第13話
目を覚ますと俺のじゃないベッドの中。前日泊まった宿の部屋だった。
相変わらず体調は完璧だが眠ったという実感が湧かない。
そして悔しい事に俺は枕が替わったにもかかわらずぐっすりと眠ってしまったようだ。
「疲れてたから仕方ないよな……」
旅行だけならともかくあの地獄のような部活の合宿の時にも、中々眠れず寝不足に苦しんでいた俺としては納得が出来る理由にはならないが、それ以外に説明が付かない……いや、またレベルアップのパラメーターの変動が何か影響を与えてるような気がする。するのだが考えないようにした。
時計を確認するとまだ五時前で下の食堂もまだやってないだろう。
さすがファンタジーな異世界だけあって、夜遅くまで明かりが灯されるような場所は酒場くらいで、酒の飲めない俺は晩飯を食い終わったら部屋に戻るとさっさと寝るしかなかったので、いつも以上に早起きだった。
とりあえず服を着て部屋を出た俺は、一階のロビー兼食堂兼酒場向かった。
「おはよう。昨晩はゆっくりと休めたかい?」
朝食の仕込と準備を行っていたのだろう。食堂では女主人とその娘だろうか、まだ十歳にすらなっていそうもない女の子が食堂内の清掃作業し、厨房の方からは包丁がまな板を叩く音も聞こえる。
「おかげさんで」
「それはよかった。食堂が開くにはまだ間があるから、お茶でも飲んでいくかい?」
「いや、少し外で時間を潰してくるよ」
そう言って鍵を渡して宿を出た。
町の周りを走ってみようと思ったが、まだ町の門は開いておらず自警団の若者二人が眠たそうに欠伸を漏らしながら立っていた。
「……あっ、リューさんおはよう!」
大きな欠伸を終えて俺に気付いた団員が声を掛けてくる。リュウではなくリューが定着してしまったようだ。しかし俺は相手の名前を知らない。
「ああ、おはよう」
「どうしたんですかこんな朝早くに?」
もう一人も声を掛けてくるが名前は知らない。聞いた事すらない。
「少し走ってこようと思って──」
「走る? またまた隊長みたいな事言って」
「兵士は走るのが仕事だとか? やめてくださいよ」
俺の言葉を遮り二人は笑い出す。どうやらこの世界では身体を鍛えるためにランニングをするという考えは一般的ではないようだ。
門は閉鎖されているし、街中を走って奇異の念を抱かれるのも有り難くないのでランニングは中止にする。どうせこの町を出て次の町までの間は人目が無ければ走るつもりだ。
暇になってしまったので、余った時間で朝市を見て回る事にした。
保存食はまだ十分な在庫が【所持アイテム】の中にあるが、止むを得ない場合以外は食べたくは無いので何かもう少しマシなものを仕入れておきたい。
肉は多少の風味などの違いがあったとしても肉であり、野菜だって昨日宿で食べたオークジンジャーのように、生姜に似た匂いや味の食材がある。しかもそれらは現実世界の食材よりも美味しいと感じられた。
こんな状況で、美味くも無い保存食は可能な限り食べたくはなかった。
それに現実世界と似た食材があるのだから、この世界の様々な食材の味を把握すれば、昨日図書室で仕入れた料理レシピの数々が役に立つ日も来るだろう。
ひとつ問題があるとするなら、俺が包丁を満足に握った事が無いということだけだ。
確かに夏の合宿で大島が罠で捕らえた猪などを絞めて血抜きし内臓抜いて皮剥いで捌いた経験はあるけど、あれは包丁というよりサバイバルナイフでの作業だった……懐かしいなあの阿鼻叫喚の日々──空手部の夏合宿はテントも無しの山中でのサバイバル生活が十日間にも及ぶ──が、おかげで血とか全然怖くなくなったし、何だろう涙が出てくる。
野菜や果物を中心とした様々な食材、そして調味料、香辛料を買い、途中で買った袋に詰め込んで、いや実際は袋に入る分の三倍以上が収納で【所持アイテム】の中に入っているのだが、何食わぬ顔で買い物を済ませて宿へと戻ると食堂が開店していた。
「おかえり。朝ご飯食べていくかい?」
「ああ先に注文だけ頼むよ。部屋に荷物を置いてくるから鍵を頼む」
「あいよ。朝定食一丁」
鍵を受け取ると荷物を持って部屋に戻り、その場で袋ごと収納すると食堂へと戻ると見覚えのある髭がいた。
「おはようございますリュー殿」
平兵士が普通に『リューさん』呼ばわりなのに、隊長である彼はかしこまって俺に殿をつける。血塗れのスキンシップという薬が効きすぎたせいだろうか?
「おはよう」
俺は挨拶を返し料理が置かれたテーブルに着きながら嫌な予感がした。彼の表情の中に恐れ以外に阿るような臭いを嗅ぎ取ったのだ。
出来るだけ彼に視線を合わさぬように目の前の料理に視線を向ける。一口大に乱切りされた野菜たちが煮込まれたとろみの付いたスープだろう。その具の中に野菜ではない何かが入っているのを見つけた。
「ちょっといいかい?
注文を取りでテーブルの間を忙しそうに動き回っている女の子に声を掛けてみた。
「はい。何か御用でしょうか?」
忙しい中で嫌な顔一つ見せずに笑顔で対応してくれた。
「この料理は何だい?」
「はい。今日の朝の定食は野菜たっぷりオークのタンシチューです。タンは口の中でほろりと解けるくらい柔らかく煮込まれている当宿の自慢の一品です」
こんなに小さいながらも彼女はプロなのだ。明るく明快な対応に感心する。
「それはおいしそうだ。ありがとう」
「いいえ、ごゆっくりどうぞ」
ざっくばらんな女主人とは対比的に、何処に出しても恥ずかしくない素晴らしい接客態度だ。この町で一番高い宿と呼ばれるだけはあった。
「うん、美味い!」
口にした瞬間に分かる美味さ。野菜から出た味もあるのだろうが、料理の旨味の中心となっているのはタンから出た肉の旨味だ。何であんな豚人間如きの肉がこうまでも美味いのか……異世界はおかしい。
「……それで何時まで私を無視すれば気が済むのかな?」
「……黙ってくれ。折角の飯が不味くなる」
俺は隊長に一瞥も与えず飯を食べ続ける。調理の技法は現実世界に比べれば劣っているだろうし調味料も塩くらいしか使われてないようだ。しかし食材が美味い。オーク肉は言うまでもないが他の野菜たちも美味い。
人類のより美味いものを食べたいという欲望を進歩してきた土壌改良・品種改良などの農業技術。それを超えてこの世界の農産物は美味い。さすが百メートルを超えるような巨木の生える異常な世界。略して異世界だ。
「あ、あのぅ~」
俺が敢えて目の前の料理に没頭しているというのに空気を読まない男が話しかけてくる。
「何の用だ?」
「リュー殿に頼みたい事があるのですが」
俺が大嫌いな「タ・ノ・ミ・ゴ・ト」とな? 今の俺にその言葉を口にして良いのは家族と友人と美少女と美女だけだ。こんな名前も知らない髭隊長の口から聞かされるなど不愉快でしかなかった……何故なら今の俺の中には、つい「良いよ」と答えてしまいたくなる内なる敵が居るのだ。
「頼まれたくない」
我ながら清々しいほどはっきりと応えたやった。
「いや、話くらい──」
「そんな頼みづらそうな頼み事など聞くまでもなくお断りだ。話だけでも聞いてもらいたいならもっと楽しそうに言うんだったな」
「……じゃあさリュー、ちょ~と頼みが──」
「黙れ!」
口調が砕けただけで楽しそうになるわけもなければ、そもそも手遅れだ。俺は手早く飯をかき込むと「ご馳走様。美味しかったよ」と少女に声を掛け席を立った。
「ま、待ってくださいリュー殿! どうか、どうか水龍を退治していただきたいのです」
水流を退治……灌漑工事でもしろと?……いや分かってはいる。敢えて俺は水龍の二文字を頭の中から追い出したかっただけだ。
最初からこうなることは予想していた。昨日と今朝、町の中を見て回ったが店にも朝市にもほとんど魚は並んでいなかった。宿の飯も朝晩続けて肉料理。こんなに広いネーリエ湖の傍の町だというのに不自然過ぎた。そこから水龍の事を思い出すのは簡単だった。
多分、あの水龍のせいで町の人間は湖で漁が出来なくなり、そして湖沿いにあるという他の二つの町との水運も途絶えているのだろう。
だがそんな事情があったとしても、そんなイベントは要らんとです。あんな化け物には勝てるはずが無い。
人間にどうにか出来る相手じゃないことくらい幼稚園児にだって理解できる。下手をすれば初日に空を飛んでいるのを見たドラゴンよりもでかい。いや重さだけなら確実にドラゴン以上だろう。
はっきり言ってオーガと腕相撲に勝てるくらいにならないと戦ってみようかと検討する気も起き無いレベルの化け物なので俺の答えは決まっていた。
「無理」
一言そう口にするとそそくさと階段へと向かう。
そもそも俺に頼むのが間違っている。常識的に考えれば分かるはずだ。こいつの頭の中では俺はどんだけ化け物扱いなんだ?
まず、どうしようもない問題は、奴がいるのが水の中だという事だ。相手が水の中ではどうしようもない。もし水龍が俺と同じくらいの体長だったとしても水の中では勝てるイメージが全く湧かない。
もし水龍と陸の上で戦う事が出来たとしても問題はある……サイズだ。俺が奴に致命傷を与える方法は比較的小さな頭部と繋がる首の一番細い部分への攻撃だけだろう。
だがあの巨体である水龍の首を狙える状況があるとしたら水鳥に止めを刺した時の様に首を振り下ろして攻撃してきた時だ。
しかしその場合。俺が首に斬り付ける事が出来たとして、そして万一切断する事が出来たとしても、一度与えられた運動エネルギーは水龍が死んだとしても失われる事なく次の瞬間俺に襲い掛かる。
水龍が口に咥えた水鳥ごと自分の頭を水面に叩き付けた時の勢いはキャッチボールの肘から先の動きに近かった。時速六十キロメートル程度の球を投げられる速さなので終端であるボールを掴む指の先端の速度は球の速さに等しいだろう。
問題はかなり遠くから見て、人間がキャッチボールする時の動きと同じように見えた事だ。
その場合同じように見える理由は、動く速さが同じなのではなく、動きが始まって終わる時間の長さである。、
人間の肘から指の先までの長さが五十~六十センチメートル程度に対して水龍の頭を含む首の長さはおよそ十倍であり、振りかぶって水面に叩きつける時間が同じならば、速度は十倍になる。つまり時速六百キロメートルである。
はじき出された出鱈目な数値に思わず笑いがこみ上げてくる。さすがファンタジーだよ。どう考えても死ぬ。半音速であんなにでかい頭や太い首が当たったらレベルアップの恩恵がどうとか関係なく文字通り消し飛ぶしかない。
首を攻撃するのを諦めて少しずつ奴にダメージを蓄積させる作戦を採った場合にも同じく首の攻撃が問題になる。水龍の首の長さからして攻撃範囲は五メートル以上でありそれほど広い範囲を薙ぎ払うような攻撃を避ける方法は無い。背後に回り込んだら今度は尻尾の攻撃があるだろう。
まだ、装備と収納を利用した戦い方が出来るなら、攻撃の範囲ギリギリで攻撃誘い、下がってかわしつつ頭部へ一撃で致命傷を与える方法も無い事は無い。出来るという自信は無いが可能性はゼロでは無い。しかし俺が水龍と戦うのを誰も見ていないという事は無いだろうから、人前で装備と収納を使う事は出来ない。
もし軍が派遣された場合。水龍を陸に上げる方法、そして湖へと逃がさない方法があるならば、水龍へ大勢でロープの付いた銛を何本も打ち込んで、木や杭にロープを縛り動きを封じて、長期戦で少しずつ体力を奪っていけば犠牲も多く出るだろうが十分に倒す事が出来るはずだ。
当然、この程度の事はこの町の人間だって気付いているはずだ。
つまり水龍を陸に上げる、もしくは上がらせる方法はない。または水龍を陸の上に留まらせる方法が無い。もしくは軍を派遣して貰えないの何れかだろう。
「貴方にしか貴方にしか頼めないんです」
隊長は立ち去ろうとする俺にそう訴えかけてきた。
俺にしかということは、領主に頼んでも軍は派遣して貰えないということだろう。そういえばこの領は貧しいと他の団員も言っていた。
「昨日この目で水龍がどんな化け物か見ている。その上で勝ち目が無いから無理だと言ってるんだ」
俺の中で既に答えが出ている以上、幾ら頼まれても仕方が無い。
「だが──」
しつこく食い下がろうとする態度に俺は苛立ちを覚える。
「これ以上は、俺を自分の実力も測れないほどのぼせ上がった馬鹿と言ってるのか、もしくは倒せなくても構わないから戦って死んでこいと言ってるのと同じだ。お前が頭を下げる事は俺の命よりも価値があると言うのか?」
相手をやり込めるのはコミュニケーションの方法としては最低。しかし俺は自分がはっきりとした態度で断った事に対してしつこく食い下がられると嫌悪感を覚える。その手の事を平気でする奴は頼むという態度を取りつつも相手の事を自分より下に見ていると思うからだ。
「違うんだ。作戦はあるんだ。貴方の力を借りられるなら成功する方法が」
状況が変わった。勝てる目があるなら水龍は倒したい。町のためとかではなく自分のレベルアップのために……べ、別に俺の中のウザイくらいに善良な部分が先ほどからずっと「困ってる町の皆を助けてあげようよ」と訴えてるせいではない。
それにまともに戦って勝てない相手に勝つために策を講じるのは好きだ。実行するかどうかは別として大好きなのだ。暇さえあれば大島をどうやって罠にはめて倒すか考えずにはいられないほど……これは空手部部員全員に当てはまる心の病である。
勿論そんなことを考えてる暇があれば少しでも強くなるように自らを鍛えろと思わないでもないが、鍛えに鍛えて10年後、20年後に復讐を果たしても意味が無い。俺達が欲しいのは手っ取り早い明日の平穏なのだ。
「話を聞こう」
話を聞くだけなら損は無い。
それにもし水龍を倒して名を上げても、それが問題になる前にさっさと遠くへ移動してしまえば良いだけだ。
現実世界と違ってテレビもラジオもネットも電話も、郵便というシステムも無い。
アメリカで行われた、無作為に選ばれた東海岸の住人と西海岸の住人が、何人の友人知人を間に挟めば間接的に知り合いになるかという実験の結果の平均値は五人以下だったが、それは高度な情報伝達システムが発達した世界だからだ。
庶民が知りえる情報のほとんどが、商人の物流ネットワークによってもたらされる世界だ。
ピンポイントに俺の情報を収集しようとしているのならともかく、噂話の拡散手段としては細すぎる。
他国にまで逃げれば、俺に風聞が追いつくにはかなりの時間も掛かる。しかも追いついてくる頃には内容も色々と改変されて噂の人物が俺だと特定する事も難しいだろう。
そして特にこの国に居続ける理由も無いのだ。
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