第12話 見るも無残な姿
考えるよりも先に身体が動いていた。
右隣を歩いていた春山の左腕を掴み、引き戻しながら回転するように両腕で包み込む。
カシャンという乾いた音に続いて、踏ん張っていないと吸い込まれそうな風が背中を通り過ぎる。うなるようなエンジン音とパキンという甲高い音を残して、信号無視の軽自動車は通り過ぎていった。
思わず閉じてしまった目を開けると、通り過ぎた車を呆然と見送る春山の顔があった。
眼鏡の奥にある虹彩は淡いブラウンで、まつ毛はゆるいカーブを描いて上を向いている。目尻には、正面からだとピンクゴールドのフレームに隠れて見えなかった小さなほくろが見える。透き通るような肌が、ほんのりと街灯の明かりを反射して光っている。
どのくらい時間が経ったかわからない。数秒のような気も数分のような気もするが、我に返ったときは春山と抱き合っているような状態だった。
「わわわわ、悪い! 」
慌てて腕をほどいたものの、春山は焦点が合わないような瞳で俺をジッと見ていた。焦るどころか、まだ魂が抜けているような感じだ。
「お、おい、大丈夫か? 」
少し顔を傾けてそう問うと、ようやく目の焦点が合った。
「え、あ、――大、地? 」
「ケガはしてないよな? 」
「う、うん。 大丈夫、みたい。 でもなんかちょっとうまく立てなくて、もうすこし捕まってていい? 」
「おう、もちろん」
とりあえずケガはしてなさそうで良かった、とホッとしたのもつかの間。道路を振り返ると、見るも無残な姿で、スマホだったモノがそこにはあった。春山もこんな感じだしとりあえずどこか座れるとこに行こうと、スマホだったモノを拾い上げて春山に問う。
「ここにいてもしょうがないし、そこのカフェにでも行こっか」
「うん――」
春山を連れて、チェーン店のカフェに入る。先に席に座らせておいて、頼まれたミルクティーと自分のカフェラテを注文する。カップを二つ受け取ったあと、カウンター席の最奥を陣取った春山のとなりに腰掛け、ミルクティーのカップとスマホだったモノをテーブルに置いた。
「急に引っ張ったから、スマホ落としたんだよな。 ごめん」
「ううん! 全然謝ることないよ。 むしろ、助けてくれてありがとう。 あの時、クラクションの音で振り向いたらすごい眩しくて、下がらなきゃいけないのに足も動かなくて――」
「落ちつけ、落ちつけ。 な? 」
「だから、菊野くんが助けてくれなかったら、あたしもうここにいなかったと思うの。 本当にありがとう」
そう言って春山は俺の手を取った。 手を包む春山の手のひらはすこし震えているようだった。 命の危険に晒されたのだ。 無理もない。
「あたしにできることなら、何でも言ってね。 いくらお礼してもしたりないもの」
「んじゃ、彼女になってくれる? とか」
「いいよ。 菊野くんがよければ」
まさかの答えが耳に入ってきた。 春山の即答に思わず包まれていた手を引っこ抜いてブンブンと振る。
「いやいやいや、冗談だって。 まさかいいって言うと思わなくて」
「だって、命の恩人だもん」
おそらく俺の顔は真っ赤であっただろう。対する春山はというと、ほんのりと頬を染めて穏やかに微笑んでいた。どうにも居心地が悪く、無理やり話題をそらすのが精一杯だった。
「とにかく、ほら、その、スマホも買わなきゃならないだろ、な? 」
「そうなんだよね。 でも古くて遅かったからちょうど良かったかも」
「前向きだな。 とりあえずバックアップとか用意しといて、SIMだけあればある程度は使えるようになるかな」
「菊野くん、スマホ詳しいよね。 良かったら買いに行くときついてきてもらえないかなぁ? 」
「ほぇ? 」
間抜けな声が出た。明日は金曜日で、土曜日が文化祭。 日曜日は部活があったはずだけど、月曜日の振替休日はどうだったかな? 今後の予定を考えてどう答えるか逡巡していると、横から覗き込まれる。
「ダメ、かな? 」
上目遣いで向けられ視線に思わず吸い込まれそうになる。その視線に抗うことは到底できず、予定も確認せずにうなづいてしまった。
(――こんなの断れる奴いるかよ! )
今日は色々ありすぎた。うちに着くなり自室でぐったりする。夕ご飯ですら億劫になる。ぼーっと、今日のできごとに思いを巡らせてみる。
(今日の古文、わけわからんかったな)
(ドーナツ屋の準備間に合うんかな)
(あ、ワンフレーズ何にしよう)
(春山が『コーンスープ』とか言ってたな)
(あ、あいつ轢かれそうになったんだ)
(まつ毛長かったなー)
(結構細かったな)
(彼女になってもいいとか言ってたな)
(まじまじ見たことなかったけど、結構可愛いんだな)
「大地、ご飯食べちゃってよ」
思考のほとんどを占めていた春山を追いやるように、オカンが横ヤリを入れてきた。俺にも事情があるんだぞ、と言いたいところだが、オカンにも事情はあるだろう。そしてオカンの方が重い。
「あいよー」
そう一言告げ、食欲をそそる匂いが充満したリビングに向かったのであった。
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