空翔ける鷹に想いをのせて⑪ 秀頼の下策
「なんだお主は?」
崇伝の威圧する声が蘭に向けられる。
だが彼女は怯むことなく続けた。
「豊臣家の侍女……。あ、今は元侍女だったけ。まあ、この際どちらでもいいわね。私の名は蘭です!」
「蘭とやら……。出過ぎた真似をするでない。控えておれ」
「いいえ! ここで引き下がるわけにはいきません! さっきから聞いていればそこのお二人さんの足の引っ張り合いばかりではありませんか! ここに来たのは竹千代様の願いをかなえるためです! みなさん、竹千代様の言葉に耳を傾けようとは思わないのですか!?」
ずばりと言い切った蘭のことを崇伝が穴の開くほど見つめている。
しんと場が静まる中、口を開いたのは於福であった。
「ふふ。蘭殿のおっしゃる通りですね。では、竹千代様にうかがいましょう」
於福が蘭の言葉をあっさりと受け入れたことに妙な違和感を覚えたが、俺はその場を見守ることにした。
皆の視線が竹千代に集まる。
「あ、あう、あ……」
竹千代は滝のような汗をかき、目をくるくると回していた。
「竹千代様! 頑張って!」
蘭が励ますが、竹千代は固まったままだ。
目には涙をいっぱいためて、全身を震わせている。
会った時から感じていたが、彼は極度のあがり症に違いない。
だからこの状況で自分の意見を言わせることは残酷だ。しかも周囲からの応援はかえって逆効果になる。
当然於福はそのことを知っているはず。
知っていて竹千代をこの状況に追いやったのか……。
さっき感じた違和感の理由が分かると、言いえぬ怒りがふつふつとわいてくる。
そしてしばらくたった後、於福がゆったりとした口調で言った。
「もうよいでしょう。竹千代様はまだお若い。ゆえにご自身の意見を述べるには早すぎます」
於福に続き崇伝が口を開いた。
「実にしゃくだがその点は於福の通りだ。竹千代様が立派に成長されるまでは、すべて我らに任せておけばよい。将来の将軍様と言えども、子どものうちは余計な口出しなど無用でございます。竹千代様もしっかりと胸に刻んでおいてくだされ」
崇伝の鞭のような言葉に竹千代は悲しそうにうつむいてしまった。
さすがの蘭もそれ以上は何も口にできず、悔しそうに唇をかんでいる。
「かかか! では竹千代様と秀頼様におかれましては、城内でのんびりとお過ごしいただきましょうかのう。後のことは拙僧たちにお任せあれ」
天海が気を利かせて助け舟を出したところで三十郎が竹千代の肩をそっと支えた。
その様子に冷ややかな視線を浴びせていた崇伝が口を開いた。
「……では、先の話の続きをしようか」
於福と天海も視線を崇伝に移す。
もはや蚊帳の外となった竹千代たちは静かにその場を後にしようとした。
だが……。
それを許さぬ者がいたのである。
「ちょっと待て」
何を隠そう俺、豊臣秀頼だった――。
「黙って聞いておれば、ずいぶんな物言いではないか。元服前とは言え相手は徳川家の嫡男。その御方に向かって、『子どもは黙ってろ』だと……?」
自分でも驚くほど低い声だ。
崇伝たちが目を見開くのも無理はない。
俺は一歩、二歩と彼らに近寄った。
すると崇伝が顔を引きつらせながら言った。
「秀頼公。これは徳川のことであり、豊臣家とは無縁のお話ですので、口出しはお控え願いたいのですが……」
次の瞬間。
俺はキレた――。
「ええい! 黙れぇぇ!! このクソ坊主がぁ!!」
雷鳴のごとき一喝に崇伝が後ろにずり下がる。
俺はさらに一歩足を踏み込んだ。
「そもそもわれは豊臣右府であるぞ!! われを目の前にしながら頭を下げぬとは何事か!!」
俺の言葉に崇伝だけではなく、鷹匠たちも含めて全員が平伏した。
俺は彼らを見下ろしながら荒れた呼吸を整える。
こんなところで自分の権威を振りかざすなど、宗應に見られたら「下策」とこき下ろされるのは分かっているつもりだ。下手をすれば徳川家を敵に回してしまうとも限らない。
しかし、俺はどうしても許せなかった。
相手が子どもである、という理由だけで意見を聞こうとしない姿勢を……。
なぜなら俺も竹千代とまったく同じ思いを体験したことを思い起こしていたからだ。
そう……。
関ヶ原の戦いを前にして、幼少であることが理由で何もできなかったあの苦い体験を。
そしてそのせいで多くの人々を不幸にしてしまったことを……。
当時と今とではまったく状況が違う。
そんなことは百も承知だ。
だが大人の都合に振り回され、自分の信じる正義を主張することすら許されない世の中が正しいとは、俺は思わない。
多少やり方が強引であっても、せめて竹千代の七重を想う優しさだけは伝えなくてはならないと信じていた。
「崇伝よ。幼いころに母親から習わなかったのか? 人の話は最後まで聞け、と」
「……はい、習いました……」
「於福よ。醜い大人同士の争いを聞かせることが、立派な将軍を育てるために必要と考えておったのか?」
「そんなことは……」
「たとえ年端のいかぬ者であっても、世の中に思うところはあろう。誰かを大事にしたいと思うこともあろう。そのために自分が何かできないか、考えることだってあるだろう。そのすべてを大人がかなえてやれ、とは口が裂けても言わぬ。しかし、彼らの言葉に耳を貸して、一緒に悩んでやることこそ大事なのではないのか」
そして俺は二丁目での出来事を話し始めた。
竹千代を追いかけて長屋に押し入ったこと。
そこで勘右衛門に出会って叱られたこと。
死の病に伏せている七重を目の前にして言葉を失ってしまったこと。
勘右衛門から彼女のことを聞かされた竹千代が、彼女のために何かしてやりたいと思ったこと。
そこまで話したところで、俺は竹千代のそばに寄った。
そして彼の背中に優しく手を添えながら言った。
「さあ、竹千代様。一言でかまいません。竹千代様が七重にしてあげたいことを、於福にお話しくだされ」
全員に告げるのではなく、気心の知れた於福に話すように促す。
そうすることで多少なりとも緊張が解けると考えたからだ。
竹千代は小さくうなずくと、きゅっと表情を引き締めた。
俺はそっと彼の耳元でささやいた。
「もし上手く言えたなら、宴の席でわれと三十郎がおなごの恰好をして踊りましょう」
真横にいた三十郎にはバッチリ聞こえたようだ。
「なっ!? 秀頼様!?」
俺はニヤッと笑って彼を制した。
竹千代は目を丸くしていたが、口元が少しだけ緩んでいる。
そして一度だけ大きく息を吸い込むと、はっきりとした声をあげたのだった。
「わ、われは、七重に、皐月と、会わせて、やりたいのだ!!」
於福だけでなく崇伝と天海も大きく目を見開いて、はっとした顔になる。
俺は穏やかな口調で言った。
「どうだ? お主たちが醜い言い争いをせねばならぬほどに難しい願いだろうか? われはそうは思わん。竹千代様の優しい心根を映した、実に美しい願いではないか。伏見屋と二丁目の何たるかを知らずに竹千代様を連れ出したのはわれの落ち度だ。誰かが咎を受けねばならぬのなら、われを責めるがよい。しかしその前に竹千代様の願いを皆でかなえてあげたいのだが、異論はあるか?」
誰も何も口にしようとしなかった。
竹千代の目からは大粒の涙があふれ出て、三十郎までもがもらい泣きをしている。
そんな中、鷹匠頭から冷水のような一言がかけられた。
「しかし七重殿を長屋から連れ出すのが難しいように、皐月をここから連れ出すのは無理でございます。残念ながら竹千代様の願いをかなえるのは無理でございます」
再び場に重い沈黙が流れる。
やはり無理なものは無理なのか……。
誰もがそう思ったその時だった――。
「ああ、情けねえ。情けねえ」
聞き覚えのあるしゃがれた声が門の方から聞こえてきたのだ。
みなの視線が一斉に声の持ち主に集まった。
そして蘭がその名を叫んだ。
「伊部勘右衛門殿!!」
そう、それは勘右衛門だった。
彼は俺たちの方を見るなり、にやっと口角を上げる。
それもつかの間、すぐに鷹匠たちの方へ険しい視線を向けた。
「あれができねえ、これができねえ、って言い訳ばかり並べてんじゃねえよ」
「か、勘右衛門様。しかし……」
「しかしもカカシもあるもんか!! あんな心のこもった願いを聞いて、てめえは引き下がれるって言うのかよぉ!」
そこまで言い切ったところで、勘右衛門は竹千代に向き直ってひざまずいた。
「さきほどまでのご無礼、さらに七重に皐月と会わせるのを「無理」と申し上げたこと、どうかお許しくだされ。この伊部勘右衛門。昔とった杵柄ではございますが、竹千代様の願いをかなえるべく尽力いたします」
竹千代が目を丸くして俺を見た。
俺はにこりと微笑んでうなずく。
すると彼はぱあっと顔を明るくして言った。
「うん! 頼む!!」
その言葉は短い。
しかしこれまでにないほどに滑らかな口調だった。
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