男が男に惚れる時

◇◇


 七重と勘右衛門の二人を無事に二丁目まで届けて城に戻ってきたところで、すでに夕日が西の空に傾いていた。

 はじめはどうなることかとヒヤヒヤした竹千代との外出も終わってみれば大円団だったな。

 しかし於福、崇伝、天海の三人は曲者すぎるだろ。

 あの者たちにタンカを切ってしまったと幸村や宗應に知られたら、真顔で説教されるに違いない。

 絶対に漏らしてはならないが、漏れる可能性があるとすれば蘭だ。

 彼女には帰り道でじゅうぶんに目配せしておいたから大丈夫だろう。

 

 ん? 待てよ。

 俺、なにかを間違えてしまったような気がするが……。

 

「まあ、大丈夫だろ」


 そうつぶやきながら饗応の時間まで寝っ転がろうとした時だった。

 

「まったく大丈夫ではございませぬ」


 幸村が俺の顔を覗き込んできたのだ。

 

「のわっ! の、ノックぐらいしろよな!」


「のっく? はて、なんのことだか分かりませんが……。とにかく大丈夫ではありませんぞ! なんてことをしてくれたのですか!」


 驚きのあまりつい元の時代での口癖が出てしまった。

 麻里子や母さんはいつも勝手に俺の部屋に入ってきていたからな。

 ……と、そんな話は置いておいて、今は顔を真っ赤にしている幸村への対処だ。

 俺は口元に笑みを浮かべて手をひらひらさせた。

 

「過ぎたことだ。今さら気をもんでも仕方あるまい」


「過ぎたことですと? これからが大変なのに、どうしてそうおっしゃるのですか!?」


 いつも冷静な彼にしては珍しく動転している。

 はて……?

 確かに於福や崇伝はヤバイ奴らであるのは間違いないだろうが、今の時点でそこまで警戒するようなことか?

 まるでこの世の終わりのような嘆き方ではないか……。

 

 いずれにしても考え過ぎは体によくない。

 そこで俺はさっぱりした口調で彼を励ました。

 

「幸村よ。安心せい。いつでもわれは上手くやってきたではないか! こたびのことも必ずや上手く乗り切ってみせよう!」

「は、はあ……」


「ははは! いかなる逆境もわれにとっては追い風も同然じゃ! ははは!」


「そうですか……。なら、よろしいのですね?」


「うむ! なんでもかかってこい!」


「……かしこまりました」


「ん? なんだ? なぜかようにあらたまっているのだ?」


 何やら雲行きが怪しい……。

 そう感じた瞬間だった。

 

「では、入れ!」


 幸村が襖の外にそう声をかけた。

 すると蘭と青柳の二人が部屋に入ってきたのである。

 

「なんだ? なんだ!?」


 さらに二人だけではない。

 後から侍女たちが何人かやってきた。

 そして彼女たちが手にしているものを見て、俺は思わず「げっ!」とうなってしまった。

 

「では、さっそく始めさせていただきます」


 蘭がいつになく真剣な顔で言った。

 

「いや、待て。その件は違うのだ!」


「秀頼様。男と男の約束に違うもなにもありません」


「ほら、場の勢いというか……。ちょっ! やめろ! うわああああ!!」


 俺は甘かったのだ。

 俺と蘭は意思疎通ができない。

 さらに言えばいつもそのことを忘れてしまう。

 

――今回の件については絶対に幸村に話すなよ!


 俺は目配せでそう伝えたつもりだった。

 彼女だってコクリとうなずいたさ。

 でも、彼女はこうとらえたらしい。

 

――竹千代との約束を果たすため『女装』いたす。城に戻ったら幸村と相談して支度せよ。


 と――。

 

………

……


「な、なんだ……? あれは……」


 京で流行っているきらびやか着物に、真っ白な顔。そして真紅の口紅。

 ただでさえ背が高いので目立つ俺が、まるで太夫のような振袖姿で現れたのだから宴会の場が騒然としたのも無理はない。

 周囲が唖然として俺の登場を見守る中、俺は幸村に耳打ちした。

 

「目立ちすぎではないか?」


「もうこなっては逆に目立たなかった方が哀れというものです。腹をお決めくだされ」


 確かにそれもそうだ。

 こうして衆目を集めているだけまだましか……。

 俺は自分の席についた。座るだけでも蘭や幸村の補助がないとままならないから情けない。

 まだ家康、千姫、竹千代の姿はない。彼らは一家団らんの時間を過ごしているようで、連れ立って部屋にやってくるそうだ。

 そしてついにその時はやってきた。

 

「大御所様の御成りでございます!」


 部屋の中に緊張が走る。

 俺も周囲にならって頭を深々と下げて、家康を迎え入れた。

 静寂の中、いくつかの足音が聞こえてくる。

 上座でその音が止まる。

 

 よくよく考えてみたら家康と顔を合わせるのは数年ぶりだ。

 生き残りをかけて死闘を繰り返してきた相手であり、心優しい義理の祖父でもある。

 俺がこの時代にやってきてから、最も思い入れのある人物のうちの一人であるのは間違いない。

 

 そんな彼ともこれが最後の饗応になるかもしれない。

 

 まだ実感はないが、確実に訪れるだろうその日を俺は知っている。

 だから噛み締めながら今夜を過ごしたい、そう思っている。

 

「……はて? そこの美しい恰好のおなごは何者かのう。面を上げよ」


 家康の太い声が聞こえてきた。

 未だに女好きなのは変わっていないようだな。

 なんだか微笑ましい気持ちになる。

 ところで家康の目を引く美女とはいったい誰のことなのだろう。

 ちょっと興味があるのだが……。

 

「……秀頼様」


 蘭のささやき声が聞こえてきた。

 まさか……。俺のことなのか……?

 

「そこ。そこのお主じゃ。早う顔を見せてくれ」


 やっぱり俺に向けられている。

 ええい、もうどうにでもなれ!

 俺は顔を上げた。

 

「お、お主は……。まさか……」


 家康を中心に両脇には千姫と竹千代の姉弟の姿がある。

 三人とも口を半開きにして俺を見つめていた。


「そ、そんなに見られると恥ずかしゅうございます……」


 顎に細い指を当てながら上目遣いでそれっぽくつぶやいてみた。

 すると千姫が顔を青くした。

 

「秀頼さま……。気持ち悪い……」


 家康が彼女に同調する。

 

「うむ……。気持ち悪いのう……」


 顔を上げた部屋の誰もが「うん、うん」とうなずいている。

 そりゃあそうだよな。俺だって自分で自分が気持ち悪いんだから。

 しかし一人だけ異なる反応をした者がいた……。

 

「う、う、美しい!」


 竹千代だった。

 彼はぴょんと上座から下りて俺の元へ駆け寄ってきた。

 そして目をキラキラと輝かせながら、まじまじと俺を見つめてきたのである。

 

「竹千代様? 近い!」


「秀頼殿! だい、好き、じゃ!」


 おいおい! 待ってくれ!

 いきなり告白とか、ありえんだろ!?

 部屋の中もにわかに騒がしくなってきた。

 事を重く見た三十郎が竹千代の背後までやってくる。

 あ、ちなみに彼も女装している。

 

「竹千代様。大御所様のおそばに戻りましょう」


「いやだ! われは、秀頼殿の、そ、そばに、いたい!!」


 これは大変なことになった……。

 誰か助けてくれる者はいないのか……。

 そうだ! 竹千代の実の姉である千姫ならば!

 俺は視線を彼女に送った。

 だが……。

 

「秀頼さまぁぁぁ!!」


 明らかに様子がおかしい。

 頬を赤くしてふるふると震えているではないか。

 そして彼女も上座から俺のそばへやってきた。

 

「他のおなごにあきたらず、千の弟までたぶらかすなんて!」


「ちょ、ちょっと待て! お千! 違う! これは違うんだ! これは俺と竹千代様が二丁目のことで約束したことを果たしただけであってだな……」


「千姫様。二丁目とは遊郭が並ぶ場所のことです」


「こらっ! 蘭! お主は余計なことを言うな!」


「秀頼さまなんて……」


「待て! お千!」


「だいっきらいじゃぁぁ!!」


「ぎゃあああ!!」


 こうして賑やかな饗応が幕を上げた。

 俺たちの様子を笑顔で見守る家康の瞳がすごく印象的だった。

 その瞳を見て俺は確信したんだ。

 

 もう彼も自分の死期を悟っているんだ、と――。


………

……


 饗応が無事に終わり、俺は部屋に戻った。

 いや……無事とは言い切れなかったが、それでも家康が腹を抱えて大笑いしてくれたのだから、よしとするか。

 今はもちろん女装を解き身軽な寝巻き姿だ。

 俺は敷かれた布団の上に転がった。

 

「今日は盛りだくさんだったな」


 頭がぼうっとするような疲れにまぶたが自然と落ちていく。

 次に目を開く時には窓の外は明るくなっているだろう。

 そう思っていた。

 

 しかし……。

 

「たっちゃん。起きてる?」


 襖の外から俺を呼ぶ声が俺を夢の世界から呼び戻した。

 

「麻里子……いや、伊茶か?」


「うん。ごめんね。こんな夜遅くに……」


「いいんだ。とにかく入ってくれ」


 すっと襖が開けられると中身が麻里子の伊茶の姿が目に入ってくる。

 つい先日までは彼女を見ても何も感じなかったのに、今は目が合っただけで胸が高鳴るのはなぜだろうか。

 そんな俺の戸惑いなど知らずに彼女はすぐそばまで寄ってきた。

 ふわりと花の香りが鼻をつき、思わず背筋がぴんと伸びる。

 

「なかなか二人きりになれなかったけど、今夜ならって思ったの。疲れてたでしょ?」


「ううん。普段から鍛えてるからな。夜通し行軍したことだってあるんだ。これしきのことで疲れたなど言うもんか」


「そっか。ならよかった」


「ところでなにをしにやってきたんだ?」


「え……それは……」


 伊茶が言いよどむ。わずかな明かりでも彼女の頬がかすかに桃色に染まっているのがわかる。

 そりゃそうだよな。

 若い女性が夜中に男の部屋を訪れてくる理由なんて一つしかないじゃないか……。

 

「すまん、伊茶。野暮なことを聞いてしまったな」


「たっちゃん……?」


 伊茶が目を大きくして俺を見つめてきた。

 みずみずしい唇がわずかに開いている。

 俺は吸い寄せられそうになるのを抑えて両手を広げた。


「さあ、いいぞ。心の準備はできてるから」


 伊茶の表情がきゅっと引き締まる。

 どうやら彼女も覚悟を決めたようだ。

 だが、次に彼女の口から発せられた言葉は俺の想像を遥かに超えるものだった……。

 

「たっちゃん、よく聞いて。このままだとたっちゃん……豊臣秀頼に不幸が訪れるの」



 


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