第9話 逆・吊り橋効果
4号路はほとんど舗装されている1号路と違って、木の根がそこかしこから出ている山道だ。 道幅もさほど広くないため、対向する人とはすれ違うときに気を遣う。 横に並んで歩くこともあまりないため、必然的に会話も少なくなる。
それなりにアップダウンもあるし、景色の変化も少ないため、テレビには向いてないかもしれない。 そもそもロケの下見が目的だったのだから、敢えて4号路を選ぶ必要はなかったのだろう。 そう思うと、岬のテンションが下がってしまったのもうなずける。
時々振り返って岬を見ながら、山道を進む。 しかし、岬は登りよりもペースが遅い。
「大丈夫か? どこか痛い? それとも気分でも悪いのか? 」
「ううん、痛いとかそういうんじゃないの」
「無理するなよ、休みながら行くから」
「ありがと」
少し道幅が広くなったところで、思い切って岬の手を取った。 岬は一瞬顔を上げるが、また視線を足元に落とす。
そうしてまたしばらく歩いていると、川のせせらぎが聞こえてきた。 空気もすこしひんやりと感じられる。
「おお、吊り橋だ」
声を上げると、手が強く締められる。どうしたのかと振り返ると、不安げな表情をしている岬と目があった。
ここに来てようやく思い至った。
なんて鈍感なんだ俺は。
「高いところ、怖いのか」
「――うん。 高い、というか不安定なところ。 地面に足がついてればまだ平気なんだけど」
「無理に合わせることなかったのに」
「だ、だって・・・」
そう言って一層縮こまってしまう岬。戻ることも考えたが、進んだ方が早いくらいまで降りてきてしまっているため現実的ではない。4号路に誘ってしまった責任もある。
「どうやったら怖くない? 」
「腕、掴まってていい? 」
「好きなだけ掴んでいいよ」
そういうと岬は右腕にしがみつく。
二の腕あたりを岬の胸のあたりに押し付けるように寄せているため、柔らかい感触が脳の快楽中枢を刺激する。この人生で初めて味わう感触を堪能したいところなのだが、ビビりにビビった小動物を見ると邪念を払わねばと思い直す。
「行くぞ」
「う・・・うん」
キュッと目をつぶりながらしがみついている岬。
一歩一歩進むごとにわずかに軋む音を奏でながら揺れる橋。
きっと同じように揺れている柔らかい物質。
正直いって、頑丈も頑丈なこの吊り橋の揺れなんかよりそこの二つの柔らかい物の方が恐ろしい。
「まだ着かないの?? 」
「もう半分以上過ぎたよ」
残り4分の1といったところまで来たとき、後ろの方で2つの甲高い声が聞こえた。 おそらく小学生の男の子といった感じの声だ。
猛烈に嫌な予感がする。
そして予感は、あえなく的中した。
だだだだっと勢いよくこちらに向かってくる2つの足音。橋はギシギシと何かが擦れるような音を鳴らし、足元は上下運動を繰り返す。
「ひゃあっ! 」
岬は腕から手を離し、顔を胸にうずめ両手を俺の背中の方に回した。 完全に抱きすくめられた状態だ。
(うわー、すっげぇいい匂いする)
そうこうしているうちに足音ははるか前方に消えていった。 目の前の小動物はぷるぷると震えているのに、煩悩ばかりが浮かんできてしまうのであった。 しばらくすると上下運動も収まりを見せ、しがみついたままの岬へ声を掛ける。
「収まってきたし、行くぞ」
「だ・・いち、もう・・・ダメ」
胸に収まった岬が顔をぷるぷるしながら上げると、涙目になって何かを訴えかけていた。
(このままでは、俺が落とされる、この子に)
意を決して岬を胸から剥がし、手を引いて駆け出した。岬も慌てて引っ張られてついてくる。
結局、駆け出してからものの数秒で対岸にたどり着いた。岬は地面にしゃがみ込むようにし、なんなのあの子供たち、と恨めしそうにつぶやいている。
俺はというと、心臓が激しく音を鳴らしていて、外まで聞こえているんじゃないかと思うくらいだった。 吊り橋効果ってこういうことだっけ、と思い出そうとするも、思考はうまくまとまらなかった。
岬は吊り橋さえ越えてしまえば気楽なもので、すっかり饒舌になっていた。 笑顔で話しかけてくるのだが、こちらはさっきの感触やらを思い出してしまい気恥ずかしく、うまく返事ができない。
「疲れちゃったのー? 」
「そ、そんなんじゃねーよ。焼きダンゴでも喰って食レポの練習しとけ」
「むぐっ、イタいとこを突かれた」
そんなことを言いながらもダンゴを買いに行ったようだ。 戻ってくるなりダンゴを頬張り、あちあちっ、と焦った表情を見せる。
「おいひー」
「食べながら喋るなと言うとるだろうが」
くすくす笑いながらダンゴを頬張る岬を見ていると、登山の疲れが全部吹っ飛ぶようだった。 下りのケーブルカーを降りて、おみやげ屋さんを物色した後、帰りの電車に乗り込んだ。
「下見としてはどうだったんだ? 」
「来られてよかったよ! 吊り橋以外は・・・」
「そうか。役に立てたなら良かったよ」
「またお休み合ったら誘っていい? 」
「何ヶ月先になることやら」
「肯定と受け取っておくね」
意図したとおりに言葉を受け取った岬は、外の景色を見ながらスマホを操作しだした。 通過駅のホームが途切れたころ、手元のスマホがぶるっと震える。
『(写真を受信しました)』
そこにあったのは、サングラスがよく似合う美少女と鳩が豆鉄砲を食ったような表情で立っている男の姿であった。
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