第44話 変身!
いまだかつて、こんなに長く感じる週末はなかった。 いつもの週末といえばあっという間に過ぎていって、月曜日がやってくるー、と憂鬱になるのが定番だった。
もっとも、ここ半年は学校に行けば隣に美咲がいるわけで、さほど苦にもなっていなかったが。
長い長い週末を終えて学校に着けば、終業式特有のウキウキした雰囲気が充満していた。
こちとら合格発表を待つ受験生の気持ちだというのに。
「おはよ、大地」
教室に入れば、いつもの席にいつもの笑顔があった。 ただ朝の挨拶をくれただけだというのに、自分の気持ちを知っているのかと思うとそれだけでうろたえてしまう。
「おはよ」
「今日、部活あるの? 」
「サボる」
ぷっ、と吹き出す美咲。 悪びれもせず即答したのが面白かったらしい。
「サボるのはちょっと感心しないけど……」
「じゃ、体調悪い。 緊張して気持ち悪い」
くすくすと笑う美咲を見て、本当に安心した。 あの日の帰りの電車では、無理に笑っているようにしか見えなかったから。
「体調悪いんじゃ、遊びには行けないよねぇ? 」
「もうその辺にしてくれよ。 部活どころじゃないんだよ」
「どうしよっかな〜? 」
今度はさっきの女神のような笑顔から一転して小悪魔の顔になる。 もうどっちでも可愛い。
言葉を返せずに机に突っ伏した。
「終わったら、カラオケ行こ」
小声でかけられた言葉に、突っ伏したまま頷く。 その時だった。
「おーいダイチ、どうした腹でも壊したか?」
この声はノッポだな、と思っていると、こちらも小声で話しかけてきた。
「ダメだったのか?」
合格発表がまだなんだから、まだわからない。 体勢を変えずにプルプルと首を振る。
「体調悪い。 部活休む」
「なんだ、そうか。 ウッチー先輩に言っとくよ。 早く寝ろよ。 もう拾い食いするなよ」
嘘をついている罪悪感が少なからずあったのだが、最後の言葉で吹っ飛んだ。 ノッポには伝令として役に立ってもらおう。
終業式は、卒業した3年生がいない分体育館が広く感じた。 今日が終われば高校1年生も終わり。 美咲と隣同士も今日で最後なのか。
校長先生のありがたいお話を聞いた後、クラスに戻って最後のホームルームになった。
「今日でお前たちの担任もおしまいか。 まぁ、英語の授業では会うだろうがな。 んじゃ、今から来年のクラス発表するぞ」
これは初耳だった。 来年のクラスはいまから発表されるらしい。 なんでも、掲示板に貼り出すと校門の前がごった返して、始業式が始まるまでに収拾がつかず、今のスタイルになったんだそうだ。
出席番号順に名前と新クラスが読み上げられていく。 俺は頬杖をついていかにも体調優れませんよアピールをしたまま順番を待った。
「菊野、5組」
自分のクラスは正直どうでもいい。 気になるのは美咲と同じかどうか、だけだ。
「春山、5組」
やった!と反射的に拳を握る。
だが、そこで気がついた。 もしフラれたら、めっちゃ気まずくないか、と。
ふと美咲を見ると、手を広げてこちらに見せてきた。『5組』と言いたかったのだろう。 知ってるよ、それしか聞いてなかったんだから、というのは口に出さずに、少しだけ首を縦に振った。
カラオケはこんなに緊張する場所だったのか。 口の中がカラカラに乾いている。 ただ、どうやら緊張しているのは美咲も同じのようで、マイクを持ってクルクル回したかと思えばすぐに置いたりして、そわそわしている様子だった。
「カラオケ、あんまり来ないの? 」
「ううん、そんなことはないんだけどね。 大地は? 」
「俺はあんまし来ないなー。 男同士だとだいたいノッポのウチで楽器吹いてるし」
「そっか。 とりあえず、なんか歌う? 」
「おう、美咲からなんか入れてよ」
うーん、と言いながら入れたのは、最近よくCMで流れている曲だった。
歌声は初めて聞いたけど、驚くほど上手かった。 普段喋るときと違って、艶やかで透明感がある声。 マイクを少し離して持っているのにこれだけのパワーがあるんだから、元の声量もかなりあるんだろう。
原曲を歌っている歌手よりも上手いんじゃないかと思うほどで、すっかり聞き惚れてしまった。
「すげえ! めちゃくちゃウマいじゃん!! 」
「へへ、歌うのは、まあまあ得意かも」
「ホントにびっくりした。 そこいらのアイドルよりも上手いと思う」
「――ありがと」
べた褒めだったのだが、美咲はなんとも言えない表情をしていた。 俺も、ということで、あんまり激しくない曲を入れる。 いわゆる懐メロというやつで、懐かしさ補正で歌をごまかせるのだ。
互いに何曲か歌ったところで、美咲はお手洗いに行くといって表に出た。
カラオケの画面は曲のストックがなく、広告や駆け出しバンドの動画が流れている。 ぼんやりとそれを見ていると、カチャと扉が開いた。
「ただいま。 ――歌うね」
意を決したように宣言した美咲はどこか力強く、迫力があった。 ポチポチとリモコンのタブレットを操作する美咲。 もう歌う曲は決まっているみたいだ。
テーブルの脇に美咲は立ったまま、左手にマイクを持ってタブレットを操作し、最後に送信ボタンを押した。
それと同時に美咲はこちらに背を向けて、眼鏡をテーブルにコトンと置いた。そして、イントロが流れ始めると、右手を高く掲げた――。
右手を高く掲げるこのポーズは、吹奏楽部とのコラボコンサートの時に岬たちと一緒にやった、4Seasonzの『恋のシーズン』だ。
このポーズをしてるってことは、ダンスの振り付けも覚えてるってことなのか。
イントロから10数秒、美咲は勢いよくクルッと回ってこちらを向いて歌いだした。
その瞬間、目を疑った。
無論、回った勢いで見えてしまったスカートの中の話ではない。 そこには――
岬千春がいた。
さっきまで美咲が着ていた制服に身を包んだ岬千春が、天使の歌声を披露しているのだ。
俺は混乱していた。
なんで、岬がここで歌って踊っているんだ。
入れ替わった?
今日エイプリルフールだっけ?
こんなところ美咲に見られたら――。
ん、でも美咲はここにいたわけで……。
「♪〜キミとボクの恋のシーズン〜♪」
俺は目の前にいる制服アイドルが歌い終えるまで、口をポカーンと開けて唖然としていた。
「大地、 驚かせてごめんね。 岬千春は、……あたしなの」
「ーーんっと、どゆこと? 」
「春山美咲と岬千春は、同一人物なの」
「う……うん? 」
あまりの展開に理解が追いつかない。 春山美咲は岬千春なんだそうだ。 ソウデスカ。
「大地? 大丈夫? 」
岬の顔で、美咲のような柔らかな声で心配された。 正直言うと大丈夫ではない。
「美咲が、アイドルやってるってこと? 」
「うん」
「テレビにでてるのも? 」
「あたし」
「一緒に水族館行ったのは? 」
「それもあたし」
「学校で隣の席なのも? 」
「それも」
つまり、今まで岬だと思って接していたのは実は美咲で、デートしたりしたのも全部美咲だったってことか!
――岬とのメッセ、何送ったっけ。
――美咲に、4Seasonzのこと何話した?
さっきから思考がグルグルと同じところを回っている。
待てよ、なんでこのタイミングで打ち明けたんだ。
アイドルをやっているなら言いよる男はいくらでもいる。 選び放題なのに、俺なんかと付き合うわけがない――。
勝手に結論めいたものが出たところで、岬が美咲に戻って話し始めた。
「――大地? 話聞いてくれる? 」
「……おう」
もう驚愕やら落胆やらで混乱しきっていたが、ちゃんと話を聞いて自分の恋にケリをつけなければならない。
美咲は隣に腰掛けて、ゆっくりと話し始めた。
「大地、ごめんなさい。 騙されたって思うよね。 大地がね、千春のあたしを好きなんだと思ってたから、言い出せなくって」
「いや、騙すだなんて――」
「ううん、結果的には、そうなの。 でもね、違うの。 最初はね、どっちのあたしでもいいから、大地に好きになってもらえればいいかと思ってた」
「……」
「でも『千春』って、あたしにとっては仮面なの。 だから、仮面じゃなくてあたしを見てほしいって、――わがままなこと、思って。 ごめん……なさい」
最後は涙まじりだった。 美咲は、一度鼻をすすって聞いてきた。
「大地、あの時のお願い、今してもいい? 」
「あの時?」
「テストのやつ」
「ああ、あのテストの罰ゲームか」
「うん、罰ゲームのつもりじゃないけど」
頷いたあと、美咲は涙目のまま続けた。
「大地、大好き。 こんなあたしだけど、大地の彼女にしてください」
告白したあと週末待たされることになって、アイドルなんだって激白され、この結果は想定していなかった。
芸能界だって、いっぱいイケメンがいるだろう。 週刊誌に載ってたアキラだって……。
「え? 俺? 」
なんとも間抜けな返答が口から勝手に出た。
「もちろんだよ。 他に誰がいるの? あたしは大地が大好きだよ」
「ほんと? 彼女になってくれるの? 」
「うん」
「冗談じゃない? 」
「うん」
「――おっしゃー!! 」
ここがカラオケでよかった。 大声出しても変な目で見られることもない。
思わず立ち上がってしまった俺の横に美咲も立って、ペコリと頭を下げた。
「これから、よろしくお願いします」
「あ、いや、こちらこそよろしく」
俺がそこまで言い終えると、美咲はギュッと抱きしめてきた。
「大地、大好き……。 嫌われるかと思って、怖かった」
「嫌いになるわけないだろ。 美咲だけをずっと見てきたんだから」
そう言って、美咲の背中に腕を回す。 漂ってくる甘い匂いにくらくらとする。
この子が俺の彼女になってくれたんだ、と思うと、天にも昇るような気分だ。
10cmほどしか離れていない顔を眺めていると、晴れやかな表情をしていて本当に可愛らしい。 目が合うと柔らかく笑う。
今まで見てきた美咲とも、アイドルの岬とも違っていて、これが本当の美咲なのかもしれない。
じーっと、上目遣いに見てくる美咲と 目線を外すこともできずに見つめ合っていた。
ふっ、と空気が動いたかと思えば、美咲の顔が近づいて――、唇に柔らかさを感じた。
それは文字通り瞬く間の出来事で、すぐに美咲はストンと椅子に腰を下ろしてカラオケのタブレットを手に取った。
「さ、まだ時間あるし、歌おっ」
美咲の顔も耳も真っ赤だった。
――俺も、同じなんだろうけど。
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