第24話

「学校生活はどうなんだ?」

 自己嫌悪から逃れるために話題を変えた。

「柔道をやるには良い環境。それ以外は全てが窮屈かな」

「窮屈……か」

「生活の全てが柔道の腕を磨くためにあるって感じ。その事が常に意識させられるの」

「それは凄いな」

 俺達も必死に空手の技を磨き続けてきた。だが常に意識していたのはどうやって大島を倒すかという一点のみ、その方法は空手である必要は無く手段は一切問わない。


 故に俺達の戦い方は普通の空手という括りからは逸脱している。さすがに目を突いたり金的を潰すような相手を壊す真似はしないが、隙があれば相手を掴んで投げるし関節技も使えば、打撃も掌底や裏拳から身体の中の硬い部位ならどこでも相手に叩きつけることを躊躇しない。

 ……全て大島にやられたことだけど。


 相手の足の甲を踏みつけて動きを封じ、ついでに足の親指で相手の足の小指を蹴るセコイ技など、普通の空手のルールなら反則のオンパレードだった……あれ? もしかして俺達が得意なのは喧嘩であって空手ではないのかもしれない。

「リョーちゃんは、そんな生活に不満は無いみたいだけど……」

「まあ、あいつはなぁ」

 5歳の幼稚園児が、親から勧められた等ではなく自分の意思で「柔道をやりたい」と言い出したのだ。

 それからは一意専心。正直に言って「この子頭おかしいんじゃないのだろうか?」と不安に感じるほど柔道に打ち込んできた。

 今にして思ってみても、幼い涼に耐え切れるとは思えないほどの厳しい練習を自分に課し、それを苦と思っていた様子も無い。

 柔道の申し子。柔道というモノが涼という人間の何処かぴたりとはまり込み、柔道を得て人間として完成したとしか思えない。それほどまでの成長を遂げる。

 それは小学校に進み、歳を重ねても変わらなかった。彼女が柔道で強くなるためのいかなる試練や努力を疎むことは無いだろう。


「リョーちゃんは本当に柔道が好きだからね」

「イーシャは違うの?」

「私は……私はママに勧められて始めただけだから……」

 伯母さんは若い頃は柔道でロシアの代表にも入る程の腕前だったと聞いたことがある。確か国際試合で日本に来て、伯父さんと知り合ったとか……詳しい話は知らないんだけどな。

「柔道をするのは楽しかったし、私に向いてはいたんだろうけど、このままずっと柔道だけをやっていて良いのかなって思わなくも無いんだよ」

「何かやりたい事がみつかったのか?」

「ううん、でも何かやりたいことを自分で見つけたいって時々思うの」

 何処か遠くを見るような目で、心の中の思いを口にするイーシャは俺が思っていた以上に……

「とりあえず恋がしたい! リューちゃん私と一緒に恋をしようよ」

 ……馬鹿な子だった。

「恋ってそういうもんじゃないだろ」

 恋もした事の無い童貞坊やが分かったようなことを言ってみる。

「私は昔からリューちゃんの事好きだよ。分かってるの?」

 さっぱり分からんかったよ! えっ、何で? そんなサインが何処かであった? 何かを見逃してたの?

「どうせ気づいてなかったんでしょ。鈍感」

 ため息混じりに睨まれる。

「はい。すいません」

「それで……どうするの?」

 そう言うとドリンクに付いていたストローを口にくわえて、こちらに袋を飛ばしてくる。

「?」

 それでと言われても……顔に飛んできたストローの袋を指で摘んで首を傾げる。

「不思議そうな顔しないでよ! だ、だから、私と……えっと……ほら、付き合うとか……ね」

 

「良く分からないんだ……イーシャの事は嫌いじゃない。むしろ可愛いと思ってる。だけど恋とか、やっぱり良く分からないんだ」

「この、ぼく……捻転?」

「……多分、朴念仁なんだろうけど、むしろ朴念仁は無愛想とかの意味で、男女の情に鈍いのは木石とかじゃない?」

「くっ……に、ニホンゴムズカシイネ!」

「おめえは生まれも育ちも日本だよ。悔しかったらロシア語で話してみろ」

「……ボルシチ、ピロシキ、イクラ」

「全部食い物じゃないか!」

「良いじゃない! ママだって日本のテレビを見ながら『やっぱり私は日本に生まれてくるべきだった』と言うぐらい日本贔屓で、家ではロシア語なんて全然使わないんだから」

 そう言えば、背が高くて肩幅もあり、胸も大きく足も長い伯母さんは、どうしても着物が似合わないと愚痴るほど、どっぷり日本文化に浸っていたな。


「あっ! 大体リューちゃんだって『恋ってそういうもんじゃない』とか言ったじゃないの」

 余計な事を思い出すんじゃない。

「男の子には張らなきゃならない見栄があるんだよ。察して頂戴!」

「じゃあ私の気持ちも察してね」

「うっ……だけどさ、俺は何かお前のそういう素振りとか見逃してきたか?」

「馬鹿……サービスしたじゃない」

「サービス?」

「腕を組んであげたし、胸も押し付けてあげた。それに胸のサイズも教えてあげた」

「あのな……普通、胸のサイズは好きな男には教えないだろ」

 どう考えても子供の無邪気さか、それとも気を使わずにすむ気安い相手にとしか思ってない場合だろ。

「また見栄張ってる」

「これは一般論だよ。常識の範囲。童貞にだって分かる話だ」

「……そうなんだ」

 いきなりイーシャがニヤニヤし始めた。

「何だよ?」

「リューちゃん童貞なんだ」

 べ、別に中学三年生が童貞でも全く不思議じゃないだろ。むしろ童貞じゃない方が少数だろ……だよね?

「……悪いかよ」

「全然。リューちゃんが未だなら、私もゆっくり女を磨いて待っててあげる。最終的に私がリューちゃんの初めてを貰えれば良いんだし……」

 何だ? この恐怖感は……まるでジャングルで巨大な虎と至近で遭遇してしまった豆鹿のような気分は?



「よう高城。ずいぶんと楽しそうじゃないか?」

 いきなり肩に手を置かれる。

 驚いて振り向いた先には櫛木田と伴尾、そして田村の空手部の三年生が立っていた。

「おう、どうした三人揃って?」

 そう尋ねた瞬間、三人から殺気が叩きつけられる。

「可愛い外人の女の子と楽しそうにモーニングセットを囲うような高城大先生からしたら、男三人でモーニングセットを食べる俺達なんて不思議で哀れでみっともない存在だよな」

 伴尾が暗い笑みを浮かべている。


「何を言ってるんだ?」

「ちょっと面貸してくれないか?」

「いや、未だ食べ終わってないし──」

 俺の肩に置かれた手に力が入る。普通なら痛みに声を上げるの程の力が加わっているのだろうが肩に力を入れながら肘を上げると、体積の増した筋肉により厚みを増した肩は掴めなくなる。


「そこは空気を読んで素直にYESかハイで答えろよ」

 伴尾と田村が理不尽なことをいいながら、俺の脇の下を通して肩を掴み引っ張り上げて強制的に立たせると、そのまま店外へと引きずり出された。


「こんな所で何だよ?」

 路地裏まで連れてこられた俺は櫛木田達に問いかける……まあ理由は大体察しはついているけどな。

「俺は、俺はお前を殴らにゃならん!」

「俺もだ!」

「俺もそうだ!」

「……だが、出来るのか? 男三人でモーニングセットを侘しく突っつくようなお前らに」

 あっ、一斉に膝から崩れ落ちた。脆いな……豆腐メンタル。

「裏切り者ぉ~、何でだよぅ、空手部の主将、モテナイズのリーダーの癖してぇ~」

 田村が半泣きで怨嗟の声を上げる。

「そんなチームを結成した記憶は無い!」

「ずるいぞ高城ぃ~俺にも女の子紹介しろ」

 伴尾。昔の見合いじゃないんだ。紹介されても相手には断る権利があるんだぞ。俺達の打率を考えてみろバッターボックスに立つだけ無駄ってもんじゃないのか?

「何で高城なんかにあんな可愛い子がぁ~」

 高城なんかと言われても、俺はお前と違ってちょっとワイルド過ぎるけどイケメンの範疇だろ……そうだよな?


「言っておくがイーシャは従妹だぞ」

 鬱陶しく面倒くさいのでネタ晴らしをした。

「な、なんだってぇぇぇぇっ!」

 重力を無視したかのように勢い良く立ち上がる三人。

「イーシャさんって言うのか……詳しく!」

 気持ち悪いほど顔を近づけ、気持ち悪いほど声を揃える。

「俺の伯父さんがロシア人の奥さんをもらって生まれたのがイスカリーヤだ。気安くイーシャと呼ぶな」

「そうか、イスカリーヤか……まるでロマノフ王朝華やかかりし時代。王宮の華と謳われる美しき貴族の令嬢を想像させる美しい名前だ」

 お前、何を言ってるんだ? 遂に櫛木田の頭のネジが飛んだのか……友人が遠くへ行ってしまったような気がする。


「ロシア語か? やっぱりロシア語で話さないと駄目なのか? くそ~っ言葉の壁が」

「あのな田村、イーシャは日本生まれの日本育ち日本語がネイティブな、コテコテの日本人だぞ」

「それは素晴らしい! 高城ぃ、紹介してくれ、是非とも紹介してくれ、紹介してくれないと呪うぞ!」

 血走った目で俺に迫る伴尾。こんな女に飢えて必死過ぎる奴が近寄っただけでイーシャが妊娠するわ。


「お前みたいなケダモノに、可愛い従妹を紹介できるか。さっさと男三人で寂しく映画でも観に行って帰りに映画の話で盛り上がれ」

「よ、よくも図星を言い当ててくれたな……それを言ったらもう戦争だろう。覚悟は出来てるんだろうな?」

「ふん、お前ら如きの行動を読めない俺と思うか? ……大体、俺だって今日イーシャが家に来なかったら一人で図書館に行くつもりだったんだからな」

 俺達モテナイズ四人は肩を抱き合い泣いた……モテナイズじゃねえ!

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