第16話

目覚めると昨日と同じ宿の一室だった。

「どうしてこの枕なら寝られるのだろう?」

 起きて真っ先に考えたのは枕のことだった。枕に関しては異常なほど神経質な俺がさくっと眠りに落ちる……まさかマジックアイテム? 便利なことに一度手にしてから収納し【所持アイテム】のリストから枕を選択すれば、マジックアイテムかどうか位は確認出来るのだが、調べるまでも無く普通の枕だろう。


 ならば答えは一つつ。お馴染みの【精神】のパラメーターだ。【強心臓】【平常心】【鈍感力】なども上昇していた……現在は精神関連パラメーターの最上位である【精神】の項目でまとめて【レベルアップ時の数値変動】を固定にしてあるが、上げるべきパラメーターと固定するべきパラメーターをリストアップして、個別に設定しなければならないだろう。

 だが今はしない。【筋力】など比べ物にならないほどパラメーター項目が多すぎて、朝っぱらから行う気分になれないからだ。それに今日は忙しい。現実で死なないためにレベルアップしなければならない。


 あの大島と決着をつけることになる。正直、考えただけで恐ろしい。この二年余りの間に身体に、いや魂に染み込むほど恐怖がすり込まれていて、レベル十二までの【精神】のパラメーターの上昇程度では恐怖を打ち消す事が出来ないのだった……やっぱり関連のパラメーターだけでも上昇するように設定しておかなければ拙い。このままでは大島を前に飲まれて一方的にやられるかもしれない。

 とりあえず自分の性格や人間性に関わるパラメーターを固定にし、【心理的耐性】で問題のなさそうな部分だけはレベルアップで上昇するように設定した……【孤立感】【孤独感】特に【羞恥】【被虐】の耐性が上昇したら自分が何処へ向かってしまうのか怖い。

 後は、問題を感じたら調整していくという事で納得した……まあ、問題を感じた段階で手遅れという説もあるが。



 次いで確認するのは魔術だ。

 昨日は湯浴みした後に、鎧の清掃と衣服の洗濯を頼んだ後、飯を食って寝たので投げっぱなしになっていた。

 システムメニューから確認すると、新しい魔術が各属性Ⅰに1つずつ。水・土・火・風の属性Ⅱに1つずつ増えていて便利そうな魔術はあったものの、俺の期待するような戦闘時に活躍してくれる強い打撃力を持つ攻撃魔術は存在しなかった。

 期待が大きかっただけに絶望も深い。本日のレベルアップ大作戦は早くも暗礁に乗り上げてしまった。

 前から思っていたのだが、戦闘による経験値でレベルアップして憶える魔術の割には生活に便利そうなモノが多い。今回憶えた中で戦闘に役に立ちそうなものといえば光属性Ⅰの【傷癒(しょうゆ)】という刺身が食いたくなるような名前の魔術で、小さな傷を治す事が出来た……本当に小さな傷しか直せなくてびっくりしたぐらいだ。

 多分、そこそこの刀傷でも五回か六回、下手すれば二桁掛ける必要があるだろう。


 朝食の後、鎧と服を受け取ると宿を引き払い役場へと向かう。

 役場の扉を潜ると既に顔なじみの老役人が「よう来た」と受付カウンターの向こうから愛想の無い声で迎えてくれた。

 受付カウンターに着くと一枚の羊皮紙に書かれた書面を渡してきた。

「これは?」

「水龍討伐の証明書じゃよ。これを持ってタケンビニの役場に持って行けば水龍討伐の報奨金が支払われる。この町の予算で決算できる額じゃないからのぅ」

「そうか」

「20万ネアになるはずじゃからな」

 現在の所持金の約3倍以上。大金といえば大金だが、本来は領軍を派遣してまで討伐しなければ化け物相手の報奨金としては幾らなんでも安すぎるじゃないだろうか?

 兵士が数人死ねば、その補償金等で吹っ飛んでしまう額だろう……もしかすると、いや、もしかしなくても死んだ兵士の遺族に補償金を払うなんて発想自体無いのだろう。


「……安いな」

 思わず口に出る。

「儂もそう思うぞ……これが他所の領なら少なくとも倍以上になるじゃろうな。これがミガヤ領の現実という奴じゃ」

「本当にこいつを持って行ったら金を受け取れるのか?」

「どうかのう……ネスレインはカプリウル伯爵家の重臣の一族出身。上には顔が利くであろうから、今回の失態もこれまでの不正も全てもみ消すのは難しい事ではないだろうて」

 奴が勝手に税率を上げて住民を不当に苦しめたという事実を無かった事にするために、水龍なんて最初からいなかったという事にされる訳だ。

 つまり、俺はこの爺さんや町の連中にただ働きさせられたという事か……まあ良いさ。最大の目的であるレベルアップも果たしたし、現状で金に困っているわけでもない。

 良い様に使われた自分自身を鼻で笑うと、書面を老役人の方へ押し返す。


「待つんじゃ」

 老役人は俺を止め、筒を差し出してくる。

「それを、これと一緒に領主様に直接渡す事が出来たらなら二十万ネアが手に入るはずじゃ」

「……中は代官を告発する手紙か? 死ぬぞ爺さん」

 代官一族の報復。いや、そもそも領主がまともなら、こんな事にはなっていないだろう。

「そうかものう……だが、もう十分生きた。このミガヤ領に最後のご奉公と思えば」

 領主ではなくミガヤ領への最後の奉公か、爺さんの中では既に自分の雇い主に対する忠誠心は死んでしまっているのだろう。


「盛り上がってるところ申し訳ないが、俺には面倒ごとばかりでメリットが少ない」

 そう言って報奨金の書面を爺さんに押し付ける。

 領主もまともじゃない場合は、そんな行動自体意味がなく。もし家臣が糞でも領主はまともだったしても、領主に直接告発文を手渡しなんて事が出来るわけが無い。そんなことが簡単に出来るならとっくに不正役人は告発されてミガヤ領はもう少しまともになっているはずだ。


 領主の館に忍び込んで枕元にでも置いて立ち去る……そんな忍者か怪盗のような真似が俺に出来るわけもないし、物語の主人公のような冒険譚に興味も無い。そんなイベントなんて欲しくない。

 二十万ネアは大金だが、今すぐに必要なわけでもないし、これからレベルアップを重ねれば稼ぐのが難しい額でもない。


 今なら、腕相撲はともかくオーガにはそれほど苦労せずとも倒せるだろう。もっとも都合よくオーガが何体も現れてくれるとは思えないが……リアルラックには自信が無い上にシステムメニューのパラメーターにも【運】などという項目は存在しないのだ。


 それでも、この件は困難な上に成功の確率が低く得るべき報酬に魅力が無い。そして成功しても失敗しても俺が面倒に巻き込まれる可能性が高い。応じるべき理由は見つからなかった。

「このままだとシスムが責任を負わされる。どうか曲げて頼まれてはくれぬか?」

 確かに隊長の一存で酒蔵を空にしたのだ。水龍討伐など最初から無かったとしたら単なる横領として責任が問われるだろう。


「空になった酒樽も全部蔵に戻して、蔵ごと燃やしちまって、後は町の人間全員で口裏を合わせれば良いんじゃないか?」

「ふむ……それも悪くないのぅ。どうせなら酒蔵が燃えたのもオーガどものせいにすれば良いか……となるとお前さんに支払った報奨金の支払日なども辻褄を合わせて…………」

 俺の言葉に何か閃いた爺さんは悪巧みに現を抜かして暫く戻ってこなかった。

「……だが一つ問題があるのじゃ」

「何だ?」

 ようやく現に戻ってきた爺さんは言い辛そうに切り出してきた。

「水龍討伐自体が無かった事になるのでのう、水龍の肉や皮などをこの町から持ち出して売却することができないのじゃ。この町で買い取るにも何せあれだけの巨体の肉など人口千人ほどのこの町では消費しきれない上に、そもそも水龍の肉も皮も高級素材で買い取り手もつかんじゃろうて……まともに売れれば肉と皮だけでも五十万ネアを下る事は無いじゃろう、その倍もありえるほどじゃが……」

「俺の取り分はいらない。肉は町の皆で食えるだけ食って残りは干し肉にでもしろ。皮はなめして取っておけば腐るわけでもない。代官に見つからないように隠しておいて、何かあったら売って金にして町のために使えば良いさ」

 流石にそれほどの金は魅力的だ。しかし『損して得取れ』というように、人生には損をする事でより多くの損を避ける事が必要になる。


「それは助かるのう……ではこれを渡しておこう」

 そう言って爺さんはカウンターの下から布に包まれた六十センチメートル位の棒状の物を取り出すと俺に差し出す。

「これは?」

「水龍の角じゃよ」

 爺さんが包んでいた布の一部を解くと中から美しい水晶細工の様な、緩やかな螺旋の入った深い蒼の角の姿が現れた。

 美しいが、それだけではなく底知れない強い魔力が宿っている事が俺にでも分かる。

「見事じゃろう。売ればどれほどの価値がつくか儂には分からん。これだけならもって行けよう。さあ受け取ってくれ」

「良いのか?」

「元々お前さんが獲物じゃろう」

「分かった。貰っていく」

 爺さんの手から角を受け取ると背嚢にしまった。


「これから町を出るのかのぅ?」

「ああ」

「ならばこれも持っていくがいい」

「……?」

 とりあえず受け取ってみたが、先ほどのとは違う筒で軽い中に何か入っているのだろうか?

「お前さんの身分証明書じゃ。この町の人間として手続きしておいた……お前さんにも色々事情があるのだろう?」

 そう言って爺さんは楽しそうに笑う……食えない爺さんだ。これを用意していたという事はこの結果をある程度予想していたのだろう。

「感謝する」

 一言そう告げて立ち去る背中を「気をつけてな若いの」と爺さんの声が送り出してくれた。




 西門からネハヘロの町を出る。

 西へと向かう道を真っ直ぐ行けばタケンビニにたどり着くと言われたが、正確には西北西の道が真っ直ぐ地平線の向こうまで伸びている。

「真っ直ぐすぎて気持ちが悪い」

 道幅は二メートルと現代日本人の感覚からすると狭いが、この中世もどきのファンタジー世界では十分に広い立派な道と呼べるだろう。

 それが見渡す限りの草原の中を果てしなく真っ直ぐに続いている様子は俺の目には珍しさを通り越して不吉さすら感じた。

 小学校の頃に家族で北海道旅行をした時に、親戚のいる遠別から最北の稚内へと続く日本海側の道をレンタカーで走った時。

 一時間以上も左手には海。右手には草原が広がるだけで家も信号もない荒涼とした風景に、もしかしたら家族全員交通事故で既に死んでいるのでは? と感じた感覚に似ている。ちなみに稚内では家族全員でウニイクラ丼を食べ、父は涙目で財布を握り締めていた。


 タケンビニに続く道は、途中でネーリエ湖西岸のフーリズールの町へと続く左への分かれ道と、更に先でコードアの村に続く右への分かれ道がある。

 重要なのはタケンビニへの道とフーリズールの町への道はほとんど魔物が出ない安全な道で、一方コードアへの道は時折オークの群れが出現する危険な道。

 迷うことなく「今日はオーク祭りだ!」と叫んだ。



 二十キロメートル程を一気に西へと走りぬけるとコードアへと向かう分かれ道に到着した。

「四十分足らずか……また世界を縮めてしまった」

 ネットで憶えた一度言ってみたかった台詞を口にする。そして周囲を見渡し誰もいないのを確認してほっとする小心さに、これが自分なのだと安心する。

 それにしてもこれほどのペースで走っても息切れ一つ起さない。レベル二十二の今ならもしかすると既に大島に勝てる領域に達している……無理だな。ありえない。思い上がりは死を招く。


 分かれ道を北へと進む。

 道は小さな荷馬車がどうにか通れそうな百二十センチメートルほどの幅の緩やかに右に曲がり続けていて、更に進むに連れて脇に生える草も背が高くなり視界が塞がれていく。


「良い感じだ……」

 今にも魔物が出てきそうな雰囲気に期待が高まる。

 周辺マップにも幾つもの生き物を示す黄色いシンボルがある。そしてそれらは道や道の周辺上には表示されていない。盗賊の類が草むらの中に隠れている可能性は無い。盗賊が魔物に襲われる危険が高く、人の通りの少ない道で態々待ち伏せするわけが無いので、マップ上にある黄色いシンボルは全て人間以外の生き物だ。

 俺は手を両の手の人差し指から小指までを指の付け根から九十度に折り曲げて右手を外にし、両手の中に水を溜められるような形で隙間無く重ね合わせ、最後に二本の親指で蓋をしてその際に両の親指の間に僅かな隙間を作り、そこへ唇を寄せて四十五度の角度で鋭く息を吹き込んだ。

「フォンッ!」

 自分でやっておきながら思わず耳を塞ぎたくなるような大きな音が鳴り響いた。

 同時に多くのシンボルは黄色のまま逃走を始める。しかし俺の右手六十メートルほどの距離のシンボル三つが黄色から赤に変化した。


 襲って来た三体はオークで、今の俺にはシステムメニューのON/OFFも武器の収納・装備を使うまでも無い相手で、瞬く間に切り捨てた。

 戦闘時に意識を集中するだけで動きはスローモーションのようにはっきりと捉える事が出来て、自分の動きだけは等倍速に見える。強いて言うなら自分の速度が上がった分だけ動態視力などの感覚が向上して、自分以外だけがゆっくり動いているよう感じるという状況だった……正確には違うが他に上手い例えが思いつかない。

 そのためオークの攻撃を受けずにかわして、体勢を崩して出来た隙を突き、ナイフで頚動脈を、しかも返り血を浴びないように切り裂くのは難しい事ではなかった。


 オーク達が絶命しているのを確認すると一体のオークの死体に触れて収納と念じてみる。

「収納できた!」

 細胞が死んでいるわけでもない果物や野菜は収納できるのに、生きている鶏──似ているが、鶏冠を持たないルッフワという鳥──は収納できなかった。しかし今オークの死骸は収納できた……その違いは?

「意識があるかどうか、か……今度試してみるか」


 その後、順調にオーク狩りを続ける事三十一体目を倒した時に、待ちに待ったアナウンスが流れ、俺はレベル二十三へとレベルアップを果たした。

「これじゃ無理だ……」

 レベルが上がれば上がるほど、簡単にはレベルアップ出来ないのはゲームと同じで、このままでは今日中にレベル四十とか五十どころか、三十にさえ届かないだろう。

「オークじゃ無理だな」

 資源保護のためにオーク狩りが国際的に禁止が叫ばれるまで狩っても無理だと思う。

 オーク以外の獲物を狙わなければならない……でもオーク以外の獲物って何? そもそもこの辺にはどんな魔物が存在するのかも俺知らないよ。

 唯一オークより強くて、他にいそうな魔物はオーガだが、オーガ一匹が目撃されただけで人口千人からの町で、住人が町を捨てて避難するかどうかの騒ぎになり、挙句に代官が全てを投げ出して逃げてしまうのだ。オーガなら三十体くらい倒せばレベル三十を超えることが出来るかもしれないが、オーガが三十体も簡単に見つかるならミガヤ領の町や村はとっくに全滅しているだろう。

「詰んだな……俺」

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