after story 第2話 クラスマッチ


 ゴールデンウィークはお互いに部活とイベントで会えない日が続いていた。 それでも最終日の夜だけどうにか会う時間が取れて、美咲の家に招かれて久しぶりに一緒の時間を過ごした 。


「そういえば、大地。 ソロの曲のとき、美咲って言ったでしょ」


 ゲッ、それいま言う?

 焦って、その場しのぎの言い訳をする。


「違うよ、こうだよ、こう」


 そう言って俺は空中に指で『岬』と書いた。 しかしあれだけの大音量バックコーラスがあるんだから絶対気づく人なんていないだろうと思ってたのに、当の美咲が気づくとは。


「また、下手な言い訳して。 あの時それで大地見つけちゃって、そのあとそっち向かないようにするのに大変だったんだから」

「悪い悪い。 なんかさ、美咲があまりに輝いててさ、思わず叫んじゃったんだよ」

「何それ。 でも嬉しい」


 美咲は鼻歌で『夏ミカン』を歌い出した。 アカペラでも心惹かれる歌声を披露する美咲はまさに天使だ。 目を閉じて聞き惚れていると、部屋の扉が突然開いた。


「ちょっとあんたたち、イチャイチャするなら外でやってよ! こっちは課題に追われてるんだから! 」


 突然入ってきた春山先輩に怒られた。 理不尽だ。




 ゴールデンウィーク明けのある日、駅であった美咲はいつものように地味モードで、その変身技術に舌を巻いた。 あのアイドルの時のまばゆさをうまく隠しきっている。

 きっと眼鏡だけじゃない。髪も一部を除いて下ろしているから、落ち着いた柔らかな印象になる。 ポニーテールだと快活なイメージになるもんな。


 確かにアイドルのメイクをしている時は、抜群に可愛い。 俺が評価するなら『千年に一人』といってもいいくらいだ。


 それでもーーー。


「やっぱり美咲のこの柔らかい感じの雰囲気が好きなんだよな」

「えっ、大地、朝からどしたの? 」


 ほんの独り言のつもりだったのが、聞こえてしまっていたようだ。

 そう、俺はこのどちらかという素の美咲に近い方が好きだ。


「やべ、声が漏れてたか。 学校モード久しぶりに見たから色々考えちゃった」

「なんだ。 愛を囁くスタイルに宗旨替えしたのかと思った」

「そんなん恥ずかしくてできるか。 だいたい学校では秘密にしておこうって言ったのは美咲だろ? 」

「だって、先生たちはあたしが『千春』だって知ってる人がいるわけだから、大地と付き合ってるのがどう伝わるかわからないじゃない? 」

「そりゃ、わかってるよ。 だからそれをどうこうは言ってないだろ? でも俺だって、可愛い彼女ができたって自慢したいんだよ」

「ーーーもう。 まぁ、大地が信頼できる人だけね。 絶対仕事のことは話しちゃダメよ」

「もちろん。 そんなことしたら、美咲と一緒にいられなくなっちゃうだろ。 そんなのは絶対に嫌だ」

「ありがと」


 美咲はそう言って腕を絡めてきた。

 電車の中だって見つかりかねないだろ、とは思ったものの、組まれた腕で感じる魅惑の柔らかさを手放せるほど意志が強くなかった。





 教室に入ると、妙にざわついている。 今日は中間テストも間近だというのに、クラス対抗の球技大会をやるからその関係だろうか。 運動に覚えのある連中が前の方の席に集まっている。 取り巻きのようにして、女子も何人か集まっているようだ。


 先日、ホームルームで出場する競技が割り振られた。 いずれの競技もその部活をやっている部員は参加できないが、ピッチャーの出来次第で十分勝機がある野球に力を注ぐことにしたらしい。


 なんでも、中山は中学まで野球をやってたらしく、四番ピッチャーだと。 イケメンな上にスポーツもできるとか、どんだけ神様は差をつけるんだ。

 一方の俺はというと、去年のクラスマッチで外野フライを難なく捕っていたのを覚えていたクラスメイトによって野球に出ることになっていた。 ただし、九番でレフト。

 完全に人数合わせ。 一番から五番までで点を取って、あとは諦めるようだ。 期待されていない状況も、それならそれで都合がいい。


 それでも美咲は俺が野球に出ることが決まった後、『頑張ってね。 応援してるよ』とメッセを送ってくれた。 これだけでクラスマッチを頑張る理由ができた。



 こうして始まったクラスマッチ。 最初の対戦は理数クラスの1組。 野球の腕に覚えのあるヤツはいなかったらしく、中山が内野のエラーで1失点した以外は、危なげなく投げ切った。

 打つ方は15点も取ったものだから、誰がどれだけ打ったかなんか全く覚えていない。 守る方でも俺は2,3回ヒットやフライで玉が飛んできたくらいだから、これまた楽勝だった。 エラーなんかしたら何言われるかわからんから、とりあえず無難に終わったといえるだろう。


 問題は次の対戦相手だった。 次は隣の4組で、中山と同じく中学まで野球をやっていたやつなんだそうだ。 さっきの試合でポテンヒット一本打っただけの俺が打てるわけもない。

 試合はどちらもほとんどランナーが出ず、均衡がなかなか崩れないまま最終回を迎えていた。


 先頭バッターだった俺は、バットを強振。 鈍い音を響かせて、ボールは一塁手の後方へ上がっていった。


 当たった!と思った俺は一塁めがけて走り出す。 ボールはフェアゾーンでバウンドしてから広い校庭を転がっていった。 二塁もいけそうだ、と息を切らして走っているとベンチから声がかかった。


「三塁行け!行け!」


 ええーっ、もうまだ走るの!?

 仕方なしに二塁ベースを踏みつつ方向転換。 スライディングなどすることもなく三塁まで到達した。

 これ……で、ノーアウト……三塁。 ひぃ……ふぅ……。 テレビでしか知らなくても、これがサヨナラ勝利の大チャンスだとわかる。


 ベンチを見ると大盛り上がりだ。 それもそのはず、期待値の低い奴が絶好のチャンスを作ったんだから。

 ベンチでは中山が手で口や顎、耳を触っている。 ふむ、なんのサインだ。 って分かるわけないだろ! 手でバッテンを作って応対する。

 なんか文句を言っているが、教えてない方が悪いと思う。 おそらくサインプレーになるスクイズなんかをやることはないだろう。


 期待された一番バッターは初球を打ち上げてピッチャーフライ。 しかし、二番はフォアボール、三番はデッドボールとなって塁が埋まった。 相手のピッチャーも疲れてるんだろう。

 そしてこっちのバッターは四番の中山。 フォアボールでも押し出しでサヨナラだ。 こんな絶好のチャンスはない。


 フェンスの後ろではすごい量の女子が張り付いている。 ウチのクラスの女子だけではなさそうだ。 凄まじい人気だな。

 他人事のように見ていたら、視界の端に美咲の姿を見つけた。 ホームベース付近にいる女子の塊から少し離れて、三塁側ベンチの後ろからこちらを見ていた。 さっきのスリーベースも見ていてくれただろうか。


 キィン! 突然、甲高い音が響いた。

 慌てて振り向くと打球はレフトの後方へ飛んでいる。 それなりに距離は出ているが、これは……上がりすぎだ。

 

 レフトが捕球体勢に入ったのを見つつ、三塁ベースについてその瞬間を待った。 パンとボールがグラブに納まる音を聞いたのと同時にホームへ駆け出した。


 よしいける。


 あと2メートル、といったところで頭に衝撃を受けた。 痛えっ! 足がもつれながらもどうにかホームベースへたどり着いて後ろを振り向くと三塁側のファウルゾーンをボールが転々としていた。


 中山をはじめとした本気組はハイタッチを繰り返していたが、俺はそれどころじゃなかった。 転げ回ったおかげで全身が痛む。 どうにかこうにか起き上がると、むしろ心配してくれたのは対戦相手の4組の連中だった。


「おい、大地大丈夫か? 」

「あれ、山田なんでこんなとこに」

「俺4組だし、ずっといただろうが。 とにかく保健室行こうぜ」

「悪い」


 山田に支えられながら、勝利の余韻に浸る輪の横を通って保健室に向かった。


「いっつ……」

「軟式だから大丈夫だと思うけど、今日はもう運動しない方がいいわ。 あと、少しでも変に感じたら教えてね。 とりあえずベッドで休んでおきなさい」

「わかりました」


 次は決勝だってのに、ここまでだな。 まぁ俺は人数合わせだし関係ないか。 外では野球の掛け声がまだ聞こえていた。




 風を感じて目が覚めた。 いつもと違う天井が見える。

 あれ、俺なんで寝てるんだ? その疑問は頭に残る鈍い痛みが思い出させてくれた。


「大丈夫? 」

「あれ、美咲、来てくれたんだ」

「だって、頭に当たってて気が気じゃなくて……」

「ちょっと痛いけど、大丈夫かな。 ありがとう」


 美咲は眼鏡の奥でにっこりと笑った。 この笑顔を見るだけで、痛みが引いていく気がする。

 保健室の先生に教室に戻る旨を伝えると、いい彼女だね、とからかわれた。 美咲は、保健の先生に知られることになっても一緒にいてくれた、ってことか。


 ペコリと一礼して先に出た美咲を追いかけた。 美咲は扉を出たすぐのところで待っていてくれた。


「野球ってどうなったんだ? 」

「あ、あのあと見てないからわかんない……ごめん」

「いいのいいの。 見に来てたから知ってるのかと思って」

「大地いなかったら行く必要ないもん」


 なんて可愛いことを言うんだろうか。 学校なのに抱きしめたくなった。 そんなことはもちろんできないから、手を握ってみた。


 美咲は最初驚いたような反応をしていたけど、握り返してくれた。 何も話さなかったけど、その時間がなんとも居心地が良かった。


 二年生の廊下に着く頃には手を離した。 名残惜しかったけど、こればかりは仕方ない。

 美咲は前のドアから、俺は後ろのドアからそれぞれ教室に入った。


 一斉に注目を浴びる、ようなことはなくホームルーム待ちの喧騒が続いていた。黒板に目を移すと、そこには『野球 二年の部 優勝!!』と書かれていた。 決勝も勝ったらしい。


 担任が入ってくるなり、上機嫌に話し始めた。


「やったなお前ら。 野球出たやつ全員立って前に来い! そんで一言ずつ言え! 」


 担任がまた面倒な指令を出した。 のそのそと立って前に並ぶ。 そうは言っても俺は決勝出てないしな。


「じゃ菊野から順番に」

「え、俺すか。 んじゃ、邪魔になる前に休めて良かったです」

「お前なに言ってんだ。 準決勝は菊野のタッチアップだろ。 よくやった」


 誰からも評価されてなかったけど、見てくれていたのかと思うと少し誇らしかった。 先生、面倒とか思ってごめんよ。


 他の面々も優勝できて良かっただのなんだのと話し、最後に中山の順番になった。


「俺、今回優勝できたら言おうと思ってたことがあるんです。 いいスカ、先生? 」

「お? 好きにしろ」


 それじゃ、と大きく息を吸った中山は、はっきりとした口調でとんでもないことを言い出した。




「春山美咲さん! 春山さんが好きです! 俺と付き合ってください!! 」




 ーーーえっ?




 教室に悲鳴と歓声が響いた。 窓ガラスが割れるんじゃないかと思うほどの音量だ。


 それなのに俺の耳には何も入ってこなくて、呆然と美咲を見ていた。


 美咲はわけがわからないと言った表情で、視線を俺と中山の間を行ったり来たり彷徨わせていた。

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