挿話1

「面白い事になってきやがった」

 大島は朝の職員会議のために職員室へと向かう廊下で小さく呟く。その顔に浮かぶのは獲物を見つけた肉食獣のような凶相。とても教師が学校内で浮かべて良いものではなかった。

 面白いと彼が感じているのは空手部の主将である高城のことだ。

 昨日の部活の時間に竹刀で彼の肩を打った時に違和感が生まれた。僧房筋に竹刀が当たった感触が今までより重かった。その時は暫く緩い部活動が続いたために運動不足で肩こりでもしたのかとも思ったのだが、自分の教えている部員達が部活が緩いからといって自己鍛錬を怠るとも大島には思えなかった。

 そしてランニングの時、大島の中で違和感が疑問に変わる。

 高城の様子が今までとは明らかに違っていた。新入部員に合わせて多少ペースを落としているにしても彼は息ひとつ切らしていなかった。

 この二週間、余程走りこんできたのだろうと、自分が特に目を掛けてきた高城の成長に大島の機嫌も良くなっていた。


 大島にとって高城は特別な存在である。

 この中学校には、在校生、卒業生が自分の身内が入学する際には空手部だけには入部しないようにと警告をするという風習がある事を大島自身も知っていた。

 その為に、空手部に入部するのは空手の経験者で自分ならどんな厳しい練笑って耐えられるはずと勘違いした人間ばかり。後は空手部の風聞を全く知らないで入部希望してしまった新入生がたまに現れるだけ。

 そんな中、前年度に卒業したばかりの兄を持ち、空手未経験者の高城が入部してきた。


 大島は久しぶりに骨のある奴が現れたと大いに喜び。彼のことを特に目を掛けて『可愛がってきた』のである。

 しかし空手部顧問としては高城だけにかまける訳にはいかないため、彼の『可愛がり』はその年の新入部員全体に及び、更には二、三年生の練習にも影響は波及する。

 そのおかげで、いきなり厳しさを増した練習に生命の危機を覚えた上級生の二名が『家庭の事情』で転校する事になってしまったくらいだった。


 だが大島にとって悪い事ばかりではなかった。高城を始めとする新入部員はその厳しい練習についてきたので、最初から厳しく接しておけば、例え中学生でも人間は慣れる事の出来る生き物だと大島は確信を得る事が出来たのだ。

『最初が肝心』昔の人間は良い事を言うと感心したほどであった。


 結果、今年の三年生は近年まれに見る豊漁であり、教師生活で初めて全員を鬼剋流の門下生として推薦しても問題が無いと確信出来るほどだった。それに二年生も三年生同様に最初から厳しく接しているので良い感じに成長している。大島としては正に『高城様様』といった心境である。


 高城に感じていた疑問は先ほどの朝練での香藤との組手で確信に変わった。

 技一つ一つの速さ、力強さ。そしてキレと判断の速さ。全てが二週間前までの高城とは違っている。一皮向けたというよりも『化けた』とも言うべき技量の向上。


 終盤の攻防においては、高城は香藤が右拳を突く前から全てを読みきり演出した。

 香藤の右の突きを受ける事で反動を与えず、そのまま流して奴の上体を僅かに崩す事で、突きに連携していた蹴りの出を遅らせて踏み込んでて止め、更にわざと見せた隙に香藤が攻撃に入る呼吸を読んで、右膝を五センチメートル右にずらしてやることで止めて見せた。

 確かに二年生の香藤は高城にとって格下だが、香藤を掌の上で躍らせられるほどの差は無かったはずだ。


 そして最後の左の逆突きは見事だった。

 鬼剋流の組手及び試合は寸止め形式である。どんなに身体を鍛えても、いや身体を鍛えるほど打撃力は打撃への耐性を大きく上回るので実際に当てさせれば身体が持たない。

 空手部でも当然寸止めで練習させている。しかしその為にどうしても踏み込みが浅くなっているのが事実であった。


 しっかり踏み込んだ上で拳が相手に当たる瞬間、腰や肩や肘を固めて止めるだけ十分に打撃力を抑えられる。大島はそれでも良いと考えていた。しかし部員は鬼剋流の門下生ではなくただの中学生である。

 中学の部活中の練習で寸止めをしそこない鼻血出しただの打ち身だ額を切って流血だのくらいなら何の問題も無い──まず、それがおかしいのあが──が骨折やそれ以上の怪我を負う事故が起これば、流石の大島も管理責任者として重い処罰は免れる事は出来ない。

 まさに大島にとっては苦渋の選択である。

 そんな中、高城の繰り出した寸止めは、十分な踏み込みと速度で繰り出されながら正確に空手着の布一枚を打って止まった。

 高城の突きは最後まで身体の回転、関節の動き、体重移動の全てを「打つ」という目的に向かって突き詰めながら、当たる瞬間に止めて見せた。

 決して手を抜いて、止められる程度の力しか入れてなかった様には見えない。大島が知る限り高城の最高の突きだと感じた。

 二週間の間にどれほどの修行を自らに課したとしても、そsて成長期だとしても、既に徹底的に鍛え上げられてしまっている高城の身体の力の上限は数パーセントの伸びが限界のはず。

 あの寸止めを行うには一割、いや二割の身体能力の向上が必要だろう。


 しかも踏み込みが拳1つ半は深い。これは大島が今まで部活で教えてきた相手を一撃でノックアウトする事を目的とした一撃必倒ではなく、二度と立ち上がれないように壊す一撃必壊。または文字通り死に至らしめる一撃必殺の打撃であった。

 大島は高城がそんな命のやり取りを必要とする戦いの経験を済ませたことに気付いた。


 では何時、何処で、誰を相手にし高城はそれを経験したのか?

 俺の『可愛い』教え子に一体誰が、断りも無く勝手に教えてしまったのか?

 楽しみを奪った馬鹿野郎には、必ずこの手で思い知らせてやらなければならない。一体誰に喧嘩を売ったのかを……そう考えると大島は「面白い事になってきやがった」と嗤わずにはいられなかった。


 そして、その大島の顔を見てしまった女子生徒が失神して倒れるという騒ぎが起きたのは必然といえるだろう。

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