after story 第7話 修学旅行(後編)
目の前に現れた瀧本も風呂上がりなのか、パーカーにジャージというかなりラフな格好をしている。 Tシャツに短パンの俺よりマシだが。
「お風呂帰り? 」
「まぁな。 どうしたんだこんなところで」
先頭を歩いていた佐々木が瀧本に問う。
「えと、あの、菊野くんに奈緒……宮嶋さんから伝言があって。 ちょっといい? 」
「俺……? はぁ。 わかった。 お前ら、先帰ってるか? 」
「そうだな。 鍵閉めて待ってるわ」
「バカやめろ」
ゲラゲラ笑いながら三人は部屋へと帰っていった。
宮嶋から伝言ってなんだ……。 さすがに今日は早く寝るつもりだし、明日はちゃんと遅刻しないようにする予定だぞ。
「ほんで、なんだ? 」
「そうだなぁ、中庭にでも行かない? 」
「ん」
他の人に聞かれて困るような酷い内容なのか? ますます聞くのが怖くなる。
庭に出てくると、風呂で火照った身体に少しひんやりとした空気が心地よく感じられた。 海が近いせいか、ほんのり潮の香りもする。
スリッパで出てきちゃったけど、ここって大丈夫かな。 変な歩き方をすると砂が入りそうだ。
うねうねとした小径を少し歩いて、変わった形の置物の横を奥に進む。 ここだともう中庭の入り口は目視できない。
「ごめんね、ホントは奈緒からの伝言じゃないの」
「え? そうなの? 」
また少し歩いたところにあるベンチの前で、瀧本は口を開いた。
「実はわたしさ、好きな人がいるんだ」
「おお、そうなのか」
誰だ? 俺に話を持ってくるくらいだから、やっぱりタケか? 今までに何人もの女子が俺のところに来て、タケの好みを聞いて帰っていった。
瀧本ならタケとお似合いな気もするな。 瀧本は美咲とはまた違った種類の美人だし、快活なイメージだからタケと二人で並んでいてもやっかまれるようなこともなさそう。
でもこれで、ある意味合点がいった。 怒られるんじゃなくて、聞かれたくない話だっただけのようだ。
「はぁ……やっぱり、そういう反応だよね」
「どうした? できる範囲で協力するぞ? 」
罵倒されることがなくなった安心感から、普段じゃ絶対言わないような言葉が出てきた。
ああ、でも安請け合いするとタケに悪いな。 まずはそれとなく匂わせてみるとかから始めるか?
瀧本は、深い溜息をついて俺をまっすぐに見た。 なんだか怒ってるような表情だ。
――あれ、なんか悪いこと言ったか?
その雰囲気に気圧されて何も言えずにいると、瀧本が口を開いた。
「――好きな人、菊野くんだって言ったらどうする? 」
突然のことに言葉を失った。 瀧本が俺を好き? まさか。 こないだ宮嶋に問い詰められた時にも瀧本は一緒にいたし、美咲とのことも知ってる。
「おれ? あ、え、いや、だって、その」
「取り乱しすぎだってば」
瀧本はくすくすと笑っている。
俺が宮嶋にビビってるくらいだからからかってるのか?
「んだよ。 冗談キツいぞ」
「冗談じゃないよ。 わたしは、菊野くんが好き」
瀧本から、笑みが消えた。 本気……なのか? その真剣な眼差しに、かける言葉が思いつかずにいると、先に瀧本が沈黙を破った。
「……ごめん。 こんなこと言っても困らせるだけなのわかってるんだけどさ。 ホントごめん」
謝らせてしまった……。
でも、好きだって思ってもらえるのは素直に嬉しいことだが、その想いを受け取ることはできない。
いまだ硬直する俺をよそに、瀧本は鼻をすすり、ふぅと息を吐いた。
「告白する前に失恋しちゃったからさ。 このくらい許してよ。 あーあ。 彼女いるなら前もって言っといてくれればいいのに」
瀧本はベシッと俺の二の腕を叩いて、そのまま背中を向けてしまった。 その背中は小さく震えている。
なんと声をかけたらいいものか。 優しいだけの言葉をかけても意味がないのはわかっている。 だからといって。
結局、口から言葉が出てこないうちに、小さくなっていた背中がピンと伸びた。 そして振り向きながら、ずいと手が伸ばされた。
「二人の邪魔しようなんて思ってない。 だから、わたしが入り込む余地がないくらい仲良くして諦めさせて」
「……ごめん」
「はい、握手。 明日から今まで通り友達。 ね! 」
「ん」
「よそよそしくなったりしたら、泣いちゃうからね! 」
握った瀧本の手は小さくて、頼りなくて、しっとりと湿っていた。 でも最後は瀧本らしく笑っていた。
建物に戻る直前に、瀧本は「失恋は仕方がないけど、区切りをつけたかった」と話していた。 俺自身、その想いには全く気づかずにいたことで、図らずも見せつけるような形になってしまっていたかもしれない。
先に戻った瀧本から遅れること数分、こんなところに立ち尽くしていても仕方ないと、部屋に戻ることにした。 庭の出入り口のところまで戻ったときに、人影に気がついた。
いつも俺の隣にいて笑顔をくれるその人は、迷子になって泣きそうなのを我慢しているような、そんな複雑な表情を浮かべていた。
その表情はもやもやした感情をそのまま表していた。 現場を見られたわけではないと思うが、まぁ全部わかってるんだろう。
「その顔は、知ってそうだな」
「うん。 さっき、会った。 大地ってモテるんだね」
「……そんな言い方するなよ。 俺だって晴天の霹靂だ」
そう、全く気づかなかったんだ。 だからこそ、俺は瀧本を傷つけてしまったんじゃないのか。
「ごめんなさい。 やっぱり隠してることが原因で起こったことなんだな、って。 あたし、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃった」
「美咲……。 ちょっと、話そうか」
美咲はコクンと頷いた。
さっき瀧本といた辺りまで戻ると、小さなベンチに腰掛けた。
「大丈夫か? 」
「告白……されてた……んだよね」
「うん。 でも、瀧本も美咲がいることはわかってるわけだし、区切りをつけたかったって」
「うん。 大地の家であたしたちのことがバレた時、瀧本さんってどんな気持ちだったのかな、って」
そうか、俺が気付く気付かない以前に、隠していたことに加えて逆ギレのように打ち明けたことこそがマズかったのか。 自分の考えがあまりに至らなすぎて唸るしかない。
「中山くんのときもそう。 あたしが大地にウソをつかせてまで、秘密にしているのって正しいのかな。 これって逃げてるだけかな。 あたしに覚悟ができてないだけなのかな」
秘密にしているのは美咲の立場を考えれば致し方ないと思う。 それは逃げではなく、ただの対策だ。
そのために俺がついたウソなんて、美咲のアイドル活動がバレることに比べれば小さなこと。
でも今の美咲の言葉は、そう思っていないことを物語っている。
「中山くんも瀧本さんもいい人だからあたしたちの事情を汲んでくれるけど、普通なら逆恨みしたっておかしくない。 大地と中山くんみたいに親友と呼べるほど仲良くなれるなんてレアケースだよ」
「まぁ、珍しいとは思うけど……」
「去年、週刊誌に抜かれたときのことを思い出したの。 裏切られたって思うと人はとことん残酷になるんだよね。 でもね、中山くんと瀧本さんを見てて思ったんだ。 知ってても友達にはなれるし、応援してくれる人もいる。 もちろん全員がそうとは言わないけど」
「世間だとそうじゃない人の方が多そうだけどな」
「それはそうかも。 それでも、公表した方がいいのかな、恋人がいるって。 学校でも隠さないようにする」
公表って、記者会見でもするつもりなのか。 そうなれば、罵詈雑言の嵐になるのが目に見えている。
「……大丈夫なのか? 」
「学校はまぁそんな心配してないけど、仕事の方は多分、大丈夫じゃない……よね」
美咲は不安そうに言葉を絞り出した。 そりゃ、前回の炎上騒ぎを考えたら当然だろう。
「ねぇ、大地。 あたしとの未来、どのくらい想像できる? どのくらい覚悟できてる? 」
未来、おそらくすぐ訪れる未来と、二人で歩んでいく先の将来。 美咲は両方のことを言ってるんだろう。 それをここで聞くということは、俺自身が生半可な気持ちで答えてはいけない気がする。
「……少し、考えていいか? 」
美咲に少し時間をもらって、考えてみた。
以前炎上騒ぎになったアキラとかいう野郎との時は、表情がなく生気が感じられなかったし、俺はもうあんな美咲の姿は見たくない。 そして、今回は俺自身が当事者になる。 事情を知ってしまった人がいるとすれば、俺に怒りの矛先が向かうことも当然起こりうる。
――俺には何ができるだろうか。
炎上を避けるとしたら別れる? 美咲のアイドル活動を考えたら最善の選択肢のように思える。 だけど、俺は美咲と離れることなんて考えられない。 美咲だってそう思ってくれているはずだ。
俺にとって最も身近な家庭は、菊野家だ。
親父もオカンも、なんだかんだ言っていつもニコニコとしている。 揶揄うような発言もいっぱいあるけど、それは互いを信頼しているからこそ出てくる言葉なんだろう。 二人の周りには、俺と杏果がいて、あの家はいつも賑やかだ。
じゃあ、俺は?
いつか成人して、就職して、家庭を持つとき、隣にいるのは誰だ。 これから先、美咲じゃない誰か素敵な女性に出会う?
いや、違う。 やっぱり、美咲が隣にいて欲しいし、それ以外の想像ができない。 美咲のアイドル活動と俺との将来が二者択一なわけがない。 誰になんと言われようと、美咲のそばに立ち続けて、共に歩んでいきたい。
ならば伝えられることは――。
「美咲」
長く待たせたせいか、美咲の肩がピクっと揺れた。
「やっぱり、美咲が隣にいない未来は描けないな。 自分が親父みたいにおっさんになったときに、当たり前だけどおばちゃんになった美咲が隣にいて、子どもとかがわーわー騒いでるんだろうな、って。 その時に美咲じゃない人が俺の隣にいることは想像ができない」
美咲にずっと隣にいて欲しい。 それをまず伝えたかった。
問題はここからだ。 ここから先は二人だけの問題じゃない。
「美咲がどこまで話そうとしているのかはわからないけど、俺は美咲を応援するし、絶対の味方でいる。 一番近くで美咲を護ろうと思うし、それを一生続けたいと思ってる」
美咲を一生護る? まるでプロポーズじゃねえか。
勢いで口走ったことが急に恥ずかしくなって、照れ隠しに言葉を繋いでしまった。
「……ま、炎上の爆心地にいる時間は短いに越したことはないけどな。 ははっ」
プロポーズまがいの言葉をどう受け取られたのかと美咲を見て驚いた。 美咲の頬を涙が伝っていたのだから。
「おい……美咲、大丈夫か? 」
「えっ? 」
美咲は自分の涙が溢れていることに気づかなかったのか、慌てて目尻を拭っていた。
「ありがとう、大地。 あたしね、自信がなかったの。 大地の隣にずっといてもいいのか。 炎上とかして罵声を浴び続けた時に、ちゃんと立っていられるのか。 負けちゃいそうにならないか」
美咲は握りこぶしを胸に当てて、力強く言い切った。
「もう、大丈夫。 あたしは、負けない。 ずっと一緒に過ごしたいって気持ちが一緒でよかった。 あたしにも『覚悟』ができた」
目に力を宿した美咲は、今まで見た中で最も美しく見えた。 まるで、女神のように。
「美咲は俺なんかよりもよっぽど強いよ。 だけど、一人で心細いときに、俺が支えになれるんだったらこんなに嬉しいことはない。 まぁ、これからもよろしく頼むよ」
「うん、ありがと。 大好き、大地」
「俺も、美咲が大好きだ」
――俺の修学旅行の思い出は、このあとの女神の口づけで最後だった。
何故ならば翌日からの数日間、俺は熱で寝込むことになってしまったから。 それもそのはず、俺のくしゃみをきっかけに中に戻るまでの間、湯上がりに肌寒い屋外にずっといたのだから。
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