第22話 アイドルはひとりの人に愛されたい

 最初に目に付いたのは、深海魚のエリアだった。 食卓に並ぶような馴染みのある魚の形とはひと味もふた味も違う深海魚に思いがけず食いついてしまった。 中でも、深海に生きるサメは際立って変わっており、飽きることなく水槽を眺めていた。


「見てこのサメ。 チェーンソーみたいなのくっついてる。 どうやって使うんだ? あ、ごめん、一人で喋ってた」

「ううん、大地が楽しそうで嬉しい」

「そゆことサラッと言うなよ、恥ずかしい」

「だってホントだもん」


 

 恥ずかしいながらも手を引いて歩く。 次に来たのはクラゲのゾーンだ。 ふよふよと水中に浮かぶ様は、まさに癒しだ。 刺されたら痛いんだろうけど。


「なんか神秘的だねー。 テストのこと忘れそう」

「俺せっかく忘れてたのに思い出したじゃんか」

「あはは、ごめんごめん」


 そう言って、岬はまたクラゲの水槽に視線を戻す。幻想的な雰囲気を出すためか、柔らかな光が水槽の下から照らされている以外に照明はほとんどない。

 水族館では、ほんのり薄暗いため近づかないと顔まではよく見えない。 だが、手を繋ぐような距離にいれば別だ。 水槽の下から照らされる淡い光は、間近にいる岬の美しさを神秘的に魅せている。


 こんなに可愛い子が、自分と手を繋いで水族館デートしているなんて、一体誰が信じるだろうか。 世の中には認めたくないファン達がいっぱいいそうだが、俺自身も信じられない。 まさに夢心地だ。

 この横顔ならずっと眺めていられるな、なんて思っていると、キャップの下からのぞく耳が赤く染まってきていた。



「そんな、見つめないで。 恥ずかしいよ」

「な、なななっ」



 なんでバレたのかと二の句が継げずにいると、岬は水槽を指差す。 水槽の先の岬と目が合った。 クラゲの水槽は暗いために反射していて、俺が横顔に魅入っていたのがバレバレだったようだ。


「ね、次行こ」

「――おう」


 短く返事をした俺は、きっとまた茹でダコのように真っ赤になっているのだろう。 熱くなった顔を冷やすためにもペンギンやアザラシのゾーンを素通りして、ショーの会場であるイルカスタジアムへ向かった。




 イルカスタジアムは屋根付きだが屋外にある。さっきまで暗いところにいたせいか、雨交じりの天気でも眩しく感じた。 岬は俺を手で引っ張りながら前方の席へと向かっていく。そして左端に陣取ると腰を下ろした。


「あんまり前だと濡れないか? 」

「端っこだし大丈夫だよ。 それに前の方だと他の人から見えにくいでしょ? 」

「なるほど」


 辺りを見回しても、濡れた形跡はないから大丈夫なんだと判断する。

 ショーまではまだ少し時間があるため、お客さんの入りもまばらだ。 肌寒いこの季節に外でわざわざ待つ必要もないだろう。

 真っ赤だった顔もこの涼しさでだいぶもとに戻った。心臓は動いているぞと言わんばかりに、普段よりも強い鼓動を伝えてくるが。


 持ってきたチョコのお菓子をつまみながら、岬の最近のマイブームを聞いていた。 岬も知り合いに吹奏楽部の人がいるようで、コラボコンサート前から演奏を聴く機会はあったようだ。 ただ、バスクラについては詳しくなかったらしく、インターネットで調べたとのこと。自分が吹くバスクラリネットに興味を持ってくれたことが非常に嬉しくて、ついこだわりを色々と話してしまった。


「岬は趣味とかないの? 」

「お菓子作るのは好きだけど、それ以外はあんまり熱中するものってないかな」

「その、アイドル活動とかは?」

「もちろん楽しんでるけど、ずっとできるものじゃないかなって。 女優とか目指してるわけじゃないし」

「人気あるのにもったいない」

「あたしは、たくさんの人に持て囃されるよりも、ひとりの人に包まれるように愛される方が幸せかな、って」


 そう理想を話す岬の笑顔は少し色っぽい雰囲気で、とても大人びて見えた。




 スピーカーから音楽が流れてくる。ここのイルカショーは調教師のお姉さんとイルカが音楽に合わせて一緒に泳ぎながら絆を深めていく、というストーリー仕立てのものだ。

 イルカたちは派手な衣装を身に纏った調教師と手を繋いだり、ぐるぐると回りを泳ぎ、そしてジャンプする。 鼻先に調教師を立たせてプールを横断させたりしている。はじめは調教師と同じ三頭のイルカがいたが、後半になるともっと大きい種類のイルカも出てきて、大ジャンプを披露する。

 イルカのショーは初めてというわけではなかったが、こんなにも音楽と融合して踊るように泳いでいるのを見るのは初めてだった。調教師たちもイルカの考えを感じながら指示を出しているのか、とてもスムーズで息がぴったりだった。


 ショーが終わったとき、心の奥がじんわりと暖かくなるような気持ちで、しばらく余韻に浸っていた。隣に座る岬も同じだったようで、ショーが終わったあともしばらく手を繋いだまま二人で座っていた。



「すごかったな」

「そうだね! 感動しちゃった」

「イルカってすごいな。 もちろんお姉さんもすごいんだけどさ」

「ドルフィンセラピーとかあるくらいだもんね。 心を通わせるって素敵」


 思う存分癒されてイルカスタジアムを後にして、今度は飛べない鳥ペンギンのところへやってきた。水から上がってはしっぽをフリフリする姿を見てがツボに入ってしまい、二人してゲラゲラ笑ってしまった。

 さっきまではお土産はイルカ一択だったのに、これはペンギンも捨てがたい。


 館内のレストランで遅めの昼食にしたあと、赤ちゃんがいるというカワウソコーナーへ向かった。 この子たちはコツメカワウソという種類らしく、一番小さいカワウソなんだそうだ。

 キュィキュィ鳴きながらせわしなく追いかけっこをしている姿はとても愛らしかった。 どことなく岬を見ているようだ。


「あっちに赤ちゃん固まって寝てるー! 可愛い!! 」

「うおっ」


 いわゆる女子の『カワイー』的な感じかと思ったら、これは破壊力抜群だった。 まるでぬいぐるみのようなコツメカワウソの赤ちゃんが三匹寄り添って眠っている。 どれか一匹が動くとそれにつられて他の二匹ももぞもぞと動く。

 赤ちゃんカワウソたちが動くたびに、繋いでいる手もキュキュッと動く。そのシンクロに思わず吹いてしまった。


「なに? どしたの? 」

「あ、いや何でもないよ。 赤ちゃんたち可愛いよな」

「うんっ」


 赤ちゃんカワウソよりも可愛い笑顔に、また心臓が高鳴る。 今度は、繋いだ手からこの高鳴りが伝わらないことを願うばかりだった。


 楽しい時間は早く過ぎるとはよく言ったもので、お土産コーナーから外を見ると空が薄暗くなり始めていた。 せっかく来たし、ということで物色していると目に留まったのが小さなコツメカワウソのぬいぐるみだった。





「なんかあっという間だったねー」

「そうだな。 ここまでくると現実に帰ってきた感じがする」


 待ち合わせした乗り換えの駅まで帰ってきた。 急に日常に連れ戻された感覚を覚える。 これで終わりだと思うと寂しいのが正直なところだが、テスト勉強もあるし致し方あるまいと無理やり納得する。


「――あのさ、これ、今日のお土産ってことで」


 ポケットに忍ばせていた手のひらサイズのコツメカワウソを岬に突き出す。 岬に言いよる数多くの一人かもしれないが、少しでも思い出になってほしいというエゴを押し付ける。

 お土産用の袋に入っているから、中身はわからないだろう。 キョトンとした顔で俺を見た後、岬はふふっと笑った。 何の笑いだか思案していると、岬もバッグから同じ模様のビニール袋を取り出す。


「大地と同じこと考えてた。 嬉しい」


 そう言って目の前に出された袋を受け取る。岬を見返すと、やっぱり笑顔で笑っていた。



「それじゃ、またね! 」

「おう、じゃーな」


 また会う約束の挨拶をして、列車に乗り込む。 10分もすれば地元に着くのだが、その前にスマホが震えた。


『(写真を受信しました)』



 画面には、人が少なくなってから撮った、どこからどう見ても岬千春と顔が真っ赤になった俺の写真が表示されていた。 今度は、なんかあってもバレないように秘密のフォルダに入れておかないと大変なことになりそうだ。

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