第3話
辺りには血の匂いが立ち込め、目の前には二頭の狼が倒れていた。血塗れで臓物をぶちまけた惨たらしい死体と化している。
経緯を詳しく話すと滅茶苦茶長くなるから結果だけを言うと、俺は狼たちに勝った。それも無傷の完勝だ……ただし、何回ロードし直したかは絶対に秘密だ。
しかし疲れた。ロードし直すたびに、怪我も疲労も元通り回復するのだが、精神的疲労が半端じゃない。まるで丸一日戦い続けたような疲労感……いやそんなに何度も戦ってないよ。
だが、おかげで随分と経験をつむ事が出来た。生きるための戦いという生々しいまでに純粋な行為を俺は少しだけ理解出来たような気がする。思えばあの二頭の狼たちこそがそれを教えてくれた本当の師なのかもしれない……空手部顧問? 俺の人間としての成長には全く関係の無い存在だ。
ところで話は変わるが、狼との戦闘終了直後に『森林狼二頭を倒しました』というアナウンスに続き『てきぃぃぃん』という効果音が響き『レベルが上がりました』とアナウンスされた。
やっぱりレベルアップはあるんだと思いつつ、現在のパラメーター値とログデータ──恐ろしい事に、タイムテーブルに沿って、俺に何があったか、俺が何をしたか、俺が知覚している範囲で周囲で何が起きたかが詳しく記されている──からのレベルアップ情報を確認する──といってもパラメーターの全てを確認したわけではない。項目が馬鹿みたいに多いのだ。【筋力】をチェックすると『全身 平均値:××』と平均値が数値で表示されるが、更に詳しく下の階層を確認すると『上半身 平均値:××』『下半身 平均値:××』と表示され、更に下の階層には『右上腕部 平均値:××』の様に各身体の部位ごとに分類され、またまた下の階層には、上腕部にある筋肉一つ一つに筋力数値が設定してあった。このシステムを作った人間はパラノイアだと思う。しかも【筋力】の項目を選ぶと、ステータス画面の右側に表示されている俺の全身像が、真っ裸になり選択した筋肉が赤く表示される、とても勉強になる仕様だが、股間でプランプランしてる自分の一物が目障りで「チンポは隠せチンポは!」と叫ぶとそこだけモザイクが入る……袋は出しっぱなしだった。
とにかく袋も隠したが、全てのパラメータをチェックする気にはなれなかった──とチェックした範囲ではレベルアップ前に比べると最低でも二割以上上昇していた。まあレベル一の時のパラメーターが笑ってしまうほど低いせいだが。
そして実際に身体を動かしてみると身体能力の上昇が強く実感できる。後数回レベルアップしたら俺の中学生生活の最終目的である空手部顧問にお礼参りが叶いそうな気がする。
「というか、もっと弱い敵と戦ってレベルアップしていた後に、あの狼たちと出会っていたら楽勝で勝てたんじゃない? ……何が『チートきたーーーーっ!!!』だよ」
ともかくレベルアップによるパラメーター上昇がある以上は、この異世界で生き残るにはレベルアップして殴って倒し、またレベルアップを繰り返すのが正解のような気がしてきた。
また、パラメーター確認して気付いたのだが【魔力】とかいう項目があったんだけど、それも他のパラメーターに比べてかなり高かった。
それで現在どんな魔法を使えるのか確認してみたが、個人スキルの【魔術】を選択してみたら、全部空白で『現在使用可能な魔術はありません』だった。
「今後に期待か……」
気になるのは【HP】とか【MP】が存在しなかった事。流石に自分の身体の状況をHPとか数値で表現するには無理があったのだろう。
それに戦闘終了後に、RPGなら当たり前の金が手に入らなかった。これはログを確認したのだが、金だけではなくドロップアイテムも手に入らなかった。確かに狼が金や何かアイテムを持ってるはずが無いのだから当然とは思うが、リアルなファンタジーな世界に無理やりRPGのシステムを押し込んで、噛合わない不都合な部分に関してはシステム側が折れている。そんな感じがしてならない。
それから六時間後、俺は一つの真理にたどり着いていた。
「レベルアップしている場合じゃない」
俺はこの異世界で生き残るには、レベルアップして殴って倒して、またレベルアップは決して正解ではなかったことに気付く。
森の中を歩き回り、遭遇した敵対的な生き物たちと戦いレベルを順調に四まで上げていた。
特に敵を求めて動き回っていた訳じゃなく、出来るだけ戦いを避けるように物音を立てないように慎重に動き回っていたのだが、この森の動物達はともかく人間に対して好戦的で、こちらに気付くとすぐに周辺マップ内で黄色から赤へと変わって襲い掛かってくる。
狼や猪のように、現実世界でも人間を襲うようなタイプはともかく、どう見ても草食獣で鹿の仲間にしか見えない──とはいえ、一本の角が額の中心辺りから生え、そこから左右に枝分かれしている──までも、目を血走らせながら、襲い掛かってくるのは納得できない。
おかげで、パラメーターによってはレベル一の時と比較すると倍以上に成長していて、狼なんて怖くない状態ではあるが、決して絶対的強者になったわけでもなく、日が暮れる前に人里──こんな森の中にちゃんとした町や村があるとは思わない──にたどり着かなければセーブ・ロードも関係なく死ぬ事になると分かってしまった。
一応【所持アイテム】の中には夜営の備えはあるのだが、俺を発見したらすぐに襲い掛かってくるような動物だらけの森では夜営は無理だ。もし寝ているところを襲われたならロードする暇もなく一撃で殺される可能性も高い。
寝ずに一晩を明かすにしても、夜の暗がりを問題としない夜行性の獣を相手に闇の中で戦うのはコマ送り戦法を使っても勝ち目は薄いだろう。
かといって火を起せば、森の愉快な住民達が挙って押し寄せて物騒なパーティーが始まってしまうのは想像に難くない。
しかし目的地である人里は一向に見つからない。今は川沿いに下っているのだが、人間が通るような道すらも周辺マップの端にすら引っかからない。
多分、あと三時間ほどで日が落ちるだろうし、陽光の届きづらい深い森の中は既に暗くなり始めていて、人里探しよりも、森を脱出する事を優先させなければ、あと一時間もしない内に森は闇に閉ざされてしまうだろう。
そうなれば移動するためには明かりで視界を確保する必要がある。所持品にランタンはあるが、前述のとおり明かりを点けて歩いていたら十分後には死体になっているだろう。
「仕方ない。セーブは止めだ。今行ける所まで行ってから駄目ならロードで戻るしかない」
現在セーブしてあるポイントは、前回の戦闘終了後である三十分程前のことだが、一番捜索範囲を広げられるのはそこを起点として様々な方向へ可能な限り直進し、日が落ちる、もしくは戦闘になり怪我をした場合はロードして戻るのを人里、もしくは安全に一夜が過ごせそうな場所を見つけるまで続けること。
勿論、現在のセーブしてある場所を中心とした捜索範囲には人里も一晩過ごせる安全な場所も存在しない可能性も少なくは無い。だが生き残る事を最後まで諦める気は無い。自暴自棄になったらお仕舞いだ。
極限状態で生き残る事に必要なのは直感の類ではなく、冷静により高い生存への可能性を積み重ねる事だと、空手部の顧問も言っていた……べ、別にあいつの言葉をまともに受け止めてるわけじゃないんだから!
川沿いに藪を剣で薙ぎ払いながら進むような面倒は止めて、革鎧などの装備品をシステムメニューの【装備品】を使って外すと、それほど流れが急ではない水の中に踏み入ると泳ぎながら川を下る事にした。
どうせ日が暮れたらロードで状況を巻き戻すのだから、身体がずぶ濡れになろうが構わない。長くても一時間くらいの我慢だし、身体を冷やして体調を崩したとしてもロードすれば時間と共に体調すらも全ては巻き戻る。
川は岩肌の渓流ではなく、緩やかな傾斜に沿って水の流れが土を削って出来た、緩やかな蛇行を繰り返す穏やかな川なので、泳ぎが別段得意でもない俺でも苦労する事は無かった。
それどころか、川の流れに乗っている事に加えてレベルアップによる身体能力の上昇もあり、衣服を着たままというハンデをものともせず、かなりな速度で川を下っていくことが出来た。
途中何度か周辺マップに狼や鹿もどきらしき反応があったが、泳ぐのを止めて水の流れに身を任せて進めば、藪の中を進んでいた頃と違って、それらを示す黄色いシンボルが赤になることは無くやり過ごすことが出来た。
「最初から泳いでれば良かったな」
藪の中を歩いていた時とは比べもののならない速度と次第に暗くなっていく森の様子に、もっと早くに川に入らなかったことを後悔するが、ロードして戻ったら今度は出来るだけ早く川に入れば捜索範囲を広げる事が出来る。
川に入ってから五十分近くが経過し、森が夜の暗闇に染まろうとし始める。これ以上進むのは諦めてロードして戻ろうかと考えていると手前で川が右に大きく曲がった場所の川面がキラキラと光を反射させている。
「まさか?」
それまでの平泳ぎからクロールに切り替えると、俺は全力で川の先を目指して泳いでいく。
カーブを抜けた先で俺の目に飛び込んできたのは、森が切れた先から飛び込んでくる陽光が光の柱のようにそびえ立つ姿だった。
森を脱出した俺だが、その後ロードして再び森の中に戻った。
やり直して、すぐに川の中を泳いで移動すれば、先程よりも早い時間で森を脱出し、その後の町や村の捜索に時間が取れるという判断と、何より服とズボンが濡れたままの状態でセーブして、濡れたままの状態を起点に何度もロードしなおしながら捜索を続けるのはきついと判断したからだ。
今回は川までたどり着いた段階で、鎧などの装備だけでなく服やズボンも脱いでから収納し、前に垂らす布の無い褌のような腰布一枚の姿で水の中に入り泳ぎ始める。
前回はもしも森の動物に襲われた時に、せめて服やズボンを身につけていないと水から上がって戦おうにも藪の中には結構鋭い棘のようなものを持つ植物もあるので、それを恐れて服を身につけたまま川に入ったが、前回川を移動している間一度も戦闘になることが無かったので大丈夫だと判断した。
その結果、前回は一時間半近く掛かったロード地点から森の外までの行程を一時間足らずで移動することが出来た。
森の外は草原が広がっており、俺は水から上がると身体に付いた水を厚手の手拭──タオルと呼ぶにはパイル地ではない──で拭い取り、すぐに服を身につけ、その上に装備一式を装着する。と言ってもシステムメニューに任せれば一瞬に完了する。
おかげで未だに自分で鎧を着ることも脱ぐことも出来ない。
そのまま地面に腰を下ろすと、ゆっくり深呼吸をして息を整える。そして【所持アイテム】の中から水筒と保存食を取り出すと、食事を兼ねて休憩を取った。
保存食は、刻んだ野菜や肉などを水で溶いた小麦粉と合わせて練り、それを焼き固めた上で乾燥させたものらしい。大して美味くも無いが空腹は満たされた。
「日が落ちるまで二時間と少しってところか……」
水筒を仕舞うと立ち上がりセーブを実行した。
腰の高さほどの草が生えた草原は、森の中の藪と違ってズボンの上から突き刺さってくるような茨や足を取る蔦の類はほとんど無く、一々剣などを使って切り払い進む必要は無くブーツの底で草の根元を押し倒すようにして踏めば問題なく進むことが出来た。
また、草原でも他の生き物の反応はあるが、森の中と違って積極的にこちらを襲ってくる動物は居なかった。やはりあの森の中の動物が異常なのだろう……本当にそうあって欲しい。
一番有力な選択肢である川沿いのルートを一時間ほど進むと、大地を見下ろす断崖へと出てしまった。川は崖から数十メートルを落下して滝壺へと注ぎ込み、そこから再び川となって南西へと向かって流れ、やがて大きな川に合流した後は西へと流れる川は、下はぼんやりと霞がかっているが、遥か遠くには此処からでもぼんやりとだが目視出来る巨大な湖まで続いていた。
こちらが隆起したのか、それとも向こうが沈降したのかは知らないが、隆起にしても沈降にしてもかなりな大規模の自然現象の結果であり、左右をどちらを見渡しても絶壁が果てしなく続いていており、幾つもの川が断崖から滝となって下の大地へと注ぎ、やがてこの川と同じく一本の大きな川へと流れ込んでいる。
そんな雄大すぎる景色を眺めながら、下へ降りるのは無理だろうなと溜息を漏らす。
所持品にはロープもあったが精々十数メートルの長さしかなく、崖の高さはその四倍以上はありそうだ。いかにレベルアップによる身体能力のあろうとも無事に飛び降りられるか賭けてみるには分が悪いだろう。ついでに言うと俺は高いところが苦手だ。
子供の頃、すいすいと十mはある木の天辺まで登ったは良いが降りられなくなり、救出にはしご車が出動する騒ぎになって以来自覚している。
今でも「○○映像百連発」みたいな番組で、高い所に登って降りられなくなった子猫を救出するほのぼのとした場面がテレビに映ると赤面してチャンネルを変えてしまうほどだ。だから今後幾らレベルアップを重ねて身体能力的には可能になったとしても絶対に俺は飛び降りない。
「……まいったな」
森の中とは違い草原は見晴らしが良いので、ざっと周囲を見渡しただけでかなり広い範囲で人が住んでいるような場所が無いことが分かる。
森を出てほぼ真っ直ぐ西へと森から離れるように移動してきたこのルートが駄目だとすると、他はルートを捜索しても人里を見つかる見込みは薄い。
芸能人をテレビ局の前で出待ちするファンのように、相手を見つけたらまっしぐらに突っ込んでくるような危険動物が住む森の近くに住もうと考える馬鹿がいるとは思えない。
そしてこの草原は森と断崖に挟まれている……ヤバイ! 詰んでないか?
いやまだだ。セーブポイントから北か南のルートを進めば、何時か開けた場所に出て、そして街道なんかに出られて、偶然通りかかった商人の馬車なんかと出会えて「これから町に行くんだけど乗ってくか?」なんて誘われて、町の宿に一泊して、明日は冒険者ギルドに登録しに行って、美人の受付のお姉さんに「あら坊や、可愛いわね。期待しているわ、頑張りなさいよ」なんて言われて……いかん! どんなに辛くても現実から目を背けている暇はない。
「どうする俺?」
システムメニューを開いた状態なら悩んでる時間は幾らでもあるが、現実逃避には意味がない。現状の選択肢はこの断崖を降りる方法を探すか、ロードして戻るかの二択。
膝をカクカクさせながら腰がひけた状態で崖っぷちまで行って下を覗き見る。
吸い込まれるような光景に眩暈を覚え、よろけて足を踏み外しそうになるが、咄嗟に後ろに尻餅をついて何とか助かる。
「無理だ……俺には無理だ。ここから降りるなんて無理だ……一瞬、丸太にでもしがみ付いて滝から水と一緒に落ちれば助かるかなんて考えた俺が馬鹿だった……死ぬよ。墜落死じゃなく墜落中に心臓麻痺で死ぬよ」
落ちそうだと感じただけで、心臓が異常な速度でバクバクと鳴っているんだ。こんな状態で、このほぼ垂直に立ち上がる断崖をどうやって降りられるというんだ?
「……もう森に帰ろう」
森に帰って、ひたすらレベルアップし森の王者となって森の動物達に君臨し楽しく愉快に暮らすんだ。馬鹿な妄想だけど、この断崖を降りる事を考えるのに比べたら遥かにマシだ。
そう思った瞬間、滝の方からピシピシと何かが割れるような音がして振り返ると、岩の崩落が始まりガラガラと音を立てながら岩塊が滝壺へと落ちていく。
氷河にしろビルにしろ、今回の断崖にしろ何故崩落という現象は、こうも人間の目を惹き付けるのだろう。この時ばかりは高所恐怖症も何処へやら、這いつくばった状態で崖っぷちから顔を突き出して次々と落ちていく岩塊の様子を目で追い続けていた……自分の身体の下から『ピシッ』と音がする時まで。
「あっ!」と叫んだ時には、重力から切り離された浮遊感と共に俺の身体は宙に投げ出されていた。
その瞬間、システムメニューを呼び出して、ロードを実行すれば問題なかったのだろうが、既に落下の恐怖でパニックに陥っていた俺は「ここでまさかの強制進行イベント!?!?!」と意味不明なことを叫んだ後、あっさりと意識を手放してしまった。
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