第14話

「酒?」

「そうです水龍は無類の酒好きなんです」

 まるで大蛇退治ようだが引っかかる。

「しかし、何故そんなことを知っている?」

「今回の水龍がネーリエ湖に現れたのは三年前ですが、二百年以上前、我々のご先祖様がこの町に入植する以前にはネーリエ湖には水龍が棲んでいたのです」

 水龍はかなり凶暴な性格をしていて、舟などは簡単に沈めて乗っていた漁師は食い殺されたため入植は失敗に終わりそうになったそうだ。

「……つまり先祖は、その水龍を倒してこの町を作ったと?」

「はい」

「その時に酒を使っておびき寄せて倒したと?」

「いいえ。酒を使って陸におびき寄せて、水龍が酒に酔ったところを一斉に攻撃を仕掛けたのですが止めを刺しきれずに失敗し、結局は軍が多大な犠牲を払い退治したそうです」

「つまり反撃の余地も与えず一撃で水龍を屠れと……この俺に」

「はい。オーガ3匹を相手にして倒せるリュー殿の力があれば、隙を突けば水龍といえども……」

 一斉に攻撃を仕掛けたとは数人でという事では無いだろう。それでも失敗した事を俺一人で成功させろと……はっきり言って無茶な頼みだ。


「ちょっと待ってくれシスム。あんた酒って蔵の酒の事じゃないだろうな?」

 どう返答するべきか考えていると、飯を食っていた男の1人が隊長に詰め寄る……隊長の名前はシムスか、初めて知ったよ。

「蔵の酒だ。それ以外に水龍を良い潰せるほどの酒がどこにある?」

「馬鹿な。蔵の酒はあんたの一存でどうにかできるものじゃないだろう」

「今ならネスレインの奴は町に居ない。町長を説得すれば蔵を開けることが出来る」

「馬鹿代官が居ない? どういうことだ」

「奴はオーガ出現の話を聞いて町を捨てて逃げたんだよ」


「何だって!」

 隊長の言葉に食堂が騒然となる。

「代官の癖に逃げた?」

「そういえば、あの騒ぎの中であいつは何の指示も出してなかったな」

「あの糞野郎が!」

 ネスレインこと代官は余程嫌われていたのだろう、ここぞとばかりに容赦ない非難の声が上がる。

 それにしても町を領主に代わり治める立場にある代官が逃げるとは呆れるを通り越して笑える。

 そんな上司の下にいる役場の爺さんと若いの二人の役人が淡々と仕事をこなしていたのとは対照的だ。


 その他にもネスレインは代官の立場にありながら3年間にも渡り、水龍退治のための領主への軍派遣の嘆願を握りつぶていた。

 そのためにネーリエ湖の水産資源と、周囲の豊富な森林資源が命綱だったネハヘロは、漁業は水龍が上がってこない川での僅かな漁獲高に留まり、林業もネーリエ湖の水運を利用していたために出荷高は激減した。

 当然、税収も落ち込むはずだったが、ネスレインは領主へ納める税額を維持するために増税を行い町を困窮させていたいう。現代の日本人からすれば笑ってしまうほどの暴挙。

 このネスレインという男は俺を笑わせるためだけにこんなことをしてるんじゃないかと疑ってしまう。


 いや待てよ。水運という事は湖を使って運ぶ先に町があるってことだろ。そこの町だってネハヘロからの木材が運ばれなくなれば、製材などの加工業か単なる木材問屋か知らないが仕事に影響があるはずだ。それにこの町と同様に漁業だって営んでいただろうから、その町からも水龍討伐のために軍の派遣が要請されてなければおかしい。それが三年間放置されているならば、このミガヤ領って終わってるだろ。ネスレインという代官だけの問題じゃなく全体が腐ってる可能性が高い。


 それに増税というのもおかしい。確か巡回税賦務官とかいう税務署の役人の様な奴が別にいるはずなのに、どうして代官に増税が可能なのか……凄く嫌な予感がする。このままだと色々とフラグを立てまくった挙句、厄介ごとに巻き込まれるような気がしてならない。水龍と戦わずに逃げたい。しかしどうやればこの状況から逃げるか実に悩ましい。


「よし分かった。やってやろうじゃないか!」

 男達がそう叫ぶ……あれ、何時の間に話がまとまったの?

「じゃあ今晩決行だ。それまでに準備を終わらせるぞ!」

 そこまで具体的に決まてしまってるんだ……へぇ~そうなんだ。

「ではリュー殿よろしくお願いします」

 俺、引き受けてないよね?

 ログを確認すると確かに考え事しながら「ああ」とか無意識に答えてたよ俺。

 一体何してくれてるの? だから考え事はシステムメニューを開いてやれとあれほど……冗談抜きにシステムメニューのおかげでどんな状況でもじっくり考える時間がとれるが、必ずシステムメニューを開いた状態か確認してから考え込む習慣をつけないと状況次第では死ぬな。



 日が暮れて夜の帳に包まれた湖岸。その近くに酒蔵から運び出されたワイン樽が幾つも並べられているのを見ると、やっぱり水龍と戦わなければならないんだなぁと思う。

 昼間に、戦いに備えてゲーム的な回復薬の類は無いのかと町を探してみたが、飲むだけ傷や消耗した体力が復活するような薬は存在しなかった。

 当然だが、MP回復薬なんて物も無い。それ以前にMPって何? という感じの世界なのだった。全く中途半端に現実的な世界だ。もう少しファンタジーさんには頑張って欲しい。


 まあ回復薬とか便利なアイテムは手に入らなかったが状況は悪くない。今は夜。夜の暗闇は俺の味方になってくれるはずだ。俺の眼はレベルアップの恩恵で通常の視力だけではなく動体視力や明暗順応能力、そして暗視能力が上昇している。明暗順応能力の上昇がなければ日常生活への影響も想像に難くないほどだ。光感度を数千倍に高めて文字通り星の明かりで視野を確保できるスターライトスコープには遥かに劣るだろうが、新月でもなければ月さえ出ていれば十分な視界が確保できる。そして今宵の月は新月でも満月でもなくその半分ほどで雲は掛かっていない。


「ちょうど良い……」

 満月ならば明るすぎて、俺がシステムメニューの装備と収納を使えば、周囲で待機している自警団の団員達に気付かれてしまうだろうが、この程度の明るさなら俺が手にしている斧──槍では首は落とせないという事で、自警団が樵から借りてきた長柄の大斧を柄まで黒く塗って貰った──が、一瞬消えたとしても気取られる事は無いだろう。もし気付いたとしても見間違いじゃないのか? と言えば反論は出来ないはずだ。


 湖岸からもっとも離れた五〇メートルほどの距離に並べられた百樽の蓋が次々と斧で割られていく。次に湖岸から三十メートルの位置に置かれた十樽の蓋が割られ、その次に湖岸から十メートルの位置に置かれた二樽の蓋、そして最後に水際に置かれた二樽の蓋が割られ、その二樽は湖へと向かって蹴り倒されて中のワインが湖へと流れ込んでいく。

 これによって段階的に水龍を湖岸から五十メートルの位置にまでおびき寄せる作戦だった。


 辺りにはワインから立ち上るアルコールの匂いが立ち込める。

「戻れ!」

 隊長の短い命令に、斧を手にした団員や町の男達が湖岸から離れていく。

 それを確認した俺は、湖岸に引き上げられている。三年前までは漁師が使っていたという小さな舟の脇に詰まれた網の中で身を潜める。

 防具武器だけではなく露出した肌もすべて消し炭で真っ黒に塗られた黒ずくめの姿。これは水龍に接近する際に見つからないようにと俺が主張した結果だが、実際のところ水龍が夜目が利かないと期待する気は全くない。単に大斧を収納した時に、周囲の連中に気付かれないように予め視認性を落としておくためだった。


 湖岸から五十メートル離れた位置にあるワイン樽からは二十メートルほどの距離。此処で水龍が酔いつぶれるのを待って奇襲をかける予定だ。

 俺以外の人員は、ワイン樽の置かれた場所から六十メートル離れた場所に土嚢を積み上げ、その後ろに弓を持った猟師達が八人隠れている。彼等の役目は俺が一撃で仕留められなかった場合に、水龍が町へと向かうのを阻止する事だ。

 そして、湖岸近くの別の舟の陰には銛を持った漁師達が十人が潜んでいる。

 彼等は俺が水龍を殺しきれなかったがある程度ダメージを与えた場合に、湖に逃げようとする水龍に銛を打ち込み、銛に結ばれたロープを湖岸に深く打ち込まれた杭に取り付けられた鉄環に結び付けて、水龍が動きを封じる役割を担う。そして身動きが取れない水龍を自警団員達が投槍で止めを刺す作戦だ。

 細かい作戦はともかく、俺がやるべき事は酔いつぶれた水龍の首を斧で刎ねることだ。水龍の首は一番細い部分でも40cmはあるそうだが、この斧ならば収納した状態から装備して出現させれば完全に首を切断とまではいかなくても頸椎は楽勝で断つ事が出来るだろう。


 俺はじっと網の下に身を潜めて待ち続ける。三年間も漁が行われていなかっただけに網には魚臭さが残っていなくて幸いだった。

 何事もなく三十分が過ぎた頃、湖の方からザザーッと波が押し寄せたような音がした。しかしこの位置からは舟が邪魔で湖は見えない。

 ジャバジャバと水際で音を立てながら何かが陸へと上がってきた気配がする。かなり大きい。もしこれが水龍ではなく他の巨大生物だとするなら俺はこの町を見捨てて逃げる。そこまで面倒は見てられない。


 ズルズルと重たい何かを引きずる様な音がゆっくりとこちらへと近づいてくるが途中で音の主の動きは止まる。場所は多分最初の樽の置いてある辺り。網の下から顔を出して確認したいのをじっと我慢すること二分。四十リットルくらいしか入らない小型の樽とはいえ二樽も飲み干してしまったのか再び動き始める。


「ウワバミが……」

 そう小さく呟いたが、ふと気付いて考え直す。

 水龍のフォルムを思い出す。昨日見た時は後ろヒレまでは確認できたが尻尾は見えなかったが、尻尾の長さを首と同じと考えると水龍の全長は二十メートルくらい。そのスケールを把握しやすくするために全長二十センチメートル程度にしてイメージしよう。

 その全長の半分は首と尻尾になり胴体の形も胸から腹にかけては随分とボリュウムがあるが、腰の方は細くなっているので体積的にはそれほど大きくない。それが肉の塊だとして重さは百グラムくらいだろうとざっくりと予想する。とてもじゃないが二十メートルのスケールでは予想は難しい。


 それを二十メートルのスケールに戻すとすると百の三乗倍なので百tとなる。考えただけで帰りたくなる。一体象何匹分だ? 成人男性に換算すると千四百人以上となる。そりゃあ八十リットル程度のワインなんて一口分だ。むしろ二分も掛かったのは身体に比べれば小さい頭と細い首がボトルネックになったからだろう。


 次のワイン樽のある場所で水龍の姿を捉える事が出来た。正にネッシーの塑像図のような姿だった……本家のネッシーのように誰かが自分の捏造ですと名乗り出たら無かった事にならないだろうか?


 水龍は周囲を注意する様子もなく樽の中に細い口先を差し入れるとジュージューと余り上品ではない音を立てながらワインを吸い上げていく。そのペースは落ちるどころか増して僅か五分で飲み干してしまうと、首を上げて辺りを見回すようにしながらに左右にゆっくり振り最後の百樽が置かれた場所を見つけると、何処か滑稽な動きで必死に向かっていく。

 今までのワイン樽は水龍を陸上深く導くための餌に過ぎない。本命である残りの100樽は正にバーレル。ドラム缶と同等のサイズであり百樽で一万五千リットルだ。水龍の体重が100tだとして体重の十五パーセントである。体重六十キログラムの人間なら九リットル。つまりワインボトル十二本以上に匹敵する。飲めるものなら飲み干してみるが良い!



「……飲み干しやがった」

 水龍は頭ごと突っ込める大樽だと飲みやすかったのだろう百樽全てを一時間もかからずに空けてしまった……そういえば何かの酒飲み大会で小柄な女性が日本酒が一升入った大きな杯を一気に飲み干すのをテレビで見たことがある。

 特殊な部類に入るとはいえ人間にそのくらいの事が出来るなら、水龍にこれくらいの事は出来ても不思議は無い。何処の馬鹿だよ。祝杯用に蔵の中の最後の二樽は残しておけと言ったのは?


「どうするか?」

 酔いつぶれてはいないが明らかに酔ってはいて首はふらふらと頼りなく揺れている。これならもう少し待てばそのまま寝入る可能性もある。一方で時間が経つとファンタジーさんが仕事をして、水龍の不思議に素敵な肝臓がフルパワーで血中のアルコールを処理してしまう可能性も十分にありえる。

 飛び出して攻撃するか待つかの判断が出来ない。俺に出来るのは水龍の挙動を一つ残らず観察し隙を待つだけだと思うのだが、俺が待ちに入った事を他の連中がどう捉えるかが問題だ。

 焦って攻撃を始める……十分にありえる。

 完全に想定外の状況なのだ。とにかく酔い潰す事が大前提の作戦であり、ワイン全てを飲みつくして寝入らないという発想は無かったので、この状況で連絡を取り合う手段すら用意していない。


 このまま俺がアクションを起さなければ、一部の連中がしびれを切らせて、俺に打つ手無しと判断し勝手に動き出すだろう。

 そうなれば作戦も糞も無く無秩序に突っ込んで大勢の犠牲を出した挙句に、俺が攻撃する機会すら失われる。

「……仕方が無い」

 俺は網を被ったまま水龍に向かってゆっくりと匍匐全身を始めた。


 一動作一動作少しずつ、水龍の隙を見ては奴の胴体の左側へと向かって進む。

 奴はご機嫌な様子で湖に戻るでもなく、空になった樽の傍でふらふらと宙に首を泳がせている。頭にネクタイを巻いてやりたくなる様な姿だ。

 既に水龍との距離は十メートルを切り、俺の攻撃範囲にはまだまだ入らないが、奴の攻撃範囲にはもう数メートルで入ってしまう。

 身体を支える前ヒレ、後ろヒレ共に力が入っている様子が無く首だけでなく身体全体で舟を漕いでいる状態だ。

 熊が死んだ振りをする時は、身体を地面に横たえていても手足は必ず踏ん張れるようにしている。とても空手に関係があるとは思えないアドバイスを大島からされた事があるが、こんなところで役に立つとは人生分からないものだ。


 そもそも山中で合宿の時の話なので熊に遭った時の対処法なら分かる。

 しかし熊が死んだ振りをするという状況設定がおかしい。普通に考えて人間は熊に対しては弱者である。熊に対して優位を前提に油断しない話なるのか理解したくなかった……なかったが知っていた。

 大島の背中、右の肩甲骨の辺りに大きく三条に抉られた傷跡が走っている。それに気付いたのが一年生の頃で、俺は嫌な予感がして聞かなかったのだが、止せば良いのに誰かが「その傷はどうしたんですか?」と聞いた。

 それに対する大島の答えは「ヒグマとやりあった時に付けられた名誉の負傷だ」だった。鬼剋流の5段昇格にはヒグマと戦うという馬鹿げた掟があるらしい。


 非常にふざけた話だが「毎年何回か新聞で誰々が山菜取り中に熊に襲われ撃退した、みたいな記事があるだろ。あの内の最低でも一件は鬼剋流の関係者だ」とも言っていた。

 更に大島は「鬼剋流でも俺みたいに北海道まで行ってヒグマとやりあった奴は珍しいんだぞ」とキモいドヤ顔を決めた。

 中学を卒業するまでに大島を一発殴り、卒業したら大島にも鬼剋流にも関わらない。それが俺の──


 既に水龍の攻撃範囲に入る直前までたどり着いていた。

『セーブ処理が終了しました』

 このセーブは気休めというかお守り程度しか意味が無い。オーガの一撃にはギリギリ耐える事が出来たが水龍の攻撃を受けたなら皮鎧を装備していてもロードをしようという意識も命も残らない。

 システムメニューのON/OFFを行いつつ、ONの状態の度に水龍の首と尻尾の動きを確認して、その初動を見逃さない事が重要だ。もしも初動を見逃して加速する事に気付かずにシステムメニューをOFFにすれば、時速六百キロメートルの首のスイングは次のONが実行される前に確実に俺の命を奪うだろう。


 俺はゆっくりと下がりながら網の下から抜け出た。まだ網に遮られて俺の姿は水龍の視界に入ってないだろう。

 水龍はまだ寝入る様子はないが、それでも首を高く持ち上げる事も億劫にはなったのか、ゆらゆらと揺れる首の位置はずいぶん下がっている。


「まだ高いがやるしかないな」

 網越しに見える水龍の首が右に振れた瞬間、刃から柄まで全て黒く塗った大斧を両手で右肩に担ぐと網の陰から地面を蹴りつけて飛び出す。疾走は三歩目の右足が地面を強く踏みしめた瞬間で終わる。

 足が止まった事によって全身の運動エネルギーは腰から上体へと伝わり、そして頭上に掲げられた大斧へと集約する。その勢いのままに足元にある水龍の左前ヒレの付け根に渾身の力で大斧を振り下ろすのだった。

 ヒレを切断するまでに至ったか分からないが、骨を断った感触を手に覚えた瞬間にシステムメニューを開いた状態で大斧を収納。そして水龍の尻尾へ視線を向ける。尻尾は攻撃できる体勢には無い。次いで首の動きを追うが胴に阻まれて確認できない。

 俺はシステムメニューを解除すると、水龍の胴を回り込むよう胸の前へと移動したが、注意し、そして期待していた水龍からの攻撃は来なかった。


 多分、今の水龍は俺の姿を捉えていない上に、酔いのせいで前ヒレに攻撃を受けた痛みにすらまだ気付いていない可能性がある。

 奴が反射的に首を振って闇雲に攻撃してくれていれば、それを避けた段階で勝負はついたはずだった。

 左前ヒレを失った状態で身体の左側に首で攻撃を仕掛けたら、確実にバランスを崩して左へと横転するしかない。俺はその時を狙って首を攻撃し決着するはずだった。


 長すぎる数秒間の後、違和感を感じたのだろう左前ヒレを確認するために水龍は背中越しに首を左側へと移動させる。その動きに合わせて俺は奴の左側へと回り込むと、右前ヒレに向けて手を構えて、システムメニューを操作すると、ヒレを切断する形で大斧が出現した。


「ガァァァァァァァァァッァッァァァァッァァァッ!」

 水龍が咆哮を上げる。それは自分の左前ヒレの状態を見た怒りの叫びか、それとも右前ヒレの痛みによる叫びか、確かな事はこれで奴の移動能力を奪ったということだ。


「来やがれ超大型爬虫類!」

 俺は素早く水龍の右前方へと移動して叫んだ。この位置なら尻尾の攻撃は届かないので首の攻撃だけに集中すれば良い。それに正面なら尻尾を含む身体全体で踏ん張って全力で首の攻撃を一度なら繰り出せるが、右に寄っていれば左右の前ヒレを失った奴には全力での攻撃は出来ない。

 その上一度攻撃して体勢を崩せば二度と体勢は整えられない。後は首を刎ねれば良いだけのはず、完全に勝負はついたと確信した。


 だが水龍は怒りに狂った目を俺に向けると口を開き、額の角が青白く光り──本能が背筋に冷たいものを走らせた。

「ヤバイ!」

 そう叫ぶと同時に右足で地面を蹴ると身体を奴の口の正面から逃──次の瞬間「ブーン」という低い音が響くと同時に痛みを感じる間もなく俺の右脚と右腕が宙を舞っていた。

 ドラゴン・ブレスという名の糸の様に細く収束された超高圧力ジェット水流が上から下へと通過した結果だ。そうだ奴は水龍、龍種だったのだ。現実の生き物とは違うファンタジー生命体だったのだ。そんなことを忘れていたとは………………仕方ないだろう。水龍がブレスを使う事に関しては誰も触れてない。二百年前の水龍討伐に関する書物にも記されてないのだから、元々ファンタジー世界の住人じゃないんだよ。



『ロード処理が終了しました』


 ロード後に先ほどと同じように行動し、水龍の左前ヒレ。右前ヒレを順に斬る。

 そして水龍が先程と同じようにブレスを放つ気配を察した瞬間。水龍の頭の前に【水塊】を使って直径一メートルほどの水の塊を浮かせた。

 水龍のブレスは塊にぶつかると貫通した……ただの激しい水の飛沫として。


 ウォーターカッターは同じ流体である水の層にぶつかると、自らの流れに周囲の水を巻き込んでしまう性質がある。そうなればウォーターカッターもただの勢いの強い水流となってしまう。同様の理由で水龍のブレスも【水塊】の盾の前に無力化されてしまった……というのは勿論嘘だ。

 俺も最初はそう考えたのだが、ウォーターカッターは水龍のブレスのように十メートル近い距離を飛んで人間の手足を切断するような真似は絶対に出来ない。空気もまた流体であり十メートルの空気の層を貫く間に勢いの強い水飛沫となるはずだ。


 水龍のブレスがそれを可能とするのは何か? 考えるまでも無いファンタジーのテンプレである魔力だろう。

 魔力の二文字でポストが赤いのも消防車が赤いのも全て説明が着くほどだ。

 そこで俺は仮説を立てた。ブレスが水龍の魔力により空気などの流体の層を通過する場合に、巻き込みを起さないように制御されているとするなら、それは非常に精密な魔力による操作が施されているはずだと。ならば【水塊】によって作られる直径一メートルの水の固まりもまた俺の魔力によって制御されている。そこで二つの魔力が干渉し合う事でブレスに施された精密な操作が乱されればブレスもただの水飛沫へと変わるはずだと。


 そして結果を見ての通り作戦は完璧だった。自分が怖い。

 流石、ステムメニューを開いた状態で何時間も何時間も考え抜いただけのことはある……ちゃ、ちゃうねん。僕一瞬で閃いたし、この間に何度も試行錯誤をしてロードを繰り返したりはしていない。一発勝負なんだから。


 立て続けに【水塊】を五回発動させたのに続いて【無明】で水龍の目の前に闇を生み出す。見た目は水龍がサングラスしたみたいだった。

 【無明】の優れたところは対象に対して直接働きかけずに目と瞼を闇で覆うことで視界を奪うこと。対象に直接魔術で状態異常をひき起す場合は相手の抵抗力によって効果が発揮されない場合があるが【無明】にはそれが無いと説明にあった。

 もっとも【閃光】などの光属性の魔術一発で相殺されるが、俺のようにシステムメニューを開いて魔術を発動する事が出来ない者にとっては、相殺するまでの僅かな時間が生死を分かつ事になるだろう。


 必死にブレスを連続的に放つも、自分の顔の前に浮かぶ水塊により単に水を撒き散らすだけの状況にすっかり冷静さを失ったところを、いきなり視界を奪われた事で水龍は混乱をきたしていた。

 そこへ俺は一気に距離をつめると踏み切り跳躍する。身体を突き上げるような想像以上の上昇感。俺は四メートルほどの高さにある水龍の頭に大斧が届くくらいの高さまで跳躍できるつもりだったのだが、元々の俺の跳躍の限界よりも高い位置への跳躍だったために力加減を大きく間違う。俺の身体は水龍の頭の左側を通り過ぎる軌道を描いていた。

「畜生!」

 何とかすれ違いざまに装備を実行し水龍の首に突き刺さるように大斧を出現させると、突然俺の身体は大斧を中心に自らの運動エネルギーで右に振り回される。単に大斧が水龍の首に食い込んでいるためだけではなく、装備で出現した大斧が俺自身の運動エネルギーとは関係なく運動エネルギーがゼロの静止状態だからだ。


『水龍を倒しました』

 水龍の首に食い込んだままの大斧の柄から手を放しブーメランのようにクルクルと宙を回転しながら、討伐アナウンスを聞き達成感に浸る。


『レベルが10上がりました』……はいはい、さくっとレベル22達成。多分水龍の推奨レベルは50くらいだったのかな? 随分無茶したね俺。頑張った頑張った偉いよ隆君! まあ一番偉いのはシステムメニューさんだよね。今度お礼の手紙を送ろう……瓶に詰めて海に流せば届くだろうか?


 その後の着地に失敗し地面を転がりつつ聞こえてくるレベルアップ時のパラメーターなどの情報に『魔術:水属性Ⅱ/土属性Ⅱ/火属性Ⅱ/風属性Ⅱ取得』のアナウンスがあった。

「俺の時代がついに来たぁぁぁっ!」

 地面に仰向けで倒れた俺は、雨のように降りかかる水龍の血を全身に浴びながら右腕を突き上げて吼えた。

 使えないと断じていた属性レベルⅠの魔術にも意外に使いみちがあった。レベルⅡには大いに期待が出来るだろう……それから【水球】から【水塊】の流れを考えた人。馬鹿とか言って本当にごめんなさい。もう二度と悪口は言いません。


 水龍の死骸は、いつの間にか集まった町の人間達によって解体されていく。その様子がバッタの死骸とそれに群がる蟻に見えてしまうスケールの違いが怖い。良くあんなのを仕留めたものだと我ながら呆れるしかない。

 町に戻ると門の中はお祭り騒ぎで、もう夜の八時を過ぎているのに通りには明かりが灯り、子供達の姿さえある。

 町の広場では酒──これも水龍に飲ませておけばもっと楽に倒せたかもしれない──が振舞われて、肉、多分オークの肉がバーベキューのように串で刺されて網で焼かれていて、これも無料で振舞われている。


 人々は杯を掲げて勝利の歌を高らかに唄う。

 だが俺は、そんな町の喧騒を無視して宿に戻るとお湯を頼んで裏庭でお湯を浴びて身体の汚れを落としていた。

「石鹸が必要だ」

 シャンプーとか贅沢は言わない。石鹸無しにお湯を浴びて身体を拭いても油っぽさが抜けない。中学生男子の油っぽさを舐めてもらっては困る……それ以前に昨日に続き今日も血塗れなんだよ。お湯で流して拭いた程度で何とかなるかい!

 大体、ここの連中が洗濯に使っているのは、ジャガイモに良く似たロフという作物をすりおろし水を加えて攪拌し沈殿させた上澄みらしい。

 それはサポニンだよサポニン。『サポート職 忍者』の略ではなくシャボンの語源にもなったサポニンだよ。

 掃除大好き主婦芸能人がジャガイモの皮を剥いたら、その皮で台所のシンクを擦って磨きなさいって言う、ジャガイモに含まれるサポニンだよ。


 うっかり者が焚き火の中に焼いた肉を落として、肉から出た油と薪の灰が混ざって鹸化反応が発見され、後に界面活性剤による洗剤が発明されるまでは、洗剤の代名詞でもあったサポニンだよ。

 人類の歴史における三大洗剤。小便・サポニン・界面活性剤のサポニンだよ。

 つまり、この町には石鹸が無い。風呂が無いことを必死に我慢している俺に、更なるこの追い討ち。

 俺、明日この町を出たら都会に出て、風呂と石鹸のある生活をするんだ……と変なフラグを立てたのも仕方の無いことだろう。

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