空翔ける鷹に想いをのせて⑩ 騒動を呼び込むまばたき

◇◇


――無理なのじゃ。皐月を七重に会わせることは。


 勘右衛門の言葉にもやもやしたものを抱えながら俺たちは城に戻った。

 そして鷹を飼っている場所に直行し、近くにいた鷹匠に皐月のことを聞いてみたのである。

 

「ああ、あのくま鷹ですか……」


 どこか言いづらそうに言葉を濁す彼に対して、三十郎がきっぱりと言い切った。

 

「皐月を二丁目で病に伏せている女に会わせたいのだ。これは竹千代様のご意向である」


 さすがに徳川家の嫡男の名前を出されれば「はい」と言わざるを得ないだろう。

 そう思っていたのだが、鷹匠の反応は鈍い。

 

「へい、しかし……」


 ……と、その時だった。

 

「それはならぬ」


 太い声があたりに響き渡った。

 皆の視線が一斉に声の持ち主に集まる。

 すると三十郎が驚いたように声をあげた。

 

「崇伝殿!? なぜここに?」


 崇伝……。まさか以心崇伝のことか!?

 以心崇伝は僧だったと記憶しているが、確かに目の前の初老の男は髪をきれいに剃っている。

 太い眉に堀の深い顔も特徴的だが、何よりも目力が強い。

 まるで獲物をとらえた猛禽類のような目だ。

 黒一色に染められた服も不気味だし、全身から漂う圧迫感で思わずしり込みしてしまいそうになる。

 

 もし後世に『黒衣の宰相』と伝わる、あの以心崇伝だとしたら、伝承どおりに只者ではないな……。

 

 そう思っていると、彼の隣に立っていた男が口を開いた。

 

「実は皐月は誰にもなつかなくてのう。ここで飼う分にはいいが、外に連れ出すのはかなわんのです」


 恰好からして鷹匠だ。先ほどの鷹匠が頭を下げたことから察するに、おそらく鷹匠頭だろう。

 そして誰かが何かを口に出す前に、仁王のような顔をした崇伝が口を開いた。

 

「そもそも徳川家の嫡男ともあろう御方が色町である二丁目に赴くなど言語道断。見れば豊臣秀頼公もご一緒ではありませんか。万が一、竹千代様と秀頼公に何かがあったなら、天下を揺るがす大事になりますぞ。いったいどこの誰の差し金か。答えよ、三十郎」


「それは……」


「竹千代様と秀頼公をたぶらかし、下賎な女どもがたむろす場所に送った罪は重い。その者をかばうというならお主を駿河問いにかけねばならぬ。それでもよいのか、三十郎!」

 

 三十郎の顔が歪む。

 ちなみに『駿河問い』とは駿府の奉行が考案した拷問の一種で、手足を縛られて天井から吊るされる。

 一度だけ元の時代で絵を見たことがあるが、あれは誰でも嫌だろうな。

 そう言えば俺も母の淀殿にやられそうになったことがあったっけ……。

 あの時は全力で幸村と宗應が止めてくれなかったらどうなってたことやら……。


 さて、一方の崇伝は鬼のような表情をまったく変えていない。しかしその目は三十郎を責めようとしていないから不思議だ。

 まるで三十郎がかばっている者……つまり於福に向けられているように思えてならない。

 ……となると、崇伝は彼女の存在に気づいているのか?

 胸のうちに濁った水が流れこんでくるのを感じた。


――徳川家中の実権争いか……。


 於福と崇伝は敵対関係にあるのだろうか。

 もしそうだとしたら、俺はえらいことに巻き込まれてしまうことになる。

 もちろん勝手な推測に過ぎない。

 だが俺の中にいるもう一人の自分が、「早くこの場から脱せよ」としつこく命じてくるのだ。

 ではどのようにしてここから立ち去ろうか、そんなことを考え始めた瞬間だった。


「げ、げせん、では、ない!!」


 竹千代の声が空気を切り裂いた。

 崇伝の眉間に皺がより、ますます険しい顔つきとなる。

 一方の竹千代はガクガクと膝を震わせて、顔が真っ青だ。

 それでも彼は精一杯声を張り上げた。

 

「い、一生懸命、生きて、いる者たちばかり、だ! げ、下賤、では、ない!!」


 崇伝は口元をかすかに緩ませる。

 そして何か言おうとした。

 だが……。

 

「あら、竹千代様のお声が聞こえると思ったら、もうお帰りでしたのね」


 笑顔の於福が崇伝の言葉をさえぎったのである。

 崇伝が苦々しい顔に変えて口を開いたが、於福は彼に言葉を発する暇を与えなかった。

 

「ふふ。竹千代様と秀頼様を伏見屋にお越しいただくよう手配したのは、私でございます。それがいかがしたのでしょう?」


 なんと自分から名乗り出たではないか!

 これにはさすがの蘭ですら顔を白くして驚いている。

 当然、三十郎と俺も言葉を失っていた。

 だが崇伝だけは嬉々として身を乗り出した。

 

「ほう。お主。自分の犯した罪がどれほど重いことか、当然知ってのことだろな? それとも一介の乳母にすぎぬゆえ、物事の分別もつかなったと言い訳するつもりか? いったい何を考えているのだ?」


 聞いた者を圧倒するすごみのある声だ。

 しかし於福は表情ひとつ変えずに返した。

 

「ふふ。伏見屋と言えば、かつて大御所様の鷹匠を務められていた伊部勘右衛門殿が営んでおられる由緒あるお店です。さらに言えば二丁目も大御所様から与えられた土地。すなわち伏見屋も二丁目も大御所様がご公認された場所でございます。それを『下賤な女どもがたむろしている場所』とはずいぶんな物言いではございませんか。しかもそのことを竹千代様にとがめられてもなお、そのように開き直っておられる。たいした肝っ玉と私は感心いたしておりました」


 すげぇ……。

 たいした肝っ玉とはあんたのことだ、於福。

 悪意に悪意で返すとは……。

 しかも何の躊躇もなく、だ。

 当然崇伝の顔に血がのぼる。その様子は鬼が赤鬼になったようだ。

 彼はかすかに震える声で言った。


「下手な口上ほど聞くに耐えぬ。もっと簡潔に申せ。なぜお主は薄汚れた場所にお二人を送ったのか? 答えによってはお主を処罰せねばならぬ」


「ふふ。簡潔に、ですか。ならば申し上げましょう」


 そこで言葉を切った於福。

 次の瞬間、かっと目を見開いた彼女は、天まで轟くような声を発した。

 

「竹千代様を立派な将軍にするためです!」


「な、なんだと……」


「私は竹千代様の教育に関して上様と大御所様より一任されております。その私のやり方けちをつけるなら、それすなわち上様と大御所様にけちをつけるも同然。処罰されるのはどちらか、それこそ下賤の者でも明らかというものでしょう」


 崇伝の顔がそれまでの鬼のような強面から、凍えるような冷酷な顔に変わっていく。すごみが増して、もはやちょっとでも手を出そうものなら斬りつけられそうな雰囲気だ。

 一方の於福ははじめから変わらぬ表情で、さながら凪の湖面のよう。


 まったく対照的な二人は、互いに色のない視線をぶつけ合った。

 とてつもない緊張が場を支配する。

 もはやただの傍観者と化した俺たちはゴクリと唾を飲み込んで、その場を見守っていた。


 そして次の瞬間だった――。


「かかか! かようなところで聞き慣れた声が聞こえると思って覗いてみれば、崇伝殿と於福ではないか!」

 

 しゃがれた笑い声が空気を一変させたのだ。

 見れば小さな老僧がゆっくりとこちらに近づいている。

 菩薩のような穏やかなその表情に、俺は見覚えがあった。


 南光坊天海か……。

 

 同じ僧でも、崇伝を『剛』とするなら、天海は『柔』といったところか。

 となると性格も考え方も正反対なのだろう。

 俺の知る歴史で彼らが政敵となって激しく争ったのもうなずける。

 とにかく、いかにもドロドロのお家騒動の様相を呈しているじゃないか。

 ますます雲行きが怪しくなってきたぞ……。

 

 しかしこれだけ役者がそろうと、こっそりとこの場を抜け出すわけにはいかない。

 となれば豊臣家は余計な口出しをせずに静観する、それが一番だ。

 この場にいる豊臣家は、言うまでもなく俺と蘭の二人だけ。

 そこで俺はちらりと彼女を見た。

 彼女も俺に視線を送ってくる。


 うむ! ここで得意の目配せだ。

 俺は何度かまばたきをした。


――何も口を挟むなよ。


 と。

 すると彼女はこくりとうなずいた。

 よし、いいぞ! しっかり伝わった!

 これで一安心だ。あとは場が解散になるのを待つばかり。

 七重と勘右衛門には悪いが、この状況では手も足もだせそうにないからな。

 俺たちが駿府を出た後に上手くやってもらうよう、誰かに頼んでおこう。


 しかし……。

 俺は甘かった。

 そもそも俺と蘭はまったく意思疎通ができないどころか、裏腹にとらえられてしまうことをすっかり忘れていたのだ。


――ザッ!


 何を血迷ったのか、蘭は於福たちの前に出てきた。

 そして彼らが目を丸くする中、高らかと声を響かせたのだった。

 

「申し上げます! 皆さま、何か大切なことをお忘れではありませんか!?」


 と――。

 

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