after story 第9.5話 集大成

 ついにこの日がきた。 三度目の関東大会の舞台。 定期演奏会も含めれば片手では足りないくらい演奏したこのホールが、今日はやけに大きく見える。



 合宿では唇の裏ががリードを噛む力で痛くなって、もう咥える力がないくらい練習した。 アンブシュアは崩壊し、ヘロヘロになってまともに吹けない日もあった。

 でも、必死でついてくる仲間や後輩達の手前、部長が弱音を吐くわけにはいかなかった。


 ――嫌われても構わない。


 そう思って、パート同士の軋轢の間に挟まれながらも、両パート双方にダメ出しをしたりもした。 木管リーダーと金管リーダーが号泣する中、副部長と一緒に途方に暮れたこともあった。


 それでも島西先生の指揮を必死で追いかけて、ようやく満足のいく演奏ができるようになった。 先生も自分が顧問になってから一番だ、と話していた。 みんなをノせるためのリップサービスなんだろうと、その時は思っていた。


 支部予選の順位が最上位、つまり1位だったのは、先生の言葉を裏付けることになった。 もちろん他の支部からも関東大会には集まるから当確とはいえない。 ただ、ここ数年はうちの支部が関東大会からの全国枠3つを独占しているから、現時点では最も全国に近いといえるだろう。


 支部予選のあと、島西先生と二人で話をした。 そして結論を出した。


 ――予選1位は伏せておこうと。




 抽選により決められた俺たちの出演順は全28校の最終。 他の演奏が全て終わって、全ての高校と比較されながら演奏することになる。


 ホールの近くに借りた練習場で最後の練習を終えた俺たちは、トラックへの積み込みを終えてミーティングのフォーメーションを作っていた。


「演奏前に全員揃うのはこれが最後だな。 さて、ようやくこの日が来た。 三年にとっては最後のステージになるかもしれない。 自分たちができる最高の演奏をしよう。 じゃ、部長から」

「本来は部長ってガラでもないんだと思うんだけど……三年の代表として一言。 去年までの二回、この関東大会を突破できなかった。 悔しかった。 俺たち三年生にとって最後のチャンス、何がなんでも掴みたい。 全国大会のステージに登りたい。 今日が最後なんて嫌だ。 まだこのバンドで演奏がしたい。

 先生を信じて、メンバーのみんなを信じて、最高の風を起こそう。 俺たちのファンを作ろう。 ファンでいっぱいにしよう。 みんな準備はいいか? 」


 約60人の一斉の応答で、練習場の天井が飛ぶんじゃないかと思った。 それだけみんな気合が入っているということ。 なんて頼もしい仲間たちだろう。


「それじゃ、行こうか! 」


 自分を鼓舞する意味も含めて、パン!と手を打ち鳴らした。




 薄暗いステージ裏で一つ前の演奏が終わるのを待った。 バスクラを杖のように支え、目を閉じてその時を待っていると、その手がふと温もりに包まれた。


 乗せられた手の先には副部長の池田さんがいた。 それだけじゃない。 次々と乗せられた手は、俺と同じ道を歩いてきた三年生たちのもの。


「なんだ、ダイチ緊張してんのか? 」

「うるせーよ。 お前らの手が重いんだよ」

「うへ。 それでこそダイチだ。 お前さっきは部長ってガラじゃないとか言ったけど、お前は最強の部長だぞ」

「なんだ最強って。 でも、ありがとう。 やっぱまだ引退には早いよな。 みんな、行こうぜ、全国」

「おう」

「うん」


 係員の声を合図にステージに登ると、これでもかというほど強く照らすライトに目が眩んだ。 ピアノ椅子を目印に席を目指してパイプ椅子の間を縫っていく。 他の人よりも少しだけ目線が高い椅子からは、腰をかけてもみんなの様子がよく見える。


 書き込みだらけで音符なんかほぼ見えなくなった楽譜を譜面台に置き、ひと呼吸。 先生と目が合った。 パッと周りを見回すと、みんなで俺の方を見ていた。 どの目も力強く、キラキラと輝いていた。


 思わず、口角が上がった。


「楽しもう」


 そう口だけを動かして、先生に目配せをした。

 合図を受けて先生は、真っ白な指揮棒を高く掲げた。


 音が鳴り始めたらそこから12分の制限時間がある。 たったの12分。 その間に今まで二年半練習してきたことを全てぶつける。


 指揮棒が揺れるのに合わせてありったけの息を吸って、グラナディラの管に目一杯吹き込む。 ベルから出た柔らかくも力強い音は、他の楽器の奏でた音と混ざり合い大きなうねりとなって客席へ飛び出していった。



 そして課題曲であるマーチの最後のB♭の音だけが少しだけ居残りして、そして入れ替わるように静寂が包んだ。

 課題曲は3分弱。 人生で一番短い3分だったんじゃないか。 あっという間にマーチが終わっていた。


 何人かが楽器を持ち替えて、席を移動した。 俺も譜面をめくって自由曲の楽譜を開く。 相変わらず音符なんか見えやしない。 でも、身体が勝手に吹いてくれる。 さぁ、あと8分、やってやる!



 ――会場の割れんばかりの拍手で我に返った。数メートル先では先生が客席に深々と礼をしている。


 ああ、自由曲も吹き終わったのか。 夢中になって吹いている間に、演奏が終わってしまった。 ただ、このお客さんの反応は、悪くない演奏ができていたということなんだろう。


 退場したあとのみんなの表情はとても晴れやかで、きっと同じような感想を持ったのであろうことは想像に難くなかった。



 それから20分後、副部長と二人で表彰式に臨んでいた。 中学の時から何度も経験してきたコンクールだが、こうやって表彰式でステージに上がるのは初めてのことだった。


 演奏順が早かった高校から、賞が与えられてゆく。 吹奏楽コンクールでは、いわゆるA評価が過半数であれば『ゴールド金賞』、そうでなければ『銀賞』や『銅賞』となり、いずれかの賞を必ず与えられる。 ちなみに『ゴールド金賞』というのは、口頭でも『金賞』と『銀賞』の区別をつけやすいようにするために言い分けられている。


 全国大会に行くためには、まず金賞でなければならない。 そして、その金賞を得た高校の中から三校だけが全国大会への切符を手にするのだ。 昨年は、この発表のときにすでに銀賞となり、絶望のどん底へ突き落とされたのだった。




「28番、南北高等学校、ゴールド金賞!」



 ――よし!

 なんとか、土俵には立つことができた。 金賞が何校あったかなんて、数えていなかったけど、これから呼ばれる三校の中に入ることができれば、全国だ。



「それでは、引き続き、全日本吹奏楽コンクールへの推薦団体を発表いたします」


 おそらくお偉いさんだと思われる頭頂部が肌色のおじさんがマイクの前に立っていた。 雛壇に上がっている俺たちからはそれがよく見える。


 「14番、県立北高等学校」


 客席の一角がワッと盛り上がった。 くだらないことを考えて油断していたから、その唐突な発表に、客席の盛り上がりに驚いてしまった。 去年は推薦団体の発表なんて聞いてなかったから、段取りなんて全然わからなかったし。


 「27番、栄光女子高等学校」


 今度はキャーッという華やかな声が挙がった。 女子高だから、それはそうなんだろう。 客席の一部では生徒同士で抱き合っている様子が見られる。


 ――これで、あと一校か……なんて考えていたら、ワンテンポ遅れてまたワアッと声が挙がった。 盛り上がっているのはいま発表された女子高ではなくて、ほかでもないウチの生徒たちだ。


 何で盛り上がっているのかわからない。 女子校に、知り合いでもいたんだろうか。


 そんなトンチンカンなことを考えていたのは俺だけだったようだ。 次の発表を聞いて、納得した。 演奏順に発表するんだから、27番の次は――。





「28番、南北高等学校、以上三校です」

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