第26話 美咲の怒り
街はイルミネーションに彩られ、親父の引越し準備も収束した。 持っていくものは必要最小限。 家電やら家具やらは、会社から支給される支度金で買ってしまうみたいだ。
さすがに新年早々引越しというわけにはいかないから、先に業者さんに預けてある荷物を明日向こうで受け取って、生活できるところまで一気に済ませる算段らしい。
おきょんも含めた三人は二泊三日で福岡に旅立っていった。二人暮らしの練習ね、と言った母だったが、それならおきょんも置いていってくれればいいのに。
とはいえ、誰からも詮索されることなくクリスマスに出かけられるので、余計な神経をすり減らさずに済んだのはラッキーだった。
美咲に泣きを入れてレクチャーを受けた服を身につけ、買ってもらったばかりのダウンを羽織って駅に向かう。 北条の家は北口からバスに乗った方が行きやすいんだそうだ。
駅に着いたとき、もうそこには美咲が待っていた。 いつもと同じピンクゴールドに縁取られた眼鏡をかけているが、今日は唇が色付いている。 ほんのりと化粧をしているのだろう。
顔をあわせるのは終業式の日以来だから、制服とは違う服の雰囲気も相まってドキドキしてしまう。
「お待たせ、寒いところごめんな」
「ううん、いま来たところだよ」
待ち合わせの定型文のようなやりとりのあと、美咲は腕を絡めてきた。 突然のことに心拍数が上がる。
「おい、美咲、どうした」
「今日は彼氏、でしょ? かっこいいよ、大地♪」
美咲はそんなことを言いながら、俺の心臓を試してくる。 俺がブーツを履いているせいか、それとも少し背が伸びたのか、目線は少し下から見上げるように届いた。 心臓はあっさりと白旗を掲げ、拍動のテンポを上げている。
「美咲も――可愛いよ」
そう口にして得た教訓は、慣れないことはするもんじゃない、ということだった。 顔は真っ赤だろうし、手にはじっとりと汗をかいている。 手を繋いでなくて良かったと、心底安堵した。
「――ありがと」
はにかんだような笑顔を見せた美咲も、耳の先まで真っ赤だった。
二人並んでバスに乗る。 さすがに腕は組まなかった。 チラッと横目で見たときに限って、美咲もこちらを見る。 気恥ずかしくなって、目線を逸らす。 そんなことを、4、5回繰り返しているうちに、目的のバス停がアナウンスされた。
バス停から数分歩くと、立派な門扉の家が視界に入ってきた。 塀ははるか向こうまで続いていて、まるで武家屋敷のようだ。
「あの家!? 北条って何者なの? 」
「違うよ、こっち」
と、美咲は角を曲がったところにある家を指差した。先ほどの武家屋敷とまではいかないまでも、我が家の倍はありそうな立派な家が出てきた。 なんにせよいいとこのお嬢様なんだろう。
美咲はおもむろにチャイムに手をかけた。 思わずダッシュで逃げたくなってしまうのは、DNAに刻まれているのだから仕方あるまい。
ほどなくして、チャイム脇にある扉が開き、サンタの帽子を被った美女が顔を出した。 日頃の佇まいとのギャップに息を飲んだ。 見惚れていたわけではない、と心の中で言い訳する。
リビングまでの廊下で、美咲から小声で話しかけられた。
「大地、ひとつだけ。 唯香が慕ってるのはいとこさんなの。 他の人は知らないから、口を滑らせないでね」
「おう」
怒られたわけじゃなくて一安心しつつ、リビングへと入る。 もう他の参加者は揃っていて、俺たちが最後だったみたいだ。
「あれ、美咲まで彼氏連れ〜? 」
「マジ!? バリウケる! ウチいきおくれやん」
美咲の友だちとは思えないほどテンションの高い二人に怯む。 女性陣はこの二人に加えて美咲と北条。 男性は、俺と北条のいとこの他にもう一人チャラそうなイケメンがいた。
準備ができましたらまずは乾杯しましょうか、と促した北条は、ワイングラスをみんなに寄越す。 中身はスパークリングアップルジュースなんだそうだ。
乾杯の発声とともにグラス同士がぶつかる音が鳴る。 俺も美咲とグラスを重ねる。 ふと目が合ったが、今回はお互いに自然に微笑みあえた。
ご存知ない方もいらっしゃるし自己紹介でもしましょうか、という北条は、先陣を切って話し始めた。
「北条唯香です。隣は、誠司さん。 私の大切な人です」
「誠司です。 大学生なので、皆さんよりはすこし年上かな」
穏やかな声で優しそうな、とてもお似合いな2人だった。こういう人になりたい、とさえ思わせるオトナに限りなく近い人だった。
次に、ハイテンションの一人が喋りだした。
「ウチは、レナね。 ウチだけ彼氏おらんけんウケるっちゃけど。 小学校まで福岡におったんよ」
博多弁の強烈な、明るい茶髪のこの人はレナと名乗った。 親父たちが行っている福岡は、みんなこのしゃべり方をしているんだろうか。
高校生メンバーの中で最も学業成績が優秀なのがこのレナで、学区のトップ校に通っているそうだ。 人は見かけによらないというが、ここまで見かけから離れているのも珍しい案件ではなかろうか。
「じゃ、次私ね。 私は、アカネ。 それで、こっちの彼氏がショージ先輩。 2年生でサッカー部のエース♪ 」
「ウッス」
アカネは少しギャルっぽい見た目だった。 正直、苦手なタイプである。 ショージ先輩もチャラそうな雰囲気だがイケメンで、モテるであろう風貌をしていた。
「あたしは美咲。 それで、こちらが大地。 よろしくお願いします」
「えっと、大地です。 吹奏楽部でバスクラリネット吹いてます」
「プッ、お前男のくせに吹奏楽部なん? 女目当て? 」
「ちょっとショージ先輩!? 」
「なんだよ、アカネだって思うだろ? 」
自己紹介の最後に重ねるかのように、バカにしたような声が届く。 いや、実際バカにしているんだろう。
失礼な物言いだとは思ったものの、ある意味言われ慣れているから、今更目くじらをたてるほどのことはない。 俺自身は吹奏楽部で全国大会を目指すことにプライドを持っているし、なによりバスクラリネットが好きなのだ。 俺が揺らがなければ、他人に何を言われようとも平気だ。
しかし、美咲はというとそうでもなかったらしい。 口を真一文字に結んで、ショージ先輩とやらに厳しい視線を送っていた。 そして、何かを言おうと息を吸い込んだ。
「――美咲」
不機嫌オーラを全開にしている少女の名を呼び、手を握った。 美咲はハッとしたように目を見開いて、こちらを向いた。 俺にも食ってかかってきそうな勢いだ。
「美咲、わかってる。 ありがとう」
穏やかな声で、感謝の気持ちを伝える。
俺が大切にしているものをバカにされたことに対して怒ってくれた、その事実が俺はとても嬉しかった。 バカにされた怒りなんてやすやすと吹き飛ばしてしまうほどに。
吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した美咲は、繋いだ手をキュッと強く握ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます