第8話「うどん/そば、パン/ご飯、白/黒、俺/お前」

 彼女を事務所に送り届ける。案内したのは廊下ろうかの一番奥にある、八畳はちじょうほどの小部屋だ。彼女はそこにノートパソコンだの、語学の教科書などを広げて、自分のスペースを作ろうとしていた。


 俺がそれをぼんやりとながめながらテレビを見ている最中さいちゅう、黒川からのメッセージが俺のスマートフォンに届いた。いわく、「早く迎えに来て欲しいな。寒いし」とのこと。それを見た俺はゆっくりと外出の準備をした後、外へと繋がれているドアのノブを手にかけたところで、思わずその手を止める。


「大井さん。自分は黒川を、あのちゃらんぽらんな雰囲気の男を迎えに行かなければいけません。無いとは思いますが、誰かが事務所を訪ねても、応対おうたいひかえるようお願いします」


 彼女は俺の言葉に頷くと、再び荷解にほどきに取り掛かった。事務所の入っているビルから外に出ると、もう外は薄暗くなっていた。夕焼けがビルを赤く染めていた。黒川を連れてここに戻るころにはおそらく、すっかり日も落ちて、辺りも暗くなってしまうだろう。


 どうも落日後らくじつごが勝負のこくらしい。大井青子を狙うストーカーが現れるのは決まって日が落ちてからだった。日中は大井青子とほとんど行動を共にしていたが、誰かから尾けられているとは感じなかった。彼女もそのようだ。まだ、ストーカーは動いていない。奴が動くならば夜に違いない。俺はそうアタリを付けていたのだ。


 再び警察署まで車を走らせる。車に備え付けられたラジオをつけると、CDのヒットチャート、外交のニュースに続いて、例の連続殺人事件へと話題が移る。耳を傾ける。しかし、目新しい情報はない。


 別に、黒川の言ったセリフが気になるわけではなかった。ストーカーと連続殺人犯が同一人物なわけがない。ただ、元刑事としてかつての仲間を心配してしまうのが、人情というもの。マスコミは連日、まるでサッカーワールドカップの中継のように特番を組んで報道している。


 いったい、何がそこまで事件の捜査を難航なんこうさせるのだろうか? その疑問の答えを知る術を今の俺は持ち合わせていなかった。ほんの半年ほど前だったら警察署へ向かって、同僚に挨拶するような気分でたずねられたのだが、今の俺は「探偵」という大仰おおぎょうな名前をした、実質的なサラリーマンである。


 自分が刑事ではなく、ただのサラリーマンであることを再確認した俺は、目の前の依頼に心を専念させなければいけないことに気づいた。だから、そのことのみを今だけは考える。


 彼女の部屋が荒らされていたということは、ストーカーがアパートの近くに居たということ。状況から考えれば、黒川を刺した黒服はストーカーに違いない。


 刺した。


 黒服のその行動に俺はかりを覚える。ラジオから流れているのは、この街を恐れさせるシリアルキラーの特番。


 一つ、黒服とストーカーは別人である。そして黒服はシリアルキラーであり、黒川は運悪く遭遇そうぐうし刺されてしまったという可能性。


 二つ、黒服とストーカーは同一人物である。ストーカーは黒川に話しかけられて驚き動揺どうようして、刺してしまったという可能性。


 三つ、同一人物である。さらに、その人物はシリアルキラーであり、次の狙いは大井青子だったが、そこで黒川が邪魔になった。


「まさか」


 俺は思わず自嘲じちょうする。黒川のバカの夢想家むそうかがうつったのかもしれない。もしくは疲労で少し錯乱さくらんしてしまっているらしい。帰ったらゆっくり眠りたい。と思ったところで警察署の駐車場にたどり着いた。黒川に一報入れて俺は瞳を閉じる。学生の頃は余裕だった徹夜が最近は頭の回転に影響していることに気がついた。適度てきどに休まなければ、もうまともに考えられない。


 耳をすませば外では子供を連れた父と母の笑い声や、居酒屋の客引きゃくびきが張る声の音が聞こえる。ここは駅から近いから、そういった声が聞こえても不思議ではない。しかし、彼らは身近に潜む危険、殺人鬼に気がつかないまま、なんとも穏やかに一日を終えようとしている。


 遮断機が響かすサイレンの音もタイヤと道路がう音も、買い物を楽しむ主婦の声も、電話で談笑だんしょうをしている若者の声も。車のサイドガラスをコンコンとノックする音も。全てはまるで、日常のように流れている。


「おーい、ちょっと? 何無視してんだよ!

 コンコーン! 白崎くん? 僕なんだけど。黒川ですけど」


 アホの黒川が俺を起こす。「疲れているんだから、起こすんじゃねえ」と言いたかったが、そこはぐっとおさえる。代わりに俺は露骨に嫌そうな顔をして、内側から車のロックを解除する。車の中に入るなり、黒川は俺の顔を不思議ふしぎそうにのぞきこんだ。


「なんか君、疲れてないか?」

「お前のせいでな」

「僕なんかした?」


 疑問を呟く黒川をよそに、俺は車を走らせる。やれやれ、今夜はゆっくり眠りたい気分だ。少なくとも、日付が変わる前には。俺は車窓しゃそうから腕だけを出して風を感じていた。こうしていないと、睡魔すいまにやられて三途さんずの川を泳ぐことになりそうだったからだ。


「……つまり、三途の川のスイマーになるわけだね、僕らは。睡魔だけに」

「うるせえよ。まあいいや。それで? そろそろ『話すべき段階』なんじゃないか。お前の推理どおり、大井青子の部屋は荒らされていた。どうしてわかったんだ?」

「ほう、本当かい? なるほど、僕の推理を披露ひろうする時が来た、というわけだね。

 だけれども、部屋が荒らされていたからと言って、それは僕の推理が当たっているという確信にはまだ繋がらないぜ?」

「……?」


 俺は黒川の言葉の意味をよく分からず。首をかしげる。とにかく、彼の推理の真か偽にか関わらず。ここで黒川の答えを聞いてしまった方が精神せいしん衛生えいせい上、健全だと考えた。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言う。


 黒川はわざとらしく咳払せきばらいをした後に普段とは少し違った声色こわいろで、推理劇場の開演を俺に知らせた。


「ふむ、それでは探偵らしく。推理を披露しよう。

 小説のように容疑者を集めることもできないし、する必要もないけれどもね」


 黒川はニヤリと笑ってそう答えた。ああ、こいつはやはり。夢を夢のまま叶えることのできた男なのだ。俺はそれを少しだけ羨ましく感じた。うどんとそば、パンとご飯。白と黒のように。白崎お前黒川はまさに対極に位置する人間なのかもしれない。

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