第3話「ストーカーは刺激しない方がいいんだ」

 依頼者は大井青子おおいあおこ、二十歳。都内にある某大学の二年生。依頼内容はストーカーの対策と実態の把握。この情報だけで、俺たちは「はい、わかりました」と言って、対策に乗り出すことはできない。仕事というものは人間に直接会わなければわからないことが多い。特に、探偵の場合はそれに加えて慎重しんちょうさというものが求められる。


 例えば、素行調査そこうちょうさをしていたつもりが、依頼人がストーカーでストーキングに利用されるケース。ストーカーを刺激してしまい、依頼人が被害を負い、死にいたるケース。そんなことをしてしまえば、社会的な問題に繋がり、探偵業全体としての損失となる可能性だってある。我々探偵は、依頼人の人間性をよく見極みきわめ、今後の行動について、しっかりと打ち合わせることが必要なのだ。


 では依頼人に直接会えば? 依頼人である彼女を見た感想は、口悪く言えば量産型の大学生。モノトーンを基調きちょうとするファッションスタイル、だるいソニットにワイドパンツ。大学近辺で似たような服装をした女性を一日で二、三人は見かけているような気がする。


 制服やスーツ、流行のファッションスタイルは、他人をかくみのに出来るという利点から着心地が良い、と好む人は少なからず存在する。いわゆる「大人しめ」の性格の人間のことだ。


 しかし、ストーカーに対する精神的疲労のせいだろうか。彼女の様子を見るとその性格は「大人しめ」というよりも「臆病おくびょう」というべき状態にあった。


 ちらりと、俺は黒川の方を見やると、彼は書類と本人を見比べて「ふむふむ」だの「なるほどねぇ」などとつぶいていた。何もわかっていなさそうな、能天気のうてんきな顔をしているから、俺は不安になる。



「さて、大井青子さんですね。よろしくお願いします。私は白崎悠しらさきゆうです。

 そして、自分の隣に座る彼は黒川英一くろかわえいいちといいます」

「ああ、はい。……よろしくお願いします」

 

 彼女は少し動揺どうようしながらも、俺達に挨拶あいさつをする。動揺の理由はおそらく黒川だろう。あいつはまだ呟きながら書類と彼女を交互にじろじろと見ている。


「……となりの彼はあまり気にしないでください。変わった奴なので。

 さて、ではこちらからいくつか確認と質問をさせていただきます。

 答えたくない質問がございましたら、答えなくて結構です」

「はい」

「では早速ですが、依頼内容について確認します。

 大井さんはストーカーに悩んでらっしゃる。ということですね?」

「はい」

「具体的には?」

「一人でアパートの前、必ず夜のことなんですけれど。

 後ろからこっそりと、誰かが私の後ろをけてくるんです。それと他にも——」

「他にも?」

「はい、ほかにも私がねむっている間に家の中に入ってきて部屋を荒らしていくようなんです。それも一回じゃなくて」

「複数回、ですね。しかし、ストーカーの実態がわからない。

 だから警察は動けない、という状況でしょうか?」


 俺がそうたずねると、大井青子は首を横に振った後、悲痛ひつうからだろうか。うつむき弱々しい声で次のように答える。


「ええ、手かがりもなく。

 それに、ほら、あの連日。ニュースでやっている殺人事件がありますよね。

 あれのせいで、パトロールの強化ももしかしたら……って言われてしまっていて」

「……なるほど」


 あまり大きな声では言えないが、実のところ。警察は防犯のエリートではない。防犯に関する知識は防犯協会ぼうはんきょうかいや NPO法人の方が上だろう。その理由は市民の数に対して警察官の数は明らかに追いついておらず、防犯対策の指導しどうにまでは手が回せないのが現状だからだ。


 さらに、「連日ニュースを騒がしている事件」とは、都内で発生している通り魔殺人事件のこと。詳しくはここで語らない。しかし、最初の殺人から一ヶ月近く経過しているも、現在まで捜査におもだった進展しんてんはない。警察もあせり始めているのだろう。


 事件には解決の優先ゆうせん順位じゅんいがある。悲しいが、日本で年に何百件も起こっているストーカーよりも、殺人事件の方が彼らにとってよっぽど重要なのだ。


「部屋が荒らされた、とのことですが。

 そうですね、具体的に盗まれたものとかはありますか?」

「いえ、特に。何も……」


 それを聞いた俺と黒川は目を合わせる。


「それは……とてもみょうだね」


 黒川はそう呟く。自分も彼の意見に同意する。

 部屋に侵入しておいて、物を散らかすだけ散らかして立ち去ったのだろうか? 

 それは違うだろう。何か別の意図いとがあるはずだ、と俺は予想少し、俺は机の上に置かれたメモ帳に「侵入」とだけめておいた。


「それでは最近、誰からうらみを買われたり、られたり。

 そう言った心当たりはありますか?」

「わかりません……無いと思うのですが」


 ストーカーの在り方は大まかに二種類ある。一つは恋愛や好意などの、過度なプラスの感情に自制心じせいしんかないストーカー。もう一つは怨恨えんこんなど、過度なマイナスな感情によって引き起こされたストーカー。


 では、彼女に危害きがいを与えるストーカーはどちらだろうか? 

 断定はできないが、前者のタイプではないだろうか。うらみを買った心当たりが無い。と彼女は証言しているし、部屋に侵入しても、直接の危害が無いということは明確な殺意さついは抱いていない、ということになる。話をうかがう限り、彼女は恨まれてまとわれているわけではなさそうだ。


 そんなことを考えていると、今度は黒川が「きたいことがあるんだけど、いいかな」と口を開く。嫌な予感はするが、止めはしなかった。ちょうど、次は何についてたずねるべきか迷っていたところだったからだ。


「少し、眼を見させてもらっていいかな。青子さん。

 ちょうど、眼科に行く時のようにさ。そうそう、そんな感じ」


 黒川は大井青子のまぶたを開かせて、その瞳をじっと見る。じいっと。彼女は黒川の顔が近付くと体を強張こおばらせた。


 というか……何をしてんだ、コイツは。

「……何をしてんだ、コイツは」


 心で思った時、すでに同じセリフが口から出ていた。


「うん、最初会った時から思っていたけど、白目が赤い。軽く充血もしている。眼精疲労がんせいひろうだね。肌も少しだけ、荒れているように見える。もしかして寝不足かい?」

「そりゃあそうだろ……じゃなくて、そうでしょう。

 彼女と同じ状況にいたら、誰だって眠れなくなりますよ?」


 危なかった。ちょっと口調がくずれた。そんな自分の心配を余所よそに大井青子は照れくさそうに口元をおさえている。


「いや、私も起きなきゃとは思っているんですけど——」

「え、眠っているってことかい?」


 黒川は目を丸くして驚くと、彼女の顔はうつむく。その言葉はしり切れとんぼで、顔はリンゴみたいに赤くなっている。彼女いわく、起きようと思っても気づいたら眠ってしまっているらしい。夜更よふかしは出来ないタイプか。もしくは神経が見た目に反して図太ずぶといのかもしれない。


 そのあとも同じ調子でいくつかの質問を行ったが、これ以上ストーカーの犯人像につながるような情報は一つもなかった。

 そこで、俺達は今後の調査方針ちょうさほうしんを考えることにした。


「部屋荒らしが起こったのは深夜とのことですよね。早速ですが、今晩から一、二週間ほど大井さんのアパートで見張りを行います。ですから、日が落ちてからの外出はひかえてください」

「わかりました」

「それからあと何点か、注意してほしいことがあります。

 大井さんの身の安全のためです」


 そう言って俺は、名刺入れから俺と黒川の名刺を出した。

 そこには電話番号とメールアドレスが記載きさいされている。しかし、俺は彼女に、連絡はメールで行うように忠告ちゅうこくした。電話をしてはいけないし、彼女から俺たちに会ってはいけない、と。


「ストーカーに一度、部屋を侵入されている、ということは盗聴器とうちょうきが仕掛けられている可能性があります。ストーカーに関する会話はひかえてください。もし、大井さんが探偵をやとっていることがストーカーに知られた場合、行動が過激化かげきかするかもしれないからです」


 しかし俺達は、彼女の部屋に行ってその様子を調べる必要がある。

 それについては、掃除屋にます作戦に出ることにした。


「もし、再び部屋が荒らされるようなことがあった場合。

 大井さんは名刺の番号に電話を掛けてください。清掃業者にふんして訪問します」


 大井青子は頷いてそれに答えた。

 最後に、家に帰ったら誰かに電話して、「お金がかりすぎるから、探偵を雇うのは諦めた」という趣旨しゅしの会話をわざとして、自分たちの存在をストーカーに気取けどらせないようにしてほしいと頼んだ。

 ストーカー対策で肝要かんようなことは、ストーカー本人を不必要に刺激しないことなのだ。

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