クエスチョンローズと憂鬱な薔薇喰

彁はるこ

開幕 奇病カニバルブーケ

01 魔女ブージャムの噂

 蘇る魔女ブージャムの呪い! 咲き乱れる人喰いの奇病――――

 と、新聞紙に書かれた大文字の見出しがセスの寝ぼけ眼に飛び込んできた。


「…………魔女……?」


 セスは薄く開いた灰眼を再び閉じる。


「くだらない……」


 まだ半分夢に浸りながらも、ぽつんと本音を落とす。

 枯れ花が水を吸うかの如くセスのぼやきは充満する上品な談笑達へと瞬く間に吸収された。

 車内に大きく響くのは蓄音機のラッパ型ホーンから流れる悠然とした音楽と、食事を楽しんでいる他の乗客達の笑い声。

 王都に向かう汽車は煌びやかに賑わっていた。

 セスの目的地である王都アルバには飛空港がない。

 飛空艇での移動ができないためにアルバ行きの汽車は大変混むと有名だが、幸いにもいまは三月半ば。まだまだ寒さも厳しく、雪解け前であるために車内は比較的余裕が多かった。

 三等車は空席が目立ち、セスが利用する一等車の客室にもいくつか空きがある状態。

 予想以上にゆっくりできる環境のせいか、ついうたた寝をしてしまっていたらしい。


「ふあっ、ぁーあ……」


 食堂車の片隅でセスは大きな欠伸を零す。軽く頭を振って重い瞼を持ち上げた。が、だからと言って眠気が去るわけではない。瞼が落ちてきそうになるのを堪える。

 小刻みに揺れる身体。音楽と混ざり合ってぼうっとする脳髄に響く走行音。

 まるで揺りかごで子守歌を聴いている気分になった。

 実感はなくとも身体は長旅で疲れているようだ。


「………………」


 セスが頬杖をついていたのは外の薄い雪景色を連想させる白亜のクロスと上品な一輪挿しの青薔薇で飾られた猫足のテーブル。

 花柄に金縁で彩られた美しいカップに注がれる食後の珈琲からは、まだ湯気が上がっている。あいにくとセスの特異な味覚では珈琲の良さは微塵も味わえないが、きっと上質な豆が使われているに違いない。


「……はあ……」


 芳醇な香りを纏った湯気が舞踏会でステップを踏む淑女のドレスのように踊る。

 その柔らかな動きすら眠気を誘った。

 車内は冷たい夜気に包まれる外と違って常に暖かい。設置された白い光を放つ鉱石が食堂車内を隅々まで照らしている。照明として使用されるこの発光石の輝きは、瞼を下ろしていても視界をうっすらと白くさせた。

 ミルクの霧に包まれて、このまま夢に旅立ってしまいたくなる。

 しかしあくまでもここは食堂車。

 せめて自分の客室に戻るべきだ。


「…………魔女の中でも、極めて恐ろしい……存在……」


 自然と塞がっていた双眼をセスは唇とともに開く。


「そんな魔女ブージャムの、呪い……」


 微睡みに抗うため、反対側の席にいる顔色の悪い男性の持つ新聞の続きを唇はほぼ動かさず、舌だけで読んだ。

 新聞にはいま巷で噂になっている魔女と、その呪いについて綴られていた。


「奇病、カニバルブーケ……」


 セスはうつらうつらと記事を読み上げる。

 囁きにもならないそれは熱々の紅茶に砂糖が溶けるように談笑の渦に飲み込まれ、誰の耳にも入らない。

 ただセス自身の頭の内側に反響した。


「……ブージャムは、他者の身体を苗床とし……鮮血の、薔薇を咲かせる魔女である」


 故意に不安を煽る書き方のされた内容を、セスは夢と現を行き来しながら音読する。


「自然界には存在しない赤薔薇が、人から咲く奇病は、まさに《薔薇咲きの魔女》ブージャムの呪いと…………ふぁあ」


 セスは最後まで記事を読まず、内容を欠伸で一蹴した。「……馬鹿馬鹿しい」

 人を喰う赤薔薇の奇病カニバルブーケの噂はセスも耳にしていた。

 遥か昔。魔女狩りによって絶滅させられたはずの魔女の一人 《薔薇咲きの魔女》ブージャムが蘇り、呪いを振り撒いていると。

 身体から薔薇を咲かせる魔女であるブージャムは禍々しい力を駆使し、人から赤い薔薇を咲かせている。赤薔薇に犯された人間は自我を失い、血を求めてさ迷う異形と化すらしい。


 錬金術を駆使しても治療不可能な魔女の病――カニバルブーケ。


 この噂は大陸中で囁かれていた。と言っても『友達の友達が見た』、『遠い親戚がカニバルブーケになった』、『店にきた客の知り合いが襲われた』などという曖昧極まりない又聞きの話が多く、切り裂き男や狼人間同様、信憑性は薄い。

 怪聞ゴシップ記事が面白おかしく拾い上げ、むやみやたらに膨らませられた不安と恐怖のみが一人歩きをしている状態だ。


「魔女ブージャムが、いるはずないだろ……」


 セスは知っている。

 魔女ブージャムは死んだ。

 魔女ブージャムは蘇ってはいない。

 魔女ブージャムはどこにもいない。

 なぜなら、セスは確かに魔女ブージャムの最後を看取ったのだから。

 魔女は間違いなく死んだ。

 定位置である薄汚れた長椅子ソファで、最期まで楽しそうに世界を小馬鹿にしながら、悪名高い魔女は笑って死んだ。

 セスは知っている。


「それに……」


 魔女ブージャムが赤い薔薇を生むなど有り得るはずがない。


「ブージャムは、赤薔薇は咲かせない」


 セスはその理由を誰よりも知っている。

 虚偽ばかりの新聞から目を離すとセスは癖の強い白髪を掻きながら背筋を伸ばす。眠気を冷ますためにとにかくなにかをしようと、ただの黒いお湯にしか感じられない珈琲を一気に飲み干した。


「…………」


 空のカップをソーサーに戻し、セスはまた何気なく目だけで男を窺う。

 彼は新聞を折り畳んでテーブルに置くと重苦しい嘆息を吐いた。祈るようにきつく指を組み、髭を携えた口元を両手で隠す。

 男の手は、微かに震えていた。


「?」


 妙に顔から血の気を引かせた男へと露骨に顔が向かいそうになった瞬間、視野が塞がれた。

 セスは目線と意識を持ち上げる。セスのいる席の脇で脚を揃えたのは若い男性乗務員。確認するように名を呼ばれ、頷いた。

 清潔感のある乗務員は安堵したように笑顔を深める。何事かと思えば、彼は荷物を預かっていると言う。セスは一等車に客室を取ってもらっていた。なら荷物はそこに届くはずだ。なぜ食堂車で渡されるのかと疑問を抱く。すると、セスの顔色を読んだ乗務員のほうから食堂車にきたら渡すよう言付けを受けていたと丁寧に説明をしてくれた。

 差し出されたのは花束。

 セスは真っ白な薔薇の束を受け取った。

 純真な薔薇の中には一枚のカードがそえられている。暗い緑で銀の蔦模様が加工された厚紙に綴られる白文字は見覚えのある書体。手に取れば芳醇な薔薇の香りとは異なった懐かしさを感じる柑橘系の香りが風に揺れるヴェールのように仄かに漂ってきた。

 カードにはセスの名前しか明記されておらず送り主の名は不在だが、すぐに判明した。

 間違いなくこの花束を贈ってくれたのはセスに汽車の一等客室を用意してくれた相手だろう。


「ありがとうございます」


 セスは座り心地の良い椅子から立ち上がる。


「食事、おいしかったです……」


 乗務員に嘘を吐いて、セスは客室に戻ろうと踵を返した。横目で新聞を読んでいたあの中年男性を一見する。

 体調の悪そうな男性は右手をカップに伸ばし、指を滑らせて中身をぶち撒けた。


「っと……」


 間近で起こった事故。カップがセスの足元に落下して悲惨な音を立てた。

 男の紫の唇から吐き出される謝罪は呂律が悪く、身体の震えも悪化していく。顔には嫌な脂汗が溢れ、眼球は落ち着きなく蠢いて――――男の濁った視線が、足を止めてしまったセスの灰眼とどろりとかち合った。


 セスはすぐに顔色の酷い男から顔を逸らす。

 男の体調も、事情も、自分には関係ない。巻き込まれるのも厄介なので、心配をしてきた従業員にセスは素っ気ない態度で頷くと濃くなった珈琲の薫りから素早く離れた。

 なによりセスには大切なことができた。

 とセスは食堂車を後にする。扉の開閉のみを担当している乗務員に「極彩に輝く導きを」と頭を下げられ、セスの背後で食堂車に繋がる扉が完全に閉められた。

 食堂車で流れていた音が失われ、走行音が耳につく。

 セスは花束を胸に深緑の絨毯が敷かれた廊下を大股で進んだ。滑り止めを兼ねた厚手の絨毯は、急く荒い足音すらそっと飲み込んでいく。

 二等車を抜け、より煌びやかさが増した一等車にくるとセスは半ば駆け込むように自分の客室へと飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る