第10話「いや、それこそ違うね。この推理こそが真実という奴なのさ」

 たとえストーカーが部屋荒らしの犯人でないとしても、この物語に登場人物はもう一人いる。しかし、その人物が犯人であることはありえない。だってもう一人は「彼女」なのだから。「大井青子」なのであるから。

 俺は困惑の《こんわく》あまり声を上げずにはいられなかった。


「まさか、大井青子が部屋を荒らした犯人だって言うのかよ?!」

「ああ、そうさ」


 自分の驚愕きょうがくとは裏腹に、黒川はなんともはらった表情でそう答える。自分が今、どれだけどんでもないことを言っているのか理解していないらしい。


「それはありえない。

 だって彼女は被害者だ。お前も言っただろ、彼女が嘘を吐く人間ではないってよ」

「でも、消去法で考えたら、犯人は彼女以外ありえない、だろ? 

 だってそうだ、ストーカーでないのならば、必然、犯人は彼女となる。

 もちろん、君の言い分もわかる、彼女は『被害者』だ。

 しかし、それは『加害者』ではないことを意味するわけではない。

 わかるかい? 

『被害者である』と『加害者ではない』はのさ」


 この男は何を言っているのだろうか。被害者と加害者が同一人物なんてありえない。それは事件にならない。ただの自傷じしょうだ。いや、自傷ですらないのかもしれない。


「繰り返すようだけどさ、白崎くんは頭が硬いとか言われていただろ。

 ここまで言ってもわからないなんてさ」

「いったい何が言いたい? 

 これは手の込んだイタズラだったってことか? 

 部屋を自分で荒らして、ストーカーにまとわれているなんて嘘を吐いて、俺たちをだましていたってことか?」

「いいや、おそらくそれは違うね。

 自分で部屋を荒らしたのはまことで、『ストーカーに困っている』や『気付いたら部屋が荒らされている』といった彼女の言葉もこれまたまことのことなんだ」


 相変わらず、こいつの言葉は周りくどい。そして矛盾むじゅんしている。

 この世界のどこに、自分で部屋を荒らしておいて、「何者かに部屋が荒らされている」と、ビクビクする人間がいるだろうか。 


 しかし、黒川はそんな人間が「いる」と言うのだ。


「君の誤解を解くなんて簡単さ。

 トリックは、ね。大井青子が二人いればいい」


 何言ってるんだこのバカ

「何言ってるんだこのバカ」

 心の声がそのまま口に出た。


「バカ? 心外だなあ。こっちが真面目に人に説明してあげているっていうのにさ」

「お前が急に訳のわからないことを言ったらバカって言いたくもなるわ! 

大井青子が二人居るわけがないだろ。双子だって言いたいのかよ」

「双子? ははあ、良いね。

 柔軟な思考が出来る見込みはあるね。面白いアイデアだ」


 馬鹿にしてるだろ、こいつ。

 だが、黒川の言葉はもっと馬鹿っぽかった。


「しかし、僕の推理はもっと奇天烈きてれつ奇想天外きそうてんがい

「そして抱腹絶倒ほうふくぜっとうか? ここは大喜利おおぎり会場じゃねえんだぞ」

「事実は小説よりも奇なりってやつさ。

 僕を疑いたいのならば、疑えば良い。そして現実を確かめればいい。

 ちょうどね、そろそろ時間だと思っていたんだよ」


 何の時間だ? と訊いた時。黒川は静かに、口の前に指を当てる。

 

 静謐せいひつ


 時は穏やかに流れ、秒針は欠かさずにそれを刻む。草木ですらも微睡まどろみ、世界は眠る時間。だからこそ訪れるのは静寂ともいうべき静けさだった。


 しかし、静かだからこそ、この世界は完全な無音ではないことに俺たちは気づかされる。外を走る車が呼吸代わりにガスを排気する音。ふくろう嘲笑ちょうしょう。鈴虫の調しらべ。


 まるで四分三十三秒。


 その音に混じるように、大井青子の部屋から物音がした。


「こんな夜更けに彼女はいったい何を?」


 最初に言葉を発したのは俺だったが、先に行動したのは黒川だった。アイツはどこか得意げな表情で俺に「付いて来い」と合図をする。合図されなくても、俺は行っただろう。彼女が居る部屋のドアを恐る恐ると開けて、俺は部屋の外から彼女の様子を見ようとした、すると、それは自分の予想に反して大きく開けられた。俺の後ろから黒川が乱暴らんぼうに開け放ったわけではない。確かに奴ならそれをやりかねそうだが、そういうわけではない。彼女、つまり大井青子が内側から開けたのだ。


 言い忘れていたが、先ほどまで俺たちが居た応接間から彼女に割り当てた部屋までは、四メートルほどの廊下を渡る必要がある。廊下なのでもちろん、道を照らすための電球も付けられている。


 大井青子が扉を開けたならば、その電球の光は彼女に当たる。

 彼女の顔を、胴体を通って、腕を通って、手を通って。手に握る、包丁に当たり、きらりと光って反射した。


 きらりと光って、その光量を俺の虹彩こうさいが調節して、ガラス体、視神経を通り、脳が光を認識して、俺がその光が何によるものかを理解して、それでようやく、俺は自分の身の危険を感じたのだ。

 ああ、それは少しばかり遅すぎたかもしれない。

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