第17話

 その後、オークを狩りながら先を進むと日暮れ前にはコードアの村が見えてきた。

 結局狩ったオークの数は八十体に超えており、本気で村までの小道を縄張りとするオークが全滅していても不思議が無い。だがレベルはもう一つ上がって二十四になっただけだった……明日どうなってしまうんだ?


 救いといえるのは、レベルアップでついに『魔術:光属性Ⅱ』の【軽傷癒】という回復系の魔術を取得していた。表面上の小さな傷を癒す【傷癒】と違い、内出血や打撲などの内部の損傷を狭い範囲だが癒す事が出来る様だ。

「これだよ。これが回復魔法って奴だろう」

 正直なところ【傷癒】は傷の治りやすい絆創膏の凄いやつ程度の認識だった。


 全てのオークの死体は収納してある。とにかく沢山狩ってレベルアップが目的なので、当然血抜きもしておらず食用に堪えるとは思えないが流石に道々にオークの死体を放り出して先に進むのは気が引けたのだった。

 とりあえず二体のオークの死体を取り出す……オークの身長は百六十センチメートル位だと思っていたが、こうして仰向けに横たえると背筋が伸びて俺と同じくらいの身長がありそうだった。

「しかし、まだ温かいな」

 最初に倒した三体の中から二体を取り出したのだが、どれもまだ死にたての様に身体が温かく血も固まるどころか流れ出る血が止まっていない。

「まさか……」

 もしも、システムメニューの【所持アイテム】の中に収納されている物体の時間経過が無いという良くあるご都合主義がまかり通るなら、流通における革命としか言い様が無い……もっともそれを役立てる術が、こっちにも現実の世界にも無いんだけどな。

 精々、俺個人が便利に使えるだけで勝手に商業用の物資を町から町へと移動させて商売したら抜け荷の罪で御用だな。


 二体のオークはいずれも首を切っているので、両の足首の内側からアキレス腱の辺りに掛けて切込みを入れて血管を切断すると憶えたばかりの水属性Ⅰに属する【操水】を使ってオークの身体から血を抜き取っていく。

 【操水】は【水球】【水塊】のように水を生み出す事は出来ないが、既に存在する液体を自在に操作る事が出来る。自在といっても俺がイメージ出来る範囲でしか動かせないが、今回は足首の方から絞り出すイメージで血を抜き、草むらの向こう遠くへと飛ばして始末を終える。


 まずは道脇に生えている背の高い草を大量に刈取ると、根元と先端を紐で結んで束を何本も作って地面に置き、その上にオークの死体を載せる。そしてロープを死体に両方の脇を通して結び、草をソリにして二体とまとめて引きずれるようにすると、更に根元だけを結んで扇の様に広がった草の束を何枚か上に被せ著者日光を遮りコードアの村に向かって進む。

 血を抜いたといえどもそれぞれ百キログラムはあるので計二百キログラムを引っ張るのは以前の俺にはきつかっただろうが、今ならスキップしながらでも進める。


 そういえば、この先にあるのコードアと更に奥にあるアギは村なので、町と違って役場が無く魔物を倒しても報奨金は出ないというか、そんな田舎の為に報奨金を出す気も無いというのが領主側の意向らしい。

 まあいいさ、手ぶらで行くよりは獲物を持ってた方が村の人間と話のきっかけにもなると思ったからで、目的は金じゃない……『目的は金じゃない』格好良い言葉だ。是非とも現実世界で、この言葉を一生に一度くらい使える大人になろう。



 村に近づくと何やら独特の臭いが鼻につく。別に不快に感じるほど臭いという訳でもないが気になる臭いだ。

 おっと武器を持たずに村に入ったら、どうやってオークを仕留めたのかと不審に思われるな。とりあえず周囲を見渡して誰も居ないのを確認し、ついでに周辺マップを確認して……槍を装備する。


 村の周りは柵に囲まれているが、入り口は門というほどの構えではなく単に柵の切れ目といった感じで外界から閉ざすための扉も無ければ門番も居ないので、誰にも咎められることなく普通に入って行けた。

「おう坊主。外の人間か? オークを二匹も狩ったのか中々やるな」


 この世界の人間は現実世界の人間に比べると身長が低い。

 日本人に比べても十センチメートルほど低いように思える。その分俺が長身に見えるようで、口調を変えて態度を偉そうにしたのとオーガを倒したこともありネハヘロの町では俺を子共扱いする人間はいなかったが、先入観が無ければ髭を生やしていない俺は背の高い子供と判断されてしまうのだろう。


 右手に弓を持ち、それで仕留めたのだろう数羽の鳥や兎のような小動物の足を紐で結んで左肩に担いだ、多分30歳くらいの男が声を掛けてきた……この世界の男どもは皆髭面で歳が分からん。


「どういたしまして。ところでおじさん。こいつは何処で買い取ってもらえるのか教えてよ」

 いい加減、あのウザイ口調は止めた。今度は馬鹿な子供の口調だ。自分でも何故? と思わないでもないが、折角の異世界だから現実とは違う自分を演じたいという気持ちが先立った……まあ、どうせ直ぐに後悔するんだろうけど、その頃には別の場所に行ってるから気にしたら負けだ。


「おじさん、だぁ?」

 坊主扱いにはテンプレ的な返しのはずだがお気に召さなかったようだ。まあ挑発のテンプレだから仕方ないけど。

「俺が坊主なら、そっちはおじさんだろ?」

「そこはお前。『坊主じゃねえよ!』だろ」

 思ったよりも良い人だな。からかい甲斐がありそうだ。

「いやいや、現実を受け止めて認めた方が良いよ。おじさん」

「なんて口の達者な奴だ。くそ、肉屋はこっちだぞ坊主!」

「ありがとう。お・じ・さ・ん」

 舌打ちして歩き出す彼の後を追いながらそう答えた。

「……やっぱり、おじさんは止めてくれない? えっとあの……なんだ……お坊ちゃん?」

 お坊ちゃんじゃ、どのみちあんたはおっさん扱いだろ。と思ったが、本気で困っている様なのでからかうのは止めておこう。

「俺はリューだよ」

 何時の間にか俺自身もリュウは諦めてリューになっていた。

「俺はムカルタだ。もうおじさん言うなよ」

「了解。了解」

 そう応えながら、もうこのキャラクターがウザくなってきた自分の飽きっぽさに驚くしかなかった。


 ムカルタの後をオークを引きずりながら歩く俺の後ろから、何かを引きずる音が迫ってくる。振り向いてみるとそこには異様な光景があった。

 俺の草ソリとは違う、木製のちゃんとしたソリの上に猪に似た巨大な生き物の死体が載せられている。大きさは牛サイズで重さは多分五百キログラムくらいはあるんじゃ無いだろうか、そこまでは良いのだが問題は、それを曳く人物がまだ8歳くらいの女の子だという事だ。


 一瞬、これが話しに聞くファンタジー生物の怪力自慢のドワーフなのだろうと納得しかけたが、それ以前に物理的におかしい。女の子は身長が一メートルを少し超えた程度で、しかも細身なので体重はどんなに多く見積もっても三十キログラムにも届かないだろう。

 彼女にとっては自分の体重の二十倍近い重さの物体である。舗装された道で車輪がついたものを曳くなら可能だろうが、こんな凸凹のある土の道をソリに載せてでは無理だ。

 推すのなら自分より何百倍の重さだろうが力さえあれば動かす事が出来る。斜め上に押し上げるようにして推せばいい。

 同様に曳く時もベクトルを少し上に向けて引っ張り上げる様に曳けば、自重よりもずっと重たい物でも動かすとは可能だ。

 だがこの場合は違う。彼女の身長ではソリ荷台と同じ高さに結ばれたロープを引っ張るとほとんど角度が無い。僅かに上向きに引っ張っているだけなので足の裏と地面との間の摩擦力で引っ張る必要があるが。彼女の体重ではあれほどの獲物とソリを曳くだけの摩擦力は生まれない。

 更に確認しても、彼女の足跡にはスパイクの様なもので付けられた跡も無かった。


 明るい栗色の髪に緑の瞳で顔立ちは可愛らしくすらある女の子が感情を外に表さず、これほどの大荷物を曳きながら力む様子もなく無表情のまま驚きのあまり足を止めてしまった俺を追い越して行く。ファンタジーが仕事してる感が半端なかった。


「おうお疲れさん。おっ、今日はドンハクッバの大物じゃねえか。やるな!」

 ドンハクッバ……別に猪とか猪モドキで良いだろうと思うが、ゴブリンだのオークだの龍は現実世界と同じ呼び名な割に動物関係は独自の名前を使う面倒臭さに納得が出来なかった。


「うん、今日は良い狩が出来た」

 驚く様子も無く普通に女の子と言葉を交わすムカルタに、どうして不思議に思わないんだとさらに混乱する。

「おいリュー。何突っ立ってるんだよ。置いてくぞ」

「あっ、ああ」

 俺はムカルタの言葉に反射的に返事をすると彼等の後を追いかけた。


「首の血管を一裂き。良い腕している」

 女の子は俺の獲物を一瞥すると、素っ気無い様子で褒めてくれた。

「おおっ、確かに後は血抜きの時の足首の傷だけか、スゲーなオーク相手に一撃かよ。リュー、今までお前の事を口先ばっかり達者な奴と思っててごめんな」

 女の子の言葉に、オークの身体を確認したムカルタが驚きの声を上げる。


「気にしなくて良いよ。俺は今でもムカルタの事をからかい甲斐のある奴だと思ってるから」

「ひでぇなおい!」

 性格では俺もいい勝負だった。

「ムカルタ。口でも狩りでも負けてる」

「本当にひでぇな。お前等!」

 女の子の止めの一言にムカルタの泣きが入る。

「君も凄いね」

 女の子に話しかけてみる。これくらい歳の離れた女の子ならやっぱり平気だ。同級生とか自分と同じ歳くらいから上の女性が苦手なんだ。

 北條先生を除く女性教師たちも露骨に俺達を犬猿しているせいだ。おかげで年上の女性でも平気なのは母さんや親戚関連と北條先生とくらい。

 テレビに出演している女優とかグラビアアイドルとか……まあ、後はネットで見るAVとかの女優は平気なんだけど実際に目の前に居られると緊張感が半端じゃない……このままじゃロリコンしか俺には道が無いような気がしてきた。

「ルーセ」

 俺を見上げながら女の子はそう口にした。

「えっ?」

「私の名前」

「ああ、俺の名前はリューだよ。よろしくねルーセ」

 そう言って右手を差し出すと、彼女も手を出して握ってくれる。本当に小さな手だ。この手であの大物を仕留めたのかと思うと不思議だ。

 彼女の得物はソリに括りつけられている槍。長さは俺の槍と同じくらいで二メートルほど。彼女の身長からするとかなり長いにもかかわらず、それを使いこなしているのだろう。


「ルーセは精霊様の御加護を受けているからな」

「精霊様の御加護?」

 いきなりファンタジー来ました。ファンタジー来ちゃいました! こんちくしょう!

「だから凄い力を持ってるんだ」

「うん」

 いやいや君達。力だけで説明はつかないんだよ。


「でも。ルーセちょっと良い?」

「うん?」

 肯定の『うん』ではないことくらい分かるが分からない振りをして、ルーセの脇の下に手を差し入れると、そのまま彼女の身体を持ち上げた。もしかしたらとも思ったが、やっぱり軽い30kgどころか25kgあるかないか。

 持ち上げられている彼女は首を傾げて俺を見下ろしているが、別に嫌がる様子も見せない。

「だってこんなに軽いんだよ。幾ら力があったってあんな大物を引っ張れるはずが無いよ」

「そりゃあ、ルーセに御加護を与えたの大地の精霊様だから、大地に足が着いている状態ならどんな状況でも凄い力を発揮できるんだ」

 何故こいつが自慢気なのか分からんが、そんな事はどうでも良い。

「ファンタジーって奴は」

 はいはい、思考停止思考停止……幾ら考えても答えが出るはずが無いので、俺は考えるのを止めた。

 そして2人の「ファンタジー?」という声を無視して、ゆっくりとルーセを地面に下ろした。


「おっ? これは見事な血抜きだな」

 肉屋というか肉の卸問屋の親父がオーク肉の状態を確認し絶賛した。ここで解体処理を施して、加工肉製造を営む店に出荷されそうで、そもそも住民の多くが猟師であるこの村に肉屋は無い。

「それに戦いを長引かせる事無くただ一撃で首の血管を切り裂いてるから血生臭さは全く残ってないはずだ。それに鮮度も驚くほど良い。こいつは高く買い取らせてもらおう」

 親父が提示した数字は2体で1000ネア。ネハヘロでの買い取り価格より安いが、ここは供給過多の小さな村。加工のための原材料と考えれば十分な高値と言えるだろう。

「それで頼むよ」と応じると、親父は笑顔で「まいどあり」と返してきた。

「その調子で俺の獲物にも色を付けてくれ」

「ルーセのも」

 その様子を見ていた2人が俺に便乗して強請るが、親父は「はっ」と鼻を鳴らし軽くあしらった。


「ところでムカルタ。この村の宿を教えて欲しいんだけど?」

 もう良い時間だ。レベルアップも諦めた。夜の娯楽が酒と女しかないような世界において、日が暮れたら飯を食って身体を拭いたら大人しく寝るだけだ。そして当然寝るには宿が必要だった。


「宿? この村には無いぞ」

「えっ?」

 いきなり俺の人生の必要条件が吹っ飛んだ……野宿か? ここにきて野宿なのか? こんなことなら、レベルも2しか上がらなかったし、さっさとタケンビニに行ってしまえば良かった。


「この村に来る人間なんて、村の誰かの知り合いか、食料や雑貨を持ってきて肉を仕入れていく商人くらいだ。商人は村長の家に泊まるし、それ以外は村の誰かの家で泊まるぞ……お前、知り合いもいないのに何しにこんな田舎まで来たんだ?」

 今更そこを指摘するのか? もう忘れてスルーしておけよ。理由はな『レベルアップ』が目的だよ『経験値』が欲しいんだよって意味わかんないだろう? だから言えないんだよ。


「…………面白い獲物がいるって聞いたからだ」

 取りあえず言い逃れを口にしたがあまりに苦しい。もしこの言い訳をされたのが俺なら「どんな獲物で、誰から聞いた」と三秒で追い込んでみせる。

「お前、それって──」

「家に泊まれば良い」

 ムカルタの言葉を遮って割り込んできたルーセが爆弾を投げ込んできた。

「いや、ルーセが良いと言ってもお父さんやお母さんが何て言うか──」

 むしろ泊まるならムカルタの家だ。こいつからベッドを奪い取って寝たい。

「お父さんもお母さんも、もう居ない……」

 俺の言葉に傷ついたルーセは俯きながら答えた。

 爆弾を処理しようと思ったら、そこは地雷原だった。何かの小説の冒頭でそう書いたのは川端康成だっただろうか?


「……だから大丈夫。泊まっても良い」

 俯いた状態から少し顔を上げて上目遣いで見つめてくる。その視線には可愛いとかでは無く、何らかの強い意志を込められている。

 断らなければ碌な目に遭いそうも無いが、断れば確実に禄でもない目に遭う。予感などではなく確信を抱かせる怖い視線だった。


「しかしなぁルーセ。一人暮らしの家にいきなり知らない男を泊めるのはどうなんだ?」

 ムカルタがナイスフォローを入れる。

「リューはもう知らない人じゃない」

 それまでの無表情とは違う、露わな強い感情があった。

 いや君は俺の名前(偽名)とオークの死体から推測出来る狩りの腕くらいだよね。人として信頼に値するかとかの重要な情報は何一つ知らないよね。

「…………そうだな」

 ふざけんな。いい歳してこんな小娘に口で一蹴されてるんじゃないよ。



 結局、俺はルーセの家に一晩厄介になる事になった。

 狭くも無いが広くも無い。家族三人が暮らすには十分な一軒家だが、今そこに住むのはルーセ一人で、どこか寂寥感を感じさせる佇まいだった。

「こっちがお父さんとお母さんの部屋だから、寝る時はここを使って」

「分かった。ありがとうね」

 家の中を案内してくれる彼女に礼を述べながらも、時折彼女が向けてくる鋭く強い視線を感じて怖い。

 そして何故彼女がそんな視線を向けてくる理由に全く思い当たらず、その不気味さが恐怖を倍増させる。


 晩飯作りのためにかまどに火を入れようと火打石を使うルーセだが、火打石を打ち付けて火花が飛ぶ度にビクッと身を強張らせてしまい上手く使いこなせていないようだ。

 その様子を見る俺の視線に気付き、ばつが悪そうに「火花、ちょっと苦手」と口にする。

 そんな歳相応の女の子らしい一面に微笑ましさを覚えつつ背嚢からと見せかけてシステムメニューを通じて魔法の火口箱を取り出す。

「これをあげるよ」

 既に魔法の火口箱と同じ効果を持つ【火口】を憶えた俺には余り意味のない道具だ。一夜の宿の礼に上げてしまっても惜しくは無い……だから怖い目で俺を見ないでください。これ以上ルーセに恐怖を覚えて、年下の女の子にまで苦手意識を持ってしまったら、もう恋愛をあきらめるしかなくなってしまう。

 紫村が手をこっちに来いと手招きしてる姿が脳裏に浮かぶが、そちらには絶対に行かん!


「いいの?」

 仮にも魔法道具だから、買えばそこそこするはずなので遠慮しているのだろうが、こちらとしてもご機嫌取りに貰って欲しいのだ。

「こっちの方が使いやすいはずだから、貰ってくれる?」

 魔法の火口箱は言ってみれば大き目の卓上ライターといった感じで、手に持って『火よ起これ』と念じるだけでライター程度の小さな火が生まれるので、彼女の苦手な火花は飛ばない。

「ありがとう」

 例の視線を差し引いても余り感情を表に出さないルーセの笑顔は可愛かった。

 ちなみにこの時点で俺はまだ【精神】の【嗜好性】のカテゴリーは一切チェックしていなかった。自分が何が好きか嫌いかなんて大した問題じゃないと甘く見ていた……どこのどいつがデフォルトで設定したか知らないが【可愛いもの好き】が急上昇しているなんて。


「面白い獲物って何?」

 食事が始まって、胸の奥で『わ~い。女お子の手料理だ!』と無理やりテンションを上げていたところに、ルーセは言葉の刺客を送り込んできた。

「……何だと思う?」

 質問に質問で返すなと言われるかもしれないが、雄弁は銀、沈黙は金とも言う。こちらから何も情報を出さないというのは最高のレトリックだ。


 ともかく隠し事が多いというか隠し事しかない不審人物である俺にとって、話の主導権を握ると言う事は絶対的に必要な事だ。相手に主導権なんて握られようものならボロを出しまくる事になるだろう。

「リューはどんな獲物を狩ってきたことがある?」

 質問を変えてきたか。一日早くこの質問をされたなら「眼鏡が似合う綺麗な黒髪の美人教師」と見栄の一つも張りたいと思っただろうが、そもそも腐女子の恋愛観ってどうなってるんだろう? 年齢とか立場を抜きにして男性と付き合いたいと思うんだろうか?

 未だ北條先生への気持ちが消え去ったわけじゃないが、ちょっと腰が引けるの気持ちはある。


「魔物なら、ゴブリンにオーク。オーガ」

 オーガという言葉に彼女の表情に小さな反応が表れた。

「それから……」

「それから?」

「聞きたい?」

 彼女から少しでも情報を引き出すために、俺は鬱陶しいくらいもったいぶる。

「聞きたい」

 ここまでで掴んだのは、彼女は俺の言った『面白い獲物』の正体と『俺の強さ』を知りたい。そして俺が無謀な敵に挑もうとしているのを心配しているわけでもない。

 つまり彼女は特定の獲物を……かなり強い魔物で間違いないだろう。それを俺に狩る能力があるのかを知りたいということだ。

 ここから考えられるのは、彼女が自分で狩りたいと思っている獲物を俺に横取りされるのを心配しているか、俺にその獲物を狩って欲しいと思っているかだろう。そして答えは多分後者だ。もったいぶった俺から答えを引き出する彼女の表情には期待を示す色が混ざっていた。


 ここまで分かって、やっと安心する自分の小心さ。八歳くらいの女の子に何をそこまで警戒しているのかとも思わないでもないが、そんな油断する気を起させないだけの力と気力が彼女に感じられる。精霊の加護と言う奴なのかもしれないが


「ところで何故それを知りたいの?」

 主導権を握るためにこちらから話の流れを作る。

「……お父さんと、お母さんを殺した奴を倒したいから」

 想像が当たった事を喜べない。またもや地雷を踏み抜き、こんな小さな子を傷つけてしまった事に後悔の念が募る。

 俯き小さな肩を震わせる彼女の姿が、俺の心に大量の罪悪感を着払いで送りつけてくる。それに耐えられず音を上げてしまった俺は、彼女の頭をそっと撫でると「力を貸す」と言ってしまった。


 言った瞬間に自分で自分を「大馬鹿野郎っ!」と罵ってやりたくなったが、もう言葉は口から出てしまっている。今更取り消すなんて度胸は小心な俺にあるはずも無い。

「本当に?」

 涙に濡れた彼女の目に、ますます「嘘」とは言えずに黙って頷いた。


 もうやけだ、やってやるよ。彼女にたっぷり恩を着せて俺のシステムメニューに関する事は口外無用と約束させれば良いんだろう。だったら包み隠さず全力全開でやってやるよ。

 糞っ! こんな事になるなら今日中にその獲物とやらを倒せれば良かったのに、明日以降じゃレベルアップの意味も半減だ。

「でも……倒せるの」

 相手が何かも知らないくせにもうすっかりと倒す気になっていた俺に当然の質問をする。おれは自分の実力を照明するためにステムメニューから水龍の角を取り出した。


「今の何?」

 布に包まれた棒状の物が突然俺の手の中に現れた事にルーセは目を見開いて驚く。

「俺の特別な能力だよ。力を貸して欲しければ誰にも言わないでくれよ」

 声を低くして話す俺に、ルーセはこくこくと首を何度も縦に振って同意した。


「これは昨日倒したばかりの水龍の角だ」

 包みを解いて、中の角をテーブルの上に置く。

 朝受け取った時には気付かなかったが、包んでいた布は特別製の様で布から出すと同時に角から魔力の波動が周囲に広がっている……やってくれる。本当に喰えない爺さんだな。


「水龍の角……これが……」

「ネハヘロの町の皆の力を借りたけど、実際に水龍と戦ったのは俺一人だから腕は信用して欲しい」

「奴を、奴を倒せる? お父さんとお母さんの仇の……火龍を」

 後頭部をガーンと殴られたような衝撃を受けつつも一切表情に出さなかった俺は凄いと思う。

 龍ってラスボスクラスでしょ。そんな異世界生活序盤でポンポン出てくるものじゃないだろ。

 大体火龍かよ。水、火と来たら次は月曜日の月龍かよ。なんか厨二っぽくて格好良いじゃないか……ヤバイ。現実逃避が止まらない。


「つまり両親の仇である火龍を討つために俺の力を借りたいという事だね」

 黙って頷いて返すルーセの瞳には強い決意の光が宿っていた。

「最初に断っておくけど、俺が力を貸したとしても火龍に必ず勝てるわけじゃないよ」

 水龍相手に勝てたのは酒を飲ませて酔わせたところに襲い掛かるという、どこか性犯罪めいた響きのある作戦のおかげだ。

「簡単じゃないのは分かってる。だけど必ず倒す」

 ルーセは迷いの無い表情でそう言い切る、立派な覚悟だ。棚ぼたチートの小心坊やの俺なんかよりもよほどしっかりしている。

 いやいや、俺よりずっと年下なのに自分ひとりで生活し、親の仇まで討とうするなんて、俺なんかと比べようとする事自体おこがましい。これからはルーセさんとお呼びするべきかもしれない。



「ルーセはその火龍を見たことがあるの?」

「遠くを飛んでいる姿なら」

 俺の問いに頷きながらそう答えた。

「大体の大きさは分かる?」

「大体二十一メートル」

 ……二十一? なんて中途半端な数字。そして中途半端な数字に「大体」が付くのはおかしいだろ? そう疑問に思ったが、俺が耳にし話している言葉が日本語ではないことを思い出した。

 余りに自然に俺の頭の中で言語の入出力が変換されてしまっているので普段は全く意識することはなく忘れがちであるが、今俺が使っているのは異世界の言葉であり、それを自動的に翻訳して日本語として受け取っているが、問題となるのは度量衡の違いだ。

 要するに彼女の使っている度量衡では火龍の大きさは単位は分からないが「大体10」と言ったのかもしれない。

 それをメートルに当てはめると二十一メートルになるので、システムメニューは「大体二十一メートル」と訳したのだろう。

 こうなると便利なのか不便なのか良く分からない。


「二十一メートルか……」

「猟師は獲物との距離と大きさは間違えない」

 俺に疑われたのかと思ったのか少し眦を上げてそう言い切った。

「ルーセを信用していないわけじゃないんだ。ただちょっとでかいなと思っただけだよ」

「大きいと無理?」

「無理とは言わない。ただ少し準備に時間が掛かるかもしれない」

 やはりレベルアップだ。暫くはここを拠点にしてオークを狩りまくってレベル30を目指すべきだな。いや明日、あわよくば大島を倒して大幅レベルアップという方法も……幾らなんでも殺しちゃ拙いな。法律上の問題だけだけど。

「わかった。でも少しでも早く倒すのに何でも協力する」

 もう少しごねるかと思ったがさすがルーセさんは大人だ。素直に頷いてくれた。

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