第7話「黒川の推理(もしくは予想、または勘)は確かに当たっていた」

 黒川の事情聴取のため、彼を送り届けた後、俺は一度事務所へと戻った。


 大井青子からの電話があったため、黒川の指示通り、渡されたメモの電話番号に電話する。すると、確かに清掃業者へと繋がった。彼らは好意的に自分の応対をしてくれた。それも都合つごうのいいことに深入りはしない、なんでも言いつけてくれ。といったような感じだった。黒川の名前を出した途端とたん、彼ら態度が一気に柔和にゅうわになった気がしたが、彼の家には何のりがあるのだろうか。


 一時間ほどで、五人ほどの業者が俺らの事務所の元へやってきて、俺に着替えを渡して、家の広さから清掃がどの程度の時間で終わるかを伝えた。何時間も自由に調査が出来るわけでは無いということだ。俺からは鑑識かんしきを行いたいから、幾つか証拠品になりそうなものをこっそり回収してくれと頼むと、彼らは二つ返事で了承してくれた。


 俺たちは清掃業者が乗ってきた灰色のバンに乗り換えて、大井青子のアパートへとやってきた。彼女は少し不安な様子で俺たちを迎え入れた。その時点でなんとなく、嫌な予感がしていたものだが、彼女の部屋の様子を見て、心の内では呆然ぼうぜんとする。


 ——黒川の推理もとい予想通りだったからだ。


 大井青子の部屋はまるで泥棒が入ったかのように荒らされていた。いくつかのミステリーが自分の頭に衝撃を与える。特に気になったのは次の三つだ。


 一つ、どうやってストーカーは俺達の見張みはりに気付かれず、彼女の部屋に入ってきたのか。

 二つ、ストーカーが部屋を荒らす理由は何か。

 三つ、黒川の推理の根拠こんきょは何処か。


「一応、探偵さんが来るまで出来るだけ物を動かしていないんですけど……。どうしたらいいでしょうか?」


 大井青子はぼうっとする俺にこっそりと耳打みみうちをしたようだった。その声で俺はハッと我に帰り。彼女の部屋の様子を詳しく探ろうと、注意深く目をこらす。彼女が住んでいるのは一人暮らし向け、1DKの部屋だった。花柄の壁紙が丁寧ていねいに貼られた、小綺麗にまとまった部屋——だったのだろう。


 その様子を一言で説明するならば、その壁紙は所々で切り裂かれている。あるいはクローゼットの服はあたりに投げ捨てられている。またあるいは。棚に置かれていた食器は何枚か割れてしまい。あるいは一段の棚は、何か強い力がそこに掛かったのだろうか、それは真中まんなかで折れてしまっていた。


「……ええ。それでは、これから清掃を行います、大井さんは外でお待ちしていてください。終了いたしましたら、こちらから御連絡させていただきます」


 俺も馬鹿じゃない。部屋が荒らされて何も盗まれていなかったから「不思議な話」で終わらせるわけがない。これは一種のカモフラージュに違いない。と俺はそう思った。盗撮、もしくは盗聴のための機械がこの部屋の何処かに隠されていて、それをさらに隠すために部屋を荒らしたに違いない——。俺は一つ一つ、散乱さんらんした皿やら衣類などを片付けながら盗聴器や隠しカメラが無いか、まるで麻薬を取り締まる警察犬のように探し始める。


 結果から言えば、そんなのは無かった。入念に探したが、何一つ見つからなかったのだ。俺はまさに百八十度、自分の予想と全くことなる現実に頭を抱えてしまいそうになる。ノートパソコンを利用した盗聴器捜査も行った。清掃業者の彼らも、怪しいものは見つからなかったと俺に報告する。の果てには大井青子から指紋を採取し、一度事務所に戻り指紋調査も行った。しかし結果として、彼女以外の指紋は確認できなかった。


 いったい犯人の目的はなんだろうか。これでは部屋を荒らしているだけじゃないか。盗聴器やカメラは仕掛けていない、何も盗まない。部屋に侵入すれども、その度胸どきょうがないのか。いや、その一方でストーカーは黒川を刃物でした。それではあまりにも行動が支離滅裂だ。部屋荒らし程度しかする度胸のないストーカーが、人を刺すなんて大それたことができるだろうか。


 さらに、これは調査の結果、新しくわかったことなのだが、大井青子の部屋に侵入した痕跡こんせきが全く見当みあたらなかった。彼女の部屋の窓はリビングに陽光ようこうを取り込む大窓からトイレに付けられた小窓まで、何一つ破られた様子はない。鍵もそうである。外側から無理やりこじ開けられれば、何かしら傷が付くものだが、びっくりするほどに綺麗だった。彼女にそれと無い会話の中で合鍵について聞くと、「誰も持っているはずが無い」という。大家でさえも。


 いったいどんな手法、トリックを用いて、犯人は全く証拠の残らない侵入をげたのだろう。まるでミステリー小説のような展開にルビを入力…む。黒川ならわかっているのだろうか。


「……参ったな」


 俺は誰にも聞こえない声でそうつぶいた。お手上てあげである。意味がわからない。こういう時は決まって致命的な勘違かんちがいか、真実にいたるまでの情報が足りていないかのどちらかだ。考えるだけ無駄なので、犯人像についてはひとまず棚に置き、俺は彼女に、片付けが終えたので部屋へ戻るように伝えた。


 部屋へと戻った大井青子の方をちらり見る。よく見ると顔がやつれていた。ストレスで疲れているようだ。そこでようやく俺は、犯人の特定と同じくらい被害者のケアも重要であること、そして黒川の言葉を思い出す。


「大井さん、料金とゴミの処理についてご提案があるのですが」


 俺はそう言いながら、彼女の前にノートを置いて筆談を始める。

 ノートの内容は大方以下のような内容だった。


『正直言うと、大井さんがこのアパートに住み続けるのは危険です。

 そこで提案なのですが、私たちの事務所に、鍵の付いた空き部屋があります。大井さんさえよければ、依頼解決までそこに滞在たいざいしていただければ助かるのですが、いかがでしょうか?』


 彼女は深刻な様子でそのノートを見ている。だが、窓の外から誰かが監視していたとしても、そこからでは彼女が価格表を見て、真剣な眼差まなざしで何かを吟味ぎんみしているようにしか見えないだろう。数秒、沈黙が流れると、彼女は恐る恐る俺に尋ねる。


「その方が、良いですよね?」


 俺は話を聞くが早いが、そのノートにペンで次のようにメッセージを書き込んだ。


「ご存知の通り、事務所はビルの八階にあり、何者も窓から侵入できません。

 一階には警備員が必ず一人、交代で駐在ちゅうざいしています」


 それを読むと彼女は俺の持ちかけた話について二つ返事で承諾しょうだくした。「ええ、ではそれでお願いします」と。


 俺は自分で提案しておいて全くおかしな話ではあるけれども、彼女の快諾かいだくには驚かされた。ことわられるのだと思ったのだ。成人男性二人に、女子大生。今までの彼女の言動げんどうからさっするに、彼女は素直すなおすぎるところがある気がする。とまで、思ったのだ。

 もしくは、そこまで考えることができないほど、彼女の精神は憔悴しょうすいしてしまっているのか。


 もし、素直ならば。無論、素直なことが悪いわけではないが、そのような性格は面倒事めんどうごとに巻き込まれやすい。気を付けなければ、何にまれるかわからない。何事も、常に悪や危険が潜んでいるものなのだから。そして、そういうものに食われるのは決まって、善良と呼ぶべきものなのだから。


 ——いや、ああ、違うな。もうまれているのか。

 どうやら、疲れているのは彼女だけではないようだった。


 そういえば昨日からまともに眠っていない。

 俺の顔をコーヒーの水面みなもに映せば、そろそろ酷い顔をしていると思う。

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