第19話

 道場の建物の入り口に立つと、中から気合や号令などが騒がしく響いて来る。

 大島は入り口脇の事務所の受付に顔を出して「大島だ。本部から連絡が入ってるはずだ。支部幹部を道場に遣せ」と偉そうに命令を口にした。こいつは鬼剋流の中でも傍若無人な男なのだと初めて知った。

 そうだよな大島が普通として扱われる集団なんてこの世界の何処にもあるはずが無い。あってはいけないものだ。あったら世界が滅んでしまう。

「左が更衣室だ。着替えるぞ」

「……何をさせる気ですか?」

 俺の質問に大島は肉食獣が獲物を前にしたかのような禍々しい笑みを浮かべると「面白い事だ」と声を低めて答える。

 これはどう転んでも大島以外の人間にとって碌な事にはならないと確信した。


 空手着に着替えて更衣室を出ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように収まっていた。

 その静けさに不気味なものを感じながら、先を行く大島の背中を追ってロビーを抜けて道場への扉をくぐる。

 中は一般的な学校の体育館の二倍ほどという馬鹿でかい空間だった。そこに二百名を超す人間が、大島の着ている空手着とも柔道着とも少し違う鬼剋流の道着を着て左右に正座して控えており、その奥には七人が立っていた。


 大島はこちらを睨むように見つめる左右の連中の目を全く気にした様子も無く歩を進め、奥に立つ七人の前まで歩く。

「関東支部の大島です。今日は私の教え子に胸を貸していただけるとのこと。誠に感謝します」

 そう言って頭を下げる大島だが、その背中は頭を下げてもなお『傲岸不遜』の四文字が刻まれているようにしか見えなかった。

 それはこの道場にいる全ての人間にもはっきりと伝わったのだろう。大島を見るどの目にも怒りの炎が宿っている……それはさておき、何で俺が胸を借りないといけないんだ? こいつ等全員鬼剋流の門下生だろ。つまり大島はこいつ等に俺を叩きのめさせるつもりなの?


「教え子? 弟子ではないのか」

 七人の中で右端に立つ、一番下っ端風の男──といっても年齢は50絡みなんだけど──が妙にねちっこい声で詰問する。

「私が中学校で教えている空手部の生徒です」

「中学生? 鬼剋流の門下生でもない餓鬼を此処に連れてきたというのか!」

 この雑魚臭のプンプンとするおっさんがは駄目だな。いい歳して簡単に激高するなよ。こんな自分の感情も満足にコントロールも出来ないカスが偉そうに幹部面してる鬼剋流って実は大した事無いんじゃない?」

 んっ? 殺気立った視線が俺の身体にブスブス突き刺さる……おっとヤベェ。つい声に出してしまった。


「この餓鬼が!」

 顔面を真っ赤に染め、踵で床を踏み鳴らしながら俺に迫ってくるおっさん……本当に駄目だわ。大島の百分の一も脅威を感じない。

「その安っぽい激高が駄目だと言ってるのに……」

 そう呟きながら大きくため息を吐いて挑発する余裕もある。やっぱり鬼剋流が凄いのではなく大島という個人が人間離れしているだけなのか?


 いや違うな。鬼剋流で大島の先輩に当たる早乙女さん。女性的な響きの苗字の割には、子供が大好きで、お母さん達をも熱狂させるお面ドライバーシリーズのイケメンヒーローを二、三人は墓場送りにしていそうな悪の大幹部が似合う悪人面だが、大島の百倍は常識人であり、俺達の夏冬の合宿の舞台となる山を貸してくれている山林地主でもある。

 しかし彼は強かった。俺の知る限り大島が敬意を示す唯一の人だけあって、大島を相手にして一歩も引かない猛者だった。


 おっさんは俺との間に立つ大島を突き飛ばそうとして、身をかわされてバランスを崩し、たたらを踏みつつも俺に掴みかかろうとする。その時一瞬大島と目が合う。その目は雄弁に「ヤレ!」と言っていた。


 俺の左襟を掴もうとする手を弾くと、右手をおっさんの顔に伸ばして鼻を人差し指の第一間接と第二間接の間の部分と親指で挟み込み、鼻梁に親指の先を突き立てるようにしながら右回りに捻る。

 大島が空手部の部員相手に、たまに使う空手の技でも何でもない通称「鼻輪捻り」という奴のオリジナル技だ。

 鼻輪というのは牛の鼻に取り付けられる鉄の輪であり、それを掴んで強く捻る事で、暴れ牛も女子供の力でも地面に転がして大人しくさせることが出来る。

 それは人間も同じで鼻を掴まれて百八十度も捻られれば、それに従って身体を床に転がすしかなかった。

 床の上に転がったおっさんを見下ろし「未熟」と言わざるを得ない。

 俺はシステムメニューのコマ送り戦法を使ったわけでもなければ、レベルアップによる身体能力の上昇に頼ったわけでもない。馬鹿が勝手に激高し冷静さを失ったことと、大島にかわされて無様にバランスを崩した事を勘案しても、一番貰うべきではなく、そして避けやすい鼻への攻撃を貰うようでは空手部の三年生の誰にも勝てないレベルとしか言い様がない。

 ……何か聞いていた鬼剋流と随分と話が違うんですが?

 まあとにかく、相手が自分より格下と分かれば気が大きくなるのが小心者の常。俺は今、かつて無いほど調子に乗っている。


「ざまあねえなぁ~」

 大島が堪らないと言った様子で、抑えきれない笑みを溢す。

 悪巧みをした挙句に最後に桃太郎侍に斬られそうな、その悪党面を見て俺はわかってしまった。

 今日俺が大島に対して挑発的な言動をしても『説諭』が飛び出さなかったのは、この状況を作り出すために五体満足のままの俺を此処に連れてくる必要があったからだと。さもなくば今頃俺は……恐怖に身震いが起きた。


「中学生の餓鬼相手に恥を晒してなぁ…………お前、腹切れ」

 いきなり真顔になった大島の口から物騒な言葉が飛び出る。おいおい此処は江戸時代か?

「な、何おうっ!」

 おっさんは立ち上がると、大島に掴みかかろうとする。馬鹿だ。俺にさえ簡単にあしらわれる程度の奴が大島に掴みかかるって勇者様過ぎるにも程がある。

 案の定、大島から本家本元「鼻輪捻り」を喰らって床の上に転がる。手加減した俺のとは違って鼻から大量の鼻血を噴き出しながら苦しみ悶えている……鼻筋が曲がっている。あれって鼻折れてるだろう。他人の鼻を折って笑顔を浮かべる大島のメンタリティーが恐ろしい。


「わかんねえ奴だな。腹を切るか鬼剋流の破門のどっちか好きな方を選ばせてやるって言ってるんだよ。お前等全員な」

 正面に立つ幹部達を指差しながらそうのたまう大島……言ってなかっただろ。お前は教師の癖にどうしてそうも言葉が足りないんだ?

「馬鹿なことを言うな! お前に一体何の権限があってそんな事を」

 一人欠けて六人になってしまった幹部達の中で一番偉そうな男が大島に噛み付く。


「本部でもお前らの事は問題になってるんだよ。鬼剋流の看板で金儲けしてるってな」

「金儲けの何が悪い。我々は慈善団体じゃないんだ」

「確かに慈善団体じゃないな。だがなお前等のやってる様なダンスごっこでもない。鬼剋流は武術だ。文字通り鬼に勝つために磨き上げられた武術だ。だから限られたものにしか入門は許されない。それが何だこの有象無象は?」

 甲信越支部の本道場とはいえ、特別な日という訳でもなさそうなのにこの人数が集まっているという事は、甲信越支部全体では鬼剋流派の門下生は1000人を超えるのではないだろうか?

 大島に鬼剋流への推薦を受けられなかった──まあ推薦を受けたとしても辞退するだろうけど──空手部の先輩達でも『こうやの七人』の逸話の様に二十倍の数の武闘派で知られる不良どもを相手に圧勝するほどだ。

 

そんな彼等よりも強い「はずの」人間が1000人ね……何となく問題点が見えてきた。


「ダンスごっこだと? 無礼にも程があるぞ大島! 優秀な人間を沢山集めたんだ。それは我々の功績であって本部から感謝されこそすれ文句を言われる筋合いは無い!」

 二流映画の小悪党の開き直りみたいだ。つまり先人が積み上げてきた鬼剋流の名声──悪名の方がしっくり来る──という看板を使って人を集めて金儲けしたってだけな訳だ。

 そしてそれが本部でも問題になって大島が送り込まれた。何か面倒な話だな。

 普通に本部から人を送ってこいつ等を解任すれば良かったんじゃないの? これじゃ映画のマフィアか何かの粛清劇だろ……というか何故俺は「鬼剋流≠マフィア」と思い込んでいるのだろうか? むしろその手の団体と同じようなものと考えた方が自然の様な気がする。

「ダンスじゃなければ何だと言う気だ? 仮にも鬼剋流五段が中学生に軽く捻られるなんて、俺は悪い夢でも見てるのか?」

「くっ」

 大島の皮肉に言葉も無いようだ。そうだよな仮にも熊殺しの試練を乗り越えているのだろう鬼剋流の五段とやらは、それに対して先程のおっさんは余りにお粗末。余程若くして五段を取得した後、不摂生を重ねて折角の身体能力や技量を腐らしたのか、それともその試練とやらを誤魔化して潜り抜けたのか……まあ、どうでも良いさ、鬼剋流の事情など俺には関係の無い事だ。


「そうだな、この餓鬼に勝てたら本部にとりなしてやっても良いぞ。俺が鬼剋流でなく空手だけを教えたただの中学生だけどな」

 だから俺には関係の無いことだろに、朝飯にほうとうを奢ったくらいで何をさせる気だ! あんまりなめた事を言いやがると俺がこの手で……この手で電話かけて自衛隊呼ぶぞ。


「高城、徹底的に奴等の面子を潰してやれ。本気で、お前の本当の本気でな……上手くやったら食い放題じゃない焼肉屋で何でも自由に食い放題だぞ」

 大島が耳元でそう呟く。く、食い放題じゃない焼肉屋で何でも自由に食い放題だと。何だその矛盾に満ちた素敵な言葉は? 成長期の肉体にぐっと来る魅惑的なフレーズは何なんだ? こんな言葉は今まで一度だって聞いた事が無い。


 だが、何が悲しくて大島なんかと一緒に飯を食わなければならないんだ……自然に足が前に出る……大島の言葉なんて聞きたくないのに身体が……身体が勝手にビクンビクン……気付けば幹部達の前に俺は立っていた……さあ美味しい肉どもめ。焼いてやるから掛かって来るが良い!


「餓鬼の相手など出来るか。原田。お前が相手をしてやれ」

 幹部の一人が、向かって左側に正座する者達の列に命じると男が立ち上がった。

 その身体は俺とほぼ同じ体型で、一見、長髪のイケメン風だが顔立ちはクドくどこか気持ち悪い。年齢は二十代半ばと言ったところか、身体のたるんだA5ランクの肉ども──もとい幹部達よりは遥かに動きは良さそうだ。


 原田は俺の前に立つと、開始の合図も無くいきなり腰を落とすと滑るように俺の下半身にタックルを仕掛ける。鬼剋流には打撃だけではなく投げや関節、締め技もある事は知っていたので驚く事も無く。腰を落としながら態と膝を取られつつも奴の後頭部の無駄に長い髪の毛を握り込むと一気に引き千切ってやった。

「ぎゃぁぁぁぁっぁぁぁっぁっ!!」

 女の様な悲鳴を上げながら後頭部を抑えてのた打ち回る原田に歩み寄ると、その顎を横から蹴り飛ばして意識を刈り取った。

「馬鹿が仮にもそれが戦う事を選んだ男の髪型か!」


 後頭部を両手で押さえた状態で仰向けに寝転び白目を剥いて気絶している原田を見て湧き上がる思いは「アホの末路」の一言のみ。

 百歩譲って打撃技に特化した空手とかならともかく、投げ・間接・締め技という相手と身体が密着した状態での技も使う鬼剋流をやっていて髪を長くする意味が分からん。


「は、反則だ!」

 そもそも空手対鬼剋流という異種格闘技戦で、ルールも決めずに先手を取って攻撃を仕掛けておいて反則も糞も無いだろう。

「そうだ。髪を引っ張るなど女の喧嘩の様な真似は認められない」

 問題は実戦派武術と名乗る鬼剋流で引っ張られるような長髪をしてる奴がいることだろう。

 まだ長髪自体は良いだろう。それは絶対に自分の髪に触れさせないという自負とそれを支える実力があるのならば。

 だが長髪を相手に掴まれた段階で、そいつには何も語る資格はなくなる。

 そんなことも分からない馬鹿どもの女々しさが面白く思えてきてニヤニヤが止まらない……もしかしてこれがSっ気の萌芽? あぶないあぶない。


「やっぱりこいつ等お遊戯気分でやってますよ」

「う、うむ」

 俺は連中を挑発するために声を掛けたのだが、大島は想像を超える幹部達の愚かさに頭痛を覚えたのか頭を抱えていが。

 やはり身内の恥というものは大島にとってさえ頭の痛いものであるようだった……携帯を持ってたら写真にとって学校中にばら撒いてやりたい。


「何だと貴様!」

「分からないのか? 何も難しい事は言ってない。お前達のお遊戯は幼稚園の発表会でも顰蹙を買う低レベルだって言っただけだ」

 勿論、そんな事は一度も言ってない。これじゃ大島と同レベルだ。


「ふざけるなっ!」

「口ばっかりギャーギャーと五月蝿い連中だな。これから大島が泣いてもう許してと謝るくらいに、高級焼肉店で食い放題をやるんだからさっさとかかって来い」

 挑発が効いた様で先程原田が座っていた辺りから指導員と思わしき男達が十人ほどが一斉に立ち上がる。


「高城。俺も手を貸そうか?」

 もう退屈してしまったのか大島がそう口にした途端、男達が一斉に腰を下ろそうとする。おいおい折角挑発したのに何してくれてるの! それにどんだけ恐れられてるんだ。悪名高すぎだろ。

「………………」

「…………悪い」

 俺が無言で責める続けると珍しく素直に謝罪の言葉を口にした。

 それは単に自分の言動を詫びたのか、それとも余りにも不甲斐ない鬼剋流の身内に対してなのか……後者だね。


 再び男達は立ち上がり、1人が俺の前に立つ。

「俺は──」

「興味も無ければ憶える気も無い。お前らには俺に名乗る資格も無い。そして時間が勿体無い。まとめて掛かって来い」

 我ながら大きく出たものだ。先程の原田と言うアホもそうだが、こいつ等は弱くは無いだろう。多分技量、そして身体能力もレベルアップの恩恵を受ける前の俺よりも多少は上だろう……だが、俺も単にレベルアップだけではなく、命を賭けた戦いを潜り抜け、死ぬような目にも何度も遭い戦うという事を身体と心に刻み込んでいる。

 スポーツならともかく「戦い」でこの程度の奴らに負けるなど、レベルアップの恩恵が無くてもあり得ない。


 俺の挑発の言葉に男達が殺気を放つがそんなものに飲まれるほど柔ではない。

「吐いた唾は飲み込めないぞ」

 男は目に凄みを利かせて言い放つ。

「えっ! 俺に言ってるの?」

 男達はついにキレ、一斉に襲い掛かってくる。


『セーブ処理が終了しました』

 戦いならばセーブの必要は無かった。

 だが俺は決めたのだ。こいつらにはスポーツでも戦いでもなく悪夢のようなお遊戯を演じてもらおうと。そして素人演出家の俺には保険が必要なのだ。


 囲まれて背後を取られないように移動し、襲い掛かってくる男の拳をじっくり引き付ける。異世界で最初に戦った森林狼に比べたら欠伸の出るほどの遅い。例え日本刀による斬撃であろうとも冷静に最後までじっくり見定められる胆力を身につけた俺には、ON/OFFによるコマ送りを使うどころか、レベルアップした【動体視力】に頼る必要も無く見切ることが出来る。

 拳の軌道を見定めて右の肘で受ける。嫌な音を立てて男の拳が砕けた。

 拳を押さえて悲鳴を上げる男に「だからあれほど小魚を取りなさいとお母さんが言ってたのに」と勝手なお母さん像を押し付ける。


 俺の左の視界の隅から隙を突いて頭部への回し蹴りを放つ、良いタイミングだがレベルアップで周辺視野の範囲も拡大している俺には不意打ち足りえないし、それ以前に不意打ちなのに「きぃえぇぇぇぇっ!」とか叫んだので台無しだった。

 左腕を振り上げ、正確に俺のこめかみを狙って飛んでくる足刀を下から打つ。

 完全に当たると確信し、蹴りを叩きこむ事しか意識に無い状態で軌道が逸れたため、蹴り自体に引っ張られてバランスを崩した相手の股間を容赦なく蹴ると樹脂製のファールカップが潰れる感触がした……せめて片方だけでも神の祝福があらんことを。



 二人の重傷者を出した段階で大島に視線を送る。返答は爽やかなゲス顔で拳を軽く突き出すジェスチャーを繰り返す……それを行け行けGO!GO! もっとやれと解読した。


 瞬く間に二人が戦線を離脱したのを見て、男達は憮然とした表情を浮かべるが、直ぐに仲間同士で目配せすると包囲するために距離をおいて回り込もうとする。

 こいつらは状況を理解しているのだろうか?

 二人が俺に対して何も出来ずに一瞬でやられたのに、包囲するという事は……むろん各個撃破しかない。

 正面から左へと回り込もうとした奴へ一気に距離を詰める。


 相手は足を止めると俺に身体の正面を向けて両手を前に出す。どうやら組み付いて俺の動きを抑え込んで他の連中に討たせるつもりなのだろう。

 だが組み合いだろうが殴り合いだろうが、既に主導権は俺にあった。

 組み付きに来た腕を、捻りを入れて突き出した掌底で弾くと同時に両足の膝を抜いてスライディングで相手の脇を滑り抜けながら両足を脇に挟んで刈る。

 倒れながらも両手を突いて身体を庇おうとするが、抱え込んだ足ごと身体を捻ってやると、肩から「ドン!」と床にぶつかり、次いで「ゴン!」といい音を立てて側頭部を床に打ち付けた。


 この戦いにおいて広がって包囲することには何の意味もない。元々俺は逃げる獲物役ではなく狩る側だ。俺が誰を標的に定めようとも、常に俺に対して複数で当たれるように範囲を狭めて密度を上げた状態で俺との距離を詰め、三人で一斉に何処でも良いから俺の身体を掴んで動きを封じ込め、残りで俺を叩き潰すくらいの泥臭い作戦をとれば、俺も本気を出さざるを得なかった。

 だがこいつらは綺麗に勝とう欲をかいてしまった。


「三人目」

 良い感じにアドレナリンが分泌される。

 武術って奴は相手を打倒する手段だ。何を勘違いしたのか「戈を止めると書いて武」とか得意気に言ってる奴がいるがあれは実に恥ずかしい。武という字を分解しても戈と止にはならないことさえ分かっていない小学生からやり直すべき阿呆どもだ。


 武術は文字通り戦う術であり、それをどう使うかは個人の資質の問題。そして力をどう使うかに関係なく、蓄え磨き上げた己の力を発揮する一瞬にこそ武の本懐がある……と大島が言っていた。

 では異世界で龍と戦う事に武の本懐があるのだろうか?

 答えは否だ。ティッシュペーバーの箱はどんなに使い勝手が良くてもカップ麺の蓋の重石に使われるために存在するのではない様に、龍と戦うために人間は存在するわけじゃない。

 俺が空手を通して身につけた戦うための術は、異世界で魔物相手に使うものではなく現実で人間相手に使われるモノだ。今俺は本来あるべき戦いの中で「やっぱり戦いって、こういうモノだよな」と実感している。


 三人目を倒し相手の包囲を突破すると、その外側に回り込む。

 その時、周辺マップで俺の背後に正座する者のシンボルが黄色から赤へと変化する。次の瞬間、振り返りながら放たれた蹴りは、今立ち上がろうとしていた男の鳩尾に突き刺さる。

 後方へと吹っ飛んだ男には目もくれず「死にたくなければ座ってろボケ!」と叫ぶ……何か今の俺ってかなり大島っぽくない? そう気がついて背筋がぞっとする。


「高城ぃっ! そろそろ本気を出せ」

 何を言い出すんだこの男。俺は十分に本気だ。これ以上力を出せば俺が普通の身体で無いことがバレてしまうだろう……もしかして、既にバレてる?


 そういえば、焼肉の話を持ち出して俺を炊きつけた時「本気で、お前の本当の本気でな」とか言ってた。バレてる……よな。一番知られたく無い奴にバレてるよ。拙いどうしよう?

 呆然とする俺の隙を突いて、いい加減にしろと思うが「きぃえぇぇぇぇいっ!」とか叫びながら、飛び込みながらの同足突きを打ち込んでくるのを、反射的に裏拳による薙ぎ払いで顎を打ち抜く。

 踏み込んだ足が床に着く前に、お花畑の向こう側へと意識が飛んでしまった男が床の上を滑っていく……今のはヤバイなかなり強く入ってしまった。後遺症が残るような怪我は拙い。後で方金と一緒に【軽傷癒】で治療しておこう、人体実験的な意味も込めて。


「四人目」

 残り六人。そろそろペース上げていかないと大島の気が変わりかねない。

 俺は自重を止めてレベル一の頃と同程度に抑えていた身体能力を五割増し程度まで開放する……といえば格好良いが、単に手加減の度合いを下げるだけだ。

 五割増しの筋力があれば五割増しの速度で動けるわけではないが一割程度の向上はある。

 それほど大きな能力差の無い者同士の戦いの中で自分の速度が一割上がれば、戦いは戦いではなく一方的な狩りと化す。

 冷静さを失い喧嘩の様に大振りに振り回される拳を優しく受け流し、胸板に左右の3連打……を打ち込んだら殺してしまいかねないので、フルパワーのデコピンを額に打ち込む。

 インパクトの瞬間、デコピンによるものとはとても思えない音を立てると、男の首は反動で反り返りそのまま後ろに倒れた……うん、分かってるんだ自分でも、既に空手でも何でも無いって事は。


「五人目」

 どうしようネタが切れた。面倒臭いから普通に殴ってしまいたい。大怪我を負わせることになるかもしれないが殴りたい。面子を潰すか……恥ずかしくて人前に顔を出せないような負け方をさせれば良いのだろうが、そんな風に勝つことを考えて空手に打ち込んできた訳でもない。

 残り五人もどうすれば…………


 結局四人連続でデコピンにしてしまった。大島が目で「他にレパートリーは無かったのか? 芸無しめ」と責めてくるが知った事か。

 最後の一人は、帯を解いて上着を剥ぎ取り、パンツごと下をおろして下半身を素っ裸にしケツが真っ赤になるまで蹴りまくってやった。四つんばいになり泣きながら逃げる男の醜態に大島は大喜びだ……しかし、俺は特に後半は中ダレからくる手抜き感が半端なかったので……『ロード処理が終了しました』


「うん、いい出来だ」

 俺が会心の笑みで戦いを終えたのは六回のロードの後だった。



「貴様、こんな真似をしてただで済むと思ってるのか!」

「有段者が、白帯の中学生に十人がかりで叩きのめされて警察に泣きつくと? 例え試合と言い訳をしても多人数で襲い掛かった段階で捕まるのはこいつらと、それを止めずに容認した責任者のお前達だろ」

 思いっきり鼻で笑って見せるが、本当に大丈夫なんだろうな大島? お前がやらせたんだからな。今更知らん顔したら、そりゃもう俺は出るとこ出てお前を訴えてやるからな!


 そんな思いを押し殺して、幹部達を指差しながら大島に尋ねる。

「こいつ等もやってしまって良いんですか?」

「録画するからちょっと待て」

 そう言いながら大島は隠し持っていた携帯電話を取り出すと、操作をしてカメラかビデオモードか知らないが設定するとファインダーを覗きながら構えた。

「よし良いぞ。構わないから全員ひん剥いて、ケツの皮がずる剥けになるまで蹴りまくってやれ!」

 やはり最後の男への仕打ちが大いに気に入ったようだ。悪魔のような笑みを浮かべてやがる。


 正直、何でこんな汚い爺どもの尻を蹴らなきゃならないのか分からない。俺の足だって「どうせ蹴るなら可愛い女の子お尻を優しくソフトにポヨンっと蹴り上げたい」と思ってるに違いない。

「了解です!」

 だが焼肉のためにそう答える。それと同時に幹部達は逃げた。全力で逃げた。

 たるんだ身体の何処にそれほどの走力を秘めていたのか不思議なほどの勢いで逃げた。道場を走りぬけ、廊下を渡り、階段を登り、そして捕まる……魔王(大島)から逃げられるはずが無いのだった。


 成金趣味丸出しの毛足の長い赤いじゅうたんを敷き詰めた二階の廊下で、下半身を丸出しにした爺どもが豚の様な鳴き声を上げながらたるんだケツを俺に蹴りまくられる様子を大島がゲラゲラと大声で笑い。終いには俺にカメラを押し付けて、自分で蹴りまくる。正に阿鼻叫喚。地獄の如き光景であった。。

 その後、幹部どもは支部長室に連れ込まれて、先程撮影した画像データーをネタに大島に脅されて、何やら念書を書かされていた……どう見ても勧善懲悪ではなく、小悪党を食い物にする大悪党である。


「よし。いい仕事だった」

 大島は本当に満足気だ。こんなに機嫌の良い大島を見たのは初めてだ。帰りの車の中でも終始ご機嫌で、約束通りに焼肉屋に俺を連れて行き、予想を遥かに超える高級店に俺が気後れするのにも構わず、俺の肩を叩きながら「良くやった。さあ食え。好きなだけ食え」と言いながら嬉しそうに笑っていた……怖い。この反動がとても怖い。

 しかも、その後も車中で「よし空手部の連中を連れて焼肉をはしごだ」と言い出す始末。


「戻ったぞ!」

 学校近くの大島の住むアパートに車を停めると、その足で学校に向かい格技場に踏み込んでいく。

 部員達からの「オッス!」と挨拶を受けながら辺りの様子を見渡している。全員額に汗を浮かべ呼吸を整えているのでサボっていた様子ではない。それに大島も満足した様子だ。

「練習ご苦労。お前ら今日の練習はこれまでだ。これから焼肉を食いに行くからさっさと着替えて来い」

 呆然とする部員達。大島が練習を早目に切り上げるなんて俺にとっても前代未聞だ……櫛木田よ疑うのも無理もないが偽者じゃないから安心しろ。

「心配するな。俺のおごりだぞ」

 皆の呆然とした顔を金の心配したのかと間違って空気を読んだ大島がそう付け加える……むしろそんな大島の様子に皆は心配してるんだよ。


 二軒目は一軒目に比べれば庶民的な、学校からバス停三つ分離れた駅前にある焼肉屋だった……無論、バスなんて使わせてもらえないが毎日走らされてる俺達には散歩にもならない距離だ。

 俺も家族で何回か食べに来たことのある店──無論、普段は外食で焼肉を食う場合はもっと安い食い放題の店だ──で、お値段もそこそこする。

「よしお前ら、どんどん好きなものを注文して食え」

 先ほどの店でも二人で五万円以上の支払いをした。

 ここはそこまでの高級店ではないが三年生が五人、二年生が七人、一年生が六人。それに大島を入れて19人である。体育会系の中学生男子にそんな事を言ったらここの支払いは10万を軽く超えるだろう。

「先生。支払いは大丈夫なんですか?」

「な~に構わんさ。途中のコンビニで金はおろして来たし、後で鬼剋流本部に経費で請求する」

 そう答えて笑みを浮かべた……逃げて! 経理の人逃げて!


「注文したのは揃ったな。まず一年生。良く練習についてきている。このまま先輩達に遅れぬようにしっかりとついて来い。二年生。この一年間良くがんばった。お前達も自分で気づいていると思うが一年前とは別人と言っていいほどお前らは強くなっている。より高みを目指してこれからも日々練習に励んでくれ。三年生。お前達は最上級生として自分だけではなくしっかり後輩の面倒も見ている。後輩を指導する事で、ひたすら己を鍛えるだけでは決して分からないモノをお前達は身に着けるだろう。これからも励め……そして紫村。お前は少し自重しろ。それから連絡事項だ。俺は明日鬼剋流の本部に顔を出さなければならなくなった。だから明日はお前達の練習も休みとする。一年生はしっかり身体を休めておけ。以上だ。今日は胃袋がはじけるまで食え」

 部員達が泣いている。大島の『人間の』指導者らしい言葉に涙を流しているのだ。かつてこれほどまでに部員達からの大島の株が上がったことがあるだろうか? ……いや無い。

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