴尾に目も向けず、素早く着替えると部室を出て行った。

 俺は伴尾のバッグを漁って中から空手着を取り出すと「櫛木田、田村。責任を持ってその馬鹿をパンツ一枚にして格技場へ運べよ」と伝えてから格技場へと向かった。


 大島はパンツ一枚で隅に転がされている伴尾を一瞥すると何も言わずに練習を開始したが、その口元には笑みがあった。そしてその日の奴は間違いなく機嫌は良かった。気絶させられパンツ一枚で放置される伴尾の無様な姿にドS心をくすぐられたと判断して間違いないだろう。


 問題は機嫌が良すぎて、一年生だけではなく二年生の富山と岡本の二人が倒れる大惨事となったことだ……張り切りすぎだ。全く機嫌が良くても悪くても迷惑にしかならない奴だ。


 ちなみにペースメーカー役の櫛木田も足を引きずっている。後輩達を気遣って何度もペースを落とそうとしては大島にケツを蹴られまくったためだ。

 櫛木田のこういう所が後輩達から慕われるのだろう。普段やっていることは田村、伴尾と一緒に三羽ガラスならぬ三馬鹿なのだが櫛木田だけが後輩達からの人気が結構高い……勿論、俺も後輩からは慕われている。慕われているんだ。きっと……



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 目が覚めると、昨晩と同じく携帯保存食で作ったシチューを食べると、荷物をまとめて村を出た……まあ、まとめようにも荷物は全部【所持アイテム】の中に収納して持ち歩いているのだから、実質忘れ物が無いか確認しただけだった。


 コードアからまっすぐ西へと伸びる獣道に毛の生えた程度の狭い道を進む。

 途中、オーガの群れを発見すると襲われるどころかこちらから襲い掛かって狩り、その角を収納していく。肉はともかく皮は一応は金にはなるが結構かさばるので、大型とはいえ背嚢ひとつから何枚も取り出して現金化するのは躊躇われる。

 それにすでに在庫が二十体分ほどたまっているので回収はしなかった。


 ちなみに既に腕力だけならオーガが相手に腕相撲でも勝てるくらいの力はついたと思うが、スケールの差で腕相撲自体が成立しない。

 単に力があるだけでは駄目だ、それを支える体重が必要となる。もっとも大地の精霊の加護でもあれば話は別だが……大地の精霊の加護? 何で俺はそんなことを知っているんだ……まあそんな事どうでも良い、気にするようなことではない。



 オーガ狩りに時間を取られながらも、周りに人目が無かったので自重することなく怪物じみた身体能力を発揮して一時間足らずで二十キロ以上の距離を踏破し、ミガヤ領最大の街であるタケンビニと最北端の村であるアギをつなぐ道への合流地点へと差し掛かる。

 そこから南南西へと向かうと七キロメートル弱でタケンビニであり、全く人通りの無いので再びペースを上げると二十分ほどでタケンビニの街の北門へと何事も無くたどり着いた。



 タケンビニは周囲を四メートルほどの高い城壁に囲まれた城塞都市であり石造りの楼門の前には門番として二人の兵士が立っていた。


「身分証明書を提示しろ」

 流石兵士だ。ネハヘロの自警団とは違ってかなり横柄な上からの態度だな。

 だが俺には上からの偉そうな態度には耐性がある。伊達に時代遅れなまでに上下関係のきつい空手部に居たわけではない。

 多少苛つくような態度をお上にとられても笑顔で対応する程度の腹芸は身につけている。

「はいどうぞ確認をお願いします」

 媚びになら無い程度の笑顔でネハヘロの老役人から貰った身分証明書を取り出して兵士に渡す。やっぱり明らかに媚びられたら逆に警戒されるだろう。


「うむ、確認した。毒などの危険物や禁制の品などは持っておらぬな?」

「もちろんです。荷物の確認をお願いします」

 身分証明書を受け取ると、言われる前にこちらから協力する姿勢を示して、腰に佩いた剣を除けば唯一身に着けている背嚢を地面に下ろして開けて中を見せる。

 中に入っているのは、オークのフグリで出来た巾着袋の財布に入った1000ネア足らずの金と、携帯保存食と鍋などの食事関係のものとと毛布や着替えなどの生活用品。

 それに村を出る前に買った。コードア特産品のオーク肉の燻製品であるベーコンとソーセージ──結構どころかかなりのお気に入りであり、他にもシステムメニューの【所持アイテム】に大量に収納してある──などだけだ。


「問題は無いようだな」

「では通ってもよろしいでしょうか?」

「うむ」

 兵士は納得したようにうなずくと、街へと入る許可をくれた。


 ベーコンやソーセージに熱い視線が注がれていたので、ファンタジーものでありがちな公権を嵩にきた強要を口にするのかとも思ったが、そんな事も無くあっさりとしたものだった……そんなベタな展開がそうそうあってたまるものか。


 役人などに不届き者が居ないわけでは無いだろうが、そんな奴ばかりでは秩序は保たれない。

 まともな奴の方が圧倒的に多いから秩序は保たれる。秩序の崩壊は全体の一割から二割程度まで秩序を無視する人間が増える事で起きる。

 目に見えて不正で利益を得ている人間が大手を振って歩いていれば、まともな人間だって秩序を守ることが馬鹿馬鹿しく思うようになるのも仕方が無い。

 人間は秩序を守る事が結果として自分の利益につながるから守るのであって、自分だけが不利益を被るために守る訳ではないのだ。

 ともかくタケンビニでは一定の秩序は保たれている考えていいだろう。ネハヘロの代官の様な阿呆が入るのだから、あくまでもある一定レベルの秩序ではあるが。



 街の中は人口三万人と田舎町の小都市程度だが、面積の狭い城塞都市での三万人は俺の感覚からはかけ離れた賑わいを見せてくれる。

「ともかく道が狭い」

 思わずそう文句が口を突いて出るほど狭く、そして長い距離を真っすぐ抜けらえれる道も無いのに、ともかく行き交う人の多さに圧倒される。


 狭い道を馬車や人間が絶え間なく流されていく様子は、区分的には地方中核都市と立派な名称を誇らしげに市役所は掲げているが、人口の割りには面積も広い田舎に過ぎず、平日の昼間など市の中心部以外では人とすれ違うことすら余り無い。そんな場所で育った俺には異様ですらあった。


 さて、まだ午前中であり昼飯を食うにはまだ早い。街を見て回るにしても人混みに疲れ目的も無く歩き回る気にはなれない。

 目的があれば良いのだが、必要な物は大体揃っている。武器関係は剣と長剣に槍は持っていて、どれもがメンテナンスフリーの謎クオリティーの逸品であり、それ以上の武器が簡単には手に入らない事ぐらいは、この異世界に関して未だ初心者同然の俺にも分かる。


 そう言えば弓があった筈なんだが……まあ良いや、どうせ俺には使いこなせない。

 クロスボウでもあれば良いのだが……いや現実世界の方ではクロスボウの起源はかなり古く紀元前まで遡れるはずだから、こちらの世界にあっても不思議は無い。


「探してみるか」

 そう気軽に言ってみたものの、まずは店を探すことすら簡単ではない。辛うじて刀剣類を扱う店は見つかったのだが弓の類を扱う店がまた別なのだ。


 この町には『武器関連全般扱ってます!』なんて看板を上げている大型店舗なんて存在しない。

 街角にあるのは小さな店舗兼工房という店構えが大多数を占めており、あれもこれも取り扱うなんて事は不可能。

 当然店で扱う商品は職人の得意とする製品に偏る。

 勿論鍛冶職人が、得意分野以外作れないと言う訳では決して無い。しかし得意分野で勝負しなければ他の職人に勝てる訳も無いのである。。


 俺のクロスボウ探しに対するやる気は時間の経過とともに失われていく。

 この人と人がぶつかり合わずには移動出来ないという状況が俺には無理だ。

 大島を何時如何なる場合にも間合いに入れないように気を配っている俺にとって、見知らぬどころか人種や風習の異なる異世界の人間が自分の間合いを出入りするという状況は非常に堪える……そう、決して俺が田舎者だからとか言う訳じゃなく人混みが嫌いな理由がちゃんとあるんだ。



 そんな訳で大して腹も減っていないのに、流行っていそうも無い小さな定食屋らしき店に入り一息吐く事になった。

「……ご、ご注文は決まりましたか?」

「なにか適当に肉料理を」

 テーブル席の椅子に腰掛けてうなだれていると、まだ五歳くらいの男の子が注文を取りにきたのでメニューも見ずに答えた。


 朝も携帯食をお湯で解いた具なしのシチュー。正確には細かく刻まれた肉や野菜が入っているのだが、スープと一体化しており具としての存在感を放つことは無かった。

 勿論、シチューは美味いのだが、やはりガッツリと肉を食いたくなるのが男子中学生としては当然の事だろう。


「え~と、今は……オークの肩肉の煮込みとコカトリスの腿肉のソテーが出来ます。う~んとオーク肉が五ネアでコカトリスが……九ネアになります」

 大変よく出来ましたと拍手してあげたい。


「じゃあコカトリスを頼むよ」

 コカトリス……水面を二足歩行で走るトカゲの仲間バシリスクの語源となったファンタジー生物バジリスク。

 それと被りまくりで名前以外に区別がつかない超危険ファンタジー生物だ。


 メデューサ・ゴーゴン・バジリスク・コカトリスという石化界の四天王であり知名度は高いコカトリス。

 何でそんなものが普通に、多少高目だが一般的な価格帯で、こんな閑古鳥……いやいや寂れた趣のある店で出てくるんだ?

 しかも何で頼んじゃってるの俺? こんなところでチャレンジャー精神発揮している場合じゃないだろ!


「分かりましたコカトリスですね……あの……その……後一ネアで野菜料理が~追加できますが?」

 ああ、受け付けられちゃったよ……今更、オーダーの変更を口に出来ない自分の性格が憎い。

「それも頼む」

「はいうかたまわりました……うけたまわらま……うぅぅ、十ネアになります」

 上手く言葉が出ずに半泣きで差し出してきた掌の上に銅貨を十枚乗せてやる……この世界の風習にチップが無いのはネハヘロで確認済みだ。


「ありがとうございました」

 男の子は、まだ落ち込んだ様子で頭を下げると、奥に下がり厨房へと注文を告げる。

「お母さん! コカトリスのソテーと野菜料理のセットだよ!」

「は~い!」

 男の子の呼びかけに厨房から女性の返事が返ってくる。まあ普通に考えて親子なんだろう……流石にあんな小さい子供を丁稚奉公はさせないだろう。。


「……う、旨い」

 何だこれは? 肉としては食感、味ともにチキン系だ。だがこんな旨い鳥肉を食ったことがあるだろうか? いや無い! ……まあ、鳥なんて鶏と合鴨くらいしか食ったことは無いけど。


 とにかくオーク肉を食ったとき以上の衝撃だ。まさか食材自体の旨さにこれほどの衝撃を受けることがあるとは……人生は奥深い。

「それに素材の旨さだけではなく料理人の腕も見事だ。素材という塊から料理人が客に食べさせたいと思う、おもてなしの心が作り出す味の理想形がまるで美しき彫刻のように見事に削りだされている!」

 目頭が熱くなるほどの感動。なんてものを食わしてくれたんだ。なんてものを……これは料理人に一言礼を述べなければならない。

「坊や。お母さんを──」

「坊主。母ちゃんを呼びな!」

 店の入り口から発せられた濁声が俺の言葉を遮った。

 一言で言うとチンピラ。二言で言うと雑魚っぽいチンピラ。三言で言うならテンプレ雑魚チンピラ。そんな四人店の中に入ってくる……ベタな展開来たーーーーーっ!


 驚きだ。こんなベッタベタな展開がまさか自分の目の前で繰り広げられることになろうとは……やべぇフィクションの中でしか見たことの無い状況に、オラなんだか緊張してきたぞ。


 どうする隆。此処はテンプレ通りに割って入るのか? それとも人を呼ぶか?

 いや、食事続行だ今は目の前の食事を温かい内に楽しもう。これを冷まして不味くするなんてとんでもない事は俺には出来ない。 何をするにしても、まずは食べ終わってからだ。それまでは梃子でも動かないぞ。


 そう思って気配を殺して食事を続行するが……駄目だ。美味すぎて泣けてきた。

「……美味い。美味すぎる」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 肩を震わせて感動している俺に、「おう兄ちゃん。状況が分かってねぇのか?」と、何やら豚さんが喚いているようだが構っている暇は無い。


「これと言ってスパイスは使われていないのに、この味の調和は……そうかこれが塩梅だ。塩加減ひとつがこの奇跡的なバランスを──」

「何ごちゃごちゃ抜かしてるんだ!」

 目の前の料理が男の腕の一振りでテーブルから吹っ飛んでいく。

「あっ!」

 飛び散る料理たちを俺は目で追いかけるが、まだ2/3以上残していたコカトリスのソテーは皿ごと壁に飛び、白い壁にソースの色と同じ緑色の花を咲かせた。

 ……例え、俺の胃袋の中で消化され消える運命にあった料理とはいえ、こんな残酷な結末を迎えるとは……この目でそれを見ることになろうとは……


「分かったらさっさと出て行け!」

 俺の胸倉を掴みながら喚き散らす豚。その胸倉を掴む右手の人差し指と中指の間に、左手の親指を差込むと一気にへし折る。

 親指の方が簡単に掴めるが折りづらいので普通は人差し指を折るのだが──良く考えれば今の俺の力なら別に手首ごとへし折るのも簡単だ。

 その失敗を忘れなために俺は敢えて手首も折ってやった。


「何でぇぇぇぇっ!?」

 親指を折った後で改めて手首を折られた男は痛みと理不尽さに悲鳴を上げた。


 以前、大島が言っていた。所詮どう言い繕ってもお前達に教えているのは力の振るい方。それだけだ。

 その力が暴力になるかどうかはお前ら次第。自分が必要と思ったならば必要なだけ使うが良いと。

 当時は「それはどうなんだ?」と疑問を感じないわけでもなかったが、今は少し分かる気がする。分かってしまうほど、昨日から度々襲い掛かる不愉快な感覚にストレスが限界だった。


 俺は指を折られて喚く豚の頬を容赦なく掌で張る。

 ただ叩く為ではなく、拳よりも多くのエネルギーを相手に伝えるために振るわれた掌によって、豚の口元からへし折られた歯が飛び散るのも構わず、返す手の甲でもう一撃加える。結果、豚は再び口元から歯を飛び散らせながら白目を剥いて床に崩れ落ちた。


 やりすぎたかな? 料理のあまりの美味さが俺から冷静な判断力を奪ってしまったようで、相手が豚ではなくテンプレ雑魚チンピラという人類の一種だという事に今更気づいた。


 自分が引き起こした惨状にやっちまったと言う思いもある。

 同時にやってしまったものは仕方がないと思う気持ちもある……まるで大島みたいだ俺。

 そんなおぞましい想像も無視出来るほど俺は苛ついていた。



 呪え。職業選択を誤った自分の愚かさを、空気を読めず食事の邪魔をした自分の間抜けさを、そして俺が居る時に、この店に来た間の悪さと、間の悪さと、間の悪さを呪え。吹っ切れた自分の口元がきゅっと上に吊り上るのが分かった。


「な、な、な、何をするんだ!」

 バイオレンスな光景に、驚いたチンピラの一人が喚き出す。この程度の暴力に怯えるとは暴力従事者としてなっていない。

 本当になってない。これは教育が必要なのだろう。そう彼らが憎くてやる訳じゃない。彼らに必要だと思うからやるのである。


 『匙は投げられた』と言うじゃないか、『毒食らわばそれまで』と言うじゃないか、だから諦めて欲しい。

 暴力を生業にして生きてきたお前らにどれほどの根性があるのか教えて欲しい。当然自分が理不尽な暴力によって死ぬ覚悟くらいあるんだろう? もしも無いと言うのなら今ここで教育を施してやるのが功徳というものだよな?


「もう一度料理を作り直してくれ」

 怯えるチンピラを華麗にスルーすると、厨房前のカウンターの上に銅貨十枚を置いて注文する。

「あの、その……でも~」

 料理人である女性──年の頃は二十代前半の、結構美人さんだ──は怯えたようにその場から動けない。


「ああ、そうか……おい。おまえらさっさと帰れ。お前らが邪魔で料理が作れないだろ」

「ふ、ふざけるなこの野郎!」

 固体識別する意味すら感じられないチンピラの一匹がナイフを抜きざまに斬りかかって来た。

 馬鹿だナイフで斬りかかってどうするつもりだ? ……ああ、普通の人間ならそれで正解なのか、空手部の二年生以上なら普通のナイフで斬りかかるより、拳の一撃の方がダメージが大きい。

 ナイフで斬りつけても肉を斬る程度だが俺達の拳は骨を砕く。しかも手加減も自在という優れた武器だ。

 だからもしナイフを武器として使用するならば、突き一択が常識なのだ……我ながら嫌な常識だ。大島は何を考えて俺達にそんな常識を叩き込んだのだろう?


 剣ほど重たいものを振り下ろすわけでも無いのに、大きく振りかぶったナイフを持つ腕の肘を、下から蹴り上げて粉砕する。

 一生障害を負うだろうが、これでこんな物騒な仕事とはおさらば出来るのだから感謝して貰いたい。

 君はもう暴力を振るうことなく生きていけるようになるんだ。

 まあ、暴力を振るわれる側になるかもしれないが、それは君が今まで積み上げてきた徳の多寡次第だから……頑張れ。遠くから応援しているよ。

 壊れた腕を抱えて崩れ落ちる彼を見て、ついでに左膝も蹴り砕いておいた。


 床の上でのた打ち回るチンピラの横を通り、残りのチンピラに歩み寄る。

「て、て、てめぇ!」

 完全に怯えながらもなお虚勢を張るチンピラ。その手の中の紙を奪い取る。

「何しやがる!」

 取り戻そうと手を伸ばすが、ステップを踏んで避けると、鋭いジャブをその鼻っ面に軽く当てる。

 鼻を押さえて指の間から流れ落ちる赤い血に大きな悲鳴を上げる。先の二人のやられっぷりを見ているせいで自分の鼻が修復不可能なまでに破壊されたと思ったのかもしれない。


 奪い取った紙を見てみると、それは借用書だった。

 年利二割で六千ネアを借りて、月々二百五十ネアの返済を五年間続けるという内容だ。

 利子の繰越を月単位ではなく年毎で計算してることや、若干計算がおかしい部分もあるが、それは大した問題は無い。

 こちら世界での商習慣的には正しいのかもしれないと思える程度だ。


 しかし、一点だけ大きな問題があった。債務者が死亡した場合は即時に借金全額を返済するという一文が、後付のように不自然に書き込まれている。

 その一文の文字を一文字ずつ確認していく……思わず吹いた。改竄の跡が想像以上に簡単に見つかってしまったのだ。

 悪事を働くなら、そのリスクに見合うだけ真剣さをもって当たるべきだろうと、見当違いな怒りさえ覚えるほど杜撰だった。


 いや違うな、真剣さが足りないのは彼らの背負うリスクが小さいからだ、つまりこんな真似が日常的に行われていて、ルーティンになり気が緩んで真剣さを維持出来ないのだろう……ストレス解消どころか余計にムカついてきた。


「もう一度だけ言う。さっさと帰れ。これ以上やったら怪我人の方が多くて帰れなくなるぞ」

「わ、分かった。分かったからこれ以上は止めてくれ」

 唯一無傷のチンピラは完全に怯えていた。一瞬で人間が破壊される様を2度も見せられて心が折れてしまったようだ。

「帰る前に、この馬鹿が駄目にした料理代金を払えよ」

 前歯以外の歯を全て失って気絶している男を指差しながら命じた。


「分かった」

「割った皿の分や、店への迷惑料。それから暴力を振るったことで傷ついてしまった繊細な心の持ち主である俺への慰謝料でお前らの財布全部置いていけ」

 自分でも凄い事を言っていると思う。


「そ、そんな」

「あぁ?」

 俺は知っている「あぁ?」には「殺すぞ」というニュアンスがとても多く含まれるということを嫌というほど知っている。一番最初の『あ』に濁点を加えて、やり過ぎない程度に軽く『あ゛』と発音すると効果的だ。


「わ、分かった。分かったから」

 二人のチンピラは自分達の財布を床に投げ出すと、気絶している二人の懐を探って財布を取り出して同じように床に置き、仲間を引きずるようにして店から出て行こうとする。

 その背中に声を掛ける。

「どうせ後から仲間を連れてお礼参りに来るつもりだろうが、お前達の顔を見たら最優先で殺す。お前達の仲間が運よく命拾いすることがあったとしても、お前達だけは確実に殺すから憶えておけ」

「そ、そんな……」

 チンピラ達の顔に絶望の表情が浮かぶ。まあどう考えても、こいつらが仲間に状況を伝えただけで「後は任せた」なんて事が許されるはずも無い。

 奴等からしたら俺の発言は処刑宣告にも等しいのだろう。


「いいか。仲間の元に戻って報告した後は怯えて泣き喚く振りをしろ。それでも駄目なら小便を流して糞も垂れろ。そこまでしたらお仲間もお前らを連れてこようとはしないだろ……それから、俺が飯を食い終わる前にお前らの仲間が踏み込んで来ても、俺の食事を邪魔した罪でお前らを殺す。何処に逃げようとも必ず見つけ出して殺す。だからゆっくりと戻れ」


「分かった。すまねえ」

 張子の赤ベコ人形の首のように上下に振るとチンピラは店を出て行った……まあ、今度似た様な状況で奴らを見かけたら殺さないまでも二度と自分の足で立てないようにするつもりだ。


 俺はこの暴力的な衝動を異世界で抑えるつもりは全く無い。

 力には力で応じてでも自分を推し通す。これ以上、失うのはごめんだからだ……失う? 何を? 俺は何を失ったというんだ? 俺は何も失っては居ないはずだ。分からないが何かがおかしい。この胸にある空虚さと湧き上がる焦燥感は何だ?

 だが次の瞬間には「まあ、どうでも良いか」となってしまう。

 そして俺はそれを自然に受け入れてしまう。だが受け入れてしまう自分に苛立ちを覚えてしまう……何なんだこれは?



「美味いな」

 ささくれ立った精神状態が、料理の美味さに心が丸ごと洗われていくようだ。理屈じゃない美味いっていう事実の前には大抵の事は小事に過ぎない。


「ところで、どうしてこの店が流行っていないんだ?」

 カウンターの椅子に座って暇そうに脚をブラブラさせている男の子に声をかけてみた。

 そろそろ昼時であり、客で席が埋まっても良さそうなものなのに、店内には俺と男の子の二人だけしかいない。

「あいつらが──」

 想像通りであった。彼の死んだ父親がこの店舗の改修のために借りた借金の形に店と土地を奪い取ろうとし、更に客が入らないように嫌がらせを続けているという頭が痛くなるほどのベタな話だった。


 借金はチンピラどもではなく街の比較的大きな商会へと申し込みに行ったらしい。らしいというのは借金をした当日、彼女の夫は家に帰る前に何者かに襲われて借りた金と命を奪われ、しかも犯人は未だ見つかっていない……どう考えても疑惑で真っ黒だろ。


 余りにベタ過ぎて苦笑いしか出てこない。この借用書は公的なものだというのだから公証人が間に入っているはずだが、その公証人もこの借用書を正式なものと認めているらしい……こんな捏造としても欠陥品な借用書を。


 つまり、公証人もグルって事だ。こんな人を殺してまで金を巻き上げるような真似をする連中が、まさか初犯なんて事は無いだろう。この街の治安を維持するべき役人や兵士達にも奴らの協力者がいるということだ。


 そこまで考えて馬鹿馬鹿しすぎてだんだん楽しくなってきた。

 第一目的は、この店と親子を守ること。

 第二目的は、この後乗り込んでくる馬鹿どもを物理的にも社会的にも葬り去ること。

 第三目的は、馬鹿どもに加担する悪徳公証人と警邏の人間を破滅させること。

 そして最後の第四目的は、俺がこの状況を楽しみスカッとして、溜まりに溜まったストレスを解消することだ。



 やがて表通りの様子が騒がしくなってきた。

「来たな……二人は中で俺が呼ぶまで大人しくしててくれ」

 そう告げると、俺はテーブルの上にチンピラどもから奪……献上された財布の中身をカウンターの上に全て出すと、店の入り口へと向かい、一歩通りに出た所で入り口をふさぐようにして腕組みをして立つ。


 そのまま、右手から人混みを蹴散らしながらこちらに向かってくる二十人ほどのチンピラの群れを迎える。

「小僧、貴様か? 俺の舎弟に怪我させたのは!」

 このチンピラ集団の頭らしき個体が叫んだ。個体識別をするのは面倒臭いしあまり意味があるとは思えないが、とりあえずテンプレ雑魚チンピラ(頭)と頭の隅にとどめておこう。


 ……うん、感心な事に先程の二人は上手い事やって、ここに来るのを免れたみたいだ。

 俺の助言を無視した馬鹿を、この世に生まれ落ちた事自体を呪いながら死ぬような目に合わせるのも一興だったが、まあ良いだろう。

 彼らは自分の才覚で生き残る方法を選択したのだから。



「それが何か?」

「どう落とし前をつけてくれるんだ!」

「落とし前? 落とし前はとうにつけたはずだ」

「何を言ってやがる!」

「一人は暴力を振るい俺の食事の邪魔をし、もう一人はいきなりナイフを抜いて襲い掛かってきた。残りの二人は仲間の愚行を俺に謝罪し、賠償に財布をよこす事で落とし前はついている。既にけりのついた話を蒸し返して今更何を言ってるんだお前は?」

 状況を正しく馬鹿にも分かりやすく教えてあげると、何故かテンプレ雑魚チンピラ(頭)は怒り狂った……解せぬ。


「そ、そんな御託が通用すると思ってるのか、この糞餓鬼が! おい野郎ども!」

 チンピラどもが武器を構えると通りに居た人達は一斉に逃げ出して、幅二メートル半ほどの狭い路地には俺とチンピラどもと、逃げ遅れた間の悪い男達が数人という状況になった。

「武器を抜いたな。たった一人を相手に大勢で武器を抜いた。この事実はここにいる全ての人間が証人だ」

 通りに面した建物の窓には鈴なりになった人々にそう告げた。


「証人も糞も、これから死ぬテメェに何の関係がある!」

「ほう、この昼間に大勢の前で堂々と殺人予告とは、よほど役人に嗅がせた鼻薬に自信があるみたいだな」

 俺の言葉に周囲から低い声が漏れる。公然の秘密。ただしそれを堂々と口にするものが居なかった。そのタブーを俺が破ったことへの驚きの声だ。

 此処までやった以上は互いに後には引けない。徹底的にやりぬくしかない。そう思えば吹っ切れて清々しささえ感じる。


「お前ら、やっちまえ!」

 笑ってしまうほどのテンプレな台詞だ。

 しかしこいつらとしては、例え警邏の人間を買収しようとも、公証人と結託しようとも、この状況を力づくで乗り越えなければ明日はない。


 俺は入り口の前に陣取ったままで、襲い掛かってくるチンピラどもを迎え撃つ。

 どいつもこいつもナイフや短刀の類で武装しており、それを振りかざして突っ込んでくる。

 俺はまずは武器を下から掬い上げるように蹴り飛ばし、その脚を振り下ろして相手の膝の皿を蹴り砕く。

 整形外科の無いこの世界では、魔法の力にでも頼らなければ一生歩行に支障が出るだろうが、それは自業自得と言う事で我慢してもらうしかない。

 それにしてもせめて囲んで一斉に攻撃を仕掛けるとかいう発想は無いのだろうか? それが出来ない様に入口付近に陣取ってる俺が言うのもなんだが。


 やはりこいつらには悪事に対する真剣さがない。大勢で取り囲んで相手を怖気づかせて主導権を握り一方的に嬲る。そんな都合の良い展開でしか戦った事が無いのかもしれない。


 六人ほど地面に這い蹲らせたところで、そいつらが邪魔でチンピラどもは容易に俺に近づけなくなってしまった。

 こいつら相手にチンタラと時間をかける気が無いので、倒れて呻いているチンピラの顎の先をつま先で軽く弾いて気絶させると、そいつの身体と地面の間に右足を差し入れ、そのまま目の前に集まったチンピラ達を目掛けてすくい上げる様に蹴り飛ばした。


 決して小柄ではない男の身体がワイヤーアクションの様に宙を舞い、仲間のチンピラ達に突っ込むと三人ほど巻き込んで吹っ飛んでいく。

 これで半分程度に人数が減ったが、チンピラどもの目には怯えの色が見える。拙いな逃げられたら一網打尽に出来ないじゃないか。


「あれ~尻尾巻いちゃうつもり? でも良いかなぁ~、暴力による脅ししか芸が無いのに、たった一人に蹴散らされて逃げたらどうなる。お前らチンピラなんて舐められたらお終いなのにさ」

 俺の得意技、粘着質で嫌悪感を覚えるキャラによる挑発で、自分達が舐められたらお終いな存在だと思い出したのだろう。

 彼らは健気にも、なけなし蛮勇をかき集めて、再び俺に立ち向かう覚悟を決めたようだ。


 いきなりナイフが飛んで来る。しかし俺が店の前に陣取っている以上、飛んでくるのは正面とは言わないが、死角からではなく周辺視野の範囲内だった。


 投げナイフなど、どう頑張って投げても時速百キロメートルには届かない──野球の投球のように全身を使って投げるのでもなく、肩から先を使い、正確さを期して小さいモーションで投げる……キャッチボールに近い投げ方だ。


 更に現実世界と違って刃がステンレスだのチタンだの軽い金属で作られているわけでもなければ、ハンドル部分がカーボン製という訳でも無いので確実に硬球の倍は重いので更に遅くなるだろう。

 だから不意を突かれなければ、リトルリーグで応援席を温めているような小学生でもどうとでも対処出来る程度の芸に過ぎない。

 勿論、刃物への恐怖心の克服は必要だが……そんなの大したことじゃないよね?


 難無く掴み取ったナイフを投げた張本人へと投げ返す。狙いは相手の太ももだが、残念な事に俺には投げナイフの経験などは無く、ナイフは縦に回転しながら刃ではなく柄の部分が、しかも狙いがそれて股間に当たった。


 ナイフを食らったチンピラは悲鳴を上げる事さえ叶わず、顔だけを歪ませて前のめりに倒れ地面にキスをする……ちなみに俺も思わず内股になってしまったが結果オーライである。

 その状況に同じくナイフを投げようとしていたチンピラが顔色を変えてナイフを引っ込める……正しい選択である。一体誰がそんな彼を臆病者と謗る事が出来るだろうか?



「馬鹿野郎! 一斉に投げつけろ」

 テンプレ雑魚チンピラ(頭)が叫ぶ。その声に、一旦は引っ込めたナイフを再び振りかぶって投げつけてくるが、一斉と言っても三本ならばこの場を動かなくても十分に対応可能だ。


 右手で一本を掴み取り、左手でもう一本を掴み取る。そして最後の一本を両手のナイフで挟み取──失敗してナイフは上へと弾かれ店の屋根を越えていった。

 失敗を隠すために、最初から最後のナイフは上に弾き飛ばすつもりでしたよ言わんばかりに、動揺を顔には出さず両手のナイフを屋根の上に放り投げた……上手く誤魔化されてくれ。


 騙されてくれたのか、それとも気づかぬ振りをしてくれたのか分からないが、二人が短刀を脇に構えてまっすぐ突っ込んで来た。


 いわゆるヤクザの鉄砲玉による「命(たま)取っちゃるけん!」攻撃で、殴られても斬られても撃たれても、そのまま身体ごと突っ込んで相手の腹に匕首を突き刺すというある意味必殺技ではある。

 しかし俺が大島に仕込まれた空手も根底にあるのは一撃必殺である。俺の攻撃を受けてなお突っ込んでくるなんて舐めた真似は許しはしない。


 相手の間合いの外から左の回し蹴りをこめかみに叩き込み意識を奪う。体勢を崩してあらぬ方向へと崩れ落ちるチンピラの陰から別のチンピラが時間差で突っ込んでくる。しかし、そんな事は織り込み済みで軸を右足から左足に踏み変えると一発目の回し蹴りの勢いを殺さずに右足で後ろ回し蹴りを放つ。

 右足の踵は完璧にチンピラのこめかみを捉える。その打撃は一人目よりはるかに大きく、意識のみならず運動能力も奪われ、その場に崩れ落ちた。


 これで十二人目。残りは……九人だ。

 その内の一人は無関係な人間を装って、俺が立つ位置から左手ての位置に達、こちらの隙を伺っている。

 大島やルー……誰だ? まあいい……畜生! 何がまあ良いだ。イラっとする……ともかく俺には気配を読むなんて真似は出来ない。

 単に周辺マップ上で敵対を示す赤でシンボルが表示されているので分かった事だ。

 つまり無関係な町民を装っている男が残って隙を伺っている間は、他の連中もまだ逃げ出さないと言う事だ。しかし、俺がこの入り口の前を離れたら中に進入し、親子を人質にする可能性もあるので入り口の前を離れることは出来ない……連中が逃げ出したら追撃を加える前にこいつを始末する必要がある。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 そんな事を考えていると、チンピラが四人がかりで樽を担ぐと俺に向かって走り出してきた……近くの酒場から持ち出してきたのでワインかエールの樽だろう。

 その意図を察すると、俺は料の脇を締めて、両手を左右の肋骨の横の位置まで引き、掌を上に向けて構える。


「くらぇ!」

 想像通りだが阿呆すぎる。俺目掛けて樽が投げ出される。重さは俺の体重の優に倍はあるので威力は凄いが避けるのは簡単だ。避けたら店舗への被害が出る事を俺が配慮すると判断した上での攻撃でも無いだろう。


 連中の攻撃の意図はともかく飛んで来る樽の後──樽を投げたチンピラたちを巻き込むように【真空】を発動させつつ樽を迎え撃つ。

 自分の倍以上の物体が、かなりの勢いで飛んでくるのだから常識的には迎え撃つのは不可能。だが俺は素早く、そして力強く一歩を踏み出すことで、樽の持つ以上の運動エネルギーを我が身に宿すと、その全てを両の掌に伝えるように諸手で掌底を突き出す。


 樽と掌底の衝突の瞬間に、俺の身体から発せられた力の半分は樽の持つ運動エネルギーを相殺し、残りの半分は樽の反対側へと突き抜け、樽の反対側をぶち破り中の赤い液体をまき散らす。


 その瞬間に【真空】を解除。飛沫となって飛び散った赤い液体──赤ワインの中でも特に小さなエアゾル状の飛沫は、気圧差によって真空の空間があった空間へと殺到する。

 それを浴び吸い込んでしまった四人は、目を押さえ、そして気管や肺に飛び込んだアルコールによって粘膜を痛めて激しく咳き込み苦しみ悶える。


 残りは六人。しかも一人は無関係を装っているので、テンプレ略(頭)の周囲には三人しか残っていない。

 どう考えても残りの手下三人に俺に挑む気力が残っているとは思えない。それに度胸以前の問題だろう。

 奴らが逃げを打つ前に入り口の前から離れて距離を詰める。すると周辺マップの中で、残りの一人が店の入り口方向へと動き始めた。

 そちらを振り返りながら【無明】を発動し視界を奪う。そしてよろけた足元へ【坑】を発動して足を踏み外させる。更に転倒しながら身体を支えようと地面に突こうと手を伸ばした所へと更に【坑】を使うと、受身も取れずに頭を地面に叩きつけ失神した。


 次の瞬間、俺はかなり本気を出すと走って残りの四人との距離を一気に詰める。

 何せ連中は既に逃走を始めていたのだから。

 ところで走る速さが同程度の相手を追跡しながら、飛び道具を用いない有効な足止め手段は何か知っているだろうか?

 ほとんど同じ速さで走っている訳なので走るという動作以外の行動は速度低下につながり、こちらの手の届く範囲から外れてしまう。

 多分、多くの人が考えるのは後ろからのタックルだが、失敗すれば再び追いつくのが困難になる可能性が高いのであまりお勧め出来ない。

 他にも後ろから相手の服を掴んで止めるという方法もあるが、相手が一人ならともかく複数なら残りを逃がしてしまう事になる。


 正解は相手の靴の後ろ、踵の部分を後ろから踏んでやることだ。

 そうすれば相手はバランスを崩して転倒する可能性もあるし、靴が脱げてしまえば走る速度も下がるが、こちらは走る為の動作の中で仕掛けることが出来るので、その行動により走る速度が落ちることはほとんど無いので、順番に相手が転ぶか靴が脱げるまで何度も繰り返して仕掛ければ良い。

 ちなみに俺の場合は速度で相手を優越しているので、膝の後ろを蹴って転ばせる方法選択をした。


 【所持アイテム】の中からロープを取り出すと、捕まえた連中を後ろ手に縛り上げてまとめて引きずりながら店の方へと戻る。

 途中、先に倒した連中もロープで縛り上げていく。とりあえず街の迷惑な仲間達を確保完了だ。

 本来ならこの後は拷問を交えた尋問を行うところだが、堅気の人たちが見守る中でそれをやったら俺が悪者になるのでやめておく。これから始まることには世論の味方が必要なのだ。



「来たな」

 街の警邏隊が団体さんでこちらに向かってくる。

 チンピラ達はその様子に怯えた様子を見せるが、ただ一人テンプレ略(頭)のみ笑みを浮かべる……そんなに喜んだら、お前と警邏の連中の癒着を告白しているようなものだぞと思いながら、俺も嬉しさを抑えきれず笑みを浮かべてしまう。


「一体、何事だ!」

 警邏隊は威嚇するように大声で叫びながら、遠巻きに見ていた町民達を押しのけてこちらにやってくる。

 態度悪いな。さすがファンタジー異世界だけあって、公僕ではなく封建時代のお役人様状態って奴だな。

 更に腐敗していようものならこの世でもっとも醜いモノの一つとなる。


 上からの偉そうな態度には耐えよう。上から押し付けられる理不尽にもある程度なら耐えよう。だけど醜悪って奴には耐えられる自信が無い。ましてや今の精神状態では無理だ。


 今の俺は説明がつかないほど情緒が不安定だ。まるで思春期特有の不安感と焦燥感に駆られた中学生のように……俺中学生だよ。

 ともかくだ。何かを思い出そうとすると何者かが俺の頭の中のスイッチを切り替えたかのように、その事について考えようとする気がなくなるなんて状況でこれ以上我慢なんて出来るか。


 はっきり言って、この件に関わった糞どもはまとめてぶっ殺してしまいたいくらいだ。例えるなら今の俺は切れたナイフで、ヤバイヨヤバイヨ~である。

 それをしないのは糞どもへの寛恕の情などでは無ければ、自分の手を汚すことへの嫌悪感でもない。単に店の親子へ迷惑が掛かるという心配があるため……いや、彼女達に迷惑をかける自分が嫌なだけで、彼女達の安全を本気で考えているかなど怪しいものだ。

 もっと穏便な方法もあった筈だ。

 例えば夜に連中のアジトを急襲して数人を残して全員殺し、残った奴等を丁寧に一本一本骨を折り尋問する……骨を折るは比喩の方ではない。

 そしてこいつらと繋がる奴等を全て始末するとか……



「貴様か、この騒ぎを起こしたのは!」

 隊長らしき男がいきなり俺を指差して犯人扱いである……いかんな、気をつけていてもニヤニヤが止まらない。

「いいえ、この者どもが狼藉を働こうとしたので取り押さえただけですが」

「五月蝿い! 貴様の言い訳など後できっちりと聞かせてもらう。ひっ捕らえろ!」

 そう部下に命じる一方で、俺がお縄にしたチンピラどもを解放しようとする。

「待ってもらおう。何故俺を捕まえ、このヤクザ者どもを解放する気か?」

「黙れ!」

「いや黙らぬ。この場には多くの証人がいる。俺が先に武器を抜いたいう人は手を挙げて欲しい」

 俺の言葉に誰一人として手を上げるものはいなかった……そりゃあそうだろう。手を挙げてまで嘘の証言を表明するには二重の精神的障壁が立ち塞がる。人間は一つの精神的障壁は乗り越えられても、一度に二つは乗り越えるのが困難な生き物である。

 詐欺師などは、それを利用して相手の行動を縛る。

 もしも俺の発言が「チンピラ共が先に武器を抜いたという人は手を挙げて欲しい」と言っても彼らは手を挙げないだろう。



「では、このヤクザ者どもが今まで暴力を振るい街の人間に被害を与えたのを見た事が無いというものは手を挙げて欲しい」

 やはり誰一人手を上げない。前回同様に手を挙げづらい質問をしているのもあるが、そもそも誰も手を挙げなければチンピラ達の報復もそれほど怖くは無い。


「結果はこの通りだ。お前は何故、街の誰もが知っているヤクザ者どもの肩を持つんだ? どうしてヤクザどものボスがお前の顔を見て嬉しそうな顔をしたんだ?」

 俺の言葉に、皆の視線がテンプレ略(頭)へと集まる。略(頭)は慌てて俯き顔を隠した。

「な、何だその口の利き方は? 貴様、誰にものを言っていると思ってるんだ!」

 こうまでも予想通りに受け答えしてくれる馬鹿って大好きだ。抱きしめて頬擦りして……やりたくは無い。


「金を貰ってヤクザ者どもに飼われている汚職官吏。街の治安を守る役職に就きながら、やっていることはその真逆。俸給を受け取る時、恥ずかしいと思ったことは無いのか? ヤクザ者どもから金を受け取るとき、真面目に奉職する仲間達に合わせる顔が無いと恥じたことは無いのか? ……無いのだろう。真面目に働いてる者達より裏で余禄を得ている自分の方が賢いとでも思い見下していたのだろう。そんな人間の屑がお前だ!」

 やったー! はっきり言ってやったぜ! 溜まりに溜まったストレスの五パーセントくらいは晴れたな。


 ストレス解消以外の意味もあった。警邏の人間全てを敵に回すのではなく、上司と部下の間を分断したのである。

 この上司ならば、その下の部下も片棒を担いでいるだろうが、全てではないだろうマシな連中もいるはずだ……そう信じているから裏切ったら全員殺す!


「ええい! ひっ捕らえ……いや、斬れ。この者を斬り捨てろ!」

「今更、口を封じようとしても無駄だ。今までは怪しいと思いつつも誰も口にしなかった事実が、一度の口の端に上ってしまったのだ。お前はおしまいだよ。見てみろ自分の部下達を」

 警邏隊の面々のほとんどは疑いの目を隊長へと向けている。中には隊長に同調して俺を斬ろうと剣を抜いた者もいるが同僚達によって押さえ込まれている。

 元々疑っていて事もあるのだろう。それに人々の声なき声。更に不正に手を染めた上司が己を賢いと思い、部下である自分たちを見下していた。という俺の言葉が効いているのだろう。



「き、貴様ら命令に背いた以上は覚悟が出来ているのだろうな?」

 往生際悪く部下を脅し始めたか。でもな人目の無いところで一対一で脅すならともかく、こんな公衆の面前で脅されて、今更引き下がったら部下達もこの街で立場が無くなる事を配慮してあげないと反感を買うばかりだな」と思ったことをそのまま大声で口にする事で、警邏隊の隊員達にプレッシャーを与えた……こういう悪知恵の働く自分が好きだ。大好きだ!


「エナポルプ! エティレッタス! 斬れ! 斬るのだ! お前達も金を受け取った以上は口封じをしなければ破滅だぞ」

 おい! まだ三行程ほど手順を踏んでねちっこく追い込む予定だったのに、どうして勝手に白状しちゃうの?

 お前には悪党としての矜持は無いのか?

 だが隊長とその協力者である二人の隊員は、残りの隊員達に取り押さえられ縄を打たれた。

 めでたしめでたしと言いたい所だが、まだ終わってしまっては困る。


「そいつらを連れて行くのはまだ待って欲しい。これはこいつらが持っていた借用書について大いに疑問がある」

「一体何が?」

 近寄ってきた隊員に借用書を見せる。

「借用書の文言の最後に書き込まれた一文を確認してくれ」

「……確かに、不自然に書き加えられたとも見えるが、これだけではおかしいとは言えない」

「不自然なほど大きく書かれた借主の署名と、最後の一文の文字の線が重なった場所が何箇所かあるはずだ。そこを光を横から当ててじっくりとみてくれ」

「これは……署名のインクの線の上に、インクが重なっている!」

 借主であり殺された店の主は、脅されて無理やり借金をさせられたのだろう。本来きちんとした商会に借りるはずでありチンピラどもから借りたいと思う奴などいないだろう。

 最後の一文は、店の主が署名した段階では書き込まれていなかった。書いてあれば自分が殺されることを悟り、絶対に署名はしないはずだからだ。

 命の危険までは察していなかった店の主は、借用書に手が加えられないように、あえて大きく署名をして書き加える余白をつぶしたのだろう。

 だが彼の予想は裏切られ殺される。そして別の意味でも予想は裏切られて借用書には文言を追加され、チンピラどもにとって致命的証拠となってしまった訳だ。


「しかも借用書に署名のある公証人……エシロプとやらも、この借用書を正当なものとしているそうだ」

「エシロプだと……奴は役場に勤める役人だぞ。それがこんなヤクザ者どもと結託していたというのか?」

「おかしなことを言う。誇り高き諸君ら警邏隊。その隊長が不正に加担していたのに、今更何を言っているんだ?」

「確かに……」

「全ては、その借用書に示されている。それに警邏の人間なら、この借主がすでに殺されていることも知っているだろう」

「つまりは、こいつらが彼を殺してありもしない借金を負わせたというのか」

「ああ、あんたらの上司である、この男がぐるになり事件を揉み消しただろう。役人、警邏隊を買収してまで行われた犯罪だ。まさかこれが最初の悪事だと思って無いだろうな?」

 ついでに言うと、今回の件はスケールが小さいので、こいつら独自の不正の可能性はあるが、こいつらを手駒として扱いもっと大きな不正を行っている者がいるだろう。後ろ盾が無ければ隊員達から疑いを持たれるような者が隊長の地位を維持するのは難しい。


「ノインファルク。エリュバーグ。直ちにエシロプを逮捕して此処へ連れて来い」

「此処へですか……副長」

「詰め所に連れて行ってみろ。必ず余計な手出しをしてくる連中いる。この場で、人々の前で奴の罪を暴いた方が連中も後々手出しは出来ないだろう」

 こんな治安も、法すらも履きくたびれたパンツのゴムのように緩い世界で、たった一つ武器となるのは、人の口の数だけ語られる噂という名の世論だけだと彼も知っているのだろう。


「心配は無用だ。私が証人になろう」

 いきなり予定外の変なのが出てきてしまった……どうしよう?

「カリル様!」

 副長と呼ばれた彼が、変なのへと駆け寄ると片膝を突いて顔を伏せる。

 変なのは、身長は俺と同じくらいで痩せ型で、柔和な笑みを浮かべた所謂イケメンだ。他の町民達と比べると上等そうな身形だが、別段貴族とかそんなイメージでもなく、ちょっと金持ちのボンボンといった感じ……まあ、俺の貴族のイメージなんて、この世界の貴族と一致するかどうかは知らないけどな。


「そこの君。君のおかげでミガヤ領の膿の一滴を搾り出すことが出来そうだ。感謝する」

「……誰?」

 大物ぶって現れた奴に、お前なんて知らないよと言ってやる。これに勝る快感などあるだろうか? ……結構あるな。

 こいつはチンピラどもが押し寄せてきた時に、逃げ遅れた間の悪い数人の男達の一人と認識した奴だ。


「だ、誰?」

 金持ちのボンボン風は、何とも言いがたい表情で副長に問いかける。

 副長の態度から、金持ちのボンボンという訳でも無い事は俺にも分かっている。ミガヤ領の領主が住まうタケンビニの警邏隊の人間が片膝を突いて頭を下げる相手といえば主家であるカプリウル家に連なる一族か、かなり地位の高い郎党。


 俺とさほど変わらない年頃を思えば、独自に地位を築いているとは思えないので、領主一族ってところだろう。

 つまり一族のボンボンが変装し街中をプラプラしていて、偶然今回の事件に出くわし、美味しい場面で介入しようとしたがタイミングが掴めず、ずるずると時を失い、このままでは一件落着しそうなので慌てて顔を出してみたものの、俺にお前なんて知らんという態度を取られ、こういうのはお約束で暗黙の了解だから、名前を出さなくてもみんな知っているという体でやってもらわないと困ると思いながらも、今更カプリウル家の名前を出すのも野暮だよなと副長さんに確認を取っているところだよな」

「分かってるなら口に出して説明しないで!」

 一族のボンボンは先ほどまでの気取った態度を忘れたかのように叫ぶ、からかい甲斐のある奴だ。俺が弄ってやれば輝ける才能を持つかもしれないが、割とどうでもいい。


「……私が膝を折る方なのだ。少し言葉遣いを──」

「構わぬメトシィスティム」

 副長が俺に苦言を呈するが、ボンボンが遮った。あくまでも貧乏旗本の三男坊でも気取るつもりなのだろう。それはそれで弄り甲斐がある。


「……その洞察力、更に弁も立ち、また腕も立つ。どうだい君、僕に仕える気は無いかな?」

「無い」

 こんな先行きの怪しい地方領のしかも跡継ぎでもない次男に仕えてなんになる。

 俺はこの世界を自由に旅をして……旅をして……まあ、旅をするんだ。


「少しは考えようよ!」

 俺のそっけなさ過ぎる対応に怒りよりも驚きが先に出ている。

「我、片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず……」

「なるほど、流浪の心を持つというのか……君は詩人だね」

「いや、適当に剽窃してみただけだ」

 元ネタは奥の細道、その作者の松尾芭蕉も李白の詩をパクった……ともかく『月日は百代の過客にして 行き交う年もまた旅人なり』なんて冒頭の部分よりも浪漫を感じる。


「身も蓋も無いね、君って人間は!」

「名乗りもしない奴を相手に、我ながら愛想の良い人間だと思ってるよ」

「うっ、そうか……僕の名前はカリル・ミガヤ・カプリウル。ミガヤ領を治めるグレイドス・ミガヤ・カプリウルの次男だ」

 納得出来ない表情で自分の名前を名乗った。いや名乗らせてやった。

「俺はリューだ」

「それでだ。リュー、僕に仕える気は無いかな?」

「無い!」

「だから少しは考えようよ!」

 だんだん面白くなってきたな。弄り甲斐がありすぎて実に馴染む。


「この高木リュー。己の主は己のみ。他人を主に戴くつもりなど毛頭無い」

「何か格好良い事言ってるけど、君は人にきちんと自己紹介させておいて、自分はフルネームで名乗ってなかったのかい?」

 細かいことに気づける良い突っ込み役だ。


「勝手に自己紹介しておいて何たる言い草だ」

「君が名乗りもせずにと言ったからだろう!」

「名乗りもせずに要件を告げてくるのは失礼だと言ったのは、そのしたり顔を凹ませるついでに指摘しただけで、別にお前の名前に興味は無い」

「ああ言えば、こう言う。全く!」

 頭をかきむしりながら地団駄を踏み出したよ。面白いけど幼児期を過ぎて、それをやったら駄目だろう。


「いい加減口では勝てない事を理解してあきらめろ……な」

「優しい口調で慰めるな!」

「……まあいい、ともかくだ。その借用書で役人の不正を暴いて、この糞っ垂れな街を少しはマシにする事が出来たことに満足して、一件落着とするのだな」

 そう言い残して立ち去ろうとするとボンボン──カリルがまた声をかけてくる。


「何故に頑なに拒む? 何故己の力を広く世の中に役立ててみたいと思わない?」

「自分が強く賢くあれば生きられる。そして自分がどれだけ強く賢いことを知っていれば、更なる高みを目指すことが出来る」

 ……それじゃ世捨て人だよ。単にこれ以上関わるのが面倒臭いから孤高を気取ってみただけで、持病の厨二病がスパークしてしまったわけじゃない。


「何が賢い。それは愚か者の言だ。使われぬ力や知恵に何の意味がある。役立ててこそであろう!」

「百年兵を養うは、ただ平和を守るため」

「…………そ、それは凄く良い言葉だけど、そりゃ良い言葉だけど、今の場合とは似ているようで全く意味が違うよね?」

「あぁー五月蝿い。お前と関わりたくないから、それっぽいことを言って煙に巻いて退散したいという俺の気持ちをどうして思いやれない? お前が、そんな気遣いも出来ない人間だから関わりあいたくないんだよ! 頼むから察して!」

 攻において威を発するが守に転じては威を失うといわれる俺の口撃は、今絶好調だ。


「き、気遣いの出来ない人間? この僕が? 君に? そんな馬鹿な…………分かった間違ってたんだ。言葉で理解し合おうなどと思った僕が愚かだった。後は力で語り合おうじゃないか」


「力? お前が? 拳で?」

 格好良く宣言するカリルに、縛られて地面に転がるチンピラどもを見渡しながら尋ねる。

 ここで終わらせてしまうにはもったいないほどの残念な男だが、力で語り合いたいというならば、それは空手部の専売特許だ主将として避けて通ることは出来ない。


「も、勿論剣でだ。拳なんて野蛮だろう。決闘は剣で行うものだ」

 素手では勝ち目が無いと分かっているのだろう。血相を変えて剣での勝負を口にした……ヘタレである。だが賢い判断だ。

「さあ勝負だ。飾りで無くばその腰の剣を抜いて見せろ。その増上慢をへし折ってくれる!」

 剣には自信があるのだろう。こちらを挑発しながら細剣を構える。

 軽く相手に当てる事に特化した細剣は、先に相手に一撃を加えた者が勝者となる決闘の作法に即した武器であり、一対一の決闘以外では実用的とは言えない武器だ。

 それに対して、こちらは普通の糞重い剣だ。

 剣の差から自分の有利を確信した上でのセコイ勝負である。



 次の瞬間、出し抜けに腰の左に佩いた剣を抜刀する。

 腰の左を鞘と共に、その場に残したまま同足で大きく踏み込みながら鞘走らせる……そうですよね鈴中先生。

 なんてことは思っていない。そもそも格技の授業で鈴中から抜刀の方法なんて習っていないし、奴ごときから学ぶことが有ったとも思えない。


 しかし鞘から解き放たれた刃はカリルの持つ細剣の刀身を真っ二つにへし折り、更に肘と手首の返しのみで驚きの余り固まっているカリルの首筋へと突きつけられる。磨きあげられた技量ではなく全ては身体能力のなせる力業だ。

 身体能力全開の手加減なしの抜き打ちは、奴の目では何も捉えられなかっただろう。何が起きたかは少し離れた位置にいた副長さんから教えてもらうのだな。


 よく格闘漫画などで、相手の攻撃を受けた主人公だけでなく、離れた位置から見ているライバル達が「見えたか?」とかやるシチュエーションがあるが、離れた位置から見えないならライバルの資格は無いほど動体視力などが劣っていると言える。


 上空高く飛ぶジェット機がゆっくりと飛んでいる様に見えるのと一緒で、距離があるほど良く見えるのだ。

 だからシューティングやアクションなどの動体視力を必要とするゲームでは、大画面ディスプレイを使いは離れた位置でプレイした方が良い。


「勝負ありだな」

 見下しながら宣言する。

「いや待て。今のは無しだ。ずるいじゃないか? 僕はまだ準備が出来てなかった」

「先に抜いて構えまで取り、『さあ勝負だ』と抜かしておいて準備が出来ていない? 他に何の準備が必要なんだ?」

「えっ? ……えっと、心構え?」

「いいか? 俺は、冗談が、嫌いだ」

「君はさっきから笑えない冗談ばかり言ってたじゃないか!」

「俺は他人の冗談が大嫌いだ」

 我ながら凄い言葉だ。因みに引用元は大島である。


「…………」

「笑え」

 俺の暴言に唖然とするカリルに命令する。


「…………えっ?」

「笑え!」

 剣先を僅かに皮膚に食い込ませる。それほど突きを重視していないこの剣では、その程度では血が流れることも無いが、脅しには十分だろう。

「……はっは……ハハハハハッ……アーハッハッハッハッハッ、ヒィーおかしい!」

 たがが外れたかのように笑い出した。完全にヤケクソだな。何もそこまで自分を捨てなくても良いのではないか? と他人事のように思う。

 自分が強要したにも関わらず酷いと思わないでもない。しかし大島って日常的にこんな態度で俺達に接してるんだと改めて思い出し切なくなる。


「どうしてもやりたいというなら、もう一度剣を交えてみるか?」

「!」

 俺の提案にボンボン──カリルから降格──の目に光が宿る。

「ただし、次はその首を刎ねる」

 次の瞬間、ボンボンの目から光が消える。こいつは実力で勝てないまでも勝利以外の何かを俺から勝ち取ろうとしていたのだろう。面白い男だ。


 あんな自分を捨てたかのような馬鹿笑いをしながらも、まだ諦めずに機会を伺っていたこと、そして命懸けでは割には合わないと判断して素早く諦めることが出来る計算高さも大変よろしい。

 貧乏領主の次男が人材を求める。考えられる理由としては父親と長男を廃して自分が領主になるというのだろう。


 まあ分からんでもない。

 比較的税は安いとはいえ、何もしないのでは領民から見れば泥棒に等しい。

 税が高くても領民が安心して暮らせる快適な生活環境を作り上げるのが領主の仕事であると俺は思う。そう意味では現在の領主は領主たる資格の無い盆暗である。

 次男であるボンボンが領主を目指すというならば、長男も親父と同レベルといったところなのだろう。

 そこで動機だが、こんな父親や兄に任せていてはミガヤ領が立ち行かなくなるから自分が変えなければという義心によるものか、それとも、ただの野心か……後者だな」

「だから声に出てるって! 大体、何だい。どうして僕が野心で父や兄を排除しようとしていることになるんだ」

「はいはい。義心から父や兄を排除しようとしているんだよな?」

「勿論だとも! …………あっ!」

「という訳でさらば。ああそうだ。借用書の件はちゃんと処理しておけよ」

 そう言い残すと、俺は全速力でその場から立ち去った……だって買い物もしなければならないし、巻き込まれたら大変だ。

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