第10話

「オーク一匹辺りが──それが二十四匹で……え~と」

 役場でご老人が目を細めながら書類に書かれた数字と格闘している。

 ちなみに最終的に俺が倒したオークの数は三十六体でオーガが倒した分も俺の取り分となるが、まだ回収にいってるのでこの段階では計算に入らない。


 町の表通りにある小さな役場。この町には領主が派遣した代官の他には、目の前で報奨金を計算している年老いたのと、書類を作成している若い役人を除けば、後は雇われている町の住民が2人ほどいるだけだった。この人数で税の徴収はどうしているのだろうかと思って尋ねたら、巡回税賦務官という役職の徴税を専門とする役人が領軍護衛の下に領内各地を回って集めていくそうだ。

 ちなみにこの世界には、ファンタジー小説では半ば常識となっている世界を股にかける謎の巨大NGO。冒険者ギルドが存在しない。魔物などの討伐の報奨金は各町や村の役場を通じて領主が払うという事になっている。沖縄でハブやマングースを捕獲して役所に持って行けばお金が貰えるというのと同じなのだろう。


「全部で四一六〇ネアじゃな」

 心配なので俺も計算したので間違いはない。

 以前の俺にもこの程度の計算は出来ないわけじゃなかったが、計算機みたいに一瞬で計算過程を意識する事もなく答えが出てしまう感覚が不思議すぎて怖い。


 それより不思議なのが、この世界の文字が全く問題なく読めるということ。言葉が通じているのだからそれほど不思議ではないのかもしれないが、実は会話に使われている言語は日本語じゃないようだ。

 最初に声を掛けられたときに感じた違和感は、彼等が話しかけてくる言葉、そして俺が応える言葉、全て日本語ではない別の言葉であることに起因していた。

 余りに自然に言葉の意味が頭に入ってきて、俺自身普通に話していたために気付かなかったが、文字を見てひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットではなく、ましてやアラビア文字でもギリシャ文字でもキリル文字でもないのに、書かれている意味が分かった事で初めて気付いた。


 ご老人は金庫から金を取り出して戻ってくると、金貨八枚と銀貨一枚。そして銅貨六十枚を渡してきた。

「確かに」

 確認してから受けっとった金をポケットに入れる振りをしながら全て収納する。


「それから魔物の買取金じゃが、これから競に入るから、そうだな夕方頃取りに来てくれ」

「じゃあまた夕方にくる。ところで宿を取りたいんだが、この町のお勧めの宿を教えてくれないか?」

「宿か……三軒あるが湖月亭じゃな。部屋は掃除が行き届いていてシーツも綺麗で飯も美味いと評判じゃ。宿代も一番高いがな」

「へぇ、一泊どれくらい」

「何せ三年前に儂がこの町に来た日に一泊しただけだから……たし四十ネアじゃった」

「そうか、ありがとう助かったよ」

「なに、お前さんのおかげでこの爺も死なずにすんだのじゃ、気にするな」

 そう言って呵々(かか)と笑う老役人に挨拶すると役場を出た。


 それにしても身分照明とかはしなくて良いのだろうかとも思ったが、良く考えれば町とか村の単位で戸籍のようなものを管理してはいるだろうが、目的は税金を取るためにあるものなので、その写しは他の町や村にあるとは思えないし、この領地を治める領主の手元にも存在しないだろう。犯罪者は各地に手配書が送られており、手配書に似た人物でもない限りは、旅人の身分は問われないようだった。

 自警団の人間に俺が旅をしていると言ったときに、不審がる様子もなかったことから推測すると旅人の存在自体もさほど珍しくも無いようだった。

 解せない。俺の頭の中では、町の外に魔物が生息するファンタジー世界において一般人が町の外に出る=死というイメージで、放浪者=アウトローだった……もっとこの世界の常識を身につけなければならない。



 最初から持っていた五七〇三ネア……以前までならざっくり計算し六千弱で済ませていただろうが今では下一桁まですぐに計算できる。凄いなと思う反面、金に細かいセコイ男になってしまったような気もする。

 この金で買い物をする必要がある。幾ら収納のおかげで手ぶらでOKとはいえ人前で使うわけにはいかない。とりあえず背嚢と財布。それに着替えを予備を含めて三着程度、それから日用雑貨は用意したい。

 町で一番高い宿が一泊四十ネアということから、幾ら現代の日本に比べて服などが割高だったとしても予算の範囲に収まるだろうと思う。


 町の通りを歩いていると、店先に果物や野菜を並べた八百屋と思われる店を見つけた。

 商品の中にナグの実を見つけたので一つ手に取り、店番のおばちゃんに値段を聞くと一つ十八セネといわれる。セネはネアに対する補助通貨単位で、ドルに対するセントのようなもので一ネアが百セネとなる。

 おれはもう一つナグの実を手にして銅貨で支払うと、なにやら紋様が刻印された一辺が一センチメートル位の正方形で厚さが二ミリ位の銅板一枚と、同じく刻印を施された一辺が五ミリ位で厚さが一ミリ以下の銅片が三十二枚をお釣りとして渡された……どういう計算になるんだろう? 疑問に思ったので質問してみた。

「あの、これは?」

「ああ、もう一つはおまけにしといたよ。しがない店番の私に出来るのはこの程度だけど、感謝してるんだよ」

「ありがとう」

「礼を言うのはこっちさ。ありがとうさんよ」

 頭を下げて立ち去ろうとする俺に笑顔で手を振ってくれた。


 ナグの実を食べながら通りを歩いていると、すれ違う町の人たちが笑顔で挨拶をしていく。

 英雄になる気は無いが、やはり人々に感謝されるというのは気持ちが良い。

 それにこの笑顔が自分に向けられたのではないとしても、人々が笑顔であるというのは良い事だ……おかしい。一体俺は何を考えている?

 空手部の部員はリアリストだ。修業で身につけた力を人の役に立てたいとかいう子供じみた正義感など、とうに捨て去っている。

 もしも俺達が正義の拳を振るうのならば、まずは世のため人のため、自分のために大島を誅すべきである。それが出来ない無力な己という惨めな現実を飲み込み擦れ枯らしの大人になるしか道が無いと諦めてさえいる……否、「いる」ではない「いた」だ。


 それ故に、自分の胸裏に湧き上がる感情が気持ち悪い。もしやと思い【ログデータ】を確認するとレベルアップの度に【パラメーター】-【精神】の下の階層の【慈愛】【公共心】【仁徳】【公正】などの良い人系のパラメーターが上昇し、一方で【自己愛】【独占欲】【奸智】【怯懦】などの駄目系のパラメーターが下降している。

 俺は今自分がシステムメニューを開いている事を確認してから断末摩の如く「ぎゃーーーーーーーっ!!!」と叫んだ。


 【良くある質問】『レベルアップで性格が変わった気がするのですが』:デフォルトでレベルアップでユーザーの善性が向上するように設定されています。【パラメーター】の各項目の【特殊設定】から【レベルアップ時の数値変動】を固定とすると性格の変化は防げます。ただし一度変化した値は元には戻りません。

 そこまで読んだ俺は、馬鹿みたいに沢山ある項目を一つ一つ設定する気になれず【精神】という上位の階層で【レベルアップ時の数値変動】を固定と設定した後で、息を大きく吸い込むともう一度断末摩の如く「ぎゃーーーーーーーっ!!!」と叫んだ。



 その後、雑貨屋に入って大き目の背嚢、財布代わりに小さくて紐を引っ張れば口を閉じられる丈夫な袋、ついでに腰に取り付けられるポウチを購入した。

 財布には銀貨一枚と銅貨、銅版、銅片を全て入れて腰のポウチに入れておき、普段はそこから買い物する事にした。

 雑貨屋を出て、道すがら人に尋ねながら衣料品を扱う店を探し当てた。

 現代日本と違って、衣料品店はオーダーメイドが基本という発想を持っていなかった俺は頭を抱えることになる。

「この服は借り物で、この町まで着て来た服も頭から血を被って、一応洗濯はしてもらっているけど元が生成りで、もう着るのは難しいので、直ぐにでも欲しいのですが」

 こう切り出す俺に、店主は申し訳なさそうに「身体の寸法をとって、それから作り始めるので急いでも三日はみて欲しい」と答えた。

 明日にでも次の町を目指そうと考えていた俺の困った様子に、店主は「もしよろしければ古着はいかがでしょう?」と提案してきた。

「品揃えは限られますし、品質は古着なりとしかいえませんが、この先の店で扱っています」

 そう言って、古着屋の場所を教えてくれた。

「助かります」

 俺は例の褌に似た腰布を三枚と靴下というか薄い足袋──ただし親指は独立していない──を五足、そして肌触りの良い木綿製と思しき手拭を四本購入すると、店主に礼を述べて店を後にした。


 古着屋では上下それぞれ二十着ほどの中から、生成りではなく汚れが目立たない色に染色された比較的程度の良いズボンと服を三着ずつを選んで購入し、その足で湖月亭に向かい一泊で一部屋取った。


「お部屋にご案内します」

 先払いで料金を払うと、女将さん……というか着物を着てるわけでもなくイメージと違う。どちらかといえば女主人? ともかく女主人の案内で部屋に向かう。階段を上がった二階の奥の部屋が今夜の俺の寝床だった。

「こちらになります」

 そう言って女主人が開いた扉の先は、六畳程度の広さでベッドと小さなテーブルと椅子が置かれた小さな部屋があった。

 役場で役人が言っていたように、掃除が行き届いているようで小さな窓から差し込む光の中には埃が舞っておらず、また窓からはネーリエ湖の眺望が広がっていた。

「良い部屋ですね」

「恐れ入ります」

 俺が満足して部屋を褒めると、女主人はニッコリと笑顔で頭を下げると部屋の鍵を渡すと「ごゆっくりどうぞ」といって扉を閉めた。

 とりあえず買ってきた荷物を開く。といっても日本の様に紙袋や箱、包装紙に包まれているわけではない。背嚢やポウチはむき出しで渡されたし、腰布や靴下は手拭に包んで紐で縛ってあるし、服もまとめて縛ってあった。

 今回買ってきた衣服類は背嚢の中では濡れる可能性があるので手拭を1本ポウチにしまった以外は全て【所持アイテム】の中に収納してしまうと背嚢に入れるものがなく困る。空で潰れている背嚢では偽装にもならない。

 まずは、濡れた防具とマントを出し、防具は直射日光の当たらない場所で陰干しに、マントは紐で結んで窓から吊るす作業をしつつ【所持アイテム】リストで、嵩張りつつも軽く、そして水で濡れても困らないものを探す。

「……無いな。日本なら新聞紙を適当に丸めたものを突っ込んでけば……待てよ、籠なら良いんじゃないか?」

 リストで検索をかけると、山菜取りにでも使うような背負い籠があったので取り出して、背嚢の中に入れてみると多少余裕を持って収まった。少し離れて見てみても荷物で膨らんだ感が出ていて良さそうだった。


 これまでに使ったお金は、買い物が背嚢とポウチ。ズボンと服は上下の三セット。腰布と靴下と手拭。そしてナグの実。そして宿代で全部まとめて一三六〇ネアと一八セネ。

 最初の所持金だけでは、後二泊したら終了だった。

 偶然だろうか? 俺には何か意図的な数字であるような気がしてならなかった。


 気付くと時間は夕方の四時を少し過ぎていた。

「役場が閉まる前に行くか……」

 荷物は残し腰にポウチだけをつけて部屋を出て鍵をかけ、一階で女主人に鍵を渡し「出掛けてくる」と告げて宿を出た。


「おうやっと来たか。もう帰ろうかと思ってたところじゃ」

 まだ4時半にもなってないのだが、これが異世界。ファンターな世界の標準というやつなんだろう。だが4時半で遅いなら夕方って何時なんだ? 太陽は大分傾いてはいるがまだ空は赤焼けていない。そんな思いを全て飲み込んで「すまなかったな」と応える。理不尽だと思うが郷に入れば郷に従えである。

「それでは、まずはオーク十四匹分の報奨金が九八〇ネア。渡しておくぞ」

 今回は計算違いなく渡された。老役人の後ろで作業している若い役人が一瞬こちらを振り返りドヤ顔を決めたので彼が計算したのは明白だ。

「それでじゃ、まずは明細を読み上げるぞ……」

 老役人は目を細めながら紙片に書き込まれた内容を読んでいく。


 オークの肉は宿や食堂なんかが買い上げているようで湖月亭でも買い上げているそうだ。

 つまりこの後宿に戻って飯を頼むとオーク肉の料理が出るわけだ……ちょっと思うところが無いわけではないが、これが異世界の洗礼というやつなのだろう。先に覚悟する機会が与えられた事を感謝しよう。


 オークの肉は人気が高いらしいが、庶民の味でありそんなに高い値段で競り落とされたわけではない。

 買い物の途中で肉屋を見つけたがかなり安い値段で売られていた。ナグの実もそうだったが食材全般の物価は低めなのだろう。

 オーガーの肉は食べられないわけでも無いそうだが、オーク肉に比べてもずっと安かった。

 しかし、ここからが凄かった。皮が現在の所持金の三倍近い値になり、骨は二倍近く。角に至っては六倍近い値が付いた。

 オークも肉は安かったが皮はそこそこ良い値段になり、また数も多かったので、総額は手数料を引いても六四一四三ネアとなった。


 ともかく所持金に不安を感じていた状況が一変し、食う寝る分だけの生活費なら三年分以上は溜まったわけだ……三年分以上。多分宿暮らしではなく家を借りて自炊すれば十年分位の生活費になるだろう金を一日で稼いだと考えると我事ながら凄い。。

 多分一ヶ月後には一生涯分の生活費を稼ぎ終えてニート生活に突入しそうな勢いだが、こんなテレビも本もネットもゲームも無い世界での引きこもり生活は監獄生活と差して違いが無いのは簡単に想像が出来る。

 何か目的を持たなければ生きていくのが詰まらなくなりそうだ。だが今は毎日風呂に入れる生活を送れるようにするのが目的だった。

「随分と儲けたようじゃが……こう言ってはなんだが、この町は田舎だ折角の金も使いみちも無いだろうて。領主様の住まうタケンビ二の街に向かうがいい」

「タケンビ二か、良い町なのか?」

「此処よりはずっと大きな町だが、良い町かどうかはお前さん次第だの。西の門から出て、道なりに真っ直ぐ進めば……そうじゃな夜明けと共に町を出て、かなり頑張れば日が暮れる前に着けるかもしれないのう」

 つまり普通は一日ではたどり着けないってことだろ。

「わかった。ありがとうな」

 役場を出ると町は既に夕暮れに染まっていた。



 その晩、宿で出された晩飯は、ポークジンジャーではなくオークジンジャーと呼ぶべき料理だった。しかも想像を遥かに超えて美味かった。赤身は豚肉と似ていながら独特の野趣を感じさせてくれる。そしてその脂身は舌の上で甘くとろける。これが豚肉だった「こんな美味い豚肉は食べた事が無い!」と素直に称賛しただろうに……何故か滅茶苦茶悔しかった。



 夕食の後、部屋に戻った俺はシステムメニューを開き【魔術】について調べてみた。

 水と土の属性がⅠになった時に、身につけた魔術……直径十センチメートル程の大きさの水の球を生み出すのと、精々キャッチボールより速い程度の速度で小さな石礫を飛ばすだけのしょうもない魔術は確認したが、その後にレベルアップして身につけた水や土の魔術。それに火・風・光・闇の属性の魔術は確認していなかった。

 水属性の魔術は、直径十センチメートル大の水の球を生み出し操作する事が出来る【水球】とは別に、直径一メートル程度の水の球を生み出し操作する事が出来る【水塊】があった。

 この【水球】から【水塊】の流れを考えた奴は馬鹿だと断言しよう。

 土属性の魔術は、小石を飛ばす【飛礫】とは別に、土の地面に直径と深さが三十センチメートルの円柱の穴を開ける【坑】だった。これは使い方・状況次第では役に立つだろう。

 火属性の魔術は、ライターくらいの小さな火を起す【火口】と、対象を温めたり冷やす【操熱】だった。火の属性でありながら冷やせるのには疑問を憶えたが、【操熱】をチェックしてあった『熱量を操る』という説明に一応納得した。まあどちらも火という攻撃的な印象の属性でありながら戦闘以外で役に立ちそうだ。

 風属性の魔術は、声を大きくし広い範囲に届かせる【拡声】と、弱い風を起す【微風】の2つ。拡声もそうだが微風も正直意味がある魔術とは思えなかった……スカート捲りとかそんな不埒な事は考えて無い。第一微風じゃスカートは捲れん。せめて旋風と呼ばれるくらいの風なら……

 光属性の魔術は、一瞬だけ強い光を放つ【閃光】のみ。普通ここは杖の先を光らせたりして明かりに使える魔術だろうと思うが、もしかすると持続的に光らせるより下ということなのかもしれない。まあ目晦まし程度には使えるだろう。

 闇属性の魔術は、対象の視界を闇で塞ぐ【無明】のみ。これはかなり使える。今まで魔術の中では一番というか唯一まともに使えると断言できる気がする。

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