消える冬と去る春、そして夏が来る。
なむなむ
第1話
「ねえ、人身事故だって。電車止まってるらしいよ。ほんとムカつく」
私は教室の扉を無遠慮に開けて、ズカズカと入り込み、唯一残っていた生徒に向かって唐突に話し始めた。
私の話を聞いているのは間違いないはずなのに、顔を上げる気配はない。
開けた扉を閉めずにそのまま歩みを進め、自分の席に座ってノートにシャーペンを走らせる生徒の、隣の席の椅子を引いた。
なんの配慮もなく引かれた椅子は騒がしく醜い音を立て、それが功を成したのかシャーペンの音が止まった。
ちらっとこちらを向いて、またシャーペンを動かす。
「じゃあ何して時間潰す?」
シャーペンは止まらない。
特徴のない声、だと思う。
黒い学ランのせいで、頭から足首までまっ黒の姿はもう見慣れてしまったが、ふと変声期前の高くあどけない少年だった頃の声を思い出す。
確かにあの頃は可愛かった。もっと愛想もよかった。
けれど、黒い髪がさらさらしてるのは変わらないし、白目の部分が真っ白なのもそのままだ。
やっぱり、この生徒は
「カラオケ行く?今日バイトは?」
「いいよ。バイトは今日なし」
雪はいわゆる幼馴染みだ。
家が近所で、歳が同じ、通う幼稚園も一緒となると必然的に遊ぶ機会が増える。
まさか高校まで一緒になるとは思わなかったが。
「いつ頃動くかな」
「2時間歌ったらさすがに動くって」
「だよね!てか飛び込むのほんとやめてほしいわ。はた迷惑」
雪は軽く笑って何も言わずに記入していたノート、もとい日直日誌を所定の位置へ戻しにいく。
その後ろ姿を見て、また背が伸びたかもしれないと思った。
私たちは4月を迎えて高校2年生になった。
人の溢れる教室では進路の話がちらつき、私は他人事のようにその話を受け止める。
まだ17の誕生日も来ていないのに、将来の決断を迫られているようで、子供でいたいのに、早く大人になれといわれているような気分になる。
雪はもう決めたのだろうか。
近頃何も話してくれない。
いや、話しはしている。
核心的な話を避けられているだけで。
くだらない話ならそれこそ毎日。
「お待たせ」
見上げると黒にまみれた世界に白い肌が写る。そういえば日焼けして黒くなるのを見たことがない。
線が細く色白の雪は、はっきりいえば病弱に見える。しかし人並みにスポーツができて、体育の授業が好きなことを私は知っている。
現に雪が手にした、教科書とノートと参考書の詰まった通学鞄が軽そうに見えた。
私たちは幼馴染みであるが、仲が良い以上の関係になったことはなかった。
付き合っているんじゃないかと噂されたことはあるが、お互いにそれは即座に否定した。
含みを持たせることは一切ない。
それが、この丁度良い距離を保つ秘訣なのだから。
深入りしないことも大事だ。
でも頼られないのはそれはそれで悲しい。
私たちには矛盾が多い。
教室の戸締まりをして、廊下を並んで歩く。
校定には桜の花が色を添え、空の青と重なって美しい。
また新たな1年が始まった。
去年と同じ校舎、同じ制服。
クラス替えがあったけど、また雪と同じクラス。仲の良い友達はバラバラになったけど、廊下に出ればすぐ会える距離だ。
知らない顔は、気が合えば仲良くなれたらいいなと思う。
去年に比べて“ハジメマシテ”が少ない分、気が楽だ。
また、噂が流れそうだけど、それはお互い否定していればいい話。
雪にもとうとう彼女とか出来るんだろうか。
それとも私に隠れて付き合っている子とかいたのかな。今はいないって言ってたけど…。
いつの間にか、お互いを一番よく知るのは、お互いではなくなった。
あの頃は親にさえ言ったことがない話も、雪は話してくれたし、私も雪に話した。
ほんとに、いつからだろうか。
校舎を出て門へ向かう途中、突風が吹いた。
桜の花びらを巻き上げて去っていく。
「春一番だね」
「う~…目になんか入った」
隣でさらさらと黒髪が風に靡いているのが目に入る。私は目を擦りながら、また歩き出す。
早く店内に入りたい。煽られるスカートを気にしながら、足を進めた。
私たちがカラオケに行った2週間後、
雪は死んだ。
空から落ちてくる雪のような、淡く儚く消えていくような死に方ではなく、人の目に焼き付けるような鮮烈さで私の前からいなくなった。
いつから、話してくれなくなったのかな。
私が、もっと踏み込んだ方が良かったのかな。
雪が自ら死を選ぶほど、私は頼りにならなかったのかな。
よりにもよって、線路に飛び込むなんてさ。
私ムカつくって言った方法じゃん。
どうしてそれだった?
人の体から涙がこんなに出るなんて知らなかった。
泣いても、もう雪は帰ってこない。
私の両親が、雪の両親すら心配するほど、私は泣いていた。腫れて目蓋が重くて、ちゃんと開かない。不自由さを感じても、でもその次には、何を目に写すものがあるんだろうかと、自暴自棄になった。
隣に雪がいるのは、当たり前だったね。
大人になったら、この家を離れて2人とも別々の暮らしをするんだと思ってはいたけど、それまではこの関係を大事にしたいって考えてた。
それは、私だけだったのかな。
夏のプールや花火も楽しかった。
彼女が出来ても、私と近所の花火大会くらいは一緒に行ってくれたらいいなと願っていた。
私に彼氏がいた時も、雪の誘いは極力断らなかった。それは行く前から楽しいだろうって分かってるから。
私には相談できなかった?
遠慮してた?
それとも、他の誰かに相談してたのかな。
男同士じゃなきゃ話せない話もあるもんね。
でも、いなくなることくらい、教えてくれてもよかったんじゃない?
雪にとって私は教えるに値しないほどちっぽけな存在だったの?
悲しい気持ちは悔しさに変わる。
助けてあげられなかったという気持ちと、頼ってもらえなかったという気持ち。
どちらも今となってはもう遅くて。
学校にも行けなくなった。
涙がふとした時に溢れてくる。
目蓋も腫れて酷い顔。
雪のこと、忘れられないよ。
どうしてそんなに強烈にいなくなったの。
ほんとは噂が流れる度、ちょっと嬉しかったんだよ。
雪の特別みたいで。
そう周りに思われてるみたいで。
雪が告白されても断ってたって、風の便りで知ると、なんだか満たされた気分にもなった。
そのことは誰にも言ってない。
イケメンって訳じゃないけど、いつも一緒にいたからかな、その見た目は気にならなかったよ。
付き合えるかどうかって聞かれたら付き合える。でも一生誰にも言わないつもり。
ちょっと距離の近い幼馴染み。
雪はそれだけのはずだったのに。
引き込もって数日。
母親にスーパーに買い物に行けと、強制的に家から追い出された。
家からスーパーまでは片道5分。
マスクをして、だて眼鏡をして、エコバッグを持って、小さな財布はポケットへ。
ラフな格好にサンダルで家を出た。
もう桜は跡形もなく散り、青々とした葉が成っている。
住宅街を出て角を曲がると、急に「あ」という声が聞こえた。
「あ、
「ども」
雪の弟。
雪に似た黒髪は雪より短く、風には靡かない。
まだ少年さが抜けないところが可愛い。
「変装?」
「…そう、変装。ちょっとね」
やっぱりマスクに眼鏡は怪しかったか。
おずおずと聞いてくる様子がまた可愛い。
でもそれ以上話すことが見当たらないのか、ちょっと困っているようなので、こちらから話を切り上げてあげよう。
「じゃあ」
「あ、……ちょっ…」
用がなかったんじゃないか、と思った瞬間、
「にいちゃん、
にいちゃんは一生言わないって言ってたけど」
私たちは失ってから気付く。
やがて梅雨の時期が来る。
長雨と、じめじめが明けたら、夏が来る。
雪のいない夏だ。
消える冬と去る春、そして夏が来る。 なむなむ @nam81
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