第12話「まあ、僕はホームズじゃないからね」

「よーし、部屋を片付けよう。証拠隠滅ってやつだ」

「おう、なんでだよ」


 気絶した大井青子を応接間のソファへと寝かせてやると、のびていた黒川が意識を取りもどした。先のセリフは彼の開口一番だった。証拠隠滅ってなんの証拠だ。


「なんでだよ、って……決まっているだろう? 説明するにしても起きたら自分の居た部屋があんなになっていたと知れば、彼女はまたパニックに陥りかねないじゃあないか。衝撃の真実は徐々に慣れさせるべきだ」

「まあ、話したとしても、信じてくれるか……わからねえしな」


 大井青子を悩ましていた部屋荒らしの犯人は、ストーカーではなく大井青子本人であった。しかし、それは大井青子ではない。ややこしいが、彼女は多重人格者であった。彼女の別人格が彼女を脅かしていたのだ。


 それが事実だ。しかし、それがたとえ紛れもない事実だとしても、それが受け入れられるか、と言われるとわからない。だが今、俺が話したいことは大井青子に真実を伝えるか、否かではない。


「部屋荒らしの犯人はわかった。じゃあ、ストーカーは?」

「さあ、わからない。大井青子の幻想か、彼女の別人格が起こしていた錯覚かもしれない——と、片付けてしまえれば楽なのにね」

「それでは、お前を刺した黒服の男は何者か? ってことか」

「ああ、白崎くん。何か心当たりとか、ここまでに気になったことがあったら僕に協力してくれないかい?」


 心当たり。無いわけではなかった。俺は黒川に、先の騒動で彼女が呟いた一言を伝えた。彼女は確かに「——殺されるくらいならば、殺してやる」と言った。黒川はそこから俺と同じものを悟ったらしく、真面目な面持ちでじっと考える。彼はしばらく唸ったり頭を傾げたりするが、名案は浮かばないようで、「片付けてから考えよう」とだけ言って、箒とちりとりを取るために一階の物置部屋へと消えていった。


 俺は溜息をついてあたりに散乱した本を机の上に束ね、シーツやブランケットをたたみ始める。黒川の頭に直撃したノートパソコンは起動こそすれども、ディスプレイにヒビが入り、無機質な色の縦筋が入ってしまっていた。彼女は災難だが、これは修理か買い直しだな。そう溜息を吐くと、黒川が二階に戻って来た。俺は彼から投げられた箒を空中でキャッチする。


「ナイスキャッチ」

「どうも。にしても、いつから気づいていたんだ?」

「最初におかしいと思ったのは、彼女と初めて会った時だ。彼女は『しっかり睡眠はとっている』と言ったのに、その目には寝不足の傾向があった。でもそんな嘘をつく必要なんてないし、彼女がそういう性格でもなさそうなので別の可能性を探った」


 大井青子と初めて会った一昨日の昼のことを思い出す。確か、黒川は彼女の目をじっと観察していた気がする。目が赤いだの、寝不足だの言っていたのは確かだ。


「それと、彼女の部屋は荒らされているだけで、何も盗られず、もちろん、彼女に直接の危害がなかったのもおかしいと思った。犯人の目的はなんだ? と」


 しかし、彼曰く、いくら考えても犯人の目的はわからなかったらしい。ただ、危険を冒してまで部屋荒らしをストーカーが行う理由は無い、という現実が浮き彫りになるばかりであった、と。


「そこで僕は考えた。

 もし、ストーカーが犯人ではないとしたら?」

「つまり、大井青子だったら、ってことか」

「大井青子が多重人格者ならば説明ができると気づいたんだ。白崎くんと警察が用心深く監視したアパート、というより大井青子の部屋は誰であろうと侵入不可能だと思われた。しかし、侵入者は外からやってきたのではない。最初から内に居たんだ。そうすれば、彼女の寝不足にも理由がつく。大井青子が寝ている間、別の大井青子が活動していたんだから。

 最後に「侵入の痕跡が無い」という君の言葉で確信した。犯人は部屋の内側から来たに違いない。ならば大井青子が犯人だ、と。そんな具合さ」


 ああ、なるほど確かに俺は、侵入者というものだから必ず外側からやってくるものと考えていた。ならば、黒川から俺の頭が硬いと言われるのも仕方はないか。


「さて、物知り白崎くんのことだから、もちろん知っているだろうけれど、多重人格というものは、処理できない精神的ショックに対する防衛本能から起こる。これは後付けだけれど、『殺されるくらいなら、殺してやる』というのは彼女の別の側面だったんだろう。一見おどおどしているけれど、覚悟を決めればなんだってする性格が、おそらく元の彼女なんだろうね。

 しかし、それがストーカーの凶行によって彼女の人格を二つに分けてしまった。まあ、事の顛末は大方そんな感じだろう」 


 ある程度の納得はできたが、彼の推理にどこか齟齬があるように感じた大井青子の人格が二つある理由については理解した。しかし、この、なんとも言えない違和感はどこから来るものだろう? 俺が頭を悩ましていると、その答えは、意外にも目の前の男が提示してくれた。


「理解はしたけれど、納得はしてない。って感じの顔だね。多分あれだろ、警察署へ事情聴取を受ける前、僕が君に対して『犯人がわかった』と言ったことだろう」

「ああ、それだ。それ。お前の言い分だと『大井青子が犯人っぽいなあ、とは思ってるけど、俺が彼女の部屋に清掃に行って侵入の痕跡がなかったから、犯人が彼女である線が強くなった。と言っているみたいじゃねえか」

「まあ、あの時点で、彼女が犯人と確定したわけじゃなかったんだけどね」

「は?」


 俺は思わず聞き返した。


「だってそうだろう。もしかしたら彼女も僕らも知らない。ストーカーや黒服とは全く別の第三者が彼女の部屋を荒らしていた可能性だって無きにしもあらららら

 ——痛い痛い痛い!」

「じゃあ何か。お前、あのセリフ、実は当てずっぽうだったってことか? え?」


 俺は黒川の頬をつねる。かなり強く。黒川は小さな悲鳴をあげながらも俺の腕を振り払った。


「待ってくれないか。落ち着いて。いいかい。

 まず一つ、僕の推理が間違ったところで、誰にも何にも影響は無い。

 二つ、後期クイーン的問題って知ってるかな?」


 後期クイーン問題。確か、探偵がいくら緻密な推理をしたところで、「手かがりが出揃った」という保証はどこにも無いため、真実がわからなくなってしまうという不確実性のことだ。


 たとえば、俺が「A」というレストランで食い逃げ少年を見つけて、捕まえたとする。ここまでだと、食い逃げの犯人は言わずもがな少年である。しかし、「もしかしたら」これには続きがあるかもしれない。

 ——もし、別のレストランBが、職業敵であるレストラン「A」に対して食い逃げしてこいと指示をしていたら?

 そうなれば、この事件の真犯人は少年ではなくレストランBとなる。もし、探偵が犯人は少年だった。と話を終わらせてしまえば、レストランBが業務妨害で逮捕されることはないだろう。


 無論、このようなことは無限に行うことができる。「もし、レストランBがCという人物に脅されていたとしたら?」、「もし、Cが不幸な事件によってDという会社の傀儡となっていたらば?」エトセトラ、エトセトラ。


「ふふ、わかるかい、白崎くん。僕がいくら頭フル回転に頑張ったところで、あのタイミングでででで——! 痛い痛い痛い!」

「とぼけんなよお前? 話を逸らしてるだけじゃねえか」

「あ、バレた? だって僕らが求めているのは真相ではなくて、あくまで部屋荒らしの実行犯だからねねね——! 痛いって」


 そう、あくまで後期的クイーン問題というのは、何も解決できない問題ではない。そもそも、俺たちの今の状況に、この問題は通用しない。俺たちが求めているのは真実ではなく事実だからだ。


 真実と事実は似ているようで異なる。真実は追求すれば、なるほど確かに幾つもの形を見せる。突き詰めれば「大井青子がストーカーに襲われたのは宇宙が誕生したからだ」という、一見突拍子もない真実を得る。


 しかし、俺たちが求めている事実とは。「誰が部屋荒らしを行ったか」この一点に限る。部屋荒らしを行った動機や、誰かが裏で手を引いているなど、考慮の内に入らない。


 結局、警察署へ事情聴取を行く直前に発した「もう、僕には犯人がわかっているんだ」という黒川の決めセリフは、ハッタリだったのだ。もしくは当てずっぽう。俺は呆れに呆れ返った。


「……お前の大好きなホームズは『ぼくは当てずっぽうは絶対にやらない』と言ったらしいぜ、推理力がダメになるんだとさ」

「まあ、僕はホームズじゃあないからね」

「そういう話じゃないだろ」


 この後も黒川に追及をしばらく続けたが、黒川はお得意のああ言えばこう言う、といった態度でのらりくらりとかわし続けた。まるでギリシャの悪どい弁論家だ。ソフィストだ。この調子でこの先で一年間、探偵をやっていくとなると、先が思いやられてため息をつきたくなる。しかし、いくら嘆いたところで、部屋が片付くわけではない。そのことに気づいた俺は、掃除のために心を無にした。

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