最終話 これからの二人
桜の花びらが舞う季節になった。
先月末、美咲が家に遊びにきていたときに、またしてもサプライズで帰ってきたバカ夫婦は、腰を抜かすほどに驚いていた。 女性恐怖症だと思っていた息子に彼女ができたというのだから仕方あるまい。 いずれ美咲がアイドルなんだと明かせる日がきたら、もっと驚くことだろう。
2年生の最初の日、美咲と駅で待ち合わせて学校に行くことにしていた。
少し早く出て駅で待っていると、美咲はピンクゴールドのフレームの眼鏡をかけて、こちらに歩いてきた。 視線がぶつかると小さく手を振った。
春休みの間ずっと見ていた素とは違う、学校モードの美咲はそれはそれで久しぶりで、ちょっとドキッとしてしまった。 アイドルの姿も合わせて3つの美咲を知ってるのは、恋人である自分しかいないと思うと優越感を感じる。
電車の中では手を繋いで立っていた。 通学には少し早めのこの時間。電車組がもともと少ないとはいえ、同じ高校の生徒は見当たらない。
学校では互いに地味なポジションであるし、積極的に恋人同士のアピールをするつもりはなかった。 もちろん、美咲が仲のいい矢口や、俺がつるんでる田中や山田には報告しておいた方がいいだろう。
改札を出たところにあるコンビニに寄って、ペットボトルのカフェオレを買ってきた。 朝、早く出るのに慣れなくて、コーヒー飲む時間が取れなかったのだ。 んぐ、と飲んでいると横から声がかかる。
「あたしにもちょっとちょうだい」
「ん、ほら」
美咲は立ち止まって、遠慮もせずに口をつけた。 間接キスだ、なんて恥ずかしがることはなくなったが、自然と恋人同士ができていることが嬉しくて仕方がなかった。
新しいクラスに入ると、黒板には座席表が貼り出されていた。俺は廊下側の一番後ろ、美咲は窓側の一番前。 クラスの中で一番遠いところだ。 でも、ガッカリした気持ちにならないのは、クラス内の距離くらいで揺らぐことはないと思っているからだろう。
またしても同じクラスになった矢口が登校してくるなり、美咲とまた話し込んでいた。 チラチラとこっちを見ているから、きっと付き合い始めたことを報告しているんだろう。
俺がつるんでいた男たちはというと、見事に全員バラバラとなり朝から集うことはなくなっていた。 代わりにといってはなんだが、同じクラスになったノッポが登校するなりこっちにやってくる。
吹奏楽部の男子たちには、春休みの部活の時に告白した結果を話していたから、その件について改まって言うことなどない。
「春山さんってよく見ると可愛いよな。 目立たないから気づかなかったけど、ダイチよく捕まえたなー」
「ふん。 その節穴の目を磨くんだな」
「くっそー、彼女持ちの余裕か。 実にうらやまけしからん」
「おおっぴらにするつもりないから、頼むよ」
「わーってるよ」
始業式が終われば、今日は新入生への部活紹介のために演奏をすることになっている。 教室で一番遠くに座る美咲に目配せをして、ノッポと一緒に部活に向かった。
今日の曲目は、先日の定演の2部の曲だ。 だから当然バスクラのソロもある。 司会は佐藤先輩がやってくれるから出番はないのだが、いかんせんタダでは終わらせないのも佐藤先輩であった。
「今日もバスクラのソロは、新2年生の菊野くんです。愛する人の為に吹いてくれるので、みんな聞き惚れてくださいねっ! 」
冗談とも本気ともわからない曲紹介をする佐藤先輩には苦笑いをするしかなかった。
とはいえ、聞いてくれるお客さんがいるのに情けない演奏をするわけにはいかないし、定演と同じように心を込めて演奏したのだった。
紹介のステージの後は、部活勧誘の為に2年が中心となって部室の近くで大声を上げていた。
当然俺も駆り出されていたのだが、何故か俺の前には新入生の女子が何人か集まっていて、質問攻めにあっていた。
「菊野先輩、定期演奏会カッコよかったです! 」
「クラリネットパートはどうやったら入れるんですか? 」
「ホントに愛する人いるんですか!? 」
――などといった具合である。
そしてこういう時に限って、見られたくない人に見られるのは何故なんだろうか。
教室がある2階の廊下から、美咲がこちらを見ていた。 眼鏡の奥で目が細められたのが、十数メートル離れたここからでもわかる。 小悪魔の笑みを見せた後、美咲は昇降口へと向かっていった。
程なくしてローファーに履き替えた美咲がこちらに向かってくる。 何を思ったのか、眼鏡を外し、横を通り過ぎる間際に言い放ったのは衝撃的なセリフだった。
「大地、先に帰っておウチで待ってるね! 」
そしてトドメのウインクである。
「お、おい、美咲っ」
慌てて呼び止めようと名前を呼ぶ。 しかし美咲は再び眼鏡をかけて舌をベーっと出して、颯爽と引き上げていった。
美咲のやつ、わざわざ眼鏡外してアピールしていきやがった! バレたらどうすんだ!
好奇心旺盛な高校1年生の女子がこんな場面を見逃がすはずもなく、さっきよりも激しい質問攻めにあったのであった。
「囲まれてデレデレしてるように見えたもん、ほら」
美咲の部屋にお邪魔すると、例の現場写真が映ったスマホをこちらに見せてよこした。
「どう見たって困惑してるだけじゃん」
「そだね」
「わかってたんかい。 んじゃなんであんなこと――」
「だって大地がそう思ってなくても、向こうはわかんないでしょ。 可愛い彼女がいるんだぞ、って見せておかなきゃ」
「アイドル活動のことがバレたらどうすんだよ」
「そんなことよりも、吹奏楽部に可愛い女の子いっぱいいることの方が心配だもん」
「俺は美咲しか見てないってば」
「大地のことは信じてる。 でもね、女の子は時々すごいパワーを発揮する時があるから。 大地も隙を見せたりしないでね」
「お、おう。 わかったよ」
美咲以外の女性に目を向けることなんてあり得ない。 ずっと美咲と添い遂げられるなら、それが一番幸せだ。
「わかればよろしい。 んっ」
美咲はそう言うと、目を閉じて唇をすこし突き出した。 俺はその艶やかな唇にそっと自分の唇を重ねる。
まだまだ恥ずかしさが勝ってしまって顔が赤くなる。 美咲は、にっこりと笑って言った。
「大地、大好き。 ずっと一緒にいようね」
「ん、そうだな」
俺も大好き、と口に出すのは気恥ずかしくてできなかったけど、気持ちは美咲と一緒だ。 代わりとばかりに手を握ると、その柔らかな手が握り返してくる。
美咲の目線を追って正面の書棚に視線を移すと、フォトフレームに入った写真が目に入った。
――そこには、カラオケの後に二人で撮った写真の前に、コツメカワウソとサメのぬいぐるみが仲良く並んでいた。
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