第6話「俺と黒川。貧乏くじを引いたのはどちらか?」

 黒川の刺傷ししょうは致命傷にいたらなかった。応急処置が適切かつ迅速だったことが幸いしたのだろうか。彼は一夜入院した後、安静あんせいにしていればそれで退院して良いとのことだ。

 

 それを聞いた俺はだ、大井青子おおいあおこのアパートの前で見張りをおこなっていた。彼女に今夜の事をすぐにでも報告したかったが、彼女と無闇むやみに接触する事はかえって彼女を危険にさらす可能性がある。彼女が大学へ向かうのを見届けると、事務所に帰って眠りについた。


 ベッドの中で、俺はまぶたを閉じながら考える。黒川をおそった男は大井青子に付きまとっているストーカーだろうか。いや、そうであると考えたほうが自然だ。彼女の家に侵入しようとしたところで、黒川に声をかけられ、持っていた刃物はもので刺してしまった。


「いや、本当にそうだろうか?」


 どうも、大井青子の家に張り込む前に黒川が言ったセリフが気になる。"ひょっとしたら、この事件の犯人と、青子さんのストーキング野郎は同じ人物かもしれない"彼は直前にそのような話していたからこそ、その線を考えずにはいられない。


 ——もしかして、アイツの言葉はただの冗談じょうだんではなかったのか?


「まさか、冗談に決まっているじゃないか。……もしかして君は僕の思っている以上にピュアなのか?」


 嘲笑ちょうしょう。病院のエントランス。黒川はキョトンとした顔をして答える。尋ねた俺がバカだった。本当に馬鹿だった。この馬鹿黒川英一に心配される日が来るなんて思いもしなかった。


「まあでも、その可能性がないって断定はできなくなったのは確かだよね」


 それらは、退院する黒川を車で迎えに来て、今度はそのまま真っ直ぐ警視庁へと向かっているその最中さいちゅうのセリフだった。黒川は昨晩に起こった一連の騒動について事情聴取じじょうちょうしゅを受けに行かなければいけなかった。俺はそのために車に彼を乗せて首都高の下を走る。平日の昼間は比較的道がいていて、予定よりも早く到着する。


「じゃあ、白崎くん。連絡したら、迎えに来てくれ」

「あ、いや待て黒川」

「なんだい」


 彼は怪訝けげんな顔をして俺の方を振り返る。俺はこいつに言わなければいけないことがあったのだ。


「もし、今後。俺の忠告を聞かないで同じようなことがあった場合、俺はもうお前の探偵ごっこには付き合いきれない。承知しょうちしておけよ。自己陶酔じことうすいしている狂人きょうじんと一緒に仕事する趣味はないからな」

「ああ」


 俺の言葉に、黒川は神妙しんみょうな顔をする。こいつにそんな顔ができるとは思わなかったので、俺は心の中で少し驚く。


「……僕はこれでも探偵さ。この仕事で何が一番大事かわかっているつもりだ」


 彼は普段の様子からは想像できない真面目さで、静かにそのように答えた。しかし、黒川は何か誤解していると俺は確信する。だが、それを説教する時間はなかった。たとえしても、わからない奴にはわからないし、わかる奴は自分で気付く。だから俺は、えてだまることにした。


 溜息を吐いて車に再びエンジンをかける。すると、黒川は窓を叩いて俺を呼び止めた。


「何だよ」

「そういえば僕も、一つ言い忘れたことがあった。僕の推理が正しければ——」

「正しければ?」

「今日も、彼女の部屋は荒らされているはずだ。つまり、君の携帯に連絡が来て、君は清掃員にふんして彼女の部屋を掃除、もとい捜査そうさすることになるってこと。

 で、もしそうなったら念頭ねんとうにおいてもらいたいものが二つある。

 一つはそうなった場合、僕があらかじめ教えておいた電話番号に連絡してくれ。本物の清掃業者だ。くわしいことは別だが事情は話してある。君に制服せいふくを貸してくれるだろう。

 次に、もし彼女の部屋に『何も見つからなかった』としても。彼女の部屋は危険だと、僕は判断する。事務所の空き部屋にしばらく滞在たいざいするようにお願いしてみてほしい。よろしく」

「彼女の部屋がらされていたら、協力者に電話と、大井青子を事務所に宿泊しゅくはくするように頼めばいいんだな?  ……前者はともかく、後者にかんしては難しくないか?」

「それは君の腕次第うでしだいだな。たのんだ。僕はこれから面倒な事情聴取じじょうちょうしゅだ。

 はあ。はたして、貧乏くじを引いたのはどちらだったかな……」


 黒川はそう言うと手を振って車の前から去って、警視庁の扉の中へと消えた。俺は彼の後ろ姿を見送ると、車を事務所に向かって走らせる。


 その道中、俺のスマートフォンがれぬ着信音を鳴らし響かせる。それは電話帳に登録していない電話番号からけられた時のものだった。俺は自分の予想を否定するために脳内で言葉をかさねる。「まさか。いや、そんな馬鹿な」と。しかし、そんな俺のささやかな抵抗もむなしく。適当な場所に車を駐車してから電話をなおすと、その電話番号のあるじは他ならぬ大井青子だった。


「すみません、掃除の依頼をお願いしたいんですけれど」


 少し戸惑とまどった様子で語られるその言葉は、グワンと俺の頭をさぶった。

 さて。はたして、貧乏くじを引いたのはどちらだったのだろうか。

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