第2話「黒川の前向きな性格は、見習いたいと思うぜ」

 東京に建つビルの一室。

 まだ朝が早いこともあって窓の外では野鳥やちょうの鳴き声が遠くから聞こえ、ビルの下から駅を俯瞰ふかんすればぞろぞろとせわしい働きアリのように人が現れる。


 黒川の手によって洋間ようまに改造された部屋に全従業員(と言っても俺と黒川の二人だけだ)が依頼人によって作成された依頼書とにらめっこをしていた。


「なあ、白崎くん。

 これは我が黒川探偵事務所の記念すべき一件目の依頼なわけだが」


 そう、この胡散臭うさんくさい男、黒川英一が所長を務める黒川探偵事務所にも需要じゅようはあった。自分の予想では、依頼が一件も来ないまま、事務所が潰れると思っていたが、喜ぶべきか、悲しむべきか。開業一週間で、探偵事務所の初めての依頼がんだ。


「なるほど。ストーカー対策ね、なるほど……」


 それは探偵の基本的な仕事の一つだった。

 警察は緊急性の高い事件じゃなければ即座そくざに動けない。パトロールの強化が精々せいぜいだろう。それ以上のことを要求するならば、ストーカーの実態把握じったいはあくが必要なのだ。

 

 果たして、そのストーカーと思わしき何某なにぼうは、捜査にあたいする人物かどうか。それを調べたい時、ストーカー被害者はしばしば俺たち探偵を頼る。


 黒川がれたコーヒーを飲みながら、俺は黒川の様子を探る。彼は顔にこそ出していないが、内心ではこの仕事に不満を持っているだろう。

 彼の目指す探偵という人物は(とは言っても、俺は活字を読むのが得意ではないから、もしかしたら違うかもしれないが)そういう仕事はしない。


 黒川の理想と現実。それはかなり様相ようそうことにしていた。


 誰だって、乗った電車の行き先が目的地と異なることに気づけば心は動く。動揺どうようしたり、焦ったり、怒ったり——そして、自分の無力感を悔しく思ったり。

 だが、黒川の表情からは上に並べられたどの感情も感じさせない。


 ならば、俺は?

 ふと俺は自分の手に持ったコーヒーカップの水面みなも映る自分の顔を見る。好きだったはずの刑事の仕事を諸事情しょじじょうめさせられ、奇妙きみょうな縁があって黒川英一の元に拾われた。いわば俺は「巻き込まれ」なのだ。


 俺は探偵の仕事で満足できるだろうか?

 自分のしたいことってなんだろう? 

 ……まさか、二十五歳にもなってこんなことを自問じもんするとは思ってもいなかった。

 過去の自分は何かに頼ることについて、過ぎたところがあったのかもしれない。警察関係の一家いっかだから、自分もそれに携わらなければと思っていた。


 一方、俺の目の前にいる男。黒川英一は自分とは対極たいきょくの位置に立っているようだ。

 彼は極度きょくどのロマンチスト。この私立探偵事務所の資本は親の遺産の一部らしい。

 親戚親族しんせきしんぞく意向いこうについて「死人に口は無いから」と無視してし、半ば勘当かんとうされた状態でここにいるらしい。


「これがお前のやりたかった仕事かよ?」


 俺は少し悪意あくいを持って黒川に尋ねた。彼は肩をすぼめて「まさか」と答える。その正直さに俺はおもわず笑ってしまった。


「僕の理想はシャーロック・ホームズさ。

 いや、違うな。正直のところ、僕は華麗かれいに謎を解いて賞賛しょうさんを受けたいだけなんだ。

 だけど、それが叶わないなら、叶わないで別に構わない。変身願望を持った熱烈ねつれつなシャーロキアンではないよ、僕は」

「事件の謎を解くのは刑事の仕事だろ。

 華麗に謎を解きたいならばそれを目指せば良かったじゃないか」

「ははあ。なるほどそうかもしれない。探偵に飽きたら刑事になることにするよ」


 黒川英一はいつもヘラヘラしている。彼と知り合って、一年近くったが、いまだに彼が何を考えているか分からない時がある。彼いわく、「探偵というものは常に、微笑ほほえみをたずさえている」らしい。ではその内心はどうなのだろうか?


「ストーカー対策なんて依頼、受けたくないって思っているか?」

「何でさ」


 黒川は冗談だろ? と言うような調子でそう答える。


「聞いてくれ、これはめて欲しいことなのだけれど。

 僕は人の悩みとか不幸とか、そういうものの深刻度は比較できないと思っている」


 急に抽象的ちゅうしょうてきなことを言われたので、俺は頭にクエスチョンマークを浮かべたくなった。


「つまり、僕は今テレビを賑わせている『連続通り魔事件』におびえる人も『ストーカー対策』で悩んでいる人も、平等に同じ態度でせっしたいんだよね」

「それは理想だろ。物事には優先度がある」

「ああ、理想さ。僕は常に理想ばかり見ている」


 この章をまとめると、黒川英一という男はちゃらんぽらんで、形から入りたがる、中身のともなわない男だが、人間のクズではないのだからうらめない。むしろ、今の自分には少しうらやましくすら感じるのだ。


こいつには、俺の持っていない、もしくは何処どこかでせてしまった「なにか」を持っているような気がしたのだ。

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