第31話

 朝目覚めると腕ひしぎ固めが極まっていた。

 説明するまでもなくルーセが俺に技を掛けている。このお嬢ちゃん昨日からのご機嫌斜めが直っていないようだ。

「ルーセ痛いよ」

 特に技を掛けられている右腕の肘がベッドの外に飛び出している状態でルーセの上半身がぶら下がる形になっているので、流石に人外を誇る俺の身体でも堪える。唯一の救いは上半身は空中で下半身はベッドの上という状況なので精霊の加護も働いていない事で、もし加護が有効なら俺の右の肩と肘は既に破壊されている。

「がぅ!」

 ルーセの答えは俺の掌への噛付きだった。

「痛ったぁぁっ!」

 悲鳴を上げると噛むのを止めて俺を睨む。

「ルーセは怒っている」

「まだ機嫌直してないの? 馬鹿力と言った事は謝ったでしょ」

 本当に散々謝らせられた。まずは集まってきた村人達の前でムカルタと2人して土下座して謝らせられた。


 それで腹が収まらなかったのムカルタで、彼は自分以外にもルーセの馬鹿力の事を笑った事のある奴を名指しで批判するという余計な事を口にした。

 そのせいで名指しで批判された奴を含めて、俺達は再び土下座をさせられる。

 そうなると、ムカルタのせいで土下座をさせられた奴も他の奴らの名前を挙げる……憎しみの連鎖とは止まらないものなのだ。

 結局、その場に集まった村人達の大半が土下座で謝る事になり、俺とムカルタは10回以上土下座させられる事になった。

 しかし、それは村人のほとんどがルーセを馬鹿力と言っていた事に他ならず、ルーセの怒りを解きほぐすどころか火に油を注ぐ事になったのだ。


「違う。リューは昨日の夜、ルーセと遊んでくれなかった。ルーセを放っておいてさっさと寝た」

 どうやら違ったみたいだ。

「だってルーセ機嫌悪かっただろ」

 家に帰ってきた後もルーセの怒りは収まっておらず、晩飯の料理も手抜きだったし食事中もずっと無口だったので、俺は触らぬ神に祟り無しと昨夜はさっさとベッドに潜り込んでしまったのだ。

「そういう時こそルーセの機嫌を取らないと駄目!」

 ……納得のいく理屈ではあるが、それは俺には少しハイレベル過ぎる対応なのではないだろうか? ……だが、俺のこういうところが妹の涼を怒らせていたのかもしれないとも思う。


「はいはい了解です」

 技を掛けられたままの右腕を持ち上げる。精霊の加護さえ効かなければルーセは力は年相応であり体重も三十キログラムにも足りない程なので、その気になれば簡単に持ち上がる。その気にならなかったのは抵抗すればルーセの機嫌がなおさら悪くなると思ったからだ。

 ルーセ付きの右腕を自分の身体の上に持ち上げるて、左手で胸を叩くいて見せるとルーセは俺の右腕を解放すると胸の上に降りてきてしがみつく。


「甘えん坊だな」

「うん。ルーセ甘えん坊。リューはもっと甘やかさないと駄目」

 俺はまだ痺れる右腕を背中に回すと赤ちゃんをあやすようにゆっくりと優しく背中を叩き続けた……毎朝似た様な事をしている気がする。



「今日もトロールを狩る!」

 すっかりご機嫌になったルーセは高らかにそう宣言した。そして俺はトラウマを抉られて胸を押さえる。

「トロールはもう良いんじゃない?」

「駄目、もっと減らさないと危険」

 ルーセと俺の視線が絡むが俺が先に目を逸らす。歌いながらトロールを狩るルーセが怖いからとは口に出来なかった。

「分かった。だったら今日は俺が戦う」

「むぅ、ルーセが戦う」

「昨日十分戦ったでしょう。今日は俺の番だよ」

 今の俺には火属性Ⅱの【炎纏】がある。これは武器などに炎を纏わせて、ゴースト系などの通常の武器での攻撃でダメージを与えられない魔物へのダメージと、その他の魔物に対する熱での追加ダメージおよび、切れ味自体の向上もある。

 実にファンタジーっぽく、剣と魔法の世界に相応しい魔術である。今日から魔法剣士デビューなのである。


「まだ足りない。もっと戦ってこれの使いこなせるようにする」

 一刀両断で断られる。

 ルーセは長剣を右手に装備すると、物差しを手にしているかのように右手一本で軽々と振り回す。その非常識さは常識人である俺には辛いものがある……常識人だろ?

「……随分と気に入ったんだな」

「うん。これなら火龍の首に手が届く」

 惚れ惚れといった様子で胸の前に掲げた長剣を見つめる。気持ちは分からないでも無いが傍から見たら、時代劇に出てくる辻斬りの類の逝っちゃった目だよ。


 結局、俺達は交互にトロールの群れを倒す事になった。

 協力し合うのがパーティーだとも思うのだが、基本的に武器を持った状態で他人と協力し合って戦うのはしっかりと訓練していなければ無理だ。

 特に長剣を振り回すルーセは間合いに入った者はトロールだろうが俺だろうが関係なく斬ってしまうだろう……トロールと一緒に輪切りにされる自分が容易に想像できる。

 火龍を除けば、この森で最強であるトロールを相手にしても個人で圧倒できる現状において、まずはレベルアップによる個々の能力の向上を優先して、火龍との戦いの前に作戦を立てて、作戦に沿って想定される状況に必要な連携だけに絞って訓練をするという俺の提案にルーセも同意した結果だ。


 五体のトロールに正面から近づいていく。

 俺にはルーセの様に気配を殺し、遮蔽物を利用して気づかれないように接近する技術は無い。

「ぐぉぉぉぉぉぉわぁぁぁぁぁっ!!」

 俺に気づいたトロール達は一斉に威嚇の咆哮を上げ、震えた空気がビリビリと皮膚を叩く。

 耳が馬鹿になりそうな音に顔を顰めるのを堪え、トロール達を真っ直ぐ見つめながら笑う。

 それに警戒したのか「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ!」と少し高い音で喉を鳴らすと、一体のトロールが転がっている倒木を担ぎ上げると両手で振り回し遠心力を使って投げつけてきた。

 比較的小さな倒木だが幹の直径は二十センチメートルはあり長さも三メートルはあるので、当たれば俺でも致命傷になりかねない。

 だが俺は回転しながら飛んでくる倒木を無視して前へと歩く。トロール達は俺が避ける事も出来ず倒木にはね飛ばされる姿を想像しただろう。

 しかし当たる直前に右手を前に突き出して倒木に触れた瞬間に収納し、そして取り出した。

 トロールからするといきなり倒木が静止して、その後重力に引かれて下に落ちたようにしか見えなかっただろう。

「何それぇっ!!!」

 ルーセも同様だったらしく背後から驚きの声が上がり、次の瞬間には横で俺の腕を掴んで引っ張っていた。


「今の何? ルーセ知りたい!」

 瞳の奥にネオン街があるかの様にきらきらと輝く目。

「ちょっと待って。トロールが近くに──」

「じゃあ、ルーセがすぐに倒す!」

 そういい残すと長剣を装備しダッシュでトロールへと突っ込んでいく。

「ま、待て! それは俺のえも…………ああ、トルネードがトルネードが全てを……全てを……俺の活躍も……」


 先日の惨劇の再来。

 ルーセの口からは楽しげなメロディーが、そして彼女の繰り出す長剣からは死の竜巻が……俺は呆然とそれを見る続ける事しか出来なかった。


「倒した。教えて」

 たっぷりと返り血を浴びたルーセが嬉しそうに戻ってくる。

 とりあえず【操水】で浴びた血を身体や衣服から取り除くが、既に染み付いた臭いは取れないので後で洗ってやる必要がある。


 何を言っても無駄だろうとあきらめる。

「……別に難しい事じゃないぞ。先ずは飛んできた物に手で触れて収納と念じるだけだ」

 【所持アイテム】内からナグの実を取り出すと「やってみな」と言ってルーセに向かって山なりに投げる。

「出来た!」

 ナグの実が手に触れるか触れないかのタイミングで収納を実行して消して見せたのだった。



「じゃあ投げ返してみて」

「ん?」

 既にルーセは、取り出したナグの実にかぶりついていた。

「おいっ!」

 俺の非難の声を無視したルーセは地面から石を拾い上げると投げつけてきた……全力で。


 咄嗟に手を出して受け止めるが、その速さは時速二百キロメートルは超えていただろう。もしも受け損なって頭に当たれば俺でも命は無いくらいだ。

「殺す気か!」

 流石に怒りを抑えられずに怒りの声を上げるが、ルーセは「リューは死なない大丈夫」と視線を逸らしながら答える……まあ何て信頼なんでしょう……なんて言うか、この糞餓鬼!

 ルーセに歩み寄ると思いっきり頭に拳骨を落とす。

「あぐっ!」

 痛みに頭を抑えるが無視して膝と腰を曲げて彼女と視線の高さを同じにするとその両の頬を左右から引っ張る。

 空手部と言う異常な環境に二年もどっぷりと漬かり込んだ俺は、こんな小さな子にすら体罰を辞さない。第一この程度は撫でたと呼ぶのである。


「死ぬ時は死ぬの! 危ない事をしたら駄目だと言ったでしょ……」

 長々と説教をしてしまった。説教が長くなるのは説教が下手糞だからだ……大島の言葉だが、あいつの場合は体罰で言いたい事の九割以上は消化するので自然と短くなるだけだ。


「ごめんなさい」

 自分でも悪いと思っていたのだろうが、普段は素直に謝れない頑なな性格のルーセが謝ったので俺も許す。

「相棒は大事に使えば一生持つからもっと大切にしろよ」

 俺の言葉に何か感銘を受けたのか、目を閉じて少し考えてから頷いた。

「分かった。リューの事をもう少し大事にしておく」

 もう少しって……全然、分かってないよ。


「ネタ明しの残り半分は一度収納した物をすぐにまた取り出すんだよ」

「取り出すだけ?」

 【所持アイテム】や【装備品】の恐ろしさは、収納した時に持っている運動エネルギーは装備などで取り出した時はゼロになっている事である。

 しかも、星の自転や公転。更には銀河の回転に宇宙自体の膨張などの影響、物体の原子や自由電子などの運動も一切無視というご都合主義である。

 ファンタジーな異世界だからありなのかとも思ったが、現実でも同様なのでシステムメニューとは本当の意味でチートである。

 この収納を実行するたびに消える物体の運動エネエルギーがどこに消えているのか……考えるのが怖かった。


「そう取り出すだけ、それを出来るだけ素早くやるんだよ」

「やってみるから投げてリュー!」


 再びナグの実を取り出して山なりに投げるが「遅い。これじゃあ格好良くない」と叱られ。ナグの実はルーセのお腹の中に納まってしまった。

 ため息を吐きながらもう一つナグの実を取り出すと、今度はかなりの勢いで投げる。ただし受け損ねてもルーセには当たらない様に投げた。


 ナグの実はイチローでも打ち返すのが難しい速度でルーセの顔の横を通過しようとしたが、遮る様に差し出されたルーセの掌にその運動エネルギーを一瞬で奪われたかのように地面に落ちた。

「出来た! 今回のはかなり格好いい!」

 大喜びで……拾ったナグの実を食べてしまった。


「ただし注意点があるよ」

「何?」

「生きてるのは収納出来ないから、突っ込んでくるドンハクッバ(猪モドキ)に使うと跳ね飛ばされるから絶対に使わない様に」

「むぅ、それは残念」

「だってそれが出来たら、火龍だって収納してから水の中に出して溺れさせればいいだろ」

「それ、もっと残念」

 本当に悔しそうだった。



 新たなトロールの群れを見つけると、真っ先にルーセに釘を刺す。

「今度こそ俺の番だからね」

「分かった」

 決まり悪そうに頷くルーセを後に、俺はトロールの群れへと向かう。今度は三体と小さな群れだが俺の魔法剣士デビューの相手としては手頃だ。


 前方から接近してくる俺に気づいたトロールの群れが足を速めてこちらに向かってくる。

「炎纏。炎の剣!」

 【炎纏】の発動と同時に右手に持つ剣は紅の炎を纏う……つい心の奥底からこみ上げてくる言葉を口にしてしまった。魔法剣士デビューと同時に厨二病を発症してしまったのだ。


「何それぇぇぇっ!!!」

 気づくと再びルーセに腕を引っ張られていた。

 またか? またなのか? 俺の格好良い炎の剣がルーセの子供心を鷲掴みしてしまったのは理解出来る。

 フッ……無理も無い。この炎の剣の格好の良さに抗うのは無理も無いのは分かってるから、俺にトロールを狩らせてくれないか?

「格好良い! ルーセもそれやりたい! やりたいよ! リューお願いだからルーセにやらせて!」

 完全に玩具を欲しがる子供モードのルーセにNOとは言えなかった。泣く子と地頭には勝てない……昔の人は良く言ったものだよ。



 午前中だけでも俺のレベルは三十三に達している。ルーセはレベル二十七と四レベル上げたが、そろそろ伸びが鈍化している。

 俺が火龍を倒す目安として考えているレベル四十になる頃には、ルーセのレベルも三十八か三十九くらいまで差が詰まっているだろう。

 そのレベルに達したルーセは控えめに言っても無敵と呼んでも良い存在になっているはずだ。

 元々レベル一の俺自身、並みの成人男性を圧倒する身体能力を持っていて握力や背筋力などの数値で分かるような筋力は倍以上もあった。空手部とは人間の肉体を否応無く作り変えてしまう場所なのだ。


 そしてレベルサンジュ産の現在の俺は、筋力の全体の平均値でレベル一当時の自分の十倍を超えている。

 胸にSのマークを付けた宇宙人とでは流石に比較にもならないだろうが、蜘蛛人間くらいとなら互角には戦えると思っている……改めて、人類から遠く離れたところまで来たものだと思わずにはいられない。


 それに対して現在のルーセの筋力の平均値は現在の俺の三倍以上で、レベル三十八にもなればその時の俺の四倍以上になるだろう……はっきり言って火龍が気の毒に思えてくる数字だ。彼女を倒すためには二段階ぐらい変身する必要があるのではないか?


 レベルアップと精霊の加護と言う二つのチートを得たルーセに対して、火龍が戦闘時に持ちえる優位性は飛行能力とブレスのみになっているはずだ。

 そして、その二つの能力は俺が奪うのだ。


 その為の策は現状で幾つかあるが、どれも確実とは言えない。

 期待すべきは魔術なのだが、全くどいつもこいつもとしか言いようが無い。例えば、昨日憶えたの中の一つ【大水塊】は、直径三メートルくらいの水の球を生み出し操作する事が出来る……こんなのばっかりだ。どうしてシステムメニューを作った奴は、こんなにも色んな大きさの水の球を宙に浮かべるのに必死なのだろうか? やっぱり馬鹿なんでしょ?

 いかん興奮してしまった。

 俺が目的を果たすためには奇襲しかないだろう。問題はどうやって気づかれずに接近するかだが、今日の午前中に憶えた魔術に光属性の【結界】というものがある。

 実に魔法っぽく期待が持てる名前だ。そしてその効果は『直径五メートルほどの空間と外部との光・振動・臭いの伝達を絶つ』だ。素晴らしい即採用! と叫びそうになったくらいだが、説明はまだ続きがあった。『野営用。使用中は光の伝達も絶つため、昼間は結界がある場所が黒く丸見えのため暗くなった夜にしか効果が無い』……火龍は、日が落ちる前に巣穴に戻って朝まで動かないらしい。

 あらかじめ巣穴に入って結界を張っていても見つかるだろうし、夜明けに巣穴を出るところを襲うために結界を張って潜んでいても見つかる。使えない! 使えないぞ魔術!




「リュー。ご飯も食べずに変な顔」

 俯いて考え込んでいると、下から顔を覗き込んでくるルーセに気づく。

「失礼な。俺は何時だってハンサムだ」

 考え事をしてた俺はかなり微妙な表情を浮かべていたのだろう。それを指摘された俺は誤魔化すため、咄嗟に見栄を張ったのだがルーセは「はっ」と鼻で笑う。

 自分でも分かっているだけに腹立つわ。しかもルーセはこんな小さい内から態度が柄が悪すぎる。普通これくらいの年の女の子が「はっ」なんて鼻で笑うだろうか? ……涼はそんな感じだった。


 この村の住人達がムカルタを始め比較的若い一人身の狩人が多く、ルーセの年頃の女の子も数が少ない。しかも狩人は別に悪いと言うつもりはないが決して上品な人種ではない。環境が悪いのだ。何とかして女の子らしく躾けなければ涼の二の舞二なってしまう……経験上既に遅れな気もしないではない。


「また変な顔。笑って」

 そう言って俺の口の両端に指を引っ掛けて引っ張りあげる。余りに自由すぎて抵抗する気力も無くなる。

「……やっぱり変な顔」

 そう言っていきなり笑い始めるルーセに俺は脱力してしまった。

 まだ時間はある。何か良い考えが浮かぶ事も、使える魔術を憶えて問題を突破する事もあるだろう。俺は手にしていたホットドックモドキにかぶりついた。


「美味いなルーセの作ったのは」

 これはお世辞でもなんでもない。

「当然」

 平然と答えながらもルーセの口元は上に持ち上がり、緩んだ口元を引き締めようとする表情筋によりピクピクと頬が震えている。

 今では俺に心を開いてくれているが、未だに表情を抑える癖が抜けない。しかし良く観察していると、彼女が取り繕う心理的防壁は結構隙だらけなのが分かる。

「本当に美味しいぞ」

 ルーセの頭に手を伸ばして撫でると、堪え切れずに「えへへ」と笑みをこぼす。


 色々と問題の多い子だが、ルーセとこうしているの時間に癒されるのを自覚せずにはいられない。

 火龍を倒した後、俺はこの村を出るつもりだがルーセが望んでくれるなら、彼女にも一緒に旅に出て欲しいと思っている……こんな化け物レベルまで強くなってしまったルーセを放置するのは危険だし。


 両親の墓のある村から彼女が離れると決断するかどうかは分からないが駄目だったとしても、たまにはこの村に戻ってきてルーセの成長していく様子を見守ろう……うん、完全にレベルアップで向上した【父性愛】にやられている。

 しかし、やられているが嫌ではない。


 ゆったりとした時間の中、ルーセとたわいの無い話をしながら食事を楽しんだ。


 午後から狩りを再開したが、ルーセは俺に出番を譲らない。それどころか自分の長剣に【炎纏】を掛けろと強引に強請る始末だ。

「だから俺の番だといってるでしょう」

「ルーセも炎の剣をもっと振り回したい!」

 ルーセは頑固に譲らない。

 ええい、ルーセもと言っても、俺はまだ一度も振り回してないぞ。俺の魔法剣士デビューはどうしてくれるんだ?


 しかし、このお子様め全く話が通じないぞ。どうするんだ? こんな時にどうすれば良い?

 涼が我儘を言った時に俺はどう対処したんだ? 思いだせ、思い出すんだ…………しかし、思い出せたのは自分が何も出来ない本当に無力で情けない兄であったことだけだった。



 マップ機能とルーセの気配察知能力で、トロールの群れを見つける度にルーセは俺に【炎纏】を使わせると、炎を纏った長剣を担いで群れに突撃していく。

 最初の頃の様に気配を殺して背後から襲うなんて事は「面倒だから良い」の一言で完全に過去の事となってしまっている。


 ルーセが炎の長剣を振り回しながらトロール達を輪切りにしていくのを見ながらトラウマに心を抉られる。

 トロール達の絶叫と絶叫の間に聞こえてくる、彼女が唄うあの歌は俺にとって小さな頃に夢中になった歌ではなく、もう悪魔の手毬唄にしか聞こえない。

 ちなみにルーセからは他の歌も教えてと強請られ、これ以上トラウマを増やしたくない俺は、悩んだ末に世紀末救世主伝説のアニメの主題歌を幾つか教えた。

 正直、これほどビジュアル的に一致する歌は無いという完璧なチョイスだった。しかし残念ながら彼女の好みには合わなかった……気に入れよ。お前のためにある歌と言っても過言じゃないぞ!


 しかも最悪な事に、俺が世紀末救世主伝説の主題歌を教えた事によってルーセはまだ沢山の歌がある事に気づいてしまい要求の圧力が増してしまった。

 そうだ。今日中にトロールを狩りつくしてしまえば良いのだ。その後になら歌を教えても……何の解決にもなってない!

 落ち着け、ルーセの歌に惑わされずに冷静になれ。そうだ童謡……学校唱歌なら普段、自分で歌う事も耳にする機会も少ないからトラウマになってもかまわない……多分、俺は投げやりになっていたのだろう。

 炎を纏った長剣をぶん回す様はまさに火災旋風の様な激しさ。その姿に恐慌に陥り逃げ出すトロールを歌いながら追い、草を刈り取るがごとく命を奪っていくルーセを見守る事しかできない自分に、そんな気分になっても仕方ないさと自分を慰めるしか出来なかった。



 結局、日が暮れ始めて狩りを終えるまでに俺の出番が来る事は無かった。

 だが観客状態でもパーティーを組んでいるのでレベルは上がる。現在レベル三十四……俺、この二日間ほとんど戦ってないのに随分と上がってしまった。

 ルーセのレベルのレベルも三十になった。


 トロール狩りの最初の頃はトロールの膝の辺りに斬り付け──ルーセとトロールの身長差ではそこしか狙いが付けられない──て、脚を切り取られバランスを失って倒れるトロールの首が間合いに入るまでに、もう一度斬り付け、そして三周目で首を刎ねていたが、今では膝への一撃目から首を刎ねるまでの間に三度と計五回斬り付ける事が出来るほど回転数が上がっているが、彼女はまだ不満そうでもっと回転数を上げることに熱中している……向上心が素晴らしすぎて泣けてくる。


 別に何度も斬り付ける事には意味が無い。首を刎ねられて混乱している間に頭部を破壊すれば良いので、一撃目の膝への斬撃で行動の自由を奪いに撃目で首を刎ねてしまえば良いので他は無駄と言っても過言ではない。

 それでもルーセは「あの踏み込んだ時の足の裏の使い方が回転を殺してしまっている……」とか呟き、回転数を上げることに夢中だ。



 一方で俺はまた新しい魔術を憶えた。

 【探熱】十分間(途中で解除可能)視界が熱の分布によって表示される。精度はガラガラヘビのピット器官に匹敵する……しかしガラガラヘビのピット器官がどれくらい凄いのか俺は知らない。

 【粉塵】非常に細かい土の塵を舞わせて視界を奪う。ただし自分も視界を奪われる……なんじゃそりゃ!

 ともかく微妙としか言えないものばかりが増える。ドカーンと爽快に敵とストレスを吹っ飛ばすような攻撃用の魔術は無いのだろうか?

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